今年も田植え・稲刈り・稲穀まで無事に終わりました。毎年こうして記事をHPに掲載できるのも、親父が元気で頑張ってくれているから。そのお陰で、耕作面積は小さくとも、そこには大きな収穫があります。まだ小さい我が息子達が、四季を通じて田んぼの中でいろいろな生き物を追いかけ、いろいろな発見ができること。土手に腰掛け、家族みんなでご飯を食べる美味しいさ。ちくちくしながらも刈り取った稲を運び、はでがけし、農作業の一端を体で体験できること。それら全てのことが、何ものにも代え難い貴重な経験です。農業を取り巻く環境の厳しさは今更言うまでもなく、ここ数年はTPP問題でさらなる逆境に立たされています。とはいえ、我が家のいわゆる小規模農家は、小規模ゆえに米を買ってくれる人の顔が見え、もち米はもち米で加工品として姿を変え、お陰様で多くの皆さんに喜ばれる米となっています。自由貿易も、海外から大量に安価で入ってくる米なんて少しも脅威になりません。そして何より、湯田家の世代を越え、田んぼを愛する者がたくさん集まり農作業をする風景がある限り、親父の米作りは続いていくと思っています。大規模経営による合理化は、多くの収量と収益をもたらしたかもしれません、しかし我が家の小規模農業は、世代を越えた多くの「人手」で作業をする、汗水流して収穫を喜ぶ、そういった原点を残した息子達にも貴重で宝のような場所となっています。
本田棚田で虫捕り〜♪これまで本田組合と協同で開催していたホタル鑑賞会を見直し、今年は虫捕りを実施しました。この事業のオファーがあったのは平成21年。中山間直払いに取り組む本田組合からお話をいただき、企画を始めて真っ先に思ったことは「案外見えそうで見えない田んぼの大事さ」を形にすること。田んぼの一番の機能はもちろん稲作ですが、稲作をするために共同で堰上げをし、くまなくほ場に水を行き渡らせ、それによって様々な生き物がそこを棲みかとして繁殖を繰り返しています。時に農薬による生態系へのダメージも取り上げられることもありますが、それでも耕作を放棄し田んぼを荒らすより、田んぼを維持していることの方が遥かにプラス面が多いものです。その「田んぼは身近にある生物の宝庫」こそが案外見えそうで見えない部分で、身近にあるようで離れた場であり、この事業のお話をいただいてから一環していることは、その部分を未来にしっかり伝えるプログラム(内容)とすること。山や川と一緒で、生活のすぐ近くにそれがあっても、実際に足を踏み入れ、手に取り触れ合わない限り、目に映る景色はネットや図鑑で見るのとかわりありません。我々大人は、子供達を様々な場所に連れ出し、今回の田んぼの一つの側面を伝える活動もそうですが、身近にある自然という魅力に触れさせること。年々増える耕作放棄地は、あっという間に人が近寄らない藪と化します。だからこそ、今目の前にある豊かな生態系を育む田んぼの素晴らしさを、子供達の記憶と感覚にしっかり残しておかなくてはならないのです。
今年の夏も針生を舞台に様々な活動を展開しました。いろいろなイベントや事業をたくさん見てきていますし、いろんな地域にも足を運んでいますが、運営する側の視点に立ってもやっぱり針生はいろんなことをやりやすい地域です。もちろん地元ということであったり、皆顔見知りで協力的ということもありますが、やりたいことがやれる資源がたくさんあるのが一番の要因に感じます。資源で最も大切なのが「人」であることはこれまで何度も述べていますが、今年もまたこうして様々な事業を実施し振り返ると、針生にこのメンバーがいるから出来るんだと実感します。今は針生のみならず、スキーの教え子達も町内から駆け付けこうして協力してくれていますが、いろいろな取り組みを通して結び付き、そしてそこからまた新たな連携や積み重ねの中で担い手が生まれていく。かつては、集落の様々な伝統行事や集落維持活動の中で見られた人付き合いや人づくりが、形を変えてこういう場を通して実践していると認識しています。世代が近い先輩たちが、スキーやソフトボール、野外活動などでこの地域の子供達を一生懸命育ててきました。そうした姿、そこから生まれていた風景を自分なりに受け継ぎ、そして次の世代にやり方や形が変わってもしっかりバトンを渡せればと思っています。
はい、恒例の針生飲み会祭りです・・・笑。夏休みに始まる各種イベントを前に、いつものメンバーでの大宴会。今やメンバーは針生に限らず、クラブ活動やスキー活動等、共通のテーマで活動・活躍するメンバーも加わり、大盛り上がりの会になっています。メンバーの顔ぶれは多様でも、酒が入ってくると話すネタは結局針生の昔話。笑。「そんなの誰も知らなーよ」「もう何百回も聞いたよ」と若手から突っ込まれてもいいぐらいですが、そこは人間的によく出来た後輩達。限界まで酒を飲まされ?挙句に同じ話を何回も聞かされ、とんでもない会ですが、でもこういった集まりの中で何かが生まれ、何かが繋がっていくのだと経験上思っています。社会の中では、横の繋がりばかりが強調され、縦の繋がりや上下間関係がめっきり見られなくなってきています。普段の生活の中でそういう経験がないから、誤った上下関係を身に付け、時に痛ましい事件・事故が発生してしまうと感じています。縦の人間関係の中で、先輩は後輩を思い、後輩は先輩に憧れ後を追って頑張る。縦・上下の中で様々なことを学び、横の繋がりを通して人と人との関係をより強固にしていく。ネットによる薄っぺらでかつ架空の人間関係ではなく、真の繋がりはこういう関係の中でしか創っていけません。普段は活動の場は違いますが、子供達のために、大好きなスポーツの普及のために、そして地域のために頑張っているメンバー達。年に数回ですが、こうして集まって騒ぎ、刺激を受ける場があることに感謝です。
久しぶりに出会ったガムシ。昔は溜りを網でガサガサすれば必ず入ってきましたが、今は探すのも大変になってきました。よく、「昔はよく見たけど見なくなった」というのがありますが、子供時代ほど野山に行く機会が減り、それに伴い出会う確立が減ったのか、それとも個体の数そのもが減ったの2つのパターンがあると思いますが、頻繁に野山に行っている私が言う「昔より減った」は、明らかに個体の減少を意味しています。そんなわけで、我が家の田んぼの田植え中に久しぶりに泳ぎ回るガムシに出会い感動しました。田んぼに入っているとよく分かるんですが、今の農薬は本当によく効き、比較的強いカエルさえも死んでる時があります。めっきり減ったゲンゴロウやガムシ等の水棲昆虫の激減もそれに関係しているのは間違いありません。それでもどこかでひっそりと生息しながら何とか子孫を残そうと懸命に生きているようにも見えます。年々遊休農地が増え、柳が自生し始めている田んぼを目にするようになりましたが、それが原因か年々ゲンゴロウなどの水棲昆虫を目にする回数が増えているように感じます。人間の暮らしを支えるため、かつて野山を切り開き田んぼをつくっていましたが、今はその数も減り、かつての耕作地の風景も大分変わってはきていますが、そんな時代の流れの中でも、懸命に種を保存し生きている虫達を見ると、負けずに頑張らなきゃと勇気が湧いてきます。 H27.5
今年も無事に収穫が終わりました。年間をとおした管理や作業をやっているわけではないからなのでしょうが、田植えや稲刈り、稲こきは私もそして息子達も一緒に楽しめる貴重な時間。まして我が家は、田植えといえば手直しがあり、稲刈りといえば稲を集めてはで掛けあり、稲こきといえば古いハーベスターを使っての作業で、自ずと「家族」の人手が無くてなできない昔ながらの作業が残っています。現代は、物を作るいわゆる‘生産’の現場がどんどん生活から離れ、私達が幼少時代に見ていた父親や母親がものを作るために懸命に働く姿を見る場・見せる場は消え、それに伴って家庭の中で「手伝いをする」という機会もめっきり減ったように感じます。今や子供達は、市場という中でターゲットとなり貴重な消費者でしかなくなってきています。物は買うもので、物を作る(創る)経験をする機会はそうそうありません。こんな時代だからこそ、例え年数回でも手間暇かけて農作業をする時間というのは、非常に貴重で価値ある時間だと思っています。この先この国の人口はどんどん減少し、市場の縮小と人口減少による人手不足により効率化と機械化はさらに加速し、人と人による手間をかけた時間・空間というのはどんどん消え失せてゆくでしょう。そんな時代の中に、古きよき時代から受け継がれてきた大事なものをどう次の世代に引き継ぐか。孫まで貴重な場を残してくれた両親に感謝しつつ、息子達が健やかに育っていくために自分にできることをしっかりやっていきたい、そう思う秋の一時でした。
去年から消防団が運営の中心となった盆踊りですが、今年も消防団が中心となって例年通りの盆踊りが行われました。この盆踊りや歳の神は、その行事の存続自体も重要ですが、この針生という地域で人生の節目に大役を全うし、地域に認められていく重要な通過儀礼と私は思っています。ですので、以前の様に一ヶ月前から花折りをやったり花集めをやる二十歳の世話人が地元に残っていなく、その役を組内の方々や消防団が担い盆踊りそのものを維持したとしても、二十歳の世話人がゼロでない限りは例え当日の1日だけの世話人でも、1日だけの帰省であっても、この盆踊りの日に成人式に参加した世話人と呼ばれる者がいるのであれば、その子達が活躍する場であってほしいと心の中で願っていました。いざ盆踊り当日になると、そんな思いは杞憂に終わり、消防団をはじめとした地域に残る人々が盆踊りを支えつつ、歌を歌う役、踊りの輪に入って踊る役、酒を振る舞う役等々、いわゆる世話人の役をお盆に合わせて帰省していたこの地域の二十歳の若者達がしっかり担っていました。年々若者が減少し、盆踊りのみならず地域内の様々な行事や集団作業の維持が困難になりつつあります。この様な状況では、やり方に固執していては肝心な事業そのものが消滅してしまいます。今この地域に、この時代に残っているメンバーで支えあいつつ、本来担うべき者が例え一日だけでも、その者が担うべき主役の座を提供する寛容さがある地域は、過疎化・少子高齢化が加速する時代であっても地域力を維持し、そして将来の担い手もしっかり育ていける地域であり続けると感じた盆踊りでした。
今年も開催しました!7時間耐久鬼ごっこ!シンプルな運営方法ながら、スケールが大きく、そして早や8年にもなったこの事業。何度か記載しているとおり、事業である以上、参加者があるからこそ成り立つものですが、それ以上にこの鬼ごっこを支える地元針生のメンバーがいなければそもそもこの鬼ごっこは成り立ちません。毎年都合によって参加できないメンバーもいますが、今年もかったかくんに誠一くん、智に富士子、秀幸さん、聖子、奈保美、春樹、そしてひのきの向後くんと多くのメンバーが事業を支えてくれました。もともとは、雪芭照を始めた年に、せっかくみんなが集まって冬にイベントをやったんだから、夏も何か針生を盛り上げるイベントをやろう!となって生まれたのは始まり。鬼も参加者も知恵と脚力勝負の実にシンプルな事業ですが、多くの子供達が針生に集まり、住宅周辺や田畑を時に声を出しながら逃げ回る風景は、小学校が廃校になり子供の姿が少なくなり、子供達の声も集落に響かなくなった今の針生には大事な風景だと感じます。我々鬼(スタッフ)にも、「まだみつかんね〜子めらいんのが〜」「あづいんか大変だな〜ごくろうさま」と声を掛けてくださる地域の方々は、自宅の敷地や田畑に子供達が足を踏み入れても笑いながら見守ってくださり、これが遂数年前まで針生小学校を、針生小学校の児童を見守り育てた地域力なんだと改めて実感しました。学校が無くなっても、そんな地域力を保てる地域人になれるよう、我々の様な元気な大人が、先人・先輩に負けず、いろいろな事業を通して地域に貢献していきたいものです。
お待たせしました?今年も開催しました針生人決起集会!といっても、針生メンバーの何人かが都合つかずむしろ針生人が少ない??ように感じますが、そんなことは関係ありません(笑)今年の夏も針生を舞台に繰り広げる各種イベントに向けた決起集会と、ほとんどが共通するスキーの先シーズンの反省会、そしてもちろん昔の話にショーヘーネタ。他愛も無い話ですが、こうして集まりいろんなネタで盛り上がり、そして大酒を飲む時間というのは、生活の中やや人生という大きな括りの中でも必要なことだと思っています。何をするにも一人の力では何も出来ません。地域を活性化するためのイベントでも、地域の中の子供達を育てるのだって同様です。別に大きな事をしようとは思っていませんが、何かのために誰かのために事に取り組むには人と人とが繋がっていくことがまずは大切で、その方法の一つがこういった場だと思っています。それも昔から知っているメンバーや、スキーやスポーツという共通点で結ばれているメンバーでの飲み会だから最高です。今回も大いに盛り上がり、大いに飲みましたが(いや、本当に飲みました・・・)、この盛り上がりや繋がりが「次の何か」に繋がっていくのだと思います。ちなみに翌日は、スポ少ソフトの練習試合や森林公園の整備、物販の仕事と皆朝から活動していたのだからすごいですね・・・(苦笑)
5月9日はスキーでもクラブでも、そして地域活動でもお世話になった盛雄さんの命日。今年も盛雄さんの自宅から見える景色を眺めながら、生前に教えられたことを思い起こし今の自分を振り返ってきました。地方の集落は過疎化が進行し、代々受け継がれてきた伝統文化や地域行事が衰退の一途を辿っています。このHPでも何度か記載していますが、それらの衰退によって一緒に消えていっているのが「人を育てる」環境や体制だと感じています。地域の中の行事や、共同作業には、世代を越えて共に汗水流す中で地域として大事なもの、地域社会の中で人に認められ成長していく大事なものも受け継がれてきたんだと思います。時代が変わり、そういった次世代への引き継ぎ方も変わってきていますが、その昔、様々なスポーツ活動の中でベテラン体育指導員として、地域スポーツ界の大先輩として盛雄さんが我々に色々なものを残していったように、今でも針生の保護者は様々な分野で頑張っていますし、私も私に与えられた時間と環境の中で、「今度は自分が」という思いで次世代の者達のために微力ながら頑張っているつもりです。偉大な先輩がこの世から去って改めてその大切さを実感した「人を育てる」ということ。忙しい毎日に終われ、その大切さを見失う時もありますが、それを忘れないためにも、私はまた来年の5月9日にこの場所に立っていることでしょう。故人を偲びつつ・・・。
