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日本周遊紀行(157) 宮崎 「神話と古代史」



「くだらない」の語源は、「百済のではない」からきていると言われる・・、

山彦・海彦の神話・・、
日本神話と日本の古代史とは、かなりの関連性があるのは必定だと言われる。
例えば、「山幸彦・海幸彦」の神話は、日本神話の天孫民族と隼人族(九州において)との闘争を重ね合わせたものとも考えられ、童話の「浦島太郎」との共通点も多く、民族学的にいえば南方渡来系民族の伝承に、この様な話が多いそうである。 

日本人は中国大陸から渡来したモンゴル系の北方民族と、南方の太平洋に浮かぶ島々から渡来した民族が融合した民族であるといわれている。 この神話はまさにそれを象徴しているといわれる。 
即ち、大陸系の民族の象徴が山幸彦であり、南方系の民族の象徴が海幸彦であるという。
又、日本人の祖神とされるイザナキとイザナミにも同様とされ、イザナキが大陸系でイザナミは南方系であるとしている。
二組の共通するところは海幸彦もイザナミも、早い段階で姿を消してしまうのである。 


すぐれた文明である青銅器・鉄器製造と稲作の技術をもった大陸系の民族がしだいに南方系の民族を従えて、やがては大和朝廷成立に繋がっていくのであるが・・、

他にも「山彦と海彦の物語」は、いろいろな象徴が込められているともいう。
端的なのが弟の「山幸彦」が天孫系の北方渡来系であり、やがて日本を支配してゆく大和朝廷のことであり、一方、兄の「海幸彦」は南部九州の土着民、南方渡来系の隼人族の熊襲であり、朝廷に対して大規模な抵抗を見せる。 

この時、朝廷側から「日本武尊」を九州へ遠征させ、熊襲を征したことでもしられ、史実では、朝廷から大伴旅人を大将とする軍が派遣され鎮圧されたとある。
その後、隼人族やクマソは中央政権(大和朝廷)に組み込まれてゆくことになる。

一般に言われていることは、日本民族は特に九州地方では先ず、東南アジア系の南方系民族が渡来して「隼人」を形成したとされ、(縄文文化)次に、モンゴル、中国、朝鮮半島の北方民族の移民団が新しい技術を持って渡来し、次第に縄文人と融合し、或いは駆逐して弥生文化を広め、最終的には半島から、百済や任那諸国の多くの遺民が日本へ渡ってくることになる。(白村江の戦い)



日本民族(大和朝廷)・・、

因みに、「くだらない」の語源は、「百済のではない」からきていると言われる。
当時、百済のものは、進んだ大陸ブランドとして扱われていたそうで、百済以外のものは価値がないと思われ、「百済ではない」ものは、「くだらない」とされた。

朝鮮半島における「百済」の建国神話には日本神話同様、ふたりの兄弟が登場するという。 
神話上の兄弟、海と山の栄枯盛衰の物語で、日本の神話の「海彦・山彦物語」に共通する。 
百済を建国したのは弟のほうで、兄は自殺したとも言われる。  
しかし、この時、兄は、百済を南下して朝鮮半島南部に下り、日本までやってきたのではないかとも・・?。 

日本における北方渡来人の元祖は百済系の人々といわれる。 
日本の山幸彦の別名は、古事記には火遠理命(ホオリノミコト)であり、日本書紀においては彦火火出見尊(ホホデミ)となっている。 その山幸彦の子が神武天皇であり、大和朝廷にもつながることになる。 

これらの神話は古代史の想像の域をでないが、一方、その謎を解く鍵を秘めているとも云われる。
神話とは単なる「お話」ではなく、古代の人の考え方やものの見方を反映したものだという考え方があり、何よりも実際に起こったことを、現代とは異なる「古代人の眼」を通して語ったに相違はない。


日本神話の四つの要素・・?、

日本神話は、主に大きく分けて「四つの神話群」から成り立っているとされ、その神話の母体となっているのが「古事記」であり「日本書紀」であるが、両、歴史書は小さい相違はあるが大筋では大体同じであるという。 

その神話体系には四つの神話群があり其々、「国生み神話」、「高天原神話」、「出雲神話」、「日向(ひむか)神話」が主に登場する。 
これら物語の重要なポイントとなる場所は、現在でも色んな形で存在し、語られて、そして、そこに多種多様な神々が登場する。 


