北海道・道北部旅行 PartV-2
道北旅行:3-2(手塩、富士見、オロロンライン)
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   《 手塩 》


  稚咲内から再び道道106号線に入ると、しばらくは日本海とは微妙に距離を置いたところを、しかも定規で線を引いたような見事な直線道路を走る。 

 ひたすら日本海沿いを南下するうち、やがて幌延町に入って間もなく有名な風車に到達した。 
 勘定すると28基あまりあって横一列に日本海に向けて立っている。

 このあたりは見る目にも風が強い地域であることが想像でき、環境に優しい自然エネルギーは北海道の風景にもぴったりである。 
 色々なCMや広告写真などで使われているらしいが、日本とは思えない雄大な風景の中に溶け込むように在るのが風車の列である。 

  名称は幌延風力発電所で、能力的には750kw×28に相当するという。
 この辺り、道道106号線所謂、オロロンラインから留萌地域にかけては、冬期間に北西の季節風が強く(風速20m/s)、調査においても日本有数の風力発電施設設置の適地であるとされているらしい。 
 地方自治体をはじめ第3 セクターや民間企業による大型の風力発電施設の建設が行われ、平成17 年12 月末現在稼働している風力発電施設は、風車台数で95 台となっており、総出力にして全道の37%の割合を占めているという。


  程なく日本海へ注ぐ天塩川の右岸を走りようになる。天塩川は、日本海と並行しながら延々と南下するように流れていて、そして天塩町の北部でやっと日本海へ流れ込むのである。 
 これは北方の幌延町辺りで日本海へ向っているのだが、直前まで来て、そこで砂丘に阻まれて、今度は海岸線沿いを 凡そ10km も南下するためである。道は左へカーブし、天塩川河口大橋を渡る。 

  満々と水を湛えた川は全くの自然のままで、いかにも大自然の北海道をイメージさせる川である。 
 橋を渡ると今度は右に手塩川の土手を見ながら、やがて手塩の町並みに入り、同時に大河はヤットコ日本海へ流れ込む。 

 丁度そこに鏡沼海浜公園があった。
 手前に「松浦武四郎」が手をかざして遠くを見つめる立像があった。
 松浦武四郎は、北海道開拓の祖、北海道の命名者ということは、先の音威子府の項できしたが。 

  武四郎はこの天塩川を河口から源流まで探検しているのである。 
 その時の松浦武四郎の『天塩日誌』によると、1857年(安政4年)6月に武四郎は4人のアイヌたちとともに、石狩川河口から浜益港を経由して天塩川河口に至り、その後は川筋をたどる形で幌延、雄信内、中川、音威子府、美深と歩き、名寄をベースキャンプにしてさらに本流、支流を探検し、現在の朝日町の源流近くまで到達している。 
 日誌には当時の天塩川流域の姿をはじめとして、アイヌの風俗・習慣なども描かれ、多少の誇張や伝聞もあるとされているが、全体としては貴重な記録、地誌となっているという。

 武四郎自身、この書を読む人に「北海道の土地が広大で、肥沃であることを知り、開拓の意欲をもたれることを願うものである」と結んでいる。
 武四郎はこの時、音威子府村の川筋に住んでいたアイヌの家に宿泊し長老と話をした時に「北海道」という名称をつけたと言われる。



 
   《 富士見 》

  遠別町の「道の駅・富士見」へ来た、富士見という名称が少々気になったが。

  小生が住んでいるのは関東圏西部の神奈川県であるが、勿論周辺地域には、所々にその地名や所名は在る。 
 日本一の富士の山が見えてる、又は、かって見えていた、という意味合いからであるが、無論、こちらの富士見は利尻富士のことである。

 ここから眺める遠別地域は、遠別川を中心とした美しい景観が連なる穏やかな雰囲気が伝わり、周辺は丘陵地帯であるが、遠別川に沿って田園も広がっている。

  この地が水稲の北限と言われる・・、 
 酷寒の北海道の北域にも関わらず対馬海流(暖流)の影響により比較的温暖で、世界的に見ると、遠別町より北部の地域での稲作は行はれているが、その殆どが陸稲であるとのことであり、水稲としては世界最北の地でもあるらしい。 
 尤も、北限といっても、遠別町域そのものが既に日本国土の北限の地であるが。

  明治30年頃、遠別町に初めて入植したのが越前福井の武生(たけふ)の団体であった。
 当時の遠別の農業は馬鈴薯、麦や豆といった畑作が中心であったが、越前団体らが入植後すぐに水稲栽培を試み、試行錯誤のうえ国土の最北地に稲作を実らせたのである。


  ところで、越前武生は、福井県・越前平野の最南端にある。 
 この平野は、県内の水田面積の凡そ半分を占める大稲作地帯が広がり、国内でも有数の米どころである。
 この地は又、弥生期におけるわが国の稲作の発祥の地の一つと言えるのである。 
 これら、稲作の遺伝子を持つ人々が、最北の地・遠別を目指したのである。
 因みに、現在も当地区出身者の人々が、四世を中心に多数生活しているとか。


  初山別村の村名の由来はアイヌ語の「シュサンペツ」(小さい沢のある川)からきている。 
 丘陵地から幾筋もの沢が日本海に流れ込む、かどうかは別として、かつて、鰊漁と砂金が盛んということで金脈を求めて夢人たちが群がったという。
今は二千人にも満たない鄙びた村であるが、日本最北の天文台が置かれていることで、チョッと名が知れているという。



