野遊び回想録


その1 「魚つかみ編」

季節は夏の終わり、まだ秋の気配は無い頃です。奥尻高校一年の私は、1人でキャンプに出かけました。
目的地まで行く為に途中まで自転車で行き、あとは歩きです。道路脇に自転車を隠し、そこから
海岸に下りるまでは、急な細い道を草や木に掴まりながら滑り落ちるようにして進むので
荷物は必要最小限にしています。海岸に出てからも大きな岩がゴロゴロしています。
岩が大きすぎるので回り込んで歩く為、なかなか目的地までの距離を稼ぐ事ができません。
3〜4時間も歩きます。こんな、たいへんな思いをしてまで行く本当の目的は、川での「魚つかみ」です。
だからテントも寝袋も歯ブラシも持って行きません。リュックの中身は、食料のパンと海苔巻きご飯(ご飯に
しょうゆをたらし、のりで巻いたもの)と塩、マッチ、手ぬぐい、ナイロン袋、ちり紙、上着、ナイフ、ローソク、
位だったと思います。 海岸を歩いていて、小さな岬の突端に来ると、次の岬が見えます。
何回か岬を回りこみ、やっと近くの目印である海に突き出た奇岩が見える所まで来ると、
期待で心臓の鼓動が速くなるのがわかります。

その川は突然現れます。岩の下を川が流れていて、その場をちょっと離れると流れが見えなくなってしまいます。
川の流れが大きなゴロ岩で隠れてしまうのです。当然、浅くて小さな川です。
その川の海岸部分、あるいは浜、と言う部分は短く、50メートルも無かったかと思います。
ですから、波打ち際から草木が生え始める山の部分までの、ゴロ岩の浜部分は、
魚つかみは出来ません。手を入れる部分が深いからです。上流に歩き始めるとすぐに、
水の溜まり場ができています。草木が覆いかぶさり、薄暗くなってきて、少し大きめの溜まり場に着くと
岩と岩の間に頭を突っ込み、尾びれをヒラヒラさせたアメマスが見えます。大きめな水溜り、と言っても
1平方メートルくらいのもので、小川と言えば小川なのです。
気配を察したアメマスは、さらに潜り込みますが、その場自体が狭いので私の気持ちには余裕があります。
でも、余裕とは裏腹に鼓動の速さは増すばかりです。そ〜っと手を差し込むと尾びれにさわり、
私もアメマスもビックリします。冷たい水のせいばかりでもなく心臓のドキドキは治まりません。
手も冷たくなり、ゆっくり対応するとアメマスも少しくらいさわっても反応が無くなります。
つかみ方は簡単です。頭の方から覆いかぶせた手の指を、両側のエラに突っ込み、つかむのです。

岩が大きいと逃げ込む隙間もそれなりに深く、エラまで届かない事があります。その時、尾びれを
親指と人差し指の爪でつまんで、そっと手前に引っぱり出そうとしたりするのですが、
成功率は極めて低いものです。しょうがない時は時間はかかりますが、小石を周りから少しづつ詰め込んでいきます。
さらに、息を止めて顔も水につけて手を差し込み、何度か挑戦し、やっとの思いでつかむ事が出来た時の
感動と自己満足と達成感は、しばらくの間は、チョー気持ちいい余韻に浸ることが出来ます。
銀色に光ったその姿は大変美しいものです。体長50センチもある、そのアメマスは降海型なので、
もっと大きくなる事ができたはずですが、運良く私に食べられることになってしまいました。
アメマスは岩魚と同じサケ科に属し、別名エゾイワナと言ったりもしますが、イワナと違い2枚に下ろしたその身の色は
きれいなサーモンピンクをしています。味は鮭や本鱒には及びませんが、なんのなんの私は大好きです。
この川で2匹のアメマスをつかみ、さばいて塩を振り、一晩吊るして干しました。この日は、火を熾すのが面倒だったので
夕飯は持ってきたおにぎりだけで済ませました。

