2004年 10月 熊野古道

■登った山 熊野古道
■地域     紀州
■天候     晴れ
■参加人数 8名
■ルート  JR海南駅〜熊野古道入口〜祓戸王子〜有間御子墓地〜筆捨松〜塔下王子(昼食)〜橋本神社〜岩峰寺〜JR冷水浦通

「熊野の元の意味というのは、「隅」とか「端」とかつまり、奥まったところということからついたようです。」一日講師のM氏が、名所の随所でこんな解説をしてくれる。段々畑を縫うようにS字にのびる農道を近道しようと、K隊長の指令のもと、みかん畑にもぐりこむと、目の前に畑を手入れ中のおじさんが立っていて鉢合わせ。大きないたずらっ子8人は、苦笑いでその場を乗り切るしかない・・・。そんな童心に返るひと時あり。はじめてなのに懐かしい、ほっこりした風景のなか楽しく、アカデミックな秋の一日を過ごすことができた。
久しぶりにまぶしい秋空が広がる週末!これでいわれない「災害女」の汚名を返上できると喜ぶ私。JR海南の駅に到着するなりお昼のために海南名物「笹葉寿司寒鯖」を買い求める。紀州の玄関口にあたる海南は、「熊野聖地への入口」ともいわれているが、どこにでもあるなーんてことのないJR駅前のどこに世界遺産になった歴史街道があるのかと疑ってしまう。ところが、少し行くと町屋風の建物が軒を連ね、軒先に「熊野古道」と書かれた白い提灯がつるされた古い街道が現れ、とってもいい感じ。
藤代神社は、九十九王子のなかでも最も格式の高い五躰王子のひとつで、子授け、安産、長寿の神様として広く信仰を集めている。その境内にある鈴木屋敷後は、全国200万人いるといわれる日本で一番多い姓、鈴木のルーツにあたる家だ。元熊野の豪族だった鈴木家は、平安時代末に藤代神社の神官となり、熊野から大和へ向かう途中の神武天皇に、稲をさしあげたところ、「穂積」という姓をもらったと伝えられている。穂積を積み上げたものは、「すずき」と呼ばれていたので、"鈴木"となったといわれている。そんなルーツを知り、あらためて「ロッキーのSさん」をながめれば、雅っぽく見えてくるから不思議。それにしても曲水泉の形式を残す庭園に似つかわしくないボロ家屋といてば、あまりに失礼でしょうか。
そこから坂をやや上がると、その先に皇位継承にからむ陰謀により19歳で謀殺された悲劇のプリンス「有間皇子」の墓と歌碑があり、万葉の歌人でも知られる皇子が詠んだといわれる「家にあれば筍に盛る飯を草枕 旅にしあれば椎の葉に盛る」 という余りにも有名な歌が歌碑に刻まれている。
さあここからが、この旅のハイライトゾーン、古道の景観を残している藤白坂である。三山の最初の難所で、急勾配の坂となり山越えの道が待ち構えている。紀州独特の緑泥片岩で作られた緑色の石畳を一歩づつ登るたび、いにしえの人々の往来する様子が目にうかぶような気分だ。道はうっそうと茂る竹林が続き、はりつめた静寂さに竹の葉のこすり合う音がすがすがしい調べのように耳元に響き、心が洗われるようだ。十八丁の道のりに途中、丁石地蔵という道中の安全を祈願して作られた30cmほどのかわいらしい地蔵さんが一丁ごとに配置されていて道案内をつとめてくれる。途中、投げ松・筆捨て松・硯石があり二十丁まで数え上りついた所に日本最大の石の地蔵を安置する地蔵峰寺がある。タイミングよく、下津みかんのキャンペーンということで、農家のおばちゃんが、みかんを一袋づつ配っていて、私たちも全員がご相伴にあずかった。この寺の背後に回ると、天皇や上皇の熊野詣の際、憩所となったのでこの名がついたといわれる「御所の芝」があり、私たちもここでお昼休憩をとることにした。「和歌山の朝日・夕日百選」にも選ばれているほどで、そこからは和歌浦から紀伊水道・加太・友が島などが一望できる素晴らしい眺めだ。下津といえば、かつては紀伊国屋文左衛門のみかん船が下津湾に通っていたと言い伝えられている。そんなことを考えながら、さっきのみかんをいただくと、とっても甘くてみずみずしい。
そのみかんの祖先である原木が「橘本神社」にあるという。ここから西向きの斜面一面に広がるみかんの段々畑を縫うように農道を下っていかなくてはいけない。この道のりが結構長く、やっとの思い出麓にたどり着いて小川を渡れば、「お菓子の神様」といわれる橘本神社がある。お目当てのみかんの原木は、白い石の囲いにかこまれ境内に祭られていた。果実はキンカンくらいな大きさで、全体にこぶりだ。大陸から持ち帰った橘は、その後、改良され「橘は菓子の長上にして人の好むところなり」と謳われているように、みかんは甘いおかしとされ、菓子の祖神として世の信仰を集めたのである。今でもお菓子屋さんがお参りに来るそうだ。
JR冷水浦駅までに行くには、今きた傾斜面を上りきらなくてはいけない。そこで、時間短縮のため思いついたのが、農道を歩かないで、みかん畑の中を直進して上ること。そんなわけで冒頭に書いたようなことになったのだ。子供の頃はこんな「おいた」やったよな〜、でもいい大人になってからは、さすがにやれないよね〜そんなこと考えながら、ちょっとドキドキしながらも楽しませてもらいました。農家のおじさん、みかん畑を荒らしてごめんなさい。申し訳ございませんでした!
ハイキングといえどもあなどれない。思った以上の歩きに、少々疲れ、後はお楽しみの「温泉アンドラーメン」を残すばかし。ここでTさんは一足先に帰宅。後は全員、和歌山駅からバスに乗り、M氏お勧めの温泉に向かう。和歌山市内で降り立ったのが初めての私は、想像以上に繁華街の賑やかさと広さに驚いた。途中、和歌山上が見え、ここがかつて江戸幕府御三家・紀州徳川家の城下町だったことを思い出し納得する。

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