定年後は田舎暮らし

 

定年後は信州のマンションに住み、清貧な田舎暮らしを実践する

定年後は清貧な田舎暮らし

 定年後のセカンドライフはゆっくり、のんびり過ごすというのは間違いであると考えます。人間は何らかの目的意識というか、常に達成感を求めるというか、うまく表現できませんが、心身が健全であるかぎり、年齢に関係なく何かをする必要があると考えています。

 何かについてですが、欧米では定年後は、仕事から離れてエンジョイして過ごしますが、日本人は定年後も働きたいという人が多いそうです。これは、必ずしも経済的に困っているからではなく、他にすることがないことから、社会と繋がりを保持するためには最も良い方法であるからという理由と思います。定年後に3日も休むと、暇をもてあますようになり、遊ぶより働く方が楽だという考え方です。これについては、私も会社務めをしている間は仕事人間でしたので、仕事をしている方が楽だという意見には賛成します。しかし、私は田舎暮らしを選択しました。

 その理由は、今、日本の誰もが保身と責任回避にあけくれているが、このような無責任な社会の持続に加担したくはない。また、年金政策の失敗を押し付けられ、生涯現役などとおだてられて働く気は無い」というような愚痴を言いたいのではありませんし、「弱肉強食の資本主義社会に辟易とし、ギスギスした経済活動とギクシャクした人間関係から離れたい」と悲壮な覚悟をしたわけでもありません。さらに「定年を延長し、それまでの職場で働いても、いずれ63才や65才になれば辞めなければならない。それよりも体力のある間に、第二の人生を早く築いた方がより幸福になれる」というような損得判断でもありません。私は単純に自然が好きであり、人ではなく、自然と交わる方が好きだということです。

 自然と交わるような田舎暮らしをするにあたり、意義のあることとして、清貧の考え方を尊重して暮らすことにしました。現役時代の収入レベルから判断すると、今後、収入を得るために何らかの労働をすることは馬鹿げています。これに対して、清貧という思想から自然と交われば、金銭的な収入が無くても、また、経済性の非成立に関係なく、本人は嬉々とした行動を取ることが可能となります。

 現代において、全ての工業生産物の恩恵から全く縁を切った生活をすることは出来ません。このような場合、清貧とは金銭的に貧しい生活をするのでは無く「世評、銘柄、金銭的な価値等に判断基準を置かず、名誉、地位、肩書き、資産等とは無縁の生活」ということだと考えます。私は凡人ですからこれを徹底することは困難であり、また、それぞれのレベルという判断困難な問題もありますが、自己判断において可能な限りこの思想に沿って過ごしたいと考えております。

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         清貧のイメージ    老いて名も無く畑の中に一人立つ (一人で遊べなくては清貧とは言えない)

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