富士山 須山口 登山道の歴史   資料作成責任者 愛峰山の会会長

インデックス

西暦

年号

解説

参考文献
神代の時代 190年頃 弥生時代 最古の東海道と言われる十里木街道を日本武尊が通る。  

富士登山の始まり

700年代

奈良時代

役 小角(エンノ オズヌ)という行者に
よって始められる。
(修行を積み、さとりを開く為の登山)

 

須山口登山道の始まり

808年

大同3年

平安時代

僧 空海(弘法大師)が光明寺開創須山登山道沿いに諸寺を開創平安時代には須山口登山道が有ったと思われる。

裾野市史

富士山が噴火している
時代

781年
802年
808年
834年
864年
999年
1032年

天応元年
延暦21年
平安時代

この時代富士山頂はたびたび噴火を繰り返していた。

裾野市史

富士山の噴火が休んで
いる時代の登山道

1083年

永保3年から西暦1511年(永正8年)の間、信仰の
山としてますます多くの人が登るようになり、
須山登山道は脚光を浴びた。

永保3年  

史実が記録に残され始
める時代

1193年 建久4年

源頼朝が富士山麓で牧狩りをする。
弁当場(須山口の馬返し)で米をとぐ。

 
1200年 正冶2年

大宮浅間神社の古文書に珠山口(須山口)の記録がある。

 
噴火

1252年

1266年

鎌倉時代    

須山口の登り口(須山
浅間神社)に記録が残る

1486年

文明18年
室町時代

京都聖護院道興法准后親王来麓。
須山口幕岩に於いて歌を残している。
(よそに見し不二の志ら雪けふ分けぬ
心の道を神にまかせて)

須山浅間神社

噴火再び

1511年

永正8年

再び噴火が始まり、かく登山口に浅間神社を
祭った。

 
1604年

慶長9年
江戸時代

徳川家康は現在ある富士宮浅間神社を造営寄進。

富士宮浅間
神社

須山口廃道の時代

1707年

宝永4年
(五代将軍綱吉の時代)

須山口五合目が大噴火、須山口は分断され、道筋に第一火口、第二火口、第三火口が出現。この噴火を最後に現在まで噴火は収まっている。

 
1733年 享保17年

須山口の廃道の時代は、これまで修験者の登山が
主で有ったが富士講が盛んになる。

 
1742年 寛保2年 幕府は富士講の活動を禁止。  

1775年

安永4年

須走口と大宮口(現富士宮口)が頂上の
権利争いをする。

 
1779年 安永8年

江戸幕府は争いを鎮めるため、富士山周辺の村の代表を集めて「八合目以上は浅間神社の物」と採決を言い渡す。その時、須山の代表は「須山口は今有るか」と問われる。須山の代表は「無い」と
答えた。事の次第を地元に帰って報告すると須山
の人達は「それでは永久に無くなってしまう」と
考え、失言を取り消し復興に着手。

 

須山口が栄えた
時代。

1780年

安永9年

勝田惣次郎とその息子、勝田茂衛門(御師名:
渡辺隼人)によって復興。
浅間神社 → 十文字辻 →幕岩 → 銀明水

禄行三志
研究家
岡田博氏
による。

1788年  

渡辺半蔵は「渡辺隼人」の御師株を復興に尽力した勝田惣次郎に譲り渡す。

1795年 寛政7年

画家 小泉 斐が須山口一合目を登った時その様子を絵に書いている。

1800年

寛政12年

須山口登山史上最も賑わった。
年間5389人と記録が有る。

1832年 天保3年

富士講の大行者禄行三志によって女性たつ(辰)に男装をさせ富士山頂に立たせる。(吉田口)

1860年 万延元年

英国公使 オールコックによって外国人の初登頂成る。(村山口)

1868年 明治元年 明治政府は神仏分離令を発令
1871年 明治4年 明治政府は御師制度を廃止。
1872年 明治5年 明治政府は女性の登山を許す。

須山口の衰退の
始まり。

1883年

明治16年

御殿場口登山道が開設され須山口二合八勺に連結。

 

1885年

明治18年

陸軍参謀本部の地図に初めて冨士山(点の無い)の名前が載る。

 

1889年

明治22年

東海道線開通、御殿場駅、佐野駅
(今の裾野駅)が開設。

 
1903年 明治36年

中央線開通。さらに大月上吉田間に
馬車鉄道開通。そのため御殿場口、
須走口の登山客が奪われる。

 
1906年 明治39年

身延線大宮駅開設。村山口登山道が
衰退し廃道になる。

 
1908年 明治41年

佐野駅前に「富士山南表須山口」の
大きな看板を立てて誘客を試みたが
登山客は次第に御殿場口に移って行った。

 
須山口の衰退 1909年 明治42年

須山の有志は須山口の復興を願い
日本山岳会の小島烏水に相談するが実現は叶わなかった。

 

1912年

明治45年

須山口登山道の一部が陸軍用地に撤収される

 

