北海道・道北部旅行 Part2-2
道北旅行2-2(礼文島・1)
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    【礼文島】

   さて、船は一時過ぎて礼文島の香深に接岸した。

 正面の山の鼻に「歓迎・ようこそ礼文島へ」と、大きな案内板が歓迎してくれている。
 フェリーターミナルの正面、お土産店が数軒並ぶ通りの左の端にレンタカー屋ががあったので、交渉の末、軽自動車を1台借りることにした。

  料金は時間単位の後払いで、何でも3時間もあれば主要な観光スポットは巡見することがという話であった。


礼文島めぐり(レンタカー) 13:30発(約4時間コース) 

香深⇒金田岬:礼文空港(廃)⇒スコトン岬⇒澄海岬(すかい)⇒元地展望地⇒地蔵岩 ⇒桃岩・猫岩展望地 ⇒知床港⇒香深(泊) 
宿泊地:礼文「旅館光陽」  0163-86-1610




礼文島・概要図(資料)

  港から島の東岸に沿って北上の途中、海辺にある小さな赤い屋根と鳥居の神社を車中から見る 。

  アイヌ同士の戦いで、礼文のアイヌの酋長が北海道本土に渡った時、その妻・セレナは泣きながらいつまでも見送って、そのまま岩になってしまったと言う伝説があり、アイヌの悲恋が秘められた見内神社である。
 この岩を見ると悪いことが起きると言うので、見ないで通る(実際は見てしまったが・・)。 
 今は安産祈願の神社らしい。

  礼文岳登山口や日食観測碑に気が付きながら、海岸沿いを北上する。 
 道道40号の分岐を更に北上すると「金田の岬」へ到着した。
 普通、岬というと海または湖に突き出した陸地の先端を指し、礼文の東の北端ということで、少なくとも何かしらの特徴ある突端、展望をイメージしていたが、大岩に抱かれるように茶屋食堂が一軒寂しそうに在るのみであった。 
 周りに何も無く海がただ広がっていて、ある意味では最果てという感じはしたが。 
 仕方なくそのまま通過したが・・、この先、“礼文空港“という案内板があったので、誘われるように行ったみた・・。

  そこはほぼ平坦な丘陵地になっていて、その草原一帯には一面に「エゾカンゾウ」の橙色の花が絨毯のように咲き誇り広がっていた。 
 又、船泊湾を挟んでスコトン岬を先端に抱く、なだらかな半島が横たわっているのが鮮やかに見て取れる。
 ここには人っ子一人いない、謂わば我等両人の貸切の大自然の饗宴であり、金田の岬の思惑外を差し引いても余りある景観であった。 
 すぐ近くに無人の礼文空港がひっそりとあり、その先端に岬灯台がポツネンと立っていた。

  空港は現在、北海道の財政が逼迫していることもあって、平成15年3月より廃止となり、定期便はなく緊急輸送のみとなっている。
 運航を模索する会社もあるものの実現には至っていないようで、今後の在り方について廃港も含めて検討されているという。


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写真集Part2 



    船泊(ふなどまり)は、チョッとした街地をなしていて、稚内市街よりは北にあるから最北の町といえる。
 船泊は、昭和31年まで独立した村(現、礼文町)で、礼文島では香深と双璧をなす集落である。 

  因みに礼文町は礼文島一帯のことで、日本最北端の町としても知られる。
 宗谷岬は稚内市であり、択捉島(北方日本領)は村なので、町としては最北端となる。礼文町のプロフィールでは「北緯45度30分14秒、東経141度4分16秒」と紹介されている。
 北部を船泊、南部を香深(カブカ)が町を構成し、 島の特徴は、西部は断崖絶壁が続き、利尻島のように自動車やバイクでの島一周はきない。
 島東部海岸には北海道道40号礼文島線が、唯一幹線として南北に走る。



