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本日の記録・データ

本日・年月日 平成17年6月17日 延日数 第27日
出発地 和倉温泉 出発時間 7時55分
到着地 白馬 到着時間 15時00
天 候 小雨⇒曇り 体 調
走行道路名 R249、R160、R415、R8、R148
主移動地名 七尾⇒氷見⇒富山⇒魚津⇒黒部⇒朝日⇒糸魚川⇒白馬
現在(宿泊)地 白馬・別宅
道の駅・PASA 氷見  R8市振  R8親不知
温 泉 和倉温泉  白馬塩の道温泉「倉下の湯」
名所・旧跡
氷見  富山(富山城・・)  富山湾  黒部
 市振の関所跡  親不知  白馬オリンピック記念

写真集 W

走行関係(km) 燃料関係(L) 金銭関係(現金円) 金銭関係(カード円)
本日表示 7132 今回入油 34.85 本日支出 12150 本日支出 4147
昨日表示 6915 前回累計 554.56 前日累計 98257 前日累計 141521
走行距離 217 今回累計 589.41 本日累計 110407 本日累計 145668
総距離 7132  

 27日目:Part1(七尾)  Part2(氷見)へ    写真集W  旅程・データ  日本周遊ブログ
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日本周遊紀行(221)七尾 「和倉温泉」


フローイント和倉


小生
写真:最後の宿「フローイント和倉」と小生の素顔です



能登島大橋を渡った先の、和倉温泉東の交差点を右に行った先に、地方公務員の保養所になっている「フローイント和倉」があった。 
一見、五階建ての地味な建物であるが、玄関を入ると真赤な絨毯が敷かれた広ーい豪華なロビーは一流ホテルを思わせる。 
案内された最上階の和室はゆったりとした新装の施しがしてあり、窓の向こうには能登南湾から能登島が一望できる展望絶佳な部屋だった。
 

早速、湯に浸かる・・、


温泉浴場は一階に設置してあり、大窓で風流な中庭の和庭を見ながらの大浴場は満足である。 露天風呂がないのが残念であるが、折角だから、中庭の一角にでも掘っておけば、一段と風流さを味わえるのにと思ったが・・?。 

湯質は海辺の温泉のせいか塩分が多く含まれて、やや塩味がするが、効能豊かそうなサッパリした湯である。 
風呂上りで寛いでいるとやがて食事の時間になり、部屋に御膳が運ばれてきた。 
ビールは部屋の冷蔵庫から取り出し、精魂の入った地元の食材、海の幸とともに戴き、更に地の酒を流し込む。 

至福の時である・・!、 

それにしても、こちらの会席風の料理は超一級品であり、実感を込めて礼を言っておいた。 
旨い酒に、美味い肴で今夜も気持ちよく酔えた。
気がつけば、長道中の内の今日は最後の夜になるだろう。 
公営の宿舎とはいいながら、一流ホテル以上の隅々までの気使いや「おもてなし」を実感して大満足である。
思えば、昨夜の「芦原温泉」の某・一流旅館・・??、の無愛想で、無味乾燥の待遇とは天地雲泥の差であった。

今日の旅路の纏めも、そこそこに、もう一ッ風呂浴びて心地よい夢路を辿った。


目覚めて、更に、朝湯に浸かる。 
部分覚醒が朝の湯浴みによって全身覚醒に至るのである。 
あらためて屋上ラウンジより外を眺めると、海辺に沿って高層のホテル群が林立していて、その奥のほうに一段と巨大なのが、和倉温泉でも特に有名な「加賀屋」だという。 

加賀屋は旅行雑誌やTVの旅番組、その他に取り上げられる名旅館であり、全国的にも評判の旅館で、その豪華さ、満足度の点で日本を代表できる旅館である。 
プロが選ぶ日本のホテル旅館100選」では、26年連続で加賀屋が一位となっているという。 
日本一の「加賀屋」の施設、建物は七尾湾に突き出るようにして建っている。 温泉が海から湧き出るように。


