HOME > SPECIAL
ボタンの歴史3 大乱闘3Dスティック編
※かなり長いです。


 1994年は、家庭用ゲーム機が2Dから3Dへとすすむ転機となった年でした。
 3DO・セガサターン・プレイステーション。これらの3Dブームを背景に、任天堂は他機種より2年ほど遅れて「ニンテンドウ64」を発売しますが、そこでひとつの「新しいインターフェイス」を導入します。

   

 それが「3Dスティック」です。

 ゲームの歴史においては「スティック」の存在はまったく新しくありません。「ボタンの歴史1」でも述べましたが、そもそもスティックのほうが十字ボタンより歴史が古いのです。元来、十字ボタンはスティックの生まれ変わりのようなものでした。

 それでもニンテンドウ64の「3Dスティック」は、家庭用ゲーム機にとって画期的なインターフェイスだったといえます。
 なぜなら、「3Dスティック」はアナログ入力を標準で取り入れて、初めて普及させたからです。


 これより前のスティックは、傾ける=ON、傾けない=OFFという、あくまでも1か0の入力しかできないのがほとんどでした。しかし、3Dスティックは、ゆっくり傾けるとゆっくり動き、すばやく傾けるとすばやく動く、といった直観的な入力を可能にしました。360度回転できること以上に、スティックの角度や量で、微妙な操作をゲームに反映できるようにしたことが大きかったのです。

 
「遊びでもっとも求められていたコントローラがないのか」っていう知的物見高さから、3Dスティックを載せたんですね。それから、もっとおもしろいっていう、奇をてらうっていう意味では、フライングマウス系のコントローラとかも試作品であったんですよ。だけど、そういう色物でいくんじゃなくて、実際ゲームをプレイするうえでいちばん多角的に使えるものでやりました。
 宮本茂氏のコメント。(「任天堂の法則」より)

 アナログ入力は、この「3Dスティック」の前にも後にも、様々な形で登場していますが、普及しなかったケースのほうが断然多いです。「3Dスティック」は導入する形やタイミングがなにより優れていたといえるでしょう。

 ところで、ここで3Dスティックがたっている位置に注目してください。
 次世代ゲームをアピールするかのように、コントローラーの「真ん中」に堂々と置かれているのがわかります。

  
 じつは、3Dスティックはこのポジションに立っていることには、けっこう衝撃的な理由があります。



 

 その話を進めるために、必要不可欠なのが「バーチャルボーイ」です。


 「バーチャルボーイ」は、1995年7月21日、ニンテンドウ64の一年前に発売されました。
 任天堂ハードの中では「失敗」のイメージが強いこのマシン、据え置きにも携帯にも属していないこともあって、そのコントローラーが語られる機会はほとんどありません。

 ところが、コントローラーに関しては、バーチャルボーイはニンテンドウ64を先駆けている存在なのです。




 理由の1つ目は「グリップ」。任天堂ハードのなかでもっとも早くコントローラーにグリップを使ったのが、バーチャルボーイです。

 もともとグリップ状のコントローラを標準として取り入れたのは、1994年のプレイステーションが最初。これより前のコントローラは平面であることが常識で、事実、同時期に出た「3DO」や「セガサターン」は平面状のパッドを採用していました。



 プレイステーションの開発段階では、立体的なコントローラーは内部で強く反対されたことがわかっています。デザインをてがけた後藤禎祐氏は、当時の反応をこう語っています。

 「グリップ型のデザインでは絶対にダメだ。ユーザーに受け入れてもらえない」と言われました。事業部側にそう言われてしまったら……従来型の平面的なデザインに変更しました。
(「証言。『革命』はこうして始まった」より)

 しかし、大賀典雄社長(当時)は、立体のコントローラーを強く気に入ったことから、事業部が推していた従来型のコントローラーの提案を逆に退けてしまいます。ここで流れが大きく変わることになります。

 
事業部は大賀さんに、再度従来型のコントローラーの模型をお見せして、「事業部としてはやはり従来型でいきたい」と訴えたのですが、その模型を放り投げられまして。
(「証言。『革命』はこうして始まった」より)

