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日本周遊紀行

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紀行(103) 「牡鹿半島」

国道45はこの後、志津川町からは内陸へ向うので、ここで分かれて沿岸沿いの国道398を行くことになる。 
志津川の市街地を通過して、志津川湾を見ながら、神割の岬から北上町(石巻市)に入ると、やがて、R398は北上川の河岸を行くようになる。 
砂州を両側に形成しながら雄大に流れ、河口がまた広大である・・!!、間もなく新北上大橋を渡る。


こちらの河川はその名も「新北上川」と称しているが・・?、

北上川は、岩手県、宮城県を流れる北上川水系の本流で一級河川。
流路延長249km、流域面積は東北最大であり、また、日本の河川としては勾配がかなり緩いことも特徴となっている。

岩手県岩手町の「弓弭の泉」(ゆはずのいずみ・★)を主な源流とし、東に北上山地、西の奥羽山脈の間の岩手県中央部である盛岡市、花巻市、北上市、奥州市、一関市などを貫流しながら北から南へと流れる。 
宮城県に入り、仙台平野に流れ出た北上川は大きく蛇行を繰り返しながら、登米市、津山町付近で洪水防止のため新たに開削された「新北上川」と「旧北上川」とに分かれる。 

新北上川はその後東へ向きを変え、石巻市北上町で追波湾(おっぱわん)に注ぐ、古称では追波川とも呼んでいた。 旧北上川は迫川・江合川と合流、南流し石巻市で石巻湾に注ぐが、このことは後ほど。


★「弓弭の泉」とは・・、 

岩手県北部・岩手町御堂観音(いわて銀河鉄道・旧東北本線「御堂駅」)の右裏手にあり清冷な泉の湧く処、古くから北上川の源泉だと伝えられている。
11世紀半ばの前九年の役で源頼義、義家父子が、この地に進軍した時に、義家が矢を放った所を弓の端で堀り出すと、清水がこんこんとわき出し、猛暑にあえぐ兵の喉を潤したといわれている。


国道を南下し鎌谷峠のトンネルを抜ける、再び海岸へ出ると女川街道となる、
又の名を「リアスブルーライン」ともいうらしい。 
女川市街の手前まで来ると、崎山展望公園があり、ここからの女川湾が雄大に見渡せる。 沿道の桜の並木が多く、名所になっているらしい。

牡鹿半島の付根にあたる、女川町(おながわ)は東北の原子力発電の街としても知られている。
女川原発では、現在3機が稼動し、東北電力全体の電力量の13%にもあたる発電が操業中とか。 
ちなみに全国の総電力量の約30%は、原子力発電によって造られると言われる。

その女川町は又、金華山沖漁場という日本有数の漁場を抱える。 
そこは暖流・寒流が交差する豊かな漁場で、豊富な魚種が数多く水揚げされることで知られる。
女川町は小さな町域である。
豊かな漁場と原子力発電などの交付金によって財政は豊かであり、そのためか、周辺地域(北上町、牡鹿町など・・)が石巻市と合併する中、石巻市域に囲まれながらも自主独立を保っている。


牡鹿半島はオガ(男鹿半島・秋田)だはなく、オシカと呼ぶ。 

小生は勘違いで宮城の「オガ」と読んでいたが。 
その半島の牡鹿町は、永い間「捕鯨の街」だったらしい。

日本沿岸では、昔からセミクジラの回遊があり、湾や入江に迷い込んだ”クジラ”やシャチ等を捕獲していた。 
また南氷洋での操業が始まった昭和初期には、国内の大手捕鯨会社が集まって、牡鹿の鮎川浜は捕鯨の基地となっていた。 
しかし、昭和47年、捕鯨を取り巻く国際的な環境が変化し、圧力も年々増し、ついに昭和62年(1987年)を最後に、一部の鯨種を除いて捕鯨が全面禁止となってしまったという。
日々の食卓に欠かせなかったクジラ肉が姿を消し、有数の捕鯨基地であった牡鹿町もかっての面影はなくなった。現在、ミンククジラについては、IWC(国際捕鯨委員会)でも資源量が十分であることがすでに確認されている。 

国と牡鹿町では、沿岸捕鯨の再開とともに、南氷洋で増え過ぎたミンククジラの「年間50頭の捕鯨の再開」をIWCなどで訴え続けているという。
半島の大部分を占める牡鹿町は、2005年4月1日に石巻地域1市6町で合併し、石巻市となった。


牡鹿半島のすぐ東に、気象通報でお馴染の離島である「金華山」が在る。

奈良朝期、東北地方で我が国最初の金が産出され、朝廷に献上されたことから「金華山」と呼ばれるようになったという。港の正面に、その名も「黄金山神社」が鎮座している。

1200余年前に創建されたという、歴史ある黄金山神社の本殿、拝殿等の社殿が立ち並び、祭神は、金銀財宝を司る金山毘古神(カナヤマヒコノカミ)、金山毘賣神(カナヤマヒメノカミ)であると。

