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日本周遊紀行

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日本周遊紀行(4)湯河原 「温泉と土肥氏」



真鶴の岩地区・・、


いわゆる西湘バイパスから小田原の石橋を抜けると、間もなく「真鶴」である。
半島の手前に「岩」という小さな海岸が在る。 夏になると孫達を連れて、海水浴をしに海辺の民宿に数回泊まりに来た事があった。波の小さな入り江の砂浜と端には適当な岩場があって磯遊びも出来る。 
正面には真鶴道路の岩大橋が高方に架かる。


この「岩」にも中世に歴史の一コマが有った。
平治の乱で敗れた源氏頼朝が伊豆へ流されて20数年、北条氏の庇護のもと娘・政子を妻に娶って更に強固な姻戚関係を結んでいる。
一方中央・都では奢れる平氏を打つべく、後白河天皇の皇子「以仁王」が諸国の源氏に令旨(皇太子、親王等の命令を伝える文書・勅書に次ぐ物)を出し、伊豆の頼朝にもその親書が届けられる。
頼朝は、これを期に北条時政や土地の豪族を頼って、伊豆に威を張る平兼隆を討つ、そして正規に平家打倒の旗を挙げる。

しかし次の「石橋山の戦い」では三百騎を率いる頼朝を討つべく集まった、平家に仕える地族ら三千余騎との戦いに敗れ去る。
その際、土肥実平の案内で土肥の山中に逃げ込み、平家方の追っ手から逃れる。土肥実平は土肥郷に勢力をもつ武士であり、その土肥郷とは現在の伊豆の土肥ではなく湯河原町,真鶴町,小田原市の一部であったとされる。

追ってを逃れた頼朝は更に真鶴から海路安房の国への逃走を成功させる。
逃亡する際に船出した港がこの「岩」海岸と伝えられている。


湯河原について・・、


湯河原、熱海は伊豆半島の首根っこ、付根の部分である。伊豆半島は伊豆箱根富士国立公園と合い間って、富士火山脈の中枢に当たる。
ある機関によると、伊豆半島は富士火山脈の上にあり地質上地殻変動のために割れ目が多く、また火山活動が活発で、周囲を海に囲まれ、降水量は年間3,500mm内外で、年平均気温は16℃内外と高温多湿で、植物の生息に好適な気象条件を備えている。
それ故、植物の育成が良好で、森林区域は半島面積の74%に達し、したがって地下水の保水量が多く、温泉湧き出しには好条件であるという。

静岡県は温泉湧出量が全国で有数の温泉県になっていて、源泉数は大分、鹿児島に次いで三番目であり、その殆どが伊豆半島に占められている。 

失礼・・、「湯河原」は神奈川県でした。

県境の川を隔てて静岡県熱海市泉地区にも温泉宿があり、伊豆湯河原温泉と称している。温泉場の中央、千歳川と富士木川が合流するところに万葉公園がある。
これは万葉集にあやかって名付けたもので、湯河原温泉は万葉集にも詠われている程の古湯で、それが為か往時は文人の湯とも言われた。
湯河原の地域以外に「万葉の湯」という名称の湯館があるが、湯河原の温泉湯を持ち込んでその名を付している。

湯河原駅から千歳川の谷を遡るように温泉街が続いている、隣の熱海には巨大温泉ホテルが林立しているが湯河原は日本形旅館が主体で、古くからある「温泉街」の風情が残っている。
湯河原吉浜海岸は長大な砂浜が広がっていて、遠浅なのでサーファーやファミリーにも最適な海水浴場になっている。


土肥の庄・・、


湯河原は歴史の舞台でも著名なところである、平安期の頃は「土肥の庄」と呼ばれていた。
その土肥の統領・「土肥実平」は頼朝の熱い信頼ある御家人だった
頼朝の源氏旗揚げの時は、平氏の嫡流の身でありながら、土肥の郷主・土肥二郎実平は源頼朝に付き、奮闘貢献し平氏滅亡に寄与している。 

湯河原駅北側に城願寺という立派な寺院がある。 
後年、実平は土肥郷内に寺院を創建し、其の後土肥氏の総菩提寺となっている。
一時、土肥一族は鎌倉で滅亡したと言われたが、実平の子孫は着実に有ったという、孫は安芸国(広島県)に移り「小早川」を名乗り、後に毛利家の筆頭家老となる小早川家の祖となっている。

また四代目は越中・富山郷(富山県)に移り、土肥称を名乗り、戦国期、江戸期を生き抜いて実平から800年以上、土肥氏は今も其の地で繁栄を続けているという。 
富山周辺地域は今も土肥称が多いという。 

土肥郷の城願寺には越中の土肥氏の多くも葬られている。

城願寺本堂左方に土肥氏一族の墓所、66基の墓石がある。
墓石は重層塔、宝筺印塔、五輪塔などの各種の墓型が揃っていて、このように一墓所に各種の墓型がそろっているのは、関東地方ではめずらしく貴重なものだそうだ。 
一角に七騎堂なる御堂がある。