ここの川から、もう少し歩いたところに、3軒の空き家が建っています。
1軒はもう朽ち果てていますが、2軒は、まだ十分に使える小屋です。
そのうちの1軒に入ると、少しばかりの食器類が置いてあり、まだ少し燃料が入ったランプも吊るしてあります。
家の中の真ん中の空間に大きな物が吊るしてあります。引越し用の布団袋に入った布団が
湿気ないように吊るしてあるのです。 今日の寝る場所は確保できたので周辺の調査に出かけました。
海岸から岩が20メートルほど突き出ていて防波堤の役割をはたし、天然の船着場のような形になっています。
昔は、と言っても、この時から10年ほど前は漁のシーズンになると家の持ち主たちは、ここまで歩いて来て
シーズンが終わるまで滞在して、その後それぞれの村へ帰ったとの事です。
何の漁だったのかは聞かずじまいでしたが、たぶんイカ漁だと思います。
その岩場から小屋の方を眺めてみると、平らな部分は小屋のあたりだけで、あとは山から崖や斜面になり、
すぐにゴロ岩の海岸になります。 このあたりの場所は、朝日も夕日も見られない地形になっています。
夕方はすぐに暗くなってしまいます。

そろそろ沖のほうにはイカ釣り船が発動機の音を響かせながら漁場へ向かって行きます。
この頃のイカ釣り船は、サンパーという機械を使って漁をしていました。一本の糸に15個位の
イカ専用の針が付いていて、その糸を船の上で巻き上げたり下ろしたりします。
手動で回していましたが、時機に電動で回すようになります。
船の灯りで集まったイカは、下りてきた針を獲物と思い込み抱きつくと針に引っかかるという仕組みです。
イカが付いた針を巻き上げた時に、船の上でポロリと針から外れて船の縁の溝に落ちるようになっています。

この夜のイカ釣り船は、ずい分と陸に近い所で漁をしていて、漁師の動き回る様子が肉眼でもハッキリと
見えるくらいの位置で獲っていました。 そのうち船も移動して行きました。
夜になり、月明かりも明るく自分の居る周辺はランプの光が無くてもなんとなく見渡せました。
空は星も綺麗に見えていて流れ星も見る事ができました。大きな岩に寄りかかって見ていたのですが、
見飽きる事はなかったです。いつ小屋の中に入って寝たのかは全然、記憶に無いです。
次の日、起きた時は小屋の中は薄暗かったのですが、外はとうに日が昇っていて、寝坊したような感覚で
少しボーっとしてから帰り支度をしました。 帰り掛けに昨日の川に寄って行こうと思い、
パンをかじりながら歩き出しました。 川では昨日の一匹目がいた溜まり場で、同じくらいの大きさの
アメマスがいたのを覚えています。でも、そのアメマスを捕まえずに帰宅しました。
生で持ち歩くのが面倒だったのか、あるいは、来年また大きくなって戻ってくるのを期待してたのかは
忘れましたが、その時はこのアメマスはもう他の誰にも捕まえられる事は無いだろうと言う思いもあり、
優しい気持ちで見過ごす事ができました。

帰りの道中、海岸部分の歩きは辛いことは無かったのですが、海岸から自転車のある道路まで
上がる時に左のつま先が滑り、向うずねを石に、ぶつけてしまいました。
いわゆる弁慶の泣き所ですので、痛くて、私も泣きました。
血はそれほど出ませんでしたが、とにかく痛くて押さえていた手を離すことができずに、しばらく
丸くなってうずくまっていました。 ほうほうの体で自転車に乗り帰宅したのですが、その後の手当ての
記憶と、持ち帰ってきたアメマスの事は何だか曖昧模糊としています。ただハッキリしているのは、
30年経った今でも、その時の傷が残っていて骨も少し凹んだままになっています。

