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日本周遊紀行

14日目:PARTU(大船渡、陸前高田、気仙沼)  PARTV(牡鹿半島、石巻)へ  観光編へ  写真集
日本周遊紀行:詳細目次
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北陸  世界遺産:紀伊熊野 石見銀山

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紀行(100)三陸地方 「大船渡」


三陸とは、陸前・陸中・陸奥(むつ)の昔の地名に基づく呼称である。


激しく入り組んだ三陸の地を、国道45は喘ぐように走っている。
相変わらず山坂が多い。

この辺りの三陸リアス海岸は、奥行き数キロにも及ぶ半島と入江や湾とが交互に入れ替わり、地図を見ても所謂、ギザギザの地形が連続しているのが判る。 
半島部分は概ね山岳地となっていて、ヘアーピンカーブの峠やトンネルを登り降りしながらの走行となる。

いつもの風景であるが、集落や街へでると概ね海岸であるが、しかし直ぐに山中へ分け入るのである。 こんなことの繰り返しで、些かウンザリしそうだが、気が付くと岩手の海道は黒松、赤松が多く、小雨に濡れて更に緑を濃く彩っている。 


過日、通過した日本海側、特に秋田県側の荒涼とした松枯れの風景とは対照なのが面白く気になったが、何故なのか些か疑問はあったが、深い緑は目には良いことは確かである。
(黒松については、後の項=「気仙沼」・・?あたりで記載します)


概ね並行して「三陸鉄道」が走っている。 
この鉄道も、各半島付け根に当たる山岳地の殆どの部分がトンネルで、こちらも喘ぎあえぎ走っていることだろう。 
三陸の鉄道の歴史も新しく、近年僅かに20数年前の開通とか。 


一般に「三陸地方」と言われるが、東北地方東部の宮城、岩手、青森の三県に跨る太平洋岸沿いの地域を指している。 三陸とは陸前・陸中・陸奥(むつ)の昔の地名に基づく呼称である。

「陸前」は今の宮城県と一部は岩手県に属し、「陸中」は今の岩手県と一部は秋田県に属する。 
「陸奥」は大部分は今の青森県と一部は岩手県に属する。 

広義に「陸奥国」は、江戸時代まで日本の地方区分である国の一つであり、奥州とも呼ばれた。 
現在の青森県・岩手県・宮城県・福島県の県域に相当する地域を称していたが、明治維新後の明治元年に、陸奥国は陸奥、陸中、陸前、磐城、岩代の5ヶ国に分けられた・・?。


その三陸海岸は、宮古市を境に北部は隆起地形で断崖絶壁の海岸となっているため、港に適した場所が少ない。
八戸市から久慈市辺りの海岸沿いでは、台地状でなだらかであるため、漁業よりも農業・牧畜などが盛んである。 

一方、宮古市よりも南は沈降地形のリアス海岸となっているため、水深の深い入り江が多く、これが天然の良港となっているため漁業が盛んである。 
世界三大漁場と言われる「三陸沖」には、この南部の漁港から主に出漁している。 
この地域は平坦な台地状のところは殆どなく、海に面した急峻な谷間にできた僅かな沖積平野部が、陸上の主な生活の場となっている。

三陸海岸の南部「三陸町」は、国の市町村合併政策の先駆けとして、早々、隣町の大船渡市と2001年に合併を果たし、新大船渡市として発足している。
その大船渡市は三陸町との合併により平成13年、「サンリク・オオフナト共和国」として「銀河連邦」に仲間入りしたという。 


「銀河連邦」・・??、 

普通このような呼称については、或る世界において用いられる架空の国、S・F、空想の社会での話であるが・・、実際は真面目に未来志向の研究がなされている共同体らしい。

今、日本の宇宙科学分野では、宇宙科学研究所(現、独立行政法人)と言う文部科学省管轄の研究部門が各地にあるという。 
これら各施設をかかえる2市3町が提携した友好都市関係のことを「銀河連邦」と呼んでいるらしい。 
そして、構成している自治体、各市町を共和国、首長(市長・町長)のことを大統領と呼んでいるようである。 

北は秋田県から南は鹿児島県まで、研究施設のある市町(4市1町)が握手し共和国として、昭和62年11月に発足、誕生しているという。


因みに、各共和国と研究内容は・・、

サンリク・オオフナト共和国』(岩手県大船渡市)
三陸大気球観測(昭和45年開設)の施設が在り、科学観測用の気球の飛行実験、気球追跡、気球との送受信施設などを研究している。

