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日本周遊紀行(217) 曽々木 「時国家(ときくにけ)」


窓岩


上時国家
写真:曽々木の窓岩と名代の旧家:上時国家



高所から次第に坂道を下る途中、正面に絶壁のような峰がそそり立つ。
これが日本海に落ち込んでいる岩倉山(357m)である。 手前には僅かに一筋の川(町野川)が流れ、この川が造ったものであろう、僅かな砂洲の平地に「曽々木」の小さな部落があった。
その部落の砂浜の向こうに奇体な大岩が迫り出している。 「窓岩」といい中ほどにポッカリと窓のように空洞を開けていて、源義経が矢を射ってあけた穴とも言われているが・・?。
 
この地は、既に、輪島の市街地から約20kmほどのところ、一昔前なら人跡未踏の僻地のようであるが、ここに、茅葺きの二つの・上時国家と下時国家という名代の旧家が建っているという。(輪島市町野町・字南時国) この両家の意味というか、読みは「上(かみ)の時国(ときくに)の家」といい、一方は下(しも)の・・・家である。

平地を見下ろす高台に建っているのが上時国家で、少し町野川下流側にある見るからに歴史を感じさせる古い佇まいの家が下時国家である。 
両家とも、北陸地方でも最大級の規模と歴史を有し、特徴ある建築様式は江戸末期の民家風建築である。


これらの二つの旧家は、源平・壇ノ浦の戦いで敗れた平家一門のうち、「平家にあらずんば人にあらず」と奢った言葉を述べた事で知られる武将・平大納言時忠(ときただ)の末裔とも言われる。 
両時国家の二つの家は、約800年の歴史を受け継ぎ、上時国家は24代、下時国家は23代を数えるといい、これはまた凄いことである・・!!。


因みに、ロッキード裁判の時、田中元首相を裁いた裁判官に「時国」という裁判長がいたが、彼はこの時国家の出身といわれる。 
時の権力者・田中元首相を裁いたことで左遷されたともいわれるが、名門の出の矜持(きょうじ:自分の能力を信じていだく誇り)が、そのような圧力にも屈せず、田中元総理を有罪に持ち込んだのかも知れない。

因みに、ロッキード事件とは、1976年2月に明るみに出た戦後の日本を代表する大規模な汚職事件である。 
全日空の新型旅客機導入選定に絡み、前内閣総理大臣で自由民主党党首の「今太閤」、「コンピューター付ブルドーザー」と称された田中角栄が引き起こした贈収賄事件で、同年7月27日に受託収賄と外国為替・外国貿易管理法違反の疑いで逮捕されるという前代未聞の事件となった。 
総理の犯罪」の異名を持ち、田中前総理の他にも運輸関係大臣が逮捕され、戦後の疑獄事件を代表する大事件となった。
  

平安末期、平時忠は平時信の子として京都に生まれ、姉の時子は平清盛の妻となっている。 
又、妹の滋子は後白河天皇の后(きさき)となり、建春門院と称し後の高倉天皇を生むことになる。 
高倉天皇は、時子と平清盛の間にできた徳子を皇后とし、安徳天皇を産むことになる。 
徳子は国母(天皇の母)となり、後に建礼門院と称した。 

このように平時忠は平清盛の小舅として、権勢並ぶ者なきの地位にあった。 
そして官位も中宮大夫、検非違使別当、左大弁などを歴任し、権大納言正二位まで昇進している。

時忠は平清盛亡き後、平清盛の妻の弟だったことから平家一族の纏め役として実質上の頭領であった。 
しかし、壇ノ浦の戦いで平家一族が敗れて海の藻屑と消え去った際、時忠は生きて捕らえられた。 
時忠は、三種神器の神鏡(八咫鏡:やたのかがみ)を義経に奉じ、また、娘・蕨姫(わらびひめ・義経の側室)を義経に献じて身の安全を図り、助命されたといわれる。

しかし、義経が時忠の娘婿となったという情報は直ちに鎌倉に届く。 
元より源頼朝は義経について行状不善として、既に追われる身になっていたのであり、この知らせによって一層、義経に対する不信感をつのらせた。 

平時忠が流罪になったのは文治元年(1185)で、配流地は奥能登の現在の珠洲市大谷の地(これより10kmほど先の地)である。 
その約40日後に頼朝は義経追討の院宣を得て、五畿七道(全国)へ義経の追討令を出していた。

時忠は、波乱に富んだ生涯をこの配流地・大谷の地で閉じたとさ、時忠の墓は現在、国道249号が恋路ガ浜へ抜ける大谷峠の手前にあるという。  
時忠没前の文治3年頃、追われる身の義経は妻(蕨姫)の縁を頼って、この大谷の地に妻を含む一行と訪れたことになっている。 義経と妻・蕨姫は時忠に会い、最後の親子の対面をしたのかもしれない。 
義経の北陸や能登における伝説は無数にあり、先の「窓岩」の一見も満更では・・と思いたくもなる。
 

時忠の後を継いだ子の時国は、平家の子孫ということであるが、頼朝自身は義経追捕と奥州藤原氏の対立に躍起になっていて、能登の時忠の子孫などには眼中に無かったようである。 
時国はその後、町野の地に移り、館を構えたといわれている。 

時国家は町野川下流域に勢力を伸長し、代々の当主の努力によって当地の土豪となり、近隣の村々を統治したいう。 
又、鎌倉幕府の世にあって、平の姓を名乗り続けることに支障を感じたので、その後、実名の「時国」をとするようになったとする。

