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  17日目:PartW(水俣)  PartX(出水)へ      写真集V  日本周遊ブログ
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日本周遊紀行(139)水俣 「水俣病(2)」



水俣病は、人間を廃人にした・・、

「水俣病」は、新日本窒素肥料(現在のチッソ)水俣工場が、アセトアルデヒド(分子式CH3CHO、 無色の刺激臭ある可燃性液体でエチレンの直接酸化によって製する。
有機合成の原料として重要な素材)の生産のときに触媒(反応を促進させる素材)として使用した無機水銀つまり「メチル水銀」が主要因とされた。 

工場は触媒の反応過程で副生されたメチル水銀を排水し、特に1950年代から60年代にかけて水俣湾(八代海)に、ほぼ未処理のまま多量に廃棄した。
そのため、魚にメチル水銀の生体濃縮(化学物質が生態系での食物連鎖を経て生物体内に濃縮されてゆく現象)が起こり、これを日常的に多量に摂取した沿岸部住民等への被害が多発した。


「メチル水銀」は体内に入ると主に脳などの神経系を侵す・・!、

言語障害や痺れなど様々な症状を引き起こすことが判明している。 
チッソ」は毒そのものの廃水を無処理同然で海に流し続け、魚は食物連鎖から生物濃縮で体に水銀を溜めていき、人はその魚を昔の暮らしどおり変わりなく食していた。 
変わらなく見えた暮らしの中から、こうして水俣病は起こったのである。 

生物濃縮」とは汚水がプランクトンや微生物を汚染し、そのプランクトンを小魚が食べ、さらに大きな魚が食べ、最後に人間が大きな魚を食べるという仕組みの食物連鎖である。
それは陸上にもあり植物の葉や実を鳥、家畜などが食べ、そして、最後に人間が家畜などの肉を食べるのと同様の仕組みである。


“水俣病の症状”は、想像を絶する悲惨で凄惨なものであった・・、

発病患者は面会に来る家族・知人の識別ができず後ずさりしたり、目や耳も機能せず、言語・知能障害・運動失調で廃人同様の状態にあって無残なものであった。 
文字通りベッドの上で“のたうち回り”、“激しい痙攣”を伴い、まさに生き地獄状態であった。 
また、水俣病は伝染病だとして偏見を受けたり、発病した家族の就職内定を取り消しされたり不当な差別をも受けたという。


現在の「チッソ」は日本高度経済成長の牽引車であり、特に液晶では世界的に見てもトップレベルであるという。 
水俣工場では液晶を始めとしたファインケミカル製品、化成品、合成樹脂、化学肥料を作っている。 
世界でもトップレベルの会社は九州の小さな町にあって、町では人達が大勢働いている。 

現在も水俣の税収の半分以上を納めているチッソは、従業員は660人ほど、関連会社で働いている人は水俣のみで2000人もおり、チッソの城下町ともいわれる。 
そんな中で差別に耐えながら告発することの意味、水俣病の根底にある複雑な事情が見えるのである。

30年経過した昭和末期、熊本県のみの認定患者は1700人、棄却者処分(裁判において認定申請を棄却された者)は6000人、未処理申請者は4300人いたとされる。 
審査の遅れと、認定のゆがみに抗議する“検診拒否運動”が起こり、これに対して県は医療費補助をうち切ったという。 

水俣病発生から50年たっても未だに問題解決されないのは、水俣病を取り巻く経緯、経過が極めて複雑怪奇であり、当時の「高度経済成長」の中で、政策の第一が産業優先に行われていた時代背景もあると言える。

水俣病を取り巻く失態の要因として、次のような項目が挙げられるという。

 1、会社の傲慢体質や安全思想の欠如と人間的な差別。
 2、病理研究機関(熊大医学部等)への非協力と役所、同業者との結託しての妨害工作。
 3、行政機関の取組の遅滞、無責任さ。
 4、「奇病」による住民の誤解、差別問題。
 5、地域としての企業優先、企業城下町の体質。
 6、被害者と一般住民の補償金などによる批判、嫉妬、虐め等々。
 7、その他・・。


当時の日本は、東京オリンピックや日本列島改造論などによる、経済最優先の時代であり、それが至上使命でもあった。 
しかし、それには反作用、弊害が生じ所謂、公害が社会問題化しつつある中でもあり、被害者の訴訟はこの様な社会事情から起きている。


水俣病、第二水俣病(新潟県阿賀野川流域で起こった有機水銀による汚染、水俣病に同じ)、四日市ぜんそく(石油化学コンビナートから排出された有害ガス汚染、気管支炎からぜんそく症状、肺炎・肺気腫から死亡に至る)、イタイイタイ病(富山県神通川流域、神岡鉱山から排出されたカドミウム汚染、骨軟化から骨折し、「イタイイタイ」と叫びつつ死亡に至る)の四件は「日本の四大公害」と呼ばれ、日本の産業公害の典型的なものであった。 

