北海道・道北部旅行 Part1-2
道北旅行1-2(士別・名寄・音威子府・浜頓別
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   【 第二日 】


旭川⇒士別・名寄・音威子府⇒浜頓別(クッチャロ湖)⇒猿払(さるふつ公園)⇒宗谷岬⇒稚内→〜フェリー連絡線〜→利尻 

連絡船: 稚内発15:30〜17:10利尻・鴛泊着 
宿泊地: 利尻「ペンションみさき」   0163-82-1659



  《 道北地方 》

  昨夜は、親類の家にすっかり厄介になって朝食もそこそこに飛び出した、稚内からの渡島便を考慮して。  幸い道北へ向かう道央道が数年前に「士別・剣淵IC」まで開通していた。


  士別と言えば、小生が東京本社へ転勤になって初めて仕事をさせられたのが、或る設計業務で、それは「日本甜菜糖株式会社・士別製糖所」の製糖工程の或る部分であった。
 然るに当時、「ビート」とか「甜菜糖」とかいう言葉をよく耳にしたもので、今では懐かしい思いである。 
 その士別の郊外は今、広大な緑の絨毯が広がっている、これが実はほうれん草によく似た“砂糖の材料になる甜菜”であったのだ。

  初めての人は、「甜菜」って何だ?と思われるだろうが、事実、甜の字は、「舌に甘い」と書く、「甜菜」は北海道特産の、砂糖の原料になる植物なのである。 
 普通、砂糖といえば、「さとうキビ」のことを思い浮かべるが、ヨーロッパあたりでは、砂糖といえば甜菜糖のことを指し、日本では約3割がこの甜菜から作られた砂糖で占められるという。 
 甜菜が砂糖・・?、それはビート(SUGAR BEET)とも呼ばれる砂糖大根のことで、外見はカブに似ていて、この根の部分に蓄えられている糖分を取り出して砂糖を作るのである。 

  北海道では、まだ雪の多い初春に種を蒔き、苗を育て、雪解けを待って畑に移植、短い夏を経て成長し、収穫の秋を迎える。 
 北国の風にそよぐ青葉は、大地を緑のじゅうたんで敷きつめ、黄金色に輝く小麦やジャガイモの清楚な花とともに、北海道の代表的な田園風景を演出する。
 甜菜から作られた砂糖は正真正銘「舌に甘い」、100%ピュアなお砂糖であると・・。  因みに、日本における甜菜糖の歴史は、明治初期にヨーロッパから(ドイツ)伝わったもので、育ての親は「ナポレオン」と言われる。

  名寄市の西の郊外を無料の有料道路・・?が走っていた。名寄市といえば、往年の名力士「名寄岩」を思い起こす。 
 大相撲の力士で最高位は大関まで昇進、当時同じ立浪部屋の双葉山、羽黒山と「立浪三羽烏」と称されたほどであった。 
 2006年春には、孫(長女の子)が松ヶ根部屋(若島津親方)へ入門、祖父に続き関取昇進を目指しているという。


  国道40号線は、天塩川と平行して北上する。 
 名寄以北は車もぐっと減りハイウェイ状態であるが、途中大きな都市もなく、空もドンよりと曇り、何となく淋しい感じを受ける国道である。
 名寄を過ぎて20キロほどで美深に着き、市街地を過ぎてしばらく行ったところに「道の駅」があった。 
 さらに北上すると大きな「天塩川温泉」の看板が目立つ、道北部では豊富温泉に次ぐ温泉場らしいが・・?、

  更に一走りで「音威子府」へ着いた。 
 読み方は“オトイネップ”という、如何にもアイヌ語らしい名称の地名で「オ・トイネ・プ」(河口・土で汚れている・もの)からきており、音威子府川が天塩川に合流する地点が泥で濁っていたことからの命名とされたという。


  国道は、宗谷本線の音威子府駅前から40号線と275号線に分かれ、我々はオホーツク海・宗谷岬へ向けて275号線を行くことになる。
 ところでこの音威子府村は蝦夷地開拓の祖と言われる「松浦武四郎」が、天塩川流域を探査していた際、川筋に住んでいたアイヌの長老出会った時の話から「北海道」という名が誕生したという、いわば北海道の元祖の地であった。
 天塩川流域に関する詳細な調査は江戸幕府の命を受けた松浦武四郎が最初で、幕末の安政四年(1857年)6月のことであった。 
 その調査記録を要約・刊行したものが「天塩日誌」であり、日誌にはそれまで知られることのなかった蝦夷地最北端の内陸部の様子を詳しく観察し、川の流れや深さ、川岸の様子、自然や生き物をアイヌ語地名とともに記されていると・・。そこには、アイヌの人々の生活の様子とともに前人未踏の天塩川の自然が描かれている。 

