海道・道北部旅行 Part1-3
道北旅行1-3(猿払・宗谷・稚内・利尻)
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旭川⇒士別、名寄、音威子府⇒浜頓別(クッチャロ湖)⇒猿払( 猿払公園 )⇒宗谷岬⇒稚内→〜フェリー連絡船〜→利尻・鴛泊着:泊  

フェリー連絡船   稚内発15:30〜17:10利尻    
宿泊地   利尻「ペンションみさき」   0163-82-1659



   【 第二日 】



  《 道北地方 》

  浜頓別を過ぎるとやがてポロ沼や瓢箪沼といった湿原地帯を走る。
  間もなく猿払村である。 
 遠く山岳地が望まれるが沿岸地は広大な牧草の丘陵地が広がる。 
 叉、海洋はあくまでも青く、海の幸にも恵まれているようだ。 そう云えば、北海道を代表するホタテの産地として有名だとか。
 

  「猿払村」の村名の由来は、その名もアイヌ語「サラ・プツ」(葦原の河口)からきている。 

  オホーツク海の海岸線と併走するようになるとやがて海岸沿いに猿払・道の駅「さるふつ公園」が現れた。
 村のシンボル的存在の公園で、園内には温泉、風雪の塔、インディギルカ号遭難者慰霊碑、いさりの碑、日ロ友好会館などがある。 
 又、村はホタテの漁獲高日本一で村内は豊かであり、ニシン御殿とは聞いたことあるが、こちらはホタテ御殿が多数存在するという。
 

   ところでインディギルカ号・・?、 

  昭和14年12月中、寒冷吹き荒ぶ(すさぶ)、オホーツク海に一艘の大型輸送船が咆哮していた、ソ連船インディギルカ号だった。 
 カムチャッカ半島より漁夫等千数百人を乗せてウラジオストックへ向かう途中であり、彼らは鮭・鱒等の魚場の作業を終えて一旦ウラジオへ戻る途中であった。  
 冬のオホーツク海は気候が変わり易く、尚且つこの時期、低気圧が日本海に有って勢力を増しながら東北に進みつつあった、この時の天気予報は北海道北部沿岸に暴風警報を出していた。 
 同船はそれを聞かずか、或るいわ知らないままに、当然宗谷岬より西に進路を執らねばならぬのに、この時化と急潮流でこの猿払の沖まで流されて来てしまったらしい。そしてトド岩という岩礁に乗り上げ、底を引き裂かれて横転した。 
 乗組員数人が猿払の部落へ救援を求め、村人は小船を操って救助に当たる、周辺各地域も大騒ぎとなり救助救援に大童だった。 
 しかしその頃はすでに水死体が岸に打上げられ、朝になると無数の死体がときには二重になって、浜鬼志別・知来別・浜猿払の海岸30kmにわたって打上げられていたという。
遭難者は700人を超えたという。


  昭和14年(小生の誕生年、満州国で誕生した年でもある)というと「ノモンハン事件」が勃発し、日本とソ連は険悪な対立状態にあった、そんな最中でも村人、周辺各層の人は人道的立場で命を懸けて事に当たったという。 この遭難碑と同様、美談は今でも村人の間に伝わり残っていると。


 叉、猿払は1983年(昭和58年)、「大韓航空機撃墜事件」(ソ連邦の領空を侵犯したために、ソ連空軍の戦闘機により撃墜された事件、乗員乗客合わせて269人全員が死亡した)により、村内海岸に遺体や漂流物など多数漂着したことでも知られる。

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  《 宗谷岬・稚内 》

  右に青のオホーツク海、左に緑の丘陵地帯を進むとやがて大きく左へカーブした辺りが「宗谷岬」であった。
 「北緯45度31分14秒」 駐車場コーナーの土産店の入り口のブルーの三角屋根が、日本最北端に位置する岬であることを示し、序に本日の日付や気温も明記されている。 
 岬の先端、オホーツク海に突き出た突端には北極星をモチーフにとい最北端の三角錐型の地が立ち、付近に蝦夷の探検家・林蔵の立像や宗谷岬音楽碑もあり、ここからダ・カーポの「宗谷岬」が最果ての地への旅情を更にかき立てる。