須山口再び
廃道の時代

1915年 大正4年 東海道線佐野駅が裾野駅に改名  
1919年 大正8年

須山口一合目(須山お胎内)ではまだ登山客が有り営業していた。

 

1930年

昭和5年

内務省国立公園協会田村博士により、国立公園制定の為の調査が開始される。

 

1933年

昭和8年

丹那トンネル開通を見込み三島新駅から
大きな開発計画が持ち上がる。
渡辺徳逸氏33歳、須山登山道復興を画策する。

 

1934年

昭和9年

東海道丹那トンネル開通によって、国府津、沼津間が御殿場線に成る。
三島より水ヶ塚まで自動車道、第一火口までケーブルカー、第一火口から頂上までエレベーター計画
富士吉田ではモグラ計画(一合目から幅18m、地下40mの地下ケーブルカー)

 

1935年

昭和10年

国際冨士美村計画
エレベーター、モグラ、富士見村の三つの計画を渡辺徳逸氏が反対した為に国立公園に組み入れる計画の須山登山道も廃案になってしまう。

 

1936年

昭和11年

富士箱根国立公園制定。
富士山の五合目以上は開発が禁止される。

 

1964年

昭和39年

東海道新幹線開通。それを恐れた山梨県は
河口湖から吉田口五合目までバス路線を
開通させる。(今のスバルライン)
そのため吉田口の登山道は衰退。
今では河口湖口と言う。
最も賑わう登山道に成る。

 
1970年 昭和45年

三島須山口登山バス路線開通。
富士山スカイラインと富士宮新五合目までの
バス路線が開通。富士宮五合目までの旧道は
廃道

 

1978年

昭和53年

富士山資料館開館

 

須山口復活
の動き

1994年

平成6年

富士山須山口復興の気運が盛り上がり
調査研究を始める。

 
1995年 平成7年

県や国に対して復興の手続きをして
登山道整備に取り掛かる。

 

須山口登山道
の復活
(富士山須山
口登山歩道)
として。

1997年

平成9年6月

 富士山須山口登山歩道完成
(浅間神社より宝永第一火口まで)

 

1999年

平成11年7月

 富士山須山口下山歩道完成。
御殿場口新五合五勺(須山口二合八勺)
より水ケ塚まで。

 

2000年

平成12年

国土地理院「印野」の地図に須山口登山歩道と下山歩道の名前が明記される、
名実共に完全復活となる。

 
2002年 平成14年10月

 須山浅間神社に京都聖護院道興法准后親王が幕岩で詠まれた歌碑が須山口登山歩道保存会の手により建立。

 
須山口登山歩道の現在 2008年 平成20年

須山口が復活して12年目全国に少しずつ認知度を深めている。
0メートルからチャレンジする人が年間数組あるので、登山道の道標整備は欠かせない。
木製の道標から随時ブロンズ色のアルミ製に立て替えている。

キャンプ場報
須山口保存会から

平成20年11月24日 富士山資料館会館30周年記念イベント「富士山登山道サミット」が開催される 裾野市生涯学習センターにて  
2009年

平成21年2月

9月

富士山を世界遺産にしようとの動きから、まず登山歩道を日本の文化財に指定しようと国と県が活動を始めた。
現在浅間神社と登山道をまず日本の文化財と認め、いずれ世界遺産に格上げできればと静岡県が測量を始めた。





世界遺産の動き始まる 2010年
2011年 富士山世界遺産の構成資産として須山浅間神社と旧須山口登山道(現須山口登山歩道)の一部が認められる
2012年

8月
12月

イコモスの調査官が現地入りをして構成資産の調査が終了した
須山浅間神社拝殿の修復が完了




世界遺産
登録決定

2013年

平成25年4月30日
6月22日

イコモスが富士山世界文化遺産へ登録勧告
富士山が世界文化遺産として条件付きながら 登録決定
裾野市の構成資産は須山浅間神社と須山口登山歩道の一部と現在の御殿場口登山道の新五合五勺から銀名水まで)






登山歩道とは・・・

 現在夏の富士登山道として、登山客の多いい順に記すと、河口湖口登山道、富士宮口登山道、須走口登山道、御殿場口登山道の四つの口は皆様周知の通りです。廃道になっている登山道は、村山口や精進湖口や吉田口は、よほどのマニヤでなければ登らない。
 しかし須山口は、四季を通じて登山が楽しめる事が最大の魅力です。登山バスを当てにしないで、須山浅間神社から、富士山資料館から、水が塚からと、途中からでも自由にコースを組み立てられる、歩道感覚の登山道です。したがって、須山口登山歩道は、他の登山口とお客の奪い合いを避ける意味て登山歩道としました。
 第一火口の入り口までを須山口登山歩道として、それより上部は、お中道と富士宮口を利用し頂上へ。
 下山道は頂上から御殿場口を利用し新五合五勺(須山口二合八勺)から旧須山口登山道を復元し水が塚に戻るコースを下山歩道と命名しました。




戻る