09.今須宿  (現在の岐阜県関ヶ原町)


中山道69次今須宿の浮世絵  (『木曾海道六拾九次之内 今須』より)

不破の関を過ぎてからは、街道沿いの民家は少なくなり、山々に囲まれた国道21号を歩き続けます。 しばらくして突然視界が開けると、眼下に町が見えてきます。この町が美濃国最西端の宿場町である今須宿です。 どうやら、遠くに見える山の向こう側が滋賀県のようです。ようやくここまで来たか、という満足した気持ちが湧いてきます。

宿場町の入口では、復元された今須一里塚が出迎えてくれます。

今須宿  今須一里塚 

国道21号に別れを告げて、中山道は左の細い道へと入っていきます。 今須宿の街並みはとても静かで落ち着いていて、通一本離れただけの国道を多数のトラックが行き交っているとは思えないくらいです。

中山道はY字路を左へ  今須宿の町並み

今須宿の本陣・脇本陣跡は、現在では今須小・中学校となっており、学校の敷地内には記念碑が建てられています。小学生が書いたと思われる案内板で、心が和みます。

今須宿本陣跡  本陣跡案内板

宿場内には問屋場や常夜灯などが残されています。この問屋場は美濃路十六宿の中で唯一現存する建物だそうです。

問屋場跡  常夜灯

今須宿を離れて少し歩くと急な上り坂になります。 車返しの坂と呼ばれる坂です。 立て札の説明書きによると、車返しの坂と呼ばれる由来は以下のようです。

車返しの坂
南北朝時代に荒れ果てた不破の関舎が趣があると京都の貴族の間で話題になり、
その風景を和歌に詠もうと京都からわざわざ牛車に乗ってやってきたが、
不破の関舎の人々は京都から来る貴族を歓迎しようと
不破の関舎を改修してしまった。
荒れ果てた風景を見たかった貴族は、改修したことを知ると
趣のないところにわざわざ行っても仕方がないと言うことで
この坂で牛舎を引き返して京都に帰ってしまった。

・・・なんだか、のどかで、昔っぽい逸話だな。

車返しの坂

今須宿を出たら、JR東海道本線の線路を越えます。
ここを過ぎたら、目指す岐阜滋賀県境はもうすぐ。

JRの線路を渡る

松尾芭蕉「野ざらし紀行」の碑が立っています。「年暮れぬ 笠着て草鞋 はきながら」と刻まれています。

「野ざらし紀行」の碑

句碑から少し歩くと、「近江美濃両国境寝物語」と書かれた柱が立っています。 どうやら、ようやく美濃国(岐阜県)と近江国(滋賀県)の県境に到着したようです。やった〜
当初は近所の宿場町まで散歩に行こうかと気軽に始めた旅ですが、県境まで歩くという大きな大きな目標をここに達成しました。

岐阜県滋賀県の県境

ところで、今須宿周辺には駅はなく、家に帰るにはもう少し歩かなくてはいけません。
ということで、仕方なくそのまま最寄りのJR柏原駅まで歩いて行くことにしました。 柏原駅があるのは旧中山道柏原宿。 岐阜市が県境まで歩いたし、今回の旅でこの歩き旅を終える予定だったのですが、図らずも、これが京都を目指す歩き旅の始まりとなったのです。


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