0001 '92年05月10日 鹿島神社から高御位山  [地形図2万5千 加古川]
①鹿島神社駐車場⇒②鹿島神社鞍部⇒③鹿島山⇒④高御位山⇒⑤長尾⇒①鹿島神社駐車場
           (10)         (30)     (45)      (20)    (20)

 会社が出向となった。いい機会と捉えて、独りでできるスポーツはないか。山登りならどうにかなりそうだ。以前会社で書庫を整理したとき見つけた「ハイキングガイド」神鋼加古川山岳部著(昭和61年5月1日発行)があることに気づき、さっそく一番近くで一度登ったことのある高御位山に、息子と妻の3人で登ってみる。ここへは自宅からだと加古川バイパスを使うと、20分ほどの距離だ。鹿島神社の大きな鳥居を潜り、名物柏餅屋でにぎやかな参道を西に折れ、石灯篭の前を通り、鹿島神社本堂に入ると左手に展望台に続く道があり、10分ほどでセメントの展望台に着いた。

 上部に広い岩場(百間岩)の登山道があって登り始めるが、なかなかの急坂で汗がでる。ナップサックはスキーのサブザックあるが、本格的にやるなら靴と靴下くらいは買わなければ。やっと着いた岩場のピークには反射板があって、そこから海岸沿いの工場群と姫路の市街地がよく見渡せる。一休みすると汗がすーっと引いた。次のピークに「鷹ノ巣山」と書かれた山頂標がある。 そこからは、緩い上り下りが続き、木のトンネルの中を潜り、高御位山山頂に着く。

 高御位神社が鎮座しており、南側が岩場で50mほどの断崖になっていて、加古川と高砂の市街地がよく見る。風が心地良く爽快だ。山頂の岩の上に座り、3人で手作りのお弁当を食べる。下山は加古川方向に100mほど下り、先の断崖の下を横切って、尾根道を長尾へ下った。次男と妻は5分ほど遅れたが、長尾に降りてきて3人で鹿島神社に戻る。
ホームへ兵庫の山Copyright(c) 2005 Team-orang. All Rihgts Reserved(604)

0002 '92年05月17日 三谷コースから千ヶ峰 [地形図2万5千 丹波和田]
①町営施設⇒②登山口⇒③雌滝⇒④岩座神分岐⇒⑤千ヶ峰⇒②登山口⇒町営施設
       (20)     (10)   (30)       (30)     (45)     (20)

 出向した会社の人達の話で、加美町の話題がでてくる。なんでも「松ガ井の水」というところがあって、水がたいそう旨いらしい。以前の会社にはこんな話をする人が誰もいなかだったが、どんなところかまず行ってみよう。昭文社刊の「兵庫県市街地図」を買って調べてみると、町の西側に千ヶ峰という1005m峰があるのに気づく。ハイキングガイドにもこの山は載っており、渡りに船と出かける。門村の最奥の家を過ぎた路肩に車を駐め、10分程歩くと町営の施設に出る。ガイドでは谷を歩くよう書かれているが、道がないので道路通り進むと、町営施設を廻くように道路がついていた。

 会社の人の話では、リンゴ畑がある聞いたが、それがここかもしれない。少し行くと林道脇に駐車場があり、「千ガ峰登山口」の登山標があった。登山口から10分ほどで雌滝に出られた。ここはナメ滝でさらに上部に10mほどの雄滝があり、谷沿いの広場に出る。対岸に渡ると、いよいよ急登になって、しどんい(疲れる)登山になる。岩座神の分岐に着くと、小学生が10人ほどとその親達が5~6人休憩中だったので、分岐を少し西に行って休憩をとった。聞くと西脇の子供会で、西脇にはこんな高い山がないので、皆でここに来たと言う。登山道は広いがよく滑る。やはり登山靴は必要だ。

 やっと千ヶ峰山頂に着く。少し南に「南無妙法蓮華経」と彫られた石碑があり、360度の展望が開けている。兵庫の山は六甲山と摩耶山と高御位山しか登ったことがないので、まだ周囲の山名を分らず、来る途中で買った弁当を食べながら、30分ほど居て下山を開始する。途中の雄滝の滝壷近くに三つ葉の生えているのを見つけ、片手に持てるだけ摘み土産にした。帰路に寺内交差点から松ガ井の水へ行ってポリタンクに水を汲んで帰宅する。
 その日のうちに好日山荘へ靴を買いに行く。昔懐かしいキャラバンシューズはあるにはあったが、もうあんなナイロン靴は流行らないらしく、同じ藤倉製のトレッキングシューズがサイズピッタリで、しかも手ごろな値段でだったので購入した。
ホームへ兵庫の山Copyright(c) 2005 Team-orang. All Rihgts Reserved(604)

0003 '92年05月21日 深志野から桶居山~播磨アルプス縦走  [地形図2万5千 加古川・姫路南部]
①JR御着駅⇒②深志野バス停⇒④大谷山⇒⑤桶居山⇒⑥クレー射撃場分岐⇒⑦鷹ノ巣ハング
        (25)         (15)      (50)    (35)   迷(10)    (20)
⇒⑧鹿島山分岐⇒⑨高御位山⇒⑩北山分岐+65⇒⑪峠⇒⑫JR宝殿
(25)        (40)     (35)          (30)   (25)

 靴を買ったのでいよいよ熱くなり、今日は有給休暇を取って桶居山に登る。おそらく会社で毎年「播磨アルプス縦走」といって参加者を募っているのがこのコースがなのだろう。JR御着駅から国道2号線に出てコンビニ弁当を買う。そのまま2号線を歩き、城のような姫路市の御着出張所を横切ると学校があり、ガイドの通りに木工団地の標示があった。東に桶居山が丁度釣鐘を伏せたように見える。北に歩くと、目指す「深志野のバス停」があって、100mほどの東側の民家の裏道の奥に「大谷山国有林」の白い標示が見える。登山道に入り岩の細い道を登るとすぐに大谷山に着く。

 桶居山のはるか彼方に高御位山が見えるが遠そうだ。平坦な岩の稜線を進み、少し下ると高圧鉄塔がある。そこから岩稜の上りで、岩がちょこんと乗って落ちそうな岩場を登って、三角点のある桶居山に着いた。低い山だがここも360度の展望がある。桶居山の下りは一枚岩で急だ。鞍部に下るとこの辺り一帯の立ち木がが火事で黒く焼け焦げている。東に目指すピークに高圧鉄塔が2つ建っていて、その手前に巡視路が北に向いていたのでこの巡視路を進む。東側からクレー射撃場のパンパンという音が聞こえ始める。この尾根の北端に出ての登山道を下るが対岸に道がない。

 ガイドでは『めざす鹿島山へは、谷1つへだてて寸呼の近さにある。 ・・・シダの小道を下ると沢に入る。ここで右に急角度に道が曲がり100mも南に下ると左の尾根に続く小道がある。この尾根が鷹ノ巣ハングを経て鹿島山へ続く尾根である。』谷を隔てて寸呼の距離にあるのに、100mも下らなければならない。第一に100mも右に下るとクレー射撃場に出て撃ち殺される。10mの誤植だろうと解釈 して藪漕ぎをする。後方から銃声がして、ここまで弾が飛んでこないか気がきじゃなかった。やっと縦走路に出て松の低木の間を歩き、鷹ノ巣ハングに着いた。

 これ以降も明瞭な稜線道が続き、鹿島山分岐を越えると10日ほど前に歩いた縦走路に出て高御位山に着いた。大休止をとってJR宝殿駅目指して下山だ。東へ岩のペンキをたよりに下ると、一番目の高圧鉄塔に出る。少し下ると「西山」の下山道の標示がある。続く小ピークを越えると2番目の鉄塔があり、TVアンテナがある稜線を歩いて、頂上に「+65」と刻まれた岩を持つピークに出る。加古川バイパスが真下に見え、振り返ると遠くなった高御位山が見える。あとは峠(地名)に下ってJR宝殿駅まで歩くだけだ。

※後記 『ここで右に急角度に道が曲がり100mも南に下る・・・』をどう解釈するかだ。ここ=「谷」だと私のように藪漕ぎになる。ここ=「手前の尾根」が正解。今はこの尾根にコブが2つあることから、「ラクダの背」と呼ばれており、ここから100m直角に東に下ると谷に出る。さらに谷道を10mほど北に歩くと縦走路につながる。
ホームへ兵庫の山Copyright(c) 2005 Team-orang. All Rihgts Reserved(604)

0004 '92年05月24日 笠形神社コースから笠形山  [地形図2万5千 粟賀町]
①瀬加登山口⇒②ロボット雨量測定所⇒③笠ノ丸⇒④笠形山⇒⑤笠形神社⇒①瀬加登山口
        (1:00)           (40)     (20)     (45)      (45)

 探すと会社にも山通の人が居り、次は笠形山を薦めるというので、家にある「兵庫県70町村イラストマップ」で下調べをする.。市川町の冊子に笠形山のイラストが載っていて、登山コースは、大屋コース・グリーン笠形エコーコースと神社コースの3つのコースがあるようだ。見晴のいい尾根を登る写真があるので、市川町側の神社コースを登ることに決める。瀬加の登山口の鳥居にところ車を駐めると、本で見たのと同じ大きなイラストの看板がある。改めて見ていると仙人滝コースが気になる。地図もないが仙人滝コースを登って、神社コースを下山することに決める。

 イラストを頭に叩き込み、鳥居から西の小道に入り込む。谷に出て最奥の人家から墓地の谷を詰めると、道は尾根に出たところでなくなってしまった。引き返すのもしゃくでこのまま尾根を登る。さいわい桧の植林帯で暗く下草なく、昨日の湿気も残っているが、何とか上へ上へ登ると平坦地に一坪ほどの無人施設があった。ここがイラストにあった雨量測定小屋か・・・?。少し行くと人の声がして笠形神社の西側広場に出られた。

 神社からは横道で、小さな谷を越えるとベンチの置いてある草地の出る。どうもここら辺りが、イラストマップの写真の場所のようで、南に市川の町と川の流域が俯瞰できる。再び桧林に入り整備された階段を登ると、東屋のある笠ノ丸に出た。ここに登りたかった仙人滝コースが合流し、すこし下るとグリーンエコー笠形からの神崎町コースが合流 して、登山道の前方に笠形山山頂が見え始める。200mと標示されているのに遠く、最後に岩の間を歩いて笠形山に着いた。

 東屋が2つあり、南に加古川がうっすらと見える。山頂には10人ほどの登山者がいて、後からあとから登山者が登って来る。 東のベンチが空き座って弁当を食べる。食べると何もする事がなくなった。周囲の山々の名も分らず、登って来た人に話しかける度胸もなく、30分ほど居て下山にかかる。 笠形神社まで下ると、姫路城の芯柱に使われるという直径3mほどの大杉、下側に竹を撒きつけられ聳えいた。道の整備もよく、林道の出合にも東屋があって、笠形寺の境内を通るとまたも林道に出て、コンクリートの道を大鳥居まで下った。
ホームへ兵庫の山Copyright(c) 2005 Team-orang. All Rihgts Reserved(604)

0005 '92年06月13日 国民宿舎生野荘から段ヶ峰 [地形図2万5千 生野・神子畑・長谷・但馬新井]
   10:45        11:25     12:10   12:40 12:45    13:30
①国民宿舎生野荘⇔②達磨峰⇔③最低コル⇔④フトウガ゙峰⇔⑤段ヶ峰
   16:05        15:45   14:55 14:45   14:20       13:45

 また次は段ヶ峰だと教えられ、登山口の栃原に行くが不案内で時間がかかってしまう。国道312号線の生野の交差点から「生野ゴルフ場」の標示を追って峠越えすると、栃原の手前に生野ゴルフ場に入る導入路がある。ゴルフ場・テニスコート・別荘が一体になった滞在形のリゾート地にようで、ゴルフ場入り口の近くに「国民宿舎生野荘」の駐車場があった。出発時間が遅いのが気がかりだが、車を駐めて身支度をして出発する。最初の急坂を汗をかきながら登る。低い笹地になって南が開き、生野のゴルフ場と倉谷川の蛇行した流れが見える。

 40分ほどで一番目のピークに出ると、今度は北が開けて達磨峰の標示の立つ三角点に着いた。そのから西に峰続きのピークに行くと、前方に平たい峰が2つ見え始める。今度は一度下って登り返すとススキのある小さなピークで、ここをもう一度下る。着いたところが最低コルらしく、木が伐採され索道が張ってあった。今度は桧の薄暗い上りなり、広葉林帯の急登となった。雨で掘られた登山道で一旦杉の横道となって、南側から一面の草地を登る。

 岩が点在する平坦で広いピークに出る。「フトウガ峰」と書かれた頂上に近づくと、辺り一面焼肉の匂いがして、男が二人、段ヶ峰の方を向いてビールを飲んでいる。これだけの食材よく担ぎ上げたもんだ。こちらもお腹が空いたが段ヶ峰に着いてからにしよう。段ヶ峰側に分岐があり、北に下ると水の流れる鞍部(菖蒲沢の源頭)に出る。ここも下れるようで薄い踏跡があった。登り返して小ピークに出ると、松の木が一本立つ段ヶ峰の山頂が見え始める。南が開けた20センチほどの笹地の水平道の快適道だが、段ヶ峰まで意外と遠い。

 台風で倒壊した小屋の跡があり、まだヤカンだのこまごましたものが残っている。やっと段ヶ峰山頂に着いた。帰り仕度の登山者が5~6人いる。もう遅いので手早く弁当を食べすぐに下山を始める。最低コル手前の栃原側で水の音が聞こえるので、下って見ると流水があったが、飲めるかどうかは疑わしかった。登山道に戻ると傍らを男2名の登山者が通り過ぎたので、後に付いて行く。中高年のグループが憩う達磨峰に出ると、生野ゴルフ場が真下に見えた。
ホームへ兵庫の山Copyright(c) 2005 Team-orang. All Rihgts Reserved(604)

0006 '92年06月20日 雪彦山裏登山道から地蔵岳・洞ヶ岳 [地形図2万5千 寺前]
①坂根登山口⇒②ユースホステル分岐⇒③虹滝降下点⇒④地蔵岳のコル⇒⑤地蔵岳⇒④地蔵岳のコル
        (30)             (10)        (10)         (05)     (05)
⇒⑥稜線出合⇒⑦大天井岳⇒⑧鹿が壷分岐⇒③虹滝降下点⇒①坂根登山口
(15)       (05)      (15)         (35)        (35)

 山岳部の梅沢さんが雪彦山の話をしていたのを思い出して、雪彦山に登ってみることにする。板根の集落に入ると、早くも雪彦山の岩峰が見え始め登頂意欲を掻き立てる。駐車場に車を駐めと駐車料がいると聞いていたのに人がやって来ない。もっけの幸いと登山口を確かめもせず、逃げるように谷道を進む。10分程登ると林道が終り、中央部にハイプのある砂防ダムに出る。熟れた木苺を20個くらい採って食べる。昔は幹線道だったのだろうか、広い道を登る。

 表登山道から登りたかったのに、どうも裏登山道を登っているようだ。涸れた谷を離れ一度谷の右側(左岸)に出ると、雪彦山の岩峰が見えるところに出た。が、またゴロ場の谷道をまっすぐ登るようになり、「ユースホステル」と書かれた道標がある分岐に出る。右に行くと林道に出て、賀茂神社に出れると標示あり。石積みの広い道を歩き「虹ノ滝」と書かれたベンチのあるところに出る。谷に下りると人が7~8人休憩中だった。

 対岸に鎖で登る岩場があって、ここからは岩の間の登山になる。昨日の雨で滑り易く、一枚岩のところでは、持つところがないので四つん這いになってやり過ごす。もう一度鎖場があって、地蔵岳のコルに登り着く。登ろうか止めとこうか迷うが、中年の女のが2人下って来るのを見ていると、簡単そうで登り始める。意外に簡単に山頂に出る。東側が100m以上切り落ちているので、身を低くして振り返る。坂根の集落が真下で、大天井岳も衝立のように見える。下りは上りより慎重に下る。コルから次の垂直の鎖場を登ると、稜線に出れて南に5分程で大天井岳(=洞ヶ岳)の山頂に着いた。

 大天井岳山頂にはお堂があり、ここも南が絶壁で切れ落ちている。人気のある山らしく20人以上の登山者がいる。弁当を食べてながら、下山道の表登山道を目で追いながら探すが見つからない。そばにいた婦人が「ここには、よく来るの」と聞かれ、まさか始めてとも言う返事もどうかと思い、「4回目」と答えた。団体が雪彦山に行くといって出発する。下山道も見つからないので、この団体の後ろについて行く。しかし、10分ほど登って、鹿ヶ壷の分岐から100mほど行ったところで、迷ったら大変と登山道を引き返し、また大変な目をして登った裏登山道から下山した。
ホームへ兵庫の山Copyright(c) 2005 Team-orang. All Rihgts Reserved(604)

0007 '92年07月03日 板馬見渓谷から後山 [地形図2万5千 西河内・千種]
①松ノ木橋登山口⇒②林道分岐⇒③不動滝(行者コース)⇒④後山(一般コース)⇒①登山口
          (50)       (10)            (1:00)          (1:30)

 今日は「ハイキングガイド」神鋼加古川山岳部著に載っている後山に登る。松ノ木フィシングセンターと登山口の大きな看板を見つけ、林道を少し入った路肩に車を駐め出発する。100mほどでお堂のような建物があって、セメント簡易舗装の歩き易い道となる。橋を渡り、路肩に車が何台もとめられる広い場所に出る。右手に行者像があり、そこからナメラを渡った対岸にも幾つも像があった。少し林道を進んで橋を渡り、林道が大きくカーブする谷に登山道があったが、草が繁っていたので、左岸の石ころの転がる地道の左岸林道を歩く。すぐにコンクリートの橋に着いた。

 なおも林道は右岸に延びるが、ここで林道を捨て、本来の登山道を登る。杉の中の道で再び林道の終点に出合うと朽ちかけたお堂に出た。近くに不動滝がある。行場にも使われたのだろうか辺りが暗いせいか深山の雰囲気だ。右手に朽ちた階段があり、少し登るともう一度涸れた沢に出た。まっすぐが行者コース・左手が一般コースと道標がある。もちろん行者コースを登る。奇岩・巨岩の間・行者窟・股覗き・小覗き・体内くぐりとスリル満点の登りが続く。最後の100mほど急登になり、木の根やロープにつかまりやっと稜線に出られた。ひとまずここれで安心、10分程で後山山頂に着く。

 南向きの木の祠と山名(後山・教霊山・板馬見山)と書かれた山頂標があるが狭い山頂だ。東の切り開きの方に座り、展望を見ながら弁当を食べる。西に山陽自然歩道があるようで、船木山の標示があるが、「この道は兵庫側には下山できない」とも標示がある。行きたいが仕方がない。もう一度東側の展望を脳裏に焼き付けて、一般コー スで涸れた沢まで出た。ちょうど日が射し込み、緑が鮮やかだった。帰路に書店に寄り、「大阪周辺の山」山と渓谷社(1992年4月改訂第6版発行)という新刊のガイドブックを買い込んだ。 それによると船木山へは、兵庫県側から一ノ谷コースで登れ、鍋が谷山から下れるとガイドしてある。次回はこのコースを登ろうと決める。

※後記  自然歩道とは 四季を通じて手軽に楽しく、安全に自らの足で歩くことを通じて、豊な自然や歴史・文化とふれあい、心身とも にリフレッシュし、自然保護に対する理解を深 めることを目的としている。複数の都府県間を有機的に結ぶ長距離 にわたる自然歩道で、環境省が計画し各都府県が事業主体となって整備を進めている。昭和45年(1970年)の東海自然 歩道の整備に始まり、九州・中国・四国・首都圏・東北・中部北陸・近畿と、8つの自然歩道が整備され、総延長は 約2万1千kmとなり、年間4,000万人を超える人々に利用されているのだそうだ。山陽自然歩道は大阪と兵庫の境の能 勢妙見山が起点になっている。(Webサイトより)
ホームへ兵庫の山Copyright(c) 2005 Team-orang. All Rihgts Reserved(604)

0008 '92年07月11日 大屋コースから笠形山 [地形図2万5千 粟賀町]大阪周辺の山 (山と渓谷社)p368
①大屋登山口⇒②竜が滝⇒③市川コース出合⇒④笠形山⇒②竜ガ滝⇒①大屋登山口
         (50)    (45)          (10)     (30)      (30)

 先週の週末は、梅雨で雨が降りどこにもいけなかったが、神栄の北沢さんが登山を始めたのを聞きつけ、連れて行ってくれと言うので、「大阪周辺の山」山と渓谷社に載っている笠形山を八千代町側から登ることにする。またキタムラカメラに行って、中古の自動焦点式キャノンオートボーイを購入する。登山口には小さな神社があり、その前に瀬加側で見たのと同じような大きな概念図があり二人で見上げる。 滝の多いコースだ。左手につづく道路は、船坂峠を越えて瀬加へ行けて、途中で出会う林道も船坂峠に出れるようだ。中ノ谷林道にそった集落を過ぎると林道終点になる。

 早くも最初の滝があった。が、残念なことにごみがいっぱい落ちている。天狗の住んでいた赤錆岩、赤い岩肌をを滑る赤滝と、名前と由来書きが各所毎に建ててあって、読みながらの登山で結構たのしい。蛇腹の滝で少し迷うが、竜が滝から尾根道を登る。熊の冬眠穴跡があり「この辺は冬でも暖かく、雪も早目に解ける」と記してある。林道に出て給水する。見上げるともう笠形山の山頂部が、まじかに見えている。林道をそのまま横切って、尾根道に取り付く急登で顎が出るがゆっくりゆっくり登る。クヌギを主体とする落葉の雑木林で緑が目に染みる。

 斜度が緩み低い熊ササが生える道となり、5月に登った市川瀬加からのコースに合流した。二度目の笠形山山頂に着く。前よりは少し周囲の山が分かるようになったが、これほど展望の山でも暁晴山・段ガ峰・明神山・六甲山・千ガ峰と暁晴山の向こうに霞む氷ノ山くらいしか名前をあげることができない。我を出さない北沢さんは弁当を食べながら、わたしの聞き役に終始していた。30分ほどで、風が出てきて雲行きが怪しくなる。ひっとして一雨あるかも、急いで下山を開始する。林道を横切り、熊の冬眠穴跡まで来ると、雷鳴が鳴り出して、5分もしないうちに落雷が始まる。

