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本日の記録・データ

本日・年月日 平成17年6月10日 延日数 第20日
出発地 宮崎・青島 出発時間 7時30分
到着地 鹿児島・指宿温泉 到着時間 19時15分
天 候 曇り・晴 体 調 やや不調(腹)
走行道路名 R220、R224、指宿スカイライン、R226
主移動地名
日南⇒南郷⇒志布志⇒鹿屋⇒垂水⇒櫻島⇒鹿児島⇒指宿
現在(宿泊)地 指宿温泉「フェニックス・ホテル
道の駅・PASA
温 泉 青島温泉、指宿温泉(温泉と砂湯)
名所・旧跡
    青島  日南海岸  鵜戸神宮  桜島  指宿スカイライン

写真集 V

   20日目:PartT(宮崎)  PartU(宮崎)へ      写真集 V  日本周遊ブログ
日本周遊紀行:詳細目次
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               山陰・北近畿  
北陸  世界遺産:紀伊熊野 宮島 石見銀山

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日本周遊紀行(157) 宮崎 「マイ・ファミリー」



神代四代の地・宮崎、そしてこの宮崎の地に我等四代のファミリーが訪れた・・、

国保・保養センタ−「あおしま太陽閣」は、昨日夕刻になって予約を入れた為、夕食抜きの朝食のみの宿泊となった。 温泉は普通に入れて身体を癒すことが出来、大洋と青島に面した大浴場は大変良く、特に露天風呂は爽快だった。

宮崎は、日本でも源泉素材の温泉が比較的少ない県と承知していたが、まして、青島が温泉地であった事は恥ずかしながら存じなかった。 
青島温泉は、青島を中心に太平洋沿いに広がる温泉地で、豊富な湯量を誇るという。 
数ある効能のなかでも特に美肌効果が高いといわれ女性に人気だとも。 
温泉の泉質は炭酸水素塩泉(弱アルカリ単純泉)、単純硫黄泉(24〜44度)で一般的適応症、痛風、冷え性、動脈硬化症、消化器病、神経痛などに効果がある。


何時(いつ)ものことながら朝湯を頂いて軽い散歩の後、朝食を摂ってホテルを後にする。
今朝の出発はいつもと違って心うきうき晴れやかである、何故なら、小生の家族(上さん)ほか義母及び娘一家が午前9時頃この地・宮崎空港へやって来るのである。 
予定としては、今日、明日で宮崎から鹿児島を周遊し、明日夕刻宮崎港から最後の航海記念となる「マリンエクスプレス」に乗り込むためである。 
小生もこのタイミングに合わせて、今まで行動してきたのであったが・・。 

空港近くのレンタカー営業所へ向かい、ワンボックスの車をチャーターして空港へ向かっい、時間的にやや早かったので空港周辺を散歩してみた。 
現在の宮崎空港は、平成2年の大幅改装でオープンした新しい空港で、気持ちのいい明るい雰囲気のターミナルである。
地方空港としては珍しく空港にJR鉄道が直接乗り入れ、 (JR九州 宮崎空港線)空港ターミナルに直結しているし、JR宮崎駅へは凡そ5kmと非常に近いので何かと便利である。 
空港ビルの周囲は南国らしく椰子の木が植えられ、花壇には南国ムードを増す特有の植物が植栽してある。 これが、南国の青空に映えて何とも結構な風情なのである。 

滑走路は東西方向から海岸へ向かい離発着しているようで、周りにはまだ畑が沢山残っている。人気の宮崎観光では、夏休みやゴールデンウィークなどいわゆる繁忙期の観光シーズンはいずれの便も集中し、かなり混雑するようであり、席の予約は早めがよいという。


歓喜のファミリー再開・・!!、

一時して、予定時間より少々遅れたが、皆の元気な姿を拝見できた。 
特に、孫共の三人が「ジージー・・」と言いながら駆け寄って来て、頬擦りあい抱擁したのには些か感激であった。 
孫達は女児、男児、女児と未だ未就学の三人で、外孫とはいいながら人懐こく、可愛さは満点である。

