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日本周遊紀行(211) 金沢 「金沢城」

金沢城
写真:金沢城と兼六園を結ぶ石川橋



兼六園に隣接して「金沢城公園」がある。
主要道を跨いだ貫禄のある立派な橋・石川橋が両所を結んでいる。 その向こうには石川門があり、左右に二つの楼閣が見えている。 
この貫禄ある橋脚の下には広大な「百間堀」というのがあり、城を取り巻いていた。 百間堀は、一向一揆の尾山御坊(後の金沢城)を攻め落とした佐久間盛政が、その跡に今の金沢城を築城する際に掘らせたものだという。 工事に駆り集められたのは、皮肉にも元の主たちである、あの一向宗の門徒達であったという。
 
この辺りは金沢市の中心部に位置する所でもあり、百間堀は、明治末期に埋め立てられて道路になり、市電が走るメーンストリートになった。 
道路となった百間堀通り(百万石通り)では、加賀の藩祖・前田利家が金沢城入城を記念して行われる「加賀百万石祭り」の主要会場であり、行列や木遣りの催事が行われる。そして、隣接する兼六園は、祭りの間は無料開放されるという。

1546年、前身となる空堀や柵などを備えた城作りの寺院・尾山御坊(金沢御堂)が建設され、加賀一向一揆で加賀国の支配権を得、本願寺の拠点となったことは先に記した。
1580年 佐久間盛政が尾山御坊を攻め落とし、そのまま尾山城と改称して用いたが、後の賤ヶ岳の戦いの際、主君・柴田勝家が敗れたのと同時に没落し、羽柴秀吉(豊臣秀吉)から加増を受けた前田利家が天正11年に入城し、改築城している。
加賀の前田氏は「加賀百万石」といわれ、江戸時代の大名の中で最大の石高を持つ大大名である。2番目の薩摩の島津氏が77万、3番目の仙台の伊達氏が62万というから、120万石をもつ前田氏は如何にダントツであったかが判る。


慶長4年、利家が没し家督を受けた利長は、豊臣家・五大老の一人であり、更に、この時の利長は豊臣秀頼の傅役(もりやく)でもあった。 
利長同様、五大老の一人であるが、内心、天下を狙う徳川家康が最も警戒したのが豊臣家と併せて利長(前田家)であり、家康にとっては厄介な存在であった。  

家康はこの厄介者を潰そうと難題をかけてくるが、それに対して利長は弱そうな振りをして何気なくも、鮮やかに難題をかわしている。 
謀反の疑いをかけられても、母親(まつ)を江戸に証人・人質として出し忠誠を示している。 
一方で、利長の弟・利常と珠姫(徳川秀忠の娘、家康の孫。)の婚姻関係を約し、自ら隠居して利常に家督を譲った時には、豊臣色の濃かったはずの前田氏は徳川色に染まり、三代家光が将軍になる頃には前田氏と徳川氏は外様にしては異例の良好な関係になっていた。 

戦国時代にして「」という強硬手段を用いず、徐々に豊臣氏を離れ徳川氏に接近、その地味にして先見の目と緻密な利長の行動の結果が、前田家が幕末まで存続させることにつながってゆく。 
徳川・藩政時代は、各藩では家督問題等で内紛が発生した場合は即刻、縮小されるか廃藩に追い込まれる中で、加賀百万石が近世にまで温存したのは、前田氏の藩祖、及び利長の緻密な思惑を踏襲したに他ならない。


徳川家の珠姫が輿入れした時には、徳川家からは数百人の家来が付き添ってきたという。
その多くが、今の石川門正面の兼六園入り口付近に住み付き、その名も「江戸町」と呼ばれる屋敷街を形成していた。 
珠姫が24歳で亡くなった後、付人、家来たちの多くは江戸に帰り町屋は消滅したが、近年の発掘でその住居跡も確認されている。 