大屋登山口の案内板 蛇腹の滝 笠形山(939.4m)山頂  ふたりとも一言も話さず走って下る。大粒の雨が落ちてきて、山頂部で落雷の音がバチンバチンとして、気が気じゃない。北沢さんは折りたたみの傘をさしていたが、二人ともずぶ濡れになって、登山口の車まで逃げ戻る。
ホームへ番外の山Copyright(c) 2005 Team-orang. All Rihgts Reserved(604)

0009 '92年07月19日 地蔵堂コースから氷ノ山~鉢伏山 [地形図2万5千 氷ノ山]
①大久保駐車場⇒②多田ケルン⇒③地蔵堂⇒④氷ノ山越え⇒⑤氷ノ山⇒④氷ノ山越え
          (15)       (40)     (55)      (1:00)     (50)
⇒⑥大平頭避難小屋⇒⑦高丸⇒⑧鉢伏山⇒⑨朝日ロッジ⇒①大久保駐車場  大阪周辺の山(山と渓谷社)p396
(55)          (50)    (55)     (45)       (25)

 先週、笠形山で北沢さんは、盛んに兵庫県最高峰の氷ノ山を奈良尾から登った話をしていた。すこし早すぎるきらいもあるが氷ノ山に挑戦する。近くの書店で 氷ノ山エアリアマップ(昭文社)を買ってきて、この一週間下調べをする。折りしも今日は、梅雨明け宣言のでる日だそうで天気はいいようだ。朝5時半に加古川を立ち、8時半に大久保のスキー場の駐車場に車を駐めて、八木川に沿って歩くと、15分ほどで親水公園に着いた。ここが本当の登山口のようでトイレと大きな道標と多田ケルンが入り口にあった。登山道を布滝の滝見台まで行き、あとは葛篭折れの道をひたすら登る。

 不動の滝が見えるところからは、小豆コロガシの急登になって、左手が切れているので滑らないように慎重に歩く。杉林の横道となって地蔵堂に着く。その後しばらく横道だったが、また広葉樹ジグザグの道になる。長い坂で少しバテてきたので、道端の枯れたミズナラの枝を拾い杖にしながら登る。当てにしていた弘法の水場に出るが、ゲジゲジが沈んでおり飲めない。氷ノ山山頂に黄色い尼工ヒュッテが見えるようになって、鉢伏側に地蔵のある氷ノ山越えに着いた。梅雨明け直後、湿度が高く大汗をかいているので、ここで大休止して汗の引くのを待ってまた登り始める。

 ブナの原生林帯に出る。 大きくて感激。少ピークを何回も越え鳥取側の分岐まで登ると、甑岩の下部で道が分かれる。左手の岩の間を急登すると、甑岩の上部に出て夏草の尾根をひと登りで、氷ノ山山頂に飛び出た。少し霞んではいるが鉢伏高原の向こうに目指す鉢伏山が見える。これで兵庫一高い山頂に立てた。ケルンのところで写真を撮ってもう一度氷ノ山越えまで引き返す。鉢伏高原までは「ブン廻し」というコースを行くが整備はよかった。赤倉山の西壁の向こうに陣鉢山が見え、遠ざかる氷ノ山が各 ピーク毎に表情を変えて見える。

 大平頭避難小屋からブナ帯を10分で、鉢伏高原スキー場の草原の稜線に出る。が、西日を背後からまともに受け歩が進まなくなる。水も底をつく。ここで断念か。幸い高丸の鞍部で湧水を見つけた。大久保頂上リフト小屋の陰で20分ほど休憩し、木陰が全くない炎天下の中を鉢伏山へ登る。暑くてコースタイムを割った。やっと木製の方位標のある鉢伏山に到着する。達成感がじわりと沸く。南のピークから林道に下り、スキーの常宿「アサヒロッジ」に立ち寄る。正ちゃんは元気で、風呂を沸かしてくれたので入り、土産に小学生が林間学校でもらう氷ノ山登山認定書をいただく。

初めてのブナの原生林 二百名山氷ノ山(1510m)山頂 1019m鞍部付近から鉢伏山 鉢伏山(1221m)山頂
ホームへ兵庫の山三百名山Copyright(c) 2005 Team-orang. All Rihgts Reserved(604)

0010 '92年07月25日 三室野外活動センターから三室山 大阪周辺の山(山と渓谷社)p402[地形図2万5千 西河内]
①三室レクセンター⇒②林道終点⇒③大通林道分岐⇒④三室山⇒③林道分岐⇒①三室レクセンター
           (25)      (40)         (45)     (35)      (45)

 初めて地図を読んで氷ノ山に登った。これまでガイドの概念図で登ってきたが、この登り方では限界がある。地図を読むのは好きだったので何とかなるだろう。さいわい氷ノ山エアリアマップには、裏面に三室山が載っている。先ずはこの地形図で登ってみることにする。三室野外活動センターの入口に駐車場があったので車を駐めて出発する。先週氷ノ山に登ったとき拾ったミズナラの杖の皮をはぎ、石突きに指輪状のパイプを入れた手作りの杖を持って行く。

 センター敷地内を歩かず作業道を歩く。しばらく歩くと水飲み場が現れる。作業道はカーブのほとんどしない上り一方の道だ。前方にパジェロが駐めてあり、 貯水槽があるところで林道が山道に変わる。最初は沢の右岸に杉林のよく踏まれた道だ。谷が細くなって、一度左岸に渡渉して大きく右岸側に回り込むと、尾根道の分岐に出る。ガイドに「みずし新道」と書かれた道で、大通林道に下れる道だ。分岐を右にとり、最初は育ちの悪い杉林の中を急登する。いつの間にか尾根道になり、大岩の間をジグザグに登るようになった。前に20代の男が、大きなリックを背負って登っている。

 大きな荷を背負ってわりになかなか距離が縮まらない。急登の狭い尾根を抜けると大岩のある展望地に出る。ブルーシートを敷いたパラグライダーの発着場があった。彼の背負っているリックはパラグライダーだったのだ。3機が風を待っていて、下から盛んに無線が入っている。最初のパラグライダーが飛びたった。最初は谷沿いを降下するが、やがて上昇気流を受け急上昇して、東方向へ飛んでいった。2機目が飛ぶのには、まだ時間がかかりそうなので、とりあえず三室山山頂に行く。5分ほどで大きな三角点はある山頂に着くが、周囲に低いブナ林があり展望はなかった。ガイドに西に大道峠に下る踏跡があると書かれているが、遠くに大道峠は見えるが踏跡は分からなかった。

 写真を撮ってパラグライダーの離陸場に引き返し青年と話をする。最後から2番目の人が飛び立つ、女の人が来て、このカメラで飛ぶ瞬間の写真を撮ってと頼まれる。後ろ向きでパラグライダーを広げて、ブルーシートの上を走りまた急上昇して東に回り込んだ。青年の番になる。回添え人のような人がいて「君は、初心者だから真っ直ぐ着陸地をめざせ」と青年に言う。ブルーシートの上を勢いよく走り、パラグライダーがテイクオフした。青年が後ろを向いて何か叫ぶ「無線機が落ちた」と聞こえる。離陸場に残った人にこう聞こえたよと言って、こちらも飛ぶように下山をした。

青空に滑空するパラグライダー 三室山(1358m)山頂
ホームへ兵庫の山Copyright(c) 2005 Team-orang. All Rihgts Reserved(604)

0011 '92年08月05日 青下から上山高原~扇ノ山 [地形図2万5千 扇ノ山]
①青下集落⇒②林道出合⇒③上山高原の標示⇒④小ズッコ登山口⇒⑤畑ガ平分岐⇒⑥扇ノ山
      (55)      (10)           (40)          (1:20)       (10)
⇒⑤畑ガ平分岐⇒⑦畑ガ平大根畑⇒⑧畑ガ平林道車で拾われる→①青下集落
(10)        (1:15)        (45)

 扇ノ山も氷ノ山エアリアマップに載っている山だが、温泉町までが遠い。5時前に出発し8時半に青下(あおげ)に車を駐める。20軒ほどの集落で、居合わせた男に登山口を聞き、家の庭先から登り始める。男は「この辺は、マムシが多いから気をつけるように」とも付け加えた。最初は一気の上りだが、谷あり小尾根ありの良く歩かれた生活道だ。全体に南向きに登って、一時間ほどで水平の広い林道に出た。東に小高い上山が見えて、上山高原キャンプ場に着く。炊飯場へ行き蛇口から水をがぶ飲みし、また林道を歩き出す。

 地形図の「しょうぶ池」は見つからず、北斜面の赤い柔らかい岩を掘り起こした林道を歩く。南に入る木の階段が現れ、5分程で小ズッコの避難小屋に出る。やや老朽化しているが、まだ使えるようだ。小屋前で道が交錯し南が分かり辛いが、鳥取側から道が合流して山陽自然歩道になる。自然歩道は整備がいいはずなのに、朽ちた道標があるのみで少々心細い。鳥取側に枝道が分岐するが、どこがピークか分からない水平の道が続く。地形図だと畑ガ平方向に2つ分岐があるが、県境の分岐しかなく、県境分岐から10分で避難小屋のある扇ノ山山頂に着いた。

 避難小屋の屋上に上がって、兵庫側に開ける展望を楽しむ。仏ノ尾・青が丸・鉢伏山・陣鉢山・氷ノ山・長い瀞川平の山頂部には2機のパラグライダーが浮いている。弁当を食べて県境分岐に引き返し、広いブナ林帯を畑ガ平高原へ下る。 先の19号台風の影響で倒木が多い。大きな倒木の陰に熊でもいて、鉢合せにならないかが心配だ。広い畑ガ平の大根畑に出る。お百姓さんが3~4人農作業をしているのが見える。畑の片隅に腰をかけ休憩をとる。あと3時間も林道歩きをしなければならない。いま13時過ぎ、すこし待ってトラックの荷台に乗っけてもらおうか。疲れたのか自分勝手な考えばかり浮かぶ。地形図の上山高原への破線道は見つからず、しかたなしに林道をとぼとぼ歩き始める。

 30分ほど下ると眼下に畑ガ平林道の蛇行した道が見える。うんざりするほど遠い。さいわい15分ほどたって営林署の軽乗用車に拾われる。「ここには熊が2組居るので、必ず鈴をつけるように」と言われる。 しばらく走ると路肩に筑豊ナンバーのワンボックスと迷彩服の男が5~6人居るのに出くわす。営林署の人は、少し行き過ぎて路肩に車を止め、「熊の肝は20~30万するから」と後ろ向きに見ながら言った。

上山高原と上山(後方)  扇ノ山(1310m)山頂 扇ノ山山頂から瀞川平 畑ガ平上部のブナ林
ホームへ兵庫の山三百名山Copyright(c) 2005 Team-orang. All Rihgts Reserved(604)

0012 '92年08月15日 大屋若杉スキー場から藤無山 [地形図2万5千 戸倉峠]
①大屋若杉スキー場⇒②林道分岐⇒③藤無山⇒②林道分岐⇒①大屋若杉スキー場
            (55)       (35)     (20)      (40)

 氷ノ山に登ったとき、多田ケルンと書かれた石積みを見つけた。多田繁治・・・神戸新聞で連載していた加藤文太郎と親交のあった人のことでだろうか・・?。 ガイドには、地蔵堂で加藤文太郎が、一夜を過ごしたとも書いてあった。書店で「ひょうご低山遍歴 なつかしの山やま(多田繁治著)」を買ってきて、一晩で懐旧編を読んでしまう。確かに神戸新聞はこの本から記事を載せているし、多田繁治は加藤文太郎とも親交のあった兵庫の山の父とも云える人らしい。同懐旧編「山とお燗」p286に藤無山に登った話が出てきて、彼はこの山を一宮側公文から藪漕ぎで登ったと書いてある。

 このコースだと上りに3時間、下りに2時間ほど要し、しかも今はもっと藪漕ぎを強いられるだろう。今は大屋若杉スキー場から道が整備されているようなので出かける。今日はお盆で、スキー場は夏スキーをやっており結構な人出だ。最上部リフトの上駅目指して夏草の中を登る。炎天下で暑く、物凄い量の汗が吹き出る。氷ノ山エアリアマップでは、スキー場から谷道だが、登りきった支尾根にいい登山道がある。リフトの小屋近くの木陰で休止をとり、汗の引くのを待って水平道を歩き始める。最初はミズナラなどの落葉林帯だったが、僅かしか残っておらず杉の幼木林となる。

 湿った道だが、結構歩き易い。道が本尾根の小ピークをまき廻き900mの鞍部に下る。東に目指す藤無山の尾根見え始める。下った鞍部の右手に残存テープと踏跡があるから、ここから林道に出られるようだ。登り返し最初のピークに出るとまた藤無山が見える。ここからは下刈りされた乾燥した道で、高低差の少ないピークが続く。 樹木も低く、大屋側・一宮側共展望が開けるが、陰がないから暑い。氷ノ山エアリアマップにある破線の枝道は踏跡すらなかった。

 尾根が細くなり樹林帯に入る、一宮側は落葉林帯が残っており緑が心地いい。最後の急登のないまま藤無山山頂に着く。狭い山頂で、山頂標と三角点以外何もない。三角点に腰をかけ弁当を食べる。東の藤無峠下る公文への道は、取り付きさえ分からぬほど竹藪の中に消え失せていた。ゆっくりしたいが展望もないから、手持ちぶさただ。 弁当が終わるとすぐに太陽が降り注ぐ尾根に出て下山した。
ホームへ兵庫の山Copyright(c) 2005 Team-orang. All Rihgts Reserved(604)

0013 '92年09月05日 室から日名倉山~志引峠 大阪周辺の山 p406 [地形図2万5千 千種]
①日名倉神社⇒②船越への分岐⇒③奥海越分岐⇒④日名倉山⇒⑤ベル・アーヴァンベール
         (55)         (05)        (1:00)     (20)
⇒⑥志引峠⇒①日名倉神社
(35)    (1:15)

 今年の夏は暑く、山登りはすっかりご無沙汰だったが、また北沢さんからお声がかかり、もう涼しくなったから山でも登ろうと言う。大阪周辺の山 (山と渓谷社)に載っている日名倉山に千種側から登ることにする。千種川にかかる橋を渡って国道から少し入ると、日名倉神社があり、その南の作業道に車を駐めて、作業道を西へ歩き始める。谷に沿った田んぼ道から杉の植林帯に入ると、作業道も山道に変わる。昔は千草と佐用を結ぶ、重要な街道だったろうから、道幅も広く良く踏まれ歩き易い道だ。道が南向きになり周りも雑木林になって、最初の分岐に達する。

 この南へ行く道は、千合地峠から船越山を経て瑠璃寺に至る道で、今も健在のようだ。 この辺は平坦で湿っぽく動物の足跡がいっぱいだ。5分ほどで奥海越の峠に出て、ここで最初の休憩をとった。一息入れて分岐を北へ、日名倉山の登りにかかる。広い尾根道で時々前方が開けて、ピークの三つある日名倉山の山頂部が見え始める。山頂部の南斜面は伐採がかなり進んでいるようだ。整備されたいい道だが単調な登りで、少々飽きてきた。暗い杉林帯の一番目のピークに出て、西に曲がり水平な道になる。東側が開いて千種の町が見える。

 一度下り40mほど登り返すと2番目のピークに出た。ここはもう日名倉山とはもう峰続きで、熊ザサ帯を越すと一等三角点大きな標石と、石の祠のある日名倉山山頂に着いた。東西に長い芝生地の山頂で、ちょうど正午。佐用側から登ってきた中年の登山者と3人で弁当を食べ始める。2人は愛妻弁当で気が合うのか山談義に精を出す(とはいっても北沢さんは相槌を打つだけだが)。こちらは、 コンビニ弁当なので黙って弁当を食べた。

 一足先に食べ終わり、東の熊ササ帯に出て、北に見える山々を眺める。後山の山頂部と東に続く長い尾根が間近に見え、遠くの東側に兵庫2位の高峰三室山が見える。途中から北沢さんも加わり、二人で何を話すでもなしボーっと眺める。下山だ。山頂北の県境尾根は歩けなくもないようだが、歩き易い公園の芝生の道には勝てず佐用側に下る。西洋風の鐘撞堂がある公園に出た。ガイドのコースは奥海峠まで下ることになっているが、もうこれ以上は下るのが嫌になり、公園の取り付き道路を志引峠まで出て、赤とんぼの飛ぶ道路を千種の町へ下った。
ホームへ兵庫の山Copyright(c) 2005 Team-orang. All Rihgts Reserved(604)

0014 '92年09月12日 名草神社から八鹿妙見山 [地形図2万5千 関宮・栃本]
①大平新道登山口⇒②名草神社⇒③作山峠⇒④妙見山⇒①大平新道登山口
           (15)       (35)     (50)     (1:00)

 妙見山も氷ノ山エアリアマップに載っている山だが、名草神社から巡回コースで歩けるようなので出かける。八鹿町から石原の集落を過ぎると日光寺という大きな寺があって、寺を大きくカーブをすると稜線伝いの林道になる。道路上に磨崖仏が彫ってあったから、この道も名草神社への参拝道だったに違いない。妙見神社が近づくと左に道路分岐あり、車で行ってみると町営の施設があり、裏手に大平(なる)新道登山口の道標がある。ここを下山路に決め道路分岐に引き返し、道路分岐に車を駐めて名草神社へ歩き出した。15分ほどで名草神社に着く。

 東側に少年自然の家のような施設があるが、使われてないのか夏草が繁っている。それより妙見の大杉が昨年9月27日の19号台風で倒れていた。幹の直径3mほどの大木で、もう緑の葉こそないが、倒れてもなお銘木だ(遺伝子培養で種は保存されたようだ)。傍に朱塗りの国重要文化財三重塔と本殿・拝殿がある。境内を一回りして、寺の左手にある登山口から上りにかかる。丁石の石仏に励まされながらの急登が続く。約40分で丁石13番の石仏のある作山峠に出る。峠道はよく踏まれてはいるが、通る人もないのか暗いが、たくさんの目印テープが残されている。

 峠を南へ分けて妙見山の上りにかかる。展望がまったくないうえに道標もないので心細い。小ピークをひとつ越えても、ブナの大木が残る混合林で、いっこうに展望開けず、本当に妙見山へ登っているのか心配になって来る始末だ。最後の斜面を登ると「妙見山 1142m」と書かれた八鹿町の山頂標をがある山頂に登り着いた。ここは三角点峰ではないが、確か1139mのはずだ。頂上から少し南に行くと展望がわずかに開けてたところがあった。ここが頂上標より3m高いところだと納得し、少ない展望を見ながら弁当を食べる。頂上に引き返し、写真を撮って大平新道を下る。

 最初は緩い斜面でこの辺にザゼン草があるじゃないかと登山道をすこし入ってみるが、春咲く花がいま分かるはずもなく、すごすごと登山道に引き返す。こちらの道の方が歩き易い。適当に間伐されているので、見通しも効く。この道が出来て名草神社の道は歩かれなくなったのだろう。難なく登山口に出て、アスファルト道路を車まで歩いた。
ホームへ兵庫の山Copyright(c) 2005 Team-orang. All Rihgts Reserved(604)

0015 '92年09月19日 一ノ谷コースから後山~駒ノ尾山 大阪周辺の山 p404 [地形図2万5千 西河内]
①林道分岐⇒②間違えた谷⇒③稜線出合⇒④船木山⇒⑤後山(2回目)⇒④船木山⇒⑥鍋ガ谷山
       (20)       (1:40)      (05)     (20)        (20)     (25)
⇒⑦駒ノ尾山⇒⑧兵庫側下降分岐⇒①林道分岐
(20)      (20)           (55)

 7月に後山に登ったとき山陽自然歩道の道標に、次の山が船木山と書いてあった。「大阪周辺の山」による と兵庫側から一ノ谷コースに破線道があり、鍋ガ谷山から下れるとガイドしてある。また「氷ノ山エアリアマ ップ」の地形図にも同様の破線道が書かれているので、それだったら鍋ガ谷山に登り、駒ノ尾山から後山に縦走 し、船木山から一ノ谷に下ろうと出かける。登山口の県道72号線のちくさ高原スキー場南に林道が分岐している。ここにエアリアルマップにある駒ノ尾登山口の指示標があった。しめたしめた。ここを下山道に変更する。

 林道を少し入った路肩に車を駐めて林道を歩く。林道の鍋ガ谷山の登山口もそのうちあるだろうと林道を歩くが、いっこうに登山口がない。登山口が谷道なので、林道が大きくカーブするところの谷を見ると踏跡があった。表示もなく道が狭すぎるので不安はあるが登り始める。始めは歩けたが、だんだん踏跡がなくなり、歩けるところを探して登っているうちに、急な岩稜の尾根となった。斜度が緩むと、今度は水分をたっぷり含んだ根曲がり竹(スズコ)に突っ込んでしまった。衣服に根曲がり竹のススがついて真っ黒になる。掻き分け掻き分け進みやっとのことで縦走路に転げ出る。

 路傍で休憩していたら、後山側から50歳くらいの男が下ってきて立ち話になる。山談義からマムシ・スズメ蜂の話になって、「なかなかヒスタミン軟膏は手にはいるません」と言ったら、彼はいくらでもあるよと 言って軟膏を出してくれた。言葉の端々からどうも医者らしい。彼と別れ東に行くとすぐに船木山。さらに東に行くと2回目の後山に到着した。立ち話で時間を取りすぎたので、休まずに駒ノ尾山に引き返す。平坦な道で、おまけに山陽自然歩道で整備がいい。難なく45分ほどで鍋ガ谷山に着く。山頂部を探したがどこにも下山道などなかった。歩きもしないでガイドを書いているようだ。

 振り返ると後山が船木山の陰に隠れ、西に駒ノ尾山の避難小屋が間近に見える。笹原の縦走路を歩き避難小屋に着く。ここは兵庫県・岡山県の県境で、最高点は岡山側に150m位入ったところにあったが、三角点は見つけられなかった。県境分岐に戻り、岡山と兵庫の県境尾根を下る。ここも山陽自然歩道で整備が良好だ。鞍部に下ると兵庫側への下山口の標があったが、踏跡は交錯するものの下山道がない。探すと100mほど北にまた標と下山道があった。何と山地図は当にならないものか痛切に知った一日だった。下山後、車で林道に入り一ノ谷登山道を下見して帰宅する。
ホームへ兵庫の山Copyright(c) 2005 Team-orang. All Rihgts Reserved(604)

0016 '92年09月26日 下里農協から善坊山・笠松山 大阪周辺の山 p356 [地形図2万5千 笠原]
①下里農協前⇒②善坊山⇒③周回尾根分岐⇒④周回ピーク⇒⑤ダムサイト⇒⑥古法華寺
         (35)    (10)         (20)        (20)      (10)
⇒⑦笠松山⇒⑧古法華寺⇒①下里農協前
(20)     (15)      (20)