車に乗り込んだ後の、観光の道順は昨日小生が巡ってきた逆方向を辿ることにした。 先ず青島であった。 初夏の炎天下での水遊びは最高で、レイの洗濯板に先ず驚き、そして孫達は早速、溜まり水の中の小貝や小魚を追い回していた。 全員で青島をバックに写真に納めて出発する。 

すぐ先の「堀切峠展望台」で一休みし、日向灘の大海と眼下に広がる例の洗濯板を眺めた。 
南海のフェニックスロードは一段と快適で、明るい大洋を望みながらも車内では小生の道中話は勿論、既に、20日間に及んで留守にしている自家の様子等話は尽きないのであった。

鵜戸神宮では波打ち際の断崖絶壁に建つ豪快な社、岩屋の中に建つ絢爛なる本殿に驚愕していた。 この日も昨日同様、天候のわりには波が高く、奇岩怪岩に打ち寄せる波頭の飛沫にもビックリ圧倒されていた。
大鳥居から八丁坂参道沿いの「三ツ和荘」というお食事・お土産どころで昼食となった。 
客数も少ないとあってか、給仕のお姐さんが妙に親切である。 料理も大満足の美味さであったが、地元産の「甘夏柑」・・?の絞りたてを全員にサービスしてくれて、おまけに、お替り自由との事であった。

「お土産、沢山買わんといけないネ・・」
「そげなつもりはなかよー、気にせんといて・・、でも、少しは買って欲しいカナ・・」 


旅の疲れを癒してくれる気軽な会話に、ホンノリした気持ちになる。 
尤も、上さんは孫のために少々の買い物をしたようだがだが、オモテの暑さに閉口しながらも、再び車中の人となる。


神代は三代、此方のファミリーは4代・・!、

御土産やの姐さんの話だと、詳しいことは判らないと言いながらも、青島神社が「親」だとすると、ここの鵜戸神宮は「子」であり、宮崎の宮崎神宮は「孫」の三代に亘っていると言う。 

尤もであり更に神社、神宮ではないが、同じ宮崎県内で北部地区の延岡・北川町の境には「可愛山」というのが聳え、可愛山稜という墓稜がある。
この可愛山稜は天孫降臨の最初の神である「ニニギ」が降り立った所とされ、(鹿児島・川内の可愛山稜と二つの共通伝説が有る)この神はヒコホホデミ・山幸彦(青島神社)の親とされる。 このニニギを合せると宮崎地方には四代の神々が祀られていることになるのである。 


思えばこの宮崎の地で、現在の我らの家族も義母(上さん:妻の母親)を親とすれば、子が2人、孫2人そして曾孫が3人と、合せて6人の四代が居合わせているのであり、何やら通じるものがあって妙な気持ちになるのである・・?。 

ともあれ、これら神社、神宮には大昔の海彦、山彦や乙姫、浦島太郎伝説が関わっているともいわれる。 
歴史物の好きな娘・主人(孝博氏)は『天孫降臨くらいは知ってたが、宮崎神宮は「神武天皇」を祭っているのか・・?、実際は、奈良の「橿原神宮」がそのはずであるが・・』と素直な疑問を呈し、小生と車内で神や神社について雑談風に話していた。 

特に、孝博氏の住む近くには「大国魂神社」が祀ってあり、小生の至近には相州・一の宮「寒川神社」が鎮座していて、何れも、祖神である出雲やお伊勢に関係する神社であり、年中行事には欠かせない社宮なのである。

