カスタム検索

日本周遊紀行

11日目:PARTV(襟裳、日高地方・様似・浦河)  PARTW(静内、新冠、紋別、鵡川)へ   第12日目へ  写真集
日本周遊紀行:詳細目次
詳細目次(東日本) 信越・東北西沿岸 北海道T、世界遺産:知床 北海道U 東北・東沿岸 関東沿岸
詳細目次(西日本) 鎌倉・湘南 東海 近畿 四国 山陽 九州(北、西) 九州(南) 九州(東)  沖縄  
              山陰・北近畿  
北陸  世界遺産:紀伊熊野 石見銀山
.

紀行(74)襟裳 「襟裳岬」


襟裳岬
北海道の最北が宗谷岬なら、その南の対極に位置している「襟裳岬」



「風の岬」に台風襲来・・!、

十勝港を過ぎると、いきなり山間に入ってきた。 
小雨模様だった様気がだんだん強雨になってきて風もでてきた。 

路岸に打ち寄せる波浪も激しくなってきている。
広尾町から約30kmにもおよぶ国道は今までの平穏な様相から一変して、急峻な大地が連続して海に迫る壮絶な風景を呈している。 この海道・国道336は別称「黄金道路」と称している。
この近辺から「黄金が産出する」という意味ではない。

日高山脈が太平洋に落ち込む海岸道路の建設は大変な難工事であった。
迫りくる断崖絶壁、落石、海からの高い波に耐えられるだけの盛り土、数々のトンネルや覆道と、実に道路に「黄金を敷詰めたよう」な膨大な金がかかったそうである。 
このことからここを「黄金道路」と称しているという。 
今も修復工事が所々で行われていて、その度に片側通行を余儀なくされ、 更には国道は連続降雨が80mmで通行止めになるらしい。


厳しい海岸道路を過ぎるあたりが「庶野」(しょや)という集落へでた。
国道はここから内陸へ向け、岬の反対側の海岸へ延びている。 
小生の車は「襟裳岬」へ向かうため道道34を更に進む事になる。 
日高山地の荒々しい山肌もこの辺りで途切れて、見通しの良い低丘陵地帯の砂防林が現れてきた。

本来、地形的に地獄から天国へ来た様な気持ちに成れる筈であるが、ところが地獄は続いた。
風雨が更に激しくなってきて暴風雨である・・!!、ラジオニュースが「台風情報」を報じていた。 
昨日(29日)、台風21号は鹿児島県に上陸していて、鹿児島市では最大瞬間風速52.7m/sを記録したといい、その後台風は四国、紀伊半島から北陸、東北地方を横断し、本日(30日)午前10時には三陸地方にあるという。 
ここ襟裳岬付近も台風の暴風雨圏の一端かも知れないのである・・。


この辺り「百人浜」といい、浜辺には悲しい歴史があったという・・、


襟裳岬は通常でも風が強く、別名「風の岬」とも言い海の難所で海難事故が多い。 
嘗て、この沖で南部藩の御用船が転覆し、その船の乗組員がこの浜になんとか流れ着いた、しかし飢えと寒さで命を落としたという。その数が100人にもなったため「百人浜」と名付けられたという。

気が付けば十勝港から険しい海岸道路を走行中、全くと言っていいほど対向車に会ってない。
この岬付近も人の気配は全くなかった。それもそのはづ岬周辺は台風の影響をモロに受けて荒れ狂っているのである。
しかし、雨量は未だ80mmには達していないらしく、車は風に揺れながらも何とか走れる。 
恐怖の「黄金道路」と「百人浜」であったが、何とか「襟裳岬」へ着いた。

正面に円形のモニュメントに襟裳岬・風の館とあったが、横殴りの風雨は車を左右に揺らすぐらいの勢いである、とても車外には出られたもんではない。 
仕方なく車フロントより記念写真・・?を収める。 そして、残念ながら早々に退散である・・!!