 カメラのフィルム取り出しで失敗し、藤無山・日名倉山・妙見山・後山~駒ノ尾山までの貴重な記録を失なってしまった。裏蓋を開けるのは、カウンターを確かめて!また登ったらいいと諦めるしかない。今日は、子供のPTAの父母でグラウンドの草引きをしたので、遅くなってしまった。最も近い山として「下里農協から善坊山・笠松山」を選んだが、下里農協前に着いたのは11時10分だった。善坊山の東山稜に入る林道脇に車を駐めて歩き始める。しばらく歩くと人家切れるて山道になり岩の岩稜に取り付く。低い松が生え尾根が南に向くと、一枚岩のピークの広い岩場に出る。

 南に善坊山とその前山が要塞のように聳え、善坊山の南稜も岩の尾根を延ばしている。しばらくは平坦な道だったが、前山が近づくにつれ斜度を増し登山道も草や低木が繁って歩き辛い径になる。小木につかんで登って善坊山山頂に着いた。兵庫山岳会の頂上標があるだけで三角点も展望もない。写真を撮り、少し西へ下って丸岩に回り込むと古法華の全景が見える展望地があった。西に笠松山の鋭い岩峰が見える。南に見える高御位山と同じ成り立ちだろうか、全て岩山で地溝帯が東西に幾重にも走 っている。この地層が家島に続き、やがて小豆島に至るのだろうか。

 稜線を下って登山道から外れ南の尾根に続く稜線に行く。取り付きは踏跡程度だったが、なんとか歩けて周回のピークを越えると、真下に古法華の伽藍が見える広い磐座があったので、遅いがここで昼飯を食べる。対岸の笠松山の登山ルートを目で追う。食事も終わり稜線を西へ進み、ダムサイトに下ろうとするが、見逃したのか西側は明瞭な道がなく右往左往する。少し藪を漕ぎダムサイトに続く道路に下って古法華寺まで引き返した。

 笠松山へは神社裏の尾根を登る。笠松山頂上に出ると展望櫓があったが、ボーイスカウトの少年達が陣とってなかなか動こうとはしないので、櫓下で写真を撮ってそうそうに退散する。古法華寺には、石の工房があって盛んに何かを彫っている人たち。彫り上げた作品が羅漢として置かれているが、皆ユニークな顔立ちをしている。彫り物は作者に似ると言うが、まさかこんな顔の人はいないと心で笑う。 峠の岩の切り通しを越えて、真っ直ぐに伸びる道路を歩き車に戻る。

善坊山(251m)山頂 丸岩から古法華の全景 笠松山(244.1m)山頂
ホームへ兵庫の山Copyright(c) 2005 Team-orang. All Rihgts Reserved(604)

0017 '92年10月03日  砥峰高原から峰山~暁晴山 [地形図2万5千 長谷]
①JR寺前駅→②川上⇒③林道分岐⇒④砥峰高原⇒⑤峰山高原入口⇒⑥峰山三角点⇒⑦暁晴山
             (40)       (30)      (20)         (15)       (1:10)
⇒⑧峰山レクセンター⇒⑨黒滝上部⇒⑩上小田の登山口⇒⑪魚屋に拾われる→JR寺前駅
(30)           (25)      (40)           (30)

 多田繁治著の「ひょうご低山遍歴 なつかしの山やま」懐旧編「その後の 峰山高原」p262を読み直し、その後を見ようと計画を練る。開拓地その後を見るなら砥峰高原から入るのが一番だし、太田ダム周辺を見るのであれば、峰山から上小田に下ったらいいと考えて、寺前駅から路線バスで川上へ出て、砥峰高原から峰山高原まで縦走し、上小田に下ってまた路線バスで寺前駅に帰る予定で出かける。寺前駅前に有料の駐車場があり、車を預けバスに乗り込む。バスには4,5人の乗客しか乗っていない。川上ダムが建設中で、ダムが近づくと全員で川底を覘きこんだ。

 終点、川上集落からは砥峰高原への林道を歩く。ヘアピンのところに分岐標があって登山道に入る。ないと思っていた道標があっただけで感謝だ。大きい杉林の谷道を登って砥峰高原に出る。一面の草原で車でやってきた人々がいく秋を楽しんでいた。遊歩道で草地の真中を、後半は林道沿いのピークに沿って歩き、一度林道に出てから道標に従って峰山高原に入って行く。平坦な道が続き芝生地に出る。ここには峰山三角点が埋まっており、行手に暁晴山と峰山レクセ ンター・峰山高原が一望できた。しばらく小休止弁当を食べて遊歩道を下る。

 三回カーブした後は、谷に入り、後は山の裾に沿って高原を目指した。段々畑の地形があるからこの辺が、最後の青年が志した開墾地かもしれない。歩いているこの遊歩道も作業道路だったはずだ。近畿には自生しないはず白樺の木が遊歩道沿いに一本あった。この木だけが最後の青年の奮闘を見守ったに違いない。峰山三角点から45分で高原内の分岐に出て、今度は暁晴山に向かう。ここは一度家族で車で来て登ったことがあるので、分かり易かったが、暁晴山山頂から峰山レクセンターに下り、レクセンターから黒岩滝に下るコースが分からず、駐車場付近で右往左往する。

 やっとセンター裏手に谷道を見つけて、黒岩滝上部林道に出ると、この谷から太田ダムに取水する側溝があった。ここから広い谷の左岸をしばらく下ると下部で黒滝の滝音が聞こえ始める。左岸に登山道がよく整備されていて、上小田のヘアピンの登山口に出た。バス便はどうか。もう朝と夕方の2回しかなくなっており、次の便まであと2時間もある。歩くしかない。太田ダムの発電所の下部を通り、南小田過ぎた橋の手前で魚行商のトラックに拾われた。

砥峰高原  峰山三角点(1038m) 暁晴山(1077m)山頂 上小田バス停から夜鷹山
ホームへ兵庫の山Copyright(c) 2005 Team-orang. All Rihgts Reserved(604)

0018 '92年10月11日 酒垂神社から虚空蔵山~滝谷 [地形図2万5千 藍本]
①酒垂神社⇒②公団基準点⇒③虚空蔵堂⇒④虚空蔵山⇒⑤滝谷降下点⇒⑥408m鞍部
       (35)        (20)      (35)      (20)        (10)
⇒⑦高速高架下⇒⑧藍本駅    「ひょうご なつかしの山やま」p45
(1:20)       (30)

 「ひょうご低山遍歴 なつかしの山やま」p45に虚空蔵山を酒垂神社から登って滝谷に下るのコースが紹介されている。このコースで最初の丹波の山に記すことにする。福知山線藍本駅付近には、駐車できるスペースなく、 国道176号線に近い田んぼ道に車を駐めて酒垂神社まで歩く。ガイドの磐座を見るため酒垂神社へ行くが、岩の所在がはっきりしないので、神社右手の谷を詰めて、広くはっきりした山道を見つける。そのうち尾根道を登るようになって、公団測量点の標示のある舞鶴道藍本トンネルの真上に出た。南の高速道路から車の走行音が響いて聞こえる。

 ここから尾根をやや北に進み、桧の植林帯を5分ほど歩くと虚空蔵堂の裏参拝道に合流して虚空蔵堂に着いた。ここは立杭からの登山道、藍本駅からの表登山道が合流するところだから、虚空蔵山へ登る人の休憩スポットになっており10人ほどの登山者がいる。参拝し一息いれて虚空蔵山への急登にかかる。30分ほどで南が開けた立杭岩の露岩の上に出る。初めての丹波の山で、周りの山々の山名も分からずただ眺めるだけだ。

 露岩から黒色の大きな山頂標が立つ虚空蔵山はすぐ、狭い山頂に腰掛けて弁当を食べる。あとから後から登山者が登って来て、手狭になったのを機に滝谷方向へ下山を始める。山頂部の立杭側を平行して走る送電線の巡視路があり、雑木林を20分歩くと、赤い巡視路の順路を示す「←草野駅」の標が現れ、右に踏跡を見つけたどると、虚空蔵山山頂から目星をつけていた露岩の上に出た。真下に目指す小さな池が4つ見える。

 なおも踏跡を下ると408m鞍部に出て北が開け、真下に八王子池、送電線の山向こうに盟主白髪岳が見える。鞍部から南に下ると炭窯が2つ現れて道がぐっと良くなる。2番目池だけは右岸あとの池は左岸側を歩く。4番池は大きく堰堤があって水量調整ができるようになっていた。コンクリート製の橋渡って右岸にでるとうって変わって、水がほとばしる渓谷となっていたのには驚いた。高速道の騒音が聞こえる里近くに、水迸るこんな別天地があるなんて。

酒垂神社 虚空蔵堂 虚空蔵山(596m)山頂 第一野池から分岐露岩
ホームへ兵庫の山Copyright(c) 2005 Team-orang. All Rihgts Reserved(604)

0019 '92年10月25日 阿瀬渓谷から洗心台・蘇武岳 大阪周辺の山 p400 [地形図2万5千 栃本]
①県道259号日高町篠垣付近⇒②金谷バス停⇒③洗心台⇒④廃村金山⇒⑤金山峠⇒⑥蘇武岳
                 (1:00)       (1:20)     (1:10)     (1:00)    (1:45)
⇒⑥間違えた降下点⇒⑦県道258号出合→⑧村岡バス営業所→⑨八鹿バス営業所→①バス停久田谷
(10)        (迷 1:40)                       バス代計1500円

 「たら」が反省材料になるのなら、まず洗心台に登るべきじゃなかった、金山峠から林道で蘇武岳に登るべきだった。このコース2つで2時間の負担になり、あわや遭難しかけた。国道を少し入った日高町篠垣付近に車を駐めて、県道259号線を阿瀬渓谷の標識を追って歩く。金谷口の郷土料理店から阿瀬渓谷に入る。紅葉も少し色褪せきみでがっかり。源太夫滝を見て橋を渡ると洗心台の分岐に出る。時間も早いので洗心台方向に行く。磨崖仏があり、発電所の取水口から遊歩道を尾根に取り付くと、滝から1時間ほどで洗心台に着く。北が切り開かれて蘇武岳が見える。

 急な遊歩道を阿瀬渓谷に下り、たった一人となって廃村金山へ進む。囲炉裏のある平屋が一軒残っていて、「500年歴史を閉じた金山廃村」と看板がある。そこからは高低差のない滝の連続で飽きることなく金山峠に出た。このとき兎和野高原の方を見ると太陽光線雲間から差し、時雨が始まっているのに気づいたのに、864.4m三角点捜しに行く。一度林道にでたところで、林道を下山中のアベックに会う。それからまた山道に入り低い柏の木を払いつつ蘇武岳に着いた。急にガスが出始めて10m以下の視界となる。ホワイトアウトだ。ここで動かなければよかった。

 写真を撮って下山道の東に降りるが、用便したあとがあり、違うと決込みそれ以上、下山道を探さなかった。林道に下っても、なおも名色へ下山を捨てきれず、林道を北行ってしまった。5分ほどで軽トラックに出くわす。荷台でも いいから乗せてくれと何故か言えだせず、そのまま林道を歩く。ついに時雨が降り出し、14時というのに真っ暗になって林道に野うさぎが走り出す始末。ここで初めて地形図を出し、997mの南峰の鞍部に入ってみる。植物調査か5m角にテープで仕切 られた湿地が現れた。この奥に道があると分かっているのに、それ以上入りめなかった。

 末路は村岡側の踏跡のまったくない谷に迷う込む。まったく太陽が射さず方向は分からないが、途中でうすうす村岡側に下っていることは気が付いた。もうこのまま下るしかない。急激な気温の降下と疲労で両足の痙攣が始まるが、谷の右手に踏跡が現れ、左に左に行くと現存する炭窯があった。しばらく休むと気持ちが落ち着き、真下の道路に出ると運良く軽のワン ボックスが来る。年配の夫婦はここは村岡だよと言って、村岡バス営業所に送ってくれた。路線バスで八鹿営業所に出て、神鍋行きの最終バスになんとか飛び乗った。

阿瀬渓谷口の案内板 洗心台から蘇武岳 金山廃村の一軒だけ残った家 蘇武岳(1074m)山頂
ホームへ兵庫の山Copyright(c) 2005 Team-orang. All Rihgts Reserved(604)

0020 '92年11月01日 東中コースから三尾山~鏡峠 大阪周辺の山p390 [地形図2万5千 宮田]
①東中⇒②佐仲峠⇒③三尾山⇒④鏡峠⇒⑤中山バス停⇒①東中
    (1:15)    (15)     (1:10)  (1:00)       (20)

 氷上郡は行ったことがなく、無案内だ。春日町はいると南に三尾山の三つの峰が見える。高速道を過ぎ県道69号線に走ると、バス停「三尾山登山口」の標識と見つける。高速道を見ると高架になっているので、ここが登山口の中山に違いないと思い、小さいお宮の駐車場に車を駐め、高架下を通り林道を歩く。今日は柴犬の「りゅう」をお供に連れて行く。またミスコースらしく三尾山の西の山裾を歩いているようだ。ガイドを見ると東中コースらしいのでそのまま林道を進む。

 谷から東に道路がカーブする法面におびただしい数のキノコが出ている。黄色の胞子もの、茶の破れ傘のようなものだ。木に生えてないから食べられないと思いきや、あとで調べるとコガネガタケ、ヒトヨタケというキノコで食用できるらしい。林道の中間地点の作業小屋を過ぎた辺りで、大きな黒い2匹のスズメ蜂が飛んでくる。偵察蜂らしい。30m先の道路下に巣があるようで、ブンブンと羽音がする。黒い尻で大きいスズメ蜂だ。「りゅう」がびびって動かないのでジャンパーを脱ぎ包んで引き返す。運良くS字カーブ地点で蜂の巣を避けられるようだ。直登藪漕ぎをする。

 再び林道に出た後の次のカーブ地点から北に岩峰が見え始め、町境か西紀町と春日町の標のある佐仲峠に出た。三尾山に向けて芝栗の道を直登する。すぐに稜線に到着。ほとんど頂上部ですこし西へ行くと山頂標ある三尾山山頂に着く。南に黒頭峰、西に鋸山その遠景の三岳。ここが多紀アルプスの西端の山で、ここから東へ山岳信仰の道が繋がっているのだろうか。「ハイキングコース鏡峠」の標識に従って、鏡峠へ縦走を開始する。 途中初めてのヒカゲツツジを見るがもちろん花期じゃないから花はなかった。低いピークが続くが雑木が繁って見通しはよくない。

 峠へ下りだして、道が山の南側を廻き始めた。雨が降り出したので雨具をつける。整備された道になり鏡峠に着く。遊歩道が西紀町側佐仲峠から出来ているようで、途中に東屋が見える。南の佐仲ダムに下る道はもう消えているが、中山へ下る峠道はまだ広く生きている。雨が降っているので休憩も出来ず、ちらっと周りを見ただけで中山へ下る。ジグザグの趣のある道を歩き、高速道の高架を潜って中山に出る。県道に出たところにも「三尾山登山口」のバス停の標。どうなっているのか・・まあいいか。県道の裏道を東中まで歩いた。

西紀町側から佐仲峠  西峰と妙高山[後方左] 三尾山(586m)山頂 山頂から多紀アルプス
ホームへ兵庫の山Copyright(c) 2005 Team-orang. All Rihgts Reserved(604)

0021 '92年11月08日 独鈷ノ滝から小野寺山・五台山 [地形図2万5千 黒井]
①独鈷の滝⇒②稜線鞍部⇒③無名峰⇒④五台山⇒⑤香良分岐⇒①独鈷の滝
      (1:25)      (25)     (10)     (20)      (40)

 氷上町の五台山に登る。「大阪周辺の山」山と渓谷社p386に載っている山で加古川分水嶺の山でもある。南側に五大山という同程度の標高の山があるからややこしい。岩滝寺に入ると駐車場があり、まず独鈷ノ滝の滝見物をする。まだ紅葉はしていないが、存在感のある滝だ。滝の右手に滝を廻いた登山道があるのに気がつく。ここから登って香良に下ろうと登り始める。20m余の滝だからすぐに滝の落ち口に出て、小さな谷に沿って歩く。登山道は次の谷を西に分けるが、地形図を見ると五台山の西の鞍部に登れるようなので谷の踏跡をたどる。

 最初は踏跡があったが遂になくなり、暗い桧の急登になる。 おまけに雨がポツポツ降りだしたようだ。森林帯を歩いているので直接雨粒に当ることはないが、次第に木を伝った雨粒が落ちてくるようになる。下草のない涸れた谷となって間もなく鞍部に出た。稜線には明瞭の踏跡があり歩が進むが、20分ほどで草地になって、いやおうなしに雨粒が当たる。また草についた水滴でズボンが見る間に濡れくる。石積のあるピークに着いた。夫婦の登山者が雨の降るなかいるから、ここが五台山山頂かと思っていたが違うようだ。また霧雨の中、広い登山道を北に歩く。

 中間の鞍部に下山道があって、今度は間違いなく大きな山頂標のある五台山山頂に着いた。気温が下がりガスって視界はまったくなかった。頂上の草地にツェルトを張って、雨宿りをしている用意のいい登山者もいる。ズボンはビチャビチャだが、まだ衣服は通っておらず、湿らないうちに下山しようと、弁当も食べず五台山の南東稜を下る。鞍部からの道が合流してから、香良口の分岐(=小峠)を分けると独鈷の滝に真っ直ぐ伸びる道にのった。

 長い下りで一度支尾根を歩いて藤ノ目渓谷に降りる。下り着いたところに、新しく楓が何本か植えられているが、暗いので色も冴えない。雨はあがりつつあるよ うだ。見上げると両脇の岩壁が迫り、ガスが晴れかけた空に五台山が見え、紅葉もあり箱庭のような景色が展開 していた。浅山不動尊を分けると独鈷の滝はすぐだった。3週間続けて兵庫北部の時雨に降られた。瀬戸内海側では考えられない気象現象だ。十分心していく必要がある。
※後記 稜線の石積のあるピークは、小野寺山(640m+)。ガイドの旧伊佐道は廃道近い

独鈷の滝 五台山(654.6m)山頂 前衛峰424mと五台山
ホームへ兵庫の山Copyright(c) 2005 Team-orang. All Rihgts Reserved(604)

0022 '92年11月14日 地蔵堂コースから氷ノ山(2回目)~鉢伏高原 [地形図2万5千 氷ノ山]
①大久保駐車場⇒②多田ケルン⇒③地蔵堂⇒④氷ノ山越え⇒⑤氷ノ山⇒④氷ノ山越え
          (20)       (40)     (1:00)      (1:10)    (55)
⇒⑥大平頭避難小屋⇒⑦高丸⇒⑧朝日ロッジ   二日目・・鉢高原散策
(55)          (1:00)  (30)

 会社で一年間にレク費用が25,000円でることになり、それじゃ氷ノ山に登って、スキーをしてたときの常宿の「朝日ロッジ」に泊ろうと家族で出かける。11月に入っているので、もう紅葉は無理だろうが、天気予報はいいようなので数日前から準備を始めた。朝6時に加古川を立ち、9時頃に大久保のスキー場の駐車場に車を駐めて歩き始める。やはり紅葉は終わっていて、夏期には木々の間に隠れしていた布滝も、展望所から一望出来る。

 たくさんの登山者が登っており、「もう紅葉はないけど、尾根筋が見えて気持ちがいいね」と言う老人もいて、ゆっくりゆっくり地蔵堂への尾根を登る。天気は予報通りに上々で、今日は時雨に降られる心配もない。心配したが子供達のほうが元気で氷ノ山越えの避難小屋に着き大休止する。ササ尾根の向こうに待望の氷ノ山頂上も見えて、子供達も大喜び、せきたてられるように、氷ノ山に向かって歩き始める。

 ブナの原生林もすっかり葉が落ち て、幹の質感が出て良かった。あれほど良かった天気が徐々に悪くなるが、鉢伏高原が見え始め「あれがスキーで滑った鉢伏高原」と言って遠望する。氷ノ山山頂に着く。弁当を食べて氷ノ山越えに下り、ブン廻しから鉢伏高原に縦走する。13時20分氷ノ山越えに着く。今夜は、高原で一泊するから急ぐ必要はない。楽しんで歩いて高丸山に出て、スキーをしていたときの定宿、鉢伏高原「朝日ロッジ」に入った。

 11月15日は鉢伏山に登ろうと思っていたが、もう歩くのうんざりという顔をするので、ホードー杉を見に行くことにする。が、分岐標のあるところから10分ばかり下ると沢に出たが、いっこうにホードー杉現れず、熊にでも遭遇したら大変と引き返した。稜線近くで子供達を木登りさせた。何にでものおじしない次男は、裸足になって高く登るが、長男は少し引っ込みじあんで、尻を押し上げないと登れなかった。宿からもう帰る間際になって、ビールの自販機が壊れたからといい、缶ビールを3本も正ちゃんが持ってきた。遠慮なく飲んでしまったので、加古川への帰りがいっそう遅くなってしまった。
ホームへ番外の山Copyright(c) 2005 Team-orang. All Rihgts Reserved(604)

0023 '92年11月22日 市原から宝塚六甲全山縦走試走
①JR三宮駅⇒②新神戸ロープウェイ→③布引ハーブ園⇒④摩耶山⇒⑥丁字ケ辻⇒⑦凌雲台
   9:30     10:00            10:10       11:00     11:50    12:35
⇒⑧縦走路分岐⇒⑨大平山無線中継所⇒⑩塩尾寺⇒⑫宝来橋
   13:15       14:00            14:45   15:10    (歩)=5:15

 神戸に住んでいたときから六甲全山縦走の話は聞いていたが、関係ない話と思っていた。山を登りだしてみると 一度は挑戦したくなった。さいわい六甲山全山縦走マップ (神戸市市民局文化振興課)を手に入れ数週間前から下調べをする。11時間くらいかかるとすると、後半の縦走分岐から後は、一人で歩けなければならないので、試走してみようと出かける。三宮駅から北野まで歩いて、新神戸ロ-プウェイに乗り、布引ハーブ園に入る。まずは神戸市の地図を読み、布引ハーブ園の分岐まで出ると、後から20代後半の青年が追い越してくる。どうも本当に縦走をしている人にようだ。

 早いがついているので、引っ張って貰おうと付いて行く。摩耶山にでるとチェック ポイントがあって、彼れはチェックを受けに入る。どうも今日は他の会社の六甲全山縦走が開かれているようだ。摩耶山頂への水平道路を駆け足する。彼に聞くと順位は早いほうだと話す。記念碑台で給食の豚汁を食べられるようでここで彼と別れる。交差点から六甲ゴルフ場への取り付きが分かりにくく、一度引き返し確かめる。そこからは十国展望台まで一本道で山道に入る。ほとんどの分岐に木製の「六甲全山縦走路」の道標が立ち、思いのほか歩き易いが、ただ独りで歩くとなるとどうだろうか。