 混乱する事業部も最終的には受け入れて、プレイステーションのコントローラは現在知られているような形として世にでます。
 結果、立体的なコントローラーはスタンダードのひとつとして広まることになりました。

 バーチャルボーイが登場したのは、1995年の中期。SCEはゲーム業界に初参入したばかりで、まだプレイステーションよりセガサターンのほうが売れていた時期でもあります。バーチャルボーイがプレイステーションをどのくらい意識していたかは不明ですが、とりあえずコントローラーとしては当時の最先端をいっていたことは間違いないでしょう。

 
余談:サターンとの対決もあってあまり語られませんが、プレイステーションが本体価格を1万円下げたのは、バーチャルボーイ発売当日(95年7月21日)のことでした。




 続いて2つ目が「背面ボタン」。バーチャルボーイは、コントローラーの後ろにボタンが配置されています。これも64に先駆けて搭載された要素のひとつです。

 この「背面ボタン」、じつは先にあげたグリップと深い関係にあります。なぜかというとグリップを握ると自然に指がボタンに触れるようになっているから

 その後も「背面ボタン」は任天堂コントローラーで何度か登場しますが、どれもグリップとセットになっています。表から見えない「背面ボタン」は、グリップがあるからこそ、気がつく設計になっているわけですね。(厳密にいうと、wiiリモコンは本体そのもので「握る」形ですが)




 話の核となる3つ目が「左右にある十字ボタン」です。

 これはバーチャルボーイの大きな特徴ですが、ニンテンドウ64との関連性については、すぐにはピンとこないのが普通でしょう。しかし、次に並べた2つの記事を見比べてください。


■1.横井軍平氏が十字ボタンについて語る記事/「横井軍平のゲーム館」より抜粋

 十字方向に動かすジョイスティックとボタン一つというのは、「(スペース)インベーダー」がもとでしょうね。ただ、ジョイスティックが左にあるというのも変な話で、今のゲームはジョイスティックが全部左でしょう。ジョイスティックっていうのは、右手で使うのが本当じゃないかと思うんだけど。

 ファミコンの十字キーだって、最初から右にあったら、ゲームの上達は速いはずですよ。今のゲームは操作の方が重要ですからね。まあ、いまさらクラッチとブレーキを入れ替えろというのも大変な話ですからねえ。


■2.宮本茂氏が64のスティックについて語る記事/「任天堂の法則」より抜粋

 
そこで、迷ったのは左側に付けるか、右側に付けるか。もっとコンパクトにして、素直に右側につけるっていうのがいちばん素直な話でねえ。ホントはね、そうしたほうが良かったかもわからないですね。

 左手でものをうごかすっていうように、僕らが教育してきたみたいなもんで、お客さんはそうなったけど、本来は右手ですよね。マウスは右手で握るわけですし、細かい作業のいるスティックを左側につけるっていうのは設計ミスかもしれない。


 おどろくほど同じことを言っているのがわかるでしょうか。

 念のため説明しておきますが、横井軍平氏はバーチャルボーイをてがけた人物であると同時に、「十字ボタンの生みの親」です。そして、宮本茂氏は「マリオの生みの親」であるとともに、デザイナーとしてコントローラーの設計にも関わっている。どちらも、ファミコン以降のコントローラーの運命を決定づけた人物といっても過言ではありません。

 そんな二人がそろって「十字ボタン(スティック)って右にあるのが正解では?」と考えていたわけです。

 横井軍平氏は
「おそらく、インベーダーというのは左右しか動かす必要がなかったから左でじゅうぶん、むしろボタンを押すタイミングが重要だからということがあったんじゃないでしょうか」と見解を述べたうえで、ドンキーコングを含めたその後のゲームはそれに乗っかったのだと説明。しかし、今のゲームは操作のほうが重要なので、右にあるほうが本当じゃないかという見方をしています。同時に、そのまま左右を入れ替えるのでは、ユーザーも混乱するだろうと予想しています。

