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| 期 日 | 平成14年(2002)9月6日〜9月9日(夫婦で4日間) |
| 宿 泊 | 第1日 那智勝浦 (飛行機、レンタカー) 第2日 同じ (車、観光船、瀞峡和船) 第3日 湯峰温泉 (車、徒歩、バス) 第4日 帰路 (車、飛行機 |
| 主要地 | 第1日 羽田空港 南紀白浜(円月島 千畳敷 三段壁) 串本海中公園 潮岬灯台 大島 橋杭岩 那智勝浦温泉(ホテル浦島) 第2日 熊野古道(大門坂) 青岸渡寺 那智大社 那智の滝 補陀洛山寺 熊野速玉大社 紀の松島[観光船] 太地 那智勝浦温泉(ホテル浦島) 第3日 瀞峡めぐり 本宮大社 熊野古道「中辺路」 湯峰温泉(旅館 よしのや) 第4日 滝尻王子(古道舘) 清姫塚 御坊道成寺 紀三井寺 和歌山城 関西空港 |
| (この紀行文は日本一周記と重複します) http://park23.wakwak.com/~orimasa/ http://outdoor.geocities.jp/n_issyuu2005/np1.htm (掲載写真) |
【 世界遺産 】 《 紀伊山地の霊場と参詣道 》 2004年(平成16年)7月、「世界文化遺産」に登録された・・、 該当する登録基準としてユネスコには次のように記されている。 ユネスコとは国際連合の一専門機関で、国際連合教育科学文化機関(こくさいれんごうきょういくかがくぶんかきかん)正式には、United Nations Educational, Scientific and Cultural Organizationという。頭文字をとってUNESCO、通称ユネスコという・・。 「紀伊山地の霊場と参詣道」については・・、 ★ある期間を通じて、またはある文化圏において、建築、技術、記念碑的芸術、町並み計画、景観デザインの 発展に関し、人類の価値の重要な交流を示すもの(文化遺産登録基準2) ★紀伊山地の神社と寺院は、それらに関連する宗教儀礼とともに、1000年以上にわたる日本の宗教文化の発 展を示すたぐいまれな証拠である(文化遺産登録基準3)。 ★人類の歴史上重要な時代を例証する、ある形式の建造物、建築物群、技術の集積または景観の顕著な例 (文化遺産登録基準4) ★顕著な普遍的な意義を有する出来事、現存する伝統、思想、信仰、または芸術的、文学的作品と、直接にま たは明白に関連するもの(文化遺産登録基準6) これらの抜粋条項に適合するとして、紀伊山地の三つの霊場(熊野三山、吉野・大峯、高野山)とそれらを結ぶ参詣道が推薦、指定された。 長い歴史を誇る社寺と、自然が織りなす文化的景観が文化遺産として登録され、その地域は奈良県、和歌山県、三重県にまたがる29市町村と合わせて、日本最大の文化遺産である。 参詣道として「道」が世界遺産として登録されたのは、スペイン⇔フランスにまたがる巡礼道「サンディアゴ・デ・コンポステラへの道」についで二件目であるという。 明治39年(1905年)に施行された「神社合祀令」(不分明な神社を整理・合併し、合祀するもの。明治政府・政令)によって全国で5万もの神社がつぶされ、熊野でも神社の森が伐採されるという危機に瀕した。この危機に対し、和歌山県出身の博物学者・南方熊楠(みなかたくまぐす)は、「神社をつぶすということは自然と人間社会を破壊するもの」として、日本で初めてエコロジー(生物と生物の関係、生物とそれを取り巻く無機的環境との関係を研究する科学)の考えを提唱して「神社合祀令」に反対、「熊野の森を守れ・・!!」と、立ち上がり、那智の滝の原生林や樹齢500年をこえる熊野古道の杉木立を守った。 南方 熊楠(みなかた くまぐす)は和歌山県出身、明治・大正期の博物学者、民俗学者。動物の特徴と植物の特徴を併せ持つ「粘菌」(下等菌類の一群で、植物分類上の一門)の研究で良く知られている。(後述) 過ぐる2002年9月、我等夫婦は南紀地方を3泊4日の日程で旅行した。 勿論、南紀地方には由緒ある地域が多数在って、これらを参詣、見学、観光するのが目的であった、これらの地域が「世界遺産」に指定される事など露知らず・・。 