 六甲最高峰まではサンライズ道路と地道の縦走路が交錯し、どこが最短路か分からない。できるだけ縦走路を歩いてみる。どうも2~3箇所をのぞいて道路のほうが早いにみたいだ。道路は左側を歩くほうがいいみたいだから、明るい服を着よう。縦走路分岐に着く。カーブ番号「113」。道路のカーブに番号標が付けてあり、これが思考力が落ちたときは役に立つと思い書き込む。分岐からの縦走路はササ原を下る一方ので、一度自動車道に出る以外山道だ。

 最後に塩尾(えんぺい)寺に出て、きついコンクリート道を下り、住宅街を歩いて宝来橋に出た。帰宅し問題点を整理する。水道があるので大きい蓋のぺットボトルを持参しよう。前半余力を残しておいて分岐から残る力をどう出すかだ。分岐以降の尾根は東に傾いているので、暗くなるのが早い。懐中電燈を点けての山道はちょっと苦しい。月は半月だから期待できない。17時までに塩尾寺に着かなければならない。
ホームへ兵庫の山Copyright(c) 2005 Team-orang. All Rihgts Reserved(604)

0024 '92年11月28日 JR塩屋駅から神鉄鵯越駅六甲縦走試走 [六甲山全山縦走マップ (神戸市市民局文化振興課)]
①JR塩屋駅⇒②旗振山⇒③横尾山⇒④妙法寺交差点⇒⑤高取山⇒⑥鵯越駅
   9:00      9:40     10:30    11:05        11:45    12:30

 六甲全山縦走のエントリーをした。孤立無援で聞く人もいないが、まあなんとかなりそうだ。気楽に歩こう。 先週に引き続き六甲全山縦走の西半分を試走する。今回の試走はすべて神戸の市街地を歩くので、一回で覚えようと出かける。地図では下見のできなかった鵯越駅以降は一本道なので、コピーを持って出場することにする。まず難しいのは塩屋の駅から稜線鞍部まで。ここは懐中電燈で歩かなければならないし、「六甲全山縦走路」の道標はまったくないうえに、谷道の市街地で目標がない。中腹の大きなマンションがよく見えたが、当日はこのマンションの位置が明確に分かるかだ。

 次に難しいのは、妙法寺から高取山周辺だ。交差点からそのまま200mほどで、右に直角に曲がる南に公園があり、少し下るが住宅の谷側を登って高取山に取り付く。登ってもいいし、そのまま取り付いても登れるようだ。また高取神社の鳥居を10m下ると東向きの道があり、丸山方面に出れるが、ここも10mの下りの標色が分り難い。茶屋があって尾根道となりそこをまた東の谷に下る。ここも標識を見逃すと市街地に下る危険がある。

 最後の危険は、丸山周辺だ。高取山を下り、交差点に出たら、県道を渡りそのまま行き標に従い山側に歩く。北に小高い丘が見える所が丸山で、市バス系統の(尾根)道の交差点にでる。ガソリンスタンドの北側に幼稚園があるから、その上部の道を下ると、またバス系統の道に出る。屋根のあるバス停から50mで、直角に曲がると刈藻川に架かる橋に出れるから、それを渡り、また北に急登し、道なりに歩くと神鉄鵯越駅に出られる。水は最初1Lほど持っていき、おらが山、高取山、市ガ原、摩耶山には水道があるからそこで補給可能。 その他は自販機の利用ができる(小銭必要)。

 鵯越駅から大竜寺までは自販機なし。丁ガ辻東200mに雑貨商が一軒だけあって、豚まん、パンなどあり。弁当は歩きながら食べられるコンビニ弁当のほうがいい。十国展望台を越すとまったく飲み食いはできない。会社の大会は12月でもうバスが運行されていないから、下山はロープウェイかケーブルしかなく、そこまでは自力で歩かなければならない。天狗道の上りで痙攣があるようなのでバンテリン等が必要だろう。 防寒対策も大事だ。摩耶山頂は西が開いているので、きっと寒いはずだ。時間的には12時30分までに摩耶山を通過すれば、17時までに塩尾寺に着けるようだ。

ホームへ兵庫の山Copyright(c) 2005 Team-orang. All Rihgts Reserved(604)

0025 '92年12月05日 JR塩屋駅から宝塚六甲全縦走(56Km)
①JR塩屋駅⇒②旗振山⇒③横尾山⇒④妙法寺交差点⇒⑤高取山⇒⑥鵯越駅⇒⑦菊水山
   6:00     6:35     7:21     8:05         8:30    9:05     10:05
⇒⑧鍋蓋山⇒⑨大竜寺⇒⑩布引ハーブ園分岐⇒⑪摩耶山⇒⑫丁字ヶ辻⇒⑬凌雲台⇒⑭縦走路分岐
   10:50    11:15    11:53          12:55    13:55     14:50   15:30
⇒⑮大平山無線中継所⇒⑯塩尾寺⇒⑰宝塚甲子園大ゴール
   16:15           16:58      17:08      (歩)=11:08

 兵庫県以外にお住まいの方が六甲山を想像すると、932mの低い山を想像しがちだが、神戸は平地だから山頂との標高差は900m・東西方向も56km(道のり)もある。この山のいいところは、ほとんどの市民が、市街地のどこからでも30分も歩けば、まだ自然いっぱいの山懐に入れることだ。そんな六甲連山を縦走しようとする大会も多数ある。たとえば神戸市の大会は、八月末受け付けで11月に2度大会があり、2000~3000人の参加者があり須磨アルプスでは、渋滞があると聞いている。兵庫を代表する歴史のある(開始1975年)晩秋のイベントだ。『成功の秘訣』ガイドより・・綿密周到な計画と 準備、たくましい体力と燃える闘志、そして賢明な判断がそろって、はじめて成功できる・・と記している。

 もうひとつの成功の秘訣は、ずばり天気がいいことだ。今日はその面では太鼓判。物凄く寒いので厚手のトレナーで歩くことにした。国道のローソンでおむすび3個を買って、東加古川駅へ行くと縦走の人がいっぱい。皆んなランニングシューズで、軽登山に杖を持ったおっちゃんが独りの感が拭えない。西明石でホームの反対側の普通車に乗り換えると、5時55分に塩屋の駅に着いた。中央コンコースで出発の時間を書いた紙を出し、目印の赤いリボンをもらっていざ出発。ぶるっと武者震いがきた。塩屋の駅から稜線鞍部までは、予想通り真っ暗。上部の目印のマンションは見えるが、懐中電燈で見える範囲は限られており、試走したときとは違うコースになったが、なんとか鞍部に出る。

 なんと毎日登山の老婆が独り、懐中電燈も点けず歩いていた。旗振山の本尾根に合流したところから、何とか足元が見え始める。おらが山の下りは階段を下らず、セメント道の脇道を下り高倉台に出た。問題の市街地の妙法寺から鵯越までは、試走のかいあって、分岐でまごまごしている人を尻目に順調に歩けた。 試走してない鵯越駅以降は、予想通り一本道だった。水道局の前の長い坂に根をあげたが、ダム予定地の看板から山道に入ると、菊水への長い物凄い急登にが始まった。3人に抜かれて、菊水山山頂に出た。チェックポイ ントがあって、縦走者が休止をとっているが、みかん2個もらって縦走を続ける。大下りして天上橋に出ると また鍋蓋山への急登だ。

 ゴロ場で暗く縦走者の後についてゆっくり登る。やっと高圧鉄塔に出ると、走って抜いていく人が多い。強い人達もいるもんだ。大竜寺から市ガ原に下ると2回目のチェックポイントで、熱いレモンティーの補給を受ける。何度もふくらはぎの痙攣を繰り返しながら天狗道を登った。予定より25分遅れて摩耶山頂到着。予想通り西風が吹き寒いので、ウインドブレカーを着る。少年自然の家を越えた上り坂でも、またももが痙攣がした。不思議なことに凌雲台以降は、全身が痛いのに足だけは魔物のようになって、普段走ってもないのに、大部分を小走りで下れた。なんとか明るいうちに塩尾寺に出て、ゴールに駆け込むことができた。人間の見えない力にただ驚いた。
ホームへ兵庫の山Copyright(c) 2005 Team-orang. All Rihgts Reserved(604)

0026 '92年12月12日 神元神社から明神山 [地形図2万5千 前之庄]
①神元神社⇒②岩屋ノ池⇒③ナメ滝⇒④明神山⇒⑤明神下降分岐⇒⑥マツノキ尾根分岐
       (15)      (20)    (55)     (15)         (45)
⇒⑦登った大岩⇒⑧明神池⇒①神元神社 「大阪周辺の山」p376
(10)       (1:00)    (20)

 福崎から中国道の側道を西に走ると、夢前町前ノ庄辺りから右手に先尖りの格好のいい山が見え始める。左手の道路脇に工場があり、次の三叉路を右に行くと、後方に明神山が聳える神種の集落に着いた。明神池からの下山を考え、神元神社に車を置き、そのまま道路を歩く。すぐ分岐で左へ明神山の分岐標がある。 なおも進むと右手奥に農業施設ある広い空間に出る。目指す明神山が岩屋の池の向こうに端正な姿を見せる。

 案内板によると いくつもコースがあるらしいが、谷沿いのコースに進む。杉林の中をしばらく歩くとやがて雑木林となりナメ 滝に着いた。滝といっても岩肌を流れる細い水の流れで、100mほどの長さだ。もう一度杉林帯を登って尾根道に出る。暗い照葉樹林の尾根で視界がないが、一ヶ所だけ窓が開いていて七種山塊が見える。また暗い急登になって、莇野からの道が合流して「あと200m」の標示が現れるが、岩の急登で息が切れる。やっと明神山の山頂に飛び出る。まさに360度の展望だ。後山から氷ノ山・瀬戸内の山々・六甲山・笠形山にも負けぬ大展望の山だ。

 山頂 の大岩に腰をかけ、弁当を食べながら展望を楽しむ。さあ小明神側へ下山だ。北に踏跡があり、50~60m下ると小明神のピークに出る。なおも踏跡は北に続き、やがて樋状の下りを下ってコルに着いた。ここに赤テープが2つあり、この谷道が下山道だったが、神鋼ハイキングガイド(P74)を見ると尾根道の概念図になっているので尾根に進む。5分ほどで尾根分岐で左の進む。岩尾根で歩き易い。常に明神山と明神池の上部を走る送電線が見えるので安心だ。大岩が尾根に現れ、明神側が切れて落ちるようになる。

 尾根の分岐になり、右の松の木が生えている方に下る。登れる大岩があり登ってみるとここも展望がいい。七種山山塊の黒い連なりがまだ青い空の中に映える。縦走路の南に尾根を四方に延ばす山が見えるが、藪山臭いので取り付き鞍部で、右(明神側)に踏跡を見つけ20分下ると林道に出れた。そこから林道を歩いて、20分ほどで明神池に着く。上池と下池の堰堤の奥に祠と古い記念碑のようなものがあった。林道をそのまま歩くと神元神社の分岐標に出られた。

神元神社[右端]と明神山 明神山(667.9m)山頂 大岩から明神山と小明神[右] 明神池に映る明神山
ホームへ兵庫の山Copyright(c) 2005 Team-orang. All Rihgts Reserved(604)

0027  '92年12月31日 紅葉谷から黒岩岳 (愛媛中山) [地形図2万5千 中山]
①紅葉谷⇒②高岡集落⇒③地蔵堂⇒④黒岩山⇒③地蔵堂⇒②高岡集落⇒①紅葉谷
     (20)      (1:20)    (20)     (15)     (1:00)     (15)

 実家では黒岩岳を「黒岳さん」と呼ぶ。さして高い山ではないが、我家からいつも見える山だ。小学校高学年になったころだろうか、お花見の日、近くの一級上の新田さんに連れられて、山頂近くのお堂まで登って、水鉢の中に松の穂を折って浮かべて遊んだ。やにを噴射させ前に進ませる単純なものだったと記憶している。彼の家は貧しかったようで、2時間もかけてこの近くの畑まで歩き、農作業をしていたのだ。ご多分の漏れず、この町も過疎化が激しく人口も当時の半分以下になって寂しい限りだが、帰省した時に見る黒岳さんは、昔のままだ。

 昔はなかった高圧送電線が中腹部に走り少々目障りだが、巡視路を利用すると以前登れなかった三角点まで行けるかもしれない。まずは記憶を紐解き紅葉谷から登ってみる。町外れの紅葉谷には忠魂碑があり、出征する兵士をここまで送ったと聞いたことがある。尾根に広い道があって20分も登ると町道に出合う。高岡集落の民家が数軒あり、そのまま西に畑の道路歩くと、また民家が5~6軒あって、上部の尾根に鉄塔が大きく見える。地道はすべて耕運機が通った作業道だから、草の生えた硬い道で 遊歩道より歩き易い。何度か地道と町道が交錯するが鉄塔の基部に出る。

 そこから2回林道と交差するが 広い尾根に作業道が続き、思い出のお堂に出られた。木造の瓦屋根で南側の広場で遊んだが、トタン張りのブロック造りで北に広場が出来ていた。息子達とお堂で弁当を広げてあとに、三角点を探しに出かける。40年以上の杉の人工林で20cmの笹が繁っている。踏跡はなかったが歩き易かった。300m西に行った最初のピークには三角点はなく、同程度の標高の北のピークで傷のない三角点を見つけた。

お花見に来たお堂 黒岩岳(698.9m)山頂  お堂に戻り広場で息子達とラグビーの真似をして遊んだ。登るときには気がつかなかったが、林道近くで開いてはいるが10本程椎茸を見つける。いいお土産が出来た。
※後記 伊予郡中山町(平成17年04月01日伊予市と合併)
ホームへ番外の山Copyright(c) 2005 Team-orang. All Rihgts Reserved(604)

0028  '93年01月17日 七種レクセンターから七種山・七種槍 [地形図2万5千 寺前・前之庄]
①野外活動センター⇒②七種神社⇒③七種山⇒④七種槍⇒⑤393m峰⇒①野外活動センター
            (1:00)     (45)     (1:10)   (1:05)      (45)   

 大阪周辺の山 (山と渓谷社)p364に載っている七種山と七種槍に登る。野外活動センターの前には、車を駐める場所がなく、少し行った路肩に駐車する。今日も愛犬りゅうがお伴だ。10分ほど行くと民家が一軒あって、飼い犬が吼える。道路分岐があり七種神社までが遠い。仁王門があって雌滝、弁慶の岩、夫婦岩等があり、やっと太鼓橋に着く。ここからジグザグの遊歩道で、八竜の滝があって回りこんで七種神社に着く。正面に七種の滝、落差はあるが水量がないので迫力に欠ける。七種山へは、滝の右手の岩道を急登するが、暗くて木の根も延びて滑りやすい。

 滝口にまで登って小休止をとる。この先も同様の道が続くが、一箇所だけ「展望所」と書かれた場所に出ると東が開け、目指す七種槍が端正な裾野を広げる。また滑り易い尾根道を急登すると七種山山頂に着いた。風はないが底冷えする、いつ雪が舞ってもおかしくない寒さだ。頂標の標示はあるが展望は良くない。一角から七種薬師が見えるのみだった。つなぎ岩の方から女性の声がするが、そちらには行かず七種槍へ縦走を開始する。岩の多い踏跡を追っていくと10分ほどで分岐に出る。ここを右手に進むと下る一方で分岐があった。この分岐にもテープが多数あり安心だ。

 また下る一方の稜線で右側の林道から人の声が聞こえる。七種山から標高差350mを一気に下った勘定になる。430m峰を過ぎると今度は上る一方の細尾根になる。暗い雑林の縦走路だったが、ヒカゲツツジが現れ七種槍の南の肩の出て、ひと登りで七種槍に着いた。三角点があるが、周囲の木々が目の高さ以上に延びており、眺望はいまひとつ。西がわずかに開けて市川と 国道312号線を走る自動車がミニカーのように見えた。肩部に帰り縦走を開始する。

 下ると大岩があり東側に視界が開けたので、ここでりゅうと弁当を食べる。393mを越えると下降点の目標になる高圧送電線の鉄塔が見え始める。歩き始めて間もなく、山麓で猟犬の声がし始める。大きく右へ左へ動いて獲物を上へ上へ押し上げているしているようだ。吼える声も高音になり近い。りゅうを拾い上げて走るように下る。鞍部に猟師が一人、下に銃口向け立っていた。大きな音で走り降りたので、よほど緊張していたのだろう猟師が「びっくりした、びっくりした」を繰り返す。それから後も銃声はなかったが、急いで下ったので予定より早く下れた。

明神山支尾根から七種山塊 七種山(680m)山頂 七種山から七種薬師 七種槍(577.3m)山頂
ホームへ兵庫の山Copyright(c) 2005 Team-orang. All Rihgts Reserved(605)

0029  '93年01月23日 不動口からシビレ山 [地形図2万5千 有馬] 大阪周辺の山 (山と渓谷社)p352
①長桁橋⇒②不動ノ滝⇒③峠⇒④PLピーク⇒③峠⇒⑤シビレ山三角点⇒④シビレ山⇒②不動ノ滝⇒③長桁橋
      (15)     (45)  (10)       (10)  (10)          (10)      (35)     (15)

 先週猟期があることをが頭になく、銃で撃たれかねない状態だった。会社に出入りする自転車店のおっちゃんに頼んで猟友会の地図を手に入れ研究する。これは便利な地図で桝目が2万5千分の1の地形図 と一致するし、山名の記載も多い。猟期に安心して登れる山は少ないが、登山者の多い六甲山系は大丈夫だろうとシビレ山に登る。三木市から県道38線を走り、神戸市との境でガイドの農道に入って、長桁橋を渡り三叉路の山裾の路肩に車を駐める。南の尾根に登山道でもあるのか子供の声がして、子供が走り回っているのが上の方に見える。

 谷道になり立ち木を頼りに急登する。息がはずむが尾根まで遠い。100mほど登って、尾根に出ると植相が一変して、六甲山と同じような真砂土と背の低い松の平 らな尾根になった。昨夜の冷え込みで背丈の高い霜柱が立っている。西が開けて印南の丘陵が見える。雄岡山とその向こうの雌岡山がポツンと裾野を広げている。たも谷道を歩くようになるが、今度はクヌギやコナラの雑木林帯の中、登山道も明瞭になって峠に出る。十字路になっており、どの道進めがいいか分からなくなった。まず右手の送電線鉄塔ピークに行く。登山者はたくさんいたが、三角点はなかった。

シビレ山(465m)山頂  もう一度峠に出て左の道に行ったが、どうも送電線の巡視路らしく次の440m+ピークに行っても三角点はなかった。また峠に引き返し、突き当たった尾根を東に行くと山頂に1mほどの岩が転がる山頂に出たどうも雨乞いの山らしく台座のような岩と三角点はあったが、ここは展望もなくて、地形図にも名がなく、465mの送電のピークをシビレ山頂に決めて、また先の送電線ピークへ引き返す。ちょうど下山を始めるグループから送電線の樽の廃材を燃やしていたのを譲り受け、暖をとりながら、弁当を食べた。遠くに白く冠雪しているのが笠形山・明神山が印象的だった。
ホームへ兵庫の山Copyright(c) 2005 Team-orang. All Rihgts Reserved(605)

0030  '93年03月20日  宇野町民グラウンドから長水山 [地形図2万5千 山崎・安志]
①町民グラウンド⇒②29号線出合⇒③五十波登山口⇒④長水山(長水城跡)⇒①町民グラウンド
   10:30        11:20        12:05      13:20 13:45         14:30

 下山を考慮して南側の登山口の宇野の小学校に行ってみると、町民グラウンドがあったので駐車場に車を駐める。ちょっと遠いが一度国道29号線に出て、五十波(いかば)を目指す。多田繁治著の「ひょう ご低山遍歴 なつかしの山やま」懐旧編「山とお燗」p288に長水山を登った話が出てくる。ここでは彼の文章を全文引用することで記録に留める。

 『長水山に登る─五十波バス停で下車、国道から梯(かけはし)川沿いに行く街道の分岐点に「長水山 登山口」と彫った石碑が建っていた。正面に連亘してみえるのが長水城跡のある長水山で、山上に建造物が望まれ、地図にも卍記号が記されている。 ゆっくり登って山上へ着くと新興宗教と想われる教会風の建物が上下に建ち、頂上は玉垣をめぐらせ、本丸跡を偲ばせる石垣上には大小の石碑が祀られてあった。長水城主宇野下総守の碑、不動さんを彫った碑、そして南無妙法蓮華経白大権現と刻まれた石碑などが建ち、厳粛な雰囲気が漂う。

 南へ延びている複雑な山稜は明らかに城郭の跡である。長水城は文和年間(1352年)赤松則祐が創建、その後地元の宇野氏の支配拠点となるが天正八年(1580)秀吉軍の総攻撃で落城、宇野一族は炎上する城をあとに山を下り、伊沢川沿いに北へ逃れ、上(かみ)ノから白口峠を越え鷹ノ巣高原から千種町千草へ落ちてゆく。頼みの毛利の援軍は折からの大雨で千種川が増水で連絡がとれない、思案にあぐんでいるところへ笛の音がきこえてきた。てっきり秀吉軍が先回りしていると誤認、哀れ一族は自刃して千草の露ときえる。(以下略)』

長水山(長水城跡)584.4m山頂  今でも新興宗教の教会があり、番犬に酷く吼えられた。信者さんが年始参りに来ていて、70歳ぐらいの教祖らしき老婆が別れの挨拶に出ておられた。私に「あんたはどこから、きたね」と聞いたので「小学校に車を駐め、国道から五十波へ回って登ってきました」と答えた。「そりゃ、がんばったのう」と会話をかわしたが、残念多田翁のようにはお神酒はでなかった。三角点から真っ白の氷ノ山が見えて、満足して宇野へ下った。
ホームへ兵庫の山Copyright(c) 2005 Team-orang. All Rihgts Reserved(605)

0031 '93年03月27日 佐坊から仏ノ尾・青ヶ丸 [地形図2万5千 扇ノ山]
①816.5m南の小屋⇒②816.5m峰⇒③開墾地散策⇒②816.5m⇒①816.5m峰南の小屋
  10:15          10:30     10:40 11:35   11:50     12:10