頼朝が石橋山に陣を布き、手勢300騎で平家方の大庭景親軍3000騎と対戦したが、多勢に少勢、勿ち敗走して土肥の山中の洞窟に身を隠し、真鶴海岸から房州に落ち延びた。
この時、同船して落延びたのが頼朝以下主従七騎であったので、世にこれを頼朝七騎落と呼んでいる。 
七騎堂にはこれら七士の霊を弔っているという。
又、境内には迫力の樹木がある。
土肥実平が寺院創建時に、自ら植えと伝えられる「ビャクシン」の大樹で、幹のねじれが著しく、小枝もよく茂った古木である。 
樹齢約800年(推定)といわれ、国の天然記念物に指定されている。

因みに、このビャクシンという樹は長寿で、樹齢約1500年に達するものもあると言われている。

次は「熱海温泉」です・・。

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日本周遊紀行(5)熱海 「熱海・湯の町」



「熱海温泉」・・、


総じて云える事だが、伊豆半島は山岳半島であろう。
多くの山々は海岸線まで迫り出している。 特に東海岸のすぐ後ろは箱根高地から伊豆箱根スカイラインが天城高原、天城山辺りまで天空を走っている。
このスカイラインの下、伊豆半島の付根部分を丹那トンネル(たんなトンネル)が1934年に開通している。 
東海道本線の熱海駅〜函南駅間にある複線規格のトンネルで総延長7804m、完成当時は清水トンネルに次ぐ日本第2位の長さで、鉄道用複線トンネルとしては日本最長であった。
火山地帯特有の断層と温泉湧出という難工事で16年の長期間と事故による67名という犠牲者を出しているという。 

それまでは箱根の連山をぐるっと北側を廻る、現在の御殿場線が東海道線であった。
このトンネルの開通で日本の大幹線といわれる東名阪の交通事情は大きく進展したといわれる。 

この丹那トンネルの東の入り口が「熱海」である。
古くからの温泉地であり、地名は「海から熱い湯が湧き出ていた」ことからであろう。
山地丘陵地の狭いエリアに大型ホテル・旅館が立ち並び、国鉄東海道本線開通以降、首都圏からの保養客が押し寄せ一大保養地になった。

かつては新婚旅行や社員旅行の定番の行き先であったが、社員旅行自体の衰退と大型宿泊施設を敬遠するムードから斜陽傾向にある、2000年代に入り温泉を引いたマンションが増加しているという。 

保養マンションが主であろうが新幹線を使用すれば首都圏へは通勤圏内でもある。


写真 熱海の海岸

お宮
寛一とお宮の像


熱海温泉は、日本の三大温泉(熱海、別府、南紀白浜)の一つ。 
また、日本の三大温泉場(別府、熱海、伊東)の一つとされ、源泉湧出数500本以上、古くは大半の源泉が硫酸塩泉であったが、近年ボーリングによる源泉開発を多数行った結果、海沿いの源泉は海水の混入量が増えているという。
熱海のスポットと言えば海岸にある「お宮の松」と「寛一・お宮の像」であろう。 尾崎紅葉の「金色夜叉」から模じったもので、その前に砂浜のサンビーチが広がっている。 


市街地より東方山地に「伊豆山神社」がある。

頼朝が鎌倉に幕府を開くに及んで、幕府最高の崇敬社として箱根とともに二社を関八州鎮護とした。 
元はといえば頼朝の恋人であった北条政子が、密かに逢瀬を楽しんだ神社といわれる。
父に逆らって恋人の元に抜け出してゆく「政子」は、後に政権を握ることなど考えもしなかったに違いない。源氏旗揚をした後、この社にせっせと戦勝祈願をしたという。

 


「新金色夜叉」 曲・詞・宮島郁芳 

1・熱海の海岸を散歩する
 貫一お宮の二人連れ 
 共に歩むも今日限り 
 共に語るも今日限り

2・僕が学校おわるまで 
何故(なぜ)に宮さん待たなんだ
夫に不足が出来たのか
さもなきゃお金が欲しいのか

3・夫に不足はないけれど
あなたを洋行さすがため 
父母の教えに従って 
富山一家に嫁(かしず)かん

「熱海の夜」 箱崎晋一郎・歌

たった一度の 倖せが
はかなく消えた ネオン街
忘れられない 面影を
月にうつした 湯の宿よ
熱海の夜

妻と書かれた 宿帳に
沁みた涙の 傷あとよ
ままにならない 人の世に
やせて悲しい 枯れ柳
熱海の夜

恋も湯けむり 消えるもの
知っていたけど 燃えました
こんな女の 私でも
夢にみるのよ あの人を

熱海の夜

熱海ブルース」 由利あけみ・歌

昨日来た街  昨日来た街・・・
  今日また暮れて・・・
つきぬ情(おも)いの  湯けむりよ・・・
雨の匂いも  やさしく甘く・・・
君は湯上り  春の顔

宮を泣かした  宮を泣かした・・・
  横磯あたり・・・
おぼろ薄月  気にかかる・・・
女ごころと  温泉(いでゆ)の なさけ・・・
口にいえない  ことばかり