私が一晩泊まった小屋は、両親が建てたものですが、この時まで何年も使っていなかったので
大分,ボロボロになっていました。今となっては北海道南西沖地震と津波で、小屋の存在自体、
どうなっているのかは想像に難くないのですが、それでも尚、川の状態や小屋の周辺、岩、等々
妙に気にかかり、思い出すことが多いのです。
これは、私の脳みそが退化してきたと言う事ではないでしょうか。
先日も何かのテレビ番組で、子供の頃の記憶は昨日の事のように思い出せるのに、
おとといの夕飯に食べたものを思い出せないのは、脳が老化してきた証拠だから
訓練しなければいけません。と言っていました。私にそっくり当てはまります。
あまり認めたくはありませんが、こっそり訓練してみようと思っている今日この頃です。       終わり。


その2 「キノコ狩り編」

私が麻丘めぐみの大ファンだった頃のお話です。前年に「めばえ」でデビューした麻丘めぐみさんは
可愛かったですよね〜。 この年、とうとう私は左利きになろうと訓練し始めました。
そうです。もうお分かりのとおり「私の彼は左利き」と言う歌の、サウスポーにあこがれてしまいました。
しかし、右利きの私はすぐに気が付きました。左利きになるには、ちょっと難しいんじゃないかな、と。
あきらめも早い中学2年の秋でした。季節はもう雪虫も飛び始めていた頃なので秋の終わりの頃だと思います。
私と福野君は、ある日の日曜日、キノコを採りに出かけました。この地方では「ぼりぼり」と言うキノコですが、
正式な名称はわかりません。(もしかしたら「ならたけ」と言うのかもしれません)
ある川をさかのぼる事、何時間か歩き、ふと、周りがひらけて明るい場所に出ました。
川の片方の斜面が広く伐採されていて、光が射していて明るかったのですが、その中のひとつの
切り株の所が黄色く見えました。私と福野君は近づいて行き、何であるかわかった時、
二人で顔を見合わせ、言いました。 「お〜〜お」。
それは「なめこ」の、かたまりだったのです。切り株いっぱいの天然の、なめこでした。
たいへん、うれしゅうございました。 あと二日、三日早く来ていたら、ちょうど良い大きさだったろうに、と
思いましたが、日曜しか来られないのでしょうがないです。
「ぼりぼり」はあちこちで見かけますが、なめこはなかなか見つかりません。
来年の為に数本を残して、あとは大事に採りました。写真は次の年の、なめこの写真です。

他に、名前のわからない白いキノコを採った事があるのですが、それを始めて家に持ち帰り、
母親に「味噌汁に入れて食べられるそうだよ」と言って作ってもらい食べた事があります。
その食べ方の情報は、どこから仕入れてきたのかわかりませんが、今思うと大変おそろしいことでした。
毒じゃなくて良かったです。作るほうも食べる方も、問題あり、の家族でした。
ところで、あの「なめこ」のある場所は、私と福野君の秘密の場所ですが、
あれから福野君はどうしているのでしょうか。下の写真は、とうとう福野君に見せないままに
なってしまいましたが、覚えているのでしょうか。 気になる今日この頃です。   終わり。   


横からの写真少し近づいた写真真上から見た写真



その3 「タナゴ突き編」

この遊びは私にとって大変ゾクゾクするような、面白い遊びです。しかも、食べても美味しいのです。
田舎の遊びは、たいてい何かしら収穫をともなう遊びが多いと思います。自然の恵みを相手にして遊んでいると
時に、素晴らしい感動を味わう事ができます。それがワクワクだったり、ゾクゾクだったりするのです。
タナゴ突きというのは、海タナゴを泳ぎながらヤスで突き刺すことです。
タナゴは、それほど深くない所(3〜4m)で長い海藻の間を泳ぎ回っています。
海底から海面までの海藻が林立している一帯を、長い一本ヤスを持って泳ぐので、海藻が絡まり
ジャマになりますが、そのような所に居るタナゴが大きいのです。 タナゴは口が小さく、鯛みたいな
平べったい魚で大きなものになると体長30センチ以上にもなります。
一本ヤスで仕留める時、狙う場所はエラより少し尾びれ側、斜め下あたりに心臓があり、命中すると
一突きで動かなくなります。下手をして腹だったり尾の方だったりすると、ちぎれたり外れたりして
魚がかわいそうな事になります。