金華山は、出羽三山、恐山とともに東奥三大霊場とされ、明治以前までは女人禁制の島・霊島として、全国から尊崇を集めていたという。 

島全体が鬱蒼(うっそう)とした原生林が生い茂り、四季おりおりの美しさがある。また野生の鹿が「神の使い」として大切に守られ、参拝の人々を出迎えてくれるし、角切りの神事も行われてるという。


紀行(104)石巻 「北上川流域の盛衰」


石巻へ来た、市街の中心を清冽な「北上川」が流れ注ぐ。
この北上川は「旧北上川」と称しているが、一方、「新北上川」が追波湾に注いでいることは、先回の項目で述べた。

「新北上川」は、旧北上川の流量調節や、農業・水運のため、昭和の初頭、津山(柳津)で分流し、旧追波川を改修、合流させ運河として造成したものという。

北上川は岩手の中枢を流域とし、往時は水運文化として栄え、栄華を極めた地域である。
その流域には、一関、平泉、衣川、前沢、水沢、胆沢(いさわ)、江刺、金ヶ崎、北上、花巻といった、既に大和朝廷時代の古代から知られる地域名が多く並んでいる。 

古代奈良期の頃までは、この辺りは未だ東国・蝦夷といわれた処の中心で、蝦夷・エミシの棟梁である「アテルイ」という人物が古代東北を治めていたことは、東北の歴史に興味のある人は周知のことであろう。
大和の国統一を計る朝廷は宮城・多賀城に根拠を持ち、幾度となくエミシの中枢である水沢、胆沢を攻めるが、アテルイによってことごとく阻まれてる。 
そして最後に登場するのが征夷大将軍に任命された坂上田村麻呂(・・後述)で、彼によって決着をつけられるのだが、この時期に北上川は多いに利用され改修もされたという。

後には俘囚(ふしゅう・朝廷の支配下に入り、一般農民の生活に同化したエミシ)と呼ばれる安倍氏の反乱である「前9年の役」などを経ながら藤原全盛期を迎えることになる。 
平泉の藤原三代の中尊寺、毛越寺(もうつうじ)等に代表される奥州・藤原文化のように東北独特の文化圏を形成した。 
それには「北上川」が社会、経済、文化の発展に大きな役割を果たしていたのである。

宮沢賢治(花巻市)、石川啄木(盛岡市)など、流域出身者の作品にも取り上げられたように、流域住民にとってはまさに「母なる川」といえる。 

ただ、岩手・盛岡出身の作家・高橋 克彦氏は・・、

 古代から近代までの東北は敗者の暮らす土地であった。 弥生文化に席巻された縄文文化;中央朝廷の蝦夷・エミシの統一化;源氏に滅ぼされた藤原平泉文化;豊臣秀吉の天下統一最後の合戦場(岩手県・九戸);官軍の東北侵攻など、ことごとく侵害を受け、敗北を喫している。 その度に築き上げた豊かな文化は白紙に戻され、勝者によって歴史が改竄(かいざん)されてきた。 こんな国が他にあるだろうか・・  』・・とも述べている。

北上川には国指定史跡、名勝、天然記念物などの多くが分布しているが、それは苦難の歴史を秘めていることでもあり、今は只、ゆったりと流れている。

江戸時代の石巻港は北上川水運によって南部藩領からも米が下り、河川交通と海運との結節点として、日本海側の酒田港と列んで奥羽二大貿易港として全国的に有名であった。
伊達政宗が舟運の便を開き、上流の南部藩米を積んだ平舟がこの川を下って石巻で千石船に積み換え、江戸へと向かったという。 
これによって、ここ石巻は北上川舟運の終点として江戸回米の一大集積地となり、石巻発展の礎となった。


尚、伊達政宗は北上川に「貞山運河」(ていざんうんが)を拓いている。
旧北上川河口から阿武隈川河口まで、仙台湾沿いに全長約46kmに及ぶ日本最長の運河が延びている。
江戸慶長年間から明治期にかけて建設されたもので、因みに「貞山」とは伊達政宗の謚号(しごう、おくりなで生前の行いを尊び死後に贈られる称号)である。


当時はまだ鉄道もなく、道路も未発達だったので物資輸送は舟運が中心であった。
そこで宮城・岩手間の米輸送に欠かせなかった北上川に着目し、更に、北上川と阿武隈川を結んで東北の輸送の大動脈を造ろうと考えたわけである。
運河は岩手県北上盆地、宮城県仙台平野、福島県中通りの広大な河川交通・物流に供するものであったが、仙台平野においては江戸時代初期の新田開発における灌漑用水路、排水路としての機能も重要であった。

しかし、北上川の度々の洪水や鉄道輸送との競合によって、近年はその役割を終えている。 
現在は、物流に用いられる例はまれであるが、農業用水路、漁港の一部、シジミ漁・シラス漁などの漁場、釣りなどのレジャーに用いられている。 
運河沿いの一部には自転車専用道路も設置されているとか・・。

次回は、「松島」は、温泉と観光」の項で記載、  観光編へ   第15日目へ


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