「元気です!針生っ子」小学校の統合により今は桧沢小学生になった子供達ですが、これまで何度もここで紹介していた時と変わらず、夏はソフト、冬はスキーと統合前と変わらず元気に大活躍しています。それもそのはず。学校は統合し環境は変わっても、子供達を支えている保護者の熱意と行動はまったく変わってないからです。親が本気になれば自ずと子供達も本気で物事に取り組むものですが、単に親の力に引っ張られて取り組んでいるわけではなく、実に楽しくのびのびと取り組み、その中で競技力を上げている子供達。県大会でも上位に入る高学年と、それを追って力をつけている低学年の姿は、他の小学校には見られない姿でもあります。写真は高畑スプリングカップ時のもので、残念ながら全員が揃っている写真ではありませんが、今もこうしてみんなでスキーをはじめスポーツに取り組み、そして繰り返しになりますが、今も一生懸命な保護者がいる。針生小が残した大きな財産は今尚輝き続けています。
南会津町指定無形民俗文化財に指定されている、小正月の火祭り行事「針生の歳の神」の準備が始まりました。歳の神を執り行なうのは42の厄年の男達。昨年はこの役が私達でしたが、今年は後厄としてこの行事のサポートをしていきます。ということで、間もなく冬を迎えるブナ林に厄年の男達と針生集落の人々と共に入り、歳の神に祀るご神木を切りに行ってきました。昨年自分達が主役を務めて早や一年。時の早さを感じると共に、厄年と言われるこの歳を大きな事故や怪我、災いもなく無事に過ごせた日々を振り返り、ブナ林の中で深く呼吸をしながら感謝の祈りを捧げました。厄年として無事に過ごせ、そして地域の中の役割として伝統行事を無事に執り行なうことが出来ましたが、最後に重要なことはしっかり次の者達へ引き継ぐこと。少子化や過疎化による人口減少で、地域の中の様々な行事や文化、習慣までもが引き継ぎしにくい時代になりましたが、地域に残っている者として出来る限り・どこまでも繋いで繋いでいかなくてはならないと思っています。止める事、投げ出すことは簡単ですが、残る者たちで知恵を出し合い、そして本質を維持しつつも時代に合ったやり方を見出し、地域の伝統・文化を守っていかなくてはなりません。針生の歳の神は、そんな思いを持った針生の村人達が支え繋げてきた貴重な文化財なのです。
私が子供の頃と比べて、稲作の作業内容や作業風景も随分変わりましたが、もう一つ最近特に変わったと感じるのが田んぼの風景。何が変わったかと具体的に言うと、細木小屋がめっきり少なくなったことです。これは、稲刈りがコンバインに代わって‘はで掛け’が不要になったからであり、理由は明確なんですが、それでも役目を終えたとはいえ田んぼのいたる所にひっそりと細木小屋がありました。ですが、一つまた一つと冬を越す度に、役目を終え雪の重みに耐え切れなくなった細木小屋が田んぼからどんどん姿を消していっています。そんな中、未だに健在なのが我が家の細木小屋!!消えつつある細木小屋の理由の裏返しですが、我が家のもち米だけは未だにはで掛け。年に一度の出番とはいえ、秋のその時まで小屋の中でじっと待ち続け、稲をしっかり干した後は再び小屋の中へ入る細木達。今年は記録的な台風の当たり年となりましたが、そんな台風にも負けずしっかり役割を全うしてくれました。TPPの賛否を議論する体力・気力すらないほど地方の小規模農家はどんどん疲弊しているのが現状です。高齢化、後継者不足、効率化等々・・・、これからもどんどん作業風景や田園風景は変わっていくことでしょう。だからこそ、ゆったりとした時の中で手間隙かけ、大らかな農業を営んでいた風景はしっかり記憶に残しておきたいと、細木小屋を眺めながら感じました。
毎度毎度の風景、毎度毎度のネタ・・・ですが、今回は夏の事業の打ち上げと、この後に控える只見駅伝に向けた決起集会!ということで開催しました。ひのきスポーツクラブや、針生を舞台にした各種地域事業のメインメンバーはこの針生人チームですが、ここに地域を越え、世代を越え、浩和やショーヘーも加わり、駅伝の話からスキーの話まで、繰り返しになりますが世代を越えて馬鹿騒ぎ出来るのは貴重な時間。SNSの発達で、あたかも繋がっているような、あたかも一体であるかのような錯覚を持つこともありますが、それはあくまで仮想空間の中のことであり、本当の連携や協力は、時間をかけ共に汗を流し、実体験のこととして何かを成し遂げて初めて生まれるものです。その過程の中には、こうして酒を飲み馬鹿話しをすることも実に大事なことだと思っています。一人で出来ることは高が知れています。だからと言って、人と何かを成し遂げるのもこれはこれで大変なことですが、一人でやるよりも気苦労が多い反面、喜びも達成感も倍になって返ってくるからこそ、こうして集まって、次の‘何か’に向かってまた進んでいくのだと思います。
10月に入り今年の釣りシーズンも終わってしまいましたが、禁漁に入る9月に我が家の釣り吉が大岩魚を上げました。しかも1匹ではなく、40オーバーの大岩魚を立て続けに2匹。写真は45cmの岩魚ですが、長年誰にも釣られることなく、精々虫ぐらいの大した餌もない針生の川で長年生き続けただけあり、発達した下顎は見事!ただただ、こんな大物がいるのかと驚きと関心の繰り返しでしたが、これほどの大岩魚が棲む針生の川に魅力を感じずにはいられません。我々が小さい頃は、大体小学4年生ぐらいで自分の釣竿を手にすることができ、岩魚釣りではにごりっ川へ、鮒やボヤ釣りには鴫沼や竹蔵沼に足を運んでいました。現代の子供達に目を向けると、にごりっ川や鴫沼に子供達だけで行くことも、また親として行かせることも到底考えられませんが、それだけ昔の子供達は行動力があり、自然の中で生き物を捕る知恵があり、そしてその過程の中で後に財産となる貴重な体験を積んできたといえます。川を覗けば大岩魚が悠々と泳ぎ、空を見上げればオオムラサキが舞い、後ろの山には大シシタケが群生する針生の里。ここでの楽しみ方は無限大です。
だいくらスキー場を拠点に国内で活躍しているトップボーダーのうっしぃこと臼井祐二くんと、マイマイこと谷麻衣子ちゃんの結婚パーティーがだいくらスキー場で開催されました。2人はこの夏に開催した「南会津冒険王」のスタッフとして、参加者の子供達に針生を案内してくれたNew針生人!この素敵な2人が地元針生のだいくらスキー場でパーティーを開き、しかも我等が師匠、大・大針生人のスクール校長(久弥さん)がお祝いの言葉を贈る、こんな最高なことはありません。当初は、自宅のゲストハウスツムットをメイン会場に周辺ペンションや緑の広場を活用し屋外パーティーを開催する予定でしたが、この台風の影響で会場が急遽変更となりましたが、パーティー用の食料・食材は地元のものを多く取り入れたばかりか、たくさんの地元の人々が郷土料理コーナーをはじめ飲食コーナーを手掛け、またパーティーの企画・準備、当日の進行までも地元をはじめ多くの人々が関わり、私自身今までに経験がない地元の資源・素材を最大限活用し、かつ人の手によって創り上げられた最高のパーティーに感じました。地域づくりには「よそ者・若者・馬鹿者」が必要というのはもう聞き飽きた言葉ですが、今回のパーティーで改めて若く、県外からここ針生に移り住んだ2人の価値を創造する力、人々を巻き込み魅了する力は、これからの地域づくりに欠かせない力だと感じました。過疎化、少子高齢化の波を打ち消すことは出来ませんが、こういった若者が1人でも2人でも住み、そして活躍する場がある針生を目指していきたいと考えています。
この夏、ひのきスポーツクラブで開催した南会津冒険王プロジェクト。下の記事はその第1弾の内容を紹介しましたが、その後3泊4日の第2弾も開催し、合計で1週間のプログラムを針生を舞台に展開しました。その際に配布したアンケート調査がこの度回収されましたが、そのほとんどのアンケートに「自然の中での遊びに子供達は感激して帰ってきました」と記されていました。特に印象に残った感想は、「一度は福島に戻るのを嫌がる言動がありましたが、もう少し福島(針生)にいたかった〜、と福島に対する怖いイメージから抜け出したようで親としても嬉しく思います。田舎(針生)の野菜が美味しかった!大人になったら田舎で畑を借りて、自分で野菜を育てて売りたいと言ってます」というもの。冒険王は、震災支援事業として平成24年から形を変え、内容を変え実施してきている事業ですが、原発事故の影響で外で思い切り遊べない浜通りや中通りの子供達のほか、今は福島を離れ県外に避難している子供達が参加することもあります。そういった子供達に、震災や原発事故の影響で引き裂かれた福島の自然に再び触れ、自然の良さを再度思い出してもらいたい、そんな思いを込めて事業を実施していますが、今回のアンケートからは私達のその思いがしっかり伝わっていることを感じ取れました。自然だけがある何にもない地域とよく言われますが、何年も何十年も変わらない自然がここにあることがいかにありがたいか。原発事故によってそのことを一層強く感じる一方で、福島の復興のために、不自由を強いられている福島の子供達のために、この針生の大自然の中で貢献出来ることがあるのなら、まだまだ頑張らねばとアンケートを読んで感じました。
針生全土を使った7時間耐久鬼ごっこも無事に終了しました。今年は「南会津冒険王」のプログラムの一環として実施したこともあり、参加者は過去最高。事業の主催はNPO法人ひのきスポーツクラブではありますが、主管メンバーは例年通り針生人。今年は鬼ごっこ以外に冒険王の各種プログラムで針生が使われたこともあり、この間多くの子供達が集落内を駆け回っていましたが、小学校が閉校したこともあり、地元の高齢者の方々から「久しぶりに子めらの声で村の中が賑やかでいいわぁ」と嬉しい言葉を頂きました。7時間耐久鬼ごっこは、時に人の庭や畑に入ってしまうこともありますし、今年開催した冒険王でも集落内のいろいろな場所を使わせて頂きましたが、針生という集落だからこそ実施出来たと感じます。子供達をはじめ多くの人達を楽しませる豊富な資源、プログラムを支える人財、そしてそれらを温かく見守る集落の人々。これらが揃った針生はやっぱりいいとこですね!
ここはかつて1mから2mぐらいの土手に支えられた豪快な棚田が広がっていた針生広窪地区。我々が高校生だった頃までは一面耕作された豊かな田園地帯でしたが、次第に遊休農地となり、7、8年前には最後の耕作地も姿を消してしまいました。我々の先祖は、戦後の食料不足の日本を地域を家族を支えるため、悪条件の地であっても山を切り拓き、土地を耕し、遥か先から水を引っ張りながら農地を確保し守ってきました。今ほど経済活動が豊かでもなければ、今ほど生活が複雑だったわけでもない時代、ただただ国を家族を守るという非常にシンプルな目的だったかと思いますが、そこには我々の想像を絶する苦労と、遠く及ばない国や家族を守る強い想いがあったことと思います。そんな苦労や思いのある土地も、僅か数十年で荒れ果て、モリアオガエルが卵を産んだ土手も、ホタルが飛び交った水路も、黄金色に輝いていた田んぼの面影はどこにもありません。今この国の農業はTPPへの加入で揺れています。グローバル世界に耐えうる強い農業を目指し、農地の集約化を図り効率的な農業経営に取り組んでいます。世界をはじめ大きな市場を相手にする農家はそれでいいでしょうが、国を支え家族を支え小さな余力で細々と土地を耕し続ける農家はどこに向かっていくのか。今や国内の主食の座も奪われかねない米の消費量も考えると、この先数年でこういった土地が針生地区のあちこちに増えていくことでしょう。こればかりは、我々の力ではどうにも出来ない問題ですが、変わり行く風景をただただ見つめているのは辛くもあり、虚しくもあります。
夏の恒例事業となった7時間耐久鬼ごっこをはじめとした夏事業の開催を前に、こちらも恒例の「針生人決起集会」を開催しました。2時間半の飲み放題+延長しての飲み会となりましたが、夏事業の打ち合わせはどこに??と、言ってもそれはいつものことで、こういったことを口実にこうして集まり、酒を交わしながら飽きもしない昔話や、地域のいろんなことを語り合うこと自体が意義あることだと思っています。こういったつながりから地域を盛り上げる事業が生まれ、子供達が楽しめる事業が続いていくものですが、大切なことは自分達も楽しむこと。この夏も、鬼ごっこ等で汗を流し、打ち上げでビールを飲んで、只見駅伝で汗を流し、打ち上げでビールを飲んで・・・、自分達も楽しみながら地域を元気にしていければと考えています。
すっかり我が家の恒例行事となた駒止湿原ハイキング。昨年は春と秋に2回足を運びましたが、今回は初夏のワタスゲを見に行ってきました。訪れたのが6月9日でしたので、まだ咲き始めでしたが、それでも一面広がるワタスゲの絨毯の上を、周辺から聞こえる春ゼミの声を聞きながら気持ちよく歩いてきました。普段仕事をしている我々にとっては、こういった自然の中に身を置くだけで身体が癒され、心が洗われる思いがしますが、子供は子供なりに足元に咲く小さな花や、忙しそうに飛び回る虫を観察しながら楽しんでいました。山々に囲まれたこの地からは、遊園地などのレジャー施設や様々な娯楽施設へは時間とお金を掛けて行かなくてはなりません。逆にそういった所に住んでいる人達は、時間とお金を掛けてこういった自然の中にやってきます。私はこの地に住んでいながらも、お金と時間を掛けて来るだけの価値であることを十分認識していますが、我が子達も自然の価値というものを、この地で過ごしながら感じていってほしいと願っています。
針生小学校が閉校となり、どことなく村の中がひっそりとしている様に感じる今年の春。さらには、春とは思えない寒さも続き、春はどこかへ行ってしまったのか?と感じる日が続いていましたが、ここに来てようやく村の中にも春の訪れを感じられるようになってきました。5月の連休前にソメイヨシノは開花し、次いで村中にある何本かの山桜も開花しました。‘針生の山桜’で有名なのは、台鞍荘近くの桜ですが、私的にお気に入りの山桜は写真の桜。村の中で最も高くかつ奥にあるこの桜は、そのたたずまいから静かにそして優しく針生を見守っている様に見えます。時代の流れと共に、人々の暮らしや針生の状況は変わっていきますが、季節が来れば毎年変わらぬ姿を見せてくれる木々や野花に、いつも心が救われ、ちょっとした勇気をもらえる気がします。H25.5.3