では、私の出で立ちを説明します。
水中メガネ、シュノーケル、左手の軍手、足ひれ(フィン)、魚を入れる網を腰に結び一本ヤスを持ちます。
タナゴは音にも敏感なので、フィンは海水面より下をゆっくり歩くような感じで、漕いで移動します。
スピードを出すと、おでこの部分で波がパチャパチャ当たる音が出るので気をつけます。
ヤスの全長は2m50cm位、そのうちの竹の部分は2mちょっと、一本ヤスの部分は50cm位です。
太い針金を使っていました。簡単に手で曲げる事ができないような太さです。 ヤスの刃先の部分は、
叩いてつぶして、研いで三角形状にして片方だけ切れ込みを入れ、返しを作ります。
ヤスの根元の部分は、竹の中に10センチくらい入るので太目の綿糸を巻くかして、ある程度の太さにします。
それを竹の先の部分に差込み、固定する為にまた綿糸で巻いて縛り付けます。竹の先は少し切れ込みを
入れときます。 次に竹の根元の部分に平ゴムを取り付けます。 幅3cm位、長さ60cm位の生ゴムを
二つ折りにして、片方を固定して出来上がりです。
文章にしてみると簡単に聞こえますが、なかなかバランスの取れたヤスを作れたことはありませんでした。
竹が曲がっていたり、ゴムが長すぎても短くても不便です。固定したゴムが外れたり、ヤスと竹のつなぎ目が
太すぎたり、細すぎて抜けたり、刃先の切れ込みが深すぎて折れたり、など等、いろいろでした。
その中でも一番のポイントとしては、竹が真っ直ぐな事とゴムが抜けない事が重要だと思います。

大きなタナゴは単独で海藻の所にいたり、何も無い見通しのいい所をゆうゆうと泳いで移動していたりします。
子供のタナゴは群れて泳いでいます。形も大人と同じです。見通しのきく所にいる魚は突く事は難しいので
海藻の中に居る魚を狙います。見つけたら、なるべく正面から鉢合わせするような場面を作るために、
ゆっくりと回り込みます。 うまく回り込めて、手にかけたゴムを引き絞り、射程距離内に入ります。
魚が私に気がつき、右か左か、横を向いて逃げようとしたときを狙ってヤスを突きます。
この状態になる為に何回も回り込んだり、じっと待ったりするのですが、北海道の海は真夏でも寒く、
30分も入っていると、唇が青黒くなってきます。

浜では必ず焚き火をして体を温めますが、次に海に入って行く時は冷たい水に、なかなか入れず、
勇気を振り絞っても入れる時と、入れずに焚き火に戻ってしまう時があるのです。
一旦水に入ってしまえば、またしばらくは入っていられますが上がって来るときは、またブルブル震えて
いる状態です。 今思うと、そこまでして海に入らなくてもいいのに、と思うのですが
短い夏だからだったのでしょうか、意地になって無理にでも入っていたようです。

北海道の学校の夏休みは25日位しか無いので、その間は毎日、浜に通っていました。
いつもタナゴ突きをしていた訳ではありません。 ウニを獲る日、あわびを獲る日、ヘラガ二を獲る日、
沖の岩まで泳ぐ日、いろいろ合わさって遊ぶ日、等など。遊び方は沢山ありました。
獲ったものの食べ方もいろいろです。タナゴは普通は家に持ち帰り、塩を振り一晩置いて焼き魚にしました。
腹が空いて、浜で焚き火の中に放り込んで焼いて食べたときは、ただ焦げて生で、まずかったです。
タナゴの食べ方で思い出す限りでは、塩焼きでしか食べた事が無く、ぜひとも今度、帰省したときには
タナゴ突きをして、煮付けで食べてみたいと思っている今日この頃です。           終わり。