先にも記したが再びこの地を訪れている・・、


その様子を次のように記していた。
『 襟裳岬は穏やかな快晴に恵まれていた。岬に立って紺碧の水平線に地球の丸味・・??を感じながら、大きく深呼吸する、実に気持ちがいい。 岬先端より点々と派生している小島に「ゼニガタアザラシ」の子育ての様子を確認しようとしたが、・・できずに残念。 土産店の食堂で「えりもラーメン」を食し、岬を後にした。 風光が目に眩しいくらいの「百人浜」を行く・・、』 とある。


襟裳の春は何もない春です・・??、


襟裳岬には風以外のものは一切ないように見える。 
年間平均風速10メートルを超えるような場所には当然高木高樹は育たず、囲いをつけて育っている低木と草、岩、海の風景が襟裳岬周辺では見慣れたふうけいである。 
このように一見殺風景なように見える岬であるが、実は海の恵みは多く豊かな海の幸を気前よく恵んでくれる大自然があるのです。

襟裳岬(えりもみさき)は北海道の形を大きく特徴付ける自然地形の一つで、最北端「宗谷岬」に対極するのがこの「襟裳岬」である。 
日高山脈の最南端で太平洋に突き当たって長年の強風と荒波に削られ、徐々に落ち込む鋭角を成す南端部がこの岬である。 
岬の先にある岩礁群も日高山脈の一部であり、沖合い7kmまで岩礁群が連なる。 
そして高さ60mに及ぶ断崖絶壁が岬を囲み、展望は群を抜いている。
地名の由来はアイヌ語の「エンルム」(突き出た頭)から起こったといわれる。

岬上の襟裳岬燈台は北海道でも数少ない有人の灯台であり、常時3人の灯台守が駐在して船の航行の安全を守ると共に、気象情報を記録しているという。
1889年初点灯されている灯台は海抜73m、光達距離・22海里で、他にも霧笛や無線方向探知局などが備えられている。 
これは沖合で暖流の黒潮(日本海流)と寒流である親潮(千島海流)とがぶつかり、濃霧が発生しやすい気象条件を有しているためである。
従って、この海域は多種にわたる暖流、寒流の魚たちが群らがり、世界有数の漁場ともなっている。 
また、冷たい霧や強風が多い岬の周辺では、植物は丈が短く茎が太くなることで厳しい自然環境に適応している。

ヤマツツジは襟裳岬の丘陵に背丈を低く、まるで盆栽のような姿であたり一面を赤色に染める。 
エゾスカシユリ、エゾカンゾウが時期になると絨毯のように咲き乱れるという。
又、襟裳の愛くるしい名物は、岬の突端の岩場を中心に棲息している「ゼニガタアザラシ」で、現在、300〜400頭が確認され、双眼鏡でも観察が可能だという。

岬は「風の岬」と言われるほどの強風でも知られ、襟裳岬周辺は一年のうち風速10mを超える強い風がおよそ290日以上も吹くという場所で、その風の強い所に世界に類を見ない「風」をテーマにした「風の館」がある。 
館内には、日高山脈襟裳国定公園や襟裳岬灯台の解説パネルおはじめ、襟裳岬の展望と襟裳の「風」を実感できるテーマ館となっている。


「襟裳の春は何もない春です・・」と歌に・・、


森進一が唄い、レコード大賞を受賞した「襟裳岬」で一躍有名となったが、実は「襟裳岬」の歌は二つある。 
もう一つは島倉千代子の曲で、小生が少年期頃の昭和30年代の歌で、当時、適当にヒットした曲でもあり、若かりし「お千代さん」の絶頂期の唄でもあった。この歌が「襟裳岬」元祖であることは余り知られてないようだ。

森進一の「襟裳岬」に、「エリモは何もない春です・・」と歌われていて、地元の人にとってある種の抵抗があり、苦情もあったとされているが。
こと自然に関して言えば「全てが有る豊かな場所」なのである。


襟裳岬』 森進一(昭和48年) 吉田拓郎・曲
一 北の街ではもう 悲しみを暖炉で
  燃やしはじめてるらしい
  理由の分からないことで 悩んでいるうち
  老いぼれてしまうから
  黙り通した 歳月を 
  ひろい集めて 暖めあおう
  襟裳の春は 何もない春です
二 君は二杯目だよね コーヒーカップに
  角砂糖をひとつだったね
  捨てて来てしまった わずらわしさだけを
  くるくるかまわして
  通りすぎた 夏の匂い
  思い出して 懐かしいね
  襟裳の春は 何もない春で

三 日々の暮らしはいやでも やってくるけど

  静かに笑ってしまおう 
  いじけることだけが 生きることだと
  飼い馴らしすぎたので
  身構えながら 話すなんて
  ああ おくびょう なんだよね
  襟裳の春は何もない春で


