北海道・道北部旅行 Part2
道北旅行2(利尻島一周)
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  【 第三日 】

    【利尻島】

  利尻島は稚内の西、日本海に浮かぶ円形の島で、その特徴は島の中央に「利尻富士」(1721m)が聳えていることであろう。
 海上から遠望するこの島は海上に浮かぶ、海上から突き出た富士の如くその容姿は逸品である。

 日本100名山を著した深田久弥氏も、本書の冒頭、第1番に記されいる、その一言を借りれば、『 島全体が一つの山を形成し、しかもその高さが千七百米もあるような山は、日本には利尻岳以外にはない。九州の南の海にある屋久島もやはり全島が山で、二千米に近い標高を持っているけれど、それは八重岳と呼ばれているように幾つもの峰が群立しているのであって、利尻岳のように島全体が一つの頂点に引きしぼられて天に向ってはいない。こんなみごとな海上の山は利尻岳だけである。 』とある。


  朝飯前に、旅館のすぐ裏のペシ岬の頂上へ散策を兼ねて登ってみた。湾先端にそそり立つ標高わずか93mの小山のような岬であり、頂上からは利尻島の一端と鴛泊港が一望の下の展望であったが、残念ながら肝心の利尻富士は裾野を明らかにするのみであった。


  登り口に、会津藩士の墓と顕彰碑が有った。
 江戸後期の1807年、 徳川幕府はロシアの侵攻に対抗するため、奥羽諸藩に北方警備を命じた。翌1808年には会津藩に、宗谷、樺太、利尻の守備が命ぜられ、宗谷に本営が、利尻に分営が、そして樺太に警備の陣営が置かれた。
 実際には、ロシア兵との交戦はなかったものの、藩士を乗せた船が、樺太から帰る途中台風に遭って難破し、藩士は付近の島や岬に漂着した。

 また、食料や衣類もままならない激寒の最果ての地で、多くの藩士が、風土病(水腫病:蝦夷地に越冬する和人が、水ぶくれになり、顔がむくみ、腹が太鼓のようになって苦しみ死ぬという奇病は、)にかかって亡くなった。 現在、利尻島には三カ所の墓があってペシ岬はその内の一カ所である。会津藩士がそこで安らかに眠っている。


  利尻島は周囲63kmの丸い島で、なにもしなければ車で1時間ほどで一周出来てしまう。 
 今回は要所観光地を地元の観光バスで巡行することにした。
 すなわち利尻島を時計の針のように進路を取り、島をほぼ一周するコースである。


定期観光バス・利尻Cコース(所要時間4時間)

鴛泊FT⇒姫沼⇒野塚展望台(車窓)⇒資料館⇒オタドマリ沼⇒仙法志御崎公園⇒人面岩.寝熊の岩(車窓)⇒沓形岬公園又は海底探勝船遊覧⇒鴛泊FT


利尻島概念図(資料)

  



  定刻に出発した定期観光バスは鴛泊港から間もなく見晴らしのいい展望地に来た、野塚岬である。
正面に見えているのが港に隣接する「ペシ岬」この地に「ラナルド・マクドナルド」という米国人の碑がある。


  ラナルド・マクドナルドについて・・、

  アメリカインディアンの血統をもつ彼は、日本人もインディアンのルーツであると信じ、日本にあこがれて江戸末期の1848年、捕鯨船員となって単身でボートで日本に上陸を試みた。
 他の船員らは日本は鎖国しており、密入国は死刑になると説得したが、マクドナルドは応じず、初め焼尻島に上陸、この島が無人島だと思ったため次に利尻島に上陸した。
 不法入国を装うためボートをわざと転覆させて漂流者を装ったともいう。そして、ここに住んでいたアイヌ人と10日ほど暮らした後、密入国で捕縛されて暫く拘留されたが、扱いは悪くなかったという。この後、宗谷に次いで松前に送られ、そこから長崎に送られた。

  長崎では、本国に送還されるまでの半年間、ここで通詞(通訳)をしながら14人の日本人に英会話を教えた。日本での彼への扱いは利尻島同様終始丁寧なもので、マクドナルドも死ぬまで日本には好意的だったという。  出航間際の最期の言葉は、「さようなら my dear さようなら」と日本語での挨拶で、「SAYONARA」の文字は、マクドナルドの墓碑にも文の一部として刻まれた。教え子の中で著名な者に、ペリー来航時交渉役で通訳を務めることになった森山栄之助がいる。

 吉村昭の歴史物語『海の祭礼』は、彼と森山栄之助を主人公にした、ドキュメント小説である。(文春文庫)
 マクドナルドは、アメリカに帰国後、「日本回想記」を記し、翌年の1849年にこの世を去っている。
 彼については自著の「日本回想記」が知られるようになり、更に「海の祭礼」が出版されてから次第に知れわたり、昭和63年に地元・利尻ロータリークラブによって野塚の展望台に彼の顕彰の碑「ラナルド・マクノナルド渡島の地」が建てられた。


