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日本周遊紀行(188) 米子 「大山と孝霊山」

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伯耆大山の孝霊山(高麗山・・?)伝説・・・、

日本海沿岸を連ねる国道9号線を行く。 
米子の西はずれの淀江町(合併して現在は米子市域)辺りが、山陽道と連絡している米子自動車道、米子バイパスと合流していて車の数も多く、一段と賑やかである。
無論、これから先は伯耆富士と呼ばれる「伯耆大山」(ほうきだいせん)の裾が、一気に日本海に落ち込む裾野を行くことになる。 

進むほどに大山の大斜面が実感できるが、山腹、頂上付近の山並みは濃いガスに覆うわれて、残念ながら望むことは出来ない。
すぐ手前に緑豊かな大山の前衛の山とでも言おうか、「孝霊山」が峰を並べていて、頂上付近には数ほんの中継アンテナなども微かに見て取れる。 
9号線沿いの道の案内板には、孝霊山やその麓に在るのだろうか・・?、妻木晩田遺跡などの紹介板が目に付いた。

ところで、小生の住む相模の国(神奈川県)には、丹沢山塊の一角に同字語の「大山」がある。
こちらは素直に「おおやま」と呼んでいるが、こちらの伯耆の国の「大山」は、「だいせん」と読む。 
山陰地方では、御馴染みの氷ノ山、扇の山など、何れも「セン」といい、この地方独特の呼称だという。


「大山」は、深田久弥氏の撰した「日本百名山」の一つでもあり、その冒頭に・・、

『 伝説的に言えば、大山はわが国でも最も古い山である。 昔、出雲にいた神様が、余り自分の国が小さいので諸国の余った土地を縫い足そうとして、国来、国来(くにこ、くにこ)と綱で引き寄せた。その引き綱の杭の一つが、火神山(大山)であると「出雲風土記」が伝えている。・・・』
と記しいる。

この出雲・島根半島の「国引き伝説」のことは前項でも記したが・・、
山好きの小生でもあるので、「大山」のことは後にチョット詳しく述べたい。


さて、「大山」の裾野から頭を出している独立峰・前衛の山が窺がえるが、「孝霊山」(コウレイサン:751m)といい、別名を韓山又は瓦山ともいわれ、朝鮮半島、高麗(こうらい)にまつわる伝説などが残されているという。 
この孝霊山頂に立つと、大山の北壁から島根半島まで360度のパノラマが楽しめるともいう。

又、この孝霊山は、第七代天皇・孝霊天皇にまつわる名称だともいわれる。 
そして、この地方に孝霊伝承と云われる一群の伝承群がある。 記紀が記す第七代・孝霊天皇、もしくはその皇子を主人公とした伝承群で、吉備国(岡山、広島)から南北に延ばした線上に沿って分布しているという。 

北の孝霊山(山麓を含む)界隈の溝口町から、概ね日野川に沿って吉備の国(現在の岡山県全域と広島県東部と香川県の島々および兵庫県西部にまたがる古代有数の地方国家の一つである)へ向かい、吉備一の宮・吉備津神社を結ぶラインである。

孝霊山の名の由来は、孝霊天皇が行幸したからと云われているが、以前は高麗山(韓山)と表され、所在する村の旧名は高麗村であったという。 
その山麓に鎮座する「高杉神社」には孝霊天皇を祀っていて、こちらにも「吉備」が発祥とされる「桃太郎伝説」があるらしい。 
この伝説は、次回に譲るとして、高麗山、高麗村は別の角度からの伝承もある。 



写真:国道より望む高麗山(751m)


孝霊山について・・、

鳥取県は、神話から派生した伝説や地元民の間で代々語り継がれている昔話、民話がたくさん残っているといい、その内の一つに「大山の背比べ(だいせんのせいくらべ)」というのが有る。

『 昔々、韓の国の神さまが、日本の国の山と背くらべをしようと、自信たっぷりに「韓山」を舟に乗せて日本海を渡って来たことがあります。 やがて、伯耆大山の雄姿が見えて来ました。 神さまはびっくり仰天して、「とてもこれにはかなわない」として、慌てて韓山を置き捨てて帰って行きました。 大山の手前に聳えているのがこの山で、韓の国にちなみ、高麗山と呼ばれています 』

今の山名が高麗山から孝霊山に変わったのは何時の頃からか定かでないし、又、高麗村が孝霊村に変わったかどうかも定かでない・・?。


さて、本来の伝承であるが・・、
(伝承に本来も古来も無いが、強いて言うなら面白さ、懐かしさであろうか・・、) 

先ほど渡った、皆生温泉のすぐ横を流れる「日野川」に沿って溝口町には楽楽福神社(ささふくじんじゃ)、その奥の日南町には東楽楽福神社、そして西楽楽福神社もある。 
いずれも日野郡内において孝霊天皇とその一族を祭った神社だそうで、日野郡三楽々福神社ともいわれている。

面白いのは、溝口町の「楽楽福神社」を取り囲むように「鬼」のまつわる、又は鬼と名の付く名称や施設がやたら多いことである。 
山陰線の伯耆溝口駅の西側には「鬼住山」なるものが聳え、駅舎には鬼の町を象徴するように鬼の像や鬼トイレが迎える。 
又、日野川沿いに鬼のモニュメント、鬼っこランド、鬼ミュージアム、鬼の館、果ては鬼の電話なるものもある。

これはまさに、鬼い纏わる伝承の地、鬼が住んでいたとする孝霊天皇の鬼退治の物語でもある「桃太郎伝説」の地そのものなのである。

次回は、「桃太郎伝説」

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日本周遊紀行(188) 米子 「桃太郎伝説」



前回からのつづきで・・、


これら楽楽福神社には、鬼を退治したと云う鬼退治伝説が伝えられていることは前述した。 

そして位置がずれてズーッと南下したところ、山陽地区の広島県府中市という処にはに南宮神社という古社があり、祭神として孝霊天皇と吉備津彦命を祀っているという。 
吉備津彦は、孝霊天皇の皇子とされている。 