次回は、神々の譜系

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日本周遊紀行(157) 宮崎 「神代の譜系(1)」



日本神話における神々の譜系と天孫降臨へ・・、

ここで「神武天皇」以前の日本の主要な神々、宮崎を中心としたを「日本の神話」に登場する神々を掻い摘んで取りまとめてみた。 
日本神話の大元は、大化の改新以降の奈良期にまとめられた「古事記」(712年頃)や「日本書紀」(720年頃)、それに、各地方の風土記である常陸(ひたち)、播磨(はりま)、出雲(いずも)、豊後(ぶんご)、肥前(びぜん)などの伝承を記した資料などで形づくられている。 
資料によって、例えば「古事記」と「日本書紀」とでは、神名や物語が若干の異りもするが、ここでは「古事記」の物語から日本神話の概略をたどってみた。

「天地開闢」より降る・・・!、

先ず、中国の神話において、天地創造・誕生のことを「天地開闢」(てんちかいびゃく)と称して初めて登場してくる。 
それによると、天地の姿形をなす前の全ては、卵の中身のようにドロドロと混沌としていた。 その中に主人公となる盤古(創生神)という神が生まれた。盤古が死ぬと、その死体からは山や平地がうまれ、体の主要部分は太陽に、月に、海に、草木に、川に、風に、雷になったとされている。

古代人にとって、自分達の世界がどのようにして生まれたか、そして、自分達はどのようにして生まれてきたのか・・?、このことは大きな問題であった。 
日本の古事記や日本書紀との間では、物語の内容は若干異なるが、最初の部分の世界誕生の頃は、ある意味で共通している物語となっている。

日本でも中国の思想に倣って天地創造は「天地開闢」とし、それは天地に代表される世界が初めて生まれた時のことを示している。 
太古、天と地とは分かれておらず、互いに混ざり合って混沌とした状況にあったとし。
しかし、その混沌としたものの中から、清浄なものは上昇して天となり、重く濁ったものは大地となったという。 そして、その中から、神が生まれたとする。


「高天原」(たかまがはら)が誕生・・、

この頃、日本付近の天上界に「高天原」(たかまがはら)が誕生する。
一般に、地上の人間が住む世界を「豊葦原之中津国」(とよあしはらのなかつくに)といい、地中にあるとされる根の国・黄泉の国(よみのくに)に対し、一般に天上にあると考えられているのが高天原といわれる。 

日本の神々が最初に生まれたのが高天原とされ、先ず、別天津神(ことあまつがみ:三柱の神々)があらわれ、その後に神世七代(七柱の神々)という神々が生まれた。 これらの神は、始めのうちは未だ性別のない神々であったが、その後の三代目辺りから男女の別性のある神々、即ち、男女一対の神たちが生まれ登場することとなる。

これまでの神々の総称を「根源神」と一般に言われる。
これらの神々である根源神の最後に生まれてきたのが、二人の兄妹神である「伊邪那岐・イザナキ」、「伊邪那美・イザナミ」であった。 


イザナキとイザナミの登場・・、

イザナキとイザナミが海の水をかき混ぜると「オノゴロジマ」(天界と下界を結ぶ島)ができ、二人はその島におりて結婚し夫婦となって、日本列島の大小八つの島を生む(大八島)ことになる。 
主な国生みが終わると、岩石や土、海(オオワタツミ・大綿津見神)、風、木、山(オオヤマツミ・大山津見神)、野、船、穀物などの神々を次々と生んでいった。 

しかし、イザナミは、最後にヒノカグツチノカミ(火之迦具土神:火の神の意味)を生むときに死んでしまう。イザナキは、イザナミが死の際に行ったとされる地底の黄泉国(よみのくに:死者の国)へ訪ねていくが、しかし、イザナミの身体は既に腐敗し、すでにウジにたかられていた。 
イザナミのそんな死体を見てしまったことで、イザナキは怖くなって逃げ帰る。 