襟裳岬』 島倉千代子(昭和36年) 遠藤実・曲
一 風はヒュルヒュル 
  波はざんぶりこ
  誰か私を 呼んでるような
  襟裳岬の 風と波
  憎い憎いと 恨んだけれど
  今じゃ恋しい あの人
二 風はひゅる ひゅる
  波はざんぶりこ
  浜の日ぐれは 淋しいものよ
  たった一人は なおさらに
  こんぶとる手に ほろりと涙
  背のびしてみる 遠い空
三 風はひゅる ひゅる
  波はざんぶりこ
  春はいつくる 燈台守と
  襟裳岬の 女の子
  泣いてみたいな 霧笛のように
  泣けば想いも 晴れるのに


視界350度と言われる岬の先端に立つことも無く、灯台(全国でも数少ない有人灯台)の様子を確かめる事も無く、無念の気持ちで襟裳岬を後にする。
今は、「風はヒュルヒュル 波はざんぶりこ」等といった状態ではない。「風はゴーゴー 波はドドドーン」である・・、はじめは海からの強烈な風だったが、今は陸側から猛烈に吹き付ける。車は左右に振られ、ハンドル持つ手も緊張がはしる。
再び、国道336に合流し、「えりも」の街並辺りで暴風雨も少々収まりかけて来たようで胸を撫で下ろした・・。

次回からは名馬の産地「日高地方」


紀行(75)日高地方 「様似・浦河」



日高地方へ・・、

国道336(浦河国道)は再び山地へ入ってきた。 
山地といっても沿岸部を離れて山地に入ったのではない、海岸そのものが山地なのである。 
正面に編み笠の様な端正な山がボンヤリと見えている、標識等で確認すると「アポイ岳」というらしい。

様似町(さまにちょう)は日高山系の南部山塊にスッポリ収まったような地形の町で、山塊はむろん海岸にまで押し出し、それが断崖絶壁や奇岩怪岩となって大洋に落ち込んでいるのである。 
これがまた美しい海岸美を形造っている。 

この海岸を「日高耶麻渓」という、気が遠くなるような長い年月をかけて、冬島地域の奇岩穴岩から幌満川河口までの間(約6キロ)の海岸線を侵食した絶景が日高耶馬渓である。 
海岸からほぼ垂直に駆け上がる崖の美しさが、大分県の耶馬渓に似ていることから、この名称が付けられている。 
切り立った崖の急斜面という厳しい環境にあっても、そこにしっかりと根を張っているエゾヤマツツジ・エゾスカシユリ・エゾカンゾウ、春には多くの花を咲かせ、道行く人の目を楽しませてくれる。

因みに本当の「耶馬渓」は、九州大分の中津・日田・宇佐の3市と玖珠町とに跨る広大な地域で、全68景ともいわれる絶景が展開する景観地である。 
大分県の北部、福岡県との県境を北流する山国川の中、奥流に位置し、英彦山(ひこさん)系の小山群が連なり、山岳地帯は溶岩侵食により奇岩奇峰が起伏し、小さな開けた平野に集落が点在している。 

耶馬溪エリアは本耶馬、深耶馬渓、裏耶馬、奥耶馬とに別れ、「山国川」沿いに奇岩、奇峰群が圧巻であるが、そこに壮観な石橋や禅海和尚が手掘りで掘ったという「青の洞門」なども有名である。
又、古刹・羅漢寺や英彦山(ひこさん)など歴史の宝庫でもある。


「アポイ岳」である・・。
アポイ岳は、北海道の脊梁である日高山脈の南に位置して、脊梁から少し西に外れたところある・・。日高山系は帯広の北西、国道38号線の狩勝峠を境に、北は十勝連山、南に連なっているのが「日高山系」である。 
この山系にはアポイをはじめ、チロロ、ヒパイロ、エサオマントッタベツ、イドンナップ、カムイエクウチカウシ、コイカクシュサツナイ、ペテガリ、ソエマツ、ピリカヌプリ、トヨニなど、いかにもチョット難儀なアイヌ語の呼称による山名が多く、標高・1600から1900mの山峰が連なる。 

日高山系の東側を十勝地方、西側を日高地方と称しているが、アポイ岳、その奥のピンネシリ岳は日高の主脈からはチョット外れて稜線を成し、その南端に位置して海岸に迫っている。 標高も810mと低いが、山稜は気象条件によって2000メートル級の山と同じ様相であるという。 