我々日本人は信仰の有無にかかわらず、神社に初詣でに出かけたり、建物の新・改築の際には殆どが地鎮祭やお祓いを催す。 
日本人の生活の中には意識しないまでも、神々との接点は現代生活の中でも断たれていない。 
お祓いや御祷りをするとき、これらの古代の神々の何れかを御参りすりことになる。 
日本人を思うとき、神話世界の神々が常に付いて回っているのに今更ながらに思い至るのである。
そして、我々の祖先から受け継いでいる、これら古代の神々に必ず行き当たるのである。


一方、冷めた現実的な見方もあるようで・・、

日本神話である古事記や日本書紀は八世紀頃、朝廷(主に天武天皇)が命じて歴史書を編纂し、文字に残した物という。 それは、天皇位をめぐる戦乱である「壬申の乱」(672年)以降、即位した天武天皇が自らの正統性を示すため、国史の製作を発足したといわれる。


時の権力者によって創られた「記紀」の歴史書・・、

時の権力者が歴史に名を残すために、自伝書や歴史書などを記し、後に残すということはよくあることで、そこには必ず政治的な意図が含むのは当然である。 
その目的は主に、自らが権力の座を射止めるまでに汚してきた手を洗い流す事でもあり、自らの正当性を主張する事でもある。 
しかし、それは併せて国体を維持確立し、天皇制を堅持することでもあった。

全体を通して編纂に当ったのは、「藤原不比等」(飛鳥時代から奈良時代初期にかけての政治家、天智天皇の寵臣)である。 
不比等は藤原鎌足(飛鳥時代の中枢政治家で藤原氏の始祖)の次男で、天武王朝の基礎を築きあげた張本人であり、古事記・日本書紀の編纂、律令制度の導入、平城京の建設、神道の導入など奈良の大仏建設(聖武天皇)以前の天武王朝の仕事をすべて遂行した人でもある。そして、「日本社会」の原型を作ったのは、藤原不比等ともいわれる。

伊勢神宮の祭神・天照大神(アマテラス)は、日本でもっとも貴い神と信じられているが、これは藤原不比等が女帝・持統天皇(天武天皇の妻、皇后)を、そのまま皇祖神に仕立て上げ、祭り上げたものだとも云われる。 
神話の中でアマテラスは子ではなく、孫のニニギ(持統天皇の孫・軽皇子・かるのみこ、後の文武天皇に譬える)を地上界に降ろして王にしようとしたとあるが(天孫降臨)、これは、そっくりそのまま持統天皇系統の生涯に当てはまってしまいともいう。

『 春過ぎて 夏来るらし 白妙の  
                衣乾したり 天の香具山』  
(万葉集・第一巻)

あまりにも有名な持統天皇の一句である。

持統天皇は、天武天皇の遺業を受け継ぎ、中央集権の国家の体制をつくりあげた。 
大和朝廷までの「倭・わ」という国名を改めて、「日本」という国号を新たに使い始めたのもこの時期であり、西暦690年、伊勢神宮の第一回の式年遷宮を行ったのも持統天皇とされる。

次回は、「高千穂」

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日本周遊紀行(157) 宮崎 「天孫降臨の地」


天孫降臨の地、両・高千穂は譲らない・・!?、

油津付近の展望の良い休憩地一服しながら、地元の焼酎、銘柄は何と「天孫降臨」が有るのに気が付いた。 500mlを1瓶、記念に購入したが、記念といっても飲んでしまえばすぐ無くなるのだが。 
無論、「天孫降臨」の銘柄の由来は勿論、アマテラスの御孫(天孫)の「ニニギ」御一行様が日向の国の「高千穂」に御降臨されたことに由来している。 


「天孫降臨」は宮崎か、鹿児島か・・?、


降臨したのは高千穂とあるが、ただ、その高千穂は宮崎県、鹿児島県と両方に在り、両・高千穂の本家争いにまで発展しているともいう。 

先ず、鹿児島は霧島山系の「高千穂峰」であるとの主張している。
その理由は日本書紀に「日向の襲(熊襲・隼人)の高千穂峰・・」と書かれていることに由来し、襲は大隈地方のことであって、更に、降臨された山頂には青銅の「天の逆鉾(さかほこ)」があると記されている。 
現に、大相撲の井筒親方は鹿児島出身で現役時は、これに因んで「逆鉾」(さかほこ)というシコナを付けている。

これに対して宮崎は「高千穂町」であるとしている。
ニニギノミコトは稲穂のことであり、稲作農業の象徴とされる。
つまり、降臨したのは火山灰(薩摩地方)が積もるような所ではなく、稲作に適した高千穂町であるとしている。 