その4 「夕日 編」

小学2・3年生の頃、私と弟は神威脇(かむいわき)という所の叔父さんの家に世話になっていました。
叔父さんは郵便配達員をしていました。青苗で郵便物を受け取り、神威脇にバイクで配達していました。
自動車が通る道はありませんでしたがバイクは通る事ができました。雪が降ると歩きです。
私も何度か冬に青苗〜神威脇間を歩きました。ちょうど中間地点にホヤ石という所があり、
そこの川に発電所がありました。そこの職員の詰め所で一休みさせてもらいます。
凍えた手をストーブで温めると、しもやけで指先がジンジン痛くなってきて泣きながらも、寒くて
その場所から離れられなかった事を覚えています。

神威脇にも小学校はありました。1年生から6年生まで10人位いたでしょうか。同じ一つの教室で
勉強していました。どんな勉強をしたかは思い出せませんが、どんな遊びをしたかは鮮やかに
思い出すことが出来るのは不思議なほどです。
その頃、神威脇温泉は、今ある温泉施設の隣りにありました。というか、今でもあるはずです。
海岸の道路の高さから少し掘り下げた感じの所にあります。赤茶けた硫黄の温泉で海水を
含んでいるようです。当然、混浴です。階段を下りて行くと着替え所があります。
大きなオッパイを見ても驚いたり、同級生の女の子が入ってきても、恥ずかしがったりしない頃の
年頃でしたが、一つだけビックリした事がありました。当時は村の人はみんな温泉に入っていました。
叔父さんの家みたいに自宅に風呂が無かったのかもしれません。私も1人で温泉に行く事も
たびたびありました。たいていは誰かが入っていました。誰も居ない事もありました。
誰かの着替えがあるときは安心して入れますが、誰も居ないときは要注意です。
ある日、誰も居ない時に入りました。服を脱いでガラス戸を開け、洗い場に下りたとき、
スノコの下から、一匹の大きなヘビが出てきて洗い場から湯船のお湯の上を渡り、壁の岩の隙間に
逃げていきました。青大将でした。ビックリしましたが、ヘビも温泉に入るんだぁ、と思った事を覚えています。
それ以来、その大きな青大将には出会っていませんが、小さいヘビは、たびたび見かけたとの噂です。
今では、あまり、この温泉に入る人はいませんが、もし入ろうという方はご注意ください。
でも、タダですし、最高に良い温泉なので、こわごわ入ってみるのも楽しいかも〜。

その神威脇よりさらに西海岸に行った所に幌内(ほろない)という所があります。
ここにも温泉が出ています。今は、先の北海道南西沖地震の津波により全滅したところです。
たぶん、校外学習とか、林間学校とかの行事で生徒達と、お泊りした時のことです。
幌内温泉に一泊しました。そこまで行くのには、まだ車の通れる道路は出来ていなかったので、
みんなで歩いて行ったと思うのです。他の行き方は船で行く方法しか無かった時代でした。
夕方になり、宿泊所から何軒かあった家の脇をすり抜けて砂浜に出ました。
もうすでに焚き火の炎が大きく燃えていました。焚き火の周りをみんなで囲んで
何かをして遊んだのは覚えていませんが、海に沈む夕日が、素晴らしく綺麗だったのを
覚えています。真っ赤な、大きな太陽がゆっくりと海に沈んでいく様を長い時間をかけて見ました。
沈んでからも、しばらく放心状態だったと思います。
あの時以来、余韻が残るような感動できる夕日を見た事が無いのは、どうしてでしょう?
やっぱり、そうですよね。子供のときの感受性が無くなったんでしょうね、きっと。
それでも、あの時の、ドキドキする感動を味わいたい、と思う今日この頃です。        終わり。



