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日本周遊紀行(174) 仙崎 「青海島の捕鯨」


鯨に人間と同じように法名(戒名)を付け、鯨の供養塔や過去帳を残している・・、

国道9号線は京都から、ここ下関駅まで640kmの道程を経て終始している。 
因みに東北地方を縦断する国道4号線(740km)に次いで2番目に長い国道である。 この下関駅からは、9号線に連結して山陰道へR191が折り返している。 

小生は無論、今後この国道191号線を辿ることになる、別称、北浦街道、赤間関街道ともいう。 
下関は古くは赤間関(あかまがせき、赤馬関とも)とも呼ばれ、これを略して馬関(ばかん)という別名も用いられた、明治35年に赤間関を下関市と改称している。

豊浦へ入って「川棚温泉」というのがあった。 
山陰線、川棚駅の東方、鬼ヶ城連山の山裾に開けている長閑な雰囲気の温泉街で、細い沿道に沿って和風旅館や温泉ホテルが軒を並んでいる。  
歴史は古く、鎌倉初期の約800年前には既に温泉が発見されていたと伝えられる。
毛利氏の世となってからは長府藩の毛利綱元が元禄6年に入湯に来られるに当たり御殿湯を創建し、湯庄屋を置き、御茶屋などを定めた。

その後、代々の藩主が入湯に来られたが、明治四年、廃藩置県と共に毛利氏はこれを地元に下附したという。 尚、昭和7年以降は民間会社へ温泉権が譲渡され現在では川棚温泉唯一の大衆浴場「青竜泉」として昔日をのこしている。 

泉源温度は43℃で、温泉は火山性ではなく地熱による温泉とのこと。
漂白の俳人・「種田山頭火」が愛した温泉としても知られ、山頭火は「涌いてあふれる中にねている」と称し、関門の都市に遠くない割合に現代化してゐない。 山もうつくしいし湯もあつい。 ことにうれしいのは友の多い都市に近いことであつた。 私はひとりでここが死場所であるときめてしまつた」と述べている。 

山頭火は山口県防府市出身、本名・種田正一。 
妻子を捨て世間を捨て、自然と一体になり、自己に偽らず、行乞(ぎょうこう:乞食・こつじきになり托鉢をして歩くこと)の人生を送り、自由に一筋の道を詠いつづけた彼は、生涯に凡そ八万四千という驚くべき多くの句を詠んでいるという。


豊浦町、豊北町、そして内陸の菊川町、豊田町は2005年2月13日、下関市(旧制)が合体合併して、新制による下関市が発足している。
次に、油谷町、日置町、三隅町の沿岸三町は2005年3月22日 旧・長門市とが合併(新設合併)し、新しい長門市となっている。



油谷町の川尻岬の付け根にあたる半島地域は穏やかな山稜が日本海に迫り出している。
その半島の先端にあたる“青村から後畑”地域は、日本一と言ってもいいほどの棚田が広がっていることで有名である。 
海岸端から山の頂上にかけての傾斜地に、折り重なるような棚田の曲線的景観は一服の絵のようであると云われる。 棚田の向こう一面には澄み切った青い日本海、太陽が沈む頃になると港からイカ釣り船が一斉に出かけて行き、やがて美しい夕焼けに照らされる棚田とともに、無数の漁火が輝き出す頃、幻想的な美しさを醸し出す。

国道191、別段、山深い峠という程でもない「椎の木峠」を越えると、再び海が見渡せる所へ出た。 
深川湾といい、その向こうに遠いような近い様な、霞むように「青海島」が見えている。 
別名「海上アルプス」とも称されているようで、特に北側海上から見える断崖絶壁、洞門石柱、大門、小門等の数多くの奇岩怪岩などが連なる景勝地である。 青海島自然研究路を歩きながら眺める陸上からのコースもよいとか。


青海島の東端にある「通」地区は、江戸時代前期から明治時代初頭までは、高知の津呂、和歌山の太地などとともに日本で有数の捕鯨基地であったという。

鯨一頭捕れば七浦賑わう」という時代であり、多く捕れた時には、千両箱の重さで倉庫の床が抜けたというほどであったという。 
「通」鯨組の草創期の網元として名を連ねる早川清兵衛は元大内氏の家臣であったが、大内義隆(戦国初期、周防・長門の太守)が陶晴賢(すえはるかた)に攻められた折に、青海島へ落ちのびて来たとも言われている。
そして、その子孫が鯨を主とした漁業に勤しむようになったといわれる。 


現在、青海島・通西町の早川家住宅である鯨組網元の家は、梁をふんだんに使った鯨屋敷と呼ばれる豪壮な構えで、かつての網元の勢力が伺える。 嘗て、玄界灘から日本海の鯨漁は、多いときで秋から翌春にかけての一シーズンに50頭以上捕れたこともあったという。