3月23日、とうとう針生小学校の最後の日がやってきました。閉校式に出席出来なった地域の方々、故郷を離れ母校に思いを寄せる卒業生の皆さんのために、その模様をお伝えしたいと思います。

その前に針生小学校の沿革を記しておきます。(閉校式典次第より転記)
 明治10年 静川小学校より分離し、針生小学校を称す(就学者数31名)
 明治26年 針生尋常小学校となる(教育令改正)
 大正元年 檜沢地区小学校合併により檜沢小学校針生分教場となる(六村合併)
 昭和27年 児童数増加により、六学級による単式編制となる(児童数152名)
 昭和34年 田島町立針生小学校となる(昇格)(児童数176名)
 昭和38年 学校給食実施(完全給食 週五日制)
 昭和52年 新校舎落成
 昭和62年 新体育館落成
 平成18年 南会津町立針生小学校となる(町村合併)
 平成25年 3月閉校(児童数21名)
  全卒業生662名(昭和34年度〜平成24年度)

今回の閉校式は、平成24年度卒業式の後に行われました。式場には、歴代PTA会長の他、最後の式を一目見ようと、針生のおじいちゃんおばあちゃん方が多数参加されておりました。
式では、町及び学校関係者の挨拶の後、最後の生徒となった21人の子供達がステージに上がり、針生小学校の思い出、来年度から通う檜沢中学校や桧沢小学校に対する抱負を発表しました。子供達は実に元気に、前を見て力強く思いを発し、校長の挨拶でも「心配はあったが、卒業式の姿を見て子供達に希望を感じた」と話されておりましたが、針生の子供達といつも接している中で、ほとんどの子供達が「針生のままがいい〜、行きたくね〜」と言っていることを知っているので、子供達の本音、本当の言葉が聞けなかったのは、針生人として、針生小学校の卒業生として少し残念に感じました。
この後式は、校旗返納に進み、これまで学校に掲げられていた校旗は町に返納され、針生小学校の役目はここで終わることになりました。引き続き歌われた最後の校歌では、会場のいたる所からすすり泣きの声が聞こえ、子供達の歌声だけが体育館に響いていたのがとても印象的でした。そういう私も、隣りの忠と後ろの奈保美につられ!?歌になりませんでした(苦笑)
これまで多くの子供達を迎え見送った校門は、「記念碑」として校章と校歌が刻まれ、最後にその除幕式が行われました。
針生小学校の閉校は、子供達の声に耳を傾けるわけでもなく、また地域に与える影響も検討されることなく、「子供達の教育環境の整備」という視点のみで進められてきました。今となれば、これはこれで仕方ないことであり、後は我々大人が、針生小学校に通っていた子供達と同じように、これからの子供達も確かな地域の教育力で、確かな郷土愛で見守り育てていかなくてはならないと思っています。子供達が一人ずつ発表をした時、会場のおじいちゃんおばあちゃん方は、我が孫を見るように優しく温かい眼差しで見つめていました。この眼差しこそが、これまでの針生小学校が築き上げてきたものであり、これこそが我々が守っていかなくてはならないものだと改めて実感しました。
針生小学校はとても素晴らしい学校でした。そしてここで育った子供達も本当にいい子達でした。出来れば我が子もこの校舎で学ばせたかった・・・。この思いは、今度は地域活動の中で生かしていきたいと思います。
先週の金曜日でしたが、針生小学校としての最後の校内スキー大会が開催されました。我が母校の最後のスキー大会であり、昔も今も針生で頑張っているスキーっ子達の最後の大会でもあるので、その風景を、その姿も見納めとなるので休暇を取って応援に行ってきました。が、最後の校内スキー大会というのに、何と天気は大荒れ(涙)それでも針生の子供達は、雪まみれになり風雪でほっぺを真っ赤にしながらも、大会を楽しんでいました。何度かこのページでも書いていますが、今の針生小学校は、昔の様にスポ少スキーに取り組んでいる子供達が非常に多く、そしてその子供達のために一生懸命サポートしている保護者も同じように多く存在します。多くの「スキー仲間」が近くに存在することは、共に苦楽を共有出来る良き仲間である一方で、スタート台に立てば年代・性別に関係なく、ライバルになることもあります。仲間が強敵にもなり、幼いながらもその競技人生の中では様々な葛藤を抱えながら成長していくことになります。これからさらに競技性が高まり、より上の結果を求める年代に入っていくと、今のような純粋にスキーが楽しく、無邪気な笑顔を見せることも無くなっていくでしょう。ですが、「昨日の敵は今日の友」ではありませんが、やがて大人になった時、そんな身近にいた仲間が近くにいたライバルが、かけがえのない「友」であったことに必ず気付くことでしょう。同じ幼少時代を過ごし、同じようにスキーに取り組み大人になった、雄やかったかくん、誠一君や奈保美達の姿を見ているとそう感じます。学校が消えても、良い環境、良い循環は維持していきたいものです。
南会津町指定無形民俗文化財に指定されている、小正月の火祭り行事「針生の歳の神」の一連の行事を今回はどど〜んと連載します!!

その1 歳の神に向けたご神木伐採
 山の木の葉も落ち間もなく雪が舞い散る11月末、針生の男達は1月の歳の神に祀る神木を選びに山の中に入っていきます。神木とするのはブナの木。豊作を願う神木は、幹は真っ直ぐにそして豊かに実る稲穂に見立て枝が広がっているものを選びます。
 ご神木を見定めるのは区の役員をはじめ‘重鎮’の方々ですが、主役は42の厄年の男達。この後主役として仕切っていく歳の神のご神木を最後に決定するのは厄年の男なのです。
その2 いよいよ伐採
 ご神木が決まるといよいよ伐採です。まずはお神酒をかけ、その後‘よき’で切り口を入れます。これも厄年の男達が順に行いますが、最後はチェーンソーで伐採。
その3 倒れたご神木の運び出し
 伐採後は、皆で協力して林道まで運び出します。この作業もあるため、選ばれる木は自ずと搬出しやすい所にあるぶなの木となります。
その4 ご神木はトラックで運搬
 ここからの作業が私達が子供の頃に目にした風景とは異なります。
 以前は、1月2日にご神木を伐採し、それを1月4日に「歳の神曳き」と称して針生の村中を曳いて歩いていました。私達が子供の頃は、歳の神がやってくるのが楽しみで楽しみで、家の前で「今か今か」と待ちわびていると、どこからともなく「ワッセ!ワッセ!」と男達の掛け声が聞こえ始め、それが合図となって村人は皆道路に出て歳の神を迎えました。その後、村の中ではみかんまきや、歳の神を使った「力比べ」が行われ、雪で閉ざされひっそりとしていた針生も、この時ばかりは活気に包まれたものでした。そんな歳の神曳きも、主役となる厄年の男達の減少によって今では消滅し、こうしてトラックで運搬するようになったのです。
 
その5 歳の神の会場に搬入
 村まで運んできたご神木は、1月に行う歳の神の会場に運び込みます。山に入った男達が再び力を合わせ、雪で倒れぬようご神木をしっかり立てかけておきます。
おまけ 厄払いは熊の神社で
 歳の神を取り仕切る42の男達は、1月2日に針生の熊野神社で厄払いを行います。この時のお祓いは、42の男みならず、33の女、25の男、19の女にも声を掛けて行います。この声掛け、厄払いの一切の段取り・準備も42の男の役目となります。
その6 いよいよ歳の神当日
 1月14日に歳の神は行われます。当日は朝から42と25の厄年はもちろん、大勢の村人によって歳の神の準備が行われます。まずは、ご神木に稲藁を巻き付ける作業から。ご神木を立てた際、その重みで落ちることがないよう、皆声を掛け合いしっかり絞めながら進めていきます。42の厄年が主役とは言え、村の高齢者の知恵とやり慣れた作業に入ることも出来ず、やがて後世に伝えられるよう、ただただその作業を見つめるのが精一杯(苦笑)
 ちなみに、巻き付ける藁は12段と決まっています。
その7 ユウドリ、アサドリ作り
 ご神木を立てる準備をしている一方で、誰に役割分担を指示されたわけでもなく、歳の神を祀る「アサドリ・ユウドリ」と呼ばれる、針生独特のかまくら作りに精を出すメンバーも。円状に作られたかまくらに、松やしめ縄を手際よく飾っていきます。
その8 いよいよご神木がお目見え
 私達が子供の頃と比較してかなり小さくなってきているご神木ですが、それでもこれを立てるのは大変!はしごで支えながら、四方をロープで調整し皆で声を掛け合い立てていきます。最後はこの木を再び皆で持ち上げ、木の重みを利用して田んぼに突き刺します。雪を破り田んぼまで貫通し、倒れないことを確認して作業は完了。
その9 影で支える婦人会と厄年の奥様方
 朝から寒い中で歳の神の準備をした男達を待っているのは、温かい昼食。男達同様、朝から管理棟に集まりおにぎりや豚汁を作っているのが婦人会と厄年の奥様方。区長が皆の労をねぎらい、温かい料理と酒で疲れ冷えた体を癒します。
その10 いよいよ歳の神が始まる
 ご神木立ての大仕事を一つ終えた厄年の男達は、夜の歳の神の準備へ。夕方にお党屋となる清水荘に集まり、お参りした後、厄払いの大天狗と小天狗が身に付ける幣束やしめ縄作りを行います。
その11 大天狗と小天狗
 25が小天狗、42が大天狗を身にまといます。25と42の時だけで、しかも同級生の中でたった1人の者しかその役を務めることが出来ないため、天狗の面をかぶると自ずと身も心引き締まり、神聖な気持ちになります。ここから先の神事は、昨年の歳の神を様子をご覧ください。

