宿 願 の 北 条 新 村        

             A山記

<4峰全景>

 

うっしゃー! ガバだー!

オンサイトトライの醍醐味はオブザベーションどおりに身体が動き、オブザベーションどおりにホールドを見つけることかもしれない。

3000mの高みでそれが実践できた。

 

奥又白の岩場群。

クラシック中のクラシック。

アルパインクライマーを標榜するのなら避けては通れないルートたち。

ここにたどり着くまで30年近く経ってしまった。

 

最初に来ようとしたのは大学2回生の9月、2回目は3回生のとき。

いずれも雨が降りしきる徳沢で終わり。そのころは徳沢園の固定電話で天気予報を確認していた頃だった。

 

3回目は仙台に転勤してから。7月海の日を利用して、涸沢から取り付くつもりで、夜通し車を走らせた。結果は涸沢でずっと沈殿。滝谷もどこもいけなかった。

ただ飲み続けるのみ。

 

4回目。大阪から。10月。徳沢を出るときから雲行きが怪しく、急坂の途中で雨になる。

急坂を登りつめて、宝の木近くになり、最後の坂を登り切ると、そこに奥又白の池があった。感動した。天国に思えた。

雨の中テントにもぐりこみ、明日は晴れるだろうと眠りに着く。

夜半、それまでテントを叩いていた雨の音が消える。

心の中で「よし!」と叫ぶ。

朝、わくわくしながらテントから外を覗く。

「・・・・・」。絶句。雪だ。

昨日の雨が雪になった。テントを叩く音が無くなるはずだ。既に5cmは積もっている。速攻下山判断。岩壁は冬壁になっていた。

 

そして今回。

上高地に着く時には空はどんより。

バスターミナルで学生のH山君と出会う。2回生だ。自分が初めて奥又を目指した歳だ。年月を感じる。

 

いつものとおりバカ話をしながら徳沢を目指す。

そこには大阪ぽっぽ会のK田さんが待っている。

中央高速渋滞のお陰で30分遅れ。

再会を喜び合い、これからの登攀に胸が躍る。

しかし、それを打ち消すかのように雨が降ってきた。

雨具を着けて出発しようとしたとき東京ぶなの会のN島さんとT城さんに出会う。彼らは滝谷、奥又のクラシックを総なめするつもりだ。

お互いの安全を誓いつつ、雨の道を急ぐ。パノラマ新道の分岐では雨は相当激しくなっていた。

「今回もだめか。」いやな思いが頭をよぎる。

急坂を登りきると奥又白の池が待ってくれていた。

 

朝、3:30に目覚めて外を見ると全くのガス。

がっかりしながら朝食を摂る。

その後待機。

明るくなってきた。観察すると稜線付近は晴れていることがガスを通して確認できる。即出発。

 

奥又尾根を登る。どんどん晴れてくる、どんどん壁が近くなってくる。

時々立ち止まって天気の良さを感謝しつつ、壁を凝視する。

取り付きまでのルートは? どこがハイマツテラス?

遭難碑らしきものから一段あがってところに右に降りる踏み跡発見。少々用を足し、トラバースを開始。

これが結構悪い。久々に体験するガレ場である。それも上級クラスだ。

H山君が心配。あまりこういうところは慣れていない。

各人がバラバラと落石をしながら雪渓に至る。

 

雪渓も難物だ。

今回軽量化のためにアイゼンは持ってきていない。スニーカーでキックステップしながらのトラバース。バイルはあるものの安定しない。

H山君を見守る。ここで滑ったら、下まで一直線である。

 

なんとか取り付きに到着。

C沢のチョックストーンまで行こうかと考えたが、雪渓の登りがこれ以上続くと危険と判断。右方のルンゼから取りつく。

ルンゼ1ピッチ目は9mm一本で登り、K田さんはロープマンで登ってもらった。その間に1パーティー男女ペアに抜かれる。

 

2ピッチ登るとお花畑の緩傾斜である。

もう1ピッチでT1に着く。

先行パーティーを見ると甲南バンドすぐ左横のルンゼから取り付いている。彼らは松高のはずなんだが。。どう見ても北条新村である。

休憩ののち、30年来の宿題であるルートに取り付いた。

 

1ピッチ、2ピッチ。V。

問題なし。K田さんいわく「ほしいところにホールドがある。」

本当は3ピッチで行くところを2ピッチで行ったため、ロープが一杯一杯になる。着いた所がハイマツテラス。

先行パーティーがなにやら苦労をしている。

ハングを抜けるのに荷揚げをしている。

全員テラスに到着し、休憩。先行パーティーが落ち着くのを見ていた。

その間オブザベーションする。

 

3ピッチ目。Y。

核心部である。

 