 多田繁治著の「ひょうご低山遍歴 なつかしの山やま」懐旧編「山とお燗」p289に青ガ丸に登った話が出てくる。ここでは彼は三人のメンバーで早朝から午後2時までかけて登り、源流をたどる降路を下り、渓流の畔でお燗をつけたと記述している。『氷ノ山を初めてとして鉢伏山、瀞川山、蘇武岳、妙見山等々、これら一連の兵庫の屋根を形成する山やまが、県営の広域基幹林道という名の自動車道の全通や、スキー増開設などによって貴重な自然が失われていく中で、文太郎を悩ませた厳しさと、われわれを感動させた素晴らしい「野生」がいまも(1990年現在)ひっそり息づく「青ガ丸」こそ、兵庫の山の王者である。』と絶賛しておられる。夏路は全くない、スズタケが密生する凄いヤブ山らしい。

 おそらく登頂は無理だろうが、まずは偵察にでも行ってみようとシーズンの終わったおじろスキー場から佐坊の林道を走り、車で走れるところまで上がってみる。標高816.5mの円いピークの南の作業小屋のところまで上がられた。青ガ丸がどの山か分からず、まずはこのピークを登ってみる。20cmほどの積雪があり、なだらかなピークの最高点に石楠花が蕾を膨らませていた。目指す青ガ丸が真西に見え、北に吉滝も見える。そのままピークを西に横断すると開墾地が現れ、大きな作業小屋が建っていた。法面の雪が解けて少し地表が現れ、卵くらいのフキノトウが顔を出している。 

  雪が股下まであり、もうとっくに登ることは諦め、雪原歩きに専念する。開墾地の最上部に上がると、青空の中に鉢伏山と氷ノ山が冠雪した頂を見せる。北にはまだ芽吹きのないブナ林の向こうに仏ノ尾に続く論山らしい山が見えた。陽だまりの作業小屋の軒を借りて弁当を食べる。ジャジーから湯気が立ちポカポカのひと時だ。帰る時間を考えると長居はできない。お土産にフキノ トウを10個ほどいただいて、仏ノ尾の尾根に行ってみると登山口標が建っていた。きっとまた来るぞ。車に戻り林道を下るとき、もう一度青ガ丸を見上げた。

開墾地から鉢伏山(左)と氷ノ山 開墾地上部にて 817mピークから開墾地と仏ノ尾
ホームへ番外の山Copyright(c) 2005 Team-orang. All Rihgts Reserved(605)

0032 '93年04月03日 県立青年の山から粟鹿山 [地形図2万5千 矢名瀬]
①青年の山⇒②林道分岐⇒③414m鞍部⇒④741mピーク⇒⑤粟鹿山⇒⑥下滝⇒②林道分岐⇒①青年の山
       (10)      (25)        (45)         (55)    (1:45)   (05)      (10)

 何度か和田山の町内を走るうち、遠く東側に頂上にアンテナの林立する独立峰が気になりだした。粟鹿山で、青垣町側からアンテナ保線用の道路が上がっているようだが、和田山側からだと当(まさ)勝神社から山道を歩いて421mのコブ下から山越えをし、先の保線道で頂上に出るのが一般的のようだ。和田山加都(かつ)から東に国道9号線抜ける道を進んで、山東町早田の小学校脇から当勝神社へ入る。兵庫県立青年の山という施設と西宮少年自然の家という2つの施設があり、施設前のスぺースに車を駐め登山の用意をして登り始める。

 そのまま林道を歩き、道路がカーブするところにイノシシ脅しと道標があり、東に山道が延びている。帰りに計画したコースを下山することにしてこの山道を登る。よく踏まれたいい道で、414mの鞍部北側まで行くと分岐があったのでここから尾根道に取り付く。早くも目指す粟鹿山のアンテナ群が見え始める。稜線の最初のピークに出ると東の滝付近からの道が合流するが、この道はまったく整備させてなかった。741m標高付近からは、今では珍しい松枯れのない松の疎林で両側が低い笹の見通しのきく、明瞭な踏跡の尾根道になる。

 松帯が切れると背の高く刈られたカヤで歩き難いが、頂上が見えることもあってピッチが一層上がる。登山道が真東に向き始めいよいよ山頂への上りとなる。アンテナ群の北斜面は低い笹の広い裸地となって、谷筋にまだ残雪が残っていた。粟鹿山山頂に着いた。春霞のせいで期待した遠望はできないが山東・和田山の町がほとんど真下見える。20分ほど居て下山を始める。が、林道より真下に見える滝方向に下りたくなった。迷ったが南斜面を下り始める。

 最初は裸地で楽に下れたが、イバラが現れて踏跡がなくなり前に進めなくなった。なんとか掻き分け進むと、鹿のネットが現れて歩きやすくなる。一安心し5m四方の草地を見つけ弁当を食べたが、静かになると鹿のひずめの音するので落ち着かず、そうそうに下山を再開する。その後、谷に行ったのが間違いで、またイバラの中を下山する。やっと踏跡が現れ上滝に出れた。疲れて10分ほど小休止をとる。ここからは滝見の広い道になって青年の山に戻った。

414m鞍部から粟鹿山山頂 741m付近の松と笹原 粟鹿山(962.3m)山頂 やっとたどりりついた下側滝
ホームへ兵庫の山Copyright(c) 2005 Team-orang. All Rihgts Reserved(605)

0033 '93年04月10日 宮本から大杉山・須留ヶ峰 [地形図2万5千 大屋市場]
       (10)           (30)      (10)       (50)        (30)
①最奥の家⇒②宮本494谷入口⇒③494小滝⇒④尾根取付⇒⑤858mピーク⇒⑥諦めた910mca
       (10)           (20)      (10)       (30)        (20)

 先日藤無山を登った帰路に明延に回って、一宮町に出て帰宅したときに、大屋宮本と大屋田淵に須留ガ峰への登山口標を見つける。まずは林道が登山口の宮本から登る。宮本の最奥の民家に車を駐めて林道を歩くと、行く手の左に大きな尾根がせり出し、その尾根の対岸に広い谷がある。左岸に踏み固められた山道がある。林道は奥に続くがひとまずこの谷道を歩き出す。丸木橋があって基本的には右岸道を歩く。よく踏まれた山道で落ち葉がふかふかで歩き易い。水が豊富でやがて小滝に出る。谷の10mほど上の山道を歩き、渡渉して494mの尾根に取り付く。

 ここにも 1m以上の良く踏まれた道があって、時々大屋側が開ける程度の道だが、道なりに歩けて楽しい快走路だった。一度だけ左の谷に引き込まれてしまうが、引き返して尾根道を進む。細い尾根になって700mから谷にトバースし857mの標高尾根に取り付く。雑木の岩の目立つ細尾根で、大きな杉の暗い広いピークに出る。残雪が20~30cmあり踏み抜くようになって、踏跡が確認できなくなる。もう少しで頂上だろうし迷っても足跡が明瞭に残っているから戻って来られるだろうが、もうシールが切れて長くは持たない。諦めて下山を決める。

 大屋が見える尾根まで下り、弁当を食べて谷に下る。山頂には着けなかったけど、この谷の発見は良かった。きっとこのコースで登れるだろう。林道まで戻って林道を100m奥に行ってみると砂防ダムの工事中だった。ちょうど、マクロレンズですみれを撮っている人がいた。須留ガ峰には登ったことがないと前置きして、この林道をつめると登れるらしく、地元の有志が定期的に登っているので道はあるらしい等を立ち話した。

登山口を間違えた谷のナメ滝 樽見の大桜  帰り道大屋川に沿って帰っていると樽見の大桜の看板があった。地元の小父さんがパンフレットを配って、大桜の登山道を説明している。30分ほどでいけるらしい。云われた川の対岸に車を駐め登ってみる。広い切り開きの斜面に老木があったが、薄い赤ピンクの彼岸桜で花つきが悪い。大きな木を見ていると何故か 元気が沸いてくるが、この木はそれはなかった。
ホームへ番外の山Copyright(c) 2005 Team-orang. All Rihgts Reserved(605)

0034 '93年04月17日 宮本から大杉山・須留ヶ峰 [地形図2万5千 大屋市場]
       (20)      (30)     (45)       (30)    (25)
①最奥の家⇒②林道分岐⇒③谷出合⇒④登山口標⇒⑤大杉山⇒⑥須留ガ峰
       (10)      (20)     (25)       (15)    (20)

 先週と同じ場所に車を駐め砂防ダムまで歩く。工事中の砂防ダムは掘り込まれていて仮足場を渡る。10分程で養父三谷に抜ける林道が分岐し、右手の大きな杉林の暗い谷の作業道へ進む。左手の斜面が急で脆い地層か、所々崩れ人頭大の岩が転げ落ちている。もう材木集材もやっていないから、道が随分荒れている。前回登山口を間違えたこともあり、本当にこの道でいいのか心配になってくる。30分ほど歩くと作業道は谷を離れ、大杉山の北斜面を登り始めた。

 いままでの崩壊した作業道とは一変し広く歩き易い道になる。斜度のない杉の植林帯作業道をジグザグに登って、西の尾根に出ると北に御祓山が見えた。歩いて来た谷の東は大杉山から張り出す大きな主尾根で、作業道が大きく西の谷に入り込んだカーブで最初の休憩を取る。その後作業道は大きく東の谷に回り込み、やっと829m標高ピークに出られた。西側が開け足元に踏跡があるのを見つける。先週歩いた支尾根からは随分遠いからここまで繋がらないだろうが、あれほどいい道で頂上に着けないほうが不思議だ。少し行くと作業道の終点に登山口の標示を見つける。

 ここからは細いが良く踏まれた登山道となる。ぐるーっと回ってきた大きな主尾根が合流すると東斜面が、ミズナラ帯となって、「大杉山」と山名標のあるピークに着く。東が大きく切り開かれ、養父建屋付近が見える。近くのミズナラの大木に熊の寝床があるのに気づき少しびびる。名前の由来となっただろう大杉(台杉)の北から須留ガ峰へ急ぐ。まだ小さいミズナラとブナ林の混合林で芽吹き始めた新緑の登山道を20分ほど進むと、三角点峰の須留ガ峰山頂に着いた。

 足音に驚いたのか雉が物凄い羽音で飛び出て、熊の寝床見ていろこともあり、心臓がころげ落ちるか思うほど びっくりする。大杉山と御祓山が見える程度でさしたる展望はなかったが、落書き帳があり、慎重に辺りを見回し草地に腰をかけ弁当を食べながら読んだ。餅耕地というところからも登れるようで、道を探しながら苦労して登ったことが書いてある。帰りに大杉山へ立ち寄ったが、展望と山の品格では大杉山に少し分があるようだった。

大杉山(1048m)山頂 須留ガ峰(1054m)山頂 由来の台杉と須留ガ峰
ホームへ兵庫の山Copyright(c) 2005 Team-orang. All Rihgts Reserved(605)

0035 '93年04月25日 杉田から黒尾山系北西無名844.2m(点名・日見谷) [地形図2万5千 安積]
①谷の橋⇒②林道終点⇒③稜線出合⇒④844m三角点⇒③稜線出合⇒②林道終点⇒①谷の橋
     (30)       (35)       (25)       (20)       (20)       (20)

 はっきり言ってこの山に登る気はなかった。黒尾山の位置が判らず一宮町の安積付近からこのピークが 良く見えおそらくこの山だろうと国道29号線で揖保川を渡り、杉田の谷に入っていった。車を谷を跨ぐ橋のそばに駐め歩き始めた。まだこの奥にも人家があり、家人がこんなところを何で歩くのかと怪訝な顔をして見つめる。地道になった林道をそのまま歩いて広い林道の終点に着いた。

 名前がすこし売れた山だからこんな登山道ではないはずだと疑いながらも良く踏まれた山道に入る。30~40年物の杉の植林帯で手入れが行き届き歩き易い。稜線に出るが峠道のようで西の谷を下ったところに林道でもあるのか、明るい新緑越しに何か人工的なものが見える。ここらでやっと黒尾山でないことに気づくがもう遅く、南の黒尾山への縦走路は踏跡薄く、地形が複雑で手におえそうもない。おまけに少し肌寒く、雨が心配な空模様になって来た。だがこのまま下るのもしゃくで北にいってみることにする。

 低い笹の広い縦走路で踏跡Bの道が続いていた。一宮側が開けて国道を走る車が見える。低いピークを越えても同じ地形で、三角点の埋まるピークに出た。樹間越しに眺望もあるがこれ以上の縦走は無理のようだ。写真を撮って、先の峠まで引き返し弁当を食べた。三角点にはそれぞれ点名のがあるから、きっとこの山にも山名があるはずだ。いつか調べあげてやるぞ。あんなに安積からは良く見えている。

黒尾山系北西無名844.2mピーク ※後記 [三角点の豆知識]
 日本で本格的測量と地図の作成が始まったのは、明治17年(1884年)、陸軍参謀本部に陸地測量部ができてからである。経緯度基準を東京港区麻布台にある元東京天文台跡、高さの基準を東京都千代田区永田町の憲法記念館構内、24.4140m(東京平均海面上が0m)と定め測量が始まった。三角点の石柱が初めて埋設されたのは、明治21年(1888年)7月20日のことである。測量と地図の作成は、終戦までは陸軍が行い、戦後は国土地理院へ引き継がれいる。三角点は石柱のサイズも違う。一辺の長さは一等が18cm、二・三等が15cm、四等が12cmで、全国に 97,603ヵ所もある(1995年4月調べ)。そのうち1等三角点は969ヶ所あり、兵庫県には21箇所の山に埋設されている。
ホームへ兵庫の山Copyright(c) 2005 Team-orang. All Rihgts Reserved(605)

0036 '93年05月01日 中畑から西光寺山 [地形図2万5千 谷川]
①中畑林道分岐⇒②西光寺登山口⇒③御宝塔⇒④西光寺山⇒⑤618m三角点⇒⑥林道出合⇒①中畑林道分岐
         (30)          (50)    (1:00)      (40)          (30)       (20)

 「低山遍歴 神戸近郊の山やま(多田繁治著)」神戸新聞総合出版センターがまだ発売中のようなのでで近くの本屋で取り寄せてもらう。西光寺山は西脇市の山で、著書p146には寺跡があったと云う伝承と「奥の院山頂」の標識が今でもあると言う。私も遅まきながら西尾根に夢を託して登山を試みる。西尾根の林道出合の県道付近に駐車スペースなく、下手の橋に車を駐め県道を歩く。「西光寺と書かれたバス停に、登山口の標があったので工場横の林道を進む。

 林道は小尾根の南側に続くが、小さな水場に出て小尾根に取り付く。小ピークを越したところに峠があって石仏が座しているた。丁石があるから昔は参拝道だったに違いないが草が繁り歩き難い。石碑が両側にあって古いしめ縄とトタン屋根のある御宝塔に着く。次の尾根でよく整備された双葉小学校からの道が合流すると、道は谷を中心に時計回りに歩くようになって、真東に西光寺山の山頂部が認識できるようになった。

 最北部にもいい道が上ってきており、北の縦走路の踏跡Bも確認できた。西光寺山山頂に着く。西光寺山頂には、石組みの台座の上に小さな木の祠を祀ってあり、三等三角点はこの祠の裏手にあった。東側が開け今田町が一望できる。弁当はこの尾根を150mほど行った今田側の下山路のある岩場で展望を楽しみながら食べた。さあ西尾根探査の出発。寺跡には行かずウバメガシの繁る旧参拝道?を歩き、標高672mにある立ち木に「洞ガ山奥ノ院へ至る」と書かれた標識を見つける。傍の1mほどの石碑に「南無妙法蓮華経 洞山西光寺諸 死精霊」のさほど古くない碑文があった。

 想像だが南の鴨川の県道に弘法大師像があり、この山の中腹にも人工的な寺跡地形があるから、この道は先の寺跡(奥ノ院)への参拝道だろうか。そこからもウバメガシ純林の参拝道は続き4等三角点のピークに着いた。参拝道と思える道はこの後も続くが、町々市境の鞍部に引き返し、中畑側の林道に下る踏跡を探す。ガイドの道は見つからず、鞍部から林道を目指して下るが、割れ石と酷いイバラの地獄に突っ込みお気に入りのズボンを破ってしまった。地道の林道を少し下ると小さなキャンプ場があり、そこで身づくろいをして県道に出た。

登山口バス停から小尾根 西光寺山(712.9m)山頂 西光寺山の全景(山頂は左端)
ホームへ兵庫の山Copyright(c) 2005 Team-orang. All Rihgts Reserved(605)

0037 '93年05月04日 佐坊から仏ノ尾・青ヶ丸 [地形図2万5千 扇ノ山]
①佐坊開墾地⇒②仏ノ尾⇒③県境鞍部⇒④青ガ丸⇒③県境鞍部⇒②仏ノ尾⇒①佐坊開墾地
   8:25     9:20 9:40    11:15  14:55 15:25   17:00     18:35    19:10

 偶然の出会いがなけれがこの青ガ丸登山は絶対に成功しなかった。5時に加古川を出て、以前('03/03/27)に下見した開墾地に8時頃到着した。開墾地も雪がすっかり消え、芽吹き始めた新緑の向こうに目指す青ガ丸がまだいっぱい雪を残して見える。見つけておいた仏ノ尾登山口から登り始める。上り一方の低木と背の高いネマガリダケの中だが、雪がないので意外に簡単に仏ノ尾に着いた。一番高いブナの大木に頂標があり写真を撮る。西に青ガ丸が見える。仏ノ尾の西斜面にはまだ多量の雪が残っておりスパッツをつけてそこらを歩いてみる。

 踏み抜くが20センチ以下で心配ない。が、残存テープも踏跡もなく方向性がまったくない。こりゃあ独りでは無理だな。諦めかけたまさにその時、3人の登山者が登っきて青ガ丸に登ると話す。萎んだ風船がまた膨み、彼らに付くいて行くことにした。ここで青ガ丸から見た仏ノ尾の写真を見て欲しい。西斜面の町境尾根沿っての自然杉が生えているが、先ずこの尾根を下る。南からの兵庫側の谷に入らないように鞍部に出て、県境のピーク(中ノ丸)に乗る。 ここまではネマガリダケも疎で歩き易かったが、ここからは密でしかも3m以上あるのから、方向性がまったくなかった。

 それでも県境を歩いているようで県境の境石が3回あった。北から入り込んだ鳥取側の谷を掠めると急登になり、4人で交代で藪を掻き分け最後の力を搾る。みんな引き返そうと思っているはずだが、誰もおくびにも出さない。一ヶ所だけ4人が休める空間があり短く弁当を摂った。そこから30分ほどは密生した藪だったが、前方が開き雪田に飛び出した。氷ノ山の雪は消えているのにここには1m以上残雪があった。もう15時近くなってやっと青が丸山頂に着いた。

 皆んなニコニコ、鉢伏山を背に登頂写真を撮り、三角点を手分けし探す。「あったぞ」の声でまた登頂写真を撮った。下山を考えるともう頂上に居る時間は限られている。誰かが沸かしたコーヒー飲みながら、読図をして県境には引き返さず、直接鳥取の谷に下ろうと結論が出る。幸運にも鳥取側源頭は北斜面で多量の雪が残っており楽に下れたが、斜面に西日が沈みかけ気がきじゃない。谷に出て200mほど凍った谷を下り、ここはと思うところから県境ピークに藪漕ぎをした、約半分以下の時間で県境鞍部に着き、後は雪の踏跡をトレースして仏ノ尾に戻った。

仏ノ尾(1277m)山頂 引っ張って貰った人達 緑の開墾地が眼下に 青ガ丸から仏ノ尾 青ガ丸(1239.3m)山頂
ホームへ兵庫の山Copyright(c) 2005 Team-orang. All Rihgts Reserved(605)

0038 '93年05月23日 岩野辺から植松山 [地形図2万5千 西河内・千草]
①林道終点⇒②滝取り付き⇒③植松山⇒②滝取り付き⇒①林道終点
       (40)       (1:20)    (1:00)      (30)

 先々週青ガ丸を一緒に登った人が、兵庫県の1000m超の山は20山だと話していた。それらの山のなかで、植松山が分かり易いかったので登ってみることにした。教えてもらった通り千種岩野辺の林道の入口の料理旅館 「山水」を見つける。入口で地元の人が近づいてきて、植松山は兵庫県で6番目に高い山だと言う。まあ論議するほどのことでないので、ただ相槌を打った。おらが山は高いのだ。林道は地形図より奥の標高600m付近まで続いており、終点まで行くと山仕事の人の車だろうか軽トラが2台駐っていた。登山の用意をして登り始める。

 2度丸木橋を渡って主に右岸を歩く。良く踏まれた山道で、杉の植林も手入れ良く歩き易い。40分ほど歩いたから標高850mから900m付近に着くと滝がある。 この谷は山の大きさの割に水量が豊かだから、滝も見栄えする。滝壷に目印テープがあり滝から右に廻き尾根に取り付いた。ここも良く歩かれた杉の植林帯のなかの山道で歩き易かった。登るほどに滝の音が消え、対岸から山仕事をする人の声が聞こえだした。大きい杉だから暗くなく黄色のテープがいっぱい付いているので安心して登れた。山頂が近くなると広い扇状の谷道になって最後に道が蛇行し始める。

 東に回りこむように出て、植松山山頂に着いた。頂上は、石でできた小さな祠があるが、周りに潅木が繁って狭いので、少し東に行くと落ちていて180度の展望があった。黒尾山を中心とする一宮と千種の山が広がる。またこの山の稜線も波賀町の町境の山となって落ち込み小気味がいい。座るところがないので祠のところに帰り、写真を撮って弁当を食べる。思いのほか簡単な山でもう帰るだけだから、30分以上いて下山にかかる。扇状の谷をジグザグに歩くうち、気がつくとあれほどついていた登山道のテープが回りにないのだ。

 さいわい対岸の山仕事の人の話し声が聞こえだし、下草のないの幸いに杉林の中を真っ直ぐ下り滝上部まで降りた。滝の写真を撮って山道を下山していると鋼滓(鉄鉱石から鉄を取った後の残り滓。ノロとも云う)を見つける。なんでこんなところにこんなものがあるのか? 考えていたらすぐに林道終点に着いた。
※後述 千草は、日本で有数の「たたら製鉄」が行われていた場所だ。備前の名刀「長船」に使用され千種鉄として名を馳せた。この山系の北側波賀町野尻の谷をつめると大規模なたたら跡が残っている。

林道終点登山口 植松山(1191m)山頂 山頂から黒尾山山系の山 登山道取り付きの滝
ホームへ兵庫の山Copyright(c) 2005 Team-orang. All Rihgts Reserved(605)

0039 '93年05月30日 上千町から千町ヶ峰 [地形図2万5千 神子畑]
①作業道駐車地点⇒②千町ヶ峰⇒①作業道駐車地点
           (1:00)     (45)

