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<石山寺探訪ー1>
「 石山寺探訪ー1 」
昨日は、大津市市内社寺の無料拝願日で、よくウオーキングで行く石山寺をどこに何があるか見て回った。
一通りは4月の桜の季節に来て写真を撮っている。
石山寺は有名な瀬田の唐橋と南郷の洗堰の間、唐橋寄りの瀬田川沿い西岸にある。
川沿いの国道から正門である東大門を見ると、その佇まいは美しい。
大きくは無いが丁度良い大きさである。右手に門前の庭があり、道路に面して金色に塗られた石に石山寺と刻まれた新しい石碑が立っている。
石山寺の座主の書かれたもので、その他にも何点かある。
ここでは毎月午王さんの市が開かれる。
門前左手には、みやげもの屋が立ち並んでいる。
門の右手には西国十三番石山寺の石碑が立っている。
門の両脇には仁王像が立ちはだかっている。よく見ると胴体腕など木をつなぎ合わせて彫られている。継ぎ目のクギが見受けられる。
右側の仁王さんの腕の付け根が少し欠けていて、全体に埃がかぶっているようで何となく払ってあげたい気分になる。
それではこの仁王像は誰の作か、鎌倉時代の仏師、運慶とその長男湛慶の作という。
それにしては、もう少し大事にされてはと思う。
当初の門は奈良時代に建てられたといわれ、現在の門は創建不詳となっているが、鎌倉時代に再興された。昭和8年の大修理で左右の二王台座の下から、1814年の修理の時に納められた約4800個の写経石が発見されたが、元通りにされているという。 ・・・つづく
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<石山寺探訪ー2>
「 石山寺探訪ー2 」
門柱の手前に立ち見渡す参道は美しい。目に前には石畳が真っ直ぐに続き、その上をアーチ状に新緑の季節は、緑で覆われ、つつじのの頃は、人の背丈もある「石山つつじ」が赤色を添えて、門柱の中に絵のように収まる。
門の内外を区切る門柱の間に渡された敷居(門の下に渡された横木)をまたいで入ると、直ぐ右手に大本山石山寺の案内板がある。「・・・天平勝宝元年良弁僧正によって開基された・・・」とある。
その先に、門の先に立派な松が植えられた石山寺事務所の「宝性院」があり、鷲尾隆輝座主が、ここに住まわれいる。
この真向かい塔頭の「宝輪院」で、門前より眺める小庭が美しい。
正面には白い砂利がひかれ、 曲がりのない直線条の川の流れのよう な模様がつけられている石庭がある。
建物は塀で参道と仕切られているが、その両脇には小川が流れ趣がある。
その先、右手に「拾翠園」がある。門前に置かれたお休み処の立て札には、お茶席、売店をご利用下さいと添え書きがあり中はは解放されている。 門前から朱色の茶席用の日傘が一際目立つ。
門を入って右手、石の水受けに流れ落ちる水を柄杓で受け手を洗う。
左手の建物の中には休むに良い広い縁台が置かれ家族で休める。絵ハガキや匂い袋などを売る売店があり、500円でお茶が頂ける。
ここの庭でも くつろげるので、散歩の途中でも休むのによい。
門より入って右手に回ると「淳浄館」と書かれた建物があり、足の悪い方の仏が置かれているという。今日はここで写経が行われていた。申し込みによる。
「拾翠園」を出て、向かいには、広い庭のある「公風園 白耳亭」がある。
また、少し歩いて左手に「寶院大黒天」がある。
本堂横の立て札書きには、弘法大師御作(千二百年前)とある。
ここを出て、左手に「世尊院」がるが、門が閉じられている。
やっと、右手に拝顔券販売所がある。販売所右手に絵地図の看板がありどこに何があるか道順を見るのに分かりやすい。
券を買ってこれより中に入る。・・・つづく
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<石山寺探訪ー3>
「 石山寺探訪ー3 」
中に入ると直ぐ右手の池に目が行く。なぜなら大きな緋鯉が沢山泳いでおり自然と引き寄せられる。
この池のあるこのあたり一体は、昔を偲ぶ蓮池であったとのこと。
池の右手は、大きな穴のあいた岩のある岩壁を形成している。このあと、上に登り見ることになる天然記念物の珪灰石がここまで延びているという。
池の手前から穴のあいた岩まで行ける小道があり、近づくと岩の前に立て札が立っている。