〜厄年を終えて〜
 今年42の厄年を迎えた私達の年代が、この一連の歳の神の主役でした。年々減り続ける村の人口と共に、歳の神の姿も変わってはきていますが、それでも何とか次の代へ・次の代へと受け継がれている歳の神。42にもなれば、職場でも中堅となり、社会でもそれなりに経験を積んだ世代となりますが、何十年も受け継がれてきた‘伝統行事’を前にすると、まだまだ若造にすぎず、ましてこの伝統行事を知り尽くしている村の老人の前では、知識も経験もない浅い人間であることを改めて実感しました。厄年とは‘役’年とも呼ばれています。こういった役を担うことによって、その村でようやく一人前として認められていくのだと、身を持って感じました。「伝統」という時間の重み、それを支えてきた村人の「心の深さ」を知ることで、村(集落)を形成している根底にあるものを感じることが出来ました。
イベントの打ち上げを兼ねて定期的に開催している「針生人会」ですが、今回は只見駅伝の打ち上げとして開催しました。今回の只見駅伝はそれほど良いタイムではありませんでしたが、それでもタイムと成績を振り返って熱く語り、そこから中学校時代の駅伝の話になり・・・、小学校・中学校の思い出話しになり・・・、そして最後はスキーの話し・・・。毎回毎回お決まりの流れですが、それでもネタが尽きないのは、子供時代に共有した時間が長く、かつ遊びからスポーツまで幅広く濃密な経験を共にしてきたからだと感じます。今に目を向けると、同じ地域内に遊べる友達も少なく、また多忙なスポ少活動によって遊べる時間が少なく、仮にあっても事件・事故から避けるため外遊びも控え、子供同士の濃密な時間・豊富な体験というのがほとんど消えた様に感じます。幸いにも、子供時代に豊富な経験を積み重ねてきた面々が現在子供達の指導に当たり、また先述の子供達を取り巻く環境をより良き方向に導くべく地域行事・イベントが行われています。間もなく針生小学校も閉校となり、地区の将来に不安を抱えながらも、全ての物事は人の手によって成り立っていくことを考えると、人財豊富な針生は何とかなる!と、心から思えます。
 H24.10.22
非常に見づらい画像ですが、多く写っている小さい黒点は実は「ヒメゲンゴロウ」です。(ちなみに一番大きいのはタイコウチ)ホンゲンを採取したわけではないので、アップする出来事でもないのですが、それでもヒメゲンゴロウをこれほど大量に目にしたのは何十年ぶりでしょうか。昔は、水溜りがあればどこにでもいるぐらいのゲンゴロウでしたが、今やその姿を目にすることはほとんどありません。水質悪化の影響を最も受けやすいゲンゴロウは、農薬の影響もあって田んぼやその水路からほとんど姿を消していきましたが、今回は稲刈りを終えた用水路から大量に採取することが出来ました。ここまでの数を見たのは子供の時以来でしたので、思わず感激しそして敢えて画像にアップした次第です。ヒメゲンゴロウの越冬形態は幼虫ですので、この時期に元気に泳ぎ回っていることには疑問が残りましたが、昔の様に再び田んぼや水路で元気に泳ぐゲンゴロウの姿が見たく、そっと水の中に戻してあげました。
今回で6度目の挑戦となった只見駅伝大会。年齢があがる一方でなかなかタイムは上がらない状況の中、今年も懸命にタスキを繋いで・繋いで無事ゴールしました。記念すべき50回目の大会でしたが、例年より参加チームが少なく、少し物足りなく感じましたが、我がメタボ軍団はタイムはやや落としたもの、ほぼ例年通りの順位をキープしました。毎年、助っ人が入ったり、私が所属しているHUUEから選手が入ったりしていましたが、今年は出場当初の純メタボ軍団!しかも欠場選手の穴埋めに最終兵器!?の忠が参入したので純メタボというより、純針生人チーム!?とも呼べるチーム編成でした。我々と同じように長年出場されているとあるベテランチームの方に「ほとんど針生だけでのチーム編成か??凄いな〜」と驚かれましたが、特段上位を狙うわけでも、マラソン愛好者で編成されたわけでもないチームでも、こうして本気になって走って、笑って、互いに馬鹿にし合いながら(笑)も出場し続けられることは幸せなことです。町内を見渡しても、一行政区で駅伝大会に出場しているのは針生だけ。何にも一生懸命な面子が揃っている針生はやっぱり最高です★打ち上げは10月20日。ネタは十分!みんな浴びるほど飲むんだろうなぁ(汗)
町内各地で始まった稲刈りも後半戦に突入し、刈り取りされない田んぼが少なくなってきました。大半の田んぼが、機械を所有している人の順番を持ついわゆる‘コンバイン待ち’の状態の中、我が家の田んぼでは一足早く9月22日に家族総出で稲刈りを終えました。この田んぼは何度か紹介していますが、冬に栃餅に加工される‘もち米’を栽培している田んぼで、こうして今でも刈り終えた稲をはでに掛けて天日干ししています。小さい頃は、せっかくの休みに田んぼの手伝いをさせらるのが嫌で嫌で仕方がありませんでしたが、大人になった今では田植えの手直しにしても、こうして稲を集めてはで掛けをするにしても、山々に囲まれた田んぼの中で過ごす時間が非常に心地よく感じます。もちろん田植えや稲刈り以外の日常管理は父親が一人で行っているので、その苦労を知ることなく心地よいと言っているわけですが、それでもそう思えるということは、小さい頃から色々なことをこの田んぼの中の時間で学び、そしてその価値観を今はっきりと理解しているからだろうと思っています。実家の甥や姪、そして我が息子達も私の子供時代と同じような体験をこの田んぼで体験しています。世代を越え、同じ経験が出来る場を悠々と営々と築いてきた父親に改めて感謝しています。
先日、南会津スポ少ソフトボール大会の新人戦が開催されました。ずっとずっと前に2種審判の資格を取得したものの、ひのきやHUUEの活動でここ数年はコートから遠ざかっていましたが、今回は久しぶりに審判として大会に参加してきました。私が審判をするコートではありませんでしたが、針生スポ少の新チームも出場し、活躍を直接見ることは出来ませんでしたが、なんと針生の子供達は3位入賞を果たしました。最高学年の5年生は僅かに2人、外野には1年生が入ってのチーム編成ながら見事に賞状を手にした子供達を誇りに思いました。同時に、ここにたどり着くまで、何年も何年もずっと子供達を指導し続けてきた監督の長年の努力に胸が熱くなりました。男女混成チームで他チームほど公式戦に出れなく、また出場してもなかなか勝てないチームでも、子供達を励まし、時に厳しく叱りながらもここまで子供達と歩んできた監督の姿勢は、地域指導者としてあるべき姿といえます。公式戦で悲願の表彰状を手にしたものの、残念ながら小学校の統合によって「針生」のユニホームを見れるのは今回が最後。ソフトボールに限らず、針生小学校にはスキーや卓球、野外活動等(休部)、素晴らしい地域指導者・地域の大人達が大勢います。それらの指導者によって、他地域にはない環境が作られていましたが、小学校の閉校によりどう変化していくのか・・・。ソフト大会で嬉しそうに表彰状を手にする針生っ子を見ながら、例え閉校となっても針生っ子の笑顔が続く環境が維持されることをただただ願うのみでした。(H24.9.1)
お盆を利用して、今年度で閉校となる針生小学校の見学会が開催されました。懐かしき学びを見学し、最上階の家庭科室から外を眺めると、澄み渡った青空の先におなしの山と七ヶ岳が美しき稜線を描いていました。思えば小学時代は、授業中いっつも眺めていたな〜と、窓から見える風景がとても懐かしく感じました。多くの先輩方が、そして多くの後輩達も同じようにこの景色を眺めながら勉学に励み、この学び舎を巣立っていったわけですが、自分の母校が無くなるのがやっぱり寂しいものですが、美しい校歌を胸に、この学校で学んだことを誇りに思い、これからも地域に貢献出来る者でありたいと誓いを新たにしました。
 山なみはるか 雲白く 駒止に光 輝きて みなもと深き 大川の 流れぞここに湧き出づる
 朝風わたる 学舎の しるしと咲きし 水芭蕉 真白き花も芳しく 姿清らに 寄り集う
 雲立ちのぼる 七つ岳 わが師と共に仰ぎ見て 高き理想を目ざしつつ 学びの道に励まなん
  ああ針生 われらの針生小学校
  (佐藤広市 作曲)
針生を舞台に開催する夏の大イベント「7時間耐久ザ・鬼ごっこ」を無事終えることが出来ました。今年も前日は川遊びにナイトウォーク、そして翌日に鬼ごっこと、密度の濃い日程でしたが何とか乗り切ることが出来ました。何かと大変で手間のかかるイベントですが、それらを手掛けられる要因は何と言っても「人」です。前日のナイトウォークでは智和や光っちゃんが、鬼ごっこでは前日のナイトウォークや川遊びに続きかったかくん夫婦に誠一くん夫婦、そして太や忠と皆それぞれ忙しい中駆け付けて協力してくれてます。我々が小さい頃は、生活や労働の中心が農業だったこともあり、親の働く姿(農作業)を見て育ちました。時代は移り、生活や就業のスタイルが変わったことで、働く姿を子に見せにくい現代においては、イベントではありますがこういった社会活動や地域活動を通して貢献する大人の姿を見せることが重要ではないかと考えています。大勢の大人が様々な地域活動に集い、そしてその輪の中で地域の子供達が育っていく。その循環があるからこそ地域・集落が維持されていくのだと思います。昔から続く歳の神や盆踊りが今直姿を変えず守り続けられていることで、その循環が保たれ、だからこそ鬼ごっこや雪芭照といった新たなイベントも成り立つのだと思います。子供が少なくてもスキーやソフト等々、スポ少活動が活発なのもそういった風土ではないでしょうか。H24.8.5
すっかり夏の恒例行事となった7時間耐久鬼ごっこを控え、鬼ごっこをはじめ夏事業を支える針生人の決起集会を開催しました。冬はスキー、春からはスポ少や針生で開催する夏事業に関わる「地域活性化」に欠かせないメンバーですが、何時間も行われている飲み会の中でのネタはほとんど‘昔話’。歳をとったからなのか、それとも話すことが他にないからなのか・・・、そうではなく、それだけ様々な体験・豊富な体験をしてきているからだと私は思っています。私達が子供の頃は、自宅に楽しめるものなんてありませんでしたので、学校から帰ればランドセルを放り投げすぐさま外に飛び出していきました。その先には必ず仲間が待ってました。仲間と日が暮れるまで(針生では‘ボーッ’が帰る合図)遊んでいましたが、この中で子供ながら知恵を働かせ、いろいろないたずらをしては地域の人達に叱られ、上級生の遊びに交ぜてもらい、必死に逃げたり隠れたり。こういう中で、事の善悪を覚え、体を目一杯動かすことを覚えていったわけですが、遊びも生活もほとんどの事が人対人で動いていました。今はどうなのか?は、ここでは論じませんが、こういう中で育ってきたからこそ思い出が濃密だし、こういう経験を積んできたからこそ、子供達の指導に一生懸命になれ、地域の行事にも積極的に関わり、そしてスキーや駅伝など今でも自ら楽しめるのだと感じています。時が経ってもこうして共に語り、共に地域活動を行える仲間がいることは嬉しいものです。
H24.6.30
去る6月17日に七ヶ岳の山開きが行われました。途中途絶えはしたものの、小学校の時から登り続けている山ですので「山開き」と聞くだけで、全身がワクワクし始めます。この七ヶ岳は言うまでもありませんが、護摩滝での滝登りから沢登り、そして山頂での大パノラマを眺めた後は山越えの縦走と、非常に変化に富んだ登山コースを擁する山です。小さい頃からの体験で、この山の魅力にすっかりとりつかれている私は、登山中は本当に楽しく・気持ちがよくて仕方がありません。嬉しいことに、同じように子供の頃に一緒に登っていた仲間や先輩方が、今では子供を連れて登っており、今年も雄やかったかくん、誠一君が子供と一緒に登っていました。我々が小さい頃そうであったように、きっと子供達にとっては単なる山登りでしょうが、この体験がやがて財産になること、そして大人になって再び登るとまた違った景色、違った感覚を得ることでしょう。身の回りにいくら豊かな自然があっても、それを五感で感じる体験が無ければ自然の良さや面白さは分かりません。それらを次の世代にしっかりバトンタッチしようとしている針生人がいることこそが、この地域の本当のいいところなのです。 左の写真は縦走中のものです。稜線に沿って歩くコースは、天空を歩いているかのようです。 H24.6.17
今年も、一斉に新芽が開き、春セミと蛙の合唱が始まる最高の季節がやってきました。震災が発生して2回目の春ですが、震災の影響や原発事故による風評被害がまだまだ続いてますが、ありがたいことにいつもの様に我が家の田植えを行うことが出来ました。震災の影響だけではなく、人々の生活そのものが「物を作る」場所からどんどん遠のいていっている現代だからこそ、田植えをはじめ生産の場所に立てること、そしてそれらを小さい我が子にも見せてあげられることを嬉しく思っています。我々より上の世代の方々は、こういった場所で育ち、いろいろなことを身に付けながら成長されていったと思います。そんな場を、その中にある伝統や風習も、出来る限り我が子にも経験させたいと考えている今日この頃です。
子供を連れて久しぶりに駒止湿原に行ってきました。丁度、水芭蕉が見頃を迎えており、周囲のブナ林の新緑と水芭蕉のコラボが新鮮でした。この湿原は、南会津と昭和村にまたがっている湿原で、大谷地をはじめとする三つの谷地で構成されている国の天然記念物です。私が小学校の頃には、毎年学校事業でここを訪れ、開墾地と呼ばれる広場で走り回った記憶が今でも残っています。現在は、その場所は町が買い取り、指定エリアを拡大し、何も無かった場所にはブナの植樹が行われています。駒止湿原は、町の重要な資源でありますが、観光資源である一方で貴重な自然資源でもあるため、その共存はとても難しい問題です。ですが、現在は湿原を守る団体も設立され、丁寧な保存と利活用が行われています。私も昨年、この団体が主催する研究発表会に誘われ、「針生の蝶」というテーマで事例発表させて頂きましたが、自分に出来る範囲でこの貴重な資源を、後世に残す努力をしていきたいと考えています。
ゴールデンウィークの前半は天候に恵まれたものの後半は生憎の雨。しかし、連休終了間際にようやく晴れ間が覗きました。田島の市街地は桜も散ってしまいましたが、ここ針生は満開。カメラを持って出かけると、針生小学校の桜が見事に咲き誇っていました。考えてみれば、この針生小学校は今年度で廃校となるため、この桜の木が子供達を見守るのもこの春が最後となります。子供達がこの校舎からいなくなっても、来年も再来年も・・・これまで何十年もこの場所で咲き誇ってきたように、この桜の木は何も変わらず咲き続けることでしょうが、そこにはもう子供達の姿はないと思うと、とてつもない寂しい思いがこみ上げてきました。そんな思いで桜を見つめていると、さっきまで穏やかだった天気が急変し強い風が吹き始め、桜の花びらが舞い散り始めました。校庭では2家族が親子でソフトの練習をしていましたが、最後の桜が咲き誇る校庭で、スポーツを楽しんでいる姿がとても印象的でした。 H24.5.6
この冬は大イベントの雪芭照を開催することが出来ませんでしたが、その分というわけではありませんが、針生の貴重な観光資源である「だいくらスキー場」で2つの大きなイベントを開催することが出来ました。1つは、日本アスリート会議が主催するウォームアップジャパンin東北・ふくしま大運動会、もう1つは「福島の子供達にスキーを楽しんでもらうプロジェクト」で、どちらも震災復興支援事業として開催したものでした。どの事業とも、担当として又はスタッフとして関わりましたが、事業を通して多くの子供達にスキーを楽しんでもらったわけですが、それをここだいくらスキー場で開催出来たことを嬉しく思っています。それぞれの事業は、会場地として提供しただけではなく、いろいろな形で針生の皆さんにも関わってもらいましたが、特に「福島の子供達にスキーを楽しんでもらうPJ」では、参加者(中通りの子供達)に交じって針生小学校と檜沢中学校のアルペンスキーの子供達も一緒に参加し、スキーや雪上運動会を楽しみましたが、震災や原発の影響でまだまだ先が見えない福島ですが、そんな中にあってもこの地にはこの地の役割があること、そしていつの時代でもどんな状況の中でも、子供達の笑顔を作るのは我々大人の役割であることも改めて実感しました。
普段は中学生のスキーを指導している私ですが、先週は久しぶりに小学生も一緒に指導しました。土日の2日間の練習でしたが、日曜は天気も悪くまた小学生は普段滑らないやや急斜面での練習でしたが、寒さ斜度に負けず、果敢に滑る子供達に将来性を感じました。後一冬で「針生スキースポ少」という名前は無くなってしましますが、小学校が無くなっても、大きな小学校に流されず、スキーもソフトも頑張る今の姿を続けていってほしいと願いながら練習を見つめていました。私の息子も後数年で小学校に入ります。私もジュニアスポーツ世代の活性化・強化に貢献していきたいと思っています。
















1月14日、針生地区の歳の神が行われました。今回は、その模様をお伝えします。
歳の神を執り行うのは、42歳と25歳の厄年の男達。その前後である前厄と後厄の男達も歳の神を支えます。
針生の歳の神の一番の特徴は、天狗と烏天狗が登場することです。そのお面を代々保管している民宿清水荘に、歳の神を執り行う男達が集合します。祭壇にお参り後、天狗と烏天狗が羽織る着物の腰に巻くしめ縄結いを行います。結い上げたしめ縄に、煮干とワカメを差し込んで完成です。