 千町ヶ峰も青ガ丸を登った人から聞いた山で、福知渓谷側からも登れるのだそうだが、一宮上千町からが一般的のようだ。一宮町安積から県道6号線を北上し草木峠に出る。今日は天気最高で1000m超でまだ未踏の一山・阿舎利山が見える。草木ダムを 越えると数十戸の集落草木があり、その奥の10数軒の集落の上千町に着いた。村の真中の道路脇に「尼崎山の会」と書かれた千町ヶ峰の標があり、それに従い千町峠に続く荒れた林道を走る。5分ほど走ると左に分岐する作業道がある。この道が千町ヶ峰の頂上まで上っている作業道で、狭いが しっかりとセメント舗装していた。

 車折り返しがないのと車の車高が低いのでやっと見つけたスペースで車を方向転換し、弁当と水とカメラだけをディバッグに詰め込み登り始める。植林して3~4年の杉の幼木帯の斜面をジグザグに登っていく。峠に近くなると直登し始める。壊れかけの作業小屋があって千町ヶ峰の肩に出る。作業道もここが終点、あと100mほどで千町ヶ峰の山頂だ。360°の大展望だ。東に段ガ峰、南に夜鷹山・暁晴山、西に後山・一山から藤無山が見える。好展望の山だから、無線のロケーションもいいはずだろう。HF帯のアマチュア無線のタワーが設置してあった。三角点のある山頂につく。

 ここにも尼崎山の会の真新しい山頂杭が打たれており、標石に腰をかけてのんびり弁当を食べた。周囲は松の幼林と笹が延び見晴らしは良くないが、南の肩に下りると広場があり、千町側に下れるのか、踏跡Bがあった。試しに少し下ってみるがどこまでも踏跡は続くが、このまま下ることはできないから諦め南の肩に引き返した。周りに木がないから暑くてのんびりもできず作業道終点にでて、もう一度展望を楽しみ、セメント道を上千町へ下った。

千町ヶ峰(1141m)山頂 夜鷹山(中央左)暁晴山(右)
ホームへ兵庫の山Copyright(c) 2005 Team-orang. All Rihgts Reserved(605)

0040 '93年06月06日 上千町から笠杉山 [地形図2万5千 神子畑]
①上千町⇒②山ノ神祠⇒③881.8m標石⇒④940m分岐⇒⑤笠杉山⇒⑥田路峠⇒⑦牧場跡⇒①上千町
     (10)      (55)         (45)  (迷10) (40)     (25)     (20)     (20)

 先週上千町に行ったおり、笠杉山の標示も見つけ、1000m超の山でもあり登ろうと、草木峠をこえて上千町に入る。もちろん笠杉山に登るだけなら、この谷を遡り田路峠から登れるだろうが、上千町から5分ほど行ったところにある山ノ神の祠の脇にある踏跡が気になる。試しに登ってみると、祠を過ぎても踏跡は続いているのでそのまま登っていく。展望はないがいい踏跡Bが続き、三角点881.8mのピークに着く。切り開きがあり、西の谷を隔ててに大段山が大きい。双耳峰でほぼ直角に曲がって鞍部に下り、 920m+を北に折れるとなおも同じような踏跡Bが続いた。

 鹿よけネットが現れる。鹿よけネットは魚網を流用したもので、安価で朽ちず効果もあるものだろうか、雌鹿が首をひっかけ、肉食動物に肉を引きちぎられ、ネットにぶらさがって実に無残だ。進入防止だけなら他にいい対処はないものだろうか。平坦な950m峰に出るが、ピークの認識がないまま、さらに北へ入っていってしまった。下りだして気づき 、ピークまで戻り一旦南の谷に少し下って、笠杉山に続く稜線に登り返した。最初は枯れた笹の踏み跡だったが次第に雑木の歩き易い踏跡になり、田路峠からの登山道に合流して笠杉山山頂に着いた。

 頭大の石の散らばる頂で南北に長く、北に切り開きがあるものの、全く展望はなかった。ここにも尼崎山の会の山頂杭が打たれていたが、周囲の落葉樹に圧倒されてか、長居をする気になれず、田路峠方向へ下る。間もなく杉の植林に変わり、神子畑側が落ちて20分も下ると田路側から林道が、あがって来ているのが見える。峠に石仏のある田路峠に着いた。歩くことしか交通手段がなかった時代(といってもほんの40~50年前のことだが)は、この峠は幹線で多くの旅人が往来していたに違いない。ここからは良く踏まれた道を20分も下ると何か人工的に切り開かれた平坦地に出た。

笠杉山(1032m)山頂  戦後のものでそう古くない。牧場の跡のようだが定かでない。ここだけ切り開きで、緑が美しくかった。写真を撮ろうとカメラを出してはみたが、もうフィルム切れで、仕方なく草地に座って弁当を食べた。こんなのを至福の時間と云うのだろうか。あっという間に30分が過ぎ、重い腰を挙げる。峠道も谷道から林道に変わり、良くなった道を上千町まで下る。
ホームへ兵庫の山Copyright(c) 2005 Team-orang. All Rihgts Reserved(605)

0041 '93年06月12日 溝谷林道から三久安山① [地形図2万5千 音水湖]
            (15)        (30)          (20)
①林道工事の尾根⇔②1020m稜線⇔③1110mピーク⇔④三久安山
            (10)        (20)          (15)

 多田繁治著の「ひょうご低山遍歴 なつかしの山やま」懐旧編「山とお燗」p288に三久安山の山名がでてくる。彼は音水湖側の鹿伏集落の平桑谷から登られているようだが、一宮側の溝谷林道から登れるようなので、行ってみることにする。また通勤に使っていたホンダ50ccバイクを下取りに出し、スズキ125ccデジ ベルを買ったので、試運転を兼ねて公文川から溝谷林道に入る。林道と山の事情を聞こうと溝谷集落の道路沿いの家人に尋ねると、馴れたくちぷりで「林道の峠から音水湖側は現在工事延長中」であること、「峠からは地図があれば容易に登れる」と教えていただく。

 溝谷林道は地道の急登で、125ccの空冷バイクではセカンドギアで登るのがやっと、新品のバイクがオーバーヒートでもしてエンジンブローでもしたら たいへんと、トンネルを過ぎて5分ほど行ったところの離合場所に止めて休憩をする。真下の谷は深くてバイクで落ちたら1巻の終わりだ。また地形図の林道分岐664mの谷の700m付近から滝音が響ている。教えられた峠はまだ一宮の地所で読図で850m地点だ。まさに工事中で工事をする人が忙しく駆け回っており、登る尾根の南の谷も伐採中かチェーンソーの音がしていた。

 工事用の道具置き場にバイクを駐め、尾根の取り付きの梯子に取り付く。すぐに園芸種でしか見たことのない石楠花の群落の中の踏跡Aを急登すると、あっという間に主稜線に出た。ここを右にとり、青テープを追うとケルンに出くわす。青テープは1110mピークから西に行くようで引き込まれそうになるが、主稜線をキープすると1110mピークから20分で頂上標でいっぱいの三久安山に着いた。 頂標にも鹿伏コースで登ったと書かれたものがある。

 少し北にでると鹿伏に落ちる尾根が見え、北に氷ノ山が広いすそ野を広げているが、音水側は植林帯で辛うじて音水湖がかろうじて見える程度で眺望はなかった。一方の一宮側はまだブナ帯が残り、目が染まるほどの緑のなかに、眼下に溝谷林道の蛇行がみえてなんとも良かった。
今回から山頂標を12枚作って、登った山頂に取り付けることにした。「ふるさと兵庫100やま登山」とし、テーマは 「Green Planet(緑の地球を永遠に)」とした。バックナンバー①番を三久安山に取り付けて下山した。

三久安山から音水湖 三久安山(1123m)山頂 山頂から鹿伏尾根と氷ノ山 溝谷林道の蛇行
ホームへ兵庫の山Copyright(c) 2005 Team-orang. All Rihgts Reserved(605)

0042 '93年06月20日 阿舎利から阿舎利山② [地形図2万5千 音水湖]
①阿舎利集落⇒②谷分岐⇒③主稜線出合⇒④阿舎利山⇒⑤のぞき岩⇒④林道出合⇒①阿舎利集落
        (20)     (1:00)       (40)       (30)     (40)        (20)

 阿舎利山は先週登った三久安山の南にある山で、少し藪山の不安はあるが、家族連れで行ってみることにする。車を阿舎利集落に駐め、784m北の谷道を歩く。20分で谷の分岐だが、南側(直接山頂を目指す)の谷は踏まれてないようなので、主稜線に取り付く谷を登る。最初は踏跡が明瞭だったが、人がほとんど入ってないようで、だんだん法面も崩れ最後の200mは踏跡も不明瞭な道になった。それでもなんとか暗い主稜線に出て10分ほど休憩をとった。主稜線を歩いていると熟年の夫婦が追いついて来ていろいろ話かけてきた。このボロ山で人に会うこと自体稀有なことだ。

 主稜線か自信がないまま、40分歩くと三角点のある阿舎利山山頂に着いた。熟年の夫婦は写真も撮らず南に下って行った。三角点に立てられた測量の赤白ポールに阿舎利山の山名が書いてあり、三久安山にもあった姫路市の山頂標が取り付けられていた。北に切り開きがあるが展望開けず、家族で写真を2枚撮って、30分ほど頂上にいて下山を始める。下山路は一度真南の1080m+に登り返して破線を目指して東の尾根を下る。白い短いテープがところどころに付いている。10分ほど歩くと南にトラバースするが、白テープは30分ほど尾根を下り、南に一山が見える大岩に出た。

 大岩からの道は明瞭だったが、白テープがなくなった。なおもこの尾根を下ると今度は踏跡まで無くなっていしまった。読図では山頂から40分は下って、行程の半分は下っているはずだ。そのまま10分ほど手入れの悪い谷を下ると踏跡があり、読図どおりS字カーブの林道に出れた。ここに「第1回阿舎利山登山」と書かれた道標が立っていた。 林道から集落に出ると蔵のある大きな家が放置されていた。きっと何代も続いた名代の家に違いない。何ともったいないことか。後日長男が学校の作文でこの家族登山について、楽しかったが迷って、谷を岩や木の根つかまって下ったと書かれた。思い出にはなったろうが、いつになっても読図が巧くいかないことをちょぴり反省もした。

大岩から一山の遠望  ここ阿舎利集落ももう数軒を残すのみ。 村の崩壊は、人が便利さを追うことに始まるが、こんな山でも村を養うだけの資質を充分持っているはずだ。山に居ても山に入らないようになって、山自体も急速に力を失いつつある。過疎を考えるとき、それは田舎のことと切り捨ていると、この悪循環に入り込む。過疎地で起こっていることは、何十年か後に、 都会でも起こりうる。なんてたって田舎は、日本国の未来の縮図だ。とは言っても現時点で都会人に出来ることは、山に行き地元の人に声をかけ、帰りに地場の野菜でも買うことぐらいしか出来ない・・・。
ホームへ兵庫の山Copyright(c) 2005 Team-orang. All Rihgts Reserved(605)

0043 '93年07月03日 一山作業道から一山③ [地形図2万5千 音水湖]
①作業道終点⇒②滝⇒③一山⇒②滝⇒①作業道終点
        (35)  (55)    (40)  (20)

 一山を登るのだったら阿舎利側から林道がもう895mの主稜線まで延び、山の北に広い伐採地があるか ら、楽に登れるかもしれないが、千町ガ峰を登ったときに見た、草木峠から一山が忘れられなたった。写真を見ると、中腹に作業道まで走っていて、ここから登ろうとデジべルで出かける。作業道は比較的新しいもので、作業道終点には、材木集材の索道の準備をする人が4人いて、バイ クで走ってきて、地図を取り出している男に興味があるか話し掛けてくる。

 読図では、ここは地形図の610m南の破線の終点付近で、標高590m付近だ。破線路はなおも上部に伸びているので、登山の用意をして登り始める。最初はほどんど真西に、三つの小さな谷を渡って登る。三度目の谷は本流谷で谷の左手尾根を登る。昨夜の雨がズボンにつきビチャビチャだ。草で見えないが780m付近から滝の音がする。残念ながら踏跡もここまでで、あとは首にまで達する笹のなかの急登になる。尾根だがなだらかで、復路が心配で弁当のレジ袋を裂いて、見える範囲の小木に付けての苦闘が続く。

 標高差220mほどを、50分かけてやっと手入れの悪い桧の稜線に出ると一山山頂はすぐだった。ここにも兵庫百山を目指すという姫路の大町氏の頂標があった。そばの木に自分の頂標を取り付け写真を撮る。少し北に出ると下部が伐採地で、先週家族で登った阿舎利山が大きく見えた。ああこっち側から登ったらよかったなあ。 昨日の雨の水滴とタケのススで全身ずぶ濡れ真っ黒で、座って弁当を開く気にもなれず、山頂に15分ほど居ただけで下山を開始する。

 笹が腰折れしているので、往路の藪をトレースでき作業道終点まで下って遅い食事を摂った。また木出しの人と話がはずみ、マムシの話から、昨今千種町で話題の生きて捕獲1億円のツチノコの話でおおいに盛り上がった。帰路は草木峠からバイクで千町ガ峰に登り、千町峠を越えて栃原に出たが、林道封鎖の土盛をバイクで越しているとき頭大の石がはね左足の向こう脛を挫傷した。雨が降り出したので引き返せず、乗り上げた時に、アクセルを吹かした末路だった。

草木峠から一山[左端] 一山(1064m)山頂 デヂベル(雌岡山神社にて)
ホームへ兵庫の山Copyright(c) 2005 Team-orang. All Rihgts Reserved(605)

0044 '93年08月04日 上高地から涸沢ヒュッテ
①上高地⇒②明神⇒③徳沢⇒④横尾⇒⑤本谷橋⇒⑥涸沢ヒュッテ
  10:00   10:40  11:30   12:30            15:30

 物事を習得するのに、人に習って上手くなったものと、回りに誰も教えたくれる人がいないが、やる気だけで除々に身に付けるものがあるようだが、差し詰め山登りは後者の方で、穂高岳に挑戦するなんて、一年前は考えつきもしなかった。穂高に登ると決めてから一カ月間いろいろ準備をしてきた。まず山地図とガイドを購入してコースを決めた。道具を点検して、本格的なゴアテックスの雨具を新調した。切符を手配し、昨夜北陸線周りの「リゾート白馬」に乗って松本駅に遠征最初の一歩を印した。新島々行きの電車の乗り場が分らず、上高地入りが10時になる。

 まずは河童橋に出て記念撮影。観光客でいっぱいの上高地を横尾に向かって歩く。徳沢に出ても観光客は多いが、歩道と樹林の美しさにただ唖然とする。明神岳にガスが出て太陽は届かないが、清冽な梓川の岸に座って、加古川から持ってきたコンビニ弁当を食べた。横尾に到着、もう観光客は居らず登山者だけになる。ここはまっすぐ行けば槍ガ岳、北は涸沢に行く分岐で、写真を撮ってもらって長い木の橋を渡った。

 最初は笹地で、あとはシラビソ帯になる。13時頃から雨が降り出す。ゴアテックスの雨具を着ける。不思議なことに水が流れるのは登山道ばかりで、下草はいくら雨が降ろうが水が流れないのに気づく。雨が強く降るようになり、屏風岩に滝ができ始めた。ラッキーなことに本谷橋の手前で折りたたみの傘を拾う。本谷橋を渡るとゴーロ場になり、秋の紅葉が美しいというナナカマドの中を歩く。涸沢ヒュッテには目印の大きな吹流しが立ててあるというがなかなか遠い。 谷の上部にまだ雪渓が残っているところに出る。初めて見る夏の雪渓だ。

 見上げると吹流しがあり、石積で囲まれた涸沢 ヒュッテに着いた。手続きして部屋に入ると、想像して通りの使い込まれた木の部屋だ。つっかけを履き、外に出て辺りを散策。大展望・水道 ・水洗トイレ贅沢すぎる空間だ。夕食もメロンのデザートつきでおいしく食べられた。部屋は少し込んでいたが、2~3人の寝袋持参者が廊下に出てたので、余裕ができ2人で一つの布団で寝る。本当は中学校のとき大学卒業したての先生が見せてくれた、写真の無数のテントの灯かりを見たかったが、疲れたのかそんなことすっかり忘れるほど寝入ってしまった。

初めての遠征(横尾にて) 涸沢カールと縦走路吊尾根 涸沢カールのテント村 憧れの涸沢ヒュッテ
ホームへ百名山Copyright(c) 2005 Team-orang. All Rihgts Reserved(605)

0045 '93年08月05日 涸沢ヒュッテから穂高岳山荘
①涸沢ヒュッテ⇒②南稜ゴルジュ⇒③北穂高岳⇒④縦走最低鞍部⇒⑤涸沢岳⇒⑥穂高岳山荘
   6:40        7:40       9:30 10:45     12:30     13:20 13:40   14:00

 翌朝、泊り客がテントの灯かりがきれいだったと話す。出てみるとテントの数が増えていてた。それより北穂への急登ほうが気になり、涸沢小屋脇を歩く朝立ちの登山者を目で追った。今日は晴れてカール全体が見通せる絶好の天気だ。涸沢ヒュッテで朝食を摂って、作ってもらった弁当を受け取って、テント村の中の道を北穂高岳に向かって歩く。涸沢小屋の上部で初めて高山植物に出会う、群落 しており、少さいくもかわいい花達だ。途中で長袖では暑くTシャツに着替える。登路から見上げるとゴルジュの台地は急峻で威圧的だ。

 コースにアングルや鎖場も現れたうえに下山する人と交錯して苦しい。コースに「○」「×」のペンキ表示も現れるが、だんだん上りに慣れてくる。南稜ピークに出て分岐を右折する。この真下が滝谷だ。ロッククライミングをしている人がいないかと、恐る恐る覘き込むがガスがかかって何も見えない。雪渓をトラバースして北穂高岳に出る。山頂でくつろぐ人が、8時30分ごろまで槍ガ岳が見えてたと話す。 北穂高小屋に行き、ビール(350円)を買ってきて飲みながらガスの晴れるのを一時間以上待つが、槍ガ岳は現れず諦めて涸沢岳へ出発する。

 先の分岐に戻り、雪渓の高山植物を見てコースに危険路と記された縦走路に入った。ガスのためか高度感なく急登でもなんの恐怖感はなかった。針金も現れるが楽勝で、最低鞍部の手前で小屋の弁当を食べる。最低鞍部からは、ペースが同じ女性2名・男性3名と一緒で登る。梯子・アングル・鎖さえも子供のころの石垣登りを思い出し、面白いという感覚が出てきたから不思議だ。下からオーバーハングに見えるルンゼも、○×ペンキ表示をキープしコースさえ間違わなければすいすいと登れた。持ってきた皮手袋もよく、心配した危険路の縦走路も楽しく歩けた。

 ポーンと涸沢岳に飛び出る。穂高岳山荘がもう真下に見えている。涸沢岳本邦八位の山頂標があるところに座って眺望を楽しむ。もうここまで来れば慌てることはない。西に谷を隔てて格好のいい山(笠ガ岳)が見える。なにもすることがなく ボーっと眺める。岩地を下って穂高岳山荘にはいると山荘の70年の記念日だそうで、限定70枚の70番目の小物入れをいただく。この小屋の前にテラスがあり、椅子に腰掛けて景観を夕方まで楽しんだ。名物の風車もあり早くから自然保護 に力を入れている小屋らしい。だいぶ食事は劣るが、水も自由で、空いており足を延ばして眠むれた。

北穂高岳(3106m)山頂 ○×のペンキを追いルンゼを登る 縦走路から涸沢岳 涸沢岳(3110m)山頂
ホームへ百名山Copyright(c) 2005 Team-orang. All Rihgts Reserved(605)

0046 '93年08月06日 穂高岳山荘から奥穂高岳~上高地
①穂高岳山荘⇒②奥穂高岳⇒③紀美子平⇒④前穂高岳⇒③紀美子平⇒⑤岳沢ヒュッテ⇒⑥河童橋
   7:00      7:50 8:30    9:40     10:20 10:30   11:00    12:30 13:00    14:30

 六時頃に起床する。テラスにでると小雨。新調したゴアテックスの雨具を着て穂高岳山荘を出る。50分で奥穂高岳に到着。穂高岳山荘の先代が北岳に負けまいと積み上げたという逸話のある石積に上がり記念撮影をする。昨日あれほど粘って見えなかった槍が岳が涸沢岳の向こうに見える。ただ端正で美しい。晴れてたらもっと碧く近く見えるのだろう。いつかはあの尖峰に登りたいなあ。北穂からの飛騨泣きのコルは、今の技術で通用するのだろうか。

 小雨でも視界良く、ジャンダルムの向こうに笠が岳も見える。山頂で西宮のN君・神奈川県のT君と同年代と知り合いになって、互いに写真を撮りあって前穂高岳へ縦走を開始する。ガイドによるとこの縦走路には水がないと書かれているが、初めての山行者に対する神の心使いか、冷夏の影響か雪渓が残っており水が得られた。紀美子平は本当に猫の額ほどの狭い広場で、拾った折たたみ傘をさし掛けてリックをおいて登った。ここには三角点があり、いままでの3000m超の山々には、三角点はないというのを聞いて驚く。

 写真を撮っただけで紀美子平に引き返し、岳沢ヒュッテまでの長い下りにかかる。時々空に薄日が差すようになって、天気が急速に回復してきた。高山植物も多い。ニッコウキスゲ・イワキキョウだの教えてもらうが、いままで興味がなかったので、なかなか覚えられない。いつの間にかハイマツ帯も終わり樹林帯になって、岳沢ヒュッテに着いた。昨日から気がついたことだが、韓国人が非常に多い。しかも大部分が大学生だ。日本人と同じように英語で聞いても話せないから、韓国人の年配者に聞くと、日本でいうツァー旅行で、6万円位からあるそうだ。韓国には3000m級の山はなく。

 そこに登ったといえば、一種のスティタスシンボルのようなもうなものらしい。年寄りを敬う国らしく話していると、下山してきた大学生は皆、彼らの前で深く頭を下げた。上高地まで最後の下りだ。樹林帯の間から、大正池の見え出しあと少し。N君がいいものがあるといって氷室をみせてくれた。谷筋のゴロ場の洞穴に冬季氷が出来き、日陰と風とで解けずにまだ氷が残り、冷気を吹き上げて涼しげだ。独りで登っているとこのての知識は、得られないので貴重だ。観光客でいっぱいの河童橋に出る。T君が風呂に入って帰ろうと言う。清水屋ホテルにいって入浴(600円)して帰途についた。