熱海湯の街  熱海湯の街・・・
  湯の香に開く・・・
花は白梅  山ざくら・・・
仇に散らすな  奥山しぐれ・・・
濡れて玄岳(くろたけ)  越えらりょか

 次回は、「伊東温泉」

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日本周遊紀行(6)伊東 「東伊豆」



「湯の町エレジー」  詞 野村俊夫 曲 古賀政男 唄 近江俊郎

伊豆の山々 月あわく
灯りにむせぶ 湯のけむり
あああ 初恋の
君をたずねて 今宵また
ギターつまびく 旅の鳥

風のたよりに 聞く君は
温泉(いでゆ)の町の 人の妻
あああ 相見ても
晴れて語れぬ この思い



「伊東温泉」・・、

熱海のはずれにある網代温泉からは海岸近くでもかなり高所を走るようになる。
屈曲した道をしばらく行き最高所から一気に下った処は宇佐美の海岸である。
湾曲した砂浜の海辺は透明度も良く、夏は海水浴客で賑わう、民宿の町といってイイほど民宿が多く、我が家も毎年ここにはお世話になるところである。


ここは、すでに伊東市であった。
東海岸のR135沿いは大温泉タウンが並ぶ、湯河原、熱海、そして伊東温泉だ。
温泉街は熱海にも劣らぬ程のホテルや旅館が並ぶ、温泉は源泉の数が780本、毎分の湧出量は34,000Lもあり熱海より多い、又、飲食店も多く昔の歓楽街的温泉の要素も多く現存する。

ところで熟年の方なら存知よりも多いと思うが、あの古賀メロデーの元祖ともいえる「湯の町エレジー」はここ伊東を舞台に生まれたともいう。
あのギターの奏でる前奏、間奏のメロデーは、なんとも湯の街の哀愁にピッタリの曲で、小生、若かりし頃ギターをカジッタ時に最初に覚えた曲でもあった。 


東伊豆・・、


また伊東はもう一つの顔がある。
南部は概ね丘陵地帯になっていて、大室山の麓にある伊豆高原や一碧湖周辺は四季を通じて一大レジャー基地になっている。
城ヶ崎海岸は大室山の大噴火で溶岩が海に落ち込んだ際に形成されたリアス海岸で、断崖絶壁は見る者を圧倒する景観だ。
特に門脇崎の吊橋から、絶壁に白く飛沫を上げる波濤を見下ろすときは冷や汗ものだ。

伊豆高原から赤沢温泉、北川温泉を経て熱川温泉へ、この辺りは天城山系の最高峰、百名山でもある「天城山・1406m」がいきなり海岸へ落ち込んでいるところで、そのためR135も細々と通っている。
かなりの高所の国道沿いに標識があり、細い急な路地を下ると、まもなく海岸沿いに熱川の細長い温泉街があった。


高磯の湯・・、

処々のホテルには温泉の掘削井戸があって、そこからモウモウと噴気煙が上がっている。
源泉温度はほぼ100℃に達しているという高温泉である。
温泉街の外れに目的の波打ち際の「高磯の湯」があった。季節的に水を抜かれた青いプールの脇を通って露天風呂へ、ライダー連が数人いて些か騒々しいが、やはり露天風呂はいい。

湯は真透明でごくわずかに細かい白っぽい湯の花があるようだ。
海岸なのでやや塩味がする。しかし周囲は野生味が感じられないのは残念、コンクリートの床で海際は鉄柵で囲ってある、湯に浸かると紺碧の海原は見えない、人工物が自然を邪魔しているのだ。

早々に退散した。 
ついでに熱川温泉は大田道潅が発見したともいわれる。


天城トンネル・・、  

稲取温泉から河津浜へ。 
ここは伊豆半島中央を貫く幹線路R136、R414、修善寺、湯ヶ島、湯ケ野の合流点になる、通称中伊豆とも称している。
こちらも趣のある温泉地や自然が多い、なかでも何かと有名な天城峠は御存知だと思うが、川端康成の「伊豆の踊り子」は天城峠つまり旧天城トンネルが舞台になている。

明治38年に完成したトンネルは全長445メートル、アーチ・側面などすべて切り石で建造され、石造道路トンネルとしては日本に現存する最長のものであるとか。
有形文化財に登録され、2001年には道路トンネルとしては初めて国の重要文化財に指定されている。 また、「日本の道百選」にも選ばれている。


今は静寂を保つこのトンネルは歴史的にも、文学的にも観光の名所になっている。
トンネルの手前には旧峠道が延びている、トンネルができる前の往時の路は、急峻な地形や切り立った崖の上で、そのため天城越えで尊い命を落とした人もいたという。

幕末アメリカ領事館の初代総領事ハリスが通商条約締結のため, 下田より江戸に上ったときに通ったのがこの峠である、そのときのハリス一行の日記には,

  『 路は狭く, 鋭角で馬の蹄を置く場所もなく、ようやく峠を越えて湯ヶ島に着く。 今日の路は道路ではなく通路とも言うべきものだ. 』

と記されていることから, 相当な難所であったことが判る。
旧天城トンネル、更に新天城トンネルの完成で北伊豆と南伊豆の距離は一挙に短縮された。

次回、伊豆南端の下田は、「黒船祭り」の真っ最中であった。  PARTVへ

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