準備が整うと、42の男は天狗を25の男が烏天狗を身にまとい、古峰ヶ原神社にお参りに行きます。













天狗を身にまとった瞬間から、言葉を発することは厳禁です。そのため、世話役の者が常に付いて歩きます。雪に包まれた針生の集落と天狗の姿が神秘的でした。













古峰ヶ原神社でお参りを済ませた後、再び清水荘に戻りお膳を頂き腹ごしらえをし、本番に備えます。その頃御神木が祀られている会場には、厄払いのみかんまきを待つ人々が集まり始めています。
みかんまきは、ユウドリ、アサドリと呼ばれるかまくらの前で行われます。











みかんまき後、いよいよ天狗が登場します。ユウドリ、アサドリの御神灯から火を頂きます。













いよいよ御神木に点火です。














火は一気に燃え広がり、皆団子やスルメ焼きを行います。













天狗と烏天狗は地区の方々にお神酒を振る舞って歩きます。














全ての行事が終了後、全員で打ち上げを行いました。少し前までは、1月4日に御神木を切り、針生の集落内を曳いて歩きましたが今では1月14日に歳の神だけになってしまいました。その原因の一つに、年々厄年の男達が減っている事が挙げられますが、それでも前厄・後厄の者達も協力し何とか針生の歳の神を支えていますが、こういった昔から受け継がれてきている地域の祭事もその他の行事も、時代と共にそのやり方は多少変わったとしても決して途絶えさせてはならないと思っています。今回の歳の神は、厄年の男達の厄払いであることはもちろんですが、25と42の男達がこの地の伝統的な祭事を滞りなく執り行うことで、地域の担い手としての意識持ち、地域の中での存在感を高めるものだと実感しました。こうした地域行事で、先人が築いてきた文化に触れ、地域の先輩からいろいろなことを教わり、地域がそして地域人が育っていくのではないでしょうか。
今年の初日の出を、だいくらスキー場中央ゲレンデ山頂で待ちました。残念ながら若干雲がかかっていましたが、それでもしっかりと初日の出を拝むことが出来ました。このだいくらスキー場は、今年30年目を迎えました。昭和57年12月19日にオープンした台鞍山スキー場は、農林水産省の新林業構造改善事業によって整備されたスキー場です。この事業は、林家の雇用対策や出稼ぎ防止対策のために弾力的に運用されたもので、県内指定第一号であり、またこの事業でリフト整備(現在の中央リフト)が出来たのも、後にも先にもこの台鞍山スキー場だけでした。昭和40年代の針生地区は「みぞれが降りはじめ寒い冬の到来を目の前にし、女は冷たい川で手を赤くし野菜洗いを続けている。男は厳しい吹雪から女子供を守るために家の周りにわらを並べ冬囲いに精を出す。それが終わると男達は、家族を残して出稼ぎに旅立つ。針生地区は、町内でも出稼ぎが多いことで知られ、針生の冬はタバコも酒も売り上げが落ちると言われる時代であった」と台鞍山スキー場10周年記念祝賀会の文書に記されています。昭和47年に運輸省は「都会の子供達を自然に親しませ、心身共に健康な子供を育てる」ため、優れた自然環境地域として針生地区を青少年旅行村に指定。この時に、針生のキャンプ場や民宿、中央管理棟が整備されました。その後、七ヶ岳一体にスキー場、ゴルフ場、乗馬クラブ、観光ダムなどを張り付けた通年型リゾート地の建設が、ある民間企業によって計画されましたが、その後のオイルショックによってあえなく撤退。雪を活かす生活・雪に親しむ生活は町にとって永遠の課題であり、その決め手としてスキー場の建設は町の宿命でもあったのです。台鞍山スキー場がオープンしたのは、私が小学校4年生の時でしたが、あれから現在に至るまで、こうしてスキーのある人生を送れているのも、その当時の町関係者のご努力はもちろん、共有地の5年間無料貸付やゲレンデ整備で駐屯した自衛隊の受入れ等、村全体でスキー場建設を支援した当時の針生地区の皆さんのお陰だと思っています。そんなスキー場建設にまつわるエピソードを知っているからこそ、「30周年が輝く年でありますように」とゲレンデ山頂から見た初日の出にお祈りしてきました。
飲み会ネタが多い「針生のページ」ですが、実際多いので何とも仕方ありませんが・・・。今回は只見駅伝の打ち上げと称して飲み会を開催しました。と言っても駅伝の話題は最初の10分?お決まりのパターンですが、只見駅伝→檜沢中駅伝部の頃の話題→中学校のスキー部の話題→スキーの話題→そしてお決まり針生ネタ、と飲む度に毎回毎回同じネタで盛り上がるというか盛り上がれるのですから不思議です。でも歳は異なりますが、何十年も前の思い出話で盛り上がれ、そして歳を重ねながら今もこうして共にいろいろな活動を展開する仲間がこの地域に存在していことが本当に幸せです。私自身いろいろな活動に関わり、いろいろな場所に足を運んでいますが、やはり軸足はこの地(針生)であり、刺激を受けるのはこの地域人達です。次に飲む機会を楽しみにし、再びこの地域の活性化に貢献していきます!!

全校生徒19名の針生小学校の運動会が今年も盛大に開催されました。児童生徒数でみれば、町内で最も小さい小学校の運動会ですが、高齢者はもちろんのこと、10代から40代まで出場する「地区対抗種目」、さらには多くの若手消防団員も参加するいわば「針生の大運動会」ともいえる運動会です。毎年HPで紹介していますが、この運動会もいよいよ来年がラストとなります。小学校が無くなれば、今のように子供達が活躍する姿を元気な声を地域の方々に見て聞いてもらう機会は減るでしょう。学校は勉強をする所と言われればそれまでですが、この地域に生まれ、地域の人々に育てられてきた私は、やがて我が子も針生小に入り、今度はPTAとして小学校に関係のない若者やお年寄りの方にこうして楽しんでいただける場を提供することで地域貢献をしていきたいと考えていただけに、廃校は残念でなりません。とはいえいつまでも嘆いていては何も始まりません。この地域の者として、そして多くの地区民の署名を受け取った者として、学校存続に期待された方々の想いを無駄にしない、新しい地域事業を興していきたいと考えています。
H23.9.10
針生を舞台にした夏イベントも一段落したので、打ち上げを行いました。仕事の都合で参加出来ないメンバーも多数おりましたが、それぞれ子供も同伴で集まりました。何度顔を合わせても、何回も飲み会をやっても飽きることなく昔話で盛り上がります。今回も、我々が子供の頃に練習試合をやってくれた壮年ソフトのおじちゃん達の話や、当時今の我々の世代ぐらいで編成された駒チーム(野球チーム)の話し、町民運動会の練習で夜間に地区のみんなが集まって練習する脇で遊んでいたことなどなど、思い出話しで盛り上がりましたが、今こうして振り返ると、今我々が地区内で行っているいわゆる地域おこしのイベントは、自分達だけで作り上げているものではなく、小さい頃から地域の大人に地域愛を注がれ、その環境の中で育ってきたからこそ今が成り立っていると改めて感じました。その時代時代によって、地域おこしやイベントの様相は変化するものです。そのため新たに生まれるイベントは、その新鮮さや斬新さから、新時代にポッと生まれたかのように見えますが、実は地域の歴史や伝統、先輩達が持ち続けた郷土愛、そういった環境の中で育てられ、過去から未来に続く継続性の中から生まれたものだと思っています。私自身が歳をとったからか(笑)、最近はそういったことを意識することが多くなりました。この時代を担っている我々は、過去の先輩達のように果たして次の世代に地域のバトンを渡せるか。不安はありますが、酒を飲んでる脇でギャンギャン騒ぐ針生の子めらを見て、何とかなるかもとも思いました(笑) H23.8.31
虫シリーズに「ルリボシカミキリ」を追加です。家の庭には冬に燃やす薪が積んであるのですが、昔は夏になるとそこに多くのルリボシカミキリが発生していましたが、最近はめっきり見なくなりました。まぁ薪に生息していたのではなく、山から集めてきた木の中にたまたま幼虫がいてそれが羽化していたのだろうと思っていましたが、そもそもこのルリボシカミキリは、生木を食害せず花粉や果実等を餌にするカミキリなので、悪さをするものではありません。いろいろ調べてみると、新鮮な木より朽木や倒木、貯木場が好みのようで、そう考えると我が家の薪置き場にいたのも納得です。先述のとおり、ここのところ目にすることはありませんでしたが、先日のスキー合宿の際に久しぶりに山の中で発見し一人で興奮してしまいました。この何とも言えない瑠璃色は私だけではなく、国内の昆虫愛好家の中でも人気が高く、日本を代表する甲虫に推す声もあるほどです。生息地が少なくなってきている中、こうして針生で目にすることができるのですから幸せです。

いよいよ夏の‘主役’がお目見えです!!が、梅雨に戻った様な天気であの暑かった夏はどこへやら・・・とう感じですが。話を戻しますが、カブトムシが羽化しました!これから山々へ飛び立っていきますが、山の中ではなかなか見つけることが出来ません。これだけコナラやミズナラ等の雑木林が豊富にあっても、不思議と樹液に集まる‘図鑑の様な’光景に出くわすことはそうそうないのです。私の夏の蝶採りはオオムラサキやゼフィルスなので、自ずと雑木林が主となりますが、それでも出会わないのだから不思議です。(まぁほとんどのカブトムシは夜行動するので当然と言えば当然ですが・・・)ですので、子供を連れてのカブトムシ採集はもっぱら街灯の下となりますが、ここではクワガタかカブトムシの雌がいいとこ。どうしてもカブトムシの雄がほしい方は、幼虫をゲットしそれを飼育するのが一番確実かもしれませんね。ただ、幼虫を飼育する上で重要なことは、出来るだけ幼虫が大きくなるよう養分を含んだ土で育てること。成虫になってからは大きくならないカブトムシは、幼虫時の大きさで体の大きさが決まります。ですので、大きなカブトムシが欲しい場合は大きな幼虫にするのがポイントです。すっかり飼育のネタになってしまいましたが(汗)これから針生の野山では、次から次へと夏の主役が登場してきます。
一年間で最も気持ちがいい新緑の季節に、針生野外活動部では、この新緑の下、山や沼を探検する‘粋な’活動を行いました。針生小学校をスタートし、たけぞう沼、鴫沼へと歩いて探検し、鴫沼では皆でガサガサを目一杯楽しみました。時代と共に子供達は減少し、どの地域でも集団で遊ぶことが難しくなりました。集団活動の減少は、リーダーであるいわゆるガキ大将を生む土壌の喪失であり、私は少子化の最大の問題は集団をまとめ動くリーダーが育ちにくくなったことにあると思っています。そんな時代だからこそ、地域の大人が子供達にいろいろな活動を提供し、積極的に関わっていかなくてはならないと考えています。そういった観点から、この野外活動部をはじめ針生小のソフトやスキー、ゲートボール等は地域の大人が積極的に関わり合いを持って活動されており、この時代にあるべき活動と私は思っています。この野外活動の前日は、かったかくんや誠一くん、なおみや勝行と久しぶりに飲み会を開催し、日付が変わるまで語り合いました。ジャンルは違えど、現場に立って子供達に接しているこの針生人は、私の自慢の先輩・後輩です。間もなく訪れる針生小学校の統合により、針生の子供達だけがこれまでのスポ少等の地域活動はガラッと変わることでしょう。しかし、形は変わっても、この様な素晴らしい活動や素晴らしい指導者(人材)が引き続き活動・活躍出来る場を私は作っていきたいと思っています。(H23.6.12)
今年の雪芭照も無事終了しました。皆仕事を抱えながらも前日からの準備をはじめ、当日の運営まで‘針生力’で見事乗り切れました。今年は新たな試みで、雪芭照の登り旗を購入し村内に掲げましたが、この登り旗への協賛金を民宿をはじめ地区内の方々がご協力くださったこと、そして毎年のことながら自宅周辺に雪芭照を灯してくださったことなど、‘ちょっとした’‘大きな’地域の支えに心底感激しました。決して派手なお祭りではありませんが、「地域のために、地域の子供達のために」というだけで実に多くの針生人が汗水流し活躍するこの地域は、過疎や格差といった言葉は単なる統計上の用語と思えてしまいます。恒男さんや哲さんをはじめとした民宿の皆さん、消防団の智にこーぞー、そしてかったかくん、雄、誠一くん、太、忠、勝行に智和、光っちゃんに孝典、千恵ちゃんに奈保美、聖子、富士子、あっこさんに光っちゃんの嫁(ごめん名前が分からん・・)、あっあと秀幸さん、あとは大丈夫か??この人材こそがこの地域の財産です。 ★今年の雪芭照はこちら(雪芭照ページ)★
画像では見にくいこともあり、一見なんだか判りにくい表ですが、先に開催された町民スキー田島大会のリザルトです。この大会で、針生小学校の子供達がなんとほとんどの学年で優勝または上位を独占する大活躍を見せました。何度かこのページでも小学校の統合問題に触れていますが、多くの‘教育者’と呼ばれる方々は小規模の針生小学校に対し、金科玉条のごとく口々に「競争力の低下」を叫びます。教育界で常識?である、小規模校=競争力の低下という方程式を覆すかのごとくこの大活躍は何か。それは保護者そして地域の‘教育力’なんです。この子供達の大活躍の陰にある、雄やかったかくん、誠一くんや奈保美、忠等々、多くの大人が一生懸命子供達にスキーを教えている姿を私は知っています。間もなくこの小学校が無くなります。針生小学校という歴史と伝統が喪失すること以上に、私はこの大人達が地域の子供達のために流す汗から生まれている‘地域の教育力’、そしてその中で育まれ、例え学校は小さくとも大規模校を抑えて大活躍している‘大きく輝く個’が喪失してしまうことに不安を抱いています。学校の廃校は覆せません。今出来ることは、この子供達が、そしてこの大人達がいつまでも活躍し輝き続けられる場を維持していくことだと思っています。