そして、本年(2005年)、偶々(たまたま)「日本外周一周」の旅に出て、この地方を再確認する機会に恵まれた。 これらと合わせて、当時の二人旅の様子を記したい・・。 【 第1日 南紀白浜(円月島 千畳敷 三段壁) 串本海中公園 潮岬灯台 大島 橋杭岩 那智勝浦温泉(ホテル浦島) 】 《 南紀白浜 》 南紀、熊野方面は以前より希望の地であり、この度、やっと目的が達せられた。 息子に送ってもらいながらも、平日の朝のラッシュ時間帯なので、ハラハラしながら羽田空港に着いたのは離陸15分前であったが、何とか飛び乗ることができて、機中の人となることができた。 天候はマズマズで空の視界もソコソコであり、飛行機では何時もそうであるが、窓際の時は外景色を眺めながらのフライトである・・?。ほぼ定刻に出発したANA機は南紀白浜空港へ定刻に着陸した。 南紀白浜空港は、和歌山県南部の海岸に面した高台にある。 和歌山県の空の玄関口として昭和43年に開港したというが、瀟洒な田舎の空港って感じである。 始めは、和歌山県営南紀白浜空港と開港し、滑走路長は1,200 mでYS-11などのプロペラ機のみの就航であったが、近年、大量輸送のジェット化で滑走路を2,000 mに延長供用開始している。 余談だが、YS-11は日本航空機製造が製造したターボプロップエンジン方式の双発旅客機で、日本が第二次世界大戦後に初めて開発した国産旅客機であり、一般には「ワイエスじゅういち」の愛称で親しまれているが、40年を過ぎた今日、廃機、廃航の検討がされているという・・。、 田舎の空港といっても南紀地方は観光・リゾート資源の宝庫であり、一大観光地である白浜町の中心部に位置していることから、利用者に占める観光客の割合は高い空港であろう・・。 空港ロビーでレンタカーの受付を訪ねると、既に、女性のドライバーが我々を迎えてくれた 。彼女の車で店舗までいって、普通車で4日間で17000円のレンタカーの手続きを終える。 この辺り、すでに白浜の南の入り江に面しているところであり、長閑な風景が眼前に広がる、左手に彼の古賀の井ホテルの勇姿・・?が見えている。 霊泉橋という洒落た名前の橋を渡りながら、いよいよ南紀観光へ出発である。 暫く海岸を走り、南方熊楠記念館や京大白浜水族館のある小さな半島を横断すると、西側の外海海岸にでる。 正面に白浜第1番目のスポット「円月島」が飛び込んできた。南北130m、東西35m、高さ25mの小島で、島の中央に円月形の海蝕洞がぽっかり開いていることから「円月島」と呼ばれている。ほぼ左右対称形で上部に緑の林がコンモリとしている、まるで、眼鏡をかけた睫毛のようで、俗名、めがね島とも言うらしく、島の中央にヒョッコリと穴(孔)が空いていて、それらしく見えなくも無い。 日の沈む夕景の美しさは格別で、夏は6時30分頃、冬は4時30分頃、島の中央穴の付近に太陽がさしかかるという。 すぐ近くに「白良浜」の弓なりの美景な浜が広がる。 南紀白浜町とはこの浜の様子から命名したのであろう、名前が示すとおりの真っ白な砂浜と、青く澄んだ海、その美しさと華やかさは、おもわず沖縄かハワイの南国リゾート地にいるかのような感覚、錯覚させられる。 実際に、ハワイ州ホノルル市のワイキキビーチとは友好姉妹浜『Goodwill Beach City Relationship』提携を結んでいるという。 周辺は「湯崎」といって白浜温泉の中心街として、温泉街、旅館・ホテル、温泉場、露天風呂などが犇めき合っている。 古来、白浜は日本三古泉は白浜・有馬・道後といわれるが、よく間違える日本三名泉は有馬・草津・下呂、これに別府・熱海が混じっていることもよくあるが、まあ、我々にすればドチラデモよろしいことで、名湯古泉にはちがいない・・・。 白浜湯の崎は、「万葉集」等、古書の文献に「牟婁(むろう)の湯」、「武漏の湯」と呼ばれ登場している。 奈良期、有間皇子が斉明天皇と中大兄皇子(のちの天智天皇)に牟婁の湯へ病・療養のための行幸を勧め、その間に謀反を企ての為と冤罪をかけられ、19歳の若さで処刑(658年)されたといわれている。 