飯豊連峰(2105m) 2017年8月4日〜9日 中村清孝 

 8年前の夏、大石ダムから?差に登り稜線を南下したとき、雨・風が次第に強くなり飯豊山荘に下山した。それから2度試みたが集中豪雨などにより、出かけることもできずに心残りだった。今回はまず飯豊を押さえその余勢を駆って?差へ、と考えた。 



8月4日〜5日
 夜行バスを降り郡山から会津に向かう。両側に広がる水田を分け電車は進む。緑の稲葉の向こうに会津磐梯山が現れた。中腹に浮雲を従え、肩を経て頂上に伸びあがる姿は美しい。会津駅の案内所のこと、隣に座る娘さんに相談したいのに、能力胆力抜群の婦人の眼がわたしをとらえ離さない。観念して「会津城に行きたい」と伝え、巡回バス「ハイカラさん」に乗る。落ち着いた城下町の先に鶴ヶ城があった。良質のコメは産しただろう。しかし城下町や城の印象から、当時の陰謀やすれ違いを知らないなりに思った。開明著しい長州となぜ戦火を交えたのだろう。 



御沢キャンプ場にテントを張る。ポールの継ぎ目が裂け応急キットでごまかす。テント場には白と黒の丸砂利が敷き詰められ、靴の底でサクサク、ザッザッ、クックックと鳴く。新潟工の登山部の生徒7人、教師3名がテントを張り始めた。
 

8月6日 ブナの巨木の森が作る涼しい日陰を登る。景色のない急登に飽いたころ、平地に高校生が休憩していた。「下十五里?」と聞くと教師がうまいことを言う。「もうダメってとき、ここで息を吹き返すんですよ」。飯豊の先蹤者、藤島玄は『越後の山旅 上巻』に書いた。「前途の長い縦走組は荷が重い。緩歩不休で悠然と歩きたい」。緩歩は実践できても不休は少休にしたいね。ひとり体調を崩した生徒がいた。2キロ分担するよう、教師が元気者に促した。 

一瞬雲が切れ稜線から台形状にさがる雪渓が見えた。気合が入る。くだる人たちとすれ違う。話声がする。待望の水場だった。岩の割れ目からふた筋の清水が勢いよく噴き出している。冷たい水をガブ飲みした。高校生の中に回復した笑顔があった。「よかったね」と声をかける。仲間が「あいつ、吐くだけ吐いたら気分よくなって」と言う。この大泣きしたばかりのカラスは、今日の切合キャンプ場で缶ビールを手にした教師に突っ込んでいた。 

「先生、顔が赤い!」 



 剣ヶ峰、高低差230m、花崗岩の丸岩が連なる尾根を登る。真ん中あたりで昼食にした。ここで高校生諸君と順を入れ替わった。三国小屋の手前、岩に腹をこすりつけ通過する箇所、手のスケッチが岩に張りつけてあり、そこに指を差し込むといいホールドになった。しゃれている。ちょっとした岩場を越え風が当たる岩ザブトンで休んだ。後から来た3人と話が弾み、凍ったパイナップルをご馳走になった。
 

登山道脇の雪渓を吹き上がるヒンヤリした風に揺れる花にGoProを向ける。若者が立ち止まり30分も話し込んだ。本山を日帰りピストン中と言う。去年のアコンカグア登山をおもしろく聞く。本山では大日岳を日帰り往復するトレランの青年とも話した。急ぐだろうに彼らは長話をいとわず、年長者との会話能力に長ける。ちなみにアコンカグアくんの顔立ちは宝塚の男役の上をいく。台風が気になる。高層天気図の雨域は出発時より拡大し、明後日以降、東北南部を飲み込む。 

8月7日 「あれが大日岳」と教師から教わる。なだらかな稜線、山腹いっぱいに雪の班を持つ。一か所雪渓を登る。姥権現で休憩したとき、ザックに結わえたお守りのカタ(チベット仏教の聖布)に気づき「それ、ネパールの」と話しかけるご夫婦がいた。一昨年、エベレスト街道をトレッキングしたそうだ。話が合うひとと出会うと腰を据えてしまう。本山小屋手前の最後の登り、御前坂では戻ってくる新潟工の登山部とエールを交わす。 

「先生、たくましい生徒さんですね。いいですねェ」 

「いやー、ついて行くのが大変ですよ」 

生徒は歩みを止めわたしのひと言にうなずき、先生の本音に目を輝かせニヤリとした。 




前述の『越後の山旅』に載っている深田・藤島隊の写真を下に無断で引用した。半世紀前の写真は多くを語る。
 

飯豊山から御西小屋までガスの中を歩く。ガスは濃くなり寒い。大日岳をあきらめ先に進もう。しばらくして霧が晴れ、足元に花を遠くに北股岳を眺める、念願の稜線漫歩となった。雪渓が解けてすぐの跡には、サクラソウが斜面を淡いピンクに染める。烏帽子岳の手前では群生する背高のイブキトラノオが、尾根を越える風におおきく揺れている。 

梅花皮小屋には別棟の管理棟で管理人と食事を共にする魔訶不思議な娘がいた。 



「オネエチャン、お手伝い?居候?」
 

「違います!登山デス!」 

長い黒髪の黒縁メガネが答える。密着取材し『山の生活』なる夏休みレポートでも物にしようとしているのかなぁ。居合わせた12人の関心事は台風情報。縦走(停滞)派は管理棟のテレビの天気予報にくぎづけ、下山(行動)派は見向きもしない。わたしは持参の本を読むゴロゴロ派。管理人は停滞を勧め、やおら無線機を取りあげると、今日の下山者の安否確認を始めた。 



8月8日〜9日
 夜、悲鳴や怒号をあげ勢いを増した風は、夜が明けてから収まった。迷う。遅い朝飯をすませ雨具を着て小屋を後にしたのはもう8時であった。北股岳を登った道をくだるしくじりを犯した。気を取り直し、縦走路を梶川尾根に入る。この周りにはタカネマツムシソウが多い。青から淡い紫まで変化があり、たとえ古今東西の名工でもまねできない、その精緻かつ豪華な造形に見とれる。くだる一方の道に、湯沢峰というひと登りのピークがある。前回「こんなコブに峰なんて、大げさな名をつけて」と思った。今や、そいつは登りでがある一峰に変貌していた。標高が下がるにつれ不安が頭をもたげる。強風がぶり返した主稜から支尾根に逃げ込んだまではよかった。だが、小屋の親父のひと言、「大雨が降ると、下山口の橋は冠水し渡れなくなることがある」が気になり急ぐ。150メートル下、石転び雪渓から轟きくだる雨混じりの急流の上に、その橋面が見えた。 



飯豊山荘の受付までアブの一団が追って来た。奴らの目は鮮やかなエメラルドグリーン。首や耳は狙わず、腕に止まるから払い落せる。敬虔なチベット仏教徒が目にしたら目をむく。「ああ、それはあなたの来世なのに」。風呂で天狗平ロッジの親父と一緒になった。雨とアブが待ち受ける表に出るのは気が進まない。ここで下山報告できて良かった。宿泊客はふたり。夕食時「飲みきれないから」とKさんから冷酒をご馳走になり、イワナの田楽をつつきイランの山を聞きネパールの山を話すなど、とっておきの山話が尽きない。この山旅は、大聖寺の深田久弥・山の文学館を再訪し終えたかった。ところが日本海の時刻表は「ついで」を許さない。翌日、小国駅で昼飯、新潟を経て夕方東京駅でKさんと別れた。
 

 

例会報告


 

 


























































































































































































































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