北海道・道北部旅行 PartU-3
道北旅行2-3(礼文島・2)
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  【礼文島】


礼文島・概要図(資料)



  次の地は元地方面であるから一旦香深の港へ戻るようになる。 

  港町の裏手から山あいへ上って行くと直ぐに山間地に到る、そのままジグザグを繰り返しながら上り、元地トンネルの手前で細い道を右折すると、見通しの良い草原地帯をゆっくり周辺を見物しながら進ませると、やがて元地展望地へついた。 

  駐車スペースのすぐ横に木製の歩道が整備されていて、なだらかに延びているそのピークが本来の展望地であろう。 周辺は色とりどりの草花が咲き誇っているて、草原に埋もれるように花の歩道がどこまでも続いている。 草原越しに霊峰・利尻富士が鮮やかに遠望できる。

  この歩道は「桃岩展望台コース」といって、島の南部の主要コースになっている。
 これから訪れる桃岩展望台からここまで登ってきてこの先、元地灯台へ到る約2.5kmは高山植物の宝庫である。
 しかも、草原や岩場、湿地など変化に富んだコースで、礼文に咲く殆どの種類の花々がみれるという。


  次に島の南部を横断して元地海岸に出ることにした。 
 先刻の桃岩トンネルを抜けると広大な風景に思わず目を見張る、その絶景は感動ものである。 
 元地(もとち)海岸の縁を少々走ると売店や土産店が並ぶエリアに達した。
 観光バスも数台止まっているようで、我らもガイドの旗振りのお姐さんと一緒に付いてゆく。
 やがて、「地蔵岩」に達した、海沿いに切り立った岩が2本屹立している、地蔵が合掌している姿に似ていることからその名をつけたらしいが、小生には地獄の入り口の門の様にもみえるが、高さは50メートルもろうか。

  嘗てはここが西海岸8時間コースの終点ででもあり、有名な「礼文の滝」までのコースが整っていたようだが、現在はこの先宇遠内まで落石の恐れがあるため通行できなくなっているらしい。 
 土産店近くにはメノー海岸というのがあって、磨くと光り輝くメノウの原石が拾えることで知られている。上さんはその気になって浅瀬の中にメノウを探している。
 勿論メノウの原石が採れるなら地元の人がとっくに採っているはずであろう。 
 後で、宿屋の主人に聞いた話でも“あそこの海岸には有りませんよ・・”、とケンホロであったが・・。



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写真集Part2 



  次に礼文名物「桃岩展望台」に向かった。

  広い駐車場の先に立派な展望台が設えてある。確かに絶好の展望地である、眼前に、今頃出盛りの桃を伏せたような形の巨大な岩塊が居座っている。 
 又、反対方向の海中には猫が後ろ向きにチョコナンと海面に座っているような形の「猫岩」が見て取れる。 岩の形を「桃」や「猫」に形容するのは微笑ましい。
 車道とは別に遊歩道があって、先ほどの元地展望台から元地灯台へ向かうコース・フラワーロードであろう・・、だが夕刻迫っているのでさすがにハイカーの姿は見当たらない。

  桃岩展望台から見る西海岸線・元地の点々とした集落も遠大であり、反対側には山裾、否、断崖に寄り添うように真っ赤な屋根の「桃岩荘YH」が在った。 
 元々はニシン番屋だったそうで、築140年もたっているという。

 こちらの民宿否、Y・H(ユースホステル)は「歌って踊るYH」として、全国一ユニークなY・Hという。 
 港への送迎は幌付のトラックで行い、ここのツアーの「愛とロマンの8時間ツアー」の人達が帰ってくると、ヘルパーさん達は赤い屋根上に上って歌って歓迎してくれる。
 また、夕食後はミーティングが始まり、歌と踊りで盛り上がり、帰りしなには岸壁で歌と踊りで見送ってくれるという・・。 賑やか好きの方は、一度是非体験してみてはいかがかな・・?。


  そろそろ夕刻も大分迫ってきたようで、 取り合えず香深へ戻るとしよう。 
 ただレンタカー返却時間に未だ間があるので、南端の知床集落まで行くことにした。 
 狭い海岸線に、へばり付くように家並み集落が連なっている。 
 岸壁では数人がホッカブリで、網の繕いをしている。
 素朴な漁村の風景であろう。 

 すれ違いが困難なほどの道路であるが、こんな道でも路線バスが通っている。
 知床は北海道の東の方にもあるのが有名であるが、こちらは礼文の最南端にあってやはり地の果てを感じるところである。

  さて、手ごろな時間に宿に着きました。
 港より知床方面にまじめに歩いて5〜6分のところである・・が、我らはレンタカーのお兄さんに送ってもらった、「旅館光陽」まで。 

 海辺に面して港が一望できる部屋は、真新しく気持ちがいいし、お風呂もピカピカで貸切は良かった。 

 さて、お楽しみの夕食である、地元海の幸を中心とした料理はテーブル狭しと並んでいて、その数10品以上もあり豪華である。 
 ビールにお酒に昆布焼酎、特にバフンウニに目が止まる。 上さんがトロリとしたものが苦手で、最後にウニを始め海鮮を丼にして戴いた、イヤ・・満足満足・・!。


  ところで、ウニ漁の様子を先ほど利尻の仙法志のウニ漁師に聞いた。
 ウニは一人での漁なのである、口で水中メガネをくわえ、足で櫂を操作しながら海底にいるウニを網で拾い上げるのだという。片足で櫂を漕いで船を移動または停止させる、口でくわえた水中メガネで、水中を見てウニを探す、ウニを見つけたら柄の長い網ですくう、大変な作業である。
 そうやって採ったウニは、やはり貴重なウニである。 
 食しながら床の間の「礼文凧」が気になっていた・・。



  翌朝、旅館の座敷広間の奥床に「礼文凧」と称して丁重に飾ってあったのが目を引き写真に収めた。
 礼文凧は、ニシンを追って礼文島に来ていた津軽の漁師によって始まったといわれている。 

 特徴は絵柄が大ぶりで、武者絵を中心として力強く画かれていることである。凧の骨組みは一般には孟宗竹を使用するが日本北部の寒冷地には茂ってなく、津軽では名産のヒバの木を使い、礼文島ではトドマツを使用するらしい。
 作者は、礼文ではただ一軒の凧屋を営む主人の凧絵師・三上豊造氏によるものという。 
 氏は、「実は、私は61歳のとき白内障で目を手術しましてネ。71歳のときにはいい方の目も眼底出血で今は盲も同然。 長年の勘と気力で書いているようなもんでして・・・」、凧絵師は実は盲目同然だったのである。 

  後継者も未だいないようで、礼文島に根をおろした津軽凧は豊造さん一代にして滅びていくのかもしれない。  床の間に大事そうに飾ってあったのが、妙に納得した次第である。

  帰りしな、主人夫婦の話の中でメノウのことが話題に出て、やはりメノウ海岸には既に原石は無く、地元の知る人ぞ知る・・ところに在るらしい。 

 序にそのメノウ原石を少々戴いて、宿を後にした。

 一番フェリーにて礼文に別れを告げ、稚内へ戻った。


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