北海道・道北部旅行 PartW
道北旅行:4(夕張、占冠)
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  【 第六日 】


札幌⇒千歳空港⇒夕張⇒日高⇒占冠⇒富良野(ファーム富田ほか)⇒美瑛⇒旭川⇒層雲峡温泉(泊)   

宿泊地・層雲峡   「朝陽リゾート・ホテル」    01658−5−391



  
《 
夕張 》

  明けて札幌市内より、千歳空港へ向かった。身内の來道を迎えるためであった。
 その後、千歳より高速道東道にて夕張へ。
  夕張市は、かつては石狩炭田の中心都市として栄えたのは、映画「幸せの黄色いハンカチ」でも知られる。夕張メロンの産地としても有名ではあるが。

  2006年、深刻な財政難のあおりを受け、2007年をもって「財政再建団体」に認定された。
 財政再建団体とは、赤字額が標準財政規模の20%(市区町村)を超えた破綻状態にあり、総務大臣に申請して指定を受けた地方自治体のことをいう。
 つまり、「地方自治権を取り上げられること」、自治権の「返上」を意味する。
 特に、予算計上についての制約は自主性・主体性はほとんどなく、市民サービスの低下や各種使用料・手数料の引き上げなど、住民サービスにも大きな影響が及ぶ。たとえ話として、よく言われているのは「鉛筆一本買うのにも国にお伺いを立てる必要がある」ということである。

  かつて夕張は炭鉱の街として栄えたが、「石炭から石油へ」のエネルギー政策転換により、次々と炭鉱が閉山されていった。
 元々炭鉱により開かれた町であり、山間地のため大規模な農業にも向かない地域であった上、石炭産業以外の産業基盤が皆無同然だった。そのため雇用の受け皿がなく働き手の若者が都市へ流出し、人口が激減し、街には高齢者が残る結果となり、少子高齢化が進んだという。 
 現在では、道内では歌志内市、三笠市に次いで、全国で三番目に人口が少ない市であるという。

  市は、石炭産業の撤退と市勢の悪化に対し、「炭鉱から観光へ」とテーマパーク、スキー場の開設、映画祭などのイベントの開催、企業誘致により地域経済の再生、若年層を中心とする人口流出の抑止、雇用創生などを図ったが振るわず、逆に過大な投資や放漫な経営、又、ヤミ起債(自転車操業的借り入れ)などで累積赤字が重くのしかかり、市の財政を極端に圧迫していった。

  夕張は現在、山間地の気温の寒暖差を生かしたメロン栽培(夕張メロン)が盛んである。
そのメロンは今が旬であるようで、国道沿いには数件の出店が軒を並べていた。

  夕張は山間地で耕作面積が狭く、農業環境に恵まれない、それを克服するため、昭和30年ころから、地域の特性を生かした特産づくりをすすめることになり、これが戦前栽培されていたメロンだった。 

  夕張メロン組合には、現在、約190戸の農家が加入しているといい、農協では独自に、特秀、秀、優、良の4つの等級を決めている。 
 農家から選果場に運び込まれたメロンは1個1個手に取り厳しい品質検査を受け市場に旅立つ。
 品種は「夕張キング」という御存知の赤肉のメロンであり、高級品として有名で、初セリでは札幌市内の百貨店やデパートが価格を競り合い、一個100万円ほどする物も出るという。

  石勝線の新夕張駅の入り口角のある一軒の出店を覗いて見た。
 一個2000円の格安のものから数千円の高価なものまで並んでいる。
 適当な切り身を戴いてみた、橙色の果肉から汁が滴り落ちそうにしゃぶり付き、甘みが口中に広がる、やはり、他のメロンとは一味違うようである。



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  先を急ぐ・・、

  新夕張駅から国道274号にて日高、占冠方面へ向かおうとした時、ネズミ捕りに捕獲されてしまった。 
 「ねずみ捕り」とは、路上に速度測定器が設置してあり、そのポイントで速度違反が発覚すると、その先の駐車誘導エリア(取り締まり現場)に連絡し検挙する方法である。
 一種の現行犯であるから逃れる術(すべ)はなかった。 市の赤字財政てん補のため“ここまでやるか“と口惜しかったが、実は反則金は国庫に入るため地元夕張市とは無縁であった。
 上さんも怒りをあらわにして、「もう2度と夕張になんか来るか・・」とぼやいていた。


  国道274号は、緑のトンネル、北海道らしい雄大な景観を見せながら東へ延びている。 
 国道は札幌市から川上郡標茶町に至り、北海道内で最も長い国道(全国でも11位)であり、石狩・空知・胆振(いぶり)と十勝地方・釧路地方を連絡しており、国道38号と共に北海道の東西を結ぶ大動脈である。

  日高の「道の駅・樹海ロード日高」へ立ち寄った。
 道の駅としては意外なほどの賑わいを見せている、道東を結ぶ274号と、旭川方面と苫小牧方面を結ぶ国道237号の分岐点にあり、また、名高い日勝峠の出入り口にあたる場所に位置することから、立ち寄るドライバーは多いのかもしれない。

  我らはその旭川へ向かっているのであり、国道は、237号線へと入れ替わる。


  《 占冠 》

  占冠村へ着いた頃、息子が盛んに懐かしがっていた。
  中学卒業時スキー学校(アルファーリゾートトマム)下見のため一人で初めての北海道へ上陸し、この占冠村へやって来たのである。 
 その後北海道が気に入って、旭川の大学へ入学し、旭川の女性と知り合って所帯を持つまでになってしまったのである。 そして今は、その息子の上さんの実家・旭川へ向かっている途中なのである。

  占冠中央の西方に、その名も「ニニウ」という集落がある。  否、在ったらしい。

 ニニウというのは、「樹木の多い地」を意味するアイヌ語で新入、仁々宇、仁丹羽、丹生などの漢字を当てられることもあった。 
 ニニウは回峯千尺の底にあり、陸の孤島の中の孤島あるいは日本のチベットとも称され、北海道でも恐らく最も特異な部落であるといわれた。

  明治中期の日露戦争ころから銃床材用クルミ、またマッチ軸木、鉄道枕木の需要で人びとの入植が盛んになった。
 当時は、標高700mの「鬼峠」という馬も通れぬ難所を越えねばならなかった、「この峠は一人では歩けない」熊が出るのだと・・!。 
 ニニウに嫁ぐことになった花嫁さんが金山で汽車を降り、ニニウまで歩く間に5足のわらじを履き替えたという逸話もある。 
 それでもニニウは、占冠村でもっとも気候温暖で耕作適地でもあり、豊潤な「鵡川」も流れ、又、ニニウの地下資源は豊富で、何れ交通輸送の便ができれば発展の可能性は大きいと期待されていた。
 しかし、その望みは届かず、遂に40年前には農民はみな離散してしまった。
 直後、そのニニウに石勝線が開通した。

  現在、離農跡地はニニウ自然の国の施設として再利用され、ニニウ全体が開拓記念公園になっているという。
 世の発展と僻地自然の変化は激しい。

  その金山峠を越え、金山から根室本線が並行する辺りから、視界が開けてきて間もなく富良野へ来た。


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