1990年ころに「職場新聞」にかいたものです。

 「私は阿蘇一の宮町に住んでいます。阿蘇には自然のみならず、いろんな素晴らしいものがたくさんあります。私はその一つ、阿蘇の古代の歴史を自分なりの視点で考えてみようと密かに調査を重ねています。今回、手始めに私なりの考えをここにヒレキしたいと思います。なにからも影響受けず、自分なりの視点と価値観で阿蘇の古代を見てみたらどんな世界を創出できるか、と日頃考えています。シリーズで述べたいと思います。一つはアカデミズムへの対抗であり、一つは自分の想像力への挑戦です。ご批判、ご指導をいただければ幸いです」
 ということから気軽に書き始めたもので、一種のアソビです。が、この一部は、2001年10月に出版された『一の宮町史・自然と生き物の賛歌』の「淡水魚」の項を書くにあたり採用しました。


        なまず・阿蘇の謎

第@回 なまず・阿蘇の謎

                            
はじめに
 阿蘇は世界最大の二重式火山で有名だ。
 昔、阿蘇谷の湖には大鯰がいた。健磐龍命は開田のため外輪山の今の立野あたりを蹴破り湖の水を外に出した。その時湖の主の大鯰が引っ掛かり水がスムーズに流れ出なかった。命が訳言って頼まれると、鯰はおもむろに流れていった。その跡が今の黒川、白川であり、流れ着いたところが、上益城郡嘉島町の「鯰」である。

  
   挿し絵は「阿蘇の昔むかし』(高橋佳也・著、1999年・建設省立野ダム工事事務所発行)から

 阿蘇一の宮町手野の国造神社に「鯰社」がある。県下には二十以上の鯰に関する神話や伝説がある。「乙姫様と鯰」(旭志村姫井の乙姫神社)や、「白鯰」(西原村お池さん)、「白旗の大鯰」(甲佐町)、「赤飯と鯰」(御船町)、「御坊山と鯰」(熊本市)等がその例である。また、県下には阿蘇神社系の神社が約四六0社あるが、その中に「ナマズ神社」と呼ばれるものが幾つもある。国造神社を筆頭に、遥拝神社や日奈久阿蘇神社、鯰三神社、大池神社(菊池郡西合志町)などがその例だ。そのいくつかは、今では皮膚病「なまずはげ」の神サマになっているが、発祥はすべて阿蘇と考えてよい。また、鯰の石像や絵馬が奉ってある神社も多い。ではなぜ、阿蘇と鯰はそんなにも因縁が深いのか。これから筆者の推理が始まる。


    
  官幣大社・阿蘇神社、我われ阿蘇人にとって誇りである。(筆者撮影)

     
 国造神社(筆者撮影)         国造神社境内の一角にある「鯰社」(筆者撮影)


阿蘇家の人々のトーテム・鯰
 鯰をトーテムとする例を筆者は他に知らない。なぜ阿蘇神社は古代から鯰にこだわってきたか。
 阿蘇は火山地だ。ならば、火山性の地震は当然多かった。昔は活動ももっと盛んだったろう。「地下に棲む大鯰が暴れるときに地震が起こる」と昔言っていたことを読者はご記憶だろう。また昔から、地震の前に鯰が異様な動きをしたという記録も日本各地に多い。現在、これを「地震予知」に利用できないかと、日本でも研究されているが、中国では以前から鯰も地震予知に利用していると聞く。どちみちこの様に、地震と鯰の関係は昔からよく言われてきたことだ。阿蘇山は火を吐く「神の山」であった。神の山が地震を起こしてきた。阿蘇で、鯰がトーテムとされた気持ちはわかる。

「阿蘇」の語源
 「アソ」の語源を探ろう。「地名語源辞典」によると、アソという語は火山や温泉に関係した語で、特に「煙、湯気」を意味する南洋方面の aso、asapなどという語と関係があるようだ。また、アイヌ語 asoy-ye(穴を作っている溶岩)の略がアソとなったともいう。アイヌ語ではまた a-so(もえる・岩、熔・岩、噴火口)だともいう。ラテン語で「焼く、あぶる」ことを asso 、「火山灰」のことを英語で ash、ドイツ語で ascheといい、これらの語はアソとにた点がある、というのだ。書店で「ポルトガル語辞典」を立ち読みしていたら、「assado 焼いた、あぶった。assadura 焼くこと」とあった。多くの言語が共通の根を持つことがわかるが、「as」の語幹を持つ言葉が火山や火に関して共通していることはおもしろい。
 確かに、全国の火山や温泉地を調べてみると as の語幹を持つ地名が多いことはすぐにわかる。この点に注目して九州以外の地名をざっと探ってみよう。

