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日本周遊紀行(199)宮津 「籠神社」


籠神社


籠本殿
写真:籠神社・神門と拝殿後方の「本殿」


「丹後国」は、古代・ヤマト王権期の独立王国だった・・、

与謝野町の町並みを過ごして、天の橋立の北側の付け根に達した。
この辺り一帯は、「丹後の国」として古代から栄えた地域で、近辺には奈良期における国分寺跡や府中といった地名も残っている。
国分寺は741年に聖武天皇の勅願によって、全国の府中(政庁・政府機関の所在地)に建立されたことは度々述べたが、丹後の国の国府(国衙、役所)もこの辺りに在ったとされている。

国道正面に「籠神社(このじんじゃ)」という壮大な社が鎮まっている。 
成相山を背に、正面は天橋立を望む景勝地に鎮座していて、丹後の国の総鎮社といわれ旧国幣中社で、丹後の国の一宮でもある。 
又、籠神社と国分寺の間からは、墨書土器や木簡、硯などの遺物が出土しており、国府の存在を裏付けているともいう。 
しかし、肝心の国庁建物の遺構が未発見であり、国庁域の確定には至っていないともいう。


丹後国」は古代、ヤマト王権(卑弥呼に関連する弥生から古墳時代の王朝で、飛鳥、奈良期の「大和朝廷」とは区分しているようである)から独立した王国だったという説を唱える向きも多い。 

一の宮・籠神社の宮司を世襲する海部(あまべ)氏に伝わる系図が古代の丹後王国の存在を物語っていて、海部氏系図は国宝に指定されている貴重な古文書でもあるという。
この古文書は瓊々杵尊(ニニギ)が九州・高千穂峰に降臨するより早く、近畿地方(大和説と丹波説がある)に降臨したという彦火明命(ヒコホアカリノミコト)を祖とする海部氏第32代の系図で、丹後国庁の公認印が押してあるほどの公式文書であるといわれる。


彦火明命は古事記には瓊々杵尊の兄神として登場する。 
とすると、この命(ミコト)も天照大神の孫ということになり、しかも、この丹後の地に降臨して国を作ったと言うからには、大和王権(祖はニニギ)と同格の王国であったというわけである。 
彦火明命は、また、別名を饒速日命(ニギハヤヒ)といい、物部氏や尾張氏の祖と言われている。 

このために物部系の王国が、先に丹波や大和に勢力を築き、それを高天原・神武天皇系の所謂、ヤマト王権が侵略したか、連合したかして大和朝廷が 成立したという説かなり有力になってきている。 
このことは「出雲風土記」による出雲の国の「国譲り伝説」に類似しているとも言える。


籠神社(このじんじゃ)の名称は、神代に彦火明命が籠船に乗って龍宮に行かれた故事に因む名称であり、「籠」を古昔において「コ」と発音した事から「コノジンジャ」と称するようになったという。   
この籠神社は「元伊勢」の一つであり、元伊勢籠神社とも称するという・・?、 


すっきりした佇まいに重厚な造りのお宮で、規模こそ及ばないが伊勢神宮を思わせる清浄な雰囲気の神社である。 主祭神は彦火明命、相殿(奥宮・真名井神社:元伊勢と言われる祖神)に天照大神(伊勢内宮)、豊受大神(伊勢外宮)を祀っている。
旧与謝郡で丹後・国分寺にも近く、与謝の海に住む人々にとっては古来より守り神として信仰が厚く、累代の宮司家海部氏もその名のごとく、海民の祖と仰がれる家筋である。 
その創建については、籠神社は奥宮が示すとおり「元伊勢」と呼ばれている。 
注目するのは、第10代崇神天皇の御代に天照大神を大和国から、一旦、ここ丹後国・与謝郡の地に4年間程遷し留まられたといい、更にその後、伊勢に遷宮したといわれている。つまり、伊勢神宮の遷宮の前に祭られたため、「元伊勢」といわれる由縁なのである。

籠神社の社殿は唯一神明造と呼ばれる独特の建築様式で、これは他に伊勢神宮以外には見られない様式で、30年毎に御造替(遷宮)が行われていたという。 
そして、その歴史はあまりにも古く、神代まで遡るという。 

重要なものとして、「海部氏系図」という秘法が残され、現存する最古の系図として国宝に指定されている程で、この系図によると当初の周辺人たちは、漢民族(渡来人)であったとも記されているらしい。 更に、宮司・海部家に伝えられる息津鏡(おくつかがみ)、邊津鏡(へつかがみ)は2千年以上も前のもので、伝世鏡(考古学上として、古くから伝わった鏡)としては最古のものとして社殿に祭られ、こらは天照大神が彦火明命に授けたものと伝えられている。 

