朝ドラ「おひさま」と両親の戦争体験

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育子のような女学生はありえない!育子不要論。


 「おひさまの」放送開始当初、一番多くネット上で見られた“時代考証”に関連する意見は、「育子のような女学生は当時存在しなかった。」というものだった。確かにそうだろう。当時を一般的に生きた人のほとんどがそう思うはずだ。しかし、それを言っちゃぁおしまいよ・・・である。

 この物語は、陽子(井上真央)、真知子(マイコ)、育子(満島ひかり)という対照的な3つのキャラクターが存在し、初めて成立している。(三矢の教えにも通じる?)
 脚本の岡田恵和氏も言っているが陽子は等身大キャラである。決して、陽子が周囲を巻き込みながら劇的な人生を歩む物語ではない。むしろ、時として脇役にさえ転じているようにさえ感じる。そんな陽子の“普通”を描くためにも、“対比キャラ”として真知子と育子は必要な存在だと私は思う。

・・・であるから、育子を普通の女学生に描いても優等生として描いても、この物語は成り立たないのだ。むしろ私は、“朝ドラ”の描ける範囲で、もっとハチャメチャに描けば良かったと思っている。高等女学校の授業中に教師に向かって持論を演説するのは△としても、白紙同盟事件や家出まがいの上京は◎だ。

 実は、戦前の女性解放運動家の学生時代のエピソードをネットで調べれば、白紙同盟事件に似たような事例の2、3はすぐに出てくる。ドラマの設定では、実家が本屋を営む関係で、育子は開けた知識を得たことになっているが、与謝野晶子、平塚らいてう、市川房枝といった実在の女性解放運動家の名を挙げるなどすれば、育子のキャラクター設定の意図が、より視聴者に理解されたのではないかと思う。
(※結果的に「おひさま」で一番女優としての株を上げたのは、この育子を演じた満島ひかりだったのではないだろうか?現代の育子を黒柳徹子が演じたことからも、私にはそう感じられるのである。)

 一方、時代考察という点から見ると、当時を生きた世代の人々にとって、「女学生=良家のお嬢様」というイメージはごく当たり前のものだと思う。しかし、私はそれが全てだとは思わない。

 私の母は鳥栖高等女学校に通っていたが、決して良家のお嬢様ではなかった。母は満洲で父親を亡くし、昭和18年に国内に引き揚げて来た。その後、伯父の家に引き取られることになったが、幸運なことに、母の伯父は田んぼをいくつか所有していた。そのお陰で、母は昭和21年、鳥栖高等女学校に入学の後、新学校制度への編入により「併設中学校枠」で卒業することになる。

 当時、女学生をステイタスと見た理由のひとつに進学率の低さが挙げられる。村から高等女学校への進学は唯一、母ひとりだけだったという。母の記憶では、7歳ほど上に1名いたぐらいで、村では2番目なのかもしれないとのことだ。同級生の中で女学校に進学したのは、1学年2クラス全体で7名とのことである。

 もちろん進学するには入学試験に合格しなければならないが、それより、まず学費を払う必要がある。幸い、母を養ってくれた母の伯父の家は学費を払う“ゆとり”があった。また、育英資金も活用していた。
 しかし、何より重要なのは、母の伯父の教育に対する理解であろう。母の伯父が「女に教育は必要ない。」といった考えの持ち主であったなら、母が女学校に進学することは無かったのである。

 さて、育子肯定派の私ではあるが、育子の言動・行動で気になる点は、以下の通りである。

①高等女学校からいきなり東京の大学を受験する設定には配慮が必要!
 まず、私が父に「高等女学校から大学に進むのは変ではないか?」と言ったところ、「もっともだ!」という返事がかえって来た。

 陽子達は高等女学校生である。なんとなく、現在の高校と重ねてイメージしてしまうが、どちらかというと現在の中学校に近い。 そもそも、育子が受験した東京の大学はいったいどこなのだろうか?両親の話によると、女性が進学できた高等教育(大学)は“女子高等師範学校”であり、全国で2校、お茶の水女子高等師範学校と奈良女子高等師範学校だけだった言う。育子が目指したのはお茶の水女子高等師範学校なのだろうか?