ノシロ共和国』(秋田県能代市)
能代市南部の浅内浜に「能代多目的実験場」があり、鹿児島宇宙空間観測所から打ち上げられる観測ロケットや宇宙探査機打ち上げ用のM型ロケットの開発のため、必要な各種個体ロケットモーターの地上燃焼試験、およびエアターボラムロケットなどの将来型推進器の基礎研究を行っている。

サク共和国』(長野県佐久市)
臼田宇宙空間観測所の施設が在り、ハレー彗星観測用惑星探査機「さきがけ」、「すいせい」やその後の火星探査機「のぞみ」、小惑星探査機「はやぶさ」等の惑星探査機との通信用観測を行う。
太陽系内にて観測を行っている深宇宙探査機に向けての動作指令や、探査機からの観測データの送受信を行えるよう、東洋一の大きさを誇る64mパラボラアンテナを持つ。

サガミハラ共和国』(神奈川県相模原市)
宇宙航空研究開発機構・宇宙科学研究本部相模原キャンパスがある(昭和58年開設)。
飛翔体環境、構造機能等の試験等を行う。
相模原は首都圏にも近く、全国の宇宙科学研究所施設の中核となってる。

ウチノウラ共和国』(鹿児島県内之浦町)
鹿児島宇宙空間観測所、観測ロケット及び科学衛星の打ち上げ、追跡、データ取得のための実験場を行う。
以上の共和国は、互いの研究状況を連携し共有しあい、その他の行政や文化、物産、女性問題・・?、スポーツ、又、子ども達との交流に伴う人材育成、観光物産振興等、広範な地域交流を通じて友好のきずなを深めいるという。



大船渡の名勝・・、


碁石海岸
大船渡市末崎半島の東南端約6kmの海岸線を「碁石海岸」と呼び、背後のアカマツや草花が彩りを添えるなど、変化に富んだ素晴らしい海岸景勝地で、「国の名勝・天然記念物」に指定されている、「日本の渚・百選」。 
なかでも、穴通磯(アナトオシイソ)は、碁石海岸を代表する絶景スポットで、波の侵食作用により大きな洞門が三つ開いたその姿は、まさに自然の造形美であると。 
又、乱曝谷(ランボウヤ)は数十mの切り立った岸壁が向かい合う海の谷間で、激しくぶつかって砕け散る波濤の迫力は強烈であると・・。 

大船渡貝塚群
大船渡湾岸には、蛸ノ浦貝塚、下船渡貝塚、大洞貝塚など多くの貝塚や遺跡がみられ、何れも国の指定史跡になっている。 
三陸沿岸は世界の三大漁場といわれ、北に親潮と南の黒潮がここで合流し、寒流、暖流の魚群が多く、食の豊富であった。
この地は、縄文期から人が住み着き、生活を営んでいた形跡があり、貝塚からはアサリやカキ、ホタテなどのほか、マグロ、ブリ、カツオなどの魚の骨もあり、当時の海の豊かさを今に伝えている。

大船渡の市街地を抜けて、高台の展望休憩地に「新沼謙治の出身地」と大きな看板が目に入った・・。彼の唄 では「津軽恋女」がいい・・、 
 
 
「津軽恋女」  新沼謙治
 津軽の海よ 竜飛岬は吹雪に 凍えるよ
 日毎夜毎 海鳴りばかり 愚図る女の泣く声か
 津軽の女よ 別れ唄ひとつ 口ずさむ
 濁り酒に 思い出浮かべ
 かじかむ心の 空を見る
 降り積もる雪 雪 雪また雪よ
 津軽には 七つの雪がふるとか
 こな雪 つぶ雪 わた雪 ざらめ雪
 みず雪 かた雪 春待つ氷雪
 津軽の女よ ・・


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紀行(101)陸前 「高田松原と啄木」


石川啄木の「一握の砂」・・、


国道.45にはリアス海岸の小さな半島を越えるたびに、いくつもの大小の峠を越えるようになる。
大船渡の細長い町並みを抜けると広田半島(末崎半島)・・?の付け根に当たる山地を行くようになる。 
この通岡峠は、その中でも比較的大きめの峠であろう、標高はわずかに170mであるが海から一気に登るので、そのわりに道は急坂で険しい。