「湯の湧き出づる浦」・・「湯涌浦(ゆわくうら)」・・「涌浦村」・・「和倉村・・和倉温泉・・、


実は和倉の温泉は、時代を遡ること凡そ1200年も前に、沖合60メートルの海中から湧き出したという・・!。 「湯の湧き出づる浦」、湯涌浦(ゆわくうら)が発見されたが、実際に大衆、民衆が温泉として利用したのは江戸期に近い後の世のことであった。 

江戸期には加賀藩の統制を受けつつ、湯が涌く「涌浦村」は加賀前田家の命により今日の「和倉村」と名を改めたとされる。 
明治初期の廃藩置県の際、村人により和倉村の“湯権”は官地ではなく村の共有地として認められ、ともなって「湯の島」であったのが埋め立てられて陸続きとなった。 

湯が発見され、湯島ができ、船着場や橋ができ、そして埋め立てて陸続きになったのは、或いは、今の「加賀屋」辺りではないだろうか・・?。 
加賀屋は今の和倉温泉の草分けといわれ、創業は明治中期の頃という。
 

和倉温泉は明治初期、ドイツで開催された万国鉱泉博覧会で三等賞を受賞したと記録にあるという。 戦後になって交通アクセスの向上に伴い、温泉街も大規模化し、高度経済成長期になって能登方面にも観光ブームが沸き起こり、その後北陸本線の特急が直行運転され、急速に宿泊客が増加した。 

一時は同じ石川県内の加賀温泉郷や福井の芦原温泉と同じく歓楽要素を持っていたが、今日その傾向は薄く、加賀屋旅館の影響もあって各旅館とも高級指向を全面に打ち出し、今では山代温泉を抜いて、県内温泉地では宿泊客トップを誇るという。

大きな旅館が林立する和倉温泉の街中に、唯一の共同浴場「総湯」がある。 
「竜宮城」という豪華な浴場もあり、その他、お楽しみのセンター形式の浴槽もある。 温泉はナトリウム・カルシウム塩化物泉(高張性中性高温泉)で神経痛、筋肉痛、関節痛、特に慢性皮膚病、虚弱体質、慢性婦人病等々に効くという。 飲用も可能だというがチョッとしょっぱいのがのが難・・。


浪速の地で和倉温泉に浸かった・・?、

序ながら・・、江戸期、大阪に居ながら和倉温泉の湯に入ることが出来たという・・?。 

この頃の温泉は、現在のように湯につかって、飲んで食べて一泊する楽しみではなく、農作業などで疲れた体を癒す所謂、湯治が主流であり、多くの病に効くことが自慢となっていた。 

涌浦(和倉)の温泉は、海中の小さな島である湯島から出ていて、湯治用の建物建設は不可であり、そこで、七尾の商人やお偉いさんは和倉の湯を船で運び、七尾の旅館の風呂に入れて湯治がわりにしたという。 
この風習が各地に広がり、金沢や富山や大坂までも、湯が樽に詰められて船で運ばれるようになったとされる。 

商人(あきんど)の町、大坂の「和倉の湯」は大変人気があり、温泉好きな人々を居ながらにして楽しませたといわれる。 関西方面の利用客が多いのは、この「樽湯」の伝承が大阪地域には行き渡っているからだろうとも云われる。
在、和倉温泉駅まで電化されていることもあって、関西の大阪・京都方面、名古屋、新潟(越後湯沢)方面からの直通特急が其々和倉温泉まで運転されている。 
能登の観光と併せて、半島唯一の名温泉・和倉温泉は今でも幅広く利用され、人気がある。

次回は、七尾城

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日本周遊紀行(221)七尾 「七尾城」

七尾城祉
写真:七尾城址(本丸への上り口)


能登半島は鮫顔・・?、

能登半島は、無理していうなら鮫の顔に似ている。 
鮫が口を開いて能登島をガブリと銜(くわえる)え込んでいて、その口元から下顎に当たるのが「七尾市」であり、喉仏に相当するのが「和倉温泉」の地域であろう。 
その七尾市へ向った。

