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日本周遊紀行

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紀行(110)いわき湯本 映画・「フラガール」







我が故郷の「いわき湯本」が映画になってしまったのである、「フラガール」である。

「フラガール」は、昭和40年代の福島県いわき湯本の常磐ハワイアンセンター(現:スパリゾートハワイアンズ)が苦難の途上、オープンするまでの実話を背景に描いたものである。

炭鉱の娘たちとの友情と再生を通して人の”命の輝き”を描いた映画は2006年の秋、全国一斉に公開された。 小生も早速拝見したが感動身にしみる出来栄えであり、何よりも正確とは言い難いが、地元いわき地方の独特の「訛り、方言」が心地よかった。


物語は、昭和40年代の炭鉱不況下の出来事から始まる。

いわき市の常磐炭鉱が不況のあおりで大幅な規模縮小に追い込まれた。 
危機的状況の中、炭鉱で働く人々は職場を失う現実・苦悩に立ち向かい、町おこし事業として立ち上げたのが常磐ハワイアンセンター(現:スパリゾートハワイアンズ)という、突拍子もない娯楽施設であった。

この施設の誕生から、炭鉱の娘達が散々多々苦労を重ね、成功までの実話を丹念に描いたもので、ハワイアン・ミュージックと本格的なフラダンスがチョットお色気を誘いながら描かれているのが良い特にラストシーンは、センターハウスの温泉大プール横のメインステージで踊るフラガールの面々と、ソロで踊る主役の「蒼井 優」が美しく悩ましく、圧巻であった。

そして最後の字幕に『10年後の1976年(昭和51年)常磐炭鉱は完全閉山、延べ4400人余が解雇された。
この40年もの間に常磐ハワイアンセンターに立ったフラガールは総勢318人、平山まどか(松雪泰子演じるハワイ舞踊の教師、現在、常磐音楽舞踊学院最高顧問)は70歳を超えた現在も尚、東北のハワイで彼女達の育成に励んでいる。』と結んでいる。

監督:李相日(日系3世・韓国人)
出演:松雪泰子、蒼井優、豊川悦司、富司純子、岸部一徳、山崎静代(南海キャンディーズ しずちゃん)ほか
音楽:ジェイク・シマブクロ(ハワイアンミュジックの第一人者)


公開前はそれほど注目されていなかったが、口コミによって評判が伝わり、ロングラン上映をする劇場が多く、特にスパリゾートハワイアンズのある「いわき市」の劇場では連日満員だったという。 
最終的には目標を上回る観客動員120万人、興収15億円という大ヒットとなった。

近年滅多に邦画を賛えることのなかった、映画評論家でもあるタレントの「おすぎ」氏が、久々に賞賛した映画としても話題となった。

第79回アカデミー賞の外国語映画賞の日本代表に選出されようとしたが、残念ながら本選の第1次選考で落選した。 
しかし、第30回日本アカデミー賞最優秀作品賞に選ばれた。 
かっては大手映画会社4社(東映、東宝、松竹、角川)以外の作品が受賞するのは1996年の「午後の遺言状」(日本ヘラルド映画)以来11年ぶりであるという。

第30回日本アカデミー賞;最優秀作品賞受賞及びその他の作品・個人賞多数。 
第80回キネマ旬報;ベストテンの邦画第一位 、 
読者選出邦画ベストテン;第一位、助演女優賞・蒼井優、 
第31回報知映画賞;最優秀作品賞、最優秀助演女優賞・蒼井優 、 
第19回日刊スポーツ映画大賞;作品賞、主演女優賞・松雪泰子 、助演女優賞・富司純子、新人賞;蒼井優などなど、
 

その他にも日本の映画賞の数ある作品の内、殆どすべてが「フラガール」を賞の対象としている。

映画の舞台でもあった「いわき市湯本」にある「いわき市石炭・化石館」では、企画展として「あの感動をもう一度・・、フラガール展」などが開催されることとなったという。

尚、常磐ハワイアンセンター改め、現在の「スパリゾートハワイアンズ」は、露天風呂だけでなくプールやエステなども併設し、家族連れだけでなく、若い女性たちで連日大盛況だという。

小生も2005年秋、法事で田舎を訪れ、家族、身内一同でスパリゾートハワイアンズで遊興、同ホテルを利用している。

因みに、小生の菩提寺(白鳥山龍勝寺、・・後述)からハワイアンズまでは凡そ3km、車で5分のところである。

次回は、いわき湯本の「温泉神社」


紀行(110)いわき湯本 「湯の岳と温泉神社」



湯の岳

温泉神社2
「湯の岳」と、いわき市湯本三函に鎮座する「温泉神社」



我が故郷の「湯の岳と温泉神社」について・・、 

我が古巣は、湯本駅を降りると左方向に在する。
温泉神社の方向はその逆で、常磐線の「湯本駅」から右方向、天王崎を過ぎると間もなく左に石柱で造られた鳥居が在り、鳥居を潜って石段を上ると立派な社殿が現れる。 
「温泉神社」である。