峠からは遠くに海を臨むことができ、すぐ南に神奈川県民としては懐かしい「箱根山」というのが聳えていて三陸を代表するような松の緑も秀麗で目を潤す。
この通岡峠を境に「陸前高田」に入る、峠直下では「三陸自動車道」のトンネルが掘削中のようでもある。


国道45のドライブで、そろそろ一息入れたいと思っていた時に「道の駅・高田松原」が現れた。 
ゆっくり休憩しながら案内板を見ると、このすぐ裏手に名勝「高田松原」があった。 
小雨模様だった薄暗い様気も、今はすっかり晴上がっているし、そこまで脚を延ばしてみた。


三陸の海岸は、リアス海岸で断崖絶壁ばかりかと思われているが、実は平坦美景な砂浜も多少はある。 
中でも有名なのが、ここ「高田松原」であろう。
こちらも三陸を代表する景勝地で、約2km続く弓形の砂浜は、背後には樹齢300年を超える数万本の赤松や黒松が続いている。
日本百景にも数えられる白砂青松の浜はさすがであった・・。

「高田松原」は、往時の江戸初期の頃は、ただの砂浜や湿地帯であったらしい。
気仙川から運ばれた土砂が、広田湾の沿岸流によって堆積され、これが高潮の時や風によって飛び砂となり地域の人々は難渋していたという。 

高田松原は江戸初期(1667年)、菅野杢之助(かんのもくのすけ)翁が仙台藩の許しを得、地元民の力をかりて「松」を植栽したのが始まりで、三代にわたり植えられ保護されてきた。 

更に、享保年間(1716〜1736)には、松坂新右衛門翁が植栽を続け、ここに、現在にいたる松原の原型が誕生したとされる。 
しかし、昭和35年のチリ地震津波では、200メートルにわたって砂浜が流失したという。
高田松原は、自然にできたものではなく、数百年の永年にわたり、人の手により作られ保護されてきたものであった。


地元・盛岡出身の歌人・「石川啄木」は折に触れてこの地を訪れ、高田松原や広田半島などの自然に浸り、時を忘れ、その美しい風景に感動して多くの歌や句に詠んでいる。

砂浜を漫ろ(そぞろ)歩きしながら・・、啄木の歌を思い出した。
  「 東海の 小島の磯の 白砂に
              われ泣きぬれて 蟹にハサマル 」
・・と、駄洒落ながら。


石川啄木は「一握の砂」の詩集の冒頭に・・、


『 函館なる郁雨・宮崎大四郎君(啄木に対し変わらぬ敬慕の情を抱き、物資両面にわたって援助を惜しまなかった歌人・宮崎大四郎:郁雨・いくう)。 同国の友、文学士花明・金田一京助君(アイヌに造詣のある言語学者)に、この集を両君に捧ぐ。 予はすでに予のすべてを両君の前に示しつくしたるものの如し。 従つて両君はここに歌はれたる歌の一、一につきて最も多く知るの人なるを信ずればなり。・・明治四十一年夏以後の作一千余首中より五百五十一首を抜きてこの集に収む。・・「秋風のこころよさに」は明治四十一年秋の紀念なり・・』とある。 


表題の『一握の砂』の内、砂に纏わる歌集を集めてみた・・。

 「我を愛する歌」 より 石川啄木
東海の小島の磯の白砂に
われ泣きぬれて
蟹とたはむる

砂山の砂に腹這ひ
初恋の
いたみを遠くおもひ出づる日
大という字を百あまり
砂に書き
死ぬことをやめて帰り来れり
頬につたふ
なみだのごはず
一握の砂を示しし人を忘れず

いたく錆びしピストル出でぬ
砂山の
砂を指もて掘りてありしに
ひと夜さに嵐来りて築きたる
この砂山は
何の墓ぞも
砂山の裾によこたはる流木に
あたり見まはし
物言ひてみる
いのちなき砂のかなしさよ
さらさらと
握れば指のあひだより落つ
しっとりと
なみだを吸へる砂の玉
なみだは重



啄木は、東京朝日新聞の朝日歌壇の選者になったのを機会に、更に歌人として精進したいと考え、従来、「一行」で発表した短歌を「三行書き」に改め、新作を加えて551首の『一握の砂』という題で明治43年に刊行している。