上と下に分立する以前の時国家は、今の時国家より少し上がった町野川の河原にあり、その頃の時国家は母屋の間口が約50mもあったそうで、建築時期は室町時代の文明15年(1483)頃に立てられたとの伝承もある。 
その他に土蔵や酒蔵、厩舎、稲蔵などもあり、さらに曽々木海岸の浜には塩蔵もあったことが古書文献や絵図によって判っているという。

次回、能登先端・「禄剛崎」

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日本周遊紀行(218)珠洲 「狼煙の禄剛崎」

日本列島中心
日本列島中心表示碑


禄剛崎2
禄剛崎方位表示


能登半島の最先端「禄剛崎」へ・・、

この先、曽々木トンネルの道路サイドには「垂水の滝」というのがあり、落差35メートルの滝水は荒磯へ直に流れ落ち、押し寄せる潮風によって飛散している。 
厳寒の候には、季節風により白い波頭が岩に砕け、渚一面にふんわりとした綿花状となって、風に吹きちぎられる、土地の人は「波の花」と呼んでいるらしい。
 

この辺りから町域は珠洲市(すずし)となる。 

国道249は更に荒々しい海岸を進み、前記の平時忠の配流地・大谷の地で内陸の大谷峠を越えて恋路海岸の飯田へ向かっている。 
小生は、このまま県道28号の海岸沿いを進み、能登の最先端「禄剛崎」へ向かう。  


日本周遊の中で、全てが海岸に面している国土において岬は付き物である。 
しかも、自然景観に優れている岬巡りは楽しみの一つであり、そして概ね、この岬には概ね灯台が配置されていて、こちらも必見なのである。 
こちら能登半島の突端に立つ禄剛埼や灯台は、避けては通れないチェックポイントである。


木の浦のS字カーブを過ぎ、折戸の海岸を過ぎると能登の最先端の港・狼煙漁港へ着いたようである。 このまま進むと港海へドボン・・!、と落ちそうなくらい道は海岸埠頭へ接近していた。 
防波堤に囲まれた港は波音なく静まりかえり、十数艘の漁船が岸壁に着突き当たっていた。 
人の気配は全くなく、能登先端の静かな漁港である。 

地域名で狼煙(のろし)というのはすごく珍しい地名のようであるが、何か曰くは有りそうだ・・?。 
日本地図をみると、本州の太平洋側に比べると日本海側は比較的凸凹が少ない。 
そのなかで突出して目立っているのはが能登半島である。 

その大きな出っ張りは、航海者にとっては紛らわしかったであろう。 
何故かと言えば昔の航海は、陸地からは余り離れず、陸の地形を頼りにしてのである。 半島の大きな出っ張りは、目印にはなったが、又、一方面倒な存在でもあった。 
特に、夜間や天候不順の日は目印が必須であった。 この高台の岬には以前は大きな狼煙台があったに相違なく、 それがこの地域の名称になって残っているのは納得である。

現在の珠洲(すず)という地名は、「すすみ」(古訓で狼煙・のろしのこと)に由来するとも言われ、それに因んで狼煙町、狼煙港、狼煙海岸などの地名が今に残っている。 
この狼煙は1883年(明治16年)に白亜の石造灯台・禄剛埼灯台が建設されるまで活躍していたという。実際に、地元氏神の三崎権現(現在の須須神社:これより2km先の寺家地区)には、大昔から狼煙を行っていたという伝承も残っているという。


港の後背部は岬の高台になっていて禄剛崎といい、禄剛崎灯台がある。 
港の海岸を一当たり見渡して、近くの商店に伺いをたてると、「歩いたッで、すぐそこでぇ・・」と返事が返ってきた。 
車を港の岸壁に置かせてもらって、カメラ一っ丁で出向いた。 
5〜6分あるいたところで、東屋のある原っぱへ出た。 やはり展望は抜群であり、前方左右で外浦、内浦を分ける岬の先端に居ることを実感する。 その又先端に貫禄十分の灯台があった。 
囲いで囲ってはいるが、門構えがあって「能登半島国定公園・禄剛崎」とあり、「禄剛崎灯台」と両門に掲げてある。 灯台の他に送信等と思われる鉄塔が建ち、そこに・・、


『ここは能登半島の最北端で、ちょうど外浦と内浦との接点にあたるところです。 「海から昇る朝日」と「海へ沈む夕日」が同地点で眺められろ貴重な場所であります。又、晴れた日は、立山連峰から佐渡島が遠望できます。この灯台は・・』


と記されてあった。
 

又、下の駐車場の案内板には「最果ての地・狼煙町」と書いてあったけど、灯台の近くにあった碑には「日本列島ここが中心」と書かれている。 
版図には禄剛埼を中心に円が描いてあり、その中にすっぽり日本列島が収まっているのである。 
実際に地図上で能登・禄剛埼を中心に円を描くと、ほぼ北海道の中央部から九州の中央部が円の線上に位置している。

小生は、日本一周で北海道の稚内(宗谷岬)から、九州南端の佐多岬を巡りつつ現在、禄剛埼に立っているが、この位置が日本の中心というのは一種、感慨深いものがある。

又、この一角に“面白い標識”がある。

   東京・302km、
   上海・1598km、
   釜山・783km、
   ウラジオストク・772km
 

とある。

輪島の項でも述べたが、やはり能登からウラジオ・・へは近かったのである。 
周辺は一部石畳など敷かれ芝生が植えられた広場になっていて、ゆっくりと寛ぐことがでる。 
灯台近くの崖の斜面に生えている木が斜めになっているのは、季節風による厳しい吹き付けによるのだろう、今は穏やかな雰囲気が味わえる岬である。 

次回は、禄剛崎燈台       Part12(珠洲)へ

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