
「 姫街道を歩く 」 は平成二十一年(2009)の六月から七月にかけて、三日かけて姫街道を歩いた道中記である。
姫街道は、磐田市の見附宿から愛知県の御油宿までの十五里四町(約60km)の東海道の脇往還である。
東海道にある新居の関所が、江戸から下る女性に対して厳しい取調を行ったので、それを避ける女性がこの道を利用した
ことから、この名前が付いたといわれている。
| @見附宿から池田の渡し(クリック下さい) | A池田の渡しから三方原追分 | B三方原追分から気賀宿 | C気賀宿、気賀関所、奥山半僧坊 | D気賀宿から三ヶ日宿 | E 三ヶ日宿から嵩山宿 | F 嵩山宿から御油追分 |
◎ 秋葉街道
秋葉街道は、遠州街道ともいわれるが、三州街道飯田八幡宿(飯田市)を起点とし、遠山郷を経て、秋葉神社に通じる道である。
遠州と善光寺を結ぶ信仰の道であると同時に古来からの塩の道でもあった。
江戸時代中期から秋葉信仰が盛んになるとあきばみちと呼ばれるようになり、明治に入ると秋葉街道となった。
| 秋葉街道 |
◎ 三州街道
三州街道は中山道と東海道を結ぶ脇往還である。 この道は中馬(ちゅうま)で荷駄を運ぶ通商の道として盛んに利用された道なので、中馬街道という名もあり、 また、三河湾で取れた塩を運ぶルートであったので、塩街道とも呼ばれた。
| 三州街道(中馬の道) |
◎ 伊奈街道
伊奈街道は三河から塩運ぶ中馬街道として有名であるが、飛鳥時代に始まる東山道がベースである。
幕府指定の道ではないが、飯田藩の参勤交代の道として、中山道の塩尻宿から根羽宿まで十六の宿場がある道として整備された。
| 伊奈街道 |
◎ 北国街道(善光寺道)
北国街道は北国脇往還ともいい、中山道の追分と北陸道の高田を結ぶ三十五里の道である。
途中に善光寺があるため、善光寺への参拝客が多くあり、そこまでの道は善光寺街道とか善光寺道と呼ばれていた。
| @追分宿と小諸宿 | A海野宿と田中宿 | B上田宿 |
◎ 大平(おおだいら)街道
大平街道は中山道の妻籠宿と伊奈街道(三州街道)の飯田宿とを最短で結ぶ街道である。
この街道で唯一の宿場は大平宿だったが、明治維新後、飯田線の開業により、この街道を通る人はなくなっていった。
| 大平街道 |
◎ 野麦街道
野麦街道は飛弾高山と信州松本を結び、古くは鎌倉往還として栄えた街道である。
江戸時代にはぼっかや岡船が通う交易の道として、鰤などの貴重な海産物を運んだ。
明治時代に入ると諏訪地方の紡績工場に働く女工達が歩いた道でもあった。
| 野麦街道 |
◎ 権兵衛街道
権兵衛街道は、木曾谷の楢川村と伊奈谷の伊奈市を結ぶ街道である。
木曾谷と伊奈谷を結ぶ道が貧弱で、回り道をしていたのを古畑権兵衛が5年かけて新道を開通した。
彼の名をつけて権兵衛街道と呼ばれるようになった。
| 権兵衛街道 |
◎ 裏木曽街道
裏木曽街道は国道256号、国道257号の中津川から下呂間の道で、南北街道ともいわれたようである。
この沿線は尾張藩の木曽五木を産したところで、木曽五木は筏により川を下った。
| 裏木曽街道 |
◎ 郡上街道
郡上街道は中山道の加納宿から北上し、郡上八幡を経て、白鳥から越前大野に抜ける道で、越前街道と呼ばれることもある。
| 郡上街道 |
◎ せせらぎ街道
せせらぎ街道は国道472号に付けられた愛称であるが、郡上市八幡町から高山に至る道である。
江戸時代には郡上街道とか清見街道と呼ばれた道だが、沿線には当時のものは残っていないようである。
| せせらぎ街道 |
◎ 会津街道
江戸から会津に向かう街道はいくつかあった。
奥州街道(陸羽街道)の白河宿から会津若松に通じる道を、江戸幕府は脇往還(脇街道)と公認し、会津街道と呼んだ。
会津の人達が白河街道と呼んでいる道だが、途中の勢至峠越えがかなりの難所だった。
それに対し、会津の人達は南山通りと呼び、栃木県では会津西街道と呼ばれる街道がある。
他にも街道があるが、白河みちと会津西街道が双璧だった。
| 会津西街道 | 奥州白河・会津みち |
◎ 例幣使街道
例幣使街道は御所から御幣を日光東照宮へ遣わす勅使が利用したことに由来するが、江戸幕府は重要なルートとして道中奉行のもとで管理していた。
京都から中山道を利用して上野国倉賀野宿に至ると中山道と別れるが、そこから日光街道の今市宿までを例幣使街道と呼ぶ。
| 例幣使街道 |
◎ 伊豆西海岸の道
伊豆西海岸を走る国道は国道136号線である。
この道は静岡県三島市の国道1号線南二日町IC交差点から南下し、伊豆長岡、修善寺を通り、出口交差点で西に向かい、土肥峠を越えると、伊豆市土肥で伊豆半島の西岸に出る。
そこから伊豆半島西海岸を南下して、最後は下田市に至る道である。
| 伊豆半島西海岸の道(国道136号) |