望郷と漂泊の天才詩人として知られる石川啄木は、僅か26年の生涯ながら「歌は私の悲しい玩具である」、 「歌を作るのは不幸な日だ」と告白しながら、「一生に二度とは帰って来ない命の時の一秒」をいとおしみ、消え去る刹那の感動を見事に表現しているという。 

啄木は、岩手県玉山村(盛岡市北東の村、2006年:平成18年1月10日に、盛岡市に編入合併されて消滅した。)生まれ、1902年、盛岡中学を自主退学して上京し与謝野鉄幹・晶子夫妻を訪ねている。

病気で帰郷の後、 故郷での代用教員、北海道での新聞記者生活のなどを経て、1910年「一握の砂」を発表、出版している。
1912年肺結核のため東京で26歳の若さで永眠。 第二歌集「悲しき玩具」は死後出版されたものという。
ただ、石川啄木が、この地「高田松原」の砂浜に、腹這いしたかどうかは、定かでない。


陸前高田市街地の北部、大船渡線で一駅の地区に「竹駒」という地区がある。
あの演歌歌手「千昌夫」の出身地である。

彼は高校2年のとき、修学旅行で上京した際、作曲家・遠藤実氏の門をたたき、「北国の春」を歌ったのは周知である。 
北国の春は1977年発売、最終的に 300 万枚を売上げたという超ヒット曲で、今では日本以外のアジア各国でも大ヒットし、中国では、現在でも最も有名な日本の楽曲の一つとされている。

寒い北風の中、氷点下の冬を過ごす北国に住む人にとって春の到来を告げる南風は待ち遠しい。 
「北国の春」は、千昌夫の故郷、出身地である陸前高田の竹駒地区を連想させるが、実際は、この歌を作詞した「いで・はく」は信州・南牧村の出身で、故郷の野辺山周辺をイメージして作詞したといわれる。

カラオケ好きの小生にとって「北国の春」は、良く唄う歌ではあるが、それ以前にヒットした「星影のワルツ」が強烈に印象に残っている歌なのである。

私事ながら・・、
東京へ転勤になって一人寂しい暮らしが始まった時でもあり、その孤独感を癒してくれた或る女性とのつかの間の「愛」を育んできたが、とある事情で露と消えてしまった時期でもあった。
この時に大ヒットしていたのが「星影のワルツ」であり、巷では厭でもこの曲が流れていて耳に入る。 
まるで悲壮感漂う小生の心境を謳いあげているような錯覚さえしたもんであり、この曲だけは歌好きの小生でも、今も歌うことが出来ないのである。


 「星影のワルツ」 詩:白鳥園枝  曲:遠藤実(昭和43年)

1  別れることは つらいけど
  仕方がないんだ 君のため
  別れに星影の ワルツをうたおう
  冷たい心じゃ ないんだよ
  冷たい心じゃ ないんだよ
  今でも好きだ 死ぬ程に

2  一緒になれる 倖せを
  二人で夢見た ほほえんだ
  別れに星影の ワルツをうたおう
  あんなに愛した 仲なのに
  あんなに愛した 仲なのに
  涙がにじむ 夜の窓
3  さよならなんて どうしても
  いえないだろうな 泣くだろうな
  別れに星影の ワルツをうたおう
  遠くで祈ろう 倖せを
  遠くで祈ろう 倖せを

 
今夜も星が 降るようだ


「北国の春」  詞:いではく  曲:遠藤実

白樺 青空 南風
こぶし咲 くあの丘
北国のああ北国の春
季節が都会ではわからないだろと
届いたおふくろの 小さな包み
あの故郷へ 帰ろかな 帰ろかな

雪どけ せせらぎ 丸木橋
落葉松の芽がふく
北国のああ北国の春
好きだとおたがいに言い出せないまま
別れてもう五年 あのこはどうしてる
あの故郷へ 帰ろかな 帰ろかな>

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紀行(102)三陸南部 「気仙沼」

気仙沼は、全国でも珍しい「魚食健康都市宣言」をしている都市だとか・・、

白砂と松の緑で目の保養をし、更に国道45を南下する。 広田湾を見ながら、「宮城県」に入ったようである。 

三陸名物のリアス海岸を味わえる場所としては唐桑半島もその一つであろう。
半島の何れからも、断崖絶壁が広がり、眼下には大小の鋭い奇岩・怪岩が連なる。 
半島の東側にある二つの岬、シンボルは巨大な石柱で「折石」という。
高さ16m、幅3mの大理石の石柱で、荒波の海にヌッとそそり立っている。 
なんでも「折れ」と頭につくのは三陸大津波で先端が折れたかららしい・・。 
風光明媚な海岸線が続く唐桑半島であるが、その地形から過去に大きな津波の被害を受けてきた地域でもある。 