特徴的なのがこの山様で、ここにしか生育しない固有種を含む多数の貴重な高山植物が確認されており、「アポイ岳高山植物群落」は1952年(昭和27年)に国指定の特別天然記念物に指定され、1981年(昭和56年)には日高山脈襟裳国定公園の特別保護地区に指定されている。 
つまりこれはこの山そのものが特別天然記念物であり、特別保護地区であると言うことで、北海道でも極めて稀で、人気の高い山なのである。

参考までに、高山植物群落が特別天然記念物に指定されているのは、当地北海道・アポイ岳、岩手県・早池峰山(はやちねさん)、長野県・白馬岳(しろうまだけ)と全国でも三カ所だけである。 
余計だが長野県・白馬岳(しろうまだけ・2932m)は、我が別宅の在る白馬村(はくばむら)に連なる。
本年(平成16年)8月、齢(よわい)65で4回目の登頂を行っている。
この際、稜線で強烈な雷に遭遇し、あわや・・! という目にあっている・・、後日のニュースで今年は例

年になく雷雨が多く発生し、特に山間部では激しく、ここ一週間で同じ稜線で落雷のよる数人の死亡事故が発生していると報じていた。 
さておいて、特別天然記念物の高山植物群落は、かの有名な「大雪渓」の上部から稜線直下に特に多く展開している。  


『白馬岳記録』
 http://www.geocities.jp/orimasa2001/hakuba-1.htm
  


名馬の産地、日高地方・・、

「アポイ岳」の山麓を通過した辺りから山容が次第に遠のき、丘陵地または平坦地になってきた。 
まもなく浦河町にはいった。 
所謂、日高地方とは浦河、三石、静内、新冠、門別の海岸沿いと平取、日高町の内陸部の総称である。 
この太平洋に面した国道を「サラブレット・ロード」、又は「サラブレット銀座」と称している。 言わずと知れたこの日高地方は日本競争馬の一大産地であり、全国の8割以上がこの地方から生産されているという。

牧場で見る「馬」は端正そのもの、つまり「カッコイイ・・」とはこれら馬のことであろう。 
脚は細く絞まって、背が高く、鼻筋とおって首が長く、胸部たっぷりで胴が長い、全体に筋肉質で、いかにも走る為に造られた芸術品である。  
伝統、血統が造りあげた一級品の「サラブレット」とは「徹底的に品種改良された」という語源になっているという。

サラブレットの生涯

★誕生期     誕生・哺乳期で1〜2再起
★離乳期     母馬から離し、軽いトレーニング期に入る  2〜3歳期
★セリ調教期   良血統馬は数千万から億単位の馬もいるという、買手の厩舎にて本格トレーニングに入る 3歳期
★出走期     いよいよレースに出場、先ずは地方競馬から
★4歳期     レースの華「クラシックレース」が始まる
★競争期     厳しい競争の中、1着は勝ち、2着以降は負けといわれる、この時期に勝てない馬は淘汰されてゆく
★引退期     5歳期以降は引退期に入る、古馬といわれる、子孫を残す


「クラシックレース」とは・・、


4歳馬限定で、戦前より存在するGT競走のことを指す。語源は近代競馬の「母国」イギリス。 
日本では牡馬・牝馬による皐月賞、東京優駿(日本ダービー)、菊花賞と牝馬限定の桜花賞・優駿牝馬(オークス)を指し、同時にこれらの競走は優秀なる種牡馬及び繁殖牝馬選定のレースでもある。 
この五つに春秋の天皇賞及び有馬記念を「八大競走」と言うが、シンボリルドルフの「7冠馬」、シンザンの「五冠馬」、ミスターシービー、ナリタブライアンの「四冠馬」という言い方は正式ではなく、あくまで「俗称」であるらしい。


さて「浦河」である・・、

日高幌別川を渡ってすぐ、国道235と国道236の交差点がある。 
ここを右へ行くと間もなく「谷川牧場」がある。 
「馬」をやらない小生でも知っている名馬「シンザン」の故郷である・・!