皇室に伝わる「三種に神器」の神器鏡(八咫鏡・やたのかがみ)の原型ではないかとも言われている。
社家の海部氏は彦火明命を祖とし、当社の創建以来、代々奉斎(神仏を慎んでお祭りすること)をしてきた民とされ、驚くべきことに現在は82代目であるという。 
4代目に当たるとされる倭宿禰命(ヤマトノスクネノミコト:天照大神から数えると第5世ということになる・・?)は、神武東征の際に亀に乗って神武天皇の前に現れ、大和国へ先導したとされる。 

海部氏は海民の祖だけに、竜宮物語の主人公・浦島太郎のモデルともいわれる。

次回は、「天の橋立」

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日本周遊紀行(199)宮津 「天の橋立・北」



天橋立

天橋立北
写真(資料);傘松公園より天の橋立(股覗きの名所)
写真:天橋立の北側風景(堤は砂流出防止のための砂防堤)



『神の代に、神の通ひし 道なれや 
                  雲居に続く 天の橋立』


古歌にある「天橋立」は、南側の宮津線天橋立駅の近くで眺めるのが一般的であるが、籠神社の参道横、ケーブルカーで傘松公園に行き、ここの展望台から天橋立の景観展望も絶景であるという。 
しかも、屈んで股の間から覗くと、「天に浮かぶ虹の架け橋」のごとく天空に天の橋立が浮かんでいるようだという。

多くの観光客は丹後の一の宮である籠神社を通り過ぎて、展望公園での「天の橋立の股のぞき」を楽しみ、バスで西国28番札所の成相寺に参詣するのが普通であるという。 
由緒ある丹後国一宮にも是非寄って貰いたいと地元の人は望んでいるという。 

天橋立は、伊邪那岐命(イザナギノミコト)が、天と地とを通うのに立てかけたハシゴが、眠っている間に倒れてしまって出来たものと「丹後国風土記」には記されている。
天橋立は又、海橋立、海浮橋という古名もあり、海神の宮による竜宮ロマン伝説もあるという。

我々の遠い祖先人は、天上の神と地上の人間界とを結ぶハシゴによる天浮橋が倒れて出来たものと素朴に感得してたらしく、天橋立は遠い神代から籠神社の神域の内にあり、又、近代に至っても境内であり参道であった。 
幕末・文政の頃、元伊勢(籠宮の事)を目指した善男善女の「お蔭参り」の列が、天橋立を埋めつくしたと云う記録も残っているという。 


何人かの歌に、

『何時よりか 天浮橋 中絶えて 神と人とは 遠ざかりけむ』
  ともある。


今の宮津市は和名抄に載っている昔の宮津郷であって、宮津と云う地名は宮(籠の宮の津・港)の意であって、それから宮津の地名が起きたと伝えられる。 
又、籠宮の古称は、かっては「与佐宮」(与謝郡の地名の起こりでもある)とも云われ、宮津市域に隣接している与謝郡の地名も併せて天橋立・宮津・与謝の三地名は、古代の籠神社との縁由を物語るといわれる。


天の橋立の砂州の辺りを暫く歩いてみた・・、

樹齢数百年の古老の松が埋め尽くし、中ほどに一筋の道が延びている。 
南西に突出する砂嘴(砂洲)は、全長約3キロ、幅40〜100m、潮流と風によって運ばれた砂の堆積によるもので白砂青松の美観を呈する。 

しかしながら天橋立の砂州は近年、侵食により縮小・消滅の危機にあるという。 
これは、戦後、上流河川にダムなどが作られ、山地から海への土砂の流出・供給量が減少し、天橋立への土砂の堆積・侵食バランスが崩れたためであるとされる。 
これ以上の侵食を防ぐため、行政では砂州上にそれと直交して小型の堆砂堤を多数設置し、流出する土砂をそこで食い止めようとしている。(写真)

波打ち際に立つと、確かに砂州と直角に石積みの防潮堤が幾筋も見える、やや景観を損ねるが止むを得ない処置だろう。
神代からの景勝地は、絶対保存が条件である・・!。

伊達の松島」、「安芸の宮島」そして「丹後の天橋立」は、共に日本三景であることは周知のとおりであり、日本人の最も美景を満足させる所である。

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