それには「くぐり岩」の名で、全部大理石の奇岩怪石と書かれている。
まさしく石山の寺である。岩穴は、くぐりぬけられそうで通り抜けようと近づく人もいる。
この目と鼻の先に手水所があり、参拝者は、龍を象った口から流れ出る水を柄杓で受けて清めている。
先に進む前にこの右手、道の中央に「比良明神影向石」と書いた立て札がある。(影向石とは、神が宿る石とのこと。)
参拝者の多くは、何があるのか判らずに素通りする人が多い。
石の上に簾がかけてあるので何か分からないのと、周りに立てた4本の竹柱に渡した縄が、立て札を見えにくくしている。
立て札の説明書きには「天平創々池上比良明神この岩に座して良弁僧正にこの山が昔の霊地なることを示し給う」とある。即ち、ここから石山寺が始まったのである。
丁度、ボランティアの方が居られ石山寺創生期の物語を聞いた。
「良弁僧正が、東大寺の高僧であった頃、東大寺大仏創立の黄金の不足を愁いた聖武天皇のご依頼で、奈良の金峰山に登りお祈りした折、夢枕に蔵王権現が現れ、石山の地に行くと池があり、その近くの岩の上でお祈りすると良いというお告げがあり、この地に来た。
そうしたらこの岩の上に翁の形をした比良明神が釣りをされていた。
いきさつを話したところ、この地で拝めば金が見つかると云われた。
そこで岩の上に祠を建て聖武天皇の念じ仏である如意輪観音像を安置し、お祈りをしたところ、しばらくして陸奥の国で金が出た。
その金で東大寺の大仏が完成した。そのために年号を天平勝宝とした。その本尊を岩から離そうとしたが離れず、そこでにお寺を建て、この寺の守り神とした。」と説明された。
これは石山寺に伝わる「石山寺縁起」に書かれている。
今昔物語にも同じ筋書きで書かれた文があり、古くから言い伝えられてきた伝説のようである。・・・つづく
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<石山寺探訪ー4>
「 石山寺探訪ー4 」
入って左手には研修道場があり、今日は、西陣美術館の絵画展が催されていた。
その先には吉祥院、密蔵院がある。
密蔵院前の立て札には、藤村の遺跡石山寺茶丈「東池坊密蔵院」と題して、藤村が石山寺に参詣し、ハムレット一冊を献じる。
そして、二ヶ月近い寄宿生活をこの茶丈の奥にて始めると書かれている。
ただ、献上されたハムレット本は、見つかっていないそうである。
さて、手水所の先右手に階段があり、本堂と矢印を書いた案内札があり、階段を上る。
約60段のかなり急な階段で、見るとお年寄りが、中央の手すりにつかまり苦労して登っておられるのが分かる。
見過ごしてしまうのが、階段の右手上がり口に、大きな杉の木があり締め縄が巻かれている。
木のそばには、「神木」と書かれた立て札があり、天平時代石山寺草創当時からの老杉であると説明書きがある。
樹齢800年ほどで石山寺を参詣する人々をそっと長い間見下ろしてきている。
階段を登り切り一息つくと、正面には多宝塔とその下に見える大岩が、眼前に広がっており圧倒される。天然記念物の珪灰岩である。
絵になる様で写真を撮る人も多い。
この珪灰岩について、石山寺の案内書のくだりを勉学のために書いておこう。
「・・・珪灰岩とはカルシュウムの珪酸園鉱物でこの付近に、吹き出した花崗岩の熱作用で、石灰岩が変性したものである。
この奇岩の大理石は長年の雨水に洗われてくぼみ、珪灰岩となり層を作っている。
横圧力により波状を画いているので、褶曲山脈の面影がある。・・・昔の人がこの不思議な石に接して、霊石とあがめ、観音様をお祀りし、石山と名付けたのもうなずける。」
ここだけに限らず、古く信仰の原型は、聳え立つ岩山があったことである。瀬田川沿いにあることで目立ちやすく、行きやすかったことが奈良の昔から人が途絶えることがなかったと言えるのではないか。
ここまであがってきた時、ボランティアの人にここは何宗派なのか聞いた人がいた。石山寺は、最初は東大寺に属し華厳宗であったが、天台、真言の二宗が盛んになって、真言密教の道場としてきた。
今回、境内に東レの物故者の供養会の案内書きが見受けられたが、我々の日頃のお寺と変わりはないのである。
真言密教は、「密教はその教えを師から弟子へ非公開に直接伝授され、平安時代、弘法大師によりにわが国に伝えられ、真言宗が開かれた。」・・・つづく