御存知、五冠馬のシンザンは1961年にこの牧場で生まれている。 
セリには300万円と、この馬にしては比較的安値で買われ京都の武田厩舎へ入った。 
デビュー戦は3歳後半で見事に新馬戦を飾る。 4歳でG1レースの皐月賞、東京優駿(日本ダービー)、菊花賞の三冠を果たした。

この年は東京オリンピックが行はれた年でもあり、日本経済は大飛躍期で神武景気等と言われ競馬熱も最高潮に達していた時期でもある。 
5歳で秋の天皇賞、有馬記念を制し、日本初の五冠馬になった。 
始めの頃は馬主(橋元)、調教師(武田)共その実力を見抜けずにいたし、調教時の動きも地味な方で勝ってもスレスレの勝利だった。 
ただ調教師は後足の蹴りが異常に強いのに気が付き、蹄鉄を改良してから本来の強さが出現したといわれる。 
全通算19戦15勝、他は2位とずば抜けた強さを発揮し名馬中の名馬、歴史に残る馬になった。 
引退後も、シンザンは驚異的な生命力を発揮し35年3ヶ月目の1996年7月13日、生まれ故郷の谷川牧場で永眠した。 
これは現在、日本サラブレッド最長寿記録となっている。人間なら百歳をゆうに超す年齢である。

戦後初の三冠馬でしかも天皇賞、有馬記念、宝塚記念といった当時の大レースを全て制し、生涯成績も2着以下はなしという完璧な競走成績であり、又、繁殖の成績も優秀で多数の名馬を送り出している。 更に、サラブレッド最高齢を記録など生命力も抜群だったシンザンはまさに「サラブレッドの中のサラブレッド」である。 
今後「シンザン」を個々の能力において上回る馬は現れるに違いないが、これほどまでに完璧な能力を示すのは容易なことではないだろうといわれる。 
獲得賞金は当時で6000万円。 

現在、京都競馬場にシンザンの銅像と蹄鉄が展示されている他、毎年1月の同場での3歳馬の重賞レースに同馬の名前を冠した「(日刊スポーツ賞)シンザン記念」が開催されている。 
また毎年8月には当地で「シンザンフェスティバル」が開かれている。


馬をやらない小生が勝手に選んだ浦河町出身の印象馬

シンザン、タケホープ、ミスターシビー(以上ダービー)、ティエムオペラオー(皐月賞)、メジロマックイーン(菊花賞)など・・。

次回は、 日高・「三石・静内」


紀行(76)日高地方 「三石」



「ハルウララ」は、負けても、負けても春のようにウララかであった・・?、


次は「三石町」で、同様の沿岸国道235沿いに道の駅「みついし」がある。
ここを過ぎてT字路を右へ、日高本線の本桐(ほんきり)駅を左に見ながら、川の東方に「信田牧場」がある。2003年頃に大ブレークした有名馬「ハルウララ」の出身地である。 
因みに、先に紹介した「シンザン」とは好対照の位置にいる馬である。 

ハルウララは1996年2月牝馬として生まれた、その後、遥か遠い南国の日本一小さい高知競馬場の厩舎へ入る、調教師は宗石 大氏。 
1998・11月デビュー戦、結果は5/5着、以下5/6, 6/6, 5/7, 6/9・・と負け続ける。 その後も走りに走って、2003・12・14には遂に100戦目を迎える、結果は9/10着であった。

ハルウララは上記のように一度も勝ったことのない競走馬である。 
高知競馬・宗石 大・厩舎(きゅうしゃ)に所属する7歳牝馬(ひんば)は、デビューして以来今年2004・2月のレースまで連敗を続けて2着は4度、3着も4度はあった。 
5着までに入れば賞金がもらえるが、ただし、ハルウララが出走できるレースはレベルの低い下級戦で賞金も安く、これまで稼いだ賞金の合計は100万円そこそこにしかならない。
2004・3・22中央競馬界の有名騎手「武 豊」が第106戦にして特別騎乗、結果は10/11でやはり惨敗に終わった。

ところで同時期、富士テレビ系の朝の番組「とくダネ!」の小倉智昭氏のオープニングトークで高知競馬の「ハルウララ」のことを取り上げ、90連敗以上しているこの馬に親愛の情を込めて語っていたのである。
此れがきっかけに視聴者から問い合わせのメールや電話が鳴りだし、マスコミ等でも注目をされ始め、負けを重ねるごとに人気が急上昇し、100戦目が1回目の話題のピーク、106戦目が2回目のピークであったという。 
負け続けることで人気を得た「ハルウララ」は、出走するレース毎に馬券の売り上げは伸びたという。
単勝馬券を「御守り」として買う人も現れ、1着になることがないので単勝馬券は「当たらない」、だから「(車)に当たらない」というので「交通安全」のお守りになったともい・・?。 
又、いつまでも走る姿にあやかった「リストラ除(よ)け」や、長期間、長距離走っても怪我や故障をしない丈夫さで「無病息災」の縁起を担ぐと。
勝てなくても個性があればファンは集まる。 
しかし、長い競馬の歴史の中にはハルウララを超える「大物」がいたともいう。  