   野塚岬の展望地の次に訪れたのが森の中に佇む「姫沼」であった。 
 バスを降りてガイドさんの「ツルアジサイ」(※1)の丁寧な話を聞きながら、洒落た吊橋を渡るとすぐに湖面が現れた。 
 本来なら秀峰利尻富士を湖面に映す雄大な景観が望める筈であったが、周囲1kmのうっそうとした原生林に囲まれた神秘的な湖は、木道が良く整備された歩道が整い、野鳥観察や蝦夷松、トド松や高山性の植物が随所に見られる。

  20分ほどで周遊できる湖面には、珍しい「浮き島」も見られる。
 大正年間に3つの小沼とわき水を利用して一方をせき止めた天然に近い人造湖で、ヒメマスを放流したことからその名が付けられたという。


 ※1  額紫陽花の一種で6〜7月にかけて大木に蔓が巻いて15m以上もの高さまで伸び白い花を咲かせる。 北海道では原生林など針葉樹につるが絡まり、本州では山の中でもかなり奥深い所に多く、標高1000m以上もある高原に自生している。 
 縦長の棒状に花が咲いている様は周囲の濃い緑の中によく目立ち、梅雨の時期に咲くこのツルアジサイはやはり雨模様が良く似合う。



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  海岸沿いを一周する道路は北海道道108号線で、鴛泊、仙法志、沓形を結ぶ。
 仙法志のあたりはバイパスが造られていてとりわけ道路が立派である。

  利尻島一周道路は、鴛泊市街を除けば概して幅の広い2車線舗装道路であり、ドライブなら利尻はいちばんいいという。 
 警察署は在るのだが基本的に取り締まりは行っていないという。
 と言うのも昔、厳しい取締りを行った警察官がいたが、島民は一致団結してその警察官に商品を売らないなどの抵抗を行い、その警察官は島を逃げ出してしまったという。
 それ以来、警察は島民に厳しいことを言えなくなってしまったらしい・・?、 とガイドさんが紹介していた。 

 一方沓形、鴛泊の短い区間を105号線がはしっている。 
 この時、ガイドさんが車中案内の途中、突然、「皆様、オメデトウございます、皆様のお心掛けが良かったとみえて利尻富士の全容が現れました・・」・・と、お決まりの美辞を並べて明らかにしてくれた。 

  その108号線に沿った利尻島南端に位置するのが「仙法志」の浜である。 
 案内の通り、バスから降りると上空はスカイブルーに染まり、利尻山の末広がりの三角錐は、青天に向かって天を指していた。 

  一帯は、橙色のエゾカンゾウの花を散りばめた草原状になっていて、山は一層の優美さを演出していた。 
 又、仙法志の海岸は、その利尻富士の火山岩が海岸へ流れ付き、奇岩・怪石を形成した特徴ある海岸を形造っている。 
 勇壮な日本海を望み、その中にある自然観察場は、昆布やウニ等を見ることができる天然の水族館があった。

  天然水族館の途中に老漁師が馬糞ウニの試食販売をしていたので、一個戴いてみた。 
 潮の香りに何ともいえぬ独特のウニの香りがして絶品であった。  因みに一個500円でした。


  海胆(うに)には二種類あって、「馬糞海胆」(バフンウニ)と「紫海胆」(ムラサキウニ)があるそうで、「馬糞」のような形をした「馬糞海胆」の方が高級で、値段もかなり高く、「海胆丼」の場合は3,000円から4,000円くらいだとか。
 「馬糞海胆」の方が「紫海胆」より身が赤い色(濃い橙色)をしている。 
 「紫海胆」は、普通の海胆のイメージのイガイガの形をした外観である。 アイヌ語で馬糞海胆はガンゼとも言い、「紫海胆」は「ノナ」とも言われる。


  暫しの休憩の後、バスは最後の地である沓形へ向かった。
 島の西岸は、流出溶岩が造った奇岩、怪岩が点在する変化に富んだ海岸が連なっている。 
 バスは時折、ガイドに従って少停止してくれる、そこは人の横顔に見えるという人面岩、横から見ると熊が寝ているようにも見えるという寝熊の岩や人面岩といったユニークな奇岩だそうだが、窓際の小生もどれがどうなんだかチョッと判り難かったが、上さんに言われて納得した・・?。
 よーく見ると、ロープで鉢巻きを付けられているのが人の頭みたいです。


  次第に沓形の町並みが近づいてきたようである。

  利尻島は洋上に囲まれた円形の島で、中心に利尻富士が聳立つ火山の島であり、島の大部分は利尻礼文サロベツ国立公園に指定されている。 
 行政区分としては、東半分が「利尻富士町」、西半は「利尻町」に属する。  
 東部に位置する利尻富士町は、海岸に集落が点在し北部の鴛泊(おしどまり)、南部の鬼脇が主要な集落であり、島の(町の)出入りは主に鴛泊港が中心である。 
 西部に位置する利尻町は、南部の仙法志、北部の沓形(くつがた)が主要な集落地勢を形成して、交通の要衝は沓形になる。 その沓形は利尻町の中心市街で、街並みは整然としているが、これは昭和39年に沓形市街の大半を焼き尽くす大火が発生し、その後土地区画整理事業が行われたからとか。