百間堀の中には、白鳥堀や蓮池堀といった、「江戸風」の趣を取り入れた御堀端があったとされ、徳川家康の孫・二代将軍秀忠の娘「珠姫」の威光は加賀の地で大きく執り成し、前田家の徳川への義理・忠臣が伺える。 

江戸生まれの姫さまをお慰めする理由で加賀の地に「江戸の風」を吹かせ、「二つの堀が江戸城と同じ配置で並んでいて、金沢に成立した江戸町の風情」を保ったという諸事は、加賀百万石にとって少なからず好影響を与えていたことは確かである。

次回は、金沢の茶屋街

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日本周遊紀行(211) 金沢 「茶屋街」


東茶屋街
写真;東茶屋街の豪奢な一角


兼六園、金沢城址の北方、浅野川の辺に「ひがし茶屋街」があった・・、 

石畳の路地に、古い佇まいの町屋が並ぶ。 何とも雰囲気のある通りである。 
今はまだ、お天とう様が真上にある時間帯なので、そこはシーンと静まり返っているが、夕闇とともに格子のある家々から行灯の灯が灯り、立ち並ぶ間からは三味や太鼓、笛などの音が聞こえてくるのだろう。 

金沢市は京都同様、戦時に空襲の被害を受けていない希少な都市であり、随所に城下町時代の古い姿を残し、訪れる人が絶えないという。 
金沢城を中心に渦巻状に城下町が形成され、南北に北国街道が通過し、その市中に浅野川と犀川が流れている。 
その東岸の東山地区には数箇所に分かれて残存する茶屋街が在り、その中でも最大規模と言われるのが「東茶屋街」であり、近年、国の「重要伝統的建造物群保存地区」にも指定されている。

文政3(1820)年に金沢城の東の廓として設置されて以来、この界隈には町人、文化人たちの集う場となり、遊興の場であった。 
石畳通りの一本道は混じり気のない全くの茶屋建築で統一されていて、当時、町人たちは二階建築が禁止されていた中で、特別に許可されていたため総二階で統一された美観と迫力がある。 
比すれば京都・祇園や飛騨・高山の古い町並み(三之町)を想起させる風情でもある。 特に裏路地に入るとかつての茶屋街は江戸期のそのままの風情を味わえるという。
御茶屋として現在は8軒が実際に営業しているらしい。 

京の祇園や先斗町(ぽんとちょう)の如く、やはり 、一見さん(いちげんさん)はお断りだとされ、これは京都の町屋の商法・・?と合い通じるのである。 
一見さんとは、お馴染みさん・ご贔屓(ひいき)さんと言われる顧客を大事にし、大切な時間を割いて来てもらったお客に楽しい一時を過ごしてもらうよう最大限の努力をする。 
そして、細くても永い付き合いをする為の茶屋独特の接客法で、無論、支払いの仕方も特別にあるいう。

現在、金沢市内の三箇所の茶屋街には芸妓は50名、その内、この東茶屋街では20名いるそうで、年齢は20代初めから70代後半の年増さんも居るようである。  
芸妓は、芸を売るので只年齢が若ければいいと言うものでもなく、やはり芸がしっかりしていることが大切で、芸妓の仕事はお酌をし踊り、三味線、笛、太鼓などを鳴らし、飽くまで客を楽しませるのである。

席料は「一席二本」といい、一本は45分、これは線香の燃え尽きる時間だそうで、普通一席は13万から15万が相場といい、人数に関係なく時間の値段であり、大勢で割り勘をすれば結構お安い・・?とも言える。

京では、店によっては店に入る時「お帰りやす」と迎えてくれて、店を出る時「いっといやす」て云って見送ってくれるという。 まるで我が家の様な持成し(もてなし)であるが、此方(こちら)の金沢の方は如何であろうか・・?。


すぐ近くに金沢が生んだ文豪・泉鏡花の生家跡があり、平成11年に記念館として開館し、遺品の数々を展示しているという。 
全く人気のない寂とした東茶屋町風情を、数枚の写真に捉えて後にした。

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