  武四郎はその中で、音威子府村の川筋に住んでいたアイヌの家に宿泊し、アエトモという長老から話を聞き「ホッカイドウ」という名の発想をしたという。 
 武四郎はアイヌの言葉を十分理解していたが、「カイナー」(男の意、カイチーが女の意)という言葉を不思議に思っていた。 
 アエトモは「カイ」とは「この国に生まれた者」という意味で、ナは敬語であると武四郎に話し、武四郎はこれを元に「北加伊道」と命名し、その後「加伊」を「海」にあて、古代の五畿七道に因んで「北海道」という名が誕生したという。 

 1869年、蝦夷地に新たに北海道が置かれた際、五畿七道に北海道を含め、五畿八道とも呼んだ。
 音威子府村では「北海道命名の地」を宣言しており、天塩川の川辺には碑が建立されている。

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   国道275号を行く・・、

  中頓別の道の駅「ピンネシリ」で小服する。 
山小屋風の瀟洒な駅舎で、ピンネシリとは駅舎裏に聳える山の名前で男の山と言われる「敏音知岳」と書き、ちなみに隣には「女の山」を意味するマチネシリ(松音知岳)も聳えている。

  間もなく前方が大きく開けてきてオホーツク海が近いことを窺わせる。 
 その前にクッチャロ湖の寄ることにした。


  国道よりチョッと内部に入ったところに、広大にして青々とした湖面が広がっていた。
 クッチャロ湖である。

  北西の小沼と南東の大沼の二つの湖沼からなっている。
周辺は湿原が取り囲み、大小の河川が大沼、小沼に流れ込み、海岸付近で頓別川と合流してオホーツク海に注いでいる。 下流部を通じて海水が入り込む大沼は塩分濃度が高いが、浅く狭い水路を隔てた小沼は淡水に近い。
 1989年7月6日に、ラムサール条約に日本で3番目に登録されたという。 名称の由来は、アイヌ語のkut-char・沼の水が流れ出る口という意味らしい。
「湖」と名の付く中では礼文島の久種湖に続いて日本で北から二番目に位置する。北オホーツク道立自然公園に含まれる。

  今は、人っ子一人いない寂々とした湖岸に、木製の桟橋が沖中へ延びている。
桟橋の中ほどで、屈んで(かがんで)水中を覗くと藻草が微かに揺れていて、手の平大のモズク蟹・・?が一匹這っていた。 

  水草の茎を差し出すと”両はさみ”で挟んだ・・、ソーッと引き上げるとそのまま付いてくる。
 水面を出たところで片手でヒョイと摘んで桟橋へ載せた。蟹は気が付いて慌てふためく、暫く(・・といっても、ホンの1分少々だよ・・)遊んで離してやった。

  『 北の果て 我一人来て クッチャロの     
                    しばしの休み 蟹とたわむ
る 』・・小生
 


  ところで、網走から美幌峠を越えた処に「屈斜路湖」がある。 
 韓字読みでクッシャロと呼んでいるが、アイヌ語源の意味ではこちらと同名の「クッチャロ」が元々らしい。
どちらも同じ意味のアイヌ語から名前がつけられ、クッチャロ湖の語源は、「トー・クッ・チャロ」と言われ、日本語では「沼から水の流れ出る口」、「沼ののどもと」、「沼の出口」という意味になる。


  クッチャロ湖の白鳥公園・・、白鳥は未だ来ていないが、10月半ば以降シベリヤより飛来するという。
 正式名は「コハクチョウ」、その数一万数千羽、勿論日本最大の飛来地で「ラムサール条約」にも指定されている。 
 一部はここで越冬するが大部分は本州を南下し山形・新潟・宮城方面へ飛んでいってしまう、ここは中休みの地である。 三月の暖気、ここを中継してオホーツクをこえて、元のシベリヤへ帰って行き繁殖する。


    「ラムサール条約」

  イランの首都テヘランの北、カスピ海の近くに「ラムサール」という町がある。
 1971年に水鳥と湿地に関する国際会議が開かれ、「特に水鳥の生息地として国際的に大切な湿地に関する条約」が取り決められた。 
 この条約は、この町の名前をとって「ラムサール条約」と呼ばれる。

  湿地には泥炭地、湖沼、河川、海や入り江、干潟、マングローブ湿地や人工的なダムなどがあり、すなわち水の在るところはみんな湿地であると定義している。
 「ぴかぴかの靴が泥で汚れてしまうために立ち止待ってしまう所、そこから先こそが湿地である」と、テッド・ホリス博士(イギリスの生態学者/ラムサール条約の発展に貢献)は言っている。 

  湿地には微生物をはじめ魚や貝、昆虫、鳥、獣、そのにいろいろな植物が育ち繁殖している。
 このように大切な湿地を世界の国々が守って、特に国を越えて飛んでい水鳥たちを中心にして、湿地の環境を守っていこうという国際条約である。

  1996年6月には93カ国837カ所が、2000年2月には、118カ国1016カ所、2001年2月には、123カ国1060カ所が登録湿地となっている。
 日本は1980年にラムサール条約に入り、釧路湿原が最初の登録湿地になり、次いで1985年に伊豆沼・内沼、1989年にクッチャロ湖、1991年にウトナイ湖などが登録湿地になった。

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