
今年3月上旬、突然中国からの国際電話がかかり、しどろもどろながらも
旧満州である黒龍江省の鶏西市へ行くことになる。あまり知られた都市では
ないが、石炭が豊富に取れる事と、中国でも有数の日本語学校を有する。
北朝鮮の真北に位置しロシアとも目と鼻の先である。前々から行きたいと思
っていたので友達が実家に帰るのは絶好のチャンスだった。急いで準備し3
0日には成田出発。北京で合流し大きな電車で30時間も揺られながら行く
。席は普通のボックス席で寝るのも大変だが寒くて死にそうだった。ろくに
食事もできず、ようやく朝、車内販売の弁当を買う。料理の入った器ごと運
び、その場で発砲スチロールの容器によそう。どの料理をよそうにも同じお
玉でやり回すので、お陰で私の弁当は肉料理の有り様。さらに運んでいる器
には蓋がないので車内は肉の匂いで充満し味わえる気分にはなれず半分も残
してしまった。
体が衰弱しきった状態でやっと到着。友達も私同様疲れていたのだが、一年
ぶりの家族との対面で疲れもふっとぶぐらいの抱擁。よく中国では家族の絆
が強いと言われる、そんな一瞬を垣間見せてくれた。(北京へ戻る時はもっ
と凄かったのだが・・・。)
実家は昔の長屋みたいで8畳ぐらいが一部屋、2畳が一部屋、4畳の台所
のみで、トイレ・風呂はない。この環境で、両親・子ども3人で暮らしてい
た。台所は非常に興味があった。燃料は石炭で賄い、ガス台を2回りほど大
きくしたぐらいで、下に石炭が燃せるようになっている。さらにこの熱がと
なりの2畳の部屋の、石でできたベッドの下を通るようになっていて、冬は
暖かく夏は涼しいといった具合に工夫されている。実はこのベッドで私は毎
日寝ていたのだが、ある晩、火を消すタイミングを間違え暑くて眠れず汗を
びっしょりかき風邪をひいてしまい、これが長引いてしまう。
また、灰が飛び散ったり煙などで空気が汚れ気持ち悪くなる。特にご飯時な
どは、そこら中で一斉に燃やし始めるので外にいると最悪の状態である。
洗濯物は黒く点々とつく。「昔は日本もそうだったのよ。」と言ってくれた
あばさん(日本人)を思い出す。
翌日、恒例の手作り餃子となるのだが、昨晩、友達に「あなたの為に豚肉
が用意してあり、野菜餃子を作ると捨ててしまうことになるのでは」と脅さ
れていたので気が気でなかった。
気付いた時には皮作りに入っていた。さすがに速い。一枚伸すのに10ー1
5秒程度、皮は厚め。変に腕に自信があり、つい「私もできますが」と言い
やるはめになる。すごい緊張したが、手は覚えているもので一枚15秒強は
かかったが、うまく伸せた。皆は驚きの表情を隠せない。日本人の若い男性
が出来るのが最大の要因だ。未だに日本では、妻が三つ指を立てて家事を一
切やらされる亭主関白の世界と思っているのだから。
不安だった具だが、肉あり・なしの2種類があって安心した。皮包みも手伝
う。ひだをつけたりはせずに、ほとんど2つ折りで左右からぐっと押し付け
る。水餃子だから、これでいいのだろう。
「いただきまあす」と私一人だけが言い、食べ始める。おいしい!と2つ目
も勢いよく放り込むと、何か変な感触。なんと肉入りだ。冷や汗がどっと出
てくる。隠そうと思ったのだが、バレテしまい一座しいーんとなる。
困ったが、友達が「私が確認したのを食べて」と言ってくれなんとかなった
。普通、中国では白酒と言う体にとても悪いお酒で祝うのだが、これが日本
人にとっては、とても飲めたものではない。以前も飲まされ一晩うなされた
経験もあり覚悟していたが、幸いお父さんが、昔この酒を呑み過ぎ胃を壊し
て今は飲めないのでビールで乾杯となった。
白酒は主に「こうりゃん」で出来ており、少し小麦が使われているものも
ある。非常に度数が高く一般的には56度のものが飲まれている。これを呑
みながら、たばこを吸っていたところ体内のアルコールに引火して焼死して
しまうという事件が聞かれるくらいだ。ちなみにストレートで飲むものだ。
ほとんどの料理は中華鍋一つで済む。使った後は、お湯と竹製のブラシで
洗う。しかし洗うと言っても湯水のように使うことはない。と言うかできな
い。非常に合理的な洗いかたをしていて、洋服で例をあげれば、きれいな服
や白い服から洗い最後までその水を使い回す。ゆすぎも同様の手順。小さな
洗面器やたらいで手や洗濯板を使い洗う。当たり前と言えばそうだが、実際
に今これが出来る若者は日本に何人いるだろうか?
