17.守山宿  (現在の滋賀県守山市)


中山道69次守山宿の浮世絵  (『木曾海道六拾九次之内 守山』より)

日野川を渡ると、長い長い緩やかな下り坂を下ります。

中山道の風景

鏡集落へとやってきます。ここは宿中山道の前身である東山道の宿場町があったところです。江戸時代には間の宿として利用されました。
源義経が若かりし頃、奥州藤原氏を頼って平泉に向かう途中、ここ鏡宿に立ち寄り、元服をしたとされています。 宿内には「源義経義宿泊の館跡」「義経元服の池」などの記念碑が立っています。
この近くには平家最後の大将・平宗盛が義経によって処刑され葬られている「平家終焉の地」もあります。
ここ鏡宿は、若き日の義経が大きな夢を抱いて奥州に向う際に立ち寄った場所でもあり、 また兄・頼朝に疎外されて絶望の中で京都に戻る際に立ち寄った場所でもあるわけです。

東山道鏡宿  源義経記念碑

中山道は野洲市へと進んでいきます。東海道新幹線の線路が右手に見えてきます。

新幹線の線路

野洲市の都心部に近づいてくると、大部分は近代化された街になってしまうのですが、それでも街道沿いには蔵や茅葺き屋根など古い建物をいくつか見ることができます。

蔵  茅葺き屋根

新幹線の高架をくぐります。

新幹線の高架を潜る

野洲には古墳が沢山あり、また多数の銅鐸が野洲で出土しているそうです。野洲駅前には銅鐸のオブジェが置かれています。
中山道は用水路に沿って進んでいきます。

銅鐸  中山道の風景

しばらく歩くと、Y字路に差し掛かり、右手後方から来る道と合流します。
ここは朝鮮人街道との合流地点です。鳥居本で中山道と分岐した朝鮮人街道は、彦根−安土−近江八幡を経て野洲で中山道に再合流します。 この追分にあった道標は近くの蓮照寺に移設されて保存されています。 道標には「左 八まんみち」「右 中山道」と刻まれています。

朝鮮人街道  朝鮮人街道道標

野洲川橋を渡ると、ようやく守山宿です。

野洲川橋

守山宿を歩いていると、早速道標を発見。「すぐいしべ・高野郷新善光寺道」と刻まれています。 この道標にしたがって進むと、新善光寺を経て東海道石部宿に至ります。

守山宿の看板  石部宿への道標

現在の守山宿では古い建物を見かけることはあまりありません。 数少ない古い建物の一つが造り酒屋の宇野本家(右下の写真)。実は、この店は宇野宗佑元首相の実家でもあるそうです。

守山宿の町並み  宇野元首相の実家

しばらく歩くと、中山道は宿場内で直角に左折します。
建物の影になって、ついつい見落とそうですが、この地点にも道標があります。 「右 中山道美濃路、左 錦織寺このはまみち」と刻まれています。 「このはまみち」とは琵琶湖の木浜港へ続く道であることを示しています。なお、昔はここに高札も設置されていました。

中山道は左折  道標

東門院は江戸時代に朝鮮通信使が宿泊所として使った由緒あるお寺です。

東門院

かつては土で作られていた土橋を渡り、守山宿の加宿である今宿へと進みます。

土橋

今宿では街道情緒のある古い建物をあちこちに見かけることが出来ます。
また、今宿一里塚は江戸時代から残る貴重な一里塚です。
一里塚の下にはベンチが置いてあります。昔の旅人は一里塚の木陰で旅の疲れを癒したというので、僕もベンチに腰掛けてしばらく休憩させていただきました。

中山道の町並み  今宿一里塚

守山宿を離れて、草津宿を目指して歩きます。
途中には、「焔魔堂(えんまどう)」「綣(へそ)」のような変わった地名を見かけることが出来ます。

焔魔堂  綣

この日はJR草津駅まで歩いて旅は終了。
次回は、ついに東海道との合流地点である草津宿になります。


back home go