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<石山寺探訪ー5>
「 石山寺探訪ー5 」
石段右手の神木の先に礼堂があり色も目映い金色の西国三十三カ寺の観音像が並べられている。
その先に毘沙門堂がある。
堂中央には持国天により手で足を持ち上げられた珍しい兜抜毘沙門天があり、右にその妻の吉祥天女が、左に子供の善賦師童子の像がある。
門前の立て札には「兜抜毘沙門天」の説明として亀谷禅尼(頼朝の乳母)の夫中原親能がこの兜抜毘沙門天の加護に依り凶族を退治したと言うと書かれている。
山科辺りにいた頼朝に反抗する武士との戦いで勝利したとの案内ボランティアの話しでした。
この右手奥、珪灰岩の右手に御影堂(写真)がある。内部には当山の開山と言われる良弁僧正、真言密教開祖の弘法大師、石山寺を再興した第三代座主で菅原道真公の孫、淳祐の重要文化財の座像(御影)が祀られている。
また、御影堂は、外観の美しい建築で県の指定文化財になっており、宝形造(方形屋根を持つ建物)桧皮葺の持仏堂風の親しみのある建物です・・とその説明書きがある。
石段の左手には、三十八所権現社の拝殿に当たる蓮如堂がある。内部に蓮如上人遺影、御歳六才の遺影、鹿子の片袖、御数珠を安置すと立て札書きにある。
この蓮如堂を左に曲がると石山寺の本堂が見えてくる。本堂は清水寺のような舞台造りで山の斜面に張り出している。境内の広い中央に戻って見られると良い。
中央の紫式部の居た合いの間を挟んで、左側は、慶長四年(1599)淀君の寄進で改築された礼堂であり、右側は、天平宝字5年(761)に造営されたが消失しが永長元年(1096)に復興された本堂で、複合建築とのこと。ただし、屋根全体は檜皮葺瓦棟である。
滋賀県最古の建築でもある。・・・つづく
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<石山寺探訪ー6>
「 石山寺探訪ー6 」
いよいよ、本堂に向けて石段を上がる。正面に、ここでに構想を練ったとされる紫式部源氏の間があり、中央の花頭窓の金網越しに十二単をまとい、筆を持つ紫式部の木像が見える。
左手に曲がり本堂のの舞台に上がる礼堂への入り口がある。
開けられた両開きの扉に厄除招福、護摩祈祷、交通安全、商売繁盛、授興安産御守、御腹帯授興と書かれた張り紙がある。
扉を入ると、中央上から赤い大きな提灯が釣り下げられている。右手は、お札、御守りや絵ハガキなどを売っている。
左手には、写実的な賓頭盧尊者座像があり、花が供えられており、人々が手で触って行く。
そのせいか表面がつるつるになっている。
中央に進むと、右手ほの暗い灯明の明かりの中の奥の中央五間二間の部分が内陣で、そこは土間で漆喰叩きになっている。
更に、正面中央の三間二間の部分、厨子(宮殿)内には、半跏像の御本尊がおられる。
この宮殿内は珪灰岩の続きで、それが本尊の台座になっているということであるが、外からは分からない。
本尊は、岩座の上に遊技座し片足を踏み下げた如意輪観世音菩薩像で厨子扉の間に端正なお顔が拝されるということであるが、三十三年目に一度開扉と言うことで今は拝めない。
その佇まいは迫力があるということである。
正面賽銭箱の前に立って鐘を突き拝むと、その横に細い紐があり何かと思ってみると、結縁綱と書かれ、本尊の御手とつながっておりご利益を得て下さいと書かれている。
この前、扉がひらかれた時に親指に結ばれたそうである。次回の開扉は、10年先(2016年)ということである。
さて、奥に進むと突き当たりで、西国十三番所の朱印を書いてもらおうと8人ほどの人達が並んで順番を待っている。書かれたものをドライヤーで乾かしている人も見受けられる。
太い円柱に「後の世を願う心はかろくとも仏のちかいおもき石山」と書かれた紙が貼られ、詠み方も特殊な記号音符で書かれているが、見ている人が読もうとしたが、読めないで立ち去った。
外陣(礼堂)から外の舞台に出て縁台に座り、緑の樹木で心を癒す。 また、元の入り口から出て、紫式部源氏の間で金網越しに紫式部の木像を見ながら先に進む。・・・つづく
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<石山寺探訪ー7>
「 石山寺探訪ー7 」