七尾市は能登半島の中程に位置し、平成16年(2004年)10月、旧七尾市、田鶴浜町、中島町、能登島町の1市3町が合併し、新生七尾市として新しい一歩を踏み出した。 
この地域は、天然の良港として栄えてきた七尾港を海の玄関口とし、古代より能登の政治・経済・文化の中心地として発展を続けてきた。


鮫の頭部に似た、能登国は小国である・・!、 

律令制によって養老年間、越前国から分立、更に、越中の国との併合と分離の変遷を繰り返している。 
その、越中国に併合されていた時期に越中国守であった「大伴家持」が巡視に訪れた事は先に記したが、この奈良期、能登国守として実際に政務を執ったのが「源順」(みなもとのしたごう)であった。
源順は嵯峨天皇の直系で平安初期の学者、歌人と若い頃から博学で有名で、20代で辞典『和名類聚抄』を編纂している。 三十六歌仙の一人にも数えられ、大変な才人として知られており、源順の和歌を集めた私家集『源順集』もある。 

尤も、源順が能登守に赴任するのは七十歳の老翁であったという。 
従って、国政としての真新しい実績はあまり無く、博学歌人としても能登においては名歌は残していないという。 
能登の人は、源順については余り記憶の中に無いという。 又、実際に政務を執ったとされる国庁の跡は未だ発掘されず、源順が編纂した和名抄には「能登国国府在能登郡」とあるので、現在の七尾市古府の総社の近くか、七尾市府中町の辺りとも云われてる。   


次に、西方、高さ300mの山中に「七尾城址」がある・・、
 

室町中期、能登畠山氏(12世紀、源頼朝の重臣・畠山重忠の分家筋)の初代当主・畠山満慶(はたけやま みつのり)が城山に城を築いたのが始まりといわれる。 

城は、尾根を平に削って曲輪(重臣達の居城)を連ねる典型的な山城の縄張りで、長屋敷・本の丸・二の丸・三の丸など尾根筋に並び、その堅固さは日本の五大山城(謙信の越後・春日山城もその1つ)とも言われた。  

しかし戦国期、さすがの堅城も上杉謙信の侵攻により開城させらる。
上杉謙信は七尾城を攻め滅ぼした後、本丸から眺める七尾湾のあまりの素晴らしさに「九月十三夜」という詩を読んだといわれる。

  「九月十三夜」  陣中作 上杉謙信(1530-1578)

霜軍営満秋気清


数行過雁月三更


越山併得能州景


遮莫家郷遠征憶

見渡す限り真っ白な霜が、我が陣営いっぱいに満ちて、
秋の気配がすがすがしい。

幾列もの雁の群れが空を飛んで行き、
真夜中の月が白々と照り映えている。

越後、越中の山々に、手中にした能州を併せたこの光景は
まことに素晴らしい。

故郷では遠征のことを案じていることだろうが、
ままよ、今夜はこの美しい十三夜の月を静かに賞でよう。


その後、謙信から前田利家と城主を変えたが、戦国の世も終わりを遂げつつあるとみた利家は、山城を不便として七尾城を廃城にし、行政府は平地に造った「小丸山城」に移したという。

七尾城の本丸などに見られる石垣は、造成技術が未熟な頃の戦国初期(室町期)に造られたものして貴重なものとされ、又、七尾城は山全体が城とも言える複合城で、その範囲はかなり広く、長期の篭城にも耐えうる性格を持っていたという。

七尾城跡は現在、七尾市によって保存整備計画が進められていて、現在の城跡範囲の追加、拡大と城下町の遺構の範囲までの史跡指定を進めている。 
また、七尾城下町の町並、通路の復元なども視野にいれているという。 
ただ現時点では未だ計画段階に過ぎず、本格的な保存・調査・整備はまだ先であるという。

次回は、富山県・氷見       Part2(氷見)へ
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