少年時代には良くこの辺りで遊んだものである、というよりこの辺りは中学校(湯本第一中学校)への通学途上でもあった。 

五月の初頭に行われる例大祭の「さつきまつり」は、地域住民の最大の楽しみであった。 
現状は定かでないが、当時は温泉に感謝するため、各旅館が温泉を樽に汲み入れ神前に奉納する「神社献湯式」が本殿で行なわれ、大小の神輿や長持(衣服・調度などを入れて保管したり運搬したりする。

長方形で蓋のある大形の箱で、江戸時代以降さかんに使われもの。
神事・婚礼などで長持唄を唄い名がらゆったり運ぶ)、その他の祭事で大変賑わったのも記憶している。


温泉神社は、旧来の地名に因んで佐波古神社(現在は湯本町三函)とも称し、社家にも伝わる。
その「神幸由来記」などの古文書によれば、神代の昔、『湯の岳』が御神体山であり信仰の山であって、白鳳年間(奈良期の7世紀頃)、この「湯の岳」より降臨(神仏などが天降ること)して里宮とし、遷座されたと記されている。

言伝えや伝説によると、日本武尊が東征のため当地に進駐の折、大和国・三輪大社(現在奈良県桜井三輪)の主神・大物主神(オオモノヌシノカミ・大巳貴命・大国主命)を勧請、分社し、少彦名命(スクナヒコノミコト、神話時代の国造りの神:大国主神とともに全国を回って国土を開拓した神とされている。
医薬の神)と共に合祀されて、以来二神が郷民によって祀れたという。

祭神は地下資源の神、医薬を司る神で湯本町の鎮守様として広く崇敬をあつめている。
その「湯の岳」は、我等町民の山であり、常磐道のいわき湯本I・Cのすぐ横に聳える山で、稜線は弧を描いたなだらかな緑豊かなの山である。 

我等の小学校、中学校の校歌にも詠われ、小生が小学校5、6年の時はクラスが五組であったので「ゴクミ・593」、つまり標高が593mであったのを今でも記憶に有り、印象に残っている。


因みに、温泉神社の元宮、本社である大和の国の「三輪大社」について・・、

現在は大神神社と称されていて、読みは「おおみわじんじゃ」・三輪明神とも呼ばれている。

奈良県桜井市にある由緒ある神社で大和国・一宮であり、大物主神(おおものぬしのかみ:大国主命の同義とも云われる)を祀っている。
日本神話に記されている創建の縁起などから、出雲系の神社で「日本最古の神社」を称し、少なくとも大和国においては最も古い神社の一つであると考えられている。

現在でも、神殿、本殿は置かれてなく、拝殿から奥にある三ツ鳥居を通して御神体である「三輪山」を拝するという原始形態の神祀りの様式をとっている。

神意は、国造りの神様として農業、工業、商業すべての産業開発、 方位除、治病、造酒、製薬、禁厭、交通、航海、縁結びなど、 世の中の幸福を増進することを計られた人間生活の守護神として 尊崇されている。 

その神威は、全国に亘り、古くは朝廷の鎮護として尊崇されていた。

後背に控える三輪山は縄文時代、あるいは弥生時代から、自然物崇拝をする原始信仰の対象であったとされている。 
特に、古墳期(大和朝廷が誕生し日本国として統一された時期で弥生以降、飛鳥以前の時代)にはいると山麓地帯には次々と大きな古墳が作られた形跡があり、そのことから、この一帯を中心として日本列島を代表する政治的勢力、つまり、ヤマト政権の初期の三輪政権(王朝)が存在したものと考えられているという。


この三輪山は、奈良盆地をめぐる山でも高さ467メートルの一際形の整った円錐形の山であり、いわき湯本の「湯の岳」と酷似しているのである。
三輪山は太古の昔より神宿る山とされ、山そのものが御神体であるとの考えから、常人は足を踏み入れることの出来ない聖域とされた。
所謂、禁足(きんそく)の山で、江戸時代には幕府より厳しい政令が設けられ、神社の「山札」がないと入山出来なかったという。

明治以降はこの伝統に基づき、「入山者の心得」なるものが定められ、現在においてはこの規則を遵守すれば誰でも入山出来るようになったが、登山を希望する場合は、社務所にて許可を得、入山届けをして「300円」という入山料を納めなければならない。 
そして参拝証である白いタスキを受け取り御祓いを済ませ、道中では、このタスキを外すことは禁止されているという。 