 宮本茂氏も同じような考えから、3Dスティックを右に置くことを検討。しかし、ニンテンドウ64の場合は「3Dスティック」を初めて導入する段階ですし、さらにバランスの問題がありました。結局、スティックはコントローラーの真ん中に置かれることになります。続きの記事に、その経緯が述べられています。

 ま、そういうところで、ほっけの太鼓というか(笑)、太鼓型に握って使うコントローラを描いたわけなんですよ。ところが安定感が悪いんで、それで真ん中に付ければ「こっちもいける」ってやったんですけども

(「任天堂の法則」より)

 

 64のコントローラーは、持ち方によって3種類のポジションがとれるという特徴がありました。そのなかでもっとも使われなかったのは「レフトポジション」で間違いありません。使えるボタンが少ないこともあって、対応ソフトはごく一部でした。

 しかし、実は64のコントローラーはレフトポジションの発想ありきで作られていたというわけです。そして、これはバーチャルボーイが64に先駆けていた配置でもあるのです。



 この「左右両方にある十字ボタン(スティック)」は、昔よりも操作が重要になっているゲームへの対応、そして今までのユーザーにも考慮した形だったといえるでしょう。

(ちなみに横井軍平氏が後にてがける「ワンダースワン」も、縦持ちでは同じような配置がみられます)


 さて、話はまだ終わりません。先ほどにも紹介したプレイステーションの登場です。

 1997年の1月には「ファイナルファンタジー7」を発売、さらに「ドラゴンクエスト」の最新作も発表されて、いっそう勢いをつけたプレイステーションは、同年4月になって新しいコントローラーを発売します。

 

 それが上のコントローラー「SCPH-1150」。デュアルショックとして知られる「SCPH-7000」(同年11月発売)の前身といえるコントローラーです。

 このコントローラー、「3Dスティック」と同じようなアナログスティックをつけたことに加え、64の初期に発表されていた「振動パック」と同じ機能を内臓していました。そのため、当時から「64の真似」といわれることもありましたが……。



 もしかすると世間で思われている以上に、64コントローラーの思惑を実現したような形だったのかもしれません。


 最後に。ここまで、十字ボタンとスティックをほぼ同等のものと扱ってきましたが、「いや、そもそも十字ボタンとスティックは別物じゃないの?」という疑問もあるのではないでしょうか。同じものなら両方つける意味はないので、もっともな意見といえます。

 しかし、最初の方で述べましたが、もともと十字ボタンはスティックの生まれ変わりです。歴史からみても本来は同じものなのです。家庭用ゲーム機では「十字ボタン」の登場により「スティック」はその姿を消しました。ところが、3D時代になると「アナログ入力」のおかげもあってスティックがまた復活します。

 このとき、十字ボタンは消えてもおかしくありませんでした。


 実際、宮本茂氏は64のコントローラーについて
「さりげなく残されている十字キーは、過去のユーザーを捨てきれない任天堂の“いさぎわるさ”の証」(DIEC2005第2部の講演より)と述べており、この時点で十字ボタンを消える可能性があったことを示唆しています。ついでにいうと、ニンテンドーDSでタッチパネルがついたときも、十字ボタンについて「開発中に外そうかと何度も悩みました」(ファミ通より)と述懐しています。できるだけボタンを増やしたくないことによる葛藤がみられます。

 それでも十字ボタンが消えずに残っている理由は、上で述べられているように、過去のユーザーのためでしょう。ファミコンをはじめ、多くのゲーム機で使われてきたという歴史は無視できません。また、やはり2Dのインターフェイスとしては優れているからということもありそうです。時代をさかのぼれば、そもそも利便性が高いことから、十字ボタンはスティックに取って代わったわけですから。

 まとめると、コントローラーというステージにおいて、十字ボタンは一度スティックを場外までふっとばしました。しかし、スティックはパワーアップしてステージに復帰。今度は十字ボタンが落とされかけます。かろうじてフェードアウトは逃れますが、今はなんとかしがみついている状態。他のボタンにしても、増えたり消えたり、さらに位置を変えることも珍しくありません。

 

 任天堂コントローラーでは、ボタンの大乱闘が常に行われている。そんなお話でした。


 
BACK