![]() 鮎鮨 |
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| JR岐阜駅前 金箔織田信長像高さ3m台座から11m 信長公は当時新規好きで西洋マントと火縄銃身につけている | ||
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第2回は9月25日(日)35名が参加して開催された。快晴の午前8時30分頃、JR東海道線岐阜駅北口のバスタ−ミナルに、リッュクを背負ったランナ−達がぞろぞろ集まってきた。このバスタ−ミナルは最近になって立派に整備され、ロータリ−形式になっている。この整備に合わせて、岐阜の町を興し、戦国時代を制した「織田信長像」が燦然と輝いている。 |
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| スタートの岐阜鵜飼観覧乗船場前でマネジャーから挨拶含む注意事項など伝達 午前9時過ぎ | |
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| 数か月ぶり皆さんと集合ポーズです 午前9時10分 |
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| スタートのちしばらく湊 玉井 元浜各町の古い街並み(総称:川原町)を散策気分で進みます |
江戸時代に鮎鮨を調製していたのは、岐阜公園に近い正法寺大仏殿の裏であったが今は全く痕跡がなく、岐阜市が町興しの折、鮎鮨街道の起点は鵜飼観覧船乗場前としたようである。 すぐ近くには老舗旅館「十八楼」があり、「湊町」「玉井町」「元浜町」が固まっており総称として「川原町」と呼ばれている。格子戸や黒塀、屋根神様が祀られているような古い建物が並んでおり、電線も地中化されているので当に江戸時代にタイムスリップしたようである。300mばかり過ぎた処に、今も「鮎の熟鮨」が食べられる「泉屋」がある。 *以下スナップは編集都合でいちぶ必ずしも時系列になっていません あしからず |
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| ↑↓老舗旅館「十八楼」前から通称古い街並み残る川原町を歩きスタートです 電柱が無く地中化されている | |
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| ↑↓この先も生活感が味わえる西材木町、久屋町、魚屋町と町名が続きイメージに事欠かさずタイムスリップさせてくれる 祀ってある屋根神さまも見られる | |
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| 鮎鮨マラニック 概略コース 約20q |
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| 長良橋〜泉町〜小熊町〜加納新町〜茶所〜笠松湊〜一宮黒田町〜酒見神社〜真清田神社〜 牛野通〜多加木町(楽だの湯) |
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| 更に上竹屋根 米屋町と続いて 仏具など店も並ぶ中のんびりウォークです | |
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| ↑↓日本最古の鋳物メーカー「鍋屋」岡本邸のつり鐘前にて |
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まだこの辺りでは信号待ちが結構あるので列が細長くなっているだけで、行方不明は出ていない。この辺りからは真直ぐの一本道ではなく、右に左に斜めに進んでいく。JR東海道線の高架をくぐり、名鉄名古屋本線の踏切を渡ると、以前に見たことがあるような場所に出た。そうです中山道なのです。
薬局の前に、「左京都道、右谷汲道」の石で刻まれた道標がある。ここから茶所までは、中山道と重なっているのでした。下水の蓋には「中山道と鮎鮨街道」の二つの名前が書かれており、これは大変貴重な物だった。この先には中山道の標識があちこちにあり、茶所の追分団子屋が愉しみだ。この「だんごや」は今も地元の方には人気が有り、1人で20本〜30本を纏めて買って行くので、なかなか大勢で来ると食べられないが、今日は在庫があるのかどうか?何とか30本位はありそうなので、1人一本づつ頂戴する…左・写真。 |
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| ↑↓現在の白木 常盤 小熊町辺り 上の名板が珍品・記帳に等しい | |
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| 中山道と御鮨街道が暫く平行している ぶたれ坊の顕彰碑も(加納八幡町)この近くにある |
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| 銘菓茶所の「だんごや」さん前でほおばります |