いみじくも「武 豊」騎手が第106戦に特別騎乗後曰く・・、
『 ハルウララについてはあまりにも異常な騒がれ方で正直なところ辟易としています。競馬をよく知らない一般の方の話題になって、盛り上がることについては大いに歓迎なのですが、生涯で一度も勝ったことがない馬がGIレースを勝った馬達よりも注目を集める対象になるというのは、どうにも理解し難いものがあります。 』

又、信田牧場関係者や地元の人は、
『 ハルウララ人気が盛り上がって高知競馬にとっては明るい話題ですが、この馬が三石産というのがどうも、 生産者のところへも取材が来ているが複雑な気持ちです。 活躍馬ということでの取材なら大喜びでしょうが、百戦もして勝てない馬の生産者といわれては立つ瀬がない。 生産者にはあまり関係のない話ですから、なるべく触れないでもらいたいきもちです』・・と。

それにしても馬主さんも「ハルウララ」とは、おおらかな名前を付けたものですよね・・!!。 

日本競馬史上、最も弱い馬が、大ブレークして、最も有名な馬になってしまったのだから。
育ての親の調教師・宗石氏は体の小さな彼女と初めて出会った時、「ゆっくり育ててやるか、みんな大切な命、春のゴールはきっと来る」と、彼女を「ハルウララ」と陽春の希望をもって名付けたといい、以来、負けても負けても彼女は112回も走り続けている。 

そして遂に高知競馬のハルウララは「ハルウララ」として、映画にもデビューする事になってしまった。
「一頭の競走馬の命の輝きと出会った時、そんな厳しい時代に生きる人たちが、一つに結ばれあって、この今の日本に奇跡のような現代童話が誕生したのではないでしょうか・・」 と映画化時の監督の感想。
映画は2005年に公開された、監督: 森川時久、キャストは渡瀬恒彦・夏来千香子・前田吟・ガッツ石松・竹中直人、他・・


馬をやらない小生が勝手に選んだ「三石町」の印象馬

アカネテンリュウ(菊花賞・・美浦厩舎、小生が最初で最後に買った馬)、オグリキャップ(有馬記念連勝・他)

次回は日高・「静内」  PARTWへ   観光編へ   第12日目へ


小生の旅と山旅  日本周遊紀行  世界遺産と鎌倉・湘南  日本周遊ブログ  日本周遊写真集T
日本周遊紀行:詳細目次
詳細目次(東日本)  信越・東北西沿岸 北海道T、世界遺産:知床 北海道U 東北・東沿岸 関東沿岸
詳細目次(西日本)  鎌倉・湘南 東海 近畿 四国 山陽 九州(北、西) 九州(南) 九州(東)  沖縄  
               山陰・北近畿  
北陸  世界遺産:紀伊熊野  宮島 石見銀山
【旅のリンク集】
旅の紀行・記録集
山の紀行・記録集 山のエッセイ
「旅行リスト」
日本周遊紀行「東日本編」
日本周遊紀行「西日本編」
日本周遊紀行 (別URLです)

【日本の世界遺産紀行】 
北海道・知床  
白神山地 
紀伊山地の霊場と参詣道 
安芸の宮島・厳島神社  
石見銀山遺跡とその文化的景観 

ハワイ旅行2007
九州旅行2008
東北紀行2010
沖縄旅行2008
北海道道北旅行
北海道旅行2005
南紀旅行2002

古都鎌倉紀行
「山行リスト」 

立山、剣(天の記)(1971年)
白馬連峰登頂記(2004・8月)
北ア・槍−穂高(1968年)
上高地・明神(2008年)
南ア・北岳(1969年)
南アルプス・仙丈ヶ岳(1976年)
八ヶ岳(1966年)
八ヶ岳越年登山(1969年)
谷川岳(1967年)
尾瀬・燧ケ岳紀行(1973年)
丹沢山(1969年)
西丹沢・大室山(1969年)
西丹沢・檜洞丸(1970年)
丹沢、山迷記(1970年)
奥秩父・金峰山(1972年)
「上高地雑感」
「上越国境・谷川岳」
「丹沢山塊」
「大菩薩峠」
 


スキーの記録  
「スキー履歴」