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    《 オロロンライン 》
  羽幌町に入って間もなく、国道から直ぐの今夜の泊まり宿「はぼろ温泉サンセットプラザ」に到着した。
 ホテルは道の駅、天然温泉を併用し、豪華客船をイメージした円弧状の特徴ある建物である。 

 六階の部屋に通されたが和室のゆったりスペースには展望用のベランダまで設えてあった。 
 そこからは日本海越しに右手遠くに利尻をはじめ、直ぐ前に焼尻島、天売島も望める。

  ホテルのコマーシャルメッセージには、美しい日本海の夕日と国際海鳥フォーラムが開催されると銘打っていて、現在、夕日は高雲に覆われて望むべきもないが、国際海鳥会議が行われるというのは納得である。 

  前を走る国道232号はまたの名を「日本海オロロンライン」と称している。正面に望める天売島は海鳥の生息地として知られており、その代表格がウミガラス(オロロン鳥)である、無論、国道の名称・オロロンラインはこの海鳥の名称から付けられたものである。 
 島の北西海岸は断崖が続き、ウミガラスの他にウトウやケイマフリ、ウミウ、オオセグロカモメなどの独特の海鳥が大量に棲息する。


  天売島は、人間と海鳥の「共生の島」といわれる・・!!、


  天売島は周囲約12kmの小島で、羽幌から約27km沖合に浮かぶ。
 北海道本島に面した東海岸に400人近くが住み、高さ100m以上の断崖が続く西海岸には、海鳥が3月から8月にかけて繁殖のために訪れるという。

  天売島に初めて倭人が住みついたのは江戸時代で、ニシンなどの豊富な資源に目をつけてだといわれるが、それまで天売島は、ほとんど人間が住み着かない「海鳥の楽園」だったに違いないと。 
 以来、200年にわたって人間が定住し、海鳥との共生が続いている。 
 この規模の島で、これだけ多くの海鳥が繁殖し、しかも、人間が生活を営んでいる例は世界的にあまりなく、その意味で貴重な「共生の島」であるといわれる。

  1960年代から70年代にかけて島周辺で盛んに行われたサケ、マスなどの流し網漁業による混獲で、夥しい数の潜水の名選手であるオロロン鳥が犠牲になったという。 
 もう一つは天敵のカモメや島民、観光客が出すゴミに集まる海ガラスならぬカラスが増え、繁殖群が縮小され集団防衛できなくなったオロロン鳥は、卵や雛を捕食されやすくなったことなど。 
 又、オロロン鳥のみならず、ケイマフリ、ヒメウ、ウミネコなども減少し、海鳥の繁殖地と漁場が同じなので、延縄漁の仕掛けや、他の漁具で犠牲になっていることもあるという。 

 又、人為的なものもあって、プラスチック類の投棄、ゴミ類での汚染など、観光客によるマナーの悪さも挙げられるという。 
 日本では天敵の害よりも人為的によってオロロン鳥や他の海鳥の捕食食糧になる魚類を乱獲し減少させたことによって、絶滅に追いやったともいわれる。

  国の天然記念物に指定された頃は、オロロン鳥は4万羽もいたという。 
 1956年(昭和31年)以降はニシンは凶漁になり、それ以後ニシン漁業は消滅するが、同時にオロロン鳥も合わせるように激減し、1980年(昭和55年)には553羽、平成16年は観察史上初のオロロン鳥繁殖数は0羽になったという。 
 更にオロロン鳥に合わせるようにウミネコの繁殖も0羽となったという。
 人と自然とが調和のとれた共生・共栄しなければ、やがて「共生の島」どころか「天売島から海鳥が消える日」が訪れるという。


  過去、北海道では「ニシン」は、漁の乱獲によって姿を消したともいわれる。
 海鳥や他の生物が豊かなときは豊漁だったが、しかし、魚もすめない場所では海鳥も海獣も人も生活できない。 
 野生生物と共生・共栄できるように、いま人間の活動・漁法の改善を真剣に考えなければ、今日、野生生物に起きた悲劇は、明日は人々に降りかかってくることになり、そのことを「天売島」は教えているのである。
 日本海沿岸を貫く海道を、別名「日本海オロロンライン」とも言うが、今は何かその名が実に虚しい。
 その為かどうか・・?、最近ではオロロンラインとは言わず、「天売海道」と称しているようだが・・??。


  現在、天売島で観察される鳥は、オロロン鳥やウトウなどの海鳥の他に、アカゲラやオオルリ、ウグイスなどの陸鳥、アカガシラサギやヤツガシラ、ツメナガホオジロなどの渡り鳥、この他にササゴイ、コサギ、サンショウクイなど北海道には生息しない珍しい鳥も含め170種にも及んでいる。

 海鳥の数は6月から7月の繁殖時期が最も多く、5万羽ものウミネコをはじめウトウなど数十万羽が島中にあふれるという。 ただ、オロロン鳥はかつては4万から5万羽も飛び交っていたが、現在は十数羽までに激減、絶滅の危機にあり、このため手厚い保護活動が行なわれているという。


  今夜はゆったり露天風呂もある天然温泉に身を癒し、日本海の幸を舌つつみして休むことにした。


次回も、   道北旅行:part3-3(小平、増毛、雄冬岬)


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