四大公害は加害企業に対して訴訟が起こされ、いずれも原告(被害者)側の勝訴に終わっている、これを、四大公害裁判と呼ぶ。
これらをきっかけにして公害健康被害補償法なども成立している。

更に、「水俣病」が続きます

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日本周遊紀行(139)水俣 「水俣病(3)」



写真:水俣病資料館にて・・、


「水俣病」は、現在の環境問題へ提言した・・、

今、「ALWAYS 三丁目の夕日」という題の映画がヒットしている。 

映画は、昭和33年頃の古きよき日本を舞台にしたもので、昭和の雰囲気が存分に出ている。
特に、建設途中の東京タワーなど、当時の日本が忠実に再現されている。
この年、「熊本・水俣」で奇病が発覚した時期でもあり、実はこの頃の東京も汚れていた。 

小生が少年の頃、上京した折の東京の印象は台東区・三河島のお化け煙突(火力発電所、見る位置によって1,2,3,4本と化けて見え、東京の名物であった)からはモクモクと黒い煙を吐き、上空はスモッグで常時モヤっていた。 

幼少の頃泳いだ「荒川」は黒く汚れ、“春のウララの”の隅田川は、電車で架橋を渡るときヘドロの臭いがした。
東京湾にはアオコが発生し、死んだ魚が浮かぶ死の海であった。

今、現在は荒川には鮎が遡上し、東京湾は透明が増して海底も見えるほどであり、隅田川は屋形船で夜桜を見物できるまでになった。


最近の報道で「チッソ」についての記述があり、水俣病対策で培った汚水処理などのノウハウは、水質汚染などの公害に悩む各国からの引き合いがあって、それらが収益に結びついているという。


人間は傲慢な悪魔にもなるが、知的な聖者にもなれる変幻自在の動物のようである・・!。

平成16年、最高裁は関西訴訟(熊本県から県外に移った人達の訴訟)上告審判決で国・県の責任を認めた。だが、これに対しても環境庁(2001年・平成13年に環境省に昇格)は昭和52年当時の基準に固執して多くの患者の認定を切り捨てている。

米軍基地移設で数千億円の大判振る舞いや、年金で利用者の少ない保養施設に数百億円かけても平気な顔をしている国、行政。 まさに国民の命を守るという最低限のことすらできず、発生から50年を経た今でも全面解決できない状況にあるのである。


地域、企業の環境に関して・・、

京都議定書」で言う、地球温暖化という一つのグローバルな環境事案に関しては、各国が机上に載せ議論されているようであり、又、地球環境問題(地球サミット)で既に国際的に標準化されたものもある。 
それは世界中全ての地域のあらゆる種類と規模の組織(主に企業)に適用され、地球環境に配慮した企業である一つの指標として、「ISO14001」という認証取得制度がある。

ISO14001とは、ISO(国際標準化機構・International Organization for Standardization)が1996年に制定した規格で、組織(企業・自治体など)に対して環境に負荷をかけない事業活動を継続して行うように求めた規格である。
これらも、詰めれば住民や社員など各個人の意識の問題でもあろう。



「水俣病資料館」は水俣公園の高台、八代海を望む風光明媚な地の一角、チッソの工場の付近にあった。 
白系の明るい色調の芸術性のある建物の内部は、水俣病の50年の苦難の歴史を物語っている。 
展示は水俣病の被害を紹介するものはもちろん、その後の裁判の推移、市のとった再発防止策など、水俣病の痛手からいかにして立ち直ったかを紹介する展示にも力が入れられていた。

今、企業、地域、国はおろか地球規模で環境問題が取りざたされている。
そんな中、水俣病の問題は地域住民とそこに位置する企業との間のことで、環境とその保全に関しては一つの結論は出ている。

資料館を訪ねた帰り際、一冊の冊子を受け取り、最後のページに「水俣病が私たちに教えるものはなんでしょうか?・・」と問いかけ、そこには・・、

 家庭や事業所から出すゴミは、自然を損なうものであってはいけない。 大量生産、大量消費、大量廃棄によって、私たちの暮らしは便利で豊かになったが、排気ガス、農薬、食品添加物など、様々な有害物質に取り囲まれ、環境や健康破壊の危険にさらされている。私たちの物質的に豊かな暮らしは、世界の国々との関係を抜きにしては考えられないし。水俣病は私たちに被害者であると同時に、加害者でもあることを教えている。 「水俣病」は自然を壊さず、自然によって生かされているという考えにたって暮らしていくこと、人や川や海などとの関わりや安全な食べ物について考え、家庭のゴミや産業廃棄物の減量化・リサイクルについて取り組むこと、地域の問題から目をそらさず向きあっていくこと・・、の大切さも教えている。環境は一人一人の意識の中にある ・・と結んである。

次回は、薩摩街道     PartXへ

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