宮崎県、鹿児島県との本家争いはともかく、そも、「高千穂」という地名の起こりは、ニニギがこの地に降臨するとき千本の稲穂をつみ、その籾(もみ)をしごいて蒔いたとことから「千穂」というようになり、その上に、ニニギノミコトの尊さを意味する「高」の字を付けて「高千穂」と呼ぶようになったと言われている。

「高千穂町」は、九州山脈のほぼ中央部、宮崎県の最北端に位置し、町の中心部を五ヶ瀬川が西北から南東にかけて貫流し、途中、名勝・天然記念物「高千穂峡」が神秘的に創出している。 
この地は、天孫降臨や天の岩戸開き、などの神話の高千穂町としても知られ、その起源は古く、古代遺跡の発掘や多くの出土品等の遺物により、紀元前4世紀頃から既に集落が作られたという史実もある。

又、神代の神社も多く在り、 高千穂神社は、創建はおよそ1800年前といわれ日向三代の神々と神武天皇の御兄君を祀っている。 
神話を今に伝える「天岩戸神社」は、天照大神がお隠れになった天岩屋戸が御神体とされ、近くには岩戸開きの“ご神議”が開かれた「天安河原」もある。 
高天原遙拝所、天孫降臨後に神々がこの丘に集い、天上の高天原を遙拝したと伝えられている。 
くしふる神社(ニニギノミコトが降り立った所)や荒立神社(祭神・天鈿女命アメノウズメ:天の岩戸を開いた女神)といった、神話史跡や古代神々にまつわる社宮や史跡も多い。

高千穂町の東方の北川町には、日向の海を見下ろす可愛山に、ニニギの墓地とされる「可愛山稜」が鎮座しているのである。


都萬(つま・妻)神社の謂われ・・、

又、宮崎の北方、西都市にはニニギに纏わる(まつわる)、都萬(つま)神社というのが鎮座している。 
降臨の後、尊(ニニギ・天の神)と美しい姫・コナハナサクヤ(国津神の大山祗神・オオヤマツミ=地の神の娘)が結ばれる。 この二神の結婚式は、日本最初の正式な結婚式といわれ、その式と新婚生活の場となったのがこの「都萬神社」と伝えられている。 

日向三代の神話における最初のクライマックス「天と地の統合」である。 
因みに、媛・コナハナサクヤは、「酒解子神」(さかどきこがみ)という別名を持ち、酒造りの神様としても、この社に祀られている。 
媛が自分の子供を育てるのに自分の乳だけでは足りずに甘酒を作って三つ子の子供たちに与えたといい、銘柄は「甘甜酒(あまのたむざけ)」というのが日本最初の酒と言われる。 
天孫降臨の地は、日本の清酒発祥の地であり、地元の銘柄に「天孫降臨」とあるのは納得である。

西都市は宮崎県中部の市域で、往時は日向国府の所在地であり、その市街地西方に「西都原(サイトバル)古墳」という古墳群もある。 
古墳とは、高く土盛りした古代の墳墓のことで、日本での多くは当時の王や豪族ら有力者の墓とされている。


宮崎は古代「日向の国」とよばれた・・、


この地は「神話と伝説のふるさと」ともいわれ、古事記や日本書紀にも多く記され、日向神話をはじめ、数多くの伝説や史跡があふれている。 
「西都」はその日向の中心地であり、多くの神話や伝説が伝わっている地でもあるが、実質、「古墳」という形で現代までその史跡が残されているのである。 

日本には時代区分に云う「古墳時代」というのもあり、今からおよそ1700年前の弥生時代が終わった3世紀末〜7世紀末頃までの凡そ400年間いい、巨大な墓づくりが行われた時代である。 
異例なのが、弥生時代(中期ごろ)にも墳丘墓(ふんきゅうぼ)と呼ばれる大きな墓がつくられ、各地域ごとに、形もいろいろと独自につくられたらしいが、古墳時代になり、全国的に共通した形と内容を持つ古墳が造られたという。

西都原一帯に色濃く残されている西都原古墳群は、300基もの古墳の存在が確認されていて、古代から相当な規模の国がこの地にあったと思われている。 
その古墳の大部分はいまだ発掘されないまま、多くの謎を秘めて千数百年もの時を眠り続けているという。
この古墳群の中で最大級の二つの古墳「男狭穂塚(おさほづか)」と「女狭穂塚(めさほづか)」というのが在り、この墳墓は、ニニギとコノハナサクヤの夫婦の墓とも伝えられている。

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