管理人:嘘八百  案内人:藤原の定食

藤原の定食 中辺路をゆく 熊野健康村
イベントに参加しました
★中辺路40km完全踏破三泊四日★
一日目:滝尻王子〜高原熊野神社
二日目:高原熊野神社〜継桜王子
三日目:継桜王子〜発心門王子
四日目:発心門王子〜熊野本宮〜大斎原

9:15

継桜王子の側の秀衡桜からスタート
や。
快晴!
足の疲れをとるというストレッチを入念に行う
なにせ昨日14kmで、
今日も14km歩かんならんからな〜
・・ワシ・・自信ないねん・・

朝は早よからトイレ通いで・・
別に腹をこわしてるんとちゃうで。
どんどん製造しとるだけやで。
次から次へと・・困ったなあ
・・ワシ・・大丈夫かなあ・・
自然に顔が引きつってくる・・
腹に言い聞かせる・・
「おい。もうええねんで。もう作るな」








9:26

安倍晴明の腰掛け石。


これ、下から見るだけやで。
個人宅にあんねん。登っていったらアカンで。不法侵入やで。







9:33

中ノ河王子跡。


右手は見晴らしの良い歩きやすい道路。
昔の国道。
昨日も書いたけど、
今の紀伊半島縦走国道は
平成10年以降の開通やで。

この景色見ながら、小休憩・・せやけど・・
快晴で暑いからと・・皆・・日陰で休憩すんねん
・・ワシ・・そんなトコ行って・・
腹が活動し始めたら・・えらいこっちゃ・・
皆から変なヤツやと思われようと・・
輪に入らへん嫌なヤツやと思われようと・・
背に腹は代えられん!
・・日向に移動・・うう・・悲・・

10:09

小広王子跡。

・・この上にあったらしいな。
定家はんの日記には出てけえへん。
いつでけたんやろ?

小広(こびろ)峠は昔、
狼が吠える峠・・
吼比狼(こびろう)峠・・と呼ばれ、
旅人や村人を魔物から護った
「千匹の狼」伝説がある
10:12

調子よう歩いとったら、
そのまんま行ってまうで〜
よう見ながら歩くんやで〜




10:17 ト〜イレ。
中辺路は結構トイレがあるのだ。
見つけたら入っておけば次までもつ。
・・次から次へと製造しなければ・・

道は右の案内図の右横を入っていく。







10:28

橋を渡り・・写真では見えないが、
祠と藤棚がある懐かしい苔むした石畳・・
10:34

熊瀬川王子跡。


ここも定家はんの日記には出てこない。
10:34

和歌山からここまで28里やそうな・・
10:53

草鞋峠(ヒルふり峠百八丁)

今、登ってきた道は自然林なのだが、
ここより植林の森となる。
その昔、
まだ植林などなされていない頃は
「ヒル」が多くふってきて困ったそうだ

前に来たときに、
この「ヒル」を「しり」と勘違いした

11:26

「ヒルふり峠」だか
「尻ふり峠」だかからは
「女坂」と呼ばれる。
女坂を下ってくると、せせらぎがある。
そして・・

ここに昔は茶屋があった。
ここから更に急な「男坂」に入るので
休憩場所として栄えたであろう・・・

・・・茶屋の、その名も粋で・・・
「仲人茶屋!」・・・茶屋はないけど休憩





12:11

岩神王子跡。

(道の少し上にあるので注意)

1109年の初冬、藤原宗忠は世の白む頃、
ここに詣で、
社辺にいた熊野詣での盲人に
食料を与えたとの記録がある。
この峠は、
日高・亀山城主・湯川氏の先祖に当たる
武田三郎が、横行する盗賊を
平定したと伝えられる所でもある
12:28

王子製紙社有林の標識。


12:55

おぎん地蔵。


京都の芸者・おぎんが、
道場川の豊之丞を慕ってココまで来て
もう少しで道場川というのに、
二人組みの追いはぎに出くわし、
命まで奪われた。
土地の物が哀れんで弔った。
命日もハッキリしている。実話。
13:17

本当は、この橋を渡るのだが、
少し先に「蛇形地蔵」があるので、
そちらへ立ち寄る。
   13:18

「蛇形地蔵」

この辺りは海だったそうで・・
岩に昆布が張り付いてできた化石が
ヘビに見える?もしくはヘビの鱗に見える・・

このお地蔵様の後にご神体として祀られている。

14:00

ここにはトイレもあるので、昼食タイム。

そのあとは、さっきの橋を渡って・・
14:15

湯川一族発祥の地

ここらには見事な石垣が多く残っている。
道場川という集落があって
(おぎんさんはここを目指していた)
昭和38年、最後の一軒が出て行ってからは
墓が残っているだけとなった。


そして、ここが湯川王子だ。


























もともと武田の武士とか・・で・・
横行していた盗賊を退治したことから、
湯川の名をもらい、この地を給わり、
大きな集落を作っていた。
上皇なども、ここに泊まっていたそうな。

定家はんの日記にも、
14日に高原の集落を朝早く出て、
「夜中に湯河の宿所に着く
(路の間、崔嵬たり。夜行、甚だ恐れ有り)
寒風なす方なし。非時の水垢離あり」

・・と、ある。

恐らく、ここに夜中について
・・寒かったみたいや・・
盗賊などが横行していた所を通るときは、
やっぱり怖かったんやろな・・
非時の水垢離・・
行き倒れがあったんやろか?

