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0628 '05年01月01日 長尾調和教会から高御位山 [地形図2万5千 加古川] PL鉄塔巡視路に出ると、道の端にまだ解けてないザラメ雪があったので、手にとって口に入れる。冷たい。目が覚める。稜線に出るとさすがに近郊の山で、天気がいいこともありたくさんの人が登っている。特に成井からの道が合流すると人人人・・・、スピーカーから雅楽が流れ、ここは完全に正月の雰囲気だ。本殿に額ずいてまずお賽銭、二度拍手を打って合掌、願い事をいって、一礼をする。 おっと鈴を鳴らすのを忘れていた。10年ほど前はこんなことするのは気はずかしいかったが、年をとってきたからかだいぶさまになってきた。高御位山山頂は雪が解けて道もぬかるみ、岩も濡れて座るところがないので、弁当を諦めて西へ下る。潅木帯はまだ雪が解けずに残っていて滑り易い。
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0629 '05年01月03日 鷺山古墳群から北山・城山 [地形図2万5千 網干・龍野] 姫路バイパスの一番長いトンネル「城山トンネル」の東詰から見ると中腹に建物のある山がある。トンネルの名からこの山が城山に違いない。「播磨 山の地名を歩く」播磨地名研究会編p292の太子町の欄を見ると城山の名があり、一等三角点の山と載っている。こいつは登って見る価値はある。標高から察すると城山の南のこんもりした山が北山のはずだ。さて、取り付け道路はどこから上がっているんだろうか?まず太子側からアプローチを探す。ゴルフ練習場の脇に「ようこそ、あけぼの園へ」と書かれた標があり、その標に従うと姫路側に老人ホームらしき建物があった。 近くに車を駐めるところなく、峠に引き返して峠のカーブに車を駐める。峠の南に黄色テープに「鷺山古墳群へ」とマジック書きを見つける。登山の用意もそこそこに少し藪だが行ってみる。すぐに古墳群でピークに大きな円墳がある。東に目指す北山が見える。が、この一帯、登るときから感じていたが異臭がする。東尾根から鞍部に出るとその正体が分った。杉か桧の皮を豚か牛の床敷きに使かったらしく、それを投棄しているのだ。発酵してこの寒いのに湯気がたっている。南へ転じて鹿網沿いに登ると踏跡Aがあって、ここにも人工的の大きな土塁が三重にあり平坦地に出る。 山頂部に境石が2つとTVアンテナの残骸があって、南から国道2線の音が聞こえる。ここが、北山山頂に間違いない。写真を撮って峠に引き返す。城山へは、峠を北へ登るとすぐに小さなPL鉄塔、そこからは踏跡程度の径となる。最近、どうも古墳の調査でもあったのか赤テープがあって、いきなり大きい盗掘墓に出る。黄色テープに説明が書いてあるが読めない。今度は、10分登ると1~2mの岩が重なるところに出る。「城山巨石群」の黄テープがある。人工的といえば言えなくもないが、3~4トンの岩を上に重ねるのはちょっと古代人には無理があるような気がする。 ここから大岩を切り出して、古墳のところへ運んだだけでも偉大なことだ。すぐに城山山頂で大きな一等三角点の標石があった。南に京見山・白毛山がみえて家島が光る海に見える。写真を撮って北へ岩を越えるとアンテナ施設に出た。景観保護のためか基部は城のように造ってあった。姫路の街が眼下に広がり、こちらのほうが城の大手側だったようだ。早いが弁当を食べて、尾根沿いの大手の道を下る。老人ホームの道路に出合ってもこの道は姫路側に下っていた。時間早く蔓を採って輪にして飾りを作ったりしながらぶらぶら峠まで歩く。
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0630 '05年01月09日 屏風から金毘羅山・古倉山・鹿見山 [地形図2万5千 有馬] 狩猟期なので裏六甲の山、金毘羅山・古倉山・鹿見山を屏風から登る。物凄く寒いが風はなくまずまずの登山日和だ。地形図を読むとここは切り立った台形で武田尾周辺の地形に似ている。屏風集落の道路最高点でPL合流する路肩に車を駐める。地形図の破線は神戸箕谷に通じる古道だったのが、今は林道に変わっている。道路は急坂で、表面が凍りアイスバーンになっていてよく滑る。10分ほど登って平坦地に出て、少し行くと立派な石の鳥居がある。ここが金毘羅さんの入口らしい、崩れかけの階段を登ると、これも立派な石灯篭と祠のある金毘羅山山頂に着く。 ここは鹿見山が見える一等地、神聖な場所だったに違いない。「鹿」は朝鮮語の「スカ」から「アカ」「鉄錆び」を意味し古代たたら製鉄が盛んだった名残かもしれない。下って林道を歩くどうもオフロードバイクが走り道が削られている。以前('95/ 11/18)猪名川の三草山でバイクが登っているのを見かけたが、タイヤで道を深く轍を彫っていた。雨水が轍を流れ、道を削り崩壊する。こんな形で歴史のある古道がなくなるのは忍びない。30分程行くと分岐あり巡視路標の先にに「47古倉山→」か書いてある。まだまだ分岐は早過ぎる。疑問も残るが分岐標通り行ってみる。やはり、ピークに2つ登るもそれらしき山はなく、30分のロスで分岐に引き返す。5分ほど進むと鞍部の左に靴で削られた道を見つける。 古倉山山頂は、暗く平坦で小さな山頂標が一枚かかっていた。写真を撮って鞍部に引き返す。現れた「太陽と緑の径」の標識に従って鹿見山に登る。ここはもっと轍が深く50センチ以上ある。トライアルバイクの輩は、登れなくなると付近の木を切り倒 し走るものだから、幾筋も深い轍ができている。巨大NTT電波施設に着く。西の広場に山ランの「鹿見山」の山頂標がある。西鹿見山はまだ先なのにおかしいと思いつつ、西鹿見山に登ってみると訳が分った。西鹿見山の頂上部は人工的な平坦地で暗くて広い、どこが最高点か分かりかねる。30mほど進み方向感覚のあるうちに引き返す。 下山は、「太陽と緑の径」で天保池へ下る。西鹿見山の北西尾根にトラバースして中山大池側に進むが、予想通りに鞍部から東に下れた。この道もオフロードバイク跡があるが、あまり轍は酷くない。それもそのはず林道終点出合の手前に、3m近い岩のギャップがあり、上れないのかスタックして部品を剥ぎ取られたバイクが転がっていた。林道出合が天保池で、風のない水面に鹿見山が大きく映っていた。堰堤から取水谷を転ばぬように下って彫の深い谷を歩き屏風に戻る。下流の谷合流地点は、他では見れない谷の水が正面からぶつかり合う地形で一見の価値がある。
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0631 '05年01月22日 下栗原山陽線ガードから星ヶ峰と磐座神社から権現山 [地形図2万5千 上郡・二木] 朝起きると天気予報通りの雲ひとつない登山日和。昨年暮れから登っている西播磨の山に登る。今日登る山は星ヶ峰と権現山。先ずは遠いほうの星ヶ峰から登ることにする。星ヶ峰は播磨自然高原の別荘地の東端にある山だが、別荘内の道路は近くの石堂丸山でも難儀したので、地形図に破線路のある下栗原から登る。山陽線のガードを潜ったところに車を駐めて歩き始める。地道になるとすぐに太山寺の標が見かり、参道とおぼしき道を30分ほど登ると別荘の端の広場に出られた。読図が確かならここが星ヶ峰はずだ。「展望台」の古い標を駆け上がると三等三角点があった。展望がいい山で千種川 の河口部が見渡せる。西の太山寺方向に別荘内の道路があるが、気乗りがせず、また旧参道を下って下栗原に戻る。 権現山は、以前「閑谷学校と瓜生羅漢から感状山('01/11/23)」で感状山に登ったとき、東に3つの岩峰が見え、いつか登ってやろうと決めていた。森の集落下手から見る第一峰は、垂直に切れた一枚岩で、磐座神社が麓に鎮座して何ともいい。森集落の南に近畿自然歩道の大きな標があり、一台分の駐車スペースがあったので車を駐める。先ず磐座神社に行き、取り付きを探す。が、強固な猪柵がありなかなか入れない。仕方なく南の尾根の神社跡の石碑があるところから、猪柵を開けて中に入る。低い松の疎林で5分も登ると磐座神社方向から広い道が合流するが、もう何年も歩かれていないようだ。 石で作られた洒脱な灯篭があり、その奥に石の鳥居があって、ご神体のような10m以上ある巨大な岩が現れる。朽ち始めた祠が大岩の下に2つある。ここから岩地の雑木の疎林に踏跡が続き第一峰に着く。西は立つのもはばかれるほど切れ落ち、県道を隔てて感状山が青空の中に近く見える。北へ権現二峰・三峰を目指し歩く。東に道が振り始めてウラジロ帯の踏跡Cとなる。東から尾根が合流すると幾分径は良くなり、西に岩稜をたどると四等三角点の二峰に着いた。 暖かく弁当を広げる。ここからは北にいい道が旧峠まであった。三峰の大岩は登り難いが、景色は折り紙つきだ。旧峠は、榊集落から三濃山を越える古道らしく、牛車も通れる広い道幅がある。右へ右へ曲がって谷に下る。榊集落が近づくと、先の台風の影響か岩盤剥き出しのところがあった。榊集落で神社を見て、森までぶらぶら歩いた。
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0632 '05年01月29日 旧生野国民宿舎から段ヶ峰(6回目) [地形図2万5千 生野・神子畑・長谷・但馬新井] 今日は、穏やかで温かな一日と天気予報。県北部では降雪しているらしいので、久ぶりにのんびりと雪道でも歩こうと段ヶ峰ヘ出かける。最初は、杉谷Aコースから登ろうと別荘地内を走るが、Kasselを過ぎた辺りから道路に雪があり、奥ヘ進めなかった。まあ、ここまでチェーンなしで上がってこれただけでもいいかと諦めて旧生野荘まで引き返す。駐車場に5~6台の車があり、男が一人登山の用意中だ。身支度をして登り始める。しばらく来ないうちに、凍結防止で使用中止だがバイオトイレがあるし、第一ピークまでではあるが、4m以上の 幅で下刈りがされているうえに、各ポイント毎に道標が設けられていた。 達磨峰頂上部から雪道となる。想像していたより深い。快晴で白と青のモノトーン?の世界だ。いままでで一番の視程があり、雪を冠した笠形山、高星山、トンガリ山、高畑山、白岩山等の山々が見える。最低コル(菖蒲沢分岐)が近づくと、去年の23号台風の風害か杉の40~50年もの倒木あるが、まだ枝や葉は、緑のまま雪の中に埋もれている。この辺から雪道を踏み抜きが始まる。衣服の濡れは体力消耗につながるので、眼を点にして歩く。照り返 しはかなり強く、暑いくらいだ。前方に雪で輝く段ヶ峰がはっきりと見え始める。先行者2~3人の足跡とスノー シュウと和かんじきの跡もある。 フトウガ峰の上りから天気が悪くなり始める。森林帯を抜けると南側から秒速10m越える風が吹きつけるようになる。また踏み抜きが始まる。フトウガ峰の頂上部に長波のバーチカルアンテナが設置されている(峰続きの殆ど同じ標高に200mほどの間隔で5基あり)。一体何だろうか?菖蒲沢源頭からは、見えているのに段ヶ峰頂上までがいつもにも増して遠い。元々の登山道の真上を歩くときは、踏み抜かないが、少しでも逸れるとすぐに踏み抜く。もう靴のシールも切れ、靴下に水が染み込みだした。もう少しと体に言い聞かせる。やっと段ヶ峰山頂に着く。
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0633 '05年02月06日 JR坂越駅からJR備前福河 [地形図2万5千 相生・播州赤穂・日生] 天気は雲が少しあるものの晴れで風がなく、歩きには最適の日だ。海を見て歩きたくなり、前回「大浦西登山口(遠見山)~JR坂越駅('04/02/14)」の続きをJR坂越駅から歩く。坂越駅前の一日400円の有料駐車場に車を駐め、坂越トンネルを抜けて大泊海岸沿いを歩く。風裏なので温かで、金があれば、別荘にでも買いたい土地がいくらでもある。大泊の北側の山も登れるらしく稜線に東屋が見える。息子達が小さかった頃、2~3回来たことのある丸山県民サンビーチは、土日祝日二輪車通行禁止で静かだ。赤穂御崎に着く。大石内蔵之助の赤穂藩別れの銅像があり、御崎の突端から小豆島が近くに見える。 ここから、ちらほら梅の花咲く歩道を50m程下ると、波打ち際に遊歩道があり、御崎をぐるっと周ることができた。自然の海岸もここまでであとは海浜線を歩く。海浜大橋で一度渡った千種川をまた渡り返す。赤穂城公園南門からすぐのサッカー場の芝生に座って弁当を食べた。そこからの公園は、ゴミが散乱し本当汚く賛嘆たるものだった。海浜線も北向きになり、周りに人のいない車だけの道になる。赤穂線の弧線橋を渡ると工場群に入り、信号の所にカーピカランドのある交差点を左折するが、一部が住友セメントの工場に入るらしく、直接潮見橋に直接出ることはできなかった。 これも汚い公園を迂回して、潮見橋を渡って石ヶ崎橋へ急ぐ。大津川に架かる石ヶ崎橋は、架け替え工事の最中だった。ここからは、庭先を歩く感じの「播磨シーサイド道路」と書かれた国道250号線を歩き、国道沿いの小さな無人駅「JR鷏和駅」に着く。時刻表を見ると、1時間に一本で、次の上りの電車は14時01分、約35分の待ち合わせだ。「備前福河駅」まで約2キロ、30分で歩けばなんとかなる。早足で出発する。峠に採石工場のコンベアがあり、そこを潜ると下りになったので走る。点滅信号交差点で自転車に乗っている小学生に福河駅の位置聞く。自転車で案内してくれると言う。