 鳥取県の浅津温泉(あそづおんせん)。静岡県の朝日岳(あさひだけ。すぐ南に寸又(すまた)峡温泉がある)。愛知県東加茂郡の旭町(あさひちょう。矢作川の上流にあり、矢作渓谷は温泉郷)。富山県の朝日町(あさひまち。町を流れる小川の上流に湯量豊富な小川温泉元湯がある)、阿曾原(あそはら。黒部渓谷下ノ廊下の下流部左岸の狭い段丘面の地名。阿曾原温泉)。長野県の朝日村(あさひむら。松本盆地の南西端。盆地を北東へ流れる鎖川(さがわ)の隆起扇状地の上に火山灰土壌が堆積した乏水性台地が多い)、浅間温泉(あさまおんせん。長野県の代表的な温泉)、東村(あずまむら。上信越火山郡の四阿山(あずまやさん)から流出する米子川と鮎川の渓谷に沿う集落)。静岡県の愛鷹山(あしたかやま。富山県東南東の洪積世の複合火山)。三重県の阿曾(あそ。度会(わたらい)郡大宮町。阿曾温泉がある)。長野・群馬の県境にそびえ立つ浅間山(コニーデ型の活火山)、四阿山(あずまやさん。コニーデ型の火山で吾妻山(あがつまやま)ともいう。北東に白根山、南東に浅間山がみえて三火山が**立している)。神奈川・静岡県境の足柄峠(あしがらとうげ。箱根火山の外輪山の一部をなす金時山の北、いわゆる足柄山の山中にある峠)。神奈川県の足柄平野(あしがらへいや。西縁には箱根火山の外輪山がその裾野を延ばしている)、芦ノ湖(あしのこ。箱根火山の火口原湖)。群馬県の東村(あずまむら。吾妻(あがつま)郡の東南端。その一部は**名火山の山麓面にかかる。群馬県には佐波(さわ)郡に同じく東村が、また茨城県にも東村(関東ローム層)がある)青森県の浅虫(あさむし。東北でも有数の温泉町)。福島・新潟県境の浅草岳(あさくさだけ。火山で、浅草山ともいう)。福島県…………、(紙面の都合であとの何行かを削除する)
 以上、『日本地名大事典(朝倉書店)』による。

阿蘇の先住民
 古代、大噴火以前の阿蘇山は八千〜一万bの高山だったといわれる。縄文時代に活躍していた約四0の活火山の中でも、阿蘇山はすばぬけて大規模な火山で、富士山などその比ではなかったに違いない。それは九州のまん中にあり神山として海外にまで知られていただろう。
 古代には富士山を阿祖山と呼んだ時期もあるようだが、これは「阿蘇」の名を拝借したものではなかったか。阿蘇は古代において、日本国のはじまり(祖)であったかも知れないのだ。
 何千年以上も昔から、阿蘇には「縄文人」と呼ばれるアイヌ系の人々が住んでいたのではないか。そこに、数千年前に、神武天皇系をはじめとするいろんな人々があちこちから入ってきたのでは。当然そこにはイザコザが起こるだろう。それらの幾らかは紀記等からもうかがえる。阿蘇神社の一宮、二宮は、健磐龍命と阿蘇都媛である。地元では、龍命は「阿蘇都彦命」と同一人物だとされる。が、本当にそうだったろうか。阿蘇都彦は先住民ではなかったのか。そして、大和から派遣された龍命に圧制され、トーテムとしての「鯰」と共に「阿蘇都彦」の名も龍命に継承したのでは。マス・メディアの無い昔、権力者の「顔」を知る者は少なかったろう。阿蘇においては、「鯰」と「阿蘇都彦の名前」が重要だったのだ。
 『後漢書倭伝』の中に、「会稽の海外に東A人あり。分かれて二十余国となる」の一節がある。この「A」は鯰を意味するそうだ。この「東A人」は阿蘇の古代人を指したのではないか。泗水町の三万田遺跡からは、鯰の土偶らしきものまで発見されているのだ。
 その昔、阿蘇神社は、阿蘇山が爆発する度に昇格し、大正三年には官幣大社となった。天正年間、矢部の「浜の館」(阿蘇家の本拠地)が陥落するまでは阿蘇氏は大変な栄華をきわめたのだ。鯰の伝説や鯰の神社を広めながら、当時の阿蘇神社に至ったに違いない。「鯰」は、阿蘇氏にとって権威であり、その定着や保証の小道具であり、また勢力拡大の手段、いわゆるトーテムであったのだろう。

鯰の学名
 長年、筆者は県下の淡水魚を調査研究してきた。ある時なんと、ナマズの学名が Silurus asotus であることに気付き、ビックリ仰天した。種名が「アソツス」となっているのだ。命名者は、この二名法という学名の分類大系を作り出したリンネ(一七七八年没)である。

   
    ナマズ Silurus asotus   (筆者撮影)

鯰は阿蘇の特産魚ではない。なのになぜ「アソツス」なのか。ラテン語で asotusは「美食家」や「道楽者」の意味を持ってはいるが、不思議な巡り合わせである。語源を考えるとき、感覚というものの根源は共通していることを思わせる。
 これら阿蘇氏の人々のトーテムとしての鯰、地震と鯰、鯰の神社、伝説、学名、「アソ」の語源、と見てくるとそれが円を描いてうまく閉じてしまう。なんと面白いではないか。
 数年前、熊本県でも線刻文字が刻まれた石が発見され話題になった。一つは阿蘇郡南小国町の「押戸の石」、他の一つはやはり阿蘇郡の西原村である。その後、県下数十カ所から線刻文字が発見されている。阿蘇は多くの神秘や謎を秘めている。古代人にとっても魅力ある所だったろう。

おわりに
 『私は卑弥呼の霊に導かれて邪馬台国を見た』を著した熊本出身の田村倫子氏は、「卑弥呼の鏡」を霊視し、スケッチした。なんとそれには、鯰が描かれているのだ。