生還したイザナキは、身を清めるための「禊」(みそぎ:身に罪または穢れのある時や重大な神事などに従う前に、川や海で身を洗い清めること)をすると、次々と神々が生まれ、最後に左目をあらうと、高天原をおさめる「アマテラスオオミカミ」(天照大神・伊勢神宮)、右目をあらうと夜の国をおさめる「ツキヨミノミコト」(月読命)、鼻をあらうと海原をおさめる「スサノオノミコト」(須佐之男尊・素戔嗚尊)そして、「オオヤマズミノミコト」 (大山祇命)が生まれた。 
オオヤマズミは、大山祇神社の主祭神で治山治水の守護、神海の守護神、水軍・海運で愛媛県・大三島に鎮座する全国11000社の総本山 となっている


天照大神と四兄弟神・・、

これら四兄弟神の内の「スサノオ」はやんちゃで、悪戯好きで、悪行が重なったため、怒ったアマテラスは悲しみのため天上の岩窟「天の岩屋」へ身を隠してしまった。 すると、天上も下界も真っ暗闇になり悪神が横行した。 
八百万(やおよろず)の神々は相談し、天の岩屋戸の前でお祭り騒ぎをはじめ、代表して「アメノウズメノミコト」 (天宇受売命)が素っ裸で踊りの舞を見せると、何事かとアマテラスは岩屋は開き、天地に再び光明が訪れる。

そして、悪戯者のスサノオは高天原を追放され、出雲国(現、島根県)に流される。 ここで、スサノオによって出雲の国造りが行はれ、ヤマタノオロチ(八俣の大蛇)などの伝説に繋がる。
スサノオの子、又は孫とされる「オオクニヌシノミコト」(大国主命・出雲大社)は、スサノオから授かった太刀と弓をもって出雲に戻り、悪い兄弟たちを追い払い、スクナビコナノミコト(少彦名命)やオオモノヌシノカミ(大物主神:オオクニヌシ本人説もある)らの力を得て国造りに勤しみ栄えさせていくのである。(出雲風土記、・・後述)

次回は、天孫降臨

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日本周遊紀行(157) 宮崎 「神代の譜系(2)」



ニニギの「天孫降臨」から、カムヤマトイワレビコ(神武天皇)の誕生まで・・、


「ニニギ」の「天孫降臨」・・、


高天原ではアマテラスの子のアメノオシホミミ(天忍穂耳尊:英彦山神宮・福岡県)に子供が生まれ、その子である「ニニギノミコト」(瓊瓊杵尊:川内市・新田神社、霧島神宮)は、下界を治めるためにサルタヒコ(猿田彦大神:道祖神の祖とも言われる)の先導によって高天原から筑紫(古代九州の総称)の高千穂の峰に天降った。
この時、アマテラスはニニギに御守の宝物である「三種の神器」(皇位の宝標として歴代の天皇が受け継いできている三つの宝物、すなわち八咫鏡:ヤタノカガミ、天叢雲剣:アマノムラクモノツルギ、八尺瓊曲玉:ヤサカニノマガタマ)を授けた。 


「海彦、山彦」の登場・・、

天降った後ニニギは、オオヤマズミの娘・コノハナノサクヤヒメ(木花之開耶姫:富士山の霊神、浅間神社の祭神))と結婚し、ホデリノミコト(火照命)とホオリノミコト(火遠理命)、つまり海で魚をとるのに長じた「海幸彦」(うみひこ)と、山での獲物の狩りに長けた「山幸彦」(やまひこ:青島神社、鹿児島神宮)を生む。

成長した山幸彦は兄の仕事をしてみたくなり、海幸彦に頼んで狩りと釣りの道具を交換する。 
しかし、弟は釣り針を魚に獲られて無くしてしまい、自分の剣を砕いて1000本もの釣り針をつくって返そうとしたが、兄は赦さず、無くした釣り針を返せという。 
こまりはてた弟の前にシオヅチノカミ(塩椎神:海神・青島神社)という老人が現れて、海神(ワタツミ)の宮殿へ行って相談する事をアドバイスする。 
いわれるままに亀の背中に乗って海神の宮殿を訪ねた。(浦島太郎伝説、鵜戸神宮の「亀岩」がそれである) 宮殿についた山幸彦はトヨタマヒメに出会い、親しくなって結婚する。 妊娠したトヨタマヒメ(豊玉姫:海神の娘・乙姫さん、青島神社)は子供を生むために海からやってくる、この時、山幸彦は鵜(う)の羽で屋根をふいた産屋をつくった。 