その発端となったのがこの白浜・湯の崎温泉であり、現在も 湯崎と新湯崎の間のトンネル横の道ばたの海岸に湯がわいていて「崎の湯:日本最古の露天風呂」として知られている。そのすぐ近くに、その名も「牟婁の湯」がある、今から1400年前からここに温泉が湧き、歴史の重大事件の場所ともなっていた。 泉質は、食塩泉・重曹泉など41〜83℃位で、無色・透明。効能は、一般的適応症のほかに、美肌・神経症・不眠症などに○。 「湯崎」の辺りは、硫黄のような臭いがして、いかにも温泉馬らしく独特の風情があって良い。 千葉県の房総最南端の白浜温泉は、この地、南紀白浜の人々が遠洋で住み着き、望郷の地として命名したという。 《 千畳敷・三段壁 》 次に、こちらは白良浜とはうって変わったような、真反対の風景が「千畳敷」である。 その名のとおり広い岩畳を思わせる大岩盤で、瀬戸崎の先端から太平洋に向けて突きだしている。スロープ状になった白く柔らかい岩は地球の古代層の砂岩からなる大岩盤で、打ち寄せる荒波に浸食され壮大な景観を創っているという。 よくよく見ると、千畳敷は砂岩でできているため、容易に削ることができる。硬貨ででも削れるだろう・・、岩肌の面々はどこを見ても落書きだらけで、その内容は珍妙なものも有る。 地元、和歌山の人は、千畳敷をその程度のものとは考えてはいないだろうが・・、天から与えられた自然は、もっと大切にしたいものである・・!!。 岩盤中央に、カメラマン用の専用台であろうか・・?、赤錆びた鉄製の架台が潮風に吹かれて置かれているのが、妙に印象的であった。 我々もここで一枚パチリ・・!。 銀砂の白良浜から、波濤が岩盤を洗う千畳敷、今度は更に極端な断崖絶壁の海岸である。 これから先は紀伊半島の南端の海道を暫く走る。海道といっても紀伊山地が海岸まで迫り出し、決して平坦安楽の道ではないが・・。勿論、太平洋の怒涛が直に押し寄せる地域でもあるが、今日、この陽気ではさすがに、穏やかなようである・・。 《 最南端「串本」 》 すさみの海岸は、変化に富んだ美景が続く。国道42号沿いに「すさみ八景」と言われる穂積島、沖の黒島・陸の黒島といったに二つの黒島を含めた壮大な景観が広がる。 激しい波頭が陸の黒島に当たり、真っ二つに裂けた波が再びぶつかり合う様子が夫婦の波のようだといい、合掌波または夫婦波と呼ばれ、枯木灘を代表する奇観である。 この展望地を「恋人岬」又は夫婦岬といい、なかなか洒落たネーミングである。 われ等夫婦も綾かって記念撮影し、その波の様子も写真に収めることが出来た・・。 間もなく串本海中公園に着いたので立寄って見た。 串本の海を再現した大水槽、水中トンネル式大水槽を見物することができた。 串本の海は、遠くフィリピン沖から来る黒潮の影響を受け、カラフルな魚やサンゴ、エビ、カニなど、熱帯、亜熱帯性の生物を豊富に見ることができる。 海中展望塔は沖合の水深の海底にあって、自然の海の青く澄んだ世界が広がる、サンゴの間を泳ぎ回る熱帯魚が乱舞する様は、まさに青いメルヘンの世界であった。 国道42号線は、陸繋島(りくけいとう)である潮岬の付け根まで接近している、そのまま灯台へ向った。 「串本節」 和歌山民謡 アラヨイショ ヨーイショ ヨイショ ヨイショ ヨイショ と歌われている大島であるが、今は串本と大島に「串本大橋」が架かる。 串本といっても実際は潮岬の東部から架けられているのであるが・・、ループ状と半円形の橋の姿は名所の一つにもなっていて、袂に「四海兄弟」という碑が有り、並んで「串本節」の碑がある。 民謡 串本節に歌われたような巡航船の姿は、今は無くなってしまったようである・・。 戻った国道42沿いに「橋杭岩」という名所が在る。 紀伊南部の第一の清流と言われる古座川の「古座大橋」を渡る。河口海面スレスレで、左は清流の流れ、右は潮岬が望まれ太平洋が無限に広がる。上流部は人家が少ないので、自然が豊富、魚も豊富で川からの恵みは十分に受ける、司馬遼太郎氏がこの川筋の渓谷美が気に入って別荘を購入したと聞いたことがある。 勝浦の港は、狼煙半島(のろしはんとう)が海を囲った入江の中にあり、さらにその入口に中ノ島という島があるために、奥にある港には海からの荒波がまったく来ない。 