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0634 '05年02月13日 深谷から大蔵山・梶岡山 [地形図2万5千 有馬] どんよりした天気だが雨は降らないようだ。ひと月ほど前に登った屏風の東、大蔵山と梶岡山に登る。深谷の交差点から南に谷を詰めると集落近くに高架水槽があった。路肩が工事中で広く、ここに車を駐める。最奥の家のところにおおきな霊園があって地道になる。指示標があり「北区ハイキングコースもうすぐゴール・・・」と書かれている。黒甲越えと同じような古道になって、バイクの轍も残るが、こちらの道は、先の23号台風の被害の方が強かったらしく、大雨で道が深くえぐられていた。道が東にカーブするところに「↑大蔵山↑」の標があり、5分ほど登ると鞍部に出る。 屏風に下ると思われる古道が2つと縦走路で、5つの道がここで交差している。どっちが大蔵山だ。冷たい朝露を浴びながら南へ進んだが、残念三角点はなかった。もう一度鞍部へ引き返し、今度は北の低いほうの山に登ると、三等三角点と大蔵山の山名を書いたアルミの山頂標があった。淡雪が道端に残り、これ以上ズボンを濡らすのは良くないので林道に下る。この先、林道はすぐに二分したので、天ヶ辻方向に進む。20mほどで左に赤いコーンがあり、谷に下る広い山道あったので下るが、大蔵山が見え間違いに気づき引き返す。そのまま進むと50m四方は充分ある赤土の広場に出る。 東へ行くと取り付け道路があって、登山者の靴の跡。しばらく下るが、これも深谷方向に下るので引き返す。梶岡山への取り付きが見つからない。広場に引き返す手前の左手の木の幹に赤のスプレーの目印がある。ここだ。今度は踏跡Aの道があったが、標もなく古道と山道が交錯して、同程度のピークが混在し読図もままならない。一度の分岐だけで30分以上尾根が続く。おかしい遠すぎる。梶岡山までは、遅くとも20分で着けるはずだ。南にキスラシ山の石切り場とPL鉄塔、足元に神戸市の金属製三角点が現れる。どうも梶岡山を通り過ぎ、尾根の東端まで来たようだ。引き返しながら梶岡山を探す。 来るとき一ヶ所だけ登らなかった北側のピークへ登る。最高点近くを誰かの標がないか探す。あった。大蔵山と同じアルミの頂標が取り付けてある。写真をとって広場まで引き返す。広場に取り付けの道路が気になり、この道路を下る。分岐があるたびに左に左に行ったので、ついに踏跡もなくなり背丈ほどのシダ繁る谷筋に出た。もう引き返す気も起こらず、そのまま藪を漕ぎ谷に下りついた。谷の水で靴を洗って朝歩いた林道を上がると霊園はすぐだった。
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0635 '05年02月26日 鳥脇から鳥脇山・岩根山と検見山 [地形図2万5千 武田尾・広根] 3月は趣味の椿苗を植え付けには一番いい季節。狩猟期も終わったことだし、下山後に椿苗でも買おうと、宝塚山本に近い鳥脇山周辺の山に登る。北摂の山(上) 慶佐治 盛一著 P66に載っている山で、このガイド通りに岩根山にも足を延ばすことにする。何度も行っている北摂なので、間違わず鳥脇バス停に着いたが、地形図にない新しい道路が整備されて、位置関係も分かり辛い。鳥脇集落の東の道路峠に巡視路を見つける。が、ここは車の通行量多く、駐車場所がないので、バス停より下った家庭菜園の路肩に車を駐める。天気は、少し寒いが快晴。登山には最もいいコンディションだ。 鳥脇方向に歩いて、県道33号の三叉路ところの、大きな桧の木ある栗畑の谷に、東へ入る山道を見つける。本当は先に見つけた巡視路の方がいいのは分かっているが、真上に442mの赤PL鉄塔見えるので登っていく。歩かれていないがしっかり道だ。すぐに着くと思っていたのに、鉄塔になかなか着かない。それどころか支尾根を2つも越して、太陽を背に歩くようになった。対峙する検見山が近づいたところで、やっと南に方向を変えて巡視路に出る。一旦小さな鉄塔が出てから、バス停から見えた赤い大きな鉄塔に着いた。ここで、すぐの分岐を左(PL62)に行って10分ほどのロスで鳥脇分岐に出る。 鳥脇分岐に出ると読図は簡単でTV中継所のある鳥脇山に着く。さあ岩根山だ。北へ下る。ここもトライヤルバイクで深い轍が彫られ歩き辛い。読図通り、PL59鉄塔があり林道に出る。林道崩壊地を廃屋側に迂回する。林道下降点まで意外に近く15分だったが、そこからは10分弱かかって反射板のある岩根山に着いた。ここで弁当の予定だったが、この早さなら予定にはない検見山も可能だ。写真を撮って引き返す。林道終点からは、右に60番台の巡視路に出て、分岐を右に行くと破線路(PL59標)に出られ、鳥脇分岐まで戻ってこられた。もう無理する必要なく、台風で荒れた谷道を鳥脇集落へ下る。 どこから検見山に登ろうか。水準点295.6mの堰堤が気になる、ここから登ればゴルフ場を迂回せずにすむ。堰堤は「土ヶ谷堰堤」で、右側のトタンの猪柵を開けて50mほど藪漕ぐと、踏跡Bがあった。まったく歩かれてないがしっかり径で4~5年前の鉈目がある。2ヶ所踏跡途切れるが平坦な検見山山頂に出る。最高点は暗く展望はなかったが、石が盛られ山頂標が 10枚以上あった。西に出て、巡視路からバス停に戻ろうかとも考えたがせっかく見つけた登路に親近感が湧き登路尾根を下る。新しい道路で宝塚山本まで10分ほどで着いたが、気に入った椿苗は無かった。
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0636 '05年03月12日 鶴居上水取水場から大中山(松尾山) [地形図2万5千 粟賀町・寺前] 風が吹き稜線に出る。PL30鉄塔と巡視路があり、南に七種槍の尖峰が見える。巡視路は南へ下るが、地形図の破線の道が現存しており手入れが悪いが立って歩ける。所々に赤の電工テープが取り付けてある。 最初の鞍部は南に峠道があったようだが、もう歩けない。空もいい天気で歩も捗り2番目の鞍部に出ると、目指す大中山が峰続きに立ちはだかるように見える。北に林道の見えるところもあった。ここから赤の電工テープがなくなり、10分程は水平のいい道だったが、左手へ廻き道になると急に勾配が増し始める。読図では標高500m付近に鹿ヶ壺に通じる古い峠道があったようだ。 天気が急変し雪が降り始める、尾根の踏跡Bを登る。P3(570m+)に出ると 雪が更に激しくなり遠望が効かなくなる。雪が積もって大中山への稜線の踏跡が見つからない。ここが810mの分岐らしい。北方向へ登ってみると、大きなオレンジのテープがあり、ここからセメント杭が打ってあった。読図が正しければあと100mほどで大中山山頂はずだ。もう雪が積もって径も見えなくなるほど真っ白になった。もう駄目か・・・・少し下って雪の止むのを待つことにする。 P3まで引き返し踏跡のない稜線を見る。読図に自信がなくなり、鞍部から急過ぎて径のないのがおかしいなどと色々と考え始める。鞍部までの道が、以前「川原谷から亀ヶ壷~十三まわり('00/07/16)」で、十三まわりから大中山をめざした時の稜線道に続いているはずじゅあーないのか?今日は雪を理由に下山して、それを確かめるのはこの次にしよう。
電工テープのある2番目の鞍部に引き返すと、青空になって恨めしくもP3を隔てて一際大きな大中山が見えた。 |
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0637 '05年03月21日 杉生新田から猪名川奥山と猪名川東山団地から坊主山 [地形図2万5千 福住・木津] 「北摂の山(上)」慶佐治 盛一著p122を読むと、とっくに登り終えたと思っていた地形図{福住}に奥山という山があるらしい。また同じ「北摂の山(下)」p32に坊主山という山が載っているので帰路に登ることにする。今日の天気はこのところの寒い天候がうそのような温かな日和だ。杉生新田の三叉路に「篭坊温泉 2.5km」の標が見える。ここがガイドの泉郷峠に行く道路のようなので、車道脇に車を駐めて歩き始める。大きなカーブを過ぎるとすぐ峠で「篠山市」と境標がある。道の傍らに「泉郷峠」と書かれているらしい石碑があるが、教養のない者には読めない字体だ。雑木が疎なところから取り付く。 イバラの急登でまったく径なし。15分程でイバラが切れて、疎な雑木帯とになるが相変わらずの急登だ。北に紅白のPL大鉄塔のある淨仙山(丈山)がみえて、西に大野山が近く大きい。かまぼこ状の広い稜線に出ると30~40年もののクヌギ林となる。踏跡Bだが下草は生えておらず、赤い町界杭もあって、フカフカ落ち葉径で歩き易い。ガスの巻く時はこんな広い稜線は注意が肝要だろう。636m標高を過ぎると直ぐに北から府境が合流し、鞍部の南に屋根の壊れた炭窯が2つ並んでいる。その昔 ここで思い切り炭を焼いた人がいたんだ。楽しかっただろうなあ。 もう一度炭窯の煙を見たいものだ。でも、ここまで木が大きくなったら火の通りも悪いだろう。なんて考えながら歩くと三角形の広い山頂の奥山に着いてしまった。西の樹間から大野山が見えるくらいで展望もないが、焚き火跡もありパーティーで登ったら、ここでのんびりできるはずだ。写真を撮って東へ無名峠を目指し下ることにする。次ピークで北尾根に引き込まれそうになるが、何とか尾根を見つけて下る。途中台風で倒れた松が2本あり、その下部にとても金持とは思えない人が建てた別荘が一軒あり、無名峠に下り着いた。帰路に坊主山へ寄り道する。
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0638 '05年03月27日 旧生野国民宿舎から段ヶ峰(7回目) [地形図2万5千 生野・神子畑・長谷・但馬新井] 病気療養中の友人N君がすっかり元気になったらしく、後2~3日で職場復帰するらしい。お祝いに一度位は山に誘うのも悪くない。子煩悩な男で、土曜日は 子供をプールに連れて行く日らしく、日曜日に行くこととなった。笠形山にしようか段ヶ峰にしょうか迷ったが、長い距離歩けて遠望のきく段ヶ峰に登ることにしする。旧生野荘は、建替えでもあるのかバイオトイレと水場が道路側に移動されていた。駐車場に車を駐めて出発する。前回('05/01/29)は達磨峰から雪道だったが、今回は雪はなく、快晴微風の絶好の山登り日和なる。最低コル手前峰から雪の上を歩くようになる。 10cm以下だがN君は運動靴で履いており、濡れを気にしての登山となる。最低コルからの桧林帯は雪が解けきらず道がぬかるんで、100m程後を登っていた若い夫婦に追いつかれそうになったので、照れ隠しにミズナラ林に入ったところで水分補給のふりをして道を譲る。春の日差しの中、小鳥が囀り、穏やかで気持ちがいい歩きだ。フトウガ峰手前の森林帯を抜けると、さっき水分を取り過ぎたのか腹がおかしい。例のバーチカルアンテナ付近でブッシュに隠れて大用(キジ)を足した。新聞によるとこのアンテナ群は、ここに風力発電所を建設するための予備調査で風向・風力を測っているものらしい。 オオタカの生息域なのに愚かな計画だ。この付近、2~3日前にも雪が降ったようで、菖蒲沢に下る道は新雪が積もっていた。沢手前で先行者が道を間違っているのに気が付く。昔の杉谷Bコース側に雪道を作って進んでいる。危険なので源頭に下り登り返すと、道を作ったと思われる一団(5名)の先頭の熟年夫婦が「よくこの道がわかったね」と言って早くも下山して来た。雪解けが物凄く、道いっぱいに水が流れ、N君が靴の中が濡れたと泣きを入れて遅れぎみだ。随分先を歩いていたはずの若夫婦もミスコースから復帰して、また抜かれて、見る見る内に引き離される。やっと段ヶ峰山頂に着く。
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0639 '05年04月17日 越坂から牛ヶ峰山) [地形図2万5千 湯] 今日は快晴のお花見日和。「泰雲寺のしだれ桜」の咲く頃と残しておいた牛ヶ峰山に登る。6時に自宅を出発して県道70号線から琴引トンネルを通り、国道9号線に入る。温泉町、内山の集落で農作業している農夫に尋ねると、越坂の村外れに登山道があると教えていただく。その言葉通り登山口の標と、温泉町が取り付けた「熊出没注意」のパウチ標が登山口にあった。最初は竹薮で、歩き出すと直ぐに木製の大きな鳥居があり、良く踏まれた広い参道となる。少しの間杉林となるが、すぐに新芽が吹き出しているミズナラ林帯となる。もう樹間から牛ヶ峰山が双耳峰として見える。 南に トラバース道になり東が開けて、但馬の山々・村の家々や棚田が見え、一昨年行った秋山郷を思いだした。 「4丁」と彫られた丁石が、もう消えた道の分岐にあって、その上部はブナ帯になった。雪が北面にまだたっぷり残っているが、気温は20℃以上あり風がふいて気持ちがいい。崩れかけた階段を昇り、牛ヶ峰山神社の神域に入る。20mx150m程の平坦地に六角の水鉢があり、奥に宿坊らしき建物があって、左手に階段がある。階段を登ると初老の登山者が独り、崩れた御灯篭に座っていた。頂上の位置を聞くと、この神社裏に登山道があると答えた。 水平の尾根に小道があり5分も歩くと二等三角点のある牛ヶ峰山山頂に出られた。まだ雪が残っており、南になだらかな河合高原と扇ノ山らしき山が雪を冠して見える。記念の写真を撮って引き返すが、もう男は居なかった。合掌して平屋の神社を覗きこむと、造りのいい本殿がすっぽり収められた構造になっていた 。掃除道具がおいてあり、今も地区の人々に愛されている神社であるのが分る。鳥取側からも延びる参道など、昔の活況ぶりがうかがえる。登山口で、三百名山も登り切り、今は近畿から美濃の山々に登っていると話す、なにわナンバーの男単行者に会う。城ヶ山と大野山に登る時間充分あったが、ササユリの咲くころに来よう。泰雲寺のしだれ桜を見物して帰宅する。
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0640 '05年04月23日 鶴居配水場から大中山(松尾山) [地形図2万5千 粟賀町・寺前] 前回('05/03/12)山頂手前まで行ったが、突然の雪で辺りが真っ白となり、山頂近くのオレンジの標のところで逃げ下った大中山(松尾山)に登る。前回はまともな道を歩けなかったので、ためしに砂防ダム工事の導入路に下ると、朽ちてはいるが鉄の橋があり堰堤右岸に渡れた。堰堤の山側に細いが踏み固められた径もある。二回目は違う谷を詰めて巡視路を登ろうと思っていたが、この踏跡をたどることにする。予想通り小尾根に確かな道が続いたが、この道も台風の倒木帯にぶつかってしまった。がしかし、20mほど倒木を分けるとで巡視路に出合い、PL29を越えてPL30の尾根に出た。 南に尖峰の七種槍が見えるが 今日は黄砂現象で黄色く霞んでいる。前回はここを本尾根と思い込んでいたがP1北鞍部(南から踏跡のあるところ)からが本尾根で道も良くなる。P3(570m+)峰の手前に廻き道あるが、これは地形図の破線道で亀ヶ壷に下る道に間違いないようだ。2回目なのですいすいオレンジの標まで登る。この尾根を左に下れば先の廻き道に出合うはずだ。読めないがセメント杭が打ってある。先ほどいい道ほどではないが立って歩ける。5分ほどだろうと思っていたが意外に遠く、不安が頭をよぎったところで、ひょこり三角点のある大中山山頂に着いた。 こんな藪山でも西宮勤労山岳会の「松尾山」と「大中山(松尾山)」と二つの山頂標が掛けてあった。写真撮って、十三まわりに縦走開始するが、すぐに倒木帯になった。台風で尾根の木がなぎ倒され、歩き難いし時間がかかる。が、ほとんどの登山者が十三まわりから登るのだろうか、有難いことに残存テープがいい間隔で残されている。640m+ピークから西にふって鞍部から635m岩峰にでると大中山と七種槍が見えたが大中山の西斜面は全面が倒木帯だった。ここから倒木もなくなって、左下から亀ヶ壷からの滝音が聞こえる。セメント杭240で直角に東へ下ると、樹間から落石した林道が見えた。