「ウガヤフキアエズ」の出現・・、

妻は生まれたままの姿になって出産するから絶対に見るなと頼むが、不思議に思った夫はつい覗いて見てしまう。 すると、妻は大きなワニの姿になって陣痛に耐えていた。恥ずかしさのあまりトヨタマヒメは生まれたばかりのウガヤフキアエズ(鵜葦草葦不合命:鵜戸神宮)を残したまま、海に帰ってしまう。

しかし、夫や子供への恋しい気持ちからトヨタマヒメは、妹のタマヨリヒメ(玉依毘売命、玉依姫尊)を地上に遣わす。 やがてウガヤフキアエズとタマヨリヒメは結婚する。 


「イワレヒコ」(神武天皇)、世に出る・・、

二人からは四人の子供が生まれ、その末の弟がワカミケヌノミコト(若御毛沼尊・神日本磐余彦火火出見尊:カムヤマトイワレビコホホデミ)といわれる後の神武天皇(橿原神宮・宮崎神宮)で、日本の初代天皇として即位することになる。

日向の高千穂宮にいたカムヤマト(神武天皇)は、大八島(日本国)の政事(まつりごと・政治)を行うのに適した場所を何処か・・?と相談して、その結果、「青山をめぐらす東方の地」(近畿地方の大和)を決定し、そこを目指すことになって長い旅・東征の戦いが始まるのである。


神武天皇の東征、畿内へ・・・、

日向の美々津(日向市)の湊を出発したカムヤマトは、軍船で瀬戸内海を進み、河内の白肩津(しらかたのつ)に上陸、そのまま生駒山を越えて大和に入ろうとしたところ、その土地の豪族の激しい抵抗にあって進むことができなかった。 
そのため、まっすぐ進むのをあきらめ、紀伊半島へ迂回して熊野から吉野を経て大和に入り、先ず大和の国の平定に成功する。

この後、カムヤマトは辛酉(しんゆう・干支。エトの一つ、かのととり)の年の正月一日に大和・橿原宮を興し、この地で即位して初代天皇である「神武天皇」になったというわけである。 

即位の年は紀元前660紀号年とされている。(紀元元年・紀元節) 


 「浦島太カ」 詞 石原和三カ 曲 田村虎蔵 幼年唱歌(初の中、明治33年) 
1 むかしむかし 浦島は
  助けたかめに 連れられて
  りゅうぐう城へ 来て見れば
  絵にもかけない 美つくしさ
2 おとひめ様の ごちそうに
  たいやひらめの 舞踊り
  ただ珍しく 面白く
  月日のたつのも 夢のうち
3 遊びにあきて 気がついて
  おいとまごいも そこそこに
  帰る途中の 楽しみは
  土産にもらった 玉手箱

紀元節の歌』 小学唱歌 明治25年 高崎正風

雲にそびゆる 高千穂の
高根おろしに 草も木も
なびきふしけん 大御代を
仰ぐ今日こそ 楽しけれ

海原なせる 埴安の
池の面より なおひろき
恵みの波に 浴みし世を
仰ぐ今日こそ 楽しけれ

天津日嗣の 高みくら 
千代万代に 動きなき
もとい定めし そのかみを
仰ぐ今日こそ 楽しけれ

空に輝く 日の本の
万の国に たぐいなき
国のみはしら たてし世を
仰ぐ今日こそ 楽しけれ

次回は、私的・「神話と古代史」    PartU(宮崎)へ

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