toppageにもどる

 

   于山島の形状比較

 

独島か竹嶼か、于山島の形状を比較してみました。と言うよりむしろこれをご覧の皆さんの目で比較してください。

img1.jpgimg2.jpgimg3.jpgimg4.jpg

『Carte de la Corée 』 1855年 金大建

http://www.archives.go.kr/gars/dokdo/sub1-206.html

『地図は鬱陵島を ‘Oulangto’(鬱陵島)で表記したし,その東に独島を ‘Ousan’(于山)で表示した.‘于山’という私たちの固有の独島名称付与事実が重要だ.』

http://www.cartography.henny-savenije.pe.kr/quality/pages/1855MA~1_JPG.htm

『朝鮮全図』 - 1894年、柴田源三郎編

http://www.geocities.jp/tanaka_kunitaka/takeshima/m27-chosenzenzu/

18世紀以降李氏朝鮮では鄭尚驥(チョン・サンギ)の『東国地図』を典型とする鬱陵島の東隣りに鬱陵島の三分の一の大きさの于山島を配置した地図が盛んに作られるようになりましたが、どうやらこの于山島は竹嶼を誇張して描いたものであるようです。

 <iframe title="

金正浩以前の朝鮮全国図「朝鮮図」国立中央博物館が発行

img6.gif

       朝鮮図・鬱陵島図

 

 金正浩(キム・チョンホ)の大作とされる大東輿地図(1861)はある日突然、空から落ちてきたのだろうか?それが突然出てきたものではないという事実は、それ以前にすでにその根になる地図が製作されて流通していた、という点でも確認可能だ。

 国内外所蔵の韓国古地図資料の発掘を行っている国立中央博物館が実物大の影印本とその解説集を集めて最近出版した「朝鮮図」は大東輿地図より半世紀ほど先に進んだ19世紀初めに製作された全国地図であると同時に、国内ではその全貌が初めて紹介されるという点で注目を集める。

この作業を主導した博物館歴史部、チャン・サンフン学芸研究官は「この地図は19世紀の大縮尺全国地図が発達して行く過程を明らかにするのに重要な資料」と述べた。「朝鮮図」は日本大阪府立中之島図書館に所蔵されていた地図で、伊藤博文朝鮮統監の推薦で統監府の修学院名誉教授を勤めた佐藤六石(1864-1927)が朝鮮に泊まりながら収集して日本に持って行った古典的5千237本に含まれている。

 彼の収集図書を一括購入した大阪府立図書館は1968年、その全体リスト集である「大阪府立図書館蔵韓本目録」を発刊することでこの地図の存在が知られるようになった。18世紀後半、英祖・正祖時代に発達した朝鮮地図学の機運で生まれた朝鮮図は、大きくて詳細な全国地図を多くの本に分けて収録することで利用者の便宜をはかる形式を取り入れ、そのような伝統が大東輿地図に決定的な影響を及ぼしたと評価されている。合計26冊である朝鮮図は18世紀後半以後、絵画式地図から脱して全国を決まった間隔で横と縦に線を引いて区切った後、その上に個別の地図を描き始めるいわゆる「方案式郡県誌も」を採択した。収録された地名から推し量る時、朝鮮図製作時期は1800-1822年頃と考えられる、とチャン研究官は付け加えた。この朝鮮図には鬱陵島の隣の独島が于山島という名前で記載されている。

ソース:聨合ニュース(韓国語)キム・チョンホ以前の朝鮮全国紙図'朝鮮図'

http://news.chosun.com/site/data/html_dir/2007/12/26/2007122600777.html

地図のあったソース:ネイバーニュース(韓国語)今回の地図>http://news.naver.com/main/read.nhn?mode=LS2D&mid=sec&sid1=103&sid2=245&oid=001&aid=0001872257&iid

img3.gif

独島が于山島???

 

 

 

 現代の鬱陵島地図img5.jpg

                                      toppageにもどる