  利尻町の人口は約3000人、利尻富士町の人口は約3300人と町の勢力は拮抗しているが、どちらかというと沓形(利尻町)のほうに官庁や公共施設が集まっているらしい。 
 鴛泊港同様、この沓形港からも礼文島・香深、稚内へのフェリーが出ている。 

 利尻・礼文をいっぺんに訪れようとする観光客はこのフェリーで両島を行き来するようになる。
 われ等も同様に、この地から礼文島・香深へ午後一番の便で向かうのだが。 


  その前に、観光バスでの最後の観光である海底探勝船遊覧を、オプションで乗ることにした。 
 定刻に船長さんのガイド&繰船で、海底探勝へ出発した。美人バスガイドと違って、こちらはシワガレ声の中年漁師のガイドで小生のすぐ横にいたせいもあって少し騒々しい感もあった。
 それでも途中から希望者への船の操縦をさせてくれので、小生早速希望して行ってみた・・、と、言っても舵をクルクル回す程度の物でしたがね。 
 そして船長さんが時々クイズを出題し、正解者にはスルメがプレゼントしていた。 ただ、海底には魚類は殆どいなく、ウニやナマコそして利尻昆布の生えているポイントを観察するのみであった。
海底に生えている手ごろな昆布の値段は一ポン1000円とか、それら一級品の条件等色々教えてくれたが、正直なところ、まるでウニと昆布のPR船のようでもあった。


  沓形は、火山から流れ出した溶岩が日本海に達し、沓(くつ)のような形の岬を形成していることから名づけられたという。
 前方には日本海から礼文島が望めるし、バックには利尻富士が雄姿が望める。遊歩道も整備されているので、天気の良いときにはじっくりと散策するのも良い。 
 特に日本海に沈む夕陽がすばらしいとのこと・・、隣接している「沓形岬公園」は各施設が整い、各種高山植物や岩コケが可憐な姿で咲いている。 
 フェリーの合間に散策するのも良い。



  この沓形港から定刻に、フェリーはわれ等を載せて出航した。
 40分程で礼文・香深港へ到着である。

  稚内から利尻へ向かう時もそうであったが、ここ利尻を離れてから物欲しげに「かもめ」の群れがフェリーを追いかけてくる。 
 上さんが面白がって“カッパえびせん”を与えると、指先から上手に嘴でさらってゆく。
 否、カモメと思ったがこの辺りでは「ウミネコ」一般的らしい。

  カモメとウミネコの違いは見ただけではわからないけど、何でも、「カモメ」と「ウミネコ」の違いは「尾」にあるらしく、尾が真っ白なのが「カモメ」、黒いラインのあるのが「ウミネコ」らしく、この辺に居るのは九割がたウミネコみたいです。 

  ウミネコの後ろには、天辺が雲でかすんだ利尻富士が見送ってくれている。

  さて両島の観光であるが、両島の一番フェリーが到着してから、最終便までの滞在時間は約9時間である。 
 標準的な観光ツアーではどちらかの島を半日観光すると適当な時間に隣の島に渡り、両島へ宿泊しないで最終便で稚内へ戻ってしまうこともできる。
 特に、団体旅行などのコースは、どのコースも非常にあわただしく、ひどいのは礼文滞在がわずか2時間20分というのがあるそうだ。
 それらのツアーに比べれば今回のわれ等の旅行は両島に各々宿泊し、いくらかはゆっくりしたものといえる。


  利尻は、名山を求めてくる登山者が多いが、礼文は高山植物を求めてくる花愛好者の人が多いようである。  しかし、実際は礼文も利尻もなんだかんだいって団体ツアーで訪れる人が大多数を占める普通の観光地でもある。

 フェリー乗り場にはバッチをつけ、旗振りの添乗員リーダーに案内されて行く観光客が大勢を占めているようである。
 そして、観光客で賑わうのは夏のほんのひと時であって、には恐ろしく静かな風景が見られるという。


  最北の海に浮かぶ二つの島であるが、利尻島と礼文島は兄弟島のように思われているが、実は、これらの島の誕生は、大きくプロセスが違うという。

 利尻島は海の中から噴火とともに誕生してできた比較的新しい島であり、礼文島は海底が隆起して出来た島であるらしく、年代も相当異なるらしい。
  因みに、利尻島は利尻山の火山島であるが、噴火が確認されているのは地球年齢、地質年齢時代のことで数十万年も前の無論有史以前のことである。
 現在では、噴気活動を含め一切の火山活動を示す兆候は認められていないそうで、従って、有史以来の記録に残る火山活動はなく、死火山の島であるといえる。


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