日本百名山奥穂高岳(3190m)山頂 奥穂高岳から槍ガ岳 前穂高岳(3080m)山頂 河童橋から梓川と焼岳
ホームへ百名山Copyright(c) 2005 Team-orang. All Rihgts Reserved(605)

0047 '93年08月22日 火打岩から三岳・小金ガ岳 大阪周辺の山(山と渓谷社)p382
①火打岩⇒②水場⇒③三岳⇒④大乢⇒⑤小金ガ岳⇒④大乢⇒⑥鉱山跡⇒①火打岩
    (1:00)    (40)   (20)    (50)      (35)    (25)    (20)

 篠山は初めてで火打岩がわかるかどうか心配だったが、迷うことなく火打岩に入る。民家の軒先に登山口があり、ほどなく道標も現れて、それに従うと尾根道に出る。右に分けるとほぼ水平のいい道となり、両側が雑木林となる。 だんだん斜度がまして水場の道標がある場所に着く。草が刈ってないから、ちょっと足元が危ないので無理はしない。だんだん急になって桧の植林帯に入る。道がジグザグになって息が切れる。マムシが1匹道端に出てきた。どうしたものか。今日は登山者が多い。後の人が噛まれたら大変なことだ。少し可愛そうだが、杖でひと叩きして森に放り込む。

 ほどなく石室がある三岳山頂に出た。登山者でいっぱい。西側の三角点に行ってみるが、ここも団体が場所を占領して、写真を撮るのがやっとだ。 しかたなく不動明王の祀られた石室に引き返すと、岩場の一角が空いている。いい眺めだ。南から強い風が吹いて帽子が飛びそうだ。西に見えるのが小金ガ岳らしく、多紀アルプスの山塊がずっと続いている。汗もひいたので下山を開始する。よほど気短か人が造ったのだろう真っ直ぐの下山路で随分足に応える。大乢峠には大きな駐車場があり、自動車でやってきた人達でいっぱいだ。

 ここは昔、西紀町と篠山町を結ぶ要所だったが、北の川坂側が急で道路はなかったので、ユーレイ峠と呼ばれたそうな。戦後に自衛隊が入り、道路を開通させたと聞いたことがある。まあこれほど人が入りゴミ捨てたら、ユーレイ峠の名前はもう返上すべきだろうが。峠で弁当を食べようと思っていたが、小金ガ岳に登ってからにする。今度は暗い杉の植林帯をしばらく登ると、行く手が開けて、岩峰が行く手を遮るように立ち並んでいる。ゴツゴツとした岩場を縫って登っていると、時々展望も開けて快適な上りになる。小金ガ岳山頂に着く。

 熟年の夫婦が一組だけ。三岳山頂よりこちらのほうが展望がいい。さっき登った三岳がすそ野を広げて想像以上にいい。それにしても空模様が怪しい。弁当を手早く済ませすぐに下山を開始する。生温かい風に変って、もう1時間は持たないだろう。大乢に出て舗装道路を休まず下る。左手に鉱山跡があるのか、坑口から道路いっぱいに冷気を吹き出している。もうすぐ雨、ゆっくり見ている暇はない。車に戻ると、ポツポツ雨が夕立に変ってしまった。さっきの夫婦は大丈夫だろうか。大乢まで車を走らせたが、それらしい人影はいなかった。

火打岩から小金ガ岳 三岳(793.4m)山頂 荒々しい小金ガ岳の岩峰 小金ガ岳(725m)山頂
ホームへ兵庫の山Copyright(c) 2005 Team-orang. All Rihgts Reserved(605)

0048 '93年08月28日 住山から白髪岳・松尾山 大阪周辺の山(山と渓谷社)p380
①八幡神社⇒②住山三叉路⇒③廃坑跡⇒④白髪岳⇒⑤松尾山⇒⑥卵塔群⇒②住山⇒①八幡神社
       (20)        (35)     (45)    (1:05)     (45)    (20)    (20)

 JR草野駅から北を見るとどっしりどした2つの山がみえる。左の山が丹南の盟主白髪岳、右の山が松尾山だ。「ひょうご低山遍歴 なつかしの山やま」多田繁治著の探訪編「松尾山(高仙寺山)の深奥に挑む」p96に、今は白髪岳の人気の影に埋没している松尾山の探訪が載っている。昔はこの山頂に酒井城(高仙寺城)があり栄華を極めたと書いておられる。探訪地図を参考に白髪岳から登ってみる。

 一度住山に車でいくが駐める場所がないので、「平安の道」の東の八幡神社に車を駐めて住山方向へ歩く。古市まで福知山線で来て、歩いている人も多いのか、今日も団体が一緒だ。山渓ガイドだと住山から南尾根に取り付くが、今回は銀山廃坑跡から登る。住山の三叉路に立派な概念図があり、白髪岳は林道を北へ進む。手入れの悪い茶畑の中を行くと桜公園 があり、谷を渡ると林道はなおも奥に続くが見送り、廃坑側へ登っていった。南へ廻くようになりガイドの道に合流する。 ここからは岩場で眺望も楽しめる。松尾山が東に大きい。白髪岳山頂に着く。

 今週も山頂は団体でいっぱいだった。周りに高い山がないから展望がいい山だ。北に三尾山から櫃ヶ岳までの多紀アルプスの連なりが見える。しばらく眺望を楽しみ、写真を撮ってもらい、松尾山を目指して北へ急坂を下る。岩が露出して下り難いが北峰の鞍部に出て、東に廻き道をとると雑林帯の水平道のなる。味間奥へ道を分け、低い隆起を上って道は再び松尾山の廻き道になる。普通の登山者はここで 松尾山を往復し水平道を四ッ辻に下り、今は山を降りた文保寺から味間新に下り、JR篠山口まで歩くが普通らしい。暗い松尾山に分け入る。

 城(寺)跡らしく平坦だが幽林で暗い、南に新しい縁起がある。ここで食事をすませ、天然杉の幹周り5mほどの巨木とうっそうとした雑木が混在する自然林のなかを下る。ほどなく前方が開け、法道仙人修験の岩と伝える「仙人の岩」があった。いよいよ「主水の墓」に行く。酒井主水介氏治墓で天正六年明智光秀の丹波攻めであえなく 落城したと伝えられている。今度はぼうぼうと夏草繁る草地に、大小さまざまな卵塔(無縫塔)がずらりと並ぶ空間に出た。見たことのない独特の形、圧倒される卵塔の数だ。観音石仏の佇む暗い密林を下ると畦道に出て、山麓の農家の庭先に出た。

JR草野駅から白髪岳と松尾山 白髪岳(721.8m)山頂 松尾山(687m)山頂 夏草繁る空間に残された卵塔群
ホームへ兵庫の山Copyright(c) 2005 Team-orang. All Rihgts Reserved(606)

0049 '93年09月05日 稲葉NTT専用道から三川山
①稲葉石切り場⇒②林道ゲート⇒③三川山最高点⇒④三川山三角点⇒③最高点⇒①稲葉石切り場
         (10)       (1:30)         (30)         (30)     (1:00) (滝往復15)
 足元が心配で、マムシはいないだろうと思われる山の一つ三川山へ登る。神鍋側稲葉(いなんば)から登れば、 NTT専用林道が登路でまず心配はない。村岡町へ通じる県道の三差路に採石場があって、10分も歩くと保全道路のゲートがあった。ゲートの東の谷に滝があるようで、簡易な道標が立っているが復路に立ち寄ることにして保全道路を歩く。水の豊富な山らしくゲート付近には、三つの谷が流れ込んでいた。

 保全道は、北の谷を廻き込むように大きく東に迂回して谷の上部に出る。ミズナラやブナ等の落葉広葉樹林帯で気持ちがいい。おまけに道が日陰で涼しい。入口からの距離表示で3700mの地点に水の豊富な小滝が現れる。一口飲んでみる冷たくて旨い。上流の森が保全され安定している証拠だ。もう一度東に回りこむとアンテナ群が出現し、4950mで保全道路が分岐する。左の最高地点へ行ってみる。5500mまで保全道路があり、最高地点と思える場所に、もうすぐ任期を終える電波灯台(ロラン発射塔)があったので、ここで写真を撮って先の分岐まで引き返す。

 三角点までの道は期待 したほどの海への眺望はなく、僅かに城崎の来日岳が遠く見えるだけだった。林道が東の尾根から合流してきた。合流地点は僅かな土盛りがある程度なので、バイクならここまで上がってこられるだろう。三川山三角点峰に着く。北に佐津の海が見える場所があり、登頂標でいっぱいだが、三角点はアンテナ建設時点に移動したようで、フェンス沿いになんの目印もなく淋しくあった。広い車の転回地で弁当を食べ下山にかかる。

 3000m地点まで下ると、草刈機の乾いた音がして、老年の男が路肩の草刈をしていた。挨拶をするとわざわざエンジンを停めての長い立ち話になる。この林道の保全を担当している稲葉の人で、マムシを一日に3匹も叩き切った話・昔はよく雪で孤立し、動物性蛋白の確保のため、炭のダス蓋で兎を捕った話・麓の谷にダムを造りこの辺も水洗化する話をした。信じられないほど教養のある話ぷりだった。長話の後、標のあった滝(見る価値なし)を見物して稲葉に出た。 栃の実を下山途中で拾ったので神鍋の栃餅屋に立ち寄り、できるのを待って2パック土産に買った。

三川山最高点(915m)ロラン発射塔 分岐から来日岳と尾根の林道 三川山(887.8m)山頂 三川山から日本海佐津付近
ホームへ兵庫の山Copyright(c) 2005 Team-orang. All Rihgts Reserved(606)

0050 '93年09月25日 大山寺登山口から大山 (日本百名山/2)
①登山口⇒②6合目⇒③大山弥山⇒④剣ガ峰⇒⑤弥山⇒⑥5合目分岐⇒⑥大山寺⇒①登山口
  9:50    11:00  12:15 12:20 12:40 12:55 13:15 13:30  14:15     15:00 (10) 15:15

 奥穂高岳を登るまでは知らなかったが、日本の有名な山を網羅した日本百名山というがのあるらしい。奥穂高岳もその一つのようだ。さっそく「ひとりぼっちの百名山 佐古清隆著(山と渓谷社)」を買ってきて読み始める。山を登り始めて間がなく位置関係がわからないが、中国地方の最高峰大山なら何とかなるのではないか。「中国・四国の山(山と渓谷社」を購入して読みふける。出発寸前になって長男が行かないと言うので3人で行く。加古川を6時半に出発し、山崎IC (7:45)から開通した米子道を溝口IC(9:30)に出て、大山寺の駐車場(300円)に車を駐める。

 杖を3本作りそれをついて登り始める。登るにつれてミズナラ帯から下草のある日本海型のブナの美しい森に変わり、上部は少しではあるが、紅葉がはじまっていた。6合目の避難小屋に出ると樹林帯が切れて、眼下に元谷と荒々しい北壁、 その北に三鈷峰や宝珠の尾根が見える。伯耆富士の異名を持つように独立峰で景色がいいはずだが、7合目に出ても熱射 でガスって裾野の一部が見えるだけでだった。間もなく8合目に出て木の階段を登って頂上部の台地に出る。ダイセン キャラボクと云うから高山植物のようなものを想像していたが、生垣のような低木だ。

 木道を歩くとガスの中に避難小屋 があり、大山弥山の三角点に到着した。剣ガ峰に行く。弥山の三角点から次ピークまでは容易だが、50mほど行くと北側が崩落する。ここで妻と次男は引き返した。 10mほどで両側が30mほど崩落している。頂点を足を八の字で慎重に歩く。向こうにも切れ落ちた登山道があり、1mほど のギャップがある。杖を突き立てると草地に刺ささったので、それを手がかりに草地にしがみついた。剣ガ峰には3人の猛者がおり、その独りに写真を撮ってもらう。帰りは三鈷峰が安全だよと言われる。そうかもしれないが下山だ。

 草地に抱きつき、足の置き場を見定め、後ろ向きに着地し足場を固めた。刺さったままの杖を抜き、体を低くくし方向転換する。どちらに落ちても確実にあの世行きだ。心臓がドキドキする。ゆっくり立ち上がり、杖を突いて3点支持で崩落地を越えた。弥山に引き返して、避難小屋で買ったジュース(300円)を飲みながら弁当を食べた。下山は5合目から行者コースを元谷に出て、大山寺まで歩く。妻は普段何もしないので、疲れたのか遅れ気味だ。絶景の鍵掛峠から蒜山大山スカイラインに出て、蒜山ICから米子道に乗った。(加古川着 18:15)

6合目避難小屋から三鈷峰 百名山大山剣ガ峰(1729m)山頂 下山道8合目付近
ホームへ百名山Copyright(c) 2005 Team-orang. All Rihgts Reserved(606)

0051 '93年10月09日 黒井沢口から恵那山(日本百名山/3)
①黒井沢登山口⇒②野熊の池避難小屋⇒③恵那山⇒②野熊の池避難小屋⇒①黒井沢登山口
   6:15         7:45 7:55       9:45 10:20    11:35 11:40        12:50

 完全に百名山病に罹ってしまい、今年登れる山はないか考えたあげく、近くて登れそうな山に木曾駒ガ岳周辺の山を選ぶ。さっそく「アルペンガイド⑯中央アルプス・御岳山・白山」山と渓谷社を買い込んで下調べをする。加古川を(1:00)に出発し、中津川IC(5:00)から黒井沢登山口(5:35)に到着した。まだ薄暗く地道でガードレールがないので走り辛かった。駐車場には2台車が駐めてあったが、運転者はもう居なかった。用意をして最初は左岸の林道を登る。今朝は冷え込んだから上天気になるのは間違いない。休憩所跡から山道となる。樹林は人の手が入っていない天然林で植相も豊かだ。

 両側が根曲がり竹になって、狭い掘割状の道から小尾根に出ると、野熊の池のある避難小屋に着く。池には大きな倒木が腐らず沈んでいる。少しの間ツヅラ折りの道を登り1876mの稜線に出ると、伊那側が開けて南アルプスが見え始める。まさに稜線漫歩とはこのことだろう。2071mの山裾を廻くようになってカラマツ帯に入る。この木は針葉樹なのに黄葉し落葉が始まっている。水場に出る。小さな水場だが凍っている。そばに寒暖計があり零下を示していた。平坦地になって頂上部に出る。古い恵那山避難小屋に着いた。地図を読まなかったので、間違って一ノ宮方向に行ってしまう。

 小さな祠と真っ赤に紅葉したナナカマドの向こうに南木曾の山々が見える。間違いの気がつき、避難小屋に引き返し三角点へ向かう。恵那山山頂には祠があり、その裏手に三角点の石積があった。周囲の木が延び眺望はまったくない。寒いが風が全くなくしばらく憩う。青年が一人やって来た。彼の話だとこの山は、中津川市民だったら一度は登る愛すべき山だそうだ。事実、下山路でも20人以上の登山者が登っておられた。1992mの南アルプス展望ガ見えたところまで下ると、富士山が見えるよと教えられる。目を凝らすと頂上部のほんの一角が南アルプスの一部のように見えた。

⑦千畳敷カール(17:00)⇒⑧天狗荘(17:50)
 中津川ICに出て、恵那トンネルを抜け、駒ヶ根IC(14:50)から菅ノ台駐車場に車を預け、ここからバスで ロープウェイのシラビソ平駅に入るが、観光客多く最終便に乗るのがやっとの状態だった。最終便で上がって、 いったい何を見て帰るのか全く疑問に思えうのだが。千畳敷カールからザレ場の急登を50分登って、浄土乗越 から天狗荘に入る。宝剣山荘は込んでいるようだが、急遽小屋を開けた天狗荘は空いていた。

新築の野熊の池避難小屋 迷った七ノ宮から安平路山 百名山恵那山(2191m)山頂 南アルプス・富士山が僅かに見える
ホームへ百名山Copyright(c) 2005 Team-orang. All Rihgts Reserved(606)

0052 '93年10月10日 木曾駒ガ岳から木曾殿山荘 (日本百名山/4) 日本百名山登山ガイド[下]p66
①天狗荘⇒②木曾駒ガ岳⇒①天狗荘⇒③宝剣岳⇒④檜尾岳⇒⑤木曾殿山荘
   5:45     6:20 6:30   7:05 7:15  7:30 7:45 10:50 11:00    13:20

 5時から小屋の朝食を食べる。天気はいいようだが、木曽側からガスが流れて足元も見えない状態だ。ガスが晴れてご来光も見えるかもしれないと、荷物を天狗荘に置いて木曽駒ガ岳へ登り始める。おそらく零下で寒いのでスキー用のダウンを着る。細かな水滴が凍って眼鏡に着氷し、前の人についていくのがやっとだ。途中あるはずの山小屋も確認できず、中岳に登ったかも分らないまま何とか祠のある木曾駒ガ岳に出れた。 時々日は射すがご来光は見えず、10分ほどいて諦めて天狗荘に引き返した。縦走は大丈夫かな。

 部屋から荷物を引っ張りだして外に出ると、まじかに宝剣岳が見えている。小躍りするような日本晴れだ。宝剣岳に登って青空を撮り、赤土の平を登る。まだガスがかかった三ノ沢岳が荒々しく聳え、その南に初めて見る御岳が高く広い裾野を広げている。緩やかな稜線になって、極楽平に出て島田娘の大斜面を下る。正面に檜尾岳とその左手に避難小屋が小さく見て取れる。粉砕した花崗岩の砂と起伏のないハイマツの稜線で、体重のある私には好都合の山だ。少しの鎖場とアングルのある濁沢大峰を越えると檜尾山頂はすぐだった。まだ空木岳は遠い。

 実は天狗荘で当てにしていた水が貰えなかった。あと300ccほどで心細い。そばの大阪から来たと言う夫婦に話すと二人で2Lもあるから言って500ccほど分けてくれた。巨石が並んで立つ熊沢岳の頂上に出て、岩に座って小屋の弁当を食べた。東川岳までくると、目指す空木岳が谷一つ隔てて大きく聳える。その南に南駒ガ岳も大きい。ここまで来たら慌てることはない。手持ちの水を全部のんで木曾殿山荘へ下る。まだ宿泊客は5~6人だが、昨夜の宝剣山荘の混み具合から相当の混雑が予想される。

 まずは水汲みだ。倉本側に10分ほど下った水場へ行き、思いっきり水を飲んで、2.5L水筒につめる。木曾殿山荘の混み具合は物凄かった。最初は梅酒の実が2つ茶と共に出たのに、15時をこえると小屋の主人は避難小屋に行ける者を追い出した。定員120名のところを200名押しかけたものだから、食事も交替制で待つものは戸外に出た。寝る時、若い者は戸外に出され、屋内の者もメザシ状に寝むらされた。

百名山木曽駒ガ岳(2956m) 日本晴れの宝剣岳(2931m)山頂 宝剣岳と谷の大紅葉 東川岳から空木岳が眼前に迫る
ホームへ百名山Copyright(c) 2005 Team-orang. All Rihgts Reserved(606)

0053 '93年10月11日 木曽殿山荘から空木岳 (日本百名山登山ガイド[下]p66)
①木曾殿山荘⇒②空木岳⇒③大地獄⇒④池山小屋⇒⑤駒ヶ根高原(菅ノ台駐車場)
    5:20     6:10 6:30   8:40    9:20 9:35       11:20

 戸外は零下だったはずだが人の体温で暑く、おまけに寝返りもできずで2~3度うとうとしただけだった。2度用足しに出たが、階段で寝る者、他人の靴の上に寝る者、戸外のブルーシートの下で寝かされる者、みんな我慢我慢の一夜だった。混んでいるので朝は早かった。早立ちならご来光を見られるだろうが、今日は駒ヶ根に下って昼食を食べるだけだ。ゆっくり小屋で朝食を食べる。二十代前半の小屋の女の子が送くられて、空木岳へ登っていく。30分も登れば花崗岩の大岩にぶつかり、岩の間を登って稜線に出る。登る前からこの大展望は予想できた。

 登るごとに赤く焼けた御岳が美しい。肩に出ると、昨日登った木曾駒ガ岳の向こうに北アルプスが見える。穂高連峰・尖った槍ガ岳の穂先も見える。その西には乗鞍岳、雲海に少し頭を出して白山が見える。 白砂と山頂に巨岩がある空木岳山頂に着く。それにしてもなんという空の青さか。これは少年のとき見た空の青さだ。山頂標の巨石に登り記念写真を撮る。八ガ岳と南アルプスも赤い空の下だ。南に南駒ガ岳が大きく裾野を広げている。それに谷の紅葉が物凄い。黄・赤この系統の色が織り成す五色の絨毯が無造作に敷き詰められている。

 あっという間に時間が過ぎ、後ろ髪を引かれる思いで、ハイマツの緑と白砂の稜線を池山尾根へと下り始める。水がたっぷりあるから駒峰ヒュッテ側の尾根を下る。新築したのか真新しい。空木岳を振り返るがもう頂上部は見えず、ハイマツと青い空が見えるだけだ。森林帯に入り、同じような稜線を山腹を巻いたりしながら下る。ヤセ尾根の小地獄・大地獄を過ぎるとまた広い尾根になって、明るい広葉樹林帯を下っていく。小屋泊まりの人達が前後を歩くので、ついて歩くだけだ。それにしても遠いなあ。池山への分岐を分けると、大きくカーブして谷に下って池山避難小屋に着いた。

 休憩する人達でいっぱいだったが、小屋の中に入れて、ここまで持ってきた食料を全部食べた。「熊出没!食料の取り扱い注意」の注意書きがある。外装の板がなく外が見えているところがある。ここでは夜寝れないなあ。もう下りの3分の2以上下っている。1時間も下ると平坦地を出て、最初の林道を横切る。駒ヶ根高原の建物が樹間から見えだすが、下り道は見え出してからが遠いものだ。檜の植林帯と林道を何度も横切って、やっと駒ガ根グランドホテルの前に出た。

南に朝焼けの御岳・影空木 宝剣岳の向こうに北アルプス 百名山空木岳(2864m)山頂 駒ヶ根市街と南アルプス
ホームへ百名山Copyright(c) 2005 Team-orang. All Rihgts Reserved(606)

0054 '93年10月23日 青玉神社から三国岳(失敗)・篠ガ峰  [地形図2万5千 大名草]
①320m登山口⇒②稜線出合⇒③P1⇒④P2⇒⑤P3⇒②稜線出合⇒①320m登山口
   8:50         9:30    9:50  10:05 10:20 10:25 11:00     11:30

