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「夫婦でハワイ旅行」(2)
(2007年度 年賀状1等当選賞品 番号158877 2/1000000の確率)
ハワイ第1日目    ハワイ第1日目-2
ハワイ第2日目    ハワイ第2日目-2
ハワイ第3日目
    ハワイ第3日目-2
ハワイ第4日目    ハワイ第4日目-2
日 程  2007年5月29日〜6月2日(日本時間)
行 程  出発 5月29日(火・日本) 成田空港・NW022・20時55分発
              ⇒ホノルル着8時45分(5/29)
 帰着 6月1日(金・ハワイ) ホノルル空港・NW021・15時30分発
              (ハワイ時⇒成田・18時25分(日本時・6/2)
滞在ホテル  「オハナ ワイキキ マリア」 2211 kuhio avenue honoruru
観光 行動

 (ハワイ時間=日本時間マイナス19時間=+5H−1日) 
 (日本時間=ハワイ時間プラス5時間=−5H+1日
 

第1日
(5月29日)

★カルチャークルーズ(ウクレレ、フラダンスレッスン、
               魚、イルカ:11時30分〜13時30分)
★ワイキキ散策

第2日(30日)

★パールハーバー記念館見学 
★モアナルア植物園(日立の木 モンキーポッド) 
★カメカメハ王宮殿
  (以上観光ツアー 6時45〜11時30)
★ダイヤモンド・ヘッド登山(トロリーバス 15時15〜17時)
★散策、夕食・和食海鮮居酒屋「踊り子」

第3日(31日)

★海水浴(ワイキキビーチ、8時半〜11時)
★ハナウマ湾、サンデービーチ、シーライフパーク 
★ハイウェイ:ヌアヌパリ展望所 
(以上、オリオリバス周遊東海岸ツアー:12時40分〜16時)
★アロハタワー、アラモアナSPC、DFSギャラリー(お土産、夕食)

第4日(1日)

★ワイキキショッピングプラザ MAC朝食 DFC散歩
★ホノルル空港発

第5日(2日)  成田着
ハワイ紀行第2日:Part1(パールハーバー・アリゾナ記念館、モアナルア・パーク)     
 ハワイ紀行第2日:Part2(イオラニ宮殿、ダイヤモンドヘッド登山、キングス・ビレッジ)
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                        第U(5月30日・水、inハワイ)



  ハワイ・ワイキキ2日目である。 

  今朝は早速に「パールハーバー・アリゾナ記念館」という観光ツアーに出掛ける予定である。
 起床がやや遅れ気味であったが、AM5:30分に目覚めて、あたふたと朝食を摂ってホテルを後にした。

  間際に貴重品ロッカーの暗証番号にトラブルが発生したが、何とか治まったのであるが。
小型の乗り合い車が、シェラトン・Hより「パールハーバー」へ向う。
 予定通りAm6:45分の出発で、我らも含めて三組の男女という少人数にドライバー兼任ガイドと伴に。

  ワイキキの北側のアラワイ運河からカラカウア通りを経て幹線高速のH1道に出る。
 ホノルル空港の北をすぎると大きく入江を成している「真珠湾・パールハーバー」に着いた。



  「パールハーバー・アリゾナ記念館」


  パールハーバーとアリゾナ記念館の見学ツアーである。
 ここに訪れる日本人は観光客全体の1%くらいともいわれ、確かに少ないようであるが、しかし、しかしである、既に長蛇の列なのであり、駐車場は車で溢れているのである。

  朝から炎天下での行列であるが、列は意外と速く進んでいる。
 ガイドの説明を聞きながら、やがて入場口に到達した。右手に、奇麗に塗装され、保存された戦艦アリゾナの巨大な錨が展示してあった。

  若干の説明を聞きながら日本語通訳用のレシーバーと5番の整理券を渡された。
 整理券は、8時45分に映画を鑑賞し、その後沈没している「戦艦アリゾナ」を船で渡って見学するのである。

  間があるので屋外の説明パネルと館内の戦闘当時の展示物を見学する。
 展示の一つ一つに重みを感じながらも、特に、作戦の司令艦だった「空母・赤城」のミニチュアながら、その巨大さと迫力に感心する。
 この当時の日本の姿をかいま見て、その技術力、精神力を改めて思い起こすのである。
 現代の若い人には是非見てもらいたい所でもあるが、実際、日本人は少ないようであった。

  入江の向いにあるフォード島には、岸壁に接岸されているグレー色の戦艦ミズーリ号が望める。ミズーリは、現役でもまだ機能すると云われる戦艦であり、それなりの大きさがある。
 大砲や操縦室、高官の部屋、そして船員たちの部屋が生で見られるという。

 戦艦ミズーリは、1945年8月29日、第二次世界大戦終結のため、東京湾の艦上で行われた日本軍と連合軍との降伏文書調印式が行われた戦艦である。
 当初、戦艦「ニュー・ジャージー」を使用する予定であったが、ハリー・S・トルーマン大統領がミズーリ出身であったために、この艦が選ばれたらしい。戦艦ミズーリは、第2次世界大戦の後、朝鮮戦争や湾岸戦争を歴戦していて、引退後、ここフォード島に戦艦歴史博物館として真珠湾に係留しているのである。

  さて、定刻がきたので、いよいよ館内入場である。
 早速映画(記録映画)の上映が始まった。
 主な内容は、当時の日米の国内事情を踏まえながら戦争に突入する、日本軍の奇襲攻撃といわれる「真珠湾・パールハーバー」を克明に描いている。
 真珠湾攻撃を前に、日本海軍は真珠湾に形状が似ている錦江湾(鹿児島県)を訓練場としたという。