通例、2時間ほどで下山出来るが、3時間以内に下山しなければならないという規則が定められている。 
また山中にては、飲食、喫煙、写真撮影の一切が禁止されているという。
この神域には数多くの巨石遺構、祭祀遺跡も散在するが、これに対しても原則として許可なしに撮影も出来ない。
さらに山内の一木一葉に至るまで神宿るものとし、それに斧や刃物を持入れすることは許されていない。 一般には入山せずに参拝することが多く、拝殿から三輪山を仰ぎ拝むといった手法をとっている。


正月の初詣ともなると、至近のJR桜井線の三輪駅は駅構内まで行列が続いていて、駅に降りたら、そこが参拝の行列の最後であったともいう。 
ひどい時なんかは電車の中まで参拝客の行列が続いていて、電車は参拝客が全部降りきってしまうまで、1時間も駅で止まっていたこともあったという。

三輪山、大神神社は、さすがに我が湯の岳、温泉神社の本社聖域であることから、尊厳と格式か今でも存在することは、ただ、感服するのみである。三輪地方は、御存じ「三輪そうめん」の故郷でもあった。

いわき湯本の「温泉神社」や「湯の岳」には、このような深い歴史が潜んでいたことに驚きであったが、更に深い因縁が含まれていたのである・・、それは次回へ。

次回は 「石城地方」


紀行(110)いわき湯本 「石城地方」


古代・石城地方は、蝦夷(えみし)の勢力と大和朝廷の勢力が拮抗していた地域であった・・、


小生の実家は、昭和の初期までは福島県石城郡湯本町であった。 
今は、平仮名の「いわき市」になっているが、本来の「石城」は「いしき」ではなく「いわき」である。
この「石城地方」について更に付け加えたい。

「いわき」は、古事記、日本書紀、風土記に表れる古来の和字は「伊波岐」と記されているらしい。

古代から中世にかけて「いわき」は、磐城とか岩城とも書くし、岩木とも書くことがあったらしいが、本来は石城である。 
「続日本紀」(平安初期の歴史書)には陸奥国石城郡と書かれているし、それが昭和初期の頃まで福島県石城郡・・、であった。

古代、大和朝廷の北への開拓は、「日本武尊」の東征では相模国から安房国、常陸国あたりの道筋とされているが、その後も石城から・・・次第次第に北に向うのである。
古代・石城地方は、蝦夷(えみし)の勢力と大和朝廷の勢力が拮抗していた地域であり、やがて、東征後は大和朝廷の傘下に治まり防衛前線基地となったとされてる。 所謂、大石を並べて城塞化したのが「石城」であり、古代の築城施設であった名残りが石城となったのだろう・・、と唱える先生方もいるようである。


石城地方は、古くからは関東圏に内包され、東北地方ではもっとも早く開発されて、大和朝廷化した地域であることは確かであろう。 
弥生文化といわれる生活様式も鉄器、稲作などが導入されたのも比較的早く、そして海の幸・山の幸を含めると、石城地方がある時期、東北地方でもっとも豊かであったらしい。 
季節的にも普通云われる東北のイメージとは異なり、雪などはめったに降らない温暖な地で、東北の「湘南」とも言われている。 


東北南部は、蝦夷を含めた旧態の豪族たちが、朝廷を倒そうと東国の兵を動員して京(平城京)へ向かおうとした地域とされている。 
だが、平安初期のこの時期、「坂上田村麻呂」により遮断されるという動乱も起きている。 

石城地方は、それらの旧態勢力と新規勢力の抑えの拠点であり、この地に石城軍団が置かれていて、石城の大領(たいりょう:平安初期における郡の長官のこと・陸奥国磐城郡の大領)・磐城雄公が配され、天皇から從五位下という官位まで受けている・・、という記録もあるようである。

大和朝廷の東北進出は、はじめ武力が主であったが、経営的には文化の両面からも行なわれたであろうといわれ、その文化の面では特に「宗教」に力を入れたのではないかと思われるのである。


飛鳥初期に大陸から「仏教」が伝来して以来(538年)、変遷を経ながらも中央官人に認められ、仏法興隆の詔が出されるまでに到る。 後に、布教活動によって全国に伝播することになるが・・、石城は仏教教化の重要な拠点であったのではないかとも言われ、その中の一人に「徳一」という名僧がいたことは史実でも明らかにされている。

「徳一」(とくいつ)は、奈良時代から平安時代前期にかけての法相宗(ほっそうしゅう)の僧で、父は朝廷の一員である「藤原仲麻呂」で、徳一はその十一男と伝えられている。 
初め東大寺で法相教学を学んだとされ20歳頃に東国へ下った。

新興宗教の空海とも相容れず、最澄との間で一大仏教論争である「三一権実諍論」(さんいちごんじつそうろん)を展開したことは有名である。 

この間、陸奥国会津、常陸国筑波山など陸奥南部から常陸国にかけて多くの寺院を建立すると共に、民衆布教を行い「徳一菩薩」とも称された。

次回は高僧・「徳一と長谷寺」  PART(4)へ   第16日目へ


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