 信州の遠征から帰り、2週間山に登らなかったが、地形図[大名草]を買って次に登る山を色々考えを巡らす。 近くてバイクで行ける加美町の三国岳なら青玉神社から登れそうだ。二度目の加美町だが青玉神社はすぐに分かり、神社の脇から右岸の林道をしばらく行くと320m付近に橋があった。ここに止まって道標を探すがなく、橋を渡ってそのまま奥に進む。一直線の急傾斜のコンクリート道となる。表面が湿っていて、途中で止まるとバイクが足で支えきれないほどの傾斜だ。とにかく林道終点まで上がって、何とかバイクを降りる。付近を探すと正面の小尾根に踏跡Aがある。

 なにか違うような気もするが、とにかく登り始める。途中でおかしいと思いコンパスを取り出す。真西に登っている。作畑に出る破線路だったらいいが・・。もう一つ (645m尾根)の南の谷を登ってる可能性が高い。すぐに稜線に出た。作畑方向が伐採地で5~10年ほど杉の幼木帯で見通せる。作畑側に峠道がない。ミスコースで、やはり645m尾根の南の谷を登ってきたのだ。地形図にボールペン到着時間を書いた。すぐに下ろうと思う反面、それでもさらに西に行って確かめようと、また歩き出したから自分自身の馬鹿さ加減に驚く。さいわい稜線には、踏跡Bがあり何とか歩ける。

 P1は一気の登りだがすぐにピークに出られた。P2は尾根続きで東に長い支尾根持っていた。ここは加美側も伐採され鳥羽の集落が見える。稜線上に石楠花の群落がある。 伐採してこのくらい日が当たると、2~3年で枯れるだろう。P2の西峰に着くが、さらに西のP3ピークが気になり、踏跡Bの道をたどると東にはっきりと三国岳が顔を出した。このあーあやっぱり違ってたな。とぼとぼと来た道を引き返した。下山して三国岳の登山口を探す。見つけたが、丸木橋を渡ったところで、バイクが右に倒れ足をマフラーに挟まれた。熱い!!必死でバイクを蹴りだして火傷だけは逃れた。

 加美町まで来て、間違えたとはいえ山を一つも登らず帰るのは余計にしゃくで、丹治から篠ガ峰への林道を走り、氷上町に通じる峠にバイクを駐めて、そこから登山道歩いて(↑0:35 ↓0:20)篠ガ峰に登った。ちょうど虹が氷上側に架かっているのが見えて、もやもやを少しだけ吹き飛ばすことができた。
※後記 2000年ごろからこの縦走路も整備されて、P2(雄岳)には4等三角点が埋設された。P3は西雄岳 。残念ながら石楠花は予想が的中し2~3株を残すのみになってしまっている。詳細('04/04/24)で

三国岳が遠くに見える(P3より) 篠ガ峰(827.0m)山頂 十九山山系に架かる虹
ホームへ兵庫の山Copyright(c) 2005 Team-orang. All Rihgts Reserved(606)

0055 '93年11月03日 高源寺から岩屋山 [地形図2万5千 大名草]
①高源寺登山口⇒②大岩⇒③フライト基地⇒④岩屋山⇒③フライト基地⇒⑤尾根コース下降点⇒①高源寺
  10:50        11:40  11:55 12:00  12:15 12:25   13:35 14:00     14:05         14:45

 職場の上司に、氷上郡青垣町出身の人がおり、紅葉を見るなら高源寺がいいと言う。高原寺は岩屋山の登山口にあたり、地形図「大名草」でも登れる山だ。また多田繁治著の「ひょうご低山遍歴なつかしの山」探訪編「岩屋山素描」p172で紹介されている山でもある。今年7月開通したさらぴんの播州トンネルを潜ると直ぐに高源寺に着く。紅葉狩りの車が多く、国道脇にスペースを見つけ、線香の匂いのする境内に入って行く。

 1300年代に開祖遠渓祖雄が、中国から持ち返ったという天目カエデが薄黄色の紅葉をしているが、信州の山で錦織り成す大紅葉を見たあとなので、これといった感動もない。境内の三重の塔の前の登山口に案内板があり、「岩屋山山頂まで2800米約2時間10分」と表示しある。谷道の登山道で苔むした石仏を道端に見ながら登り始める。谷道からトラバースすると大岩に当たった。いままでいい登山道だったのに突然ばったりと道が無くなる。

 付近を探すと尾根の岩の間に踏跡がある。不似合い道だが仕方なく立ち木を頼りに直登すると、直ぐに走行音がして林道に出られた。目の前にパラグライダーのフライト基地がある。一度、三室山でパラグライダーの離陸を見たが、そのときは4機だったが、それに比べると数も規模も雲泥の差だ。2分間に1機ぐらいの割で二つのフライト場から、次々とカラフルなパラグライダーが快晴の青空へテイクオフする。早く岩屋山に登って、この大空への飛翔を見よう。尾根伝いに残る登山道を上ってNTTの大きなアンテナ施設に出た。アンテナが目障りだが、雲ひとつない日本晴れだ。

 三角点を探すがなく、東の広い車の転回地脇に古い頂標を見つけて写真を撮った。普段だったらここで至福の弁当だが、今日は見るものがあるので、いそいそとフライト基地に引き返した。 下側基地に陣取って、弁当を食べながら、パラグライダーの離陸を見た。対峙する大箕山からも飛んでいるようで、空中に20機ほどが空中散歩を楽しんでいる。気持ちよさそうだ。一度でいいから飛んでみたいなあ。見ると大半の人は同世代の中年の男性だ。25分ほど見物して下山開始。林道のヘアピンカーブに道標があり、登ってきたのは冒険コースらしい。尾根コースで高源寺に下った。

天目カエデの広葉 名勝高源寺「三重の塔」 岩屋山(718.3m)山頂 悠々の空中散歩
ホームへ兵庫の山Copyright(c) 2005 Team-orang. All Rihgts Reserved(606)

0056 '93年11月14日 青玉神社から三国岳 [地形図2万5千 大名草]
①320m橋⇒②三国峠⇒③三国岳⇒②三国峠⇒⑥320m橋
   9:05     9:55    10:15 10:30  10:45    11:20

 先々週登山口を間違え登れなかった三国岳に登る。明日から狩猟期のなるので、猟師の入りそうな山は難しい。もう登山口の確認はしているので安心だが、バイク転倒で火傷を負いかけたので、今回は登山口まで車で行った。320m橋に車を駐めて作業道を北に進む。直ぐに分岐があって、左は梅が畑に至る破線らしく行ってみると、地形図とは違い751m峰北に峠があるようで、谷道がその方向に延びているようだ。

 作業道が終わり、丸木橋を渡るとバイクで転んだところから山道になった。三国峠まで谷道で、少し荒れてはいるが歩き易い道だ。稜線に出て、少し北側に登ると三国峠に出る。生野町長野側の峠の破線路は少しだけ草刈はされているが、荒れている。加美町側山寄上からの破線路は見つけれなかった。長尾根の平坦道になって、50年以上の杉の植林帯の中を歩く。登山道はしっかりしているが、まったく展望のない道で遠く感じる。

 また間違っているんじゃないかと心細くなったころ、風が吹いて三国岳三角点に着いた。頂上部は広く登頂標もあるが、ここも展望がない。 一度間違えて二度目でようやく登った山なのにこれじゃなあ。少し落胆した。東にいってみるが踏跡Aはあるものの展望は開けず、写真を2枚撮って下山にかかる。峠から向こうの稜線にもよく踏まれた踏跡Aがあるが、まだ登山道にはなっていなようだ。時間はあるがもうこれ以上歩く気はなれず往路を下る。

三国岳(855.2m)山頂 ※後記 同じ山名を持つ山(兵庫県) 同じ漢字を持つ山を探して登るのも面白い。
三国(三つ国の境)」・・・加美三国岳、六甲三国岩、後川三国ヶ嶽、奥原三国岳、母子三国ヶ岳  「妙見山(金属の神)」・・・八鹿妙見山、黒田妙見山、中妙見山、能勢妙見山、長坂妙見山、津名妙見山 「愛宕山(火の神)」・・・市島愛宕山、上郡愛宕山、清水愛宕山、清水東愛宕山、母子愛宕山、三木愛宕山 「金(金属を表す)」・・・小金ヶ岳、金剛童子山、金城山、金山城跡、金香瀬山、白金山、金梨山、釜床山、鉄鈷山 兵庫のやまには、妙見、愛宕、金、鉄、鎌、釜など金属を表す山が多い。たたら製鉄が盛んだった証拠だ。
ホームへ兵庫の山Copyright(c) 2005 Team-orang. All Rihgts Reserved(606)

0057 '93年11月20日 国民宿舎赤とんぼ荘から城山(亀山・キノヤマ)城跡 [地形図2万5千 龍野]
①竜野公園⇒②的場山⇒③城上城跡⇒④見つけられなかった亀山⇒③城山城跡⇒②的場山
  8:00     9:25 9:35  10:50 11:00     11:35 12:00       12:10 12:15   13:25
⇒⑤両見坂⇒⑥鶏籠山⇒①竜野公園
   13:50  14:20 14:30   15:15

 神戸新聞を読むと竜野公園の紅葉が見ごろと載っている。狩猟期に入ったことだし、平地の山でもいいじゃないか。 揖保川に架かる竜野橋から川向こう見ると、街並みの背後に2つの山が見える。丸く小さい山が鶏籠山で、左の山頂に大きなアンテナを持つ山が的場山のようだ。竜野公園に車を駐めて山登りの準備をする。時間が早いので、赤とんぼ荘 から童謡の小径を歩き、展望台の石段を上がる。市内が一望できた。北に行き、前を通過すると「赤とんぼ」メロディー が流れる歌碑まえの道を山側に行くと遊歩道が登山道になった。

 両見坂への分岐を右に分けて、力士の玉垣に守られた相撲の始祖といわれる野見宿禰(のみのすくね)の墓に着く。ここから雑木林の中の道になり、また両見坂からの道に合流して、木の階段を100段ほど階段を上ると的場山山頂に着いた。山頂にはNTTの大きな電波塔があり、東に大倉山、南に小豆島と家島が浮んでいる。今日はまだ11月というのに寒く、長居はできず北に向かって歩だす。近畿自然歩道の道標が立っており道の整備もよく安心して歩ける。岩の稜線で見晴らしがよく、揖保川が光ってみえる。新宮の町の対岸に屏風岩がそそり立っているのも見える。

 風が吹いて体温が下がるので、早足になリ結構疲れる。小ピークをいくらかやり過ごすとやっと森林帯へ入る。亀山の三角点を見つけて引き返そうと奥に進むと、暗い杉林に囲まれた墓が多数苔むして立っている空間に出る。墓には真新しい花が備えてあり、東に行くと大きな屋敷跡があって柱の礎石が残っていた。付近を探すが亀山の三角点を見つけられない。三角点のある登山道の東は密生した雑木林で、西の高みは、姫路市の大路氏の兵庫100山完登記念のタグがあったが付近に三角点はなかった。、合点のいかぬまま城山城から的場山へ引き返す。

的場山(394.2m)山頂 城山(亀山・キノヤマ)城跡  寒く遠かったがあと少し、大きな石灯籠の残る峠の両見坂から鶏籠山に登り返す。山頂部は照葉林の繁る削平地で、石畳と石垣の残る城跡に出る。木も大きくないから、城跡跡としては比較的新しいものじゃないだろうか。この山系はまさに歴史の宝庫だ。また両見坂に下り、疲れた足で散りかけの紅葉の竜野公園に下った。
ホームへ兵庫の山Copyright(c) 2005 Team-orang. All Rihgts Reserved(606)

0058 '93年11月23日 紅葉谷から六甲最高峰 大阪周辺の山(山と渓谷社)p126・128
①神鉄有馬駅⇒②ロープウェイ有馬駅⇒③湯槽谷分岐⇒④極楽茶屋⇒⑤六甲山頂⇒⑥一軒茶屋
   9:15        9:30            9:50     10:50 10:55  11:30 12:00   12:15(黒岩谷)
⇒⑦本庄橋跡⇒⑧雨ガ峠⇒⑨風吹岩⇒⑩保久良神社⇒⑪JR摂津本山駅
    12:40    13:00(10) 13:50 14:10    14:50       15:10

 狩猟期も六甲の山だったら心配ないだろう。今日は勤労感謝の日。息子達と一緒に紅葉谷から六甲山に登り、風吹岩から摂津本山へ下る。神戸で4年間暮らしていたときに、風吹岩~六甲山~十国展望台~油コブシ~住吉を二度重いキャラバンシューズで登ったことがある。昨年六甲全山縦走で近くを歩いたとは言え、実に20年ぶりの六甲山登山だ。おまけにこの春最高点にあった米軍の通信施設が返還されて、いままで塀の中にあった三角点にも立てるようだ。神鉄有馬駅から会社の保養所への谷道をそのまま行って、ロープウェイの下を潜り、谷の右岸道路に歩く。

 道が平坦になり谷を渡ると、大きな堰堤が現れる。ここで右の湯槽谷の道を分けて、堰堤の上に出たあとに河原へ下り、流れを渡って登り返すと、また古い堰堤が現る。ここが白石谷分岐でここを右に分けると、登山道は谷を離れ樹林帯をジグザグに登っていようになる。谷が細り湧水場に出る。水を飲んでひとがんばりすると、クマザサが現れドライブウェーから車の走る音が聞こえ始める。極楽茶屋に着いた。今日は晴天で風も心地良く、大阪湾をはさんで和泉方面の山々も見える好天望だ。六甲全山縦走路を最高点にむかって歩く。

 ドライブウェイを歩き、いくつかピークを越えると上半分が取り壊されてやじろべえのようになったパラボラアンテナが見え始める。六甲山山頂は西から登山道を歩き最高点に出た。返還前、伊丹の山の会が石積みを塀際に建てたが、風雨の度に傾き意地で何度も建て直したと聞いたことがある。傍らにその石積みがあり、こんもりした山頂の中心にやや埋もれた三角点があった。何度も車でここに来たのに、以前の景色はまったく思い出せなかった。北が開け北摂の山々が小さなピークを空に突き上げている。下山は一軒茶屋から黒岩谷を下り、本荘橋から雨ガ峠に出た。

六甲最高峰(931.1m)山頂  下山者多さに圧倒されたのか、次男がゴルフ場を下ったところで、火成岩の砂に足を滑らせて、びっこを引き始めた。10分ほどマッサージする。心配したが歩けるという。子供達に見せたかった風吹岩に出る。金鳥山を過ぎるともうすぐ保久良神社だ。紅葉した登山道脇の木々が、20年前とは比べ物にならないほど高く立派になっていた。
*後記 六甲山の標高は、阪神淡路大震災で隆起し、同年3月の改測により931.13mから931.25mになっている。
ホームへ兵庫の山三百名山Copyright(c) 2005 Team-orang. All Rihgts Reserved(606)

0059 '93年11月29日 瓜生羅漢から三濃山④ 神鋼ハイキングガイドP95
①瓜生羅漢⇒②金出地分岐⇒③三濃山⇒②金出地分岐⇒①瓜生羅漢
       (25)        (35)     (30)        (20)

 狩猟期は西幡の山がいいんじゃないかと考え、相生市の北にある三濃山に登る。「羅漢の里」の大きな道標に導かれ川沿いの道を進むと地元の人が出て特産品を売っている広い駐車場に出た。車を駐め辺りを散策する。川を渡り、もう散り果てた楓の木を辿ると羅漢さんで、巨石に囲まれた岩窟には20体の地蔵尊があり、いずれも親しみ易い顔ばかりでおもしろい。拝観して駐車場に戻り、三濃山を目指して車も充分入れる川沿いの道を北上する。

 ほぼ平坦な照葉樹に覆われた舗装道路で、「げんこつ岩」とよばれる大岩があり、25分ほど直進すると上郡町金出地への分岐に着く。この分岐から地道の坂道になるが、道幅の広く木陰もある道で安心して歩ける。分岐から20分、左手に恐ろしく澄んだ池がある。この辺に三濃の集落があったようで、柿木や竹藪も見られ山岳信仰が盛んだった頃に思いが飛ぶ。さらに右手の小さな池を過ぎ、竹藪の中の道を登って主稜線に出る。

 無数の寺が図示された大きな案内板の前に出た。この一帯、1400年も前、蘇我入鹿の乱を避け当山に登った秦河勝公が、この地に公の遺愛鏙子(分福茶釜)を残し、鳴響よく千古の妙音といわた。この茶釜は今でも求福教寺に現存していると云う。この寺は勝公秦河の後裔の創建で、ご本尊は千手千眼観世音菩薩。後冷泉天皇の頃は、三濃千軒といわれ各坊もおおいに繁盛したそうだが、今は無住の寺、冷たい水も引かれていた。三濃山は山頂に経典を納めたことから別名、教納山ともいわれ、山頂は寺から北に歩いてすぐのところにある。

三濃山(508.6m)山頂  三濃山の頂上の中央には、大きい樫の木があって傍らにポツンと三角点があったが、播磨灘が少し見えるだけで、期待した眺望はなかった。広場になっているが草刈りはされておらず、風はないがやはりもう12月で動いていないと寒い。寺へ下って弁当を食べ、しばらく縁起などを読む。 下山は先の案内板から東に出ると能下へ下れるが、車の走る道路を歩くのが嫌で往路を下った。
ホームへ兵庫の山Copyright(c) 2005 Team-orang. All Rihgts Reserved(606)

0060 '93年12月04日 奥大津から黒鉄山⑤ [地形図5万 備前三石]
①奥大津登山口⇒②反射板⇒③黒鉄山⇒②反射板⇒①奥大津登山口
    10:05    10:50 11:00 11:05 11:15 11:20 12:10   12:50

 先週は三濃山に登ったが、海が見えて360度の展望と書いてあったのに、見事にその期待は裏切られた。もっと海に近い山はないのか。赤穂と相生で三濃山に次ぐ標高の山を探すと、赤穂市北方の黒鉄山だと分る。市街地に近いからきっと登れるはずだ。登山道さえあれば1時間以下で登れるだろう。地形図が5万分の一が少々気になるが、山頂に立つ秘訣は、まず登りたい山の登山口に立つことだ。大津川を渡ると山陽新幹線の高架があり、潜って西側に廻り込むと新幹線と同じ高さの荒地に出る。 ちょうど金属音がして上りの新幹線がやって来た。

 目の高さが新幹線の運転手の目線より少し上だから、 迫力満点の走行が見えた。数台分車が駐車スペースがあり、谷を直登する道があって小さな「黒鉄山登山口」の木の標が雑木に取り付けてあった。やった。登る用意もそこそこに谷道を登り始める。西側に砕石場があり、ブルドーザーの音が聞こえる。山陽自動車道からトラックの走行音も負けていない。始めは赤土の道だったが、こぶし大の石がゴロゴロの道になる。小さい山にしては道幅が広ろすぎる。東にトラバース気味の道になる。イバラと小笹が混ざった雑木林帯で、道をイノシシが耕しているで歩き辛い。

 岩稜の尾根に出ると、東峰のピークに反射板が見え始める。なんだこの道は反射板の巡視路だったのか。芝生の反射板に出ると、真下に山陽自動車道、赤穂の市街地、瀬戸内海が大きく広がる。日生に続く入り江は複雑で、冬の陽光と穏やかな瀬戸内の海には小豆島が浮かんでいる。まだ弁当には早く三角点を探しに西へ進む。100mほどでイバラの雑木の切り開きに三角点と白塗りの古い頂標を見つけた。写真を撮って三濃山でも付けた「Green Planet」の山頂標を取り付る。イバラの中じゃあ落ち着かない、反射板の芝生に引き返し寝転んで瀬戸内の展望を楽しんだ。

黒鉄山(440.3m)山頂 反射板から瀬戸内の海  西風が遮られ心地いい。瀬戸内に面する山は、気候が温暖だが土に栄養がないから、低木の雑木が中心でイバラも混じる。整備しないと藪にすぐに返るし、当然登山道のない山はイバラの中を歩く覚悟がいる。一方、小動物の生息は少ないから、狩猟期も意外と安心だ。
ホームへ兵庫の山Copyright(c) 2005 Team-orang. All Rihgts Reserved(606)

0061 '93年12月18日 野桑から白旗山 地形図が5万分の一「上郡」
①野桑木村⇒②鞍部細野口合流⇒③白旗山城跡⇒②鞍部細野口合流⇒⑤野桑木村
       (35)           (25)        (20)           (30)

 先々週、三濃山を登ったときに買った地形図5万分の一「上郡」の三濃山北方に山陽自然歩道の破線が続いており、野桑の北に白旗山と書かれた山が気になる。一等三角点らしいので行ってみる価値がある。登山口の野桑へは、国道2号線上郡町の有年原交差点から国道373号線に乗り、上郡橋東から県道28号線に入ったが、西播磨はまだまだ無案内で時間がかかってしまった。木村の集落の最奥に車を駐め歩き始める。

 谷間の道で広いのだが標示がなく、白旗山に登っているのか心細い。20分ほどで涸れた谷が三方から出合う谷に出ると、斜度が増して登山道らしくなってきた。 峠鞍部に出ると、細野からの道が合流して北西の尾根道を登る。人頭大の石のゴロ場で歩き難いが、雑木の天然林で視界も開けて気分良く歩ける。尾根に岩の露出した急登になり櫛橋丸跡着く。大岩が重なるピークからは、これから登る二の丸跡・本丸跡(山頂)・三の丸跡がすぐ間近に見える。小休止のあと櫛橋丸跡を下り、上り返すと二の丸跡の遺構に出て、さらに疎林の中を進んで白旗山頂(本丸跡)に出る。

 山頂の芝地には、初めて見る一等三角点の大きな標石と「白旗城跡之碑」があった。さきほどから気になっていたが、登山道や草むらに白いプラスティックの弾が散乱している。小さな赤い小旗も放置されている。どうも大人の戦争ごっこをやらかした輩がいるようだ。この城の主赤松則村は、足利尊氏側に加勢して、わずか千人ばかりの兵で、ここに立て篭もり新田義貞の籠城戦を50日余りも耐えたというのに、今は迷彩服を着た歳をとった少年どもの遊び場になっているのか・・・。赤松則村もきっと草場の影で戦術の再検討をしているに違いない。

白旗山(白旗城跡)404.3m山頂 赤松側から白旗山  まあこの山には男を駆り立てる何かがあるのだろう。風もなく、穏やかな日で汗もなかなかひかないが長居もできず、櫛橋丸跡まで引き返して弁当を食べた。今年はこれで山登りも終わり。初めての穂高岳遠征、丹波の山にも行ったし、少しずつではあるが登り方のコツがつかめ出した。東の方向に明神山の先尖峰 がはっきり見えた。
ホームへ兵庫の山Copyright(c) 2005 Team-orang. All Rihgts Reserved(606)