15.愛知川宿  (現在の滋賀県愛知郡愛荘町愛知川)


中山道69次愛知川宿の浮世絵  (『木曾海道六拾九次之内 恵智川』より)

高宮宿を離れると街道脇は徐々にのどかな風景へと変わっていきます。

中山道の風景

古い建物を所々で見かけることが出来、かつてここが中山道であったことを感じさせてくれます。

中山道の風景  中山道の風景

また、松並木の名残も見かけることが出来ます。昔は中山道の至る所にあった松並木なのですが、 現在ではほとんど見ることができなくなり、貴重な存在となっています。

中山道松並木

民家の数が増えてきたら、間の宿・石畑です。

石畑間宿の町並み

とても大きくて立派な建物が見えてきます。この建物は豊郷小学校なのですが、外観からは、とても小学校の建物とは思えません。 丸紅の専務の寄贈で建てられたそうです。 石畑間宿は伊藤忠、丸紅の創始者・伊藤忠兵衛、丸紅の初代社長・伊藤長兵衛の屋敷が残っており、伊藤忠・丸紅に所縁の土地となります。

豊郷小学校

石畑間宿を歩いていると、所々で中山道に関する記念碑を見かけます。

中山道の碑  中山道の碑

石畑間宿を抜けると宇曽川にかかる歌詰橋を渡ります。この橋には以下のような平将門に関する伝説が残っています。


歌詰橋
天慶3年(940)平将門は、藤原秀郷によって東国で殺され首級をあげられた。 秀郷が京に上るために、中山道のこの橋まで来たとき、目を開いた将門の首が追いかけてきたため、 将門の首に対して歌を一首といい、いわれた将門の首はその歌に詰まり、橋上に落ちた。そこがこの土橋であったとの伝説がある。 以来、村人はこの橋を歌詰橋と呼ぶようになったのである。


歌詰橋  愛知川宿の看板

歌詰橋を渡り、Y字路を右へ進むと愛知川宿になります。

中山道はY字路を右へ

愛知川宿の入口には「中山道 愛知川宿」と書かれた門が設置されています。どうやら現在の愛知川宿は商店街となっているようです。

愛知川宿入口  愛知川宿の町並み

宿場内にはポケットパークが設置されています。ここでしばらく休んで、足の疲れを癒します。

愛知川宿ポケットパーク

愛知川宿本陣跡には江戸時代とは打って変わって西洋風の建物が建っています(左下の写真)。 立派な門構えの料理旅館竹平楼は明治天皇も利用されたようで、明治天皇御聖蹟の碑が設置されています(右下の写真)。

西洋風の建物  料理旅館竹平楼

川幅の狭い不飲川を渡ります。 平将門の首をこの川の上流、野間津池で洗ったため、池の水は血で濁り、不飲川と呼ぶようになったとの伝説があります。 江戸時代には水路として利用されていたようですが、この辺りを歩いていると平将門の伝説を所々で見かけます。

不飲川

愛知川に架かる御幸橋を渡ると愛知川宿は終わりです。 ちなみに『木曾街道六拾九次之内 恵智川』はこの場所から見た風景を描いた物なのですが、現在でも浮世絵と同じように、橋の向こう側に小高い山が見えます。
この日は近江鉄道五箇荘駅まで歩いて帰宅しました。

御幸橋


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