気まぐれレポート2

黒尊森林軌道跡を行く




黒尊森林軌道について

名称について
黒尊森林軌道の名称は、正式なものかどうかは解りませんが、仮称として使います。
関係者の方々にお聞きした所、首をかしげる状態で、また、当時の状況からして、軌道で事足りていたので、わざわざ黒尊森林軌道と言う必要性もなかったと思われる。


歴史
軌道の整備は、1922(大正11)年ころから始まり、1924(大正13)年ころから、馬車等からトロッコに輸送手段が代わり、昭和に入って機関車が導入された。この頃の機関車は、ガソリン機関車であったようだが、戦中か戦後あたりに物資不足の影響を受け木炭ガス車に変わったようです。
戦後、林業をめぐる変化により、1950(昭和25)年から1952(昭和27)年にかけて軌道が廃止されて、トラック輸送に代わった。
1968(昭和43)年から1975(昭和50)年にかけて口屋内〜宇和島線が整備された。口屋内〜大駄場までは、ほぼ軌道跡を利用したために、緩やかな勾配が続いています。


軌道跡を行く

全体図
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下流部から見て行きます。
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スタートは、四万十川沿いに在る集落口屋内(くちやない)から。

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黒尊方面から運ばれた材木は、ここ口屋内に集められ、川に流して河口の方へ。
上の図の左側は、初期のもので、右は戦後のものです。
四万十川の所の貯木場は、現在は親水公園に。
また、黒尊川の所の貯木場は田んぼになっています。
20120705002.JPG親水公園

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向こうから来たレールは、右の黒い車の辺りから左に折れて、田んぼの高さまで下り、そのまま黒尊川を渡るように。
戦後は、左奥に見られる橋の所にもレールが敷かれました。

黒尊川沿いに上がって行きます。
上にも書いたように、軌道跡を利用したので、道路は勾配が緩く、自転車でも楽に上がれる道になっています。

しばらく行くと、トンネルがあります。
その手前には、左に入る道が。
道路は、少し勾配がきつい感じになっていますが、本来は、左に入る道に軌道があり、道路整備の時に嵩上げされて、少し違っています。

20120705011.JPG少し見にくいですが、真直ぐが初期の軌道跡の道路になります。右に曲がって行くとトンネルに。
20120705012.JPGトンネル側から見た所。

トンネルを抜けた所で、道が合流しています。回り込んできた道とトンネルの先の道の高さは、あまり変わりがありませんが、トンネルの出口は低くなっていて、軌道が敷かれていた時には、トンネル内から嵩上げして調整していたと言う事です。

この先は、道路に沿って緩い勾配で上がって行きます。

玖木地区
玖木地区に入ると、2本の橋でショートカットされた所が。
本来は、右に入る道が軌道跡で、川に沿って回り込んで、橋の袂に出てくるように走っていました。
途中の山が1992年に山腹崩壊をおこし、全面通行止めに。
その結果、橋を2本繋いで現在の道路に。

20120705015.JPG右に折れた方が本来の軌道跡

20120705017.JPG正面が山腹崩壊を起こした山

奥屋内地区
ここは、本村地区と、鍛冶屋地区があります。
本村地区には、支線が。
鍛冶屋地区には、事業所があり、入れ違いように複線に。

20120705018.JPGここは、鍛冶屋地区の複線になっていたあたり。
この先でも、道路の拡幅により軌道跡は、右に回り込んだ形に。