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0641 '05年04月28日 上蒜山駐車場から上蒜山と月見ガ丘駐車場から道後山と休暇村吾妻山から吾妻山 郷里の愛媛に帰省しながら中国地方の三百名山に登る。早朝、自宅を出発し、国道2号線相生から179号線を通り、美作ICから米子自動車道に乗って蒜山ICで降りて、蒜山の広 い駐車場に入る。今日は平日で一台のみ。試しにコンクリート道を登るとスキー場で、東の尾根に登山道があるらしい。一度駐車場に戻り、道標に従って登ると、別荘分譲地から百合原牧場に出て、両側に有刺鉄線が張られた登山口に出る。真っ直ぐの杉林の急登を登って三合目を過ぎると、採草地の尾根道で蒜山高原の展望が広がる。四合目からは北に大山が望めるが黄砂現象で霞んで輪郭しか見えなかった。 八合目、槍ガ峰からは南に中蒜山が見え、そこから5分ほどで笹道のブナ林に入る。雨の日だったら泥濘む道を登ると意外に近く最高点に着いた。少し中蒜山側に下ると、まだ開きかけ紫色のカタクリの花が咲いていた。三角点峰に行く。北側にまだ雪が残るが道はよく、三角点がちょこんとある蒜山に着いた。字の消えかかった山頂標にマジック書きして写真を撮る。下山はスキー場側から牧場を歩いて駐車場に戻った。快走路の国道183号線(日野街道)を通り、予定通り2時間で月見ガ丘駐車場に入る。東に岩樋山と思える山が丸く聳える。用意もそこそこに車も走れそうな谷道を進む。 ジグザグ道になり、南に向き始めてあっけなく東屋に出る。廻き道を進むと水平道になり、ひと登りで両国牧場跡の分岐に出る。石を積み上げて作られた牧柵沿いに道後山へ進む。今までにこれほど登り易い山を経験 したことがない。ピークを1つ越すと小学生の走り回る道後山山頂に着く。1年生から6年生まで20名ほどの小さな学校の生徒が、10名程の先生に引率されて遊んでいる広場で 、子供の目を気にしながら弁当を食べる。正午になって集合の笛が鳴って、子供たちの喧騒が消える。やっと写真が撮れた。淋しくなって下山を始める。岩樋山から追いついた小学生に混じって広い道を下った。 うってかわって県道254線はとびっきりの峡路となる。こんな山間地に生活しておられる人々のバイタリティーにただ驚く。一度池ノ段の林道に迷い込むが、予定通りに休暇村吾妻山に入る。家族ずれが多く、天気もいいのでこの時間になっても、子供の声が聞こえる。本館(原池)には行かず、上部駐車場から指導標方向へ進むと、芝の中に踏跡があって、指導標のわずか上に出られた。全山が牧場跡地らしく芝生の山で、道後山よりも歩き易かった。吾妻山山頂からは道後山から見えた比婆山(烏帽子山)が見えて、時間があれば登りたい衝動にかられた。
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0642 '05年04月29日 北ノ原姫逃池コースから三瓶山 [三百名山/187] 県道255線側はスキー場があるからだろうか道広く快走路だったが、吉田町へ通じる県道38線は峡路らしく、1つ北の広域林道が広くて走り易いとスタンドで教えられ、国道54号線「掛合交差点」(17:30)に出てから、道の駅で車中泊をした。翌朝は、4時半に起き出して、ライトをつけて県道40線を三瓶山に向けて走る。2車線の快走路で、東ノ原着くが、女三瓶山の上部はガスっており、強風が吹いて空も暗い。北ノ原自然館の駐車場に車を駐めて姫逃池コースから登り始める。 登山道は整備されているのだが、平坦で稲妻が深く東に西に行ったり来たりの連続で方向感覚も麻痺するし、思った以上に遠く疲れる。東屋が現れたところで、中国自然歩道が交差する。「男三瓶山まで90分」の標がある。ここからやや斜度が増し岩地となり、最後はガスの中の尾根道となる。強風の男三瓶山に着く。 ただ撮影中に三脚が倒れないかが心配で、水筒の重しを下げてやっと写真を撮った。暗く視程もないが急激に晴れてきそうだが、こんな天気で女三瓶山に縦走する気も起きず、名号コースで下山を開始する。昔からのコースらしくしっくりしいるうえに、風裏になって風もふかず、いい山歩きを楽しむ。小鳥の囀り、樹林帯の保全、解説標等どれをとっても、この山は一流の山であることに疑いはない。女三瓶分岐に下りつき、陽光がさし始めた新緑の遊歩道で北ノ原へ戻る。
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0643 '05年04月30日 シラサ峠から瓶ガ森 [三百名山/188] 国道54号線を三次に出て、国道183号線を尾道を走り、「しまなみ海道」から郷里の伊予でがんばる母の顔を見て一泊する。今日は末妹の住む久万高原町から、石鎚スカイラインを経て瓶ガ森を向かう。土小屋から9Km行くとシラサ峠と書かれた峠があり、西に石鎚が見える。ここが瓶ガ森の登山口駐車場と勘違いしているのも気づかずに登山の用意して出発する。アケボノツツジが咲いていて、芽吹き始めた木々の間から、以前「「土小屋から岩黒山・手箱山・筒上山('98/05/04)」で登った手箱山・筒上山・岩黒山そして石鎚山が見える。四国の脊稜の山はこの新緑の頃が最も素晴らしい 。 やがて子持権現と書かれた祠があり、二度道路に出た後に瓶ガ森駐車場に出る。ここまで来て、やっとガイドの地図が理解できた。ここからは整備された遊歩道で、例の氷見二千石原の笹原に浮かぶ石鎚山を見ながら男山へ登る。男山山頂には蔵王権現の信者小屋があり、駐車場から水も持たず登って来た観光客が5~6人いる。そこからはほどんど平坦な道で女山に着いた。二等三角点があるが、瓶ガ森を示す山頂標はない。写真を撮って辺りを見回す。東に伊予富士・寒風山・笹ガ峰・ちち山、北は真っ青な瀬戸内海。まさに360°の大展望でどっちに向いて弁当を食べようか迷うほどだ。 不思議にこの山は携帯のアンテナが何処にいっても3本立っている。高知の大学に通う次男がいたら、寒風トンネルから高知へ行こうと考えていたが、研究室にでも居るのか応答なし。仕方なく、妹に電話して今夜の宿をお願いする。時間はたっぷりあるが、瓶ガ森ヒュッテ方向へ下山を開始する。東ノ川分岐があって瓶ガ森ヒュッテ、下部の白石小屋は屋根に布団を干してあるが、どうも、瓶ガ森ヒュッテは営業をやっていないようだ。往路に、50度以上の斜度に長い鎖場のある子持権現山に登って、シラザ峠に戻る。末妹宅で、夜遅くまで話し込み、翌朝、高松から宇高国道フェリーに乗船する。
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0644 '05年05月08日 泉光寺から光明山 [地形図2万5千 八鹿] 円山川右岸道路を八鹿に向かって走っていると道の駅「やぶ」を背に大きな山がある。名が「光明山」三角点峰ではないが、かなり目立つ山で、いつかは登りたかった山の一つだ。ただ登路が分からない。山の西側に大藪から大江に通じる破線路の峠があるので、この峠道を登ることにする。天気は晴れ、風が少し吹く気持ちのいい日だ。泉光寺の門前の道路スペースに車を駐め歩き始める。谷の林道を行くと、すぐ右側にセメントで造られた随分いい橋がある。支尾根216m標高の南の谷に通じる橋で、主尾根に登れそうなので林道を捨てて谷道に入る。谷床を一度徒渉すると廃棚田に出た。 生える杉が50年以上たっているから、おそらく年貢を逃れるための隠し田だったのだろう。詰めると尾根に当たり、伐採地の草地の急登になる。鹿ネットと倒木をかわしながら我慢の登りだ。真下に泉光寺が見えて、西のアンテナ峰の向こうに鉢伏山・妙見山、北に蘇武山が浮かび上ってくる。やっと主尾根に出合う。落葉林帯の中に踏跡があって、3~4年前に取り付けられた白布が所々にあり歩き易くなる。10分ほどで古いアンテナの残骸があり、2度ほど倒木帯を越すと右手から尾根が合流して、光明山の尾根を張り出しが見え始める。地形図から想像できないほど東西にだだっ広い尾根だ。 落葉林が疎で、北西の三角点峰を見据えて回り込む。光明山山頂に着く。頂上部は平坦で広くコナラ帯で新緑いっぱい。最高点の木に打ち付けれらた山の会の山頂標と古びた山頂標ある。写真を撮って破線峠に向う。町境ピーク496mへの尾根道は想像以上に急落するが、三角点峰を擬視して広い縦走路へ下る。一度だけ東に伐採地が拡がり、床尾山塊と鉄鈷山が見えた。踏跡Cでひと気薄く、支尾根多くて気が滅入る。町境ピークの南西は二重山稜になっており、一度谷へ下り496m峰側に登り返した。496m峰の上りは伐採地で、先ほど登った光明山と新緑の落葉林帯が見える。 南の最高点付近からまた鹿ネットが現れて踏跡Bとなるが、ネットは峠手前尾根を下るので、薄くなった踏跡Cを拾って破線峠に出る。期待したが、荒れ果てもう峠はなかった。大藪への谷道は何年も歩かれてないようだが、下るにつれ石積みの道になる。途中、右手に「たたら」でもあったのか、幾重にも石積みされたところも確認できた。地形図にはない作業道に出る。ひと安心。少し行った道路の路肩に腰を掛けて、光明山を見ながら弁当を食べる。この山は地形が複雑だから、頂上部の落葉樹林帯は残るだろう。緑いっぱいの作業道を道なりに下ると泉光寺に出れられた。
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0645 '05年05月15日 朝来橋から金梨山と竹田城跡 [地形図2万5千 但馬竹田] 株価下落のおり、本当は金在(あり)山に登りたかったが、逆の金梨山に登る。随分前「山内から朝来山('94/04/09)」で朝来山に登った時、立雲峡を隔てて金梨山が見えた。いく度もこの山の前を走ったがなかなか登る機会がなかった山だった。どこから登ろうか。国道312号線の竹田の交差点から100mほど和田山へ走ると、竹田城のミニチュアの城のところに8台駐車分の駐車スペースがあったので車を駐める。身支度をして国道を渡り、作業小屋の脇を登り始める。PL鉄塔の巡視路らしく先の台風で倒木がある。5分ほどPL鉄塔基部で「金梨山大権現 →あと1200m」の真新しい道標を見つける。 藪漕ぎを覚悟していたのに、なんと幸運なことか。落ち葉が厚く積もり、葛篭折れのない急登だが、夏蝉の鳴く新緑の参拝道を立って歩けるのがうれしい。標「650m」を過ぎると、朝来山と竹田城が見える場所のそれぞれに窓が切り開いてあり、赤松帯になり斜度も弛む。標「330m」からは、岩地のトラバース道になり、最後は岩場を縫うように登り、金梨山大権現にたどり着いた。朽ちた鳥居の奥に、大岩が1.5m間隔で並び、天井に三角の岩がくさびを打ち込むように被さり、中には小さいが真新しい祠が祀ってあった。振り返ると岩場で切れ落ちていてまさに絶景。 今日は風がなく視程は落ちているが、眼下に円山川と竹田の町が絶妙だ。金梨山山頂へは大岩を廻り込むように登る。周囲に木立が茂り展望もない山頂に、新しい金属製の四等三角点があった。参拝道を下山して、円山川を隔てて対峙する竹田城跡にも足を延ばす。一度、駐車場に戻って水の補充をしてから、朝来橋を渡ってJR播但線竹田駅に行く。散歩をしている男に聞くと、ここも先の台風の鉄砲水で、登山道の一部が流されたが登れるという。竹田駅の北の低いガードを潜ると、「竹田城 800m」と書かれた近畿自然歩道の標が鉄砲水で押し流され倒れていた。 猪柵を越えると登山道がえぐられたところを通過するが短く、あとは広く整備された大手道を上がって竹田城跡に出る。ここは朝来山を登った時、一度車で上がったことがある。駐車場は車では来れないのか一台も駐まってなかった。日本でも有数の石垣の残こす城跡の一番高い石積みに登る。備え付けの梯子を昇ると花が供えられた三角点があり 、先ほど登った金梨山の奥に、盟主粟鹿山が正三角形に見えている。周囲を見渡すと代掻きされた田が円山川沿いに光って絵のような景色だ。下山は、良く整備された下山道を北へ竹田小学校側に下り、小さな城下町竹田の町を歩いて駐車場に戻った。
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0646 '05年05月21日 宮井から矢次山 [地形図2万5千 神鍋山] 先週、春蝉を聞いたのでマムシのシーズン到来、道のいい山の登りたい。「たじまハイキング」須磨岡 輯著p122を読むと豊岡市の外れの矢次山は、頂上部まで林道が続くらしく道が良さそうだ。豊岡市を抜けて国道178号線から県道242線に入るすぐに「宮井」の小さな標を見つける。集落の橋から見ると、矢次山は南北に平たい山で、頂上部がどこだか分りづらい。村はずれからすぐ地道で、広畑橋を過ぎると台風の影響で林道が荒れ始め、次の橋で左岸に出ると左手の路肩が崩れて進めなくなった。地形図を読むと、266m峰の北の谷らしく、50mほどは修復不可能なくらい完全崩壊していた。 方向転換できないから、バック以外に脱出不可能なのは分かっているが、五十肩で首だけ振ると痛い。痛いの我慢で体ごと後ろを向いてバックする。やっと100mほどバックさせ、方向転換して路肩に車を駐める。登山の用意しながら気を落ち着かせて歩き始める。10分弱で堰堤広場にでるが、かなり大きな堰堤のようで奥に基部のみ覗いていた。時間が遅いので堰堤方向には行かず、作業道を造林小屋方向(右)へ分ける。一度だけ上部が崩れているが、こちらの林道は歩き易かった。コースタイム設定がきついのか、やや遅れ気味で造林小屋に到着する。 周囲の木が伸びガイドに書かれた展望はない。ここから10分弱の尾根廻き道は、台風の被害で上部法面が4~5箇所崩れていた。廻き終わると「焼山管理道」の標があって斜度の緩み、北に青空のなか来日岳が見える。ここからは主に稜線の北側を歩く。林道崩落のためか、今年は人がほとんど入っていないようだ。道はよくなったが、起伏があり、暑くはないが日射しも強い。南に矢次山 らしい山が見え隠れし始めて、ガイドにある四叉路に着く。ここもガイドに書かれているような展望はない。中央の「宮井線林道」の標のある道へ進む。北へ続く林道はどこから入ったのか轍があった。 途中、一度だけ林道を分けるが、四叉路から15分で「矢次山→」の道標がある広場に出た。園芸種のテージーが所狭しと咲いている。山頂への道は、笹に埋もれて歩き難いが、すぐに育ちの悪い桧林帯となり、矢次山山頂に着いた。背高い雑草が生い茂り、立派な山頂標以外に何もない。勿論展望もなく、少し入った切り株に腰を下ろして遅め弁当を食べる。木陰で風が心地良い。食べ終わると何もすることがないから、三角点付近の雑草を踏み潰して写真を撮った。下山は、曇り始めた林道を快調に下り、四叉路から1時間ほどで堰堤に戻った。県道713号線で但馬コウノトリ空港に寄り道する。