源氏の間から歩いて直ぐに右に上がる10段ほどの石段を上がると、石山寺の鎮守である三十八所権現社本殿がある。
この社は、先に見たあの大きな天然記念物の珪灰岩の上に建っている。
三十八代の天皇が祀られているとのことである。傷みもなく、県指定文化財である。
この正面真下にある蓮如堂は、元来、三十八所権現社の拝殿として立てられたと言う。
この前を通り抜け、その先、17段かの石段を登ると校倉造りの建物(経蔵)が見えてくる。
その高い床下にライオンの突き出した前足のような岩が見えてる。
立て札に腰掛石とあり昔からこの岩に座ると安産と言い伝えられていると書かれている。
登ってきた女性がその上に座って見せた。
この直ぐ先左手に紫式部供養塔と芭蕉の句碑が並んでいる。
「あけぼのはまだむらさきにほととぎす」の句である。
この先、左の石段を上がると多宝塔であるが、正面にかえり道と書かれた案内札の先に美しい鐘楼が見える。
重要文化財である石山寺鐘楼である。下りの階段があり降りてみる。
寺伝では、多宝塔と同じく源頼朝の寄進と伝えられているが、鎌倉時代の後期の作とされている。
通常の鐘突堂と違って、重層(2階建)、袴腰付、入母屋造り、檜皮葺きである。
均整のとれた規模の大きな袴腰付きの鐘楼で、袴腰全体が古式の白塗りの漆喰で美しく映えている。
袴腰の裾が広がりどっしりとしていて、全体のバランスがとれあらためてその美しさを感じさせる。 鐘楼に釣り下げられている鐘は、鎌倉時代のもので重要文化財である。
ここから下に珪灰岩の横に降り立つ階段道となっているが、多宝塔に向けて階段を上がる。・・・つづく
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<石山寺探訪ー8>
「 石山寺探訪ー8 」
左手のおよそ20段の石段を上がると、広いところに出て、目の前に日本最古で最も美しいといわれる国宝「石山寺多宝塔」が現れる。
今はもう一昔前の4円の郵便切手でお馴染みの塔で、天延記念物の珪灰岩の上に聳え立つその様は、絵になる美しい風景で石山寺を有名にしている。
平安時代、密教の伝来と共に伝えられた新しい形式の塔で、屋根が幅広く四方に張り出し、三間四方の下重(1階部分)の上に亀腹(白漆喰などで固めて饅頭形にした建築物の基礎部分)を乗せ円形の塔身を上重ねにした二層建ての塔である。
源頼朝の建立と伝えられ、内部の須弥壇上框裏面に書かれた墨書きから建久5年(1194年)に造営された判断されたとのことである。
上層には、12本の柱が立ち、その上の技術を要するという複雑な組み物で屋根を支えている。
下重内部は、四天柱で内陣外陣に分かれ、内陣の鎌倉初期和様の典型とされる須弥壇上には、多宝塔の本尊である智拳印を結ぶ快慶作の大日如来座像が安置されている。
ご本尊は建久5年(1194年)塔と同時期に製作され、表面には漆を塗って(金箔を張り)主眼や写実的な衣には切金文様が施され・・・と説明書きにある。
大日如来座像は、県指定文化財になっている。
四天柱や長押、天井などには仏菩薩、菊花様文様が書かれているそうであるが、剥落がひどいそうである。
いずれにしてもこの塔は、鎌倉初期の石山寺の建物の中でも最高傑作の一つと言える。
この左奥隅に、古い石造りの宝塔がある。立て札に「めかくし石」としてめかくしをしてこの石を完全に抱けば諸願成就と言うと書かれている。
父母を亡くした子供が目隠しをして歩いて行き、これをつかまえると、死後にあの世で父母の逢えると伝えられているという。
階段を上がって右手には、宝篋印塔二基がある。
源頼朝とその乳母の亀谷禅尼の墓とされている。
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<石山寺探訪ー9>
「 石山寺探訪ー9 」
多宝塔の先は開けた見晴らしの良い広い場所になっている。
向かって右手を進むと若宮とか書かれた新しい小さな拝殿がある。
祭神に天照皇大神を拝し大友皇子(弘文天皇)を祟る・・・と立て札書きにある。
その先に芭蕉庵がある。それと連なるようにして美しい月見亭がある。
近江八景「石山の秋月」のシンボルとなっている月見亭は、少し離れて見ると空に突き出したえもいわれぬ佇まいである。
月見亭入り口、屋根の下の鴨居に月見亭とした説明書き札がある。
それには、「保元年中 後白河天皇御幸ノ時始メテ建之巳後数度修繕スと書かれている。