 しかし、その前にまず押さえておかなければならないのは、現在の学制と異なる点だ。まず、旧学校制度では数え歳で考えなければならない。初等教育の尋常小学校は、数え歳の7歳、つまり現在の6歳で入学し、6年制。そして、中等教育の高等女学校は数え歳の13歳(現在の12歳)で入学し、4年制と5年制があった。
 ドラマの設定によると、陽子は昭和13年に16歳。14年に高等女学校を卒業し、女子師範本科に入学しているので、高等女学校5年制に通っていることになる。

 さて問題の女子の大学とも言える“女子高等師範学校”は、数え歳の21歳(現在の20歳)からの入学で、3年制である。この女子高等師範学校に進学するには、数え歳の18歳(現在の17歳)から3年制の女子師範本科を終了しなければならない。
参考:Wikipedia「日本の学校制度音変遷(大正~太平洋戦争初期の学制)

 それにしても、女子高等師範学校というのは教師になるための学校であり、育子が目指しているものとは少し毛色が違う。女性は帝国大学には行けなかったのだろうか? また、私立の大学(早稲田や慶応など)には行けなかったのだろうか?Wikipediaで調べたところ「女子教育(日本の状況)」、に該当があった。

 どうやら戦前の女子の高等教育は、5年制の高等女学校を卒業し、私立の女子専門学校に行くのが一般的で、いわゆる帝国大学には行くことは少なかったようだ。(東北帝国大学、九州帝国大学、北海道帝国大学では女子学生も受け入れ。)
 もっとも、男子の場合においても帝国大学と一般の大学とは一線を画しており、女性がその大学に行くには、やはり、女子高等師範学校か女子専門学校(女子大と名の付く学校を含む)を卒業する必要があったようだ。

 恐らく、育子の設定は、高等女学校卒業後、東京の女子専門学校を受験して失敗したことになるのだろう。もっとも女子専門学校には東京女子大学や日本女子大学校など、大学と名の付くものが存在したようだが、扱いは専門学校だった。但し、同じ専門学校と言っても、現在の専門学校とは全く異なる教育機関である。
参考:Wikipedia「旧制女子専門学校

 追記:育子の受験した大学が判明した。第26話、村上堂で陽子と真知子に進路を宣言するシーンがある。「東京女子大学」であった。名称は大学だが専門学校である。しかし、現在の専門学校とは全く毛色が異なる。つまり、非常に難しいニュアンスにはなるが、育子が行こうとしたのは、帝国大学でも、いわゆる大学でもなく、“東京女子大学・専門学校”という高等教育機関だったというわけだ。また、父の意見では「大学予科」に進んでから大学受験の方が自然ではないか?との事だった。(但し、これは男子の場合だと思う。)


②陽子・和成の結婚式で・・・育子、お前は酔っ払いか?!
第57話。
 祝言の席に突然現れた育子(満島ひかり)。つかつかと新郎新婦に歩み寄る。陽子(井上真央)にはニコッ!と微笑む育子だが、和成(高良健吾)に対しては厳しい視線を送る。会席した一同が成り行きを見守る・・・。

育子 「聞きたいことがあるんですけど・・・。」
和成 「ハイ。」
育子 「陽子を、陽子を幸せにする自信はあるんですか?」
和成 「いえ・・・その自信はあまりありません・・・私が、私が陽子さんといると幸せになれるんです。その自信ならあります!」
育子 「気に入った!」

 このシーンを見た時、時代考証以前に演出過剰ではないかと思った。男は辛いよの「寅さん」ならやらせても良いかもしれない・・・。それにしても陽子の親友である育子を周囲が余りに寛大に受け入れ過ぎている。さくらだって寅さんと大喧嘩するぞ!

 しかし、このシーンの大切な所は、和成の台詞である。翌日出征し、戻って来れないかもしれない自分が、陽子と結婚するための答えを、和成自身が見つける瞬間だ。
「私が陽子さんといると幸せになれるんです。その自信ならあります!」これを言わせるために打った、脚本の岡田恵和の演出である。恐るべし岡田マジック・・・。

 ちなみに、祝言に参加した春樹(田中圭)と真知子(マイコ)だが、言葉を交すシーンが全く盛り込まれていなかった。 それ以前、それ以後のふたりのエピソードからすると、久しぶりに会う彼らに接点が無いのは不自然過ぎるし、視聴者として残念だった。


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