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0647 '05年05月28日 田結から堂山と捨ヶ鼻 [地形図2万5千 城崎・久美浜] 天気快晴で登山日和、今日は「たじまハイキング」須磨岡 輯著p110に載っている津井山湾東岸の堂山に登る。円山川の河口部、気比の浜から田結橋を見つけられず手間取るが、小さな漁村の田結に着く。そのまま集落の尾根尻まで走ると、小さな墓地に「八十八巡り入口」の標を見つける。車を林道イクリ線のゲート手前に駐めて身支度をして参拝道に入る。最初は 照葉樹の落ち葉の積った急登だが、耕作を放棄したススキの繁る荒地となって平坦地になる。展望はなく、津居山港からの漁船のエンジン音が聞こえるのみ、大師坐像の彫られた八十八ヶ所巡りの石仏を追って歩を進める。 北側に回り込むと3坪ほどの作業小屋があるが、その先、六十二番石仏から六十五番石仏の間が少し分り辛い参道だった。尾根に上がらないで、一度谷に下り、樋状地を登って行くと笹地に出て、分岐を右へ分けると堂山山頂に出た。ガイドによるとこの芝地の向こうに広い水平線が開けるはずだが、今日は北からの寒気が入り、その境がすっき しない。西の対岸に津居山が見え、海岸線で波が砕け散るのが見えるだけだ。山頂には七十番石仏が、この絶景を見守るかのように西向きに座していた。山頂標のある三角点で写真をとって下山を開始する。 こちら側のほうが道は良く、稲妻を切るようになると、田結集落の甍が見え始める。急に行く先が開け墓地の上の台地に出た。下っ たところが、「六地蔵」で1925年の北但馬地震の震源地の石碑があった。石仏巡り参道口に戻り、今度は捨ヶ鼻灯台を目指し林道イクリ線を歩く。ゲート入り口の「落石通行禁止~いかなる保障をしない」の標が示す通り、路面に人頭大の石が転がっている。三輪バイクの男がやって来て、獣道を這い上がって何か捜している。聞いても、何も答えなかったが、どうも急な獣道に「くくり罠」を仕掛けているようだ。「神水御奉塔」の石碑がある神水(かんずい)岬に着く。 目指す捨ヶ鼻灯台が見える。ここから灯台への整備された保守道を大下りして、神水の浜畑跡に出るが、永々と受け継がれた田んぼも、今は外国から漂着するゴミの吹き溜まりだ。なおも保守道は続くが、先の台風の影響か、階段に土砂が被っているところが多数あった。ひと登りして73mのピーク、最後の海洋性照葉樹林の森を越すと赤と白とで塗り分けられた灯台が見える。チェーン張られた保守道をひと下り、十段ばかり階段を上がって捨ヶ鼻灯台に着く。入り込んだ海岸に波が砕け散り、船渡しの岩場で磯釣りしている人が見える。復路に神水岬の突端に降り、捨ヶ鼻灯台を見届けて田結に戻る。
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0648 '05年06月05日 古法華吊橋から善坊山・笠松山 [地形図2万5千 笠原] 竹野町の山に登ろうと出かけるが、生野町に入ると段ヶ峰にガスが巻き始め、朝来町の道の駅で暗くなる。今日は晴れの予報だったのに、回復が3~4時間遅れているようだ。日本海側だったら、正午時分に晴れるのは難しいだろう。諦めて引き返す。笠形山か段ヶ峰に登ろうと迷いながら車を走らせるが、何れの山ももう天気が悪くなってしまって、加西の善坊山・笠松山にしか登る山がなくなってしまった。古法華の吊橋まで車をいれ、2台ほどのスペースに車を駐め登り始める。 善坊山支尾根分岐までは、道も広く順調だったが、昨日の雨が露として残っており、ズボンと靴が濡れ始める。善坊山の大岩手前でササユリを見つける。3株、色は褪せているが、葉の形から間違いない。蜘蛛の巣を掃って写真を撮る。善坊山を往復、下り道で、ビジネス服で登って来た人に会っただけ、周回路分岐まで引き返す。以前は踏跡程度だったのに。整備が行われ分岐標まであったので南側の周回路に入る。 ここから岩の稜線尾根、さっきまでの天気がうそのように空が晴れ上がり紫外線が射すが、風があってズボンも乾き、半袖シャツになって、気持ちのいい稜線漫歩になる。北には、田植えの始まった加西から広がる丘陵の向こうに、おそらく一度ずつは登ったであろう山、遠く北摂の山、羽束山から夢前の明神山まで山々、南には、六甲の山並から瀬戸内海、姫路セントラルパークのまでの山塊が見える。180m+ピークを越えると一枚岩に出る。初めてここに来たときここで弁当をたべたっけ。水分補給を兼ね小休止する。古法華の伽藍内にも家族連れが入り、子供達の甲高い声が谷間に響き渡る。 下山にかかると、以前は道が無く藪を漕いだ場所も、北よりに遊歩道ができていて、難なくダムサイトに下りついた。笠松山へは、左岸の遊歩道から本谷を渡り、「婦人公園」と書かれた芝生地を登って行く。どうも一度登ったことのある東屋の北コル出るようだ。前方に鞍部の空が見え出したとき、今度は今を盛りと咲く、色鮮やかなピンクのササユリを2株見つけた。 こんな近郊の山で、希少なササユリに出会うとは・・・しかも二度も。笠松山に登っての下り、三脚を立てて、ササユリを撮影して、古法華寺の石仏群と最近彫られた磨崖仏を見て吊り橋に戻った。
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0649 '05年06月12日 春来研修所から城ヶ山と大野山 [地形図2万5千 味取・村岡] 今年の近畿地方の入梅は、6月11日の土曜日で5日遅れだそうだ。土曜日は雨が降ったので山には登れなかったが、今日は晴れの予報。「たじまハイキング」須磨岡 輯著p90に城ヶ山にはササユリが咲くと書かかれているので、ピンクのササユリを期待して城ヶ山と大野山に登る。朝来から琴引トンネルを使い、関宮に出たので、2時間40分ほどで春来に着く。旧国道9号線の春来峠に、50~60軒ほどの集落が残っており、小さくても風情のあるたたずまいになっている。最初に登る城ヶ山は村の北側、少し下ったところにある。ガイドの春来研修所に車を駐めて歩き始める。 私は位置を説明するのに左右・前後と言う言葉は、使うべきではないと思っている。読んだ人の位置関係で方向性が逆になる場合が起こりうる。今回もガイドの『バス停「春来上」から右へ少し行き、左へ下っている細道』が、分らず春来峠の方に進み、村はずれにアスファルトの細道を見つけ同じように、村の中の田んぼ中を歩いて、城ヶ山公園の標のある登山口にたどり着いた。そこから分岐が2回あり、道標に従って進むと良く踏まれた参道になる。朽ちてはいるが横木のある真っ直ぐの杉林の中の道だ。中腹のお堂に出る。もう色褪せているが、ササユリが10輪ほど咲き、山の大きな縁起がある。 そこからは平坦な道を、5分ほど歩いて、四等三角点が中央に埋まる春来城跡山頂に着く。まったく展望がないが、近々山頂の木を伐採するのか、木にマークがしてあった。さあ次は大野山だ。春来集落に戻り、もう一度、春来峠に進んで右手の作業道に入る。竹と杉の混生林で、5分ほどで最初の田んぼに出合う。ここからセメント道を100m程上ると、今度は左手に歩かれていない山道があって、10分も歩けば作業小屋が見え、上部の田んぼに出た。大野山へは、登って来た尾根を歩くことになるが、踏跡Cの難路だ。やや西向きになって、尾根が合流すると、10年くらいの杉の幼木帯に入る
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0650 '05年06月25日 地蔵堂から氷ノ山(18回目) [地形図2万5千 氷ノ山] 先週はN君と何年かぶりに、鹿の背に鯖を釣りにいった。釣果は、大型の鯖2匹・ガシラ3匹だった。また次男の大学から帰ってきて、インターネットの設定をやってくれた。これで山登りの情報をゲットできるし、近日中にホームページを開けるかもしれない。今日の天気確率は0%、但馬御崎浦海岸に行きたかっが、長年の感で風が出ず、視程が落ちると判断して、氷ノ山に登ることにする。地蔵堂のコースは久しぶり、32度以上で日の射す駐車場を出発する。今年は少雨で親水公園の滝も迫力にかけている。まだ取り付きの道は夏草が繁っていたが、布滝からはいつものブナの美しい登山道になる。 汗だらだらで地蔵堂に出るが、誰もいなかった。水平道になり、杉林の下草にウワバミソウ、色褪せたササユリも見られる。「木地屋跡」の水場、弘法清水上部の谷の水場でも水が得られ、氷ノ山越えまでに5組のパーティーを抜いて、快調に氷ノ山越えに着く。地蔵様が見守る峠には誰も居らず、氷ノ山山頂が日射のもやの中に霞んで見える。ここも少雨の影響で、いつもはぬかるむ登山道も、渇いて歩き易い。ブナの原生林帯も緑濃く、歩いていても気持ちが良い。南向きの登山道なので、物凄い紫外線を心配したが、幸いにも薄い雲がでて楽々登山だ。 平成6年に登山道の整備をしてからもう10年余り、そろそろ登山道の傷みも出てきている。18回目の氷ノ山山頂に着く。こんな暑い日でも20名以上の登山者がいる。靄って扇ノ山は見えず、青が丸と仏の尾がかろうじて見える程度、鉢伏高原さえ霞んでいた。牛丼弁当を食べて水をたっぷり飲み下山にかかる。古千年杉・ブナ林・沢のせせらぎを聞きながらの快調な下山だ。水場も2箇所とも水が流れていた。長く感じて東尾根避難小屋に着く。いつもは、ここでベンチに腰掛けて行動食と水の補給をするのだが、今日は小休止もなしで、急坂の横木を踏んで走り下って広域林道に出た。
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0651 '05年07月16日 七種レクセンター七種薬師・十字峰~七種山 [地形図2万5千 前ノ庄・寺前] 遅ればせながら始めたインターネットを読んでいると七種薬師に登山道があるという。天気も夕方まで持つようなので、さっそく登ってみることにする。福崎野外活動センターに車を駐め、10分ほど歩いた谷の林道分岐に「七種薬師」の道標を見つける。近年の登山ブームで、地元の山の会が開いた道らしく、まだ新しい標だ。15年ほどの桧植林帯に尾根に取り付く。最初はシダの繁る道だったが、2回目の尾根が合流すると、雑木帯になり広い山道となる。少し陽がさしてはいるが、一時間ほど前に大粒の雨がザーッときたらしく湿度が高く、露でズボンも登山靴も濡れてきた。600m+の分岐に着く。 分岐標があり野外センターへの下山ルートが示してある。やや西向きに歩いて七種薬師山頂に着く。前回ふるさと牧場から登ってきたときより登山者の数が増えたのか、山頂も広くなり標もいっぱいだ。西向きに鎮座する薬師像もさぞ満足だろう。今日はガスがたちこめ七種槍の秀麗な山容も薄いシルエットで見えるのみだ。給水をして縦走を開始する。西に地獄鎌尾根が見えて壮観だ。560m+鞍部に着くと分岐になる。最初が地獄鎌尾根分岐、すぐに十字峰の西尾根でそれぞれに分岐標とロープが張ってあった。 4種類のテープはつけてあるが、大きい黄色テープを拾って歩く。 十字峰から鞍部に下ると分岐、テープも下っているので歩けそうだ。前方に600m+ピークの大同心のような特異な山が見え始める。600m+急落すると人の声と七種滝の滝音が聞こえた。尖頭峰588,6mの影に七種山が隠れ、目標が見えず気が滅入る。倒木帯に入る。特に2度目は正面に山稜が迫り、テープの木も全滅で注意が要る。谷に出て登り返すと「薬師」と縦走を示す標あり。一部不明瞭なところもあるが要所々で赤い「薬師」の標があって助かる。540m+鞍部で滝からの分岐に出る。もう天気の回復も望めず、体力の消耗が激しく下山しようか迷うが、七種山までは行こうと決める。
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0652 '05年07月23日 但馬御火浦海岸 [地形図2万5千 余部・浜坂] 昨年から計画はしていたが延び延びになっていた但馬御火浦海岸(「たじまハイキング」須磨岡 輯著p102)を歩く。天気予報では一日中日射しがあるらしいので、麦わら帽子を被り、舗装道路のようなのでスニーカーを用意する。朝4時40分に加古川を出発して、余部鉄橋下に7時45分頃着く。鉄橋の塗装工事中で塗装工の若い衆が駐車場にたむろしている。用意をしていると8時になり職人がラジオ体操を始めた。予定より早く着き過ぎどうしようかと迷う。三尾のバス時刻が11時35分と13時55分の二便しかなく、今から歩いても11時35分に間に合うかどうか。まあなんとかなるだろうと歩き始める。 スタートしてすぐに余部鉄橋の全景が見えるスポット、カメラを取り出す時間が惜しく後に回す。最初はフナ虫が走りまわる海岸端の舗装道路だが、すぐに高度を上げ桜の並木の涼しい歩きになる。さんじ橋には引き水があった。御崎集落入口に着くと近畿自然歩道標がある。読む時間がもったいないので近くの家人に尋ねたが悪く、地道でなく車道を教えられて長い車道歩きになる。それでも予定の20分で御崎(余部崎)灯台に着く。歩きたかった近畿自然歩道が駐車場脇に上がってきている。空がだんだん晴れだし、灯台の向こうに水平線が見えるが、写真ではうまく撮れなかった。 ここからも若干の上りが続いたが、10分ほど進むと325mの最高点を越えたのか下りの道路になる。走る車もなく道路いっぱいを使って歩く。「魚つき保安林」の標を過ぎた辺りから予定時間に余裕が出始める。「碧林の碑」は景勝地を期待したのに、道路の開通記念の碑のようで眺望はなかった。ここからは海岸線が迫り、波の音、紺碧の水平線、砕ける波頭、間塩の山肌の緑等々感動の歩きだった。二度目の上りの道になる。今度は標高も低く、切り通しを越えると「不老の水」に着いた。品悪のオートバイが3台いて涼をとっている。岩清水と想っていたが、冷たい沢水だ。 100mほど下ったカーブから三尾の集落が見え始める。畑仕事をしているお婆ちゃんに手で挨拶をし、道路通り下って発車時間30分早く三尾に出た。バス停の標示のところで写真を撮り、さらに歩を進めてトンネル越えをし、赤碕で町営バスに拾われた。乗客はおばちゃんと二人。役場に降ろされても駅の位置が分からないので、おばちゃんについて行くが、このおばちゃん物凄い速足だった。記念に浜坂から余部鉄橋を渡りJR香住駅に出て、香住から餘部駅まで引き返す。20分ほど待って、駅上部の余部鉄橋を撮る撮影ポイントに上がり、14時03分通過の特急「はまかぜ」を撮った。