そのあとには、明治天皇、大正天皇、今上天皇、昭憲皇太后、皇太后陛下 右御臨幸玉座トナル 従保元元年至 昭和四年 七百六十年余」と書かれています。
やはり、一番良い所ですね。
毎年、紫式部ゆかりの「石山寺秋月祭」が催されます。
今年は、10月6日、7日、8日に18時に開門してから21時の閉門の間に源氏物語の語りやジャズ、クラシック、津軽三味線などの器楽演奏が行われます。
月見亭の横の見晴台からの眺めは格別である。特に、桜の季節には、眼前に桜の並びが広がり素晴らしい。
斜め左下に瀬田川が見え、重なり合うようにいろんな形の橋が見え面白い。
その先に琵琶湖が見える。唐橋はと探すと名神高速道路に阻まれて残念ながらよく見えない。
見通しの良い日には、比叡山、比良の連峰が、琵琶湖の向こうに見渡せ、その眺めは一幅の絵になる。 以上、ここまでで、石山寺の拝願は一巡したことになる。
拝願だけであれば、先を曲がって降りる下向参道がある。
この先は、紫式部展を豊浄殿で見て庭園を巡り帰路に就くことになる。
時間があれば散策されてはどうでしょうか。
先に歩を進めると、見晴台から先を左に上がると直ぐ左手下に心経堂の朱色の建物が見えてくる。
ここは、心経、写経を永久に保存するために平成2年に建てられた新しい建物です。
ここを通り過ぎ先に行くと源氏物語に関する書画を展示している豊浄殿が右上に見えてくる。入館料が必要です。
内部の書画、絵巻物、屏風絵など色鮮やかで素晴らしい。
これを見ると後は庭園散策である。季節の花に会わせて行かれるのが良いと思います。
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石山寺展望台から瀬田川の眺め
「 石山寺展望台から瀬田川の眺め 」
今日も5時に目が覚めてしまったので、石山寺展望台から瀬田川の眺めた写真を紹介します。
月見亭の横からの写真です。
見える川は、瀬田川です。そこには外輪船が一隻見えますね。
右に桜の木があるように、4月に撮りました。拡大し見て下さい。
橋が重なって、瀬田の唐橋は、残念ながら見えません。
水色の橋の直ぐ向こうにあります。
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<石山寺探訪ー雑>
「 石山寺探訪ー雑 」
<石山寺探訪ー1>から<石山寺探訪ー9>まで書きましたが、これで終わりとします。
この記事に載せることの出来なかった写真を貼付し、ホームページに作り直します。
さて、石山寺の東大門の両脇に前を見据えて立って居られる仁王様ですが、埃を被っているように見えると書きました。
よく見ると長年の風雨と太陽の光が当たる部分が灰色になっているように思われます。
また、表面に皺状の小さい亀裂が無数に入っているように見えます。
その皺に当たる日の光で表面の色が場所により違うように思います。
それで、日の当たる部分が灰色に見えるのかとも思います。
どんなことをすれば美しく保てるかと一人で思っています。
この像は文化財の指定もないようです。
でも東大門は重要文化財なので、仁王像も一部なので重要文化財入っていると言えるのかも知れませんね。
傷みについても書きましたが、左の像の手の指が一本欠けています。写真でご覧下さい。
私は、それが気になって書いているのですがどんなものでしょうか。
長い間このままできているのでしょう。不思議な気がします。
何故こんなことを書くのかとお思いかも知れませんが、像の絵を描こうと思っているのですが、しっくりしないのです。
顔からして描けないでいます。
さて、紫式部の肖像画や重要文化財の源氏物語絵巻や石山寺縁起絵巻などの絵画が石山寺にあるのですが、それらが展示されているのか分かりません。
見られれば一見の価値があります。 また、もう一度、確認してから書こうと思っています。
その他、石山寺を詠んだ和歌とか、芭蕉の句とかの文学作品に関するものもあります。
お寺では、年間行事もあります。色々ありますが、またの機会に書きます。
毎日、ジオログを書いてきましたが、これまで読んで頂いた方には感謝いたします。
石山寺は良いところです。是非、お越し下さい。
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