  真珠湾攻撃は、日本時間1941年12月8日(ハワイ現地時間12月7日)に日本海軍がハワイ真珠湾のアメリカ海軍の太平洋艦隊と航空基地に対して奇襲攻撃を行った。
 世界史的にはこの攻撃によって太平洋戦争/大東亜戦争が始まり、日本とアメリカが正規に第二次世界大戦に参戦したことになる。

  軍事上では従来海軍の主力と見なされてきた戦艦部隊を航空機攻撃によって壊滅させたことになり、作戦は成功し、戦艦アリゾナなどアメリカ軍の戦艦8隻を撃沈または損傷などの大戦果をあげたとされる。
 当時、航空機では戦艦などの主力艦の撃沈破不可能であると信じられていたが、空母の集中使用による大規模空襲はその神話を見事に打ち砕いて見せたのである。
 こうして大艦巨砲主義時代は完全に終焉を迎え、時代は航空主兵時代へと移っていったのである。


  アメリカ海軍の主力空母は、真珠湾外で輸送など任務に従事していたため無傷であり、その後のアメリカの作戦において大きな力を発揮した。
 また、沈められた戦艦の中にも後に引き揚げられ再生されたものもあり、最終的にアメリカが失った戦艦は2隻であったという、太平洋戦争中この時以外でアメリカ戦艦の喪失はない。

  当初から日本とアメリカの国力差から、日本海軍は、山本長官をはじめ短期決戦を想定していたが、攻撃目標に含まれていたアメリカ主力空母が真珠湾に停泊しておらず、撃沈できなかった事は、緒戦で何とかアメリカが持ちこたえる原動力となり、短期決戦戦略が頓挫する一因となった。
 一番の問題は、被害はあくまで艦船だけであり、人的被害は小さかった(艦船の乗組員の多くは上陸していた)事である。 乗るべき戦艦を失った乗組員の多くは、新たに建造された空母へと配置転換され、むしろアメリカ海軍の航空主兵への転換を手助けする結果となった。

  更に、宣戦布告なしにハワイ真珠湾を攻撃したとされる日本に対して、米国民は激昂し、これ以来、「リメンバー・パール・ハーバー」の合い言葉によって、米国民は団結してゆくことになる。
 この言葉は、「卑怯・卑劣なこと」の代名詞としても使われたともいう。

  以後、日本、日本人をJapan, Japaneseジャパン、ジャパニーズと呼ばず、Japジャップと侮蔑的に呼ぶようになり、この事が、戦争の最終段階において広島、長崎の原爆にも繋がったともいわれる。


  映画は約25分、この時間が日本人として重く感じられるのはとうぜんであった。
次に船で「戦艦・アリゾナ」が沈んでいる場所へ向う、アリゾナ記念館は、パールハーバーの海上に建設された白亜の慰霊塔である。
 壁一面に書かれた戦没者の名前、海中に見える船の遺影、泳いでいる魚が、長い時間を経ていることを実感させてくれる。

  その場所に立つとすぐ足の下の海の中に、巨大な戦艦アリゾナが水没しているのをハッキリ見ることができる。     1941年12月7日(日本時間8日)早朝、日本軍の奇襲攻撃によって、戦艦アリゾナは大勢の乗組員とともにパールハーバーにおいて轟沈された。
 日本とアメリカはその後4年間にわたり、数十万人に及ぶ犠牲者を出す壮絶な戦争に突入する。
 アリゾナ記念館は、太平洋戦争の火蓋を切ることになった歴史的場所なのである。日本軍の不意打ちにより戦死した1177名の遺体が、今も戦艦アリゾナと共に水の下に沈んでいる。

  今も、時折当時の積載重油が海面に浮き出てくる、死者のの魂が昇天するがごとく。
 日本人として、その真上に立つことはとても勇気のいることであろう。 しかし、戦争の悲惨さや歴史の現実がここにある。

  合掌・・!!


 記念館より沈没船「アリゾナ」へ向う連絡船  沈没船「アリゾナ」の残骸、中央排気筒付近・・?
 海上のアリゾナのメモリアルホール  フォード島と戦艦・ミズーリ


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    「モアナルア・パーク」

  会場を退出して、暫く仲間やガイドと涼みながら談笑する。
 次に、日立のコマーシャルで有名なモンキーポッドで有名な「モアナルア・パーク」へ向う。 

  広大な園内で、大樹の陰で幼稚園の遠足であろうか家族でバーベキュウを楽しんでいる。
 近くに、あの翼を広げたようなモンキーポッド(Monky pod アメリカネムの木)の大樹が有った。 

  ♪この〜木何の木、気になる木〜♪・・・、

  お馴染みの日立のコマーシャルで使われた木がそびえ立っている。
 昭和59年より連続放映されている有名なコマーシャルの原点とも言えるこの木の名前は“モンキーポット”という。

  樹齢約150年と言われる大きな木で、熱帯地方の庭園や公園に広く植樹されており、夜や雨の日には葉を閉じ、またネムと似た淡紅色の花をつけることからアメリカネムとも呼ばれるが、種類は異なるという。
 何でもこの木は熱帯の日差しの強さに耐え切れず上でなく横に広がる習性があるとか・・。

  次に、ホノルルの中心街、史跡・名跡が集まるダウンタウンの「イオラニ宮殿」へ向う。


「この木なんの木、気になる木」のモンキーポットと仲間


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