この頃、
山という山は女人禁制が多く、
ましてや信仰の山は
絶対に女や病人は入れなかった。
ところが、この熊野の神だけは
全てを受け容れていたので、
死の病にとりつかれた人々が
こぞって熊野を目指した。
たとえ行き倒れても、
熊野の神は成仏させてくれる
と信じられていたのだ。
したがって、
熊野では行き倒れが多かったそうな・・

定家はん・・昨日・・ここまで来たんや・・
輿に乗ってたとはいえ、
しんどかったやろなあ・・

定家はんが出立したのは15日。
着いたのが夜中だったため、
湯川王子には、この日の朝詣でている。

ここからは「三越(みこし)峠」・・

「ひと越し・・ふた越し・・」
そして・・
みっつ峠を越すから・・
「みこし(三越)峠」
14:50

三越峠関所跡。
・・そして休憩所がある。トイレもある。

ん?
・・たまが入れてもらえないと唸ってる・・

休憩とストレッチの後、出発。
ここからは石垣が美しい。


15:20

道標の番号が54・・
しかも、
今までは黒字で書かれてあったのに、
ここから赤字になる。
これは、本宮の管轄に入ったことを意味する。
16:18

皆はトイレに行ってるんっす。
ほんまは真っ直ぐ行くんっす・・
この方向に行くと・・
一年前に歩いた赤城越えとなる

ここで割とゆっくり休憩。
16:25

船玉神社。

ここでは舟を造っていたそうな・・
山の中で・・と思うが、
紀伊半島は有数の豪雨地帯。
河が増水するんでOKなんだそうです。

下の写真では分からないと思うけど
・・龍が玉をくわえている。
 
16:35

猪鼻王子跡。
16:42

たっくん坂。
16:51

見えてきました!
発心門王子の鳥居!








定家はんは、
湯川を出てここに着いたわけや。
旧暦10月15日やから、
今なら11月半ばっちゅうこっちゃな・・
紅葉が、そりゃあそりゃあ素晴らしいと
書かれてある。感極まって・・

「この王子の宝前、殊に信心を発す(おこす)
社の後に
比丘尼南無房堂あり」

・で・・気持ちを抑えられず・・
まあ・・その頃の流行だったようだが・・
柱か何かに歌を詠んで書き付けたそうな・・
そんでもって・・怒られたんだと・・
夕方に水垢離して王子に出づ。
午の刻に発心門に著く。

尼の南無房の宅に宿す。
この宿所、尋常なり・・
よかったねえ!
今まで寒くてしゃ〜ない日が続いたからなあ

一度、書き付けて怒られたから、
今度は他の人が書き付けていても
暫く書かなかったようだ。
門の巽角の柱(閑所)に
ようやく一首書き付けたと書かれてある。

「いりがたき みのりのかどは けふすぎぬ
 今よりむつのみちにかへすな」


むつのみち・・とは・・六道輪廻の世界。
「恵日の光の前に罪根を悔ゆ。大悲道上発心門」

「南山月下結縁の力。西刹雲中に旅魂を弔ふ」

写真は比丘尼南無房堂があった場所と思われる
ここで、疲れをとるストレッチを・・
あれれ・・?・・50円玉ニャ!

うふふふ・・と・・
いつもならフトコロに入れるところだが・・
今日は発心門王子の御前であるから、
皆が駕籠に移動している間に
お賽銭箱に入れに行く・・
あれ・・?・・
以前もここで50円拾ってお賽銭箱に入れたなあ・・
不思議なこともあるもんだニャ・・





クリックで一気に会場へ!
動画です!
そして・・
ワシは今夜の宿、川湯温泉に駕籠で移動。
すんばらしく立派なホテル!
部屋も広くて明るい!
すげえ!すげえ!と、はしゃぎ回る。
露天風呂は河の側。
そための浴衣を身にまとい、河原へ。
・・何とも・・
やはり、浴衣を着ての湯は・・
どうも・・落ち着かん・・

すると・・
今宵は王子での上皇達の歌会や
白拍子の舞、さながらの手厚いもてなしが!
地元の方々との交流会!

とれたての野菜や果物、
つりたてのアマゴの塩焼き。
年代物の梅酒。
地ビール。
地酒のヒレ酒。
めはりずしは売っている物などとは全く違って
・・うまいのなんのって・・
写真&動画は
許可を頂いて
掲載しています

ほら吹きの美人は・・太鼓もたたく・・

ワシもたたかれたい?
締めに、太鼓の披露!
みなさん、
熊野本宮の大祭などで奉納される方々だそうだ
八月の終わりに祭りがあるので、
是非!行ってみて下さい!
なお、前もって申しこんでおけば・・
平安の衣装を着て行列に加われるそうな・・


四日目は発心門から本宮大社&大斎原(おおゆのはら)まで歩く


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