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0653 '05年08月03日 元橋から仙ノ倉山 (三百名山/189)[地形図2万5千 三国峠] 1411mの鉄塔を過ぎると、尾根伝いの道になり、南が開けて苗場スキー場が広がり、苗場山・佐武流山方面の上信国境の山々が見える。松手山からは、緩い尾根道で最初の日だからペース上げずにゆっくり登る。高山植物が咲き乱れるようになって、平標山の上りにかかる。ピンクのシモツケ草・フウロ・ツリガネニンジン等のお花畑がある。風が少し吹いてはいるがガスが濃く非常に暑い。水は1+1.5Lをもちあげたが、大丈夫だろうか不安だ。平標山に着く。後から物言わぬ男が登って来たので、シャッターを任せる。木道を仙ノ倉山を目指し下る。 4~5回木道があるが視界がないのと、たった独りの歩きで時々立ち止まる。途中の2021mピークで直角に曲がるところに「仙ノ倉山」の道標があり、そのピークを越えると再び歩道から木の階段となって方位盤のある仙ノ倉山山頂に到着した。谷川山系最高峰の方位盤のある山だから大展望の開ける山なのだろうが、今日はガスが薄くなるのを待ってシャッターを切るのが精一杯だ。展望が開けそうもないので、写真を撮って平標山へ引き返す。2021mピークまで引き返すと突然ガスが開ける。仙ノ倉山が青空に映え美しい。カメラを取り出したがもう間に合わずまた濃いガスの中に消える。 立ち止まって待つが、二度と晴れることはなかった。周囲の山々もこの現象が続き、大草原が開けたり、周囲の山々が明瞭に見えたり、とにかくめまぐるしい。地図に破線のある近道路は、自然保護のためか廃道になっているので、往路たどり食事中の登山者で一杯の平標山に登り返して、平標山山ノ家へ下る。ここも杉板の階段で整備良いが、南向きで太陽が正面で暑い。小屋を過ぎて森林帯に逃げ込むが、ここも全てステップの高い階段ですぐに根をあげる。やっと林道まで出て水をがぶ飲みする。駐車場に着く数分前から夕立がふり、 車に駆け込み込み、一時間ほどの昼寝を楽しむ。
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0654 '05年08月04日 土合から朝日岳~清水峠 (三百名山/190)[地形図2万5千 茂倉岳] さあ二日目、最大の長丁場の日だ。水上の道の駅で車中泊、朝一番にセブンイレブンで買い物をして、二度目の土合へ入る。今日もガスは濃いが、感では天気はだいぶ持ち直して来ている。土合駅の駐車場に車を駐め、身支度をして、登山口の橋を渡って尾根に取り付く。 昨日の階段とは違いここは原生林の木の根の急登だ。時々左に窓が開けて、百名山の時登ったマチガ沢や一ノ倉沢とガスがかかったトマの耳が見える。一度斜度が緩み左手から滝の音。また急登になり台杉(1162m標示)が現れる。再度斜度が揺るぬが長くは続かず、また急登になって軟石の溝の深い急登となる。 風が全くなく登山道脇の木の葉もピクリとも動かない。七分ズボンの裾まで汗が透っている。試しに搾ると汗が滴り落ちた。低木帯になり松ノ木沢ノ頭に出る。さっき追い抜かれた男単行者がいたので、小ピークを2つ登った岩場で休憩をとる。足元左手の岩の窪みに水を見つける。細いが冷たくて、ここで水3Lは貴重だ。途中、早くも下山いてきた男単行者と立ち話して白毛門に着く。吊尾根の向こうに笠ガ岳と大烏帽子岳が見える。行ける所まで行こう。また力が漲る。笠ガ岳に着くと天気が悪くなって、朝日岳も見えず、行けるかどうか心配になるが、北直下に避難小屋が見えている。 覘き込むと畳とマットレスがあって万一の時はビバークできそうだ。再び力が漲り歩き出す。大烏帽子を越すと天気が良くなって、石仏のある朝日岳山頂に着いた。嬉しくて石仏の頭を撫でる。朝日ノ原湿原からの下山路は日が射しまた暑い暑い下りになる。南から快い沢の音。熱射で霞んでいた送電線鉄塔を廻くと清水峠に着いた。どうも電力会社の送電線以外に、上越新幹線の送電線があり、建設当時の小屋が避難小屋として残っているようだ。土樽への下山道を確認して旧国道の水平道を歩く。13時10分唐突に朝日岳方向で雷鳴が響く。昨年の国師ヶ岳での嫌な落雷の思い出が脳裏を過る。 2~3キロ離れているが、30分もすれば落雷がここの来る。鉄砲尾根を越すと閃光が光り、雷鳴の波動を感じるようになる。雨が降り出した。各沢で水が得られるのでペットボトルを水場に置き、リックの上から雨具を着る。武能岳の頂上部でも落雷が始まり、潅木帯を出るとストックに落雷が心配で引いて歩く。夕立は1時間は続かないだろう。やっと白樺避難小屋に転げ込む。雨が小止みになったので、武能沢新道の稜線を下る。もう安心だ。湯檜曾川まで下ると雨も止んだ。限界を超えた歩きで、生まれて初めて股ずれなりヒリヒリするが、土合橋まで戻ると達成感が込み上げてきた。
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0655 '05年08月05日 十字峡から越後中ノ岳 (三百名山/191)[地形図2万5千 兔岳] 水上の道の駅で夜半まで車中泊して高速清水トンネルを潜って十字峡に入る。Webで見た通りの登山口があって、ログハウス風の建物脇の駐車場に車を駐めて登山の用意をする。昨日、落雷の中を全速力で歩いた股ずれは予想以上で平地ではヒリヒリと痛む。今日も10時間以上の歩きになるから、メンタムをたっぷり塗りつけて十字峡を出発する。広葉樹の急登だが広い軟石の登山道で歩き易い。5時40分金水の水場に着く。時間をかけてたっぷり水を飲む。千本松原に出ると、北にロボット雨量計のある日向山、北に日向沢に落ちる豪快な崩れが見え、黒又沢の向こうに阿寺山がまだ高く聳える。 合目石があり、約30分毎に現れていたが、4合目と5合目は遠く急登で、途中の木に腰を下ろして給水を摂る。日射の射す日向山(5合目)に出る。避難小屋泊の男単行者が下って来て「小屋には天水がたっぷりあったよ」と言ってぐいぐいと水を飲み干した。東に頂上部ガスが残る中ノ岳が見え、それに至る尾根に小天正が行く手を遮るように聳えている。「生姜畑」と呼ばれる湿地帯から鞍部に出て、小笹の上りにかかる。先の地震の影響か登山道の右側が崩れているところが多い。小天正の水平道で草付きに腰をかけ弁当を食べる。コウガイ沢には、まだ雪渓が残っていて、涼しい風か吹き上がる。 朝一番に出発した下山者が早くも降りてきて「池ノ段まであと20分」と言う。池ノ段に着いた。北又川から風が吹き付け、その先に頂上部がピンと尖った荒沢岳、兎岳からの長尾根の向こうに平ガ岳が見える。青空が戻ってきて、高山植物の咲き乱れる稜線を中ノ岳へ急ぐ。方位盤のある中ノ岳南峰に着く。コバイケイソウが咲く北峰に赤い屋根の避難小屋が見え、その北に越後駒ガ岳が大きい、その西には五竜岳に続く縦走路も見える。このままでは水が続かないので避難小屋へ行く。北峰には大日如来と彫られた石板以外はめぼしいものはなく。天水を1L戴き南峰へ引き返す。 静岡深田クラブの会員と名乗る単行者がいて、明日毛勝山に夏登山道に挑戦すると話す。話は尽きないが、昨日までの落雷のパターン見るとこの山頂に居れる時間もあと少しだ。12時に日向山、14時までには十字峡に下りたい。写真を撮って男と連れだって下山を始めるが、昨日の疲労がどっと出て小天正からあとは付いていけない。また独りなって暑い長尾根を下る。日向山に出ると今日も中ノ岳に濃いガスが出始める。森林帯に逃げ込んだが、4合目から予想通り正面から太陽を浴び、がくんと下山スピードが落ちる。もう落雷も夕立も心配なくなった。何度も休憩を取りながら十字峡へ下る。
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0656 '05年08月06日 八海山ロープウェイ山頂駅から八海大日岳 (三百名山/192)[地形図2万5千 八海山] 前日に下見すると、新開道コースの登山口「笹倉」からロープウェイ山麓駅の間は、祓川本流が流れており、徒歩で1時間弱の距離がある。14時頃にこの舗装道路を歩くのは、体力的に持たないと判断し、ロープウェイ利用での登山に決めて、山口のチェーン装着場に戻り車中泊をする。ロープウェイは8時開始で30名ほどの登山者が乗った。最初はゴンドラで居合わせた人とグループを作って歩き始めるが、ペースに乗れぬまま、女人堂に着き休憩をとる。祓川の水場は千本桧小屋の20分手前にあり、雪渓の溜まり水で少し濁っていたが、水の補給を行う。 ここらで隊列が狂ったので、高年の単行者と2人で登り始める。薬師岳に出ると、八ッ峰が千本桧小屋の奥のガスの中に見える。小屋には寄らず最初の地蔵岳の岩を登る。高倉沢方向が切れ落ち、沢の東側で舳先に立っているときにだけ涼風が吹く。時々前方開けるがどれが大日岳かわからず、まあ慌てることもないと釈迦岳鞍部で涼んでたら、高年の単行者が追いついた。男は迂回へ下ると言う。もう岩登りには飽きていたころなので、男と迂回路に下るが、てっきり大日岳に登ると思っていたこの男、さっさと千本桧小屋に引き返してしまった。一人になったうえに、ガスが濃く方向感覚が掴めない。 迂回路を5分ほど行くと分岐、ここが新開道コースとも分からず10分ほど下る。間違いに気づき、八ッ峰の縦走路まで15分かけ登り返す。東の肩に出て休憩をとっていると、ガスが晴れ東の吊尾根の向こうに高い山が見える。今度はこの山が大日岳と思い込み登ってみるが、山頂にあるはずの猿田彦の像はなく、「丸ガ岳」の頂標があった。もっと東に大日岳があるのだろうか・・・・。細くなった縦走路を10分ほど下って行くと、またガスが晴れ、この先には高い山が全くないのに気づく。水の残量からこれ以上の歩くのは困難だ。丸ガ岳に登り返して読図をする。ここが入道岳に間違いない。 遅れてやって来たロープウェイの同乗者に聞くと、迂回路下降点から西へ5分も引き返すと大日岳だそうだ。ちょうどガスが晴れ、縦走路に大日岳が見える。迂回路下降点を西へ進むのだったのか。すぐに下降点へ引き返し、鎖場を大日岳に登って迂回路で千本桧小屋に引き返す。祓川の水場近くまで下ると、心配していた雨が降り出した。水を補給して女人堂避難小屋に逃げ込む。ずぶ濡れの登山者で板の間がいっぱいになったところで、大粒の夕立が止んだ。ミスコースがなかったら、とっくにロープウェイ上駅についてたはずだ。十分すぎる休憩とれたのを良しとして、ロープウェイ上駅に引き返す。
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0657 '05年08月27日 名色から備前山・蘇武岳(2回目) [地形図2万5千 栃本] 11号台風が千葉県に上陸、台風一過の秋になる。日射しは夏と同じだが、一番の違いは、吹く風が心地いいことだ。蘇武岳に登る。実は蘇武岳は、登山を始めたころ「阿瀬渓谷から洗心台・蘇武岳('92/10/25)」で阿瀬渓谷から登って迷い、村岡側に下る遭難一歩手前の失敗をやらかしているののでいい思い出がない。が、今日は以前見つけておいた羽尻の林道から備前山に登り、蘇武岳に登って金山峠から阿瀬渓谷に下る周回コースに出来ないかと出かける。が、どうも旨くいかず、オートキャンプ場への分岐に「通行禁止」の指示標が立っているので林道には入れず、名色側に回る破目になる。 名色スキー場の下部に「蘇武岳登山道林道」の標あり、直後に「通行禁止」の立て札があるが、路面は良く10分ほど走ると三叉路の広い場所に出る。「蘇武岳6km」の標があるので車を駐める。真っ直ぐが先の羽尻のキャンフ場に続くものらしく、上部の「関係者以外立入禁止」の作業道が備前山に続くものらしい。「熊出没」の標も立てられている。普段ならディバッグにコウベルが入っているのに、遠征の時の荷がまだ整理できておらず探すがない。道幅が3mほどの赤泥の作業道で、台風の痕跡はあるものの、車も充分走れる整備の行き届いた林道だ。ミズナラ帯をひと登り斜度が緩く歩き易くなる。 杉の植林帯になり暗く全く眺望もなく、だんだん気が滅入ってくる。熊も気になり始め、立ち止まって車の鍵の鈴を杖に取り付ける。標は少ないが、各道路分岐には日高町が立てたと思える立派な道標があって随分心強い。備前山の分岐に出る。「蘇武岳2.3km」の道標に従って南に分ける。作業道に茅が蔓延り狭く感じる。5分で「蘇武岳登山口」と墨書きされた木製の標の前に出る。ここから先の作業道は使われていないようだ。取り付きは狭いが、すぐにブナ帯のよく踏まれた登山道になる。杉の暗いトンネルから開放されたのに、今度は黒い雲が立ち込め気分はそのままだ。 一度根の曲がった杉の植林に入ったが、それ以外はミズナラ・ブナの広葉樹林の稜線を歩く。滑りやすい傾斜地が2~3度あるが、フィットネスロープが取り付けてあった。道標は多いが、古く字が読めないものがほとんどで、この道もだんだん歩かれなくなってきているのが分る。下部に奥神鍋へ続く林道が見え、コルを登り返すと根の曲がった杉林の稜線になって、草地の向こうに蘇武岳山頂が見えた。夫婦が一組頂上の芝生に座っていて、備前山までスキー場を藪漕ぎしたと話す。下山は、天気がぐっと良くなりルンルン気分。涼しい風の中を、備前山に立ち寄って往路を下った。