G・S(ガソリンスタンド)に寄り、昼時(ひるどき)なので、
「何処っか、美味いラーメン屋はないかね・・」、
「すぐ其処に有りますよ・・」・・と小生の車のプレートNoを見ながら
「気仙沼はフカヒレラーメンですよ・・!」・・とニコニコしながら云う。 

言われるままに紅いノレンをくぐって早速食してみた、ヌルッとした食感はサッパリ味で良い、汁も実にいい味を出していた。

フカヒレといえば、漁業で栄えた港町・気仙沼が本場であった。

ふかひれはサメのヒレを晒して干した白色か淡黄色の半透明状の食品のことで、高級中華料理の材料として知られてる。 
フカヒレスープやフカヒレ姿煮として加工され、ふかひれラーメンやふかひれ寿しは気仙沼の味として全国的にも有名である。
栄養価としてもコンドロイチンやコラーゲンが多量に含み、不老長寿、百薬の源と健康食としても優等生と言われる。


気仙沼は全国でも珍しい「魚食健康都市宣言」をしている都市だとか・・!。
水産業は東北でもトップクラス、全国有数の水揚げ高を誇るのは周知のことであり、食卓にお馴染みのマグロ、カツオ、サンマなどをはじめ、特に、エビ、カジキ、シイラ、そしてサメは陸揚量全国1位を誇るという(平成16年度)。

このサメだが・・、
多くはマグロの延縄漁の際に釣れるのが「サメ」だという。
そして鱶鰭(ふかひれ)は、大型のサメのひれ(主に尾びれや背びれ部分)を乾燥させた食材である。

日本は元々、世界有数のふかひれ生産国であり国内では、ここ気仙沼の水揚げが最も多いのである。
フカヒレはジンベエザメ、ウバザメのものが最も高級とされ、アオザメ、イタチザメなどのものも高級であるが、一般的にはヨシキリザメのものが使用されることが多いという。
日本の気仙沼産が特に有名で且つ高級品として扱われるのは、加工技術(乾燥など)が優れているためとも言われる。


気仙沼は県の北東端に位置していて、こちらも代表的なリアス海岸を形造っている。
このノコギリの歯のようなリアス海岸一つでもある気仙沼市街地の正面に、半島の如く南へ突き出しているのが実は「大島」という島であった。
本土とは大島瀬戸によって隔てられ、最も狭い場所で230mしか離れていないという。

鳴き砂海岸」などでも有名だが、自然が豊かな島であり、地元作家の水上不二(詩人、童話作家、絵本作家、作詞家・気仙沼市に生まれ育つ)によって「大島よ永遠にみどりの真珠であれ」と称えられた。気仙沼湾の入口に大島があることで湾内は常に穏やかであり、「気仙沼の防波堤」の役割を果たしている。
よって気仙沼漁港は天然の良港なのである。


国道45は別名「東浜海道」ともいう、並行して気仙沼線が海岸を行く。
元吉町の大谷海岸から小泉海岸は明るい景観が続く、特に小泉海岸は砂浜の美しいところである。
「白砂青松100選」にも選ばれ、若者がサーフィンに興じていた。

歌津町は緑の濃い街で小さな町域である。
伊達藩政以前は、歌津をはじめ三陸一帯の海岸には一本の黒松もなく、見渡す限り荒涼たる浜で怒涛が岩をかみ、飛沫は遠く飛散して内陸に及び、作物は塩害に晒されたという。 

この状態を見て「伊達政宗」が殖産のため防潮林の育成策を打ち出し、それから三百余年の今日まで、種子が次々と飛散して三陸沿岸一体が黒松林で覆われるようになったと伝えられている。
三陸界隈の松林は、自然林ではなく人工林だったのである。 


南下の途中、緑濃き三陸地域に感心していたが、古人の英知に改めて敬服し、敬意を表したい。
志津川町・歌津町は合併協議が順調に進み、来年度「南三陸町」として新たに発足することが決まっている。
次回は、北上、男鹿   PARTVへ


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