その反面、「生計のためとはいえ、生きものの命を奪うことは、しのび難い」というクジラへの想いは鯨供養となって芽生える。 
この町の寺(向岸寺)の住職が境内に観音堂を建て、1692年から明治年間まで捕獲した鯨に人間と同じように法名(戒名)を付け、鯨の供養塔や過去帳を残している。 
更には、捕獲した鯨が胎児をもっていたときは、これらの胎児を取り出して埋葬し、その鯨の墓地が今も残っているという。 ここの向岸寺には、明治までの200年間に凡そ70体の鯨の胎児が埋葬されたという。
 
次回も仙崎

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日本周遊紀行(174) 仙崎 「金子みすゞ」


仙崎出身の童謡詩人の巨星は、26歳の若さで世を去っている・・、

この青海島は昔は砂州でつながってはいても、実際の往来は船であった。 
だが、昭和40年10月に「青海大橋」が完成して通行陸続きになり、深川の土砂が堆積して出来た仙崎砂洲の先端部と青海島の王子山公園とを結んでいる。 
橋からの眺望も抜群で、仙崎港と仙崎市街、王子山公園あたりの海岸線などが一望のもとに見え、青海島に突き出すような形をした仙崎市街は、まるで軍艦のようだという。


その仙崎の町は、「仙崎駅」という山陰本線の支線駅(盲腸線)が在って、本線の長門市駅間を一駅区間で結ばれているという珍しい駅でもある。 以前は、この先の仙崎港までレールが続いていたが、途中で切り取られて現在の駅になっているという。 

当時の仙崎港は一大漁業基地で、水揚げされた海産物や鯨肉を山陰、山陽(美弥線)の各地へ運ばれた。そのため当時の始発列車は午前4時台という早さであったが、現在は午前6時台となっている。 この仙崎駅・駅舎へ入って左側に「みすゞ館」というのがあり、「金子みすゞ」の各種資料が展示されている。
               
「金子みすゞ」の詩
    「大漁」     「お魚」
   朝焼け小焼だ
   大漁だ
   大羽艦の
   大漁だ。

   浜は祭りの
   ようだけど
   海のなかでは
   何万の
   鰮(いわし)のとむらい
   するだろう

   海の魚はかはいそう
   お米は人に作られる、
   牛は牧場で飼はれてる、
   鯉もお池で麩を貰ふ。

   けれども海のお魚は
   なんにも世話にならないし
   いたづら一つしないのに
   かうして私に食べられる。
   ほんとに魚はかはいさう


「鯨法会」

   鯨法会は春のくれ、
   海にとびうおとれるころ。

   はまのお寺が鳴るかねが、
   ゆれて水面(みのも)をわたるとき、

   村のりょうしがはおり着て、
   はまのお寺へいそぐとき、
   おきでくじらの子がひとり、
   その鳴るかねをききながら、

   死んだ父さま、母さまを、
   こいし、こいしとないてます。

   海のおもてを、かねの音は、
   海のどこまで、ひびくやら。


金子みすゞ」は、明治36年(1903年)山口県大津郡仙崎村(今の長門市仙崎)に生まれ、大正末期、童謡歌を主に優れた作品を発表し、西條八十に『若き童謡詩人の巨星』とまで称賛された。 
しかし、昭和5年(1930年)26歳の若さで世を去っている。

みすヾが詩人として活躍したのは大正12年から昭和3年にかけて、わずか5年間ほどである。 
こうした短期間に500編をこえる詩がうまれた。 大正時代という時代背景は、童謡の興隆期であり、黄金時代であった。 金子みすヾが師事した西条八十をはじめ、お馴染みの北原白秋、野口雨情がいる。 
大正15年、みすヾは西条の推薦をうけて、「童謡詩人会」に入会を認められた。
大正15年版、童謡詩人会編「日本童謡集1926年版」には女流ではただ一人、みすヾの「お魚」と「大漁」の詩が選ばれ掲載された。 
会員には西条八十の他、泉鏡花、北原白秋、島崎藤村、野口雨情、三木露風、若山牧水など壮々たるメンバーが名を連ね、女流では与謝野晶子と金子みすヾの二人だけだった。 
このとき、金子みすヾは正式に童謡詩人として天下に認められたと言ってよく時に、みすヾ23歳のときであり、もちろん最年少であった。 

「みすず」に所縁ゆかりの深い駅前表通りは、「みすず通り」と呼ばれて、ほとんどの家の軒下や玄関には、「みすず」の詩を書いた板が吊るしてあり、訪れた観光客は詩的な通りに面喰らうという。 

2001年、TVドラマでの女優・松たか子が「金子みすヾ」を演じている。 『明るいほうへ明るいほうへ−童謡詩人金子みすゞ』と題して、TBS系列で放送されたテレビドラマで、若くして自殺した薄幸の童謡詩人・金子みすゞを描いている。

次回は、長門      Part4へ    

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