その5 「あわび獲り編」

言い方は、あわび獲りなどと言っていますが、日本全国どこの沿岸で獲っても立派な密漁です。
今では犯罪になってしまうので、できない遊びですが、昔は適当な包容力がありました。
あわびは、一杯、二杯と数えます。私の親は唯一あわびだけは一杯50円で買ってくれたので
短いひと夏の、良いアルバイトとなりました。 一日の収穫は150〜250杯くらいになりました。
北海道のあわびは種類から言うと関東方面で言う黒あわびと同じなのですが、あんなに
大きくは、なれません。その分、味は最高の部類に入ります。 刺身は格別おいしいです。
浜で食べるときは、ほとんどは焼いて食べました。今で言う「踊り焼き」です。この言葉は私が
大人になってから知りました。 他には干しあわびにして、かじると硬くて良いおやつになります。
今食べると、たぶん歯が折れてしまうのではないかと思われる硬さでした。
塩ラーメンの中に、あわびがゴロゴロ入っていると、幸せ一杯の美味しいラーメンになります。
さて、食べ方講座ではないので、どんな食べ方でもいいのですが一度味わってみて下さい。

あわびを獲るには、どれだけ長く潜っていられるかで数に差が出てきます。それと、寒さを我慢して
どれだけ長い時間、海にいられるかでも違ってきます。 数を多く獲った人は一目置かれるのです。
片田舎の狭い浜での少ない仲間内でも、一目置かれると言うのは大変な事でした。
海藻のある岩場を潜っていて、あわびが昆布やワカメを食べている時は、片手でもヒョイッと取れますが
昼間のあわびは、ほとんどは岩に堅く、くっついています。引き剥がす為に道具が必要です。
それを私たちは「あわびのカギ」と呼んで、それぞれ自分たちで入手していました。
売っている物ではないので親に作ってもらったり、鉄工所らしき所やどこかの作業場で大まかな形に
してもらい、後は自分で手を加えたりして、形も大きさもバラバラな物を持っていましたが、
大まかなスタイルは決まっていたようです。

全長は35〜40cm位、片方は半円形の丸みをつけて先端を尖らせ、もう片方は叩いてつぶして
平べったくした鉄の棒で、結構重みのある物です。 あわびがくっついている岩の形によってカギの
両端のどちらかを使い、剥がして獲るのです。 ほとんどの場合、丸みのある方のカギを使っています。
あわびの根元の部分、いちばん厚みのある部分に差し込み、てこの要領ではがします。
小さい穴が並んである薄い部分に差し込むと貝が割れて身がボロボロになってしまいます。
岩と岩の隙間に入り込んでいて、カギの部分を使えない時は、反対の平べったい方で
剥がしてから、かき出して獲ります。 息を止めて潜った時、2・3杯づつ獲れると数を
稼ぐ事ができます。波が荒いときや海水が濁っているときや寒いときは、やはり、なかなか獲れません。
今では到底50円などでは、買うことも売ることも出来ませんが、もし、あんなにあわびがたくさんあったなら、
知っている限りの料理法で、あわび三昧してみたいと思う今日この頃です。           終わり。



その6 「かに釣り 編」

カニと言っても、毛蟹でも、タラバ蟹でもないのです。田舎の方では「ヘラがに」という蟹です。
身は少し柔らか過ぎるくらい柔らかいのですが、味の方は、なかなか美味しいカニです。
左右の一番後ろ足がヘラのようになっていて、砂を掘りながら自分の身を隠し、敵をやり過ごすのです。
一旦、砂に隠れてしまうと見つけるのは、なかなか困難ですが目が慣れてくると見つけられなくも無い、
という感じにもなってきます。 上からジーッと見てると、黒い両目が砂から出ているのがわかるのです。