そして、そのすぐ東隣町の広島県新市町には、備後一の宮とされる「吉備津神社
」が鎮座し、チョットややこしいが、その本社は岡山県岡山市にある備中・一の宮の吉備津神社(岡山市吉備)である。 又、又、備前国一宮(岡山市備前一の宮)にも分祀の吉備津彦神社が在り、併せて三備一の宮と称している。 

因みに、備中、備前の両神は直線距離にしてわずか数qしか離れていないが、地域合併を繰り返した結果、備中の一部を含むようになった為に一つの都市(岡山市)に二つの一宮があるという、珍現象が起きてしまったという。 
何れも、祭神は孝霊天皇及びその皇子を祭っているのが共通している。

その他、周辺及び四国にも同様の祭神を祀る支社、分社が在るといい、この辺りは、所謂、桃太郎にまつわる伝説地の本場でもある。
これら吉備津神社には、共通して温羅伝説(うらでんせつ:桃太郎伝説に共通)なるものが有るという。 

『 吉備の国に、空から百済の王子が舞い降りた。 名を温羅と言い、髪は赤く身の丈4メートル、性格はきわめて凶暴であったため、鬼と言われた。 たまりかねた人々は大和王朝にその暴状を訴える。 朝廷から命を受けた「吉備津彦命」は激しい攻防の末、温羅を捕らえその首をはねた。 』 

これが今に伝えられる吉備津神社(岡山県吉備津)の「桃太郎伝説」であり、又、吉備津彦命は桃太郎のモデルとも言われている。

お伽噺の桃太郎は、イヌ・サル・キジの三人の家来がいるが、イヌ=犬飼武(いぬかいのたける)、キジ=鳥取部(ととりべ)、サル=楽楽森彦(ささもりひこ)が当てられたものと云われている。 
それぞれ当時の地域・部族の集団で、軍事色が強かったという。 

「犬飼氏」は、実際に犬を集団で戦闘に使用していたらくしい。
「鳥取部」は、大和王朝が諸国に鳥類を捕らえさせ、これを税として納めるように命じていたという。 所謂、狩猟民族の一団としての色彩をもっていた、これが生じて今の「鳥取県」になったとも言われる。
「楽楽森彦」は、「楽々福神社」の元であり、これは戦いの前線基地として、伯耆の国に置かれたとされる。 

イヌ・サル・キジについては一種の物語的象徴・・?であるとしても、桃太郎がイヌ・サル・キジを引き連れて鬼を退治した物語は、吉備津彦命である孝霊天皇又はその皇子が吉備の国から北部の伯耆の国方面へ遠征して、巨大なものを征服せんとしていたことが伺えるのである。



さて、話の方向がチョット変わるが・・、

中国地方の山系には古来より砂鉄を産したといわれる。 
江戸期・藩政時代には鳥取藩は、出雲と並んで明治以前の頃まで日本の製鉄の大きな担い手であった。 
元より、出雲の国は古代より大陸との流通が盛んであり、稲作と同時に鉄器の文明が渡来していたことは承知である。
朝鮮半島では既に製鉄がはじまり、それを鉄の薄い板にした物を日本列島、特に出雲地方の人々が輸入する世の中になっていたのである。 
この時期をもって田畑の灌漑が進み、普及し、日本人の生活様式一大変化、革命が起こるのである。 そして、鉄を入手できる者が豪族、大王になる資格を得ることにもなる。 
出雲地方は、その鉄としての素材を産出する国だったのである。

楽楽福神社なるものは、鳥取県西部を南北に流れる日野川に沿って分布している。
神代の古代より、この日野川及び周辺河川は砂鉄の採れる川なのである。 スサノオの八俣大蛇伝説が伝えている古事記の「肥の川」や日本書紀の「簸の川」は、鳥取県のこの日野川である可能性が大きいといわれる。


楽楽福神社にまつわる「鬼」なるものは・・、

製鉄をつかさどる民のことで、「ささ」は砂鉄のことであり、「ふく」は「吹く」に通じ、製鉄炉への送風を意味する。
いずれにもせよ「楽楽福」の意味を、このように製鉄に関するものと解釈すると、吉備(大和王朝)の勢力によって、出雲から鉄に関する一切を奪ったというように解釈できる。

そう考えると、楽楽福神社にまつわる鬼退治の話、桃太郎伝説は砂鉄資源を奪い合う出雲と吉備の紛争であると考えることが出来るのである。
詰まるところ、大和王国が出雲王国の鉄資源及び製法を力ずくで奪った事になる。

出雲伝説で、スサノオの八俣大蛇退治で体内から「天叢雲剣」(あめのむらくものつるぎ・草薙の剣)を取り出したが、八俣大蛇は日野川を中心とした各河川流域のことで、天叢雲剣は鉄資源、製法のことであったと考えられる。

記紀には、八俣大蛇のその姿は八つの頭と八つの尾を持ち、八つの谷と八つの峰に跨る(またがる)程巨大な体をしており、その背には苔や杉、檜を生やし、腹は常に血を流してただれ、全部で16あるその目はまるでホオズキのように真っ赤であると言われている。
これらの伝説は、何れも砂鉄を産する産地、地域を指していて、「真っ赤な目」は砂鉄そのもの指しているふうに想像できる。 

このことは、前述した出雲地方の「斐伊川」にも、全く同様に共通、類似しているのである。 
思えば、日野川と斐伊川は呼称も類似している。

次回は、「倭国大乱」     Part13(米子)へ

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