ちょっと前の出来事ですが、2月1日に雪芭照まつりの第1回目の打ち合わせを行いました。「打ち合わせ」と言っても、あっちでごちゃごちゃ、こっちでぺちゃくちゃと、まったくまとまりがないだらだらした会議。それでもやることが決まっていく不思議な会議です(笑)今年の課題は、5回目の節目にもう一度村全体を盛り上げる!!自分達の力で、自分達の資金では限りがありますが、そこをいかにカバー出来るか。それがメンバーの知恵であり、ひいては「地域の力」だと思っています。たわいもない雑談の中からいろいろなアイディアや解決策が飛び出し、いつのまにか物事が決まっていく。こういうメンバー、こういう空間が村づくりに必要なんです。今年の雪芭照はどうなるか?皆さん是非お楽しみください!!
★雪芭蕉まつりホームページはこちら★
針生での初詣はここ熊野神社。例年大晦日の晩に行っていますが、今年はスキー練習がオフだったので、元旦の朝にゆっくり行ってきました。十数年前は多くのスキー客で民宿も賑わい、その客で初詣も賑わっていましたが、今ではその当時の面影はすっかり消えてしまいました。時代と共に変わり行くものはあっても、大局的には国内の神社には多くの参拝者が足を運んでいます。宗教どうこうではなく、こうして節目節目を大切にすると同時に、一年のスタートにそれぞれの思いを胸に参拝する文化・風習は、日本人の原点と思っています。 H23.元旦
全国的に紅葉が遅れているようですが、針生の高山はすっかり紅葉も終わってしまいましたが、針生周辺の里山は今丁度見頃を迎えています。とくに針生手前の国道289号線沿いは、コナラやモミジの木が道路を包むように茂っており、運転席から見えるそれらの紅葉はとても色鮮やかで美しく、心を癒してくれます。この道路沿いの紅葉は、針生人メンバーのお父さんが、ドライバーにきれいな紅葉を見せようとわざわざ刈り払いをされたと風の噂で聞きました。皆さんも是非紅葉のトンネルをお楽しみください。
H22.11.4
すっかり秋になり、猛暑の記憶も無くなってきましたが、秋が深まってもタテハチョウ科の蝶は柔らかい秋の日差しの中、せっせと吸蜜しながら飛び回っています。温暖化または酷暑の影響か、とにかくツマグロヒョウモンが多いです。庭先を普通に飛び交う何羽ものツマグロヒョウモンを見ると、完全に土着したことを実感します。 H22.10.11
猛暑の夏、残暑が厳しい秋と記録的な暑さが続いていたと思ったら、一転一気に涼しいどころか肌寒くなりました。ここ数日は肌寒い雨の日が続いていましたが、久しぶりに「秋晴れ」となり、待っていましたとばかりにコンバインが一斉に田んぼに登場し大活躍しています。我が家でもこの貴重な秋晴れを逃さず、家族総出で稲刈りを行いました。基本的に稲刈りは人を頼んでコンバインで刈り取ってもらいますが、この「もち米」だけは我が家の小さな稲刈り機で刈り取り、みんなで稲を集め‘はで掛け’を行っています。こうやって天日干しされたもち米は、冬に美味しい栃餅に加工され各地に発送されていきます。生活を営む上で全ての生産物はお金に換算せざるを得ませんので、その観点からすると米の価値は寂しいものですが、日本書紀や古事記の神話の中で天照大神から授けられたとされる稲穂が人々の命を支え、瑞穂の国を形成し、そして三千年以上も稲作が受け継がれてきたことを思うと、小さな農家の小さな田んぼにいながらも深く大きな気分に浸ることができます。数々の神話とつながる豊作を願う祭祀や行事、または農村に残る文化は、近代農業における合理経営の方法以上に次の世代に受け継いでいかなければならないことではないでしょうか。  H22.9.26
9月4日に針生小学校の運動会が開催されました。例年同様、地区総出で楽しむ運動会でもちろん私も非常に楽しみにしている行事の一つですが、今回は統合による廃校が決定して初めての運動会であり、いわば長い針生小学校の歴史に幕を降ろすカウントダウンが始まった運動会とも言えます。そのため、これまでにない非常に感慨深い運動会となりました。統合問題に関わってきた一人として感じたことは、普段は競争を否定し、「みんな仲良くゴール」を推奨する平等主義者に限って、勉強面では競争環境を求めること、地域活動に全く参画されない方に限って学校に多くのことを求めることなど、人の実態を垣間見れいろいろ考えさせられました。子供の声が反映されることが全ていいとは思いませんが、子供どころか統合反対に署名をされた地域の方々の声すら反映されず、出来レースで進んだ今回の統合(廃校)に至るプロセスは、地域を真剣に考え、自分の子という「個の枠」を超え地域の中の子という「公の心」を持った多くの若い保護者に多くの傷をつけたことは間違いありません。しかし、公の心を持った彼ら針生人は、例え夢が敗れても、これまで同様地域のために貢献していくでしょうし、一方の「私」を押し通し夢を叶えた方々は、これまで同様地域(活動)に目を向けることなく過ごしていくことでしょう。いろいろな価値観を持った人が、違いを認め合って暮らしていくことが良好な地域を形成していきますので、どっちが良い悪いの議論ではありませんが、公に動いた針生人を私は誇りに感じています。そんなことを考え鼓笛隊を眺めていたら、少人数でもその一人一人が堂々と演奏する姿、そしてそこから奏でられる校歌を聞きながら「この姿、この歌を聞けるのも後数回」と考えたら目頭が熱くなりました。 H22.9.4
少し前の出来事ですが、駒止湿原保護協議会主催の「駒止湿原生態系調査中間発表会」において、「駒止の里に舞う蝶」というテーマで発表を行ってきました。現在、駒止湿原では、福島大学の研究チームが生物の調査を行っている最中で、今回は町民の方々にその成果を発表するものでしたが、その中に交じって発表することになりました。私はこの会にも、そしてこの調査活動にも参加していませんし(汗)、まして大学生の研究成果の発表に交じっての発表など、ど素人ぶりをさらすだけ!と思いましたが、得意の!?前向きと開き直りで、「針生の蝶と資源をPR出来るチャンス★」と思い、蝶話を行ってきました。それに合わせて、生まれて初めて自分の標本(10箱の内5箱展示))を公開しましたが、「身近な話・身近な蝶」であったことが幸いしてか、発表後多くの方々からお褒めの言葉を頂きました。非常にありがたいことでしたが、何より自分の趣味で針生をPR出来たことが本当に良かったと感じました。
今年も地区対抗の南会津町長杯野球大会が開催されました。1回戦を大勝し、2回戦は不戦勝、そして3回戦はベスト4をかけて強敵「長野」との対戦でした。試合は1点を争う緊迫した展開でしたが、終盤に我が針生チームが崩れ、残念ながらベスト4進出はなりませんでした。この町長杯のいいところは、普段は別々のチームで活躍している‘針生人’が、針生としてチーム編成をし出場出来るところにあります。数年前に優勝してから大分優勝からは遠ざかっていますが、それでも常にベスト4には進んでいるいわば強豪!?です。その理由は、他地区と比べればまだまだ20代、30代の若者が多いからでしょう。今回の対長野戦では仕事や学校の関係でギリギリの人数しか集まりませんでしたが、こうやって同世代が地域に残って活動・活躍していれば自ずと地域は活発になります。いろいろな活動の場があって、その場その場に多様な人材がいて、その中で大きな刺激を受ける。その‘空間’があることに幸せを感じています。 H22.8.24
針生のお盆を最後に締めくくるのはこの盆踊りです。今年も二十歳の世話人が中心となって盛大に開催されました。年々踊り手は明らかに少なくなり、また世話人が不足し、檜沢地区内でも毎年開催されているのはここ針生だけになってしまっても、こうして盆踊りが開催出来ているのは、先述の世話人達が頑張っているからです。学校や仕事の関係で地元に残っているのは1人か2人でも、皆で協力し合って準備から当日の運営まで行います。この循環が何十年も続いているわけですが、その意義や長く受け継がれている価値というのは歳を重ねる過程の中で気付いていくものです。世話人をやっている若者にはそんな‘理屈’は関係がなく、自分達の順番が来たら自分達でやるというシンプルな使命感で動いているものですが、そんな若者達を温かく見守り、年に一度の盆踊りと言う大行事を任せる姿勢が地域にあるからこそ、こうして何十年も続いてきているのでしょう。若者に任せる‘器量’がある地域は元気があるのです。 H22.8.16
針生での夏の大イベントが無事終了しました。8月7日の川遊びもホタル観賞ナイトウォークも、8月8日の鬼ごっこも主催はひのきスポーツクラブですが、活動の舞台はこの針生で、その活動を支えたのも針生人スタッフでした。今では、様々なネットワークツールが発達し、巷では「ツイッター」なるものが流行っていますが、そのような‘架空’のコミュニケーションから生まれるものは少ないと感じています。本当のコミュニケーションとは知恵を出し合いながら形を作り、そして汗を流しながら共に動くその‘過程’の中からこそ真のコミュニケーションが生まれるのではないでしょうか。アナログ的なこの人間関係こそが地域コミュニティの原点であり、この仲間達が針生という地域を活性化する人財なのです。それにしても打ち上げも含め、毎度毎度飲み会のネタは昔話ですが、なんでこうも飽きないのでしょうか・・・(笑) H22.8.8
水辺を散策中に一際きれいなトンボが目に付いたのでパシャ!!HP上では小さくて見えにくいですが、写真のトンボは「ルリイトトンボ」。よほどのトンボじゃないと普段は立ち止まりもしませんが、このトンボは福島県では一応準絶滅危惧種に指定されているものです。まぁ‘準’絶滅危惧種ですので即絶滅する危険があるということではありませんし、実際非常に多くの個体を確認しましたので心配いりませんが、WEB検索したところ、お隣の栃木県では既に絶滅したとありましたので、案外デリケートな生き物なのかもしれません。こんな生き物がいつまでも棲み続ける村でありたいものです。 H22.6.13

暖かくなってきたと思ったら一転寒くなったりと安定しない天気が続いていますが、我が家の田んぼでは例年同様田植えを始め無事終了しました。毎年機械植えの後に田んぼに入って手直しをやっていますが、ある人によれば、目の前の株が一株でも次の株にその不足分が必ず植えられているので、圃場全体で見れば株数は十分足りているから手直しは不要で、手直しをやると株の総数が増え密度が上がり、返って収量が落ちると言われました。現在の農業経営からみれば、我が家の手直しはなんとも非効率この上ありませんが、長く続くレーンをじっくり手直しをしながら歩く忍耐力、そして一株でも大切に植えたいという父親の想いは、効率性やスピードばかりが求められる現代で見過ごしてしまう大事なものだと気付かせてくれます。いくら効率化を図っても、田植えと稲刈りは年に1回であり、一反あたりの収量も何俵も変わるものではありません。日々の苗や水の管理は繊細でも、この悠々とそして営々と続けてきた父親の農業は私の誇りでもあります。
H22.5.23