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0658 '05年09月19日 別所高校から鹿島山西尾根 [地形図2万5千 加古川] 近頃ホームページを書くのに一生懸命で肝心の山に登っていない。明日は会社の健康診断、パソコンの画面の見過ぎで視力低下が心配だし、10日後にまた信州に遠征を計画しているので、そろそろ体を動かしておかなければ。昨夜から画面見るのを止めて、山でも登ろうと考えていたが、どうも兵庫北部は午後から雨の予報。加古川も曇りで黒い雲がかかって午後までにひと雨ありそうだ。3時間くらいの登山なら高御位山周辺の山に限る。鹿島山の西支尾根に名のありそうなピークがあるので出かける。下山口を鹿島神社の鞍部西側の別所町に決め行ってみると、「県立別所高校」があった。 下側の池脇に車を駐める。そばに大平山手旗信号の碑がある『・・・大阪堂島の米相場を姫路に伝えるのに この村から三人の人が従事していた。』と書かれている。手前の山は魚崎の金ヶ崎山と書いている。六甲山の西端に旗振山も残っているが、昔は澄んだ空気と物凄い視力があったんだなあと関心する。池の土手から姫路方向に山のすそ野を歩く。米の刈り取りをしており、真っ赤な彼岸花があぜ道に咲き、もうすっかり秋の風情だ。30分ほどで別所小学校に着く。ここから奥の日吉神社の境内西側の登山道を5分も登ると峠に出られた。登る方向とは反対側に「←忠魂碑・石室」の標ある。 進む方向にはピンクのテープが付けられているが道は悪い。先ず忠魂碑に行ってみる。点名『別所村』57.5mの4等三角点と石室跡はあったが忠魂碑はなかった。引き返してシダの道をしばらく登ると既存の道に出合う。踏まれた道も歩かれていないようで萩の木が被さり歩き辛い。少ピークを2つ越えるとPL1鉄塔に着いた。ここに佐土新側から快適な巡視路が上がって来ている。北側からパンパンとクレー射撃場からも聞こえ、谷を隔てて240m+峰が立派だ。その尾根にも巡視路があり、この谷一周のいいトレーニングコースが出来そうだ。2番目の鉄塔を越えて209m標高のピークに達する。
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0659 '05年09月25日 酒垂神社から剣蛇岳 [地形図2万5千 須田・豊岡] 昨日は豊岡「コウノトリの郷公園」ではコウノトリ放鳥があった。残念ながら出勤日で行けなかったが、剣蛇岳はこの日のために残しておいた山なので、一日遅れだが行ってみる。放鳥されたのは、全部で5羽。内1匹がすぐにコウノトリの郷に戻って、あとの4羽は、ケージから豊岡の大空に舞ったようだ。コウノトリの郷付近は、今日も大変な人手だ。酒垂神社はコウノトリの郷からほんの数分、神社前の広い駐車場に車を駐め登り始める。が、残念ながら、雲は灰色で細かい雨が降り出した。配達中の郵便屋さんに聞くと、天気はこんなもんで止まないだろうと言う。 一時間ほどの山だから、雨の中でも楽しんでやれと杖の変わりに傘をもって登りにかかる。人家が切れるとすぐに地道になり、道幅も広く砕石まで敷いてあり、木にはタグが取り付けてあった。どうせ不動堂までだろうと思いきや、なんと山頂近くまで整備されていたのには驚いた。地元の人総出で今年の7月17日整備したと記されている。水澄橋を渡り、「生望(きぼう)の道」を登り不動堂に着く。さっきまで勢いよかったのに沢も急にちょろちょろ水になった。お堂の前の縁起を読んで、お堂を左にとると急登になる。アベマキの純林があり、不動堂の直登路と合流して樋状の道を上り峠に出る。 峠には「久美浜三谷へ」の道標があり、まだはっきり分る道が北に続いていた。遠いと思っていたのに10分でススキの繁る剣蛇岳山頂に着いた。北に久美浜湾、長い砂洲の向こうに白波の立つ日本海が見える。手前に尖った兜山がひときは目立つ。南はどうか。ススキの中を歩いて南に出ると、祠はないがブロック造りの新しい基礎があり、そこからコ ウノトリで持ちきりの豊岡の市街地が全望できた。町のサイレンが鳴りちょうど昼。やはり海の見える方で弁当を食べる。 時々日も射してきて、風も涼しくまさに満足の山頂だ。下山は、ガイドの五郎岳の反射板へ行くつもりが、最初のピークを真っ直ぐ行くミスコースをしでかした。5分ほどで気が付いたが、そのまま35分歩いて北近畿タンゴ鉄道の馬地トンネル上部の稜線上の送電線(一本は撤去)まで歩いて、こさつ峠まで引き返した。山の概要は分かったが、もう五郎岳に行く気も失せ、往路を下山して、すっかり青空となったコウノトリの郷公園でコウノトリの飛翔を見届けた。
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0660 '05年09月29日 摺古木山休憩舎から安平路山 [地形図2万5千 南木曽岳] (安平路山:三百名山/193) 深夜の中央道を走り、予定通り22時に恵那峡SAで仮眠をとり、給油して4時過ぎ飯田ICを降りる。近くにコンビニなく、24時間営業の西友を見つけて食料を買い込む。照明が暗く位置を確かめようと、一度飯田駅に行き、来た道に引き返すと「大平宿」の標識を見つける。県道8号線は狭く暗いが、この時間だから人も車もいるはずもないく、ただ大平宿へ何キロと書かれた標示を追いながらひたすら走る。一度峠(飯田峠)に出て、1~2キロ下ると久々の人家の灯かりがあった。 ここが大平宿らしい。北に摺古木山自然公園の指示標識に従い東沢林道に入る。入り口から4キロほどで「通行止め」の標識があったが、ここに車を駐め安平路山の往復は不可能だから、無視して林道を走り続ける。周囲が明るくなり、車の轍がはっきりしたが、大荒れの林道だからを慎重に車を走らせる。大平宿から45分で休憩舎に着く。車が一台と60を越した男が独り居て、昨日入りましたという。「昨日登った人からの情報では、登り易い山で行程は6時間だが、笹が首まであり掻き分けて進まなければならない」「昨日は雨が降ったが、昨夜は星が奇麗だった」とも話す。 のっけから藪か。男は食事をしてから出発と言うので、最初から雨具を着ての出発だ。意に反して歩き易い山だ。摺古木山分岐まで水も豊富で、摺古木山山頂から御岳と乗鞍が雲海に顔を出している。山頂で朝の弁当を食べていよいよ笹道に分け入る。が、道が平坦で、胸まである笹の中に倒木等がないから安心して突き進むことができた。ただ笹についた雨で、登山靴はあっという間に防水が切れ靴下まで水が透った。オオシラブソの森林帯に入り、シラビソ山を越えると樹間から北が開き、明日登る越百山が見える。 摺古木山手前ピークから安平路山と思っていた山は、越百山だったのだ。 もっと籔を想像していたのにやや拍子抜けだ。避難小屋の草地に出ると安平路山が正面に丸く見る。ログハウス風の避難小屋は快適そうで、まだ水は十分なのに水場の水を飲みに降りたりしながら最後の上りにかかる。やっと籔山らしくなった思うのもつかの間、笹薮を5m四方刈り込んだ安平路山山頂に着く。眺望はまったくない。写真を撮っていると5分ほどで登山口で会った男も到着した。ここでも食事をしてから下山すると言う。え~い、ペースが会わん人じゃ。登山口に降りると、下山途中で出会った登山者の軽トラと、今着いたばかりのタクシーの4台が、この気狂い沙汰の林道の休憩舎にあった。
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0661 '05年09月30日 今朝沢橋から越百山・南駒ガ岳 [地形図2万5千 空木岳] (三百名山169・170) 安平路山を下山後、大平峠(木曾峠)の展望台で南木曾岳の雄姿を見る。木陰で仮眠し、木曽川沿いの大桑村に出て、地元の人に聞 きタイムリーというコンビニで弁当を買い込み、大桑の道の駅に入る。が、国道19号線が間近で轟音酷く寝れそうもない。結局、伊奈川ダムまで入って今朝沢橋を確認し、引き返しダムの照明のある路肩で車中泊をした。少し歩きすぎたのか快適な眠りだった。朝4時半に起きだし、真っ暗な駐車場に行き、用意したリックを担ぎすぐに出発する。一泊の予定だが、木曾殿山荘を15時に通過できたら、伊奈川ダムに下ろうと決める。 このコースはガイドと位置と時間が全く違った。越百小屋までのコースタイム6時間10分を4時間30分で登った。そんなことだから、最終水場がまだ上にあるものだと思い込み、水の補給をしなかった。福栃山の横道から北アルプス・御岳・南駒ガ岳・生涯嶺が真っ青な秋空に浮かんでいる。越百小屋に着き、越百山を見上げる。どう見てもコースタイムの30分では登れそうにない。一時間かけ森林帯を抜け、まだ霜柱のある越百山に着く。絶景!南アルプスが眼前で、富士山も塩見岳の南に顔を出している。木曾側から吹く風がとにかく冷たいので、ムースを引っ張り出し、記念撮影をしすぐに出発する。 景色も良く、縦走のコンディションは最高だ。各ピークの鞍部で小休止して食事を摂ったが、水が少ないのが気がかりだ。木曾側は風が吹き寒いが、伊那側は風下で汗ばむほどで、南駒ガ岳の上りをムースを脱いで登った。ここまで合計7名の登山者にあったが、ここら辺りを歩く人は皆危なげがない。南駒ヶ岳山頂に出ると、もう危険個所のなくなって、またも好天気の空木岳の上りにかかる。だんだんコータイムがタイトになってくる。目標の5分前木曾殿山荘に到着する。下山だ。もう迷いなく義仲の力水に下るが、途中ですれ違った男が体を拭くためタオルを水場に入れて、堰を壊して水が止まっていた。 大馬鹿者が・・怒っても仕方がない。ただ仙人ノ泉に水があるのを祈って下山を再開する。さいわい仙人ノ泉で水は得られ、暗いトウヒ帯のジグザグの下りを休まず歩き続ける。急落し北沢に出合う。すぐにウサギ平だと思っていたのに、辛い15分ほどの登り返しがあった。東川展望から急落して、林道がやっと見えた頃日没だった。ウサギ平を過ぎ、林道に出たところのプレハブ小屋の湧水を思い切り飲む。この谷は西向きだったが、蔵本分岐を過ぎた18時くらいからは、ヘッドランプが必要だった。熊でも出てこないかおっかな吃驚だったが、足は不思議に絶好調で、楽しんで6キロの林道を歩けた。
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0662 '05年10月01日 友森公園車止めゲートから奥三界岳 [地形図2万5千 奥三界岳] (三百名山165) 伊奈川ダムから19時40分頃、大桑の道の駅に戻る。予定の越百山・南駒ガ岳(一泊二日)を一日で歩いたので、さすがに食事はつくる気は起こらず、非常食に持って行った煮沸済みのサトウのご飯・さんま缶と梨を食べて、トラックの轟音もなんのその爆睡をした。今日は、最終日に予定していた奥三界岳に登る。 朝5時過ぎ起きだし、3キロほど中津川よりのタイムリーで弁当を買う。坂下から間違って県道6号線に入ってしまうが、何とか友森公園に入れた。林道が二分し右の竜神ノ滝方向に行くと、大きな林道ゲートがあった。ゲートの手前に車を駐めて、まずは登山の身支度をする。 昨日は下山してすぐ寝入ったのでまったく登山の用意ができていない。茶・リックの荷の詰め替え、汚れた衣類・地図等の整理をしていたら、すぐに小一時間がすぎる。出発してアスファルト道路が地道に変わってから、左手に大きな休憩舎が見える。上部に落差20mの銅ノ穴滝があって、行く手の広い河原に砂防ダムが見える。この先のヘアピンを回ったところに「奥三界岳」の標あった。この山は道標が少ない。一度、谷に下り小さな吊橋を渡ると、葛篭折れの急登になる。下部は自然林で、上部は古くて大きな切り株の残る植林帯だ。尾根道になって林道に出る。水平の整備された林道だ。 対岸に中腹に転げ落ちそうな岩を持つ友森山が見えるが、昇竜ノ滝まではまだ遥かに遠い。無名橋を越える真下の谷に岩肌がせり出し、石付きの木々も僅かに紅葉が始まっている。が、林道建設時の岩が放置され、深山幽谷の美しさは失われている。二度目の橋を渡ると林道はもう車で走れないほど荒れる。昇竜の滝のある林道分岐に着いた。大伐採が行われていて、その影か流れる水もチョロチョロだ。友森山方向に新しい造林小屋がある。ここからは作業道とは名ばかりの法面が大崩落した歩くのがやっとの道だ。西の本谷に回りこみ、造林小屋が残る作業道終点に着く。 裏手の木の梯子を登ると今度は首までの笹薮だ。さいわい道は広く、昨日の天気で笹に水滴はない。少ピークに出ると辺り一面笹原だ。営林署時代の森林一斉伐採地のようだ。一度、石の累々と続くイセ谷の源頭を登りつめ、そこを北に廻くと尾根に出た。ここでも間近でチェーンソーの音がしていた。尾根を右折するところに「あと40分」の標。やっと平坦な奥三界岳が山として見え始める。 ここから30分で、時々薄日のさす奥三界岳山頂に立つことができた。長い林道歩き・笹薮・どぶ道・暗い急登・見えない山容。ボロ山の要素をあまねく持つ山だが、なぜか忘れられない山になるような気がした。
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0663 '05年10月02日 里宮から南木曾(なぎそ)岳 [地形図2万5千 南木曽岳] (三百名山172) 予定になかったが、近くで登れる山は南木曾岳のみ。坂下の道の駅に出て敷地内のスーパーで忘れてきたタオル、大盛りの弁当と家の土産を買う。この道の駅は国道から離れているから静かで車中泊の乗用車も多い。昨日、一昨日と歩き過ぎたせいか、ぐっすり寝れたし、時間もたっぷりあったので十分な用意もできた。ガイドに写真のある登山口の里宮駐車場に着くとすぐに登り始める。ここは昨日の通の山とは違い、万人受けする整備された山だ。林道から登山道に入ると林野庁の『森林は水と緑のダム 豊かな森林を後世に』の杭がある。昨日の奥三界岳の惨状を見たので空々しく感じる。 喉ノ滝から谷道を離れ(金明水は涸れていた)尾根に取り付く。広葉樹林の尾根もいいが、こんな自然林の針葉樹林の尾根も珍しい。クロベ・アスナロ・高野槙・桧、種類分けることはできないがこんな大きな木がよくも残ったものだ。ちょうど中間地点の岩場に出る。ガイドの写真に鎖つきの岩場として載っているところだが、木製の階段に変わっていた。その後も岩と針葉樹の急登は続くが、カブト岩の説明が書かれた標を過ぎると斜度がゆるんで山頂の一角に入った。今日は笹の水滴ひどくズボンが濡れるし、ガスがまき視程も数100mほどしかない。南木曾岳山頂は、樹林の中でまったく展望はなかった。 暗いのでストロボを焚いて写真を撮る。そういえば朝から何も食べてない。南木曾嶽山大神の岩の裏の見晴台に上がって弁当をを摂る。本当はもっと景色のいいところ何んだろうが、ガスがまいて他の山の輪郭さえはっきりしない。10分ほどたつと南木曾山頂付近で、登山者の女の人達の声。もうすぐここに来る。なぜか急き立てられるように下山路を開始する。 ここからは笹原の平坦地でどんどん北方向に歩く。 避難小屋があり、上の原の分岐を過ぎると方位盤のある少ピークに着いた。ここも北アルプス・南アルプスそして今回登った中央アルプスが見える大展望地はずだが、残念何も見えない。無駄だとは分っていても方位盤を参考に安平路山方向の写真を撮った。一区切りついた。一度、旧避難小屋の谷に下って登り返し、最後の南木曾岳に手を振って下山再開だ。磨利支天の分岐を過ぎると緩い笹原になるが、すぐに往路と同じような針葉樹の急な下りになる。下山路分岐から林道の登山口に出ると、40人を超える団体が休止中だっだ。麓の温泉で一風呂浴びて、中津川ICから中央道に乗る。
