2003年 4月臨時ツーリング報告

2003年4月26〜27日

2003年 4月臨時ツーリング

平成15年4月26〜27日
富士山
出席者(以下5名)
会長・会長ご子息・Y厚生大臣・O官房長官・書記

官房長官・Oさんは、自宅で富士山DHに期待に胸をふくらませ、愛車GTを整備し、万全の準備をして待っていたのに、迎えのキャラバン改には1台のMTBもなく、怪訝な顔で「みんな自転車どうしたの?」とお言葉を発せられた。さすがの会長もしばし絶句したそうだ。毎年恒例の雪の富士山で遊ぶ集いで、自転車で参加した剛の者はいなかった。官房長官は、しかたなしに自転車を置いて、車に乗り込んだのであった。4月26日、PM8時過ぎ東京を出発。

夜11時頃、新5合目の駐車場到着。タープを張り出しテーブル・椅子をセットしていつも通りの宴会を始める。御殿場の街明かりと満天の星のもとロマンチックな空間での会話は、これまたいつもと同じお下劣なろくでもない話ばかり。翌朝の行動を考えてもさっさと切り上げるべきであった。

6時出発の予定だったのに起床が6時過ぎとなってしまった。天気は曇り。とにかく準備をして、7時に出発。さんとOさんは下で待つこととなった。

駐車場の登り口から積雪があり辛い登りをはじめる。アイゼンをセットし(会長親子はフリーマーケットで超格安で仕入れた
12本歯ワンタッチのすぐれもの。かたや、Chanのアイゼンは4半世紀もので1本締めバンドのかわりにゴムフック)ガスがかかり始め展望が得られない中、必死に登る。

途中でT君が「アイゼンを落としてきた」といって、下におりて拾う事件有り。Chanより「会長の息子 らしく、本当に間抜けだ」とこけにされるも、Chanは、鍛え上げた肉体と若さのT君の足下にも及ぶはずなく、ずるずると遅れ始める。雲の上に出て、雲海を見下ろすようになるが、登っても登っても果てしなく続く頂上への道は、Chanの 悲願をかなえてくれない。時々、強い風が吹き耐風しなければならない。先に登った連中が滑り降りてくると、細かい氷の粒がずいぶん上の方から流れてくる。これ以上、雪面が堅くなってきたらChanでは とても歯がたたない。9合目をすぎたところで、今日は2時まで登ると決めていたのであきらめ、下山することにする。

滑降の初めは、雪がかたく斜度もあるので緊張する。T君は、そんな中、えらいスピードでカービングを楽しんでいる。体力充分なのにChanのせいで頂上をあきらめさせられた腹いせか???とにかくほんとにすごいよ。途中、斜面を西の雪渓に移動し、ぐんぐん下る。雪が腐ってくるが、快調に滑り降りる。ガスのなかに入り、さらに西の雪渓に移る場所がわからず、夏道沿いのルートで下る。駐車場まで滑り込んで、最後に下りるところはずるっと落ちて終了。

駐車場で帰りの準備中膝を骨折し、手術をして入院中なので参加できなかった長老から電話が入る。
「どんな具合だ?」

「9合ちょっとであきらめて下山しました。」

病院で聖人の生活をさせられていて退屈でしょうがないのだろう。
「退院したら、
盛大に復帰祝いをしましょう!」
返事は、妙に明るかった気がする。

4時に駐車場を後にするがガスが深く、先がよく見えなかった。御殿場で吉野家によって牛丼をかきこみ、渋滞12キロの東名自動車道につきすすむ。Chanは、車中で「これに懲りずに来年こそは1・減量 2・体力UP をして頂上を極めるぞ!」と密かに誓いをたてたのであった。

いつもの宴会 主役たち 出発前の準備
素晴らしい雲海!
駐車場より富士山を望む 骨董品のアイゼン 素晴らしい雲海
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一休み中のT君
滑降前の会長親子



完全にばてたChan 最後の難関