いろいろな思いが頭をめぐる。いままでの4回のこと。

そして山岳部同期が2回生のときにここをトライしたとき、アブミをかけていたハーケンが抜け、足を複雑骨折。

それきり彼は山を辞めた。私より岩登りがよっぽど上手い奴だった。

 

そして古くは昭和33年。私が産まれる前年にここで墜死したOBがいる。その人のレリーフは今でも新村橋の近くにある。

この山行でもH山君と挨拶をしてきた。

それほど思いいれのあるルートだ。なんとしてでもフリーで行きたかった。だからアブミはテントに置いてきた。

 

「お願いします。」

登り始める。すると先行パーティーの一人が懸垂をしてくる。

「?」どうやら、ハングの乗り越しのときにスリングを数本落としたらしい。ユマールするというので、少々待つ。

 

再度登りはじめる。

1、2番目のハングは5.9くらいか。そこを終えると最後のハングである。その下にテラスがある。先行パーティーのロープが核心にかかって垂れ下がっているので、またもや待機である。

 

集中力には良くないが、オブザベーションには適当である。

じっくり観察する。手はガバがありそうだが、足がない。

ガバからガバに移って、パワーで乗り越すパターンのようだ。

途中で力尽きると頼りないピンが耐えられるのか不安がぬぐえない。

 

意を決して登り始める。 

やはり足が乏しい。ガバをひきつけて、次のガバを取る動きを3ムーブ。実際にはそれがガバなのかどうかわからないが、いくしかない。

雪彦の骨折事故の一因はフリーの練習を追い込まないまま、アルパインのフリーにつっこんだことと考えたからこのところ意識してフリーをやってきた。その自信が後押ししているんだ。。。。と思うしかない。

最後のガバ。クリップ。そして上のバンドに立ち上がった。

息があがっていた。

 

先行パーティの女性から「すごい」と声をかけられたが、息が切れてロクに返事ができなかったことをおぼえている。

体感で5.10a〜bはあった。

<うっしゃー>

 

4ピッチ目 Wプラス。

トラバースピッチ。

ナメテいた。意外とやばい。

核心部は越えたと言う安心感から、次のピッチを甘く見ていた。

できるだけ簡単なところ簡単なところと選んでいくが遂に行き詰った。

クライミングダウンするしかない。

2mクライミングダウンして、ハーケン数本の頼りないビレイ点で。

後続が心配だ。リードはクライミングダウンできるが、彼らは危険だ。ビレイしながら作戦を練る。

H山君は最後のヌンチャクでテンションダウンした。でもK田さんは無理だ。いったん自分が上がって、上からビレイするしかない。

そもそもこのバンドに3人は立てない。

 

5ピッチ目 V。

K田さんに待ってもらって上に抜ける。

するとボルト3本横一列連打のテラスに出た。

安堵する。

K田さんを半マストのテンションでダウンし、H山君を迎え入れる。

「やっと、両足で立てるところに着いた。」

彼の率直な感想が漏れる。

続いてK田さんとも再会。テンションダウンしてもロープが伸びて恐かったので、スリングを一本寄附してきたそうだ。

 

6ピッチ目。V。

快適。緩傾斜帯について、靴を履き替える。

 

その後直上、横トラバースを繰り返し、北尾根縦走路に出る。

奥穂、北穂、涸沢が見渡せ爽快である。

なにやら涸沢からは若い女性の笑い声も聞こえた(気がした)。

 

4峰のくだりで懸垂5mの後はひたすら池を目指す。 

あいも変わらずガレ場が悪い。

途中蝸牛山岳会のザックが落ちているのを見た。後で聞くと5月の遭難のものらしい。

 

そして池着。身の回りのものはテント前に投げ捨てて、水場に冷やしてあるビールに直行。お互いの検討を祝しながら、一気に空けた。

 

最後になりましたが、K田さんいつものとおりありがとうございました。

H山君。いままでの経験の中でも最高に辛い部類に入るかもしれません。

でも今の気持ちを忘れないで中国留学に向かってください。

2人へ、次回はアイゼン持ってDフェース行きましょうね。

(アイゼン要らないと断言したA山より。)

 

<コースタイム>

 8月13日(木)

  上高地(07:00)→徳沢(08:30/09:00)→パノラマ分岐(10:15/10:30

  →奥又白池BC12:50

 8月14日(金)

  BC(05:25)→下部ルンゼ取り付き(07:20/07:30

→T1(09:10/09:40)→北条新村取付・登攀開始(09:50

→ハイマツテラス(11:00)→登攀終了(15:24

→北尾根縦走路(15:50)→XYのコル(16:40)→BC(18:30

 8月15日(土)

  BC(10:00)→小梨平CS(1500