ずっと寒い日が続いていましたが、GWになってようやく春らしい暖かい日が続くようになり、ここ数日は夜も大分暖かくなってきました。この時期の楽しみはなんといっても夜のたんぼです。まだ生き物の動きが鈍い時期ですが、たんぼの中ではアカハライモリだけが既に活動をはじめています。懐中電灯を片手に夜のたんぼを少しのぞいて歩くと、ご覧のとおり多くのイモリがゲットできます。結構気持ち悪がる人も多いイモリですが、飼育すると以外にかわいいものです(笑) H22.5.4
今回の水芭蕉まつりの会場となった所の水芭蕉群です。例年ですと見頃を過ぎている時期ですが、冷え込みが厳しかったことが幸いし、イベントが丁度見頃の時期と重なりました。水芭蕉の独特の香りが春を感じさせてくれます。
H22.4.25
雪芭照が中止だったことから、それに代わるイベントとして「水芭蕉まつり」を開催しました。今回のイベントは人のためではなく、自分達または家族で楽しむために開催しました。今週は寒い日が続き雪が降った日もありましたが、今日ばかりはこのイベントのために超快晴!水芭蕉も例年より遅れたこともあり、こちらもグッドタイミングで最高のイベント日和となりました。針生人メンバーとその家族に高校生とちびっこにと予想を超える参加者が集まり、みんなでバーベキューや魚とり(一部酒飲み)をやって楽しみました。小さい頃にたくさん楽しんだフィールドで、今度は子供達が楽しむ。これも変わらぬ自然がここにあるからなんだと感じました。会場提供くださった哲さんありがとうございました。H22.4.25
針生で一番賑わうレジャー施設「だいくらスキー場」が今シーズンの営業を終えました。小学校4年生の時にスキー場ができあがり、以後今日まで変わらず冬場の私の居場所となっています。当時は、町民スキー大会が春木沢コースで開催されていたり、ナイターは金・土・日とあったり、駐車場は満車どころから駐車場に入りきれない車が国道に列をつくっていたこともありました。リフトもゲレンデもロッジも大混雑で、唯一リフト待ちがないチャンピオンコースばかり滑走し、昼食は‘第3ロッジ’がお決まりでした。(今はそのロッジは撤去済み)そんな繁栄の時期から時代は変わり、スキー場の営業も変化を繰り返しながら今日までやってきましたが、唯一変わらないことは、小学4年生から28年間競技スキーを続けていることと、その当時のスキー仲間(当時は先輩でしたが)が今もこのスキー場のゲレンデに立っていることです。短いながら熱く燃えた冬のステージに幕を降ろし、毎年のことながら束の間の休息をとり、針生人達の活動は次のステージに!! ※写真は駒止山頂から H22.4.4撮影
遂にHUUBの新作が誕生しました★そもそもこのHUUBは、その昔スキー学校に多くの「針生人」が勤務していたころに誕生した「針生うきうきブラザーズ」というチームです。初代は写真左上の緑のジャージで、当時は久弥大親分、清朗くん、かったかくん、雄、私の5人。途中同じようにスキー学校の指導者の道に足を踏み入れた孝典が加わり、今回の新作では誠一くんも加わりました。初代ジャージから10年以上過ぎましたが、今でもスキー学校で活躍している者、活躍の場をジュニアに移したもの、または親として子供と一緒にスキーに励んでいる者と様々ですが、みんながみんな今なおスキー界で活躍していることには変わりません。針生という地元に残った多くの仲間が様々なイベントで活躍し、そしてスキーという世界でも同じように活躍しているのが私の支えでもあり誇りでもあります。HUUBは永遠に不滅です!
ちなみに今回の画像は、スキーのページに載せようか迷った画像ですが、やはり原点は「針生」なのでこのページに掲載しました。
ずっとずっと昔から続いている針生の歳の神に行ってきました。小さい頃は歳の神に燃やすご神木を1月4日に切り出し、そのまま地区内を引き歩き、所々でみかんをまきをやっていました。今では、人が減り、若者が減り、それは無くなってしまいましたが、それでも1月14日の歳の神だけはその年の厄年のメンバーによって代々受け継がれています。天狗と烏天狗、朝どり夕どりのかまくら、針生だけの歳の神が何十年も人から人へ世代を超えて維持され続けていますが、その歳月に一行事の域を超えた地域の力を感じます。大人になり、天狗は架空のものと分かっても、昔と変わらず天狗に泣く子供達を見るとなんかほのぼのとした気分になります。伝統の巣晴らしを改めて感じた一日でした。
このコーナーではすっかりおなじみの「針生人」のメンバーですが、今回は只見駅伝の打ち上げで集まったので、その出場者だけの写真です。中には助っ人で出場した「針生人」以外のメンバーもおりますが、この他にも野球に出場する時は野球のメンバーが、雪芭照をする時は雪芭照のメンバーが新たに加わるので針生若手のチームワークは凄い!!ただ一言いえるのは、駅伝でも鬼ごっこでも、雪芭照でも野球でも今回写っているメンバーはどんな時でも必ずいるのが何とも心強いです。家庭を持ち、各種活動を持ち、もちろん仕事も持ちながら地域活動へも参画する。こんな「人財」は一朝一夕には生まれませんし、出会えるものでもありません。仲間がいること、そしてこの仲間を生んだ針生という地域を心から愛しているから、また次の地域活動に次の活動にと心が突き動かされていくのではないでしょうか。 H21.11.8日撮影
針生で真っ先に秋の色をつけるのが下針生の銀杏の木です。国道から見えるこの銀杏は、バックが松の木ということもあり一層際立って見えます。ここから針生の入口まで、とてもきれいな「紅葉ロード」が続き、毎日の運転を楽しくさせてくれます。 H21.10.17撮影
気が付けば針生ページの更新は久しぶりですが、今年も只見駅伝に出場してきました。大会には「ひのきメタボ軍団」で出場していますが、ほとんどの選手は「針生人」です。毎度のことながら、大会には多くのサポーターがやってきて沿道で声援を送ってくれます。一緒に走った選手、そして応援に来てくれたこのメンバーがいなければ「ザ・鬼ごっこ」も「雪芭照」も開催することはできません。他にもまだまだメンバーはいますが、小学校の統合が行われようとしている小さな集落ですが、この地に残り、様々な活動に取り組んでいるのは、その昔小さい頃に、私達に相撲大会などの楽しいイベントを提供してくれた人、一生懸命ソフトボールを教えてくれた人、そして歳の神などの伝統行事を伝えてくれた人など、地域の「大人」の存在が知らず知らずのうちに心に染み込んでいるからではないでしょうか。時が変わってもバトンはしっかり受け継がれ、こうして一緒に活動してくれる多くの仲間がいる針生はやっぱりいいとこです。H21.10.13
夏の空の主役「オニヤンマ」が続々羽化し、大空に飛び出していってます。少し遅れて「アブラゼミ」が土の中から空に飛び出すと夏の昆虫が出揃います。カブトムシにオオムラサキ、オニヤンマにアブラゼミ・・・・。針生は昆虫の宝庫で、小さい頃は夏の虫捕りは最高の遊びでしたが、今の子供達はこれらの昆虫がどこに生息し、どんな生態系なのか分かっているのでしょうか。H21.7.20
一番掲載が多い蝶ネタです!と言っても大スクープです!!南会津よいとこページで昨年掲載した蝶ですが、なんと針生でも採取してしまいました。(この蝶がどれほど珍しいかは、南会津よいとこページをご覧ください)昨年採取した際は迷蝶かな?とも思ったんですが、2匹目となると確実に生息しているように感じます。温帯地域にいるはずの蝶が針生にもいるなんて・・・。珍しい蝶をとった喜びより、今回もまた温暖化の進行に不安を感じました。H21 .7.15
いろんな楽しみの時間を持っている私ですが、その一つに「ガサガサ」があります。網を持って水に入り、川底や葦の根っこをガサガサ、ガサガサと攻め、水の中の生き物をゲットする遊び?です。自宅で3つの水槽でコイやアブラハヤ、ヨシノボリにカマツカ、イモリに・・・・・・と飼って楽しんでいるのですが、今回は水生昆虫の水槽を新しく作りたく、針生の沼に獲物を狙いに行ったのです。最初に網を入れて軽くガサガサすると、ヨシノボリとヤゴが。次第に力を入れガサガサしていくと、次々に網に入ってきたのは写真のザリガニでした。数年前からザリガニが捕れはじめましたがここ数年で確実に数も増えサイズも大きくなってきています。昔はザリガニと言えば、都市部の水路で子供達がスルメで釣っている写真を図鑑で見るのが普通だったのですが、今では針生でも普通に捕れてしまいます。なぜだ??でも網にザリガニがワヤワヤと入ってくる光景にまだ慣れず、背中がむずむずしてしまうのです。ちなみにこの日の獲物は、ザリガニ、カワムツ、ヨシノボリ、ドジョウ、ヤゴ、超巨大オタマ。肝心の水生昆虫は全然捕れず、全部リリースしてきました。 H21.6.7
藤の花が針生でようやく満開になっています。川原で藤の花が咲き始めると「初夏」を感じます。川ではカゲロウが一斉に羽化し飛びはじめ、それを待ち構えてイワナがあちこちでライズしだします。最近はめっきり釣りをする時間も無くなってしまいましたが、緩やかな水面にフライを流しイワナがヒットした時のロッドの感触はいつまでもこの手に残っています。久しぶりにロッドを振りたいと思う今日この頃です・・・
H21.6.6
越冬蝶を除いて春に真っ先に羽化し飛び出すウスバシロチョウ。春の柔らかい日差しの中、風にのって柔らかく柔らかく飛んでいますが、あまりにも優しくゆっくり飛ぶ蝶なので‘素手’でつかまえられる唯一の蝶でもあり、そこからウスバ‘ノロ’チョウと何とも不名誉な呼ばれ方も。モンシロチョウなどは秋まで見られますが、このウスバシロチョウは春限定。間もなく短い役目を終えますが、同時に夏に飛び出す蝶達が蛹の中でその瞬間を待っています。
(同じ‘白系’でも、モンシロチョウはシロチョウ科、このウスバシロチョウはアゲハチョウ科です)
H21.5.24
周囲の山々の葉が一斉に開き、一年で一番気持ちがいい季節がやってきました。なんとも言えないこの鮮やかな新緑と、田んぼに一直線に植えられた苗を見るだけで心が元気になります。春を待ちわびていた多くの野生生物も、自然の目覚めにつられ大忙しで繁殖活動に入ります。これら自然の活気を五感で受けると、ちょっとした悩みもどこかへ吹き飛びます。「豊かな自然」の良さとはきっとそういうことなんだと私は思っています。
な、なんと!観音様の木がきれいさっぱり伐採されてしまいました(涙)昔の大火にも耐え、そして私達が子供の頃、缶蹴りの隠れ場にもなり、ずっとずっと何十年も針生の子供達を見守ってきた、銀杏、柳、桜の木が消えてしまいました。針生小の子供達は、教室から見えるそれらの木を目印に気象観察を行っていたらしく、「目印が無くなっちゃった」と悲しげに語っていました。私達が子供の頃の遊び場の拠点だったこの観音様を、今は7時間耐久イベント「ザ・鬼ごっこ」の拠点として使っているだけに余計残念です。ですが、近所にお住まいの方々は、大量の落ち葉に苦慮していたのかもしれません。ずっとそこに存在し続けることの尊さ、そして価値観の違い・・・いろいろ考えさせられました。

「針生の力結集!」写真は雪芭照のメイン会場づくりの模様です。雪芭照を成功させるため、平日の仕事後にみんなで集まり雪像作りや穴掘りを行いました。「針生を元気にしたい」「子供達に楽しい一晩をプレゼントしたい」そして「自分達が楽しみたい!」そんな思いを抱き、スコップや除雪機さらにはトラクーを持ち寄って夜遅くまで作業は続きました。他の集落より、人口は比較的多い針生ですが、確実に少子高齢化、過疎化は進み、そこに追い討ちをかけるように小学校の統合計画まで進行しつつあります。学校に行けば先生が勉強を教えてくれ、学力も向上するでしょう。でも、「地域を守る」「地域の子供達を育てる」という感情は学校では教えてもらえません。我々が胸に秘める「地域への想い」は、この地の文化、風土、先人から知らず知らず刷り込まれ、受け継がれてきたものです。こんな素晴らしい地域があるにも関わらず、こんな素晴らしい地域の中に学校があるにも関わらず、一日の大半を他の地域で過ごすようになる子供達に、私達はどのような手段で「地域力」をバトンタッチしていけばよいのか、私にはどう頭をひねっても見つけ出せないのです。
今年で第4回目となる「針生雪芭照祭り」の企画会議を開催しました。といってもかる〜い飲み会ですが・・・・。パッと集まってワァと飲んでしゃべる!この形式ばらない集まりからいろいろなアイディアが生まれていきます。昨年の雪芭照は、猛吹雪で肝心の雪芭照が不十分でしたが、今年は原点に返って2000雪芭照達成を実現したいと思います。もちろん各種イベントも昨年同様実施します。今年の目玉は雪ゾリレース★針生の子供達も民宿のお客さんにもきっと楽しんでもらえる祭りになると思います。
今回の集まりには岡村さんも参加くださいました。生粋の針生人の会に‘外の目’を持った岡村さんが加わり、この会もよりパワーアップしていくでしょう。
欠席のかったかくん、忠、孝典、勝行、次回よろしく(笑)