   スコトン岬は半島先端部を指すが、その半島の付け根にあたる地域を「江戸屋」と称する。
 船泊港を右に見ながらスコトン岬方面へ向かうと、サッパリした展望園地があって先程訪れた金田ノ岬が指呼の間に望まれる。

 そこに「銭屋五兵衛」という地味な記念碑が建っていた。横に説明版があって「 享和から文化年間にかけて(約百六十年前)加賀の国銭屋五兵衛が露国と密貿易のかたわらキンツバ焼を始めたが江戸仕込みであったので屋号を江戸屋としたことから 」とあった。

  約160年前、加賀藩の豪商・銭屋五兵衛が行っていたロシアとの密貿易の拠点となっていたのが礼文島・江戸屋地区であった。 
 銭五は、加賀の米を積み、ロシアの沿海州やサハリンで毛皮や海産物と交換していたという。 胆力と黄金とでさっそうと北海の荒海を縦横無尽に航海し、「加賀の豪商」と呼ばれる富を築いた五兵衛は、財政難に苦しむ"加賀藩の台所を救った"ほど資産家だったが、その老後は安泰ではなく、80歳で獄中死したともいわれる。 

  貿易商として有名な五兵衛(1773年:安永2年生まれ)だが、実は船主の家柄ではなく、39歳の時、質流れの古船を修理して海運業に初参加したのが始まりだった。 
 北海道の礼文島を拠点にロシアと密貿易を始めた傍ら、江戸風の「キンツバ焼」を作ったことから、屋号を江戸屋と称したと伝えられ、地名として今この地に残っている。 
 五兵衛は、北陸・加賀の出身者であるが、利尻、礼文は先祖が加賀や越前など北陸出身の人が多いともいう・・。


  スコトン岬へのアクセスとして、この江戸屋地区道道を左折して山を登って行く、細い道ながら観光バスの大型車も向かっているで、この道はどうやら一方通行になっているらしい。

  褶曲した丘陵は全体が草原地帯になっていて斜面には、ニッコウキスゲの兄弟のようなエゾカンゾウの黄色が目立ち、レブンシオガマ、スカシユリなどが目に付く。


  程なく北端のスコトン岬へ着いたようである。 丸太の柵を施した岬はさすがに展望絶佳であるが、更に、その先に切り立った尾根に歩道が付いていて岬の展望地が開けている。 
 崖尾根の東側海岸には民宿スコトン岬が建っていた。最果ての地の宿泊施設で、一体どうやってこんなところに建物を造ったのだろうと思われるような崖の下にある。 
 正面には、海に浮かぶのは海馬島(トド島)が至近に望まれる。

  岬の標識は、“最北限の地”を名乗っているようだが、最北端ではなく最北限であるあたりが何か曰く因縁が有りそうだ。
 実際、昔はこちらが最北端だと思われていたそうだが、測量によって宗谷岬より緯度的には南にあり、最北端ではないことが明らかになってからは、「北に限りない」というイメージを残して最北限を名乗るようになったらしい。帰路に最北限と銘打ったトイレで用を足した、ついでに記念撮影まで。



   澄海(スカイ)岬は、スコトン半島・・?の付け根付近西海岸にある明媚な観光地である。
 青い空と透き通った青い海の美しい岬は、礼文島のパンフレットなどで見る景色はここが定番らしい!。 
 岬近くでは海底まで見え、天気のよい日は南国の海のように鮮やかな美しいブルーを見せてくれる。 
 特に、入り江になっている部分は、ハワイの「ハナウマ湾」のミニサイズを連想させる。

ハワイは今年の5月末に観光訪問
  
http://www.geocities.jp/orimasa2001/hawai2007.htm 


写真左は稲穂ノ岬、そのうしろにみえるのはゴロタ岬へ連なる。 
又、あの「中島みゆき」もこの場所で、プロモーションビデオを撮影しているという。
  『銀の龍の背に乗って』  
http://www.youtube.com/watch?v=4NKG7Cv9HCI
 


次頁、更に「礼文島」  道北旅行:part2-3(礼文島)

写真集Part2           


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