ちなみに、この地方では洗濯は若い男性の仕事で一人前にできないと嫁のも
らいてもないそうである。なぜか私もテストされる。普段から手洗いは慣れ
ていたせいか合格したようだ。ただ、大きいものを洗う時や、絞りかたなど
にコツがあって、まだ私にはうまくできず、力任せになる。絞った所が腕に
絡みつきながら上にあがっていかせるのがコツなのだが、下にいってしまい
いつのまにか、地面に着いていたりする。
水は水道水だが、塩素の匂いは感じず、その土地独特の匂いがする。高さ8
0cm程のかめに水を溜め、ひしゃくですくって使う。このかめに炭を入れた
くなった。よく外国では生水は危険だと言われるが、今回どうしても生水が
飲みたくなり飲んでしまった。前述で述べたように体調がなかなか回復しな
かった時のことだ。ちょうど5歳の子どもが生水を飲んでいるところを見て
ふと、飲んだら治るのではと閃き西式のように飲んだら治ってしまった。自
分でも驚いたが、回復後飲まなかったのは言うまでもない。
さて、こちらの家族にお世話になったのは計10日間だが、外出らしいも
のは2回しかしていない。北京と違い治安が非常に悪い事と、見る場所もそ
うないからと言っていた。特に男性は喧嘩っ早く北京の人達も怖がっていた
。確かにそう言われてみれば、うなづける部分も多々感じた。
結局、ほぼ軟禁状態に等しかった訳です。あまりに体がうずくので、ちょ
っと散歩に出ようとすると、それも止められる。ちょっと目を盗んで散歩に
出て戻ってみたら、お父さんは私を探しに出たまま、友達は「どこに行って
いたんだ?」など質問攻め。以後一人での散歩は完全停止となった。
食から話がそれたが、実際食にあまり目がむかなかったので、あまり覚え
ていない。近くの市場に行ったが、アメ横を大きくして、ちょっと汚くした
感じ。特に目についたのは、鯉がいきたまま売られているのと、豆腐や肉が
外で板切れの上に置くだけで売られている事かな。
野菜は日本にあるのと、そんなに変わらない。もちろん農薬など使った現代
農業物である。青いなすがあったので食べてみた。まあまあ?
今回一番印象に残ったのは蒸気機関車。線路の上を何度も歩き、時には雪
も降りなんとロマンチックなこと。ボーッと汽笛が響いた時、子どもの頃に
読んだ「はいからさんが通る」を思い出した。大正の頃、戦地(満州)に赴
く男とそれを見届ける女の恋を描いた漫画。あの頃戦地に行くしかなかった
人達のことを思うと胸が熱くなった。
最後に帰る時も、雪が降り、汽笛が響き、家族の別れの泣き声を聞きながら
皆で線路を歩いていた。今でも鮮明と覚えている。とても言葉で語ることは
できない。ただ、感無量である。汽車の中で手を振る私たち。ホームで手を
振る家族。どんな小説もこの現実にはかなわないなあと、後で追憶してしま
った。