18.草津宿  (現在の滋賀県草津市)


中山道69次草津宿の浮世絵  (『木曾海道六拾九次之内 草津』より)

この日はJR草津駅から歩き出します。駅前には近年になって設置されたと思われる道標があります。

駅前の道標

草津宿はアーケード商店街となっています。ちょうど駅前という立地条件の良さもあってか、現在でも繁華街となっているようです。 知らない人が見たら、とてもここが昔宿場町だったとは思えないような変貌ぶりです。

アーケードを抜ける途中、左手にある覚善寺前に道標があります(右下の写真)。 「右 東海道」「左 中仙道」と刻まれています。 これは明治時代に作られた中山道と東海道の追分にあたります。江戸時代の追分は、この先にある天井川の草津川を超えた場所にあったのですが、 明治になって天井川にトンネルが掘られたことで、追分の位置が移動して、覚善寺前に道標が作られたそうです。 やはり本来の天井川を超えたところの追分の方が人気があるのか、この明治時代の追分はガイドブックを見ても取り扱いが小さいみたいです。

アーケードを抜ける  覚善寺前道標

アーケード商店街を抜けたらトンネルをくぐります。トンネルの中には街道に関するイラストが幾つか描かれています。

トンネル  トンネル内の絵

このトンネルの上には実はかつて川が流れていました。住宅街より高い位置を流れている、いわゆる「天井川」になります。

草津川

トンネルを抜けると、丁字路になり、右側から来る道と合流します。 左下の写真は追分を京都方面から見た構図で、左が中山道、右が東海道になります。 この右側から来る道は東海道になり、この場所でついに中山道と東海道が合流することになります。
追分に立つ常夜灯付道標には、「右 東海道いせみち」「左 中仙道美のじ」と刻まれています。 正確には中山道とは日本橋を出発してからここ草津追分までの街道になるので、ここ草津追分から京都までは道筋は東海道となります。

東海道中山道追分  追分道標

草津宿本陣は現存する貴重な施設であり、国指定史跡となっています(左下の写真)。また、脇本陣跡はおみやげ屋さんになっていました(右下の写真)。

草津宿本陣  草津宿脇本陣跡

近くには「草津宿街道交流館」があり、昔の旅籠の様子や、旅人に出されていた食事が展示してあり、往時を偲ぶことが出来ます。

交流館  交流館

立木神社の中には、草津追分にあった道標が保存されています。 現在の草津追分に設置されている常夜灯型道標の前身にあたり、設置年は1680年ということで、滋賀県下最古の道標になります。
「みぎハたうかいとういせミち」「ひだりは中せんたうをた加みち」と刻まれています。 何だか漢字、カタカナ、平仮名の使い分けが良く分かりません。

立木神社内の道標

昔の人は守山宿〜京都までを1日で歩いたそうですが、いざ歩いてみると、アップダウンのある道が続き、実際以上に非常に距離があるように感じられます。 途中には旅人の休憩所となる立場跡がありましたが、現在では休憩する場所はありません。かなり体に応える区間です。

中山道の風景  立場跡

フラフラになりながら歩き続けます。
一里山一里塚跡を過ぎると、大津宿がようやく射程距離に入ったような気がしてきます。

一里山一里塚跡

アップダウンの続く道もこれが最後の下り坂。眼下には大津市街地がぼんやりと見えてきます。

遠くに大津市街地

東海道を歩く人のシンボルの一つとも言っていいタヌキの巨大置物。ここの交差点を左折すると、琵琶湖がもうすぐ見えてくるはずだ。

狸の置物

瀬田の唐橋が見えてきました。 琵琶湖から流れ出す唯一の川である瀬田川(下流に行くと名前が宇治川→淀川となる)に架かる橋で、古代から交通の要所とされてきました。 そのため、壬申の乱、源平合戦など多くの戦いの場ともなりました。

瀬田の唐橋  唐橋案内板

草津宿を出てから長い道のりを歩いてきてかなり体も疲労困憊していたので、瀬田の唐橋の袂で持参した昼食を食べながら一休み。 さあ、大津宿まではもうすぐだ。

瀬田の唐橋の碑


(参考)東海道歩き旅草津宿編


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