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0664 '05年10月09日 地蔵堂から氷ノ山(19回目) [地形図2万5千 氷ノ山] 氷ノ山の登山コースで一番好きコースは、地蔵堂コースだ。取り付きからブナ林があり、適当に葛篭折れと平坦は道が、組み合わされ歩き易い。道幅も広く、登り飽きた頃、氷ノ山越えの峠があり、目指す氷ノ山の山頂部がここで見える。その後がずっと氷ノ山を見据えて登れる。三百名山で各地の山々を登ったが、この山は、登り易さでは上位の部類だし、兵庫の原点の山と言える山だ。今回は19回目の氷ノ山登山。来週に恒例の氷ノ山紅葉登山があるらしく、親水公園は下刈りの真っ最中で、駐車場も久々の満杯だっだ。紅葉に淡い期待をかけていたが、まだ2週間は早いようだ。 今年はお盆直後の台風がないうえに、例年の冷え込みがまだないせいか、まだまだ緑が濃い。昨日の雨で滑り易いのにもかかわらず、地蔵堂までに2~3組のパーティーを抜く。先週の遠征で筋肉は十分できているが、関節部が少し痛い。弘法の水付近で先行する若いカップルに並びかけるが、この二人なかなか歩くのが早い。氷ノ山越えに着いても、この二人は休まず通過した。団体と夫婦ずれなどが全部で20名ほど休止している間を通って追いかける。ブナ原生林もまったく紅葉はしていない。涼しいので歩は捗るが、昨夜の雨で登山道は、今まで登ったなかでは一番ぬかみだ。 もう抜けないと思って、仙ノ谷分岐まで登ると、男の方が先に歩いており、まだ目と鼻の先にいる。甑岩の下部で抜いてたが、酷いドブでズボンがだいぶ汚れた。これだけのコンディションなら1時間45分で登れると思っていたが、このドブ道ではこんなものだろう。19回目の氷ノ山山頂に着く。鉢伏山が見えるくらいで、北側の遠望はまったくなかった。ヘリコブターで荷揚げした木材を頂上部に積み上げている。主として東尾根と氷ノ山越えの付近で登山道の補修が始まっているようだ。山頂のいつものところで写真を撮って、東尾根へ下る。
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0665 '05年10月30日 法道寺渓谷から法道岳・行者山~もっつい山 [地形図2万5千 但馬新井] 近頃土曜日は4週続けて雨。3週間近く山に登っていない。近所のS君のホームページで「もっつい山」の山名を知り、再度法道寺渓谷に挑む。前回「法道寺渓谷から行者岳('94/07/16)」で登ったときの地形図を見ると、「あと2~3年で廃道だろう」と書いてある。あれから整備は全く行われてはないようだ。台風で谷が一層嫌悪になっていなければいいのだが。銀山湖の入口の「兵庫森林浴場50選法道寺渓谷」の標は朽ち果てているし、林道も土石流で荒れ果てている。林道の終点の丸木橋は流れ、アングルの遊歩道はひん曲がっているが、大ナメは元のままだった。 もう遊歩道もほとんど流出している。魚止め滝の難所を越えて、広いナメに出て、愛林防火の表示のあった尾根尻に着く。尾根に標も遊歩道もないが、朽ち果てた横木の遊歩道跡を見つける。杉葉の堆積で遊歩道も三叉路も消え失せているが、倒木谷の北尾根から南にトラバースして稜線鞍部に出た。地形図にマークする。読図が正しければ、ピークを一つ越すと806.5m法道寺山のはずだ。「大昭和製紙」の見出し標をたどって、JAC関西の頂標のある法道寺山山頂に着く。 これで安心。十余年の植林の生長に驚きながら登ってきた稜線の北鞍部で、また古い道標に出遭う。朽ちているがはっきり字が読み取れる。二十年以上も風雪耐え何と頼もしいことか。一度歩いた山道だから難なく行者岳に出る。前と同じように反射板のところで弁当を食べながら周囲の山々を眺める。目指すもっつい山は、西の鞍部が二重の尾根になっているのがはっきり見て取れる。弁当を食べすぐに歩き始める。もっつい山までの稜線は、尾根も広く立って歩けるし、大昭和製紙の見出し標の所々にあるが、776m分岐の東峰は南に二重の尾根、769mの岩場の下りは共に迷い易い地形だった。 鞍部岩場から数分で水が流れている谷もあった。もっつい山(点名「赤星」)に着く。踏跡を少し外したところに三角点と朽ちた杭が建っている。ここも写真を撮ってすぐに下山を始める。もっつい山から送電線鉄塔(PL36)までは、20~30年物の赤松の植林帯で、倒木があるものの、巡視路だから歩き易い。景色はPL35で法道寺渓谷の全景と360度の展望が楽しめる。646mからPL34の廻き道は、後半台風の倒木帯に突っ込み、まったく歩けなくなったので、巡視路を捨て南の植林帯を下った。法道寺渓谷を遡行するならこのコースが、読図がパズルのようでおもしろくお勧めだ。
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0666 '05年11月05日 音水林道終点から波佐利山 [地形図2万5千 音水湖・戸倉峠・西河内・岩屋堂] 4週続けて土曜日が雨がったが、今日は快晴。久しぶりに兵庫の標高1000m超える山に登ろうと波佐利山にしぼって地形図とホームページで下調べをする。総合すると、どうも踏跡もない藪山らしい。しかし読図では「はりまハイキング」須磨岡 輯著p10に載っている国有林の遊歩道の本谷を詰めたところが波佐利山への最短距離で、藪漕ぎが減らせるうえに、中央の支尾根に取り付くと復路の確保も容易だ。国道29号線の音水渓谷入口からの林道に入る。地道ではあるが、8.3Kmの走り易い林道で、紅葉が終りかけて「散り初め」といったところか。 林道終点には、国有林の「音水105林班管理歩道」周回コースの概念図があり、宍粟杉の説明板の奥に目指す波佐利山が低く頭を出している。意外と近く一時間ぐらいの距離に見えるが、熊との遭遇回避のため、コウベルを最初から取り付けて管理歩道に入る。ガイドの説明とは違い遊歩道ではなく山道に近い。10分で右尾根道へ下る分岐に出る。ここがガイドに載っている周回コースの分岐らしいが道標もなかった。ほぼ水平な道で、路肩の崩落地が一ヶ所と杉の倒木が2本あった以外は、台風の影響は感じられない。谷の支流を2つ見送り本流谷に出る。 周回コースはここから谷向こうに渡渉するが、そのままナメ状の本谷を上る。10分ほどで谷が二分したので、読図通りに真中の尾根に取り付く。少し登ると両谷とも水が涸れて、大きな宍粟杉の急登になる。踏跡などは全くないが根曲がり竹も疎で見通しが利くのに、万一を考え要所々に目印テープを取り付ける。女の人の声が聞こえるのは空耳か?。ここも10分ほどで馬の背状の尾根に出る。育ちが悪いので年代は分らないが10mほどの杉で、微かだが踏跡がある。ひょっとしたら波佐利山頂部かも。感は当たり、めりこんだ三角点と「加古川山友会」の山頂標のある波佐利山山頂に着いた。 即刻三脚を取り出して、写真の用意をしていると北側尾根から少し年をめした夫婦が登ってきた。こんな深山で人に遭うなんて思ってもいなかったが、涼しい顔で10年前に登ったから2回目だと言うからまたびっくりだ。写真を撮って弁当を食べて、周辺の山の事情をお伺いして、一足先に下山を開始する。周回コースの谷出合からは東にコースを取ったが、向谷の底からの尾根の上り分かり辛く、コースに見るべきものも少なく、西コースを引き返した方が良かったと悔やむ。
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0667 '05年11月13日 新戸倉トンネルから落折(赤谷)山 [地形図2万5千 戸倉峠] 近頃日曜日が天気がいい。今日は先週登った波佐利山山頂で会ったご夫婦が、山頂にブナ林が見えると話された落折山に登る。Webで調べると、戸倉スキー場から東尾根を登るコースと旧戸倉トンネルから県境尾根をたどるコースがあるようだが、県境尾根のコースの方が藪漕ぎが少ないようだ。旧戸倉トンネルへの旧国道には、波賀町が取り付けた通行止めの標があったので、新戸倉トンネルの兵庫側出口に車を駐め歩き始める。実際はこの旧国道は、坂ノ谷林道と接続されているからゲートが閉められる心配はないのかもしれない。 何度もここを走ったことのある旧国道は、2車線の谷側が埋められ1車線に狭められ、土石流が溜り荒れ始めている。15分ほどの旧戸倉トンネルは、鉄格子で封鎖されていた。旧戸倉トンネルの左手の坂ノ谷林道に入る。この林道は旧戸倉トンネルができるまでは、鳥取と兵庫を結ぶ主要道路だったろうから、地道だが硬く崩落などは全くなかった。鳥取側で工事をしており、資材倉庫の建つ古戸倉峠に着いた。峠には南側に15mほどの切り通しがあり、兵庫側の崩れた法面にピンクのテープを見つける。根の曲がった杉の急登で切り通しを高廻きをして、県境稜線に上がる。 県境尾根は、鳥取側は杉の植林地、兵庫側はミズナラやブナ林の自然林で冬枯れして見通しがいい。ず~っとピンクのテープが上手に取り付けられており、踏跡も明瞭で歩き易いが、1100m+ピークで直角に折れるから、特に下山時は注意がいる。ここまでピンクのテープばかりだったが、1143mの北の鞍部で青テープを見つける。疎な背高い根曲がり竹を抜けて落折山の北のピークに出る。昨年辺り地籍調査があったようで、金属製の杭が打たれていて、しかもWebに密生の藪とある尾根が幅3mで切り開かれ、連なる青テープの先に、山頂に大きなブナの木を残す落折山が見えてる。 草刈機で笹を刈っているので、茎が20センチほど飛出て歩き難いが、密生藪を漕ぐことを思えば楽チンこのうえない。落折山山頂に着く。山頂のブナの一本が切り倒されていたの残念だが、藪が広く切り開かれていて気分爽快だ。北に冷気でガスった空に氷ノ山が平たく大きい。南は笹の背が高いので360°とはいかないが満足できる展望だ。地籍調査の切り開きは、東南へ県境尾根に下っているから、きっと戸倉スキー場や音水林道の栃谷橋からも登れるはずだ。
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0668 '05年11月19日 道の駅播磨いちのみやから岡城山(宮山) [地形図2万5千 安積・山崎] 今日は宮ノ奥山と戸倉山に登ろうと国道29号線を北上するが、波賀町皆木辺りから道路が濡れ始め、引原ダムから時雨れ始めた。これでは笹薮を漕ぐのは難しい。もう狩猟期に入ったのでこの辺りで登れる山も限られる。仕方なく引き返して「はりまハイキング」須磨岡輯著p22に載っている一宮町の岡城山に登る。道の駅「播磨いちのみ」に車を駐めスポ二ックパークの水タンクに向かう。入口に「町民の森200m」の標識があり、矢印方向が判り難いが右に進むとお宮さんがあった。 なおも町民の森で導入路をつめると水タンクに出た。ここからは2m以上の立派な登山道が頂上まで続いていた。どうも21年毎に催される「一つ山大祭」に関係があるらしい。途中ベンチのある展望台を過ぎてすぐに、登山道を外して下刈りをしている尾根を登ると大岩に出る。その下部に小祠があるが、この祠がその大祭で伊和神社から担ぎ上げられたものらしい。どの岩も丸く、尾根に乗っかかる感じで、地震でもあると転げ落ちそうだ。再び登山道に出てひと登りで岡城山に着く。 山頂に三角点はなく、本丸跡の一番高い岩に「道の駅完成記念登山」の山頂標が建っていた。見晴の良い山で四方ある谷の全てが見えて、戦国時代この城が要所に位置していたことが判る。ガイド通り染河内にふたこぶの行者山や暁晴山・東山・黒尾山まで見える。西には白倉山が大きく岡城川の先にはPLの送電鉄塔が見るから、あれが夢前最高峰の977m峰(黒滝)のはずだ。大きな送電線があるから三辻山・白倉山の縦走も可能だろう。 まだ時間も早い、きっと北東稜の鞍部にも下山路があるだろうと踏跡Bを北に下る。良い踏跡が500mの鞍部を越えてもあったが下山路はない上に、近郊の山に猟犬が入っているようで落ち着かず、鞍部から岡城川側の杉の植林帯を下る。急登で踏跡もなかったが、台風の倒木帯があったので、岡城山側にトラバースすると地滑り帯が林道手前まで続いていた。少し危ないがこの溝地を下る。暗い林道に下りつき大師堂に出て、八十八ヶ所巡りの石仏をたどると中山古墳に出られた。天気がめまぐるしく変わって細かい時雨が降り出したので、北のトウヒの大木の根元に座って弁当を食べた。
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0669 '05年11月23日 宮ノ奥山と新戸倉スキー場から戸倉山 [地形図2万5千 戸倉峠] やはり谷に踏跡Aがある。少し入ると切り開きがあり、青いテープが取り付けられているではないか。例の地籍調査の切り開きだ。ラッキーラッキー8分で宮ノ奥山三角点に出られた。天然杉が点在し意外と広く平坦な場所で、航空測量のためか木が何本か伐採されていた。波賀町周辺の山に登るのなら、地籍調査をしているからこの2~3年が楽に登れる。ヤマメ茶屋に下ると地籍調査の人がおり、宮ノ後山の登り方を聞くと宮ノ後山林道から切り開きをしたと教えて貰らえた。 戸倉山へ ①新戸倉スキー第二リフト⇒②リフト中間駅⇒③戸倉北峰⇒④戸倉山⇒①新戸倉スキー場第二リフト スキー場の施設がこの中腹に点在している。戸倉山には直接行かず、景色の良さそうな北のピークに行ってみる。スキー場だから見晴し抜群。東が開けて、藤無山が大きい。地形図を取り出して等高線と地形を見比べる。まだ未踏峰の道谷奥山も林道と山頂の地形がよく判る。北ピークの着く。樹間から雪を冠した氷ノ山が見え、宮ノ後山も山頂部が見える。微風が吹くが陽射しが強く暖かい。戸倉山へスキー場の稜線を歩く。すっかり葉を落としたクヌギの間から 落折山の長い稜線が見える。戸倉山三角点は最高点の物置小屋の南の杉の植林の中にポツンとあった。