こうした条件のために、南紀では随一といわれるほどのよい港となっている。 《 ホテル浦島 》 「南紀」を代表する温泉地、南紀勝浦温泉にあるホテルの一つに「ホテル浦島」がある、「ホテル中之島」、「かつうら御苑」等と同様、勝浦温泉地の中の超大型観光ホテルであり、周辺には名所・観光地が多い中、このホテルだけを目的とする観光客も多いのである。それは、ホテル浦島の中で、「六つの温泉を楽しむことができる」という魅力の為でもあり、その中に、同ホテルの目玉である「忘帰洞」(温泉の名前)を目的に・・。 浦島へは、駐車場からバスに乗り、さらに船に乗って向かう。 ホテル浦島の敷地は、勝浦港に張り出した狼煙山半島にあり、陸続きなのに客は船で向かう事になっている。 実際にはトンネルが存在し、業務用及び緊急用という事だが、これもホテルの演出の一つであろうか・・?。 まず、その駐車場の広さに驚く、イベント会場よろしく700台の広で、ホテルより遠くはなれている、送迎はそのためで ある・・。 ホテル浦島は、いくつものプランに分かれる。 部屋ごとのプランは本館、なぎさ館・日昇館、山上館の三つに分かれ、値段は当然段階に分かれる。 われらはツアー客の一員なので、”並”の段階・・・。 先ず、何といっても温泉浴場に向かった、目指すは、「忘帰洞」と「玄武洞」である、この温泉に入らなければ浦島に泊った意味がないといわれる!。 忘帰洞の一文字で、このホテルのイメージを作り上げてると言ってもいいうらいなのである・・。 「忘帰洞」は、まさに名前の通りで、≪忘帰洞の湯に浸かれば家に帰るのを忘れてしまうほどの 名湯≫という意味であり、この名前は、紀州・和歌山藩の徳川頼倫( とくがわ よりみち:15代藩主 ) 公が来遊され「帰るのを忘れるほど」 と賞めて名づけられたものだという。 頼倫公が賞めた理由は湯の良さはもちろん、忘帰洞が天然の巨大な洞窟の中に天然の湯が満たされているということである。 それは熊野灘の荒い風波に侵食されてできたものであり、間口 25m、奥行き50m、高さ15mにも及ぶ。大洞窟の中の湯に浸りながら望む外洋の日の出、足下の磯をかむ荒波など、まさにその名に相応しい美景であり、奇景と言われる由縁である・・。 いよいよ、その玄武洞・忘帰洞に入場である、否、入湯である。物珍しさもてつだって、洞窟温泉へカメラを持ち込んでの入浴客も見える、当然、小生もその一人であるが・・。 海岸沿いの洞窟のため、波が打ち寄せているのだが、その波が岩場にあたり、飛沫(しぶき)があがる様子に驚嘆する。高い波が打ち寄せる度に、「おおおっ」と思わず歓声をあげたくなる迫力だ・・。 絶えず、ザブン、ザブン、ザザザザザブンという音が聞こえてくる。 湯船の外、波打ち際は一段高くなっていて鉄鎖が施してあるのだが、波が荒れてる時などは、其処を乗り越えて飛沫がザーッとかかるときもあるという、この時は、飛沫をモロにかぶりながらの入浴になるという、何とも凄い自然の迫力を感じる事ができる瞬間であろう・・。 もちろん、それ以外の温泉も楽しい。滝見の湯の樽風呂も楽しく、又、狼煙半島の山上館へは長―い、急なエスカレーターでハルバル昇って「狼煙の湯」(のろしのゆ)に辿り着く。 この屋上湯から眺望できる勝浦港も圧巻である。 湯質もなかなかのもので、浦島の温泉に入って、白いものが浮いている−−と言う無かれ、それは、湯の花と呼ばれる温泉の成分で、それが浮いている温泉は上質なのである。 この他にも温泉があって、温泉スタンプ等も置いてあり又明日(連泊)、湯破(とうは)するつもりである。 さて次に食事であるが、所謂“バイキング方式”多種量産セルフサービス方式である。 我々は余り「食」には拘らないほうで、蟹の食い放題だけでも十分であった。 だが、一つだけ残念で、さすがに係員に申し付けたが・・、「土方の飯場じゃあるまいし、赤い丸箸を無造作に束ねて置いてあるのは戴けないネ・・!!」と・・・。 部屋へ戻って、上さんと、今日一日の反省を兼ねた雑談し、ウイスキーを二次会のつもりでチビリチビリ・・、後は近くの浴場に再度入って床に入った・・。 |
| 熊野大社へ (南紀U) |