かぐやま楽々クラブ2012.1.22
橿原市を歩く!
@大藤原京左京五条八坊の調査場所を見る
調査地は、橿原市の南東部、香具山の北東1.1 q、戒外川左岸から御厨子観音までの東西に延び
る「へ」字状に彎曲した「高まり」上に位置します。高まりの規模は、長さ約220m・幅約20 〜 45m・
南側の水田面からの高さ約1.5 〜 2.5mを測ります。当該地は、古代に「磐余」と呼ばれた地域に含
まれ、高まりが南西から北東に延びる数条の谷筋を塞ぐ形状であることから「磐余池」の堤に推定
されています。今回の調査地より100m南方の地点で行われた桜井市教育委員会の調査(平成12 年度)では、粘土層・腐植土層が見つかり、それが池の堆積土である事が確認されました。堆積土から6世紀後半〜7世紀初頭の遺物が出土し、池の機能していた年代の一端が明らかとなりました。
詳細はhttp://www.city.kashihara.nara.jp/kankou/own_bunkazai/bunkazai/hakkutsu/documents/23higasiikesiryou.pdf
かしはら探訪ナビより
A【膳夫寺】<かしわてでら> 橿原市膳夫町
 聖徳太子の妃膳夫姫がその養母古瀬女の菩提のため、寺を建て安置し二階堂と名付けたと寛文の和州寺社記に見えます。永正十二年(1515)八月の膳夫庄差図(談山神社蔵)に「膳夫寺」の文字が見え、付近にカワラカマ、タノウダン、カワトウの地名が見えます。現在の小字瓦釜・古塔にあたると思われます。
膳夫寺の後身と伝える保寿院の前には礎石が二基出土しています。その一つは二段の円形造り出し(柱座)があり、中央に経約20cmの円孔があります。また、付近から白鳳時代の古瓦も出土しており、昭和55年に香久山小学校内で発掘調査を実施したときも多数の瓦が出土しました。
〜案内板より〜
B三柱神社ご祭神 火産巣日之神(火産霊神)奥津比古神・奥津比売神
鎮座地 奈良県橿原市膳夫<かしわて>町字古瀬田104
聖徳太子妃の膳夫姫が建てた「膳夫寺」の鎮守として祀られたのがはじめとされます
貞享3年(1684)の石灯籠が有り、創建はそれ以前祭神;火産巣日之神(火産霊神・火之迦具土神)、奥津比古神、奥津比売神(かまどの神・三宝荒神)
末社:白山神社(菊理姫命)、天照皇大神社(天照大神、豊受大神)秋祭り:「大汝参りおなんじまいり
(吉野川で汲んできた水で水垢離みずこりを取るものです)
9月15日に子ども相撲が行なわれます: 0744-22-4001(橿原市観光課)
C妙法寺(みょうほうじ)御厨子観音(みずしかんのん)は、奈良時代の賢人である吉備真備(きびのまきび)が遣唐使として派遣され、無事唐から帰国できたことを喜んで創建させたということです。本尊は十一面観音菩薩で、吉備真備が中国で窮地に立たされた時、蜘蛛によって助けられたというエピソードもあることから、クモ観音とも呼ばれています。真備の功績の1つである「大般若経(だいはんにゃきょう)」は現在奈良国立博物館に保管されています。
また寺の東側に、万葉集で大津皇子(おおつのみこ)が辞世の歌として詠んだ「百伝ふ 磐余の池に 鳴く鴨を 今日のみ見てや 雲隠りなむ」で有名な磐余(いわれ)の池があったと言われています。この磐余の池が御厨子という名前の由来とも言われています。
このほかにも橿原市東池尻町西南の御厨子山頂に、土地の氏神「御厨子神社」が鎮座しています。初め「水尻神社」と呼ばれたこの社は、この地一帯に古代あったという磐余池の池尻に位置したことから社名が生まれたと伝わっています。