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天候は快晴で少し気温が高いが結構風が心地よく、真夏とは打って変って楽である。境川を渡った処で左折し細い道に入ると、その先からは「笠松町」である。この先も結構古い街並みが続き、県道を走るのとは大変な違いの環境である。 笠松町は、鮎鮨を運ぶ一行が岐阜を出てからは初めての「取次所」であったとのこと。この笠松町には「高嶋家」と「杉山家」という旧家が見られる。高嶋家は琵琶湖の北西にある「高嶋の郷」で、れっきとした近江商人。百貨店の「高嶋屋」と同郷であり、笠松に移り住んで有力な庄屋となった。今以って味噌、醤油業を営み、量り売りするお店です。残念ながら公開していないので建物内部は見られなく本日は定休日でした。
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| 名鉄本線沿い人家と零細企業の街筋が続く | |
その横には立派な「鮎鮨街道の碑」が設置されていた。もう一軒の「杉山家」は、ここも味噌、醤油業を営んでいたが、もう一軒の川本家と3軒が交代で、鮎鮨の取次ぎをしたとする古文書が発見されて判明されたものです。杉山家の今の住人は、岐阜新聞・岐阜放送会長の杉山幹夫氏ですが、その祖父である杉山家十五代目の杉山銓二郎氏は、笠松町の初代商工会議所代表を務め、隣に「十六銀行笠松支店」を誘致したという名士でした。杉山家は、地元の有志がボランティアで維持管理をしており、毎週金土日は建物内部を一般公開してあり、丁度本日は公開日でありゆっくりと建屋の中を見学させていただいた。 その先は、木曽川に突き当たり「笠松湊」に出る。江戸時代は愛知県川に通じる「渡し船」が通ってあった処であり穀物問屋、船大工、旅籠、陶器や塩、練炭屋、倉庫等々が立ち並んだ賑わいのある湊だったとのこと。今は、リバ−サイドパ−クと言う芝生広場に整備姿を変えて、気持ちの良い公園になっている。 |
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| 元は近江商人あいにく高嶋家休日でした | 鮎酢の墓標など碑一式 |
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| ↑↓杉山邸にてポーズ この日公開日で内部を見せてもらった そのいちぶ 釜戸 井戸と手動くみ上げポンプ |
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| 笠松町 旧人家 川灯台と笠松湊渡舟跡地を整備して リバーサイドパーク 芝生広場に 午前11時15分 |
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この先は、木曽川を渡り愛知県一宮市北方町に入る。ここから先は「岐阜街道」と呼ばれる「岐阜〜名古屋」間を繋ぐ道路(県道190号線)沿いに進むが、ここからも間道に入り込む。名鉄黒田駅北の踏切を渡った辺りにコンビニがあるので、少し時間が早いが昼食休憩とした。恒例のコンビニ駐車場での光景だ。 30分ほどゆっくり休んで出発。JR東海道線の木曽川駅付近の踏切を渡り、その先で細い生活道路に入るため右折する。この先は車のすれ違いが難しい位の道幅であり、何度もクラクションを鳴らされる。東海北陸自動車道の高架下をくぐり、暫くすると県道に合流した。ここから車が多い県道を走り、酒見神社に着く。前回は素通りしたので今回は皆でお参りをする。この少し先では又も左手の細い一方通行路に入る。この先に尾張二ノ宮の「真澄田神社」があり、トイレ・給水休憩と全員で完走祈願の参拝をする。 |
![]() ニチニチソウ |
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| ↑↓木曽川を渡り(当時の宝江渡し)一宮市岐阜街道の狭くクネくね生活道路を休憩とりながら南下です | |
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| ↑↓大照皇と酒造の神さま酒見神社経由尾張唯一鎮守さま「真澄田神社」で全員完走祈願の参拝 午後1時半 | |
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この先は、一宮駅前のア−ケ−ド商店街を少し走り、本町通りを経て豊島図書館前を通り右に左に折れて又県道に出た。県道を10分程走り牛野通りから又右斜めに旧道へ入り「多加木北交差点」に出ると、ゴ−ルの「楽だの湯」に到着。予定時刻ピッタリの午後2時であった。 8人程はそのまま名鉄電車の駅に向ったが、残りは「楽だの湯」で汗を流し、たっぷりと冷えた生ビ−ルで完走を祝い懇親を深めた。懇親会は延々と2時間半にも及んだ。 |
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| 最後の追い込み一宮アーケード街から県道経由多加木北交差点へ向う |
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| 「楽だの湯」で延々2時間半ものご機嫌!愉しい懇親が続きました | |
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