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0670 '05年11月26日 法華谷川地蔵橋から法華山 [地形図2万5千 笠原] 本当は波賀町の宮ノ後山に登りたかったし、登れただろうが、狩猟期でもあるのと楽しみは来年に残しておこう思い、今日は近郊の山.、法華山に登る。法華山は旧志方町・姫路市と加西市の境にあって、山麓に西国二十六番札所一乗寺がある。一昨年「近畿自然道、一乗寺~志方高速道口、'03/11/08)」で、近畿自然歩道の一乗寺旧参拝道を志方の七つ池まで歩いた。そのときで、一度登ろうと賽の河原まで上がったが、取水設備より上部は藪で運動靴では無理なので断念した。志方の畑バス停の法華谷川橋に架かる地蔵橋に車を駐め歩き始める。青空で天気最高、いい登山になりそうだ。 今日はこんな小さな山は行き当たりばったりの登山が面白と思い、下調べもせず地形図も持ってこなかった。地蔵橋にお堂のような建物があり目指す法華山が見える。時々車の走る喉かな道路を歩くと、近畿自然歩道の案内板があり、左手の歩道を進むと円光橋という橋があった。尾根が延びておりここから登ってみることにする。最初は低い雑木で疎な下草で歩けたが、支尾根に出るとシダが膝下まで繁り、歩き難くくなる。踏跡もないが、これが結構楽しい。ただ枯れた雑木の小枝が襟から入り込み不快いえは不快だ。第一ピークを越えると細尾根なり岩地に出た。 北の涸れた池の向こうに巨大アンテナの建つピークが見え、池の谷は紅葉で赤く染まっている。稜線は相変わらずのシダが密生地だから、池側の岩地にトラバースを繰り返しながら第二ピークまで登る。第二ピークからははっきり踏跡があり踏跡通りに歩くが、この10年ほどは誰も歩かれていないようで、樹木が密生してなかなか前に進めない。幸いなことにイバラはなく、歩けるところを選んで歩いているうちに、三角点と鳥獣保護区の赤い立て札の立つ法華山山頂に着いた。薄く踏跡が残るだけで名の割にはひと気のない山頂だ。弁当は一乗寺まで下ってとることにし写真を撮って下山する。 一乗寺側への下りは踏跡Bでシダが繁っいる。イバラが混じるが長くは続かず、10分ほどで谷に出て、5分ほどで一度来たことがある高架タンクに出られた。ここからははっきりした登山道があり賽の河原に着く。人でいっぱいと思いきや中高年の夫婦のゆっくりと散策しておられる。一乗寺境内にはシイ・カシ等の高木の天然林となっている。また、伽藍は全体が杉の大木に覆われて全く下界から隔絶されていた。国宝金堂や三重塔を見物し、名残の紅葉を満喫する。
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0671 '05年12月03日 長楽寺から大藤山~高山 [地形図2万5千 笠原・加古川] 天気がいいようなので近郊の山で、「播磨 山の地名を歩く」播磨地名研究会編p24の加古川市に載っている大藤山に登る。地形図を見ると、巡視路はあるものの高山まで足を延ばすとなると地形が複雑そうだ。長楽寺の階段の取り付きに西に向かう地道の作業道があり、そこを詰めると5分ほどで林道終点になる。ここに「大藤山登山口」の外れかけた杉の板の道標があった。尾根道も踏跡も薄く、テープが無秩序に取り付けられているから歩き難い。もう2ヶ月ぐらい雨が降らないから、道も硬く埃っぽい。笹が混じる雑木帯で岩地も現れると間もなく大藤山西峰に着いた。 西峰は、平坦な切り開き地形で古い遺構跡のようだ。黄色の大藤山の頂上標があるが、三角点峰はここから5分くらい東に行った笹薮にあった。西峰に引き返して高山へ縦走開始。こちら側の道のほうがよく、10分強で送電線鉄塔(PL44)に出られた。この北にもう一つの送電線路があるがPL40分岐までは、この巡視路を歩く。PL42の両側に西牧からの峠がある。東側の峠はまだ歩かれているようで広い道、西の峠から250m+の大崩れした山肌が見える。 三角点204.3m北まで南進して、北に歩いてPL41に着く。展望はない。判りずらい地形だが、巡視路どおり西に下ってひと登りで、PL40分岐に着く。新幹線PL42までは巡視路は無いが、やっと展望が広がり大藤山方向が見える。新PL42からは、三角形の260m+峰と目指す高山が見える。吊り尾根が美しい。巡視路の下り口の北尾根を見ると細いがはっきりした踏跡Bがある。ここにも曲輪跡のような地形があった。低い赤松とシダの繁る急登で西に増位山が見える。巡視路の杭が打たれた260m+ピークに着く。テープもここまでだったから新幹線建設の時のものだろう。 吊り尾根へは、少し引き返しぎみに西に進む踏跡Bがあった。高山へは市境を北に進むとまたどこからもなくテープが現れる。疎な枯れかけた雑木の尾根を下りぎみに進み、また上ったピークを西に進むと判り難い合流地点に出て、数分で高山山頂に出ることができた。三角点と測量杭に括り付けられた山頂標があるだけで展望はない。下山は吊り尾根の鞍部まで下り、暗いカシの谷を適当に下る と涸れた谷に出れて10分で新PL42から巡視路に出合うことができた。
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0672 '05年12月10日 加古川陸上競技場から天神山城跡・神吉山 [地形図2万5千 加古川] 市街地に近い山だから駐車場がないだろうと、陸上競技場の駐車場に車を駐め歩き始める。真北に志方八幡宮の社が見え、その西側に天神山城跡が見てとれる。今週も冬晴れで山歩き日和だ。山靴を履いゴツゴツと歩くのも憚れるので、スニーカーを履いて歩く。大池の交差点を左にとり、道路とおり進むと志方中学校があり、校庭からサッカー部の元気のいい声が聞こえる。学校を分けるように八幡神社への鳥居がある。大宗の野池に天神山城跡が映っている。写真を撮って、村の中に入って最初の道を北に進むが、レンガ積の門に着き当たる。近くの家人に尋ねると工場跡だそうだ。 そこから天満宮はすぐで、左側のブロックの道をつめると赤松氏範の供養塔らしきものがあり、左手の落ち葉の積もる踏跡Aを急登して15分で天神山城跡に着いた。広い平坦な遺構があり、古墳跡か大きな石積もあったが、展望はまったくなかった。北に大手の道があったようだが、もう藪の中に消えている。滑り易い道を天満宮まで下り、門前の道しるべを東へ歩き竹林を抜けると趣ある道になり、峠を横切り志方八幡神社に出る。播州平野が開ける。お参りを済ませ、再び陸上競技場まで戻る。ちょうど「加古川市民ロードレース」が開催されていたので、メインスタンドに座って、観戦しながら大休止をとる。 東に神吉山(宮山)がどっかと見える。40分ほど小学生の立派な走りを見て、北のサブトラックの下部にある池に下ると、旨い具合に神吉山への遊歩道が整備されていた。よく歩かれた硬い道で大きく南に廻りこむと、山頂広場に三角点のある神吉山(宮山)着いた。ここも播州平野が全開だった。ポカポカで微風が吹き気持ちがいい。東に平荘湖周辺の山々が見える。もっと登りがいのある山に登りたいが、今年中は加古川近郊の山を登ろと決めているので、地形図を取り出し見比べながら弁当を食べた。加古川市民ロードレースも終わったのか静かになった競技場に戻る。
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0673 '05年12月17日 高砂運動公園から伊保山~竜山 [地形図2万5千 加古川] 明日から寒波襲来の予報、今朝も起きると12月だというのに淡雪が庭に残っていた。藪道は濡れそうだし、午後から天気は悪い予報だから、遊歩道のありそうな竜山(たつやま)周辺の山に登って「ふる里の山名復活」松本文雄著 関西シービーに記載されている山名を探すことにする。高砂の総合体育館前に車を駐めて西へ歩く。すぐの法華山谷川に架かる生石橋を渡るともう生石神社か見え始める。橋の欄干に古ぼけた「竜山ハイキングコース」の標があった。突き当りを左に折れると、こんな平野部ではめずらしい勾配のきつい階段があり、ひと登りで生石神社に着く。 改修工事をしているようで、コンクリートミキサーだのダンプだのが上がってきて少し騒がしい。本社裏で御神体の「石の宝殿」を拝見する。渇水中か岩の基部が見える。大きな台座を横向きに切り出し中に中断したように思える。裏山に向かって一枚岩に削られた階段があって、そこを登ると宝殿山、「大正天皇・・」の標と冬晴れの真っ青な青空の向こうに高御位山が神々しく聳えているのが見える。改めて竜山全体を見回すと三つの山で構成されており、この山と南に竜山、最高点はこの西にあり、これが伊保中山らしい。野池を隔ててこの山に向かい岩地に細い踏跡が見えている。 宝殿山の北から野池に下り踏跡を登る。疎な背の高さほどの松やハリモミの急登で、景色はいいがよく滑る。前ピークの平らな山が高坪山らしく、砂地でどこから上がったかトライヤルバイクが轍がある。行く手に伊保中山が威圧のある岩肌を見せる。すぐに藪になる。右手の山が、二番目に高い山だから大谷(中筋)山だろう。5分ほど藪を漕いで山頂に行ったが、石切り場の切り羽に出て後が続かない。少し引き返し、今日最高の危険個所の馬の背にかかる。両側が石切場で30m切り落とされ1mの幅、おまけに草付で20度ほどの傾斜を15mほどの上り、落ちれば最後だなと覚悟して慎重に登る。 やっと伊保中山に出る。20m平方の草地で見晴しがいい。ここが伊保中山(112m)なら、この東尾根のピークが伊保西山か・・?。時間も早いので伊保西山を下ってまた登り返し、草地に座って行動食を食べる。さあ西尾根で下山だ。山全体が石切り場でどこも一歩間違えば転落の油断ならない踏跡だ。一旦公園墓地から道路に出て、生石神社まで引き返し、南側の一軒家の左手の遊歩道を南に歩き竜山三角点に行った。三角点のそばに古墳群があり、郷土史家が愛好家を集めて何やら講義の真っ最中。 空が曇り始め、道なりに高砂運動公園へ戻ったときには、また冷たい時雨が降りだした。
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0674 '05年12月23日 平荘湖湖畔の山 [地形図2万5千 加古川] 昨日12月には珍しく3cmほど雪が降った。まだ雪が残っているかもしれないが、日曜日には全国高校駅伝のTV中継があるので今日を登山の日に当てる。前回「日岡神社から城山・飯盛山・焼山('03/06/03)」で飯盛山と升田山を登った後に手に入れた「播磨 山の地名を歩く 播磨 地名研究会編によると、そのとき別当谷から登った105.2m峰は、升田山ではなく焼山らしい。升田山は西方の東西に長い最高点(92m)のようだ。道が良さそうなので出かける。行く道すがら慣れない雪で、道端に車2台が落ちていた。平荘湖周回道路は、たくさんの方がウォーキングをしている。 自然の家の東の駐車場に車を駐めて身支度をする。一度、黒岩岳方向の西へ行きかけるが、一筆書きならやはり時計回りだと一ッ山に向かう。雪が僅かに積もり気持ちがいい、一ッ山は平荘湖の出島だからわずか5分ほどで頂上に着く。切り開かれた平坦な頂上で東が開けて平荘湖全体が見渡せる。平荘湖は周囲4.8kmの工業用水用の人造湖で、若いとき職場の駅伝で走ったことがあるが、まだ一周したことがない。県道を分け長い堰堤を歩くと前方に、高圧線の鉄塔のある嶽山が見え始める。巡視路に行こうと嶽山北の鞍部に行くが、途中からいい道が北にあり入ってみる。 どうもトライヤルバイクの練習コースらしく、最高点に出ると道が切れ5分ほど雑木を漕ぐ。ここで巡視路に出合って「地蔵寺3号墳」と書かれた道標を過ぎる岩のテラスのある嶽山の西峰に出た。加古川の向こうに雪が積もった瓦屋根の家々が見える。思いもしないアングル梯子を昇るとまた墓地への下り道、裏手からまた堰堤に戻る。今度は焼山の岩峰が前方に拡がる。一度登った焼山への登り口は、弁財天神社南側の切り通しにあり、いい按配に細い登山道があった。 ここも先週登った竜山と同じように石切り場のようで、東側が切れ落ちているので、景色が抜群。岩陵に雪が2~3cm積り気持ちがいい。焼山山頂からは、西へ一度歩いた登山道を別当谷に下り、道標の「少年自然の家」へ進むと升田山古墳群と書かれた東西に長い升田山に出た。笹に雪が残りズボンが見る間に濡れる。また堰堤に出て、東神吉へ下る県道に出ると黒岩山への道標があった。やっと広い登山道を登る。雪の解けた道を眼下に拡がる平荘湖と播磨平野のパノラマを見ながら登ると、湿ったズボンも黒岩山までには乾いた。
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0675 '05年12月31日 中山熊野神社跡から権現山 [地形図2万5千 三木] 株を売って、デジカメを買ったので、今日からデジカメ(PENTAX istDL(レンズDA18-55mm f3.5~f5.6AL)’05年12月28日神戸元町カツミ堂で購入)に切り替える。今日は大晦日で今年最後の山登りだ。家の掃除もあるので一時間ほどの山だったら、権現ダムの西に聳える権現山はどうだろう。カメラの試運転を兼ねて登ってみる。この山、志方城山からは遠いし、高圧線は中腹までで、まともな道がなければ藪漕ぎを強いられるかもしれない。まずは権現山の東、地形図の神社マークに行ってみる。2回歩いた権現ダムの周回路には「中山熊野神社跡」の石碑があった。 そこから50mほど北にいい按配に鉄塔の巡視路が上がっているのを見つける。シダの繁る急登の巡視路で10分弱で、高圧鉄塔に出る。平荘湖が眼下に見えている。さて道はあるか。赤いテープが所々にある踏跡Bを見つける。何度か見失うが細い踏跡が低い松を縫って続く。やや南に廻り込むと、何と予想もできなっかった整備された道に出合う。テープもちゃんと取り付けてあって、左(西)側に5分で権現山山頂の四等三角点に出られた。まったく展望はないが、遊歩道があったのがうれしい。遊歩道は志方 (中道寺)城山に続いているようだ。 今日は時間がないので、下山地点を確かめるだけにしよう。登ってきた踏跡の出合からは、この広く整備の良い道も急落する。下刈りはされているが、本当に急な坂だから木に縋りながら権現ダム湖周回路に下りつく。下ったところにカーブミラー「1856」がある。この遊歩道は城山まで続くのか?一度正月明けにでも歩いてみよう。これで今年の山登りも終わった。梅雨期までは五十肩に悩んだが、今はすっかり良くなった。三百名山も197山、兵庫の山は640山まで伸ばことができた。来年は、目標だったホームパージを開設するので、山に登る時間がすこし少なくなりそうだ。
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