  本日は生憎の曇り空ながら、宗谷海峡の向こうにサハリン(樺太)微かに望むことができる。
 一通り見物しながら記念写真を収めて、丁度昼時でもあり、日本最北端のその名も「最北端食堂」で最北端ラーメンを食す。
 食後、岬の反対側階段状に広がる宗谷丘陵へ上がってみた・・。高台は宗谷岬公園として整備されていて、宗谷岬展望台のからは岬一帯が一望できる。この展望台は築100年も経過しているらしい。
 何でも明治37年(1904)の日露戦争の際にバルチック艦隊を監視するために造られたもので、船のブリッジを模した石造りの望楼であった。他にも宗谷海域海軍戦没者慰霊碑や昭和58年(1983)に起こった大韓航空機撃墜事件の遭難者慰霊などの碑や塔が建つ・・。


  内陸部は緑が波を打った様な広大な「宗谷丘陵」が広がる。この丘陵は北海道遺産にも指定されたもので、約2万年前の最終氷期の間に形成された特徴的なもので、氷河周辺部での凍結融解の繰り返しによって出来たものという。
 日本最北端のこの兵陵には広大な肉牛牧場が広がり、厳しくも豊かな自然に育まれた健康な黒牛が約3000頭も放牧されている。
 遠方には発電用の「風車」が林立していて、これまた一つの風物を演出している。  
 現在、風車は57基建っていて、この辺り一帯を「ウインドウ・ファーム」と名付けているらしい。
 上さんには、この風景がヨッポド珍しいらしく、車をそちらの方へ向けることにした。


 岬を後にして一路稚内を目指した。
途中、左手に稚内空港があって丁度ANA機が出立離陸しようとしていたため様子を伺って見た。



  稚内は、西側に位置するノシャップ(野寒布)岬の付け根部分に広がる御存知の最北の都市で、利尻島や礼文島は勿論、最近ではロシア・サハリン州と交流も深い。 
稚内とはアイヌ語のヤム(冷たい)ワッカ(水)ナイ(沢、川)からきており、「冷たい水の流れる沢」という意味である。

  稚内F・Tは、宗谷本線の「稚内駅」を更に北へ向かった埠頭の先端にあった。 
 乗り場の途中に特徴的な防波堤ドームが異様である。
 ここに通じる道路や鉄道へ波の飛沫がかかるのを防ぐ目的で建設された防波堤で、町のシンボルでもあり古代ローマ建築物を思わせるような太い円柱となだらかな曲線を描いた回廊は、世界でも類のない建築物として内外の注目をあびているという。
 高さ13.6m、柱の内側から壁までが8m、総延長427m、柱の総数70本、半アーチ式の構造形式で、2001年に北海道遺産に指定されている。




  全日空ホテルの前の市営の無料駐車場へ車を置いてF・Tへ向かった。
 3500トンのフェリーは利尻島へは1日4便、礼文島へは1日5便就航しているようで、頃良い時間である本日最終便15時30分にて、我らは利尻島・鴛泊へ向けて出航した。 
 2等船室はほぼ満員であり、やはり今の時期利尻、礼文の人気の高さが伺える・・。左にノシャップの岬が近づいてきて、やがて次第に遠くなると今度は目的の利尻が近づいてくる、生憎、利尻富士は雲の中でみえないが・・、ほぼ定刻の17時10分には鴛泊の岸壁に横付けされた。

  海岸に面したペシ岬の三角の峰が我々を歓迎し、そして今夜の泊まり宿である「ペンション・みさき」も港に面して確認できた。
 宿へ付いた後、日帰り施設の利尻富士温泉へ案内してもらった。

  公園の一角に温泉場があり、さっそくお湯に浸かる、やや熱めの黄緑色のお湯はやわらかい肌触りで、肌がつるつるしてくる。
 湯を飲んでみると、うすい昆布茶のような味であった。
 露天風呂もすばらしい、広めの湯船に浸かって北の空を見上げるとなんとも言えない開放感があり、湯船のふちに腰掛けると利尻富士も見えるはずであるが、山頂に続く原生林の黒々とした緑も北海道らしい雰囲気を漂わせる。

  宿の食事は、海鮮主体の食堂での夕食となったが、食卓には生ウニ、刺身(イカ、エビ、ヒラメ)、ズワイガニ、サケ、イクラ、昆布など新鮮な海の幸が勢揃いし、とても美味しかった。
 特にムラサキ、バフンの両ウニの混ぜ合わせは最高であり、昆布焼酎も昆布の味がしてなかなかでありました。 
 


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