中山道の旅を岐阜市まで延伸
前回の中山道の旅から約1ヶ月。 足の裏の水膨れが治ってきたとき、ふと、せっかく鵜沼まで歩いたことだし、岐阜県人としては県庁所在地の岐阜市までは歩いておこうかと、何となく思うようになりました。 喉元過ぎれば熱さを忘れるというのか何というのか。ともかく、またもやろくに計画も立てずに中山道の旅に戻ることに。


歩き出してしばらく立つと、「岐阜 10km」の標識を発見。10kmか、案外近いな、と軽く考えて歩を進めます。 大通りを歩いた後、5又交差点で一番交通量の少ない斜め右前の細い道に入っていきます。

岐阜まで10km  右斜め前方へ進む

旧中山道に入ると、さっきまでの交通量が嘘のようなくらい静かな通りになります。しばらく歩くと新加納新立場の標識を発見。
『鵜沼宿と加納宿の間は四里十町(約17km)と距離が長いため立場(たてば)[建場茶屋]と呼ばれる小休所がここ新加納に設けられました。(案内板より抜粋)』
案内板には昔の地図が載せられていますが、現在でも同じようにクランク構造の道となっています。

新加納立場  説明板

東海北陸自動車道をくぐると、くねくね曲がった道になります。あとで気がついたのですが、このような曲がりくねった道は旧中山道でよく見かける道のようです。
ふと右前方を見れば、金華山の上にそびえる岐阜城が見えてきます。岐阜城が見えてくると、岐阜市まで来たな〜という気になります。

曲がりくねった道  山頂に岐阜城

細畑一里塚です。一里塚とは旧街道に距離の目安となるように一里(約4km)毎に設置された物で、小高く盛られた土の上に木が植えられました。 明治時代以降、多くの一里塚は壊されてしまいましたが、この細畑一里塚は、現在でも残っている貴重な物です。

細畑一里塚

中山道と伊勢神宮参拝道との分岐点です。お社の前に道標の石柱が立っており、「西京道加納宿」「伊勢名古屋ちかみち」などと刻まれています。 この道標を過ぎると加納宿はもうすぐです。

伊勢道追分   追分道標

03.加納宿  (現在の岐阜県岐阜市)


中山道69次加納宿の浮世絵  (『木曾海道六拾九次之内 加納』より)

加納宿を刻まれた石柱を発見。ようやく加納宿に到着です。

加納宿表示

加納宿は中山道と東海道へ至る脇街道の分岐点ともなっていました。「江戸木曽路」と刻まれているのが中山道のことです。

東海道方面への追分

『木曾海道六拾九次之内 加納』には加納城の前を進む大名行列が描かれています。
加納宿は宿場町であるとともに加納城の城下町でもあったためか、あちこちで道が折れ曲がった城下町特有の道筋になっています。 地図があっても分かりにくい道なのですが、旧中山道を旅する人のため、あちこちの曲がり角に案内板が建てられているおかげで、迷わず歩くことが出来ます。

中山道道筋の案内板

旧中山道を歩いていると加納城大手門跡に辿り着きます。加納城自体は旧中山道から結構離れた場所にあるのですが、せっかくなので立ち寄ってみることにしました。 現在では、加納城は石垣を残すのみで、敷地内は公園として開放されています。ちょうどお昼時になったので、加納城跡で持参したおにぎりを食べました。

加納城大手門跡  加納城石垣

現在の加納宿の様子です。JR岐阜駅前に位置しているのですが、古い建物がいくつか残っていました。

加納宿町並み

この日も足の裏には水膨れが出来、足の筋は痛み、しんどい旅だったのですが、とりあえず当初の目標だった岐阜市まで歩けて満足しました。
これでひとまず中山道徒歩の旅は終了、と思っていたのですが・・・(つづく)


back home go