| 安土山(あづちやま)189m |
| 登った日 | 平成23年11月9日(水) 晴 2人 | |
| 登り口 | 滋賀県 近江八幡市 安土山駐車場 | |
| 道順 | 豊橋ー豊川ICー四日市ICー石槫トンネル−近江八幡−奥島山ー長命寺ー安土山駐車場 3時間30分 190km |
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| 登り時間 | 安土山駐車場ー(25分)−安土城天守閣跡 | |
| 頂上 | 西の湖、比良山系、奥島山 | |
| 地図 | ![]() |
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安土山には織田信長が築いた安土城跡があります。安土城は天正7年(1579)、わが国で初めて天守閣をもつ城として完成しました。ところが完成から3年後の天正10年(1582)、明智光秀の謀反により、信長は本能寺で自刃(49歳)しました。混乱の中、その10日ほど後、安土城は天主など焼失し、一夜のうちに落城しました。原因は織田信雄が誤って焼き払ったという説、明智光秀軍による放火という説などがあります。
安土城跡は20年に亘って発掘調査が行われています。

安土山は山全体が城跡となっており、累々と石垣が残っています。山のホームページに書くような内容ではないかも知れません。「山と渓谷社」の「滋賀県の山」にも掲載されていましたので書くことにしました。
この山は民有地になっており、入るのに入場料が要ります。
左の写真はそのときにもらったパンフレットですが、見学順路が書いてあるのでそのように歩いてみました。
安土山は山全体が国の特別史跡に指定されているので、石段は急で危険であっても安全策を施すことができないということです。
しかし受付から階段が続きますが、はじめのところはコンクリートで固めた階段なので、当時の石段とは違っているようです。
天主跡は189mですからそこまで行くには、登らなければなりません。○○跡という案内板がところどころにありますが、建物はありません。何もない殺風景な石段を登って行くばかりです。まずは天主跡を目指して登って行きます。
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| こんな石段を登って行きます | 高いところまで登ってきました |
天主跡に着きました。東西、南北 約28mの台地で礎石が整然と並んでいます。この部分は地階にあたり、その上に5層七階の天主があったという事です。高さ33mの木造高層建築は当時わが国で初めてのものでした。周りは石垣で囲まれており、安土山の三角点はないかと探しましたが、見つかりませんでした。
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| 天主跡の礎石 | 天主石垣からの風景 |
天主跡西下二の丸跡に信長公本廟がありました。中には立ち入ることができないようになっています。
さらに登った道を下ってくると、分岐になっており周回するようになっていました。そちらに行くと三重塔があり、ハ見寺本堂跡がありました。ハ見寺本堂は信長公が自分の菩提寺にするため他所から移してきましたが、安政元年(1854)に焼失しました。三重塔は信長公が伊賀の長寿寺から移築したものとされています。
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| 信長公本廟 | 三重塔 |
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| ハ見寺本堂跡からの展望 西の湖と中央の山が奥島山 |
ハ見寺本堂跡は琵琶湖方向の展望があります。しかし琵琶湖は見えることなく、その間にある西の湖が見えます。
今登ってきた奥島山が正面に見え、その向こうに比良山系が見えます。天主閣からは琵琶湖も見えました。
さらに行くと仁王門がありました。これも信長公が天正年間に甲賀から移したものということです。
後は階段を下り、林の中の道を通って受付のあるところに戻りました。時刻は16時半でした。終了時間は17時です。
ここに書いた以外にもまだまだ貴重な史跡があったものと思われます。とにかく大きな城跡でした。
今日は奥島山、長命寺、安土山と登りのところばかりでしたが、それほど疲れることもなく、廻ることができました。
帰りは竜王ICから名神、新名神、名阪、湾岸、東名を帰りました。新名神と合流する名阪は渋滞がありました。距離は多くなり、渋滞などもあって、行きの時間とあまり変わりませんでした。