※第4回雪芭照はこちらから
我が家の餌台に今年は新しい客がやってきてます。それは写真のカケスです。例年ここの常連はヒヨドリやムクドリ、そして近くの木にはキレンジャクがやってきていましたが、今年は突然カケスがやってきました。このカケス、里山周辺の唐松林の中を「ギーギー」と鳴きながら青と白の大きな羽を広げ飛んでいるのはよく見かけますが、まさか庭にくる野鳥とは思ってもみませんでした。毎日、朝と昼と夕方と3回やってきて餌台の米やりんごをつついていますが、コタツにあたりながらカケスを眺めているのも何ともいい気分です。 H21.1.24
今日はクリスマスイブ!ですが、今年は暖冬なのか全く雪が積もりません。今も昔もこの時期になると、雪が積もったかどうか外を見るのが朝の楽しみですが、残念ながら今朝も積雪はゼロ(涙)ホワイトクリスマスにならなかったことより、だいくらがオープンしないのが何より残念です。写真は檜沢方面から写しただいくらチャンピオンコースですが、スキーファンはこのようにチャンピオンコースの‘白さ加減’を遠くから眺めながらオープンを楽しみに待っています。雪の無い終業式、雪のないクリスマス、雪のない正月・・・遠い将来のことと思っていたことが、もうすぐやってきそうでとても心配です。この文を書いていて、温暖地域に生息するはずの蝶を今年採取したことを思い出しました。私には気候の変化や地球の異変を察知する能力はありませんが、人間の数十倍のスピードで世代交代を繰り返す野生生物は、そのスピードの中で子孫を残すため、私達には察知できない気候等の変化を感じながら適応していってるように感じます。であるからこそ、野生生物の北上化=雪の北上化を意味しているようでとても心配です。H20.12.24 ※温暖地域の蝶が南会津に
針生愉快な仲間達の一員が結婚するということで、いつものメンバーが集まり、新郎新婦を囲んで「大酒のみ大会」を開催しました。この愉快な仲間達は針生雪芭照をはじめ、鬼ごっこやひのきスポーツクラブの活動、さらには町ジュニアアルペン指導部のコーチもこのメンバーが大半を担っています。今回、仲間に加わった新郎は、なんと!元高校球児でしかも甲子園出場経験者!!山人で土地柄スキーの血しか流れていないような我々にとってはとても新鮮で貴重な仲間といえます。新たな仲間が増え、活動の幅が広がりそうでワクワクします。ちなみに・・・今回の会場提供は、ペンション「大きな木」でした。夜遅くまでありがとうございました。これにこりず、次の機会もお願いします。
いろいろ楽しめる仲間がいて、大騒ぎできる場所が地元にある針生はいいとこです!
H20.11.15
針生周辺の高い山の紅葉が始まっています。今日は、紅葉を見に駒止峠を一周してきました。湿原付近の紅葉は終わりになりつつありますが、中間地点辺りは今が見頃で、下までくるとまだ紅葉が始まったばかりなので、その変化を楽しめます。高い山から真紅の紅葉が里山に降りてきた後、今度は純白の雪化粧が七ヶ岳からやってきます。
H20.10.19
昨年に続き、針生の夏の大イベント「ザ・鬼ごっこ」を開催しました。ひのきのページにも書きましたが、今年は4人もの参加者に最後まで逃げ切られてしまいました(泣)針生を熟知している我々の目から逃れられた4人は見事!の一言。
さて、この一大イベントには多くのスタッフが関わっています。何回もの打ち合わせを重ね、前日さらには当日の早朝と準備を行い、鬼ごっこでは汗だくで追い掛け回すこのメンバーは針生の財産と自負しています。次のイベントは雪芭照ですが、それまで町長杯野球大会や只見駅伝に出場して楽しみます。もしかして、秋に何かやるかも!?
H20.8.10
ホタルまつり第2弾です。この事業は初の試みながら、大勢の参加者(なんと48人)を迎え開催することができました。闇に沈んだ田んぼの畦道を、ホタルを眺め、虫の音を聞いて歩く「自然体験型イベント」だったので、大きな手を加えず、参加者には生の自然を体験していただきました。とはいえ、多少なりとも事業の企画立案から下準備、当日の運営と人手は必要です。雪芭照もそうですが、今回も大勢の「針生人」が集まり事業を手がけました。和隆くん、誠一くん、勝行、智、奈保美、太、孝典、恒男さん、当日参加してくれた光っちゃん、利通、残念ながら当日来れませんでしたが企画に協力してくれた、哲さんに秀幸さん、忠、みんなありがとうございました!そして、きっかけを作ってくださった本田組合の皆さんありがとうございました。
次は鬼ごっこです★
地区内には田んぼも多く、その田んぼにはたくさんのホタルが生息しています。中でもこの本田地区のホタルの数は別格です。先日この場所を使って、「ホタル観賞ナイトウォーク」を開催し、私も始めて観察しましたが、その多さは予想を遥かに超えたものでした。そこには、百匹以上ものホタルが夜空を飛び交い、正に‘乱舞’という言葉がぴったりで、雑木林はイルミネーションの様にホタルが止まり何とも幻想的な風景を見ることができました。我々は、農家の皆さんが今日まで守られてきたものは、代々受け継がれてきた「農地」と営々と続けられてきた「農業」であると思っていましたが、今回のイベントで無数のホタルを眺め、守られてきたものは「農」だけではなく、カワニナが棲むきれいな‘水’であったり、ホタルがさなぎになる‘土’であったり、つまりはこの「自然」そのものを守られてきたものなのだと実感しました。今の子供たちが将来、「昔は針生にたくさんのホタルがいた」と昔話になることのないよう、大切な自然を引き継いだ我々も、次の世代にバトンタッチできるよう、出来ることから取り組んでいきたいと感じました。
H20.8.5
アサギマダラに続く蝶ネタ第2弾!
先日、雑木林にオオムラサキ観賞に行ってきました。ふと林を見上げると、いるわいるわ、10匹近いオオムラサキが空を悠々と飛び、時に縄張りに入ってくる個体を追い払いながら夏の空を支配していました。
針生には様々な蝶が生息していますが、残念ながら稀少な蝶は生息していません。(私が発見できていないだけかもしれませんが・・・)このオオムラサキは‘国蝶’に指定されているので、一般の方にでも広く認識されている蝶ですが、国蝶だからといって、イコール珍しい蝶ということではありません。天然記念物と違い、昆虫学会という任意団体が決定しているにすぎず、日本だけではなく、朝鮮半島や中国、台湾にでもいる蝶なのですから・・・。とはいえ、準絶滅危惧種に指定されているので、全国的には減少傾向にあるのかもしれませんが、ここ針生、または南会津郡に限ってはどこにでもいる「普通の蝶」なのです。それがなぜ珍しがられるのか。まず、モンシロチョウやアゲハチョウと違い、飛翔エリアが高いため日常生活では目にしないこと。それと、オオムラサキはなんといっても羽の表の鮮やかな紫色の印象が強く、頭上高く羽の裏側しか見えない我々の目にはなかなか映りにくいのです。それが「珍しい蝶」というイメージを作っているように思えます。まだまだ書きたいことは山ほどありますが、今回はこの辺で・・・・
最後に、オオムラサキを手頃に観察する方法は、南会津町から下郷町湯ノ上までの国道289を走ってる際、空を眺めてみてください。6〜7匹のオオムラサキに出会えます。針生の観察ゾーンは内緒にしておきます(笑)。あっ、くれぐれも安全運転で!
 H20.7.21
 針生には多くの渓流があり、イワナやヤマメがたくさん釣れます。ただ川虫をはじめとした昆虫しか餌となるものがないのでなかなかいい型のものがあがりません。しかし!まれに写真のような大イワナに遭遇する時もあります。発達した下顎が小魚を食べ短期間で成長したものと違い、長い歳月を経て成長したことを物語っています。
 43cmの大イワナ=大漁ネットワークまる雄釣具提供
 春の訪れが遅い針生にも田植えの時期がやってきました。田んぼに水が張られ一斉にカエルが鳴きだし、新緑に包まれた森からは春ゼミの鳴き声が聞こえる。。。こんな中で田植えをしていると、長く寒い針生の冬をじっと耐えていた多くの生物達の生命が一気に噴出すのが実感できます。こんな地球の息吹を感じながら田植えで汗を流し、土手に腰掛け家族みんなで食べる弁当は格別です!減反政策(生産調整)や米価の下落、農業も経営を!等々、米農家を取り巻く環境は何かと騒々しい昨今ですが、自家用と縁故米それに冬に作る自家製栃餅用のもち米を作る程度の我が家にとっては、毎年家族全員で手直しをやってみんなで土手でいっぷく!そんな素朴でささやかな環境が維持出来るれば十分なんです。
H20.5.18
 針生スポ少ソフト部のちびっこ達が町内の大会に出場しました。結果は残念ながら初戦敗退でしたが、負けても腐らない子供達の姿にホッとしました。小学期の子供達に最も大切なことは競争でも勝利でもなく、「負けても腐らない心」の養成だと日々思っていますが、そんな姿が見れたこと、そしてそんな子供達を育てた監督と子供たちの姿に誇りを感じました。
 しかしながら、小規模校というだけで競争力が低下するという杓子定規的なことを言う方もいますが、中学高校そして社会人と歳を重ねていく中で否が応でも競争する時間は増えていきます。小学時代から一つの種目に特化し、その中だけで競い合っているより、この子供達のように、ソフトボールに卓球、スキーにゲートボール、そして野外活動と幅広い活動の中で様々な経験を重ね、たくさんの人に出会うことの方が学ぶことは多いように感じます。1年生にでも一生懸命ソフトの指導をされる監督の姿、野山や川原を駆けずり回る野外活動部、地区総参加の運動会、少人数ながら多くの人に囲まれ思い切り活動ができるのは針生小学校だけではないでしょうか。
 H20.4.29
 針生の水芭蕉が見頃を迎えています。まだ草木の生えない時期だけに白と黄緑のカラーが一層引き立ち、水芭蕉の独壇場といった感じです。毎年のことながら、桜同様に水芭蕉を見ないと春という気がしません。H20.4.26
 「針生を元気に!」「針生の子供達を楽しませる!」を合言葉に始まった雪芭照まつりも今年で3回目となりました。年々運営メンバーが増え、地区内の協力者が増え、そして来場者が増え、すっかり地域に根付いたイベントとなりました。大雪の平成18年に仲間で集まり、雪芭蕉という名称が生まれ、イベントのアイディアが生まれ、それから年々大きくなってきたのは何といっても針生に住んでいるもののパワーであり結びつきの強さでもあります。過疎、少子高齢化いろいろ言われる昨今ですが、それらは過去からの継承です。今この時代を、この針生を引き継いだ私達に出来ることは今を思い切り楽しむことだと思っています。そんな楽しみの輪に入った子供達がやがてまた何かの行動を起こす。その継続性こそが過疎を吹き飛ばす一番の力になるでしょう。それが出来るのが正に針生!でしょう。H20.3.15
雪芭照ページへのリンク
 年末は暖冬の影響でほとんど雪が無い状態でしたが、ようやくいつものように針生にも冬がやってきました。冬は一年のうちで最も厳しい季節で、とくにここ針生は町内屈指の豪雪地帯であるためなおさらですが、なぜかこの歳になっても冬になると心が弾みます。それはきっと子供の頃に、かまくらを作ったり、手作りそりで楽しんだりと冬の楽しみ方を教えてくれた親の影響であったり、ゲスゾリやつらら取りなど外で遊ぶ仲間がいたからだと思います。今もこんな親や仲間がいれば、子供達もゲーム機を投げ暖かい部屋を飛び出し外で思い切り冬を楽しむのではないでしょうか。こんな素敵な針生の冬を楽しんでほしく、スキー指導に雪芭照、その他にもあれもこれもやりたいのですが・・・・H20.1.14
 紅葉に囲まれた鴫沼に行ってきました。毎年必ずこの時期に、水面に映る紅葉を見にやってきます。
小さい頃は歩いてよくフナ釣りにきていた場所ですが、今は歩いてここまで釣りに来る子供は皆無・・・・。いい場所はたくさんありますが、それを子供達がフィールドにしてないのは何とも残念です。
H19.10.28
 鬼ごっこに続いて針生の仲間Part2です。ひょんなことから「只見駅伝」に出場するぞぉと盛り上がり、なんとホントに出場できました。準備期間は短期間でしたが、皆よく4〜6キロを完走できたものです。これも現在はメタボ系!?ながら、その昔伝統ある強豪檜沢中駅伝部の選手だった誇りが今なお心の中に残っていたからと思います。日々の練習から大会当日の応援まで家族の支えも大きかったのではないでしょうか。
1区瀬谷恵・2区湯田賢史・3区星誠一・4区阿久津和隆・5区星千恵・6区星智和・7区平野高史・8区星勝行
H19.10.8
 針生の山奥に、昔木地師が生活を営んでいた「木地師跡」がひっそりと残っています。数年前地元有志の皆さんが、ブナ林に倒れていた観音像や疱瘡神の石造などを起こし上げ整備しました。この辺りはブナやモミジの木が生い茂っており、数年前グリーンツーリズム兄貴の秀幸さんに案内されて以来、毎年紅葉の季節に足を運んでいます。いつか子供達にも伝えたいと考えていましたが、今年ようやく実現します!H19.9.28
地域探検キャンペーン (主催 ひのきスポーツクラブ)
 例年にない残暑が続いていましたが、辺りは少しずつ秋が近づいてきています。黄金色に輝いている田んぼも少しずつ刈り取りが始まりました。時代と共に、はでがけや刈り取り後の田んぼで遊ぶ子供を見かけるのも少なくなりましたが、たまにそんな風景に出会うと心が和みます。H19.9.24
 9月8日針生小学校運動会が開催されました。今年も地域から大勢の人が参加し、大変盛り上がりました。特に目を引いたのは、針生消防団によるポンプ操法の披露でした。地元消防団が小学校の運動会で鍛えた技を披露すること自体感動しましたが、同時に小学生の目にどう映ったかを考えた時、こんな格好いい消防団のお兄ちゃん達が僕達の地区を守っているんだと思っているのではないかと思うと余計に感動しました。地域を守る大人がいて、守らなければならない人がいる、そんな互いの存在感を意識することから地域は創られていきます。毎年のことながら、針生小学校の運動会にはいろいろなことを勉強させられます。いつまでも続くことを願っています。
H19.9.12
 久しぶりに蝶を採取し、展翅してみました。この蝶、「アサギマダラ」といい、遠く南西諸島の方から海を渡り何千キロも旅をしてくる蝶といわれています。この季節になると必ず話題になる蝶ですが、今年は福島の新聞2紙共に一面カラー写真で掲載していました。ここ針生でもクガイソウなどで吸蜜しているところをよく見かけます。この後一体どこまで旅をするのか、マーキングをして一度調べてみたいと思いながら今年も夏が終わってしまいました・・・・。
※実は写真の展翅は、昆虫図鑑を見ていた甥に教えてやらせたものです。きっといい標本になるでしょう。
 先日、針生全域を使った国内最大級!?7時間耐久鬼ごっこを開催しました。きっかけは「夏休みに何かイベントをやろう」と軽〜い気持ちで始まったのですが、今振り返るとなかなか大規模なイベントになったように感じます。それも「地域を盛り上げるために何かやろう」「何かやりたい」という思いを持っている同世代の多くの仲間がいるから実現できるものです。こんな仲間がいる針生はやっぱりいいなぁと改めて実感しました。次は雪芭照で頑張ります!!
 ちなみに写真は鬼ごっこのものですが、捕まった者は黄色のTシャツに着替え鬼になるというルールで、最終的に真ん中の参加者(勝者)以外黄色一色になりました。
 梅雨の晴れ間に田んぼでカエル捕りを楽しむ子供たち。年々子供の数は減り、外で元気に遊ぶ子供を見かけることも少なくなりましたが、そんな中網を片手に仲良く喧嘩しながら!?遊んでいる子供達を見ると心が和みます。必死に逃げるカエルも案外喜んでいるかもしれません。今の子供達を取り巻く環境は目まぐるしく変化し、時代の流れとともに保育所や小学校の統廃合問題も話題となっていますが、議論の中に入れないこの子供達が、将来これでよかったと思えるよう、私達大人は責任ある判断をしなければならないと、田んぼで遊ぶ子供達を眺めながら感じました。
H19.6.24
 七ヶ岳が6月17日に山開きしました。小学校の頃から山開きに参加していますが、何回行っても、何歳になっても小学校の時と変わらないワクワク感があります。この七ヶ岳登山の魅力はなんといっても護摩滝の滝登り。縦走を終えると滝登りの楽しい記憶が遠くにいってしまう感もありますが、不思議とまた来年も行きたくなるものです。
H19.6.17
 針生の山々もようやく新緑色になり始めました。冬の厳しさに耐えたブナをはじめとした木々が、春の陽気に誘われ一気に芽吹き始めるこの季節はなんとも気持ちのいいものです。また、この時期になると水の張られた田んぼでは一斉にカエルが鳴きだし、里山では春ゼミの鳴き声も聞こえ、自然というよりまるで地球全体が命の鼓動を鳴らしているかのように感じます。写真の場所は、新緑に染まるのが最も早くそしてきれいで個人的に好きな場所です。一番後方に写っているのが七ヶ岳ですが、紅葉は七ヶ岳山頂から始まりますが、逆に新緑は下から山々を染めていきます。若葉に雪が上へ上へ押し上げられているようにも見えますね。 H19.5.12
 福島の桜に掲載されている、針生の山桜が満開になりました。本を手にした時「針生」と書いてあるもののどこに咲いている桜なのかまったく検討がつかなかったのですが、写真のバックに写る「おなしの山」がヒントになり見つけることができました。ちなみにこの「おなしの山」は、昨年サントリーなっちゃんソーダのCMで使われた山なんです。なんでこの山だったのか・・・未だに疑問が残りますが、針生のシンボル的な山で個人的にもとても好きな山なのでオンエアーを見た時は感激しました。 H19.5.8
 針生の鴫沼から流れる小川周辺には、いくつもの水芭蕉群生地があり、今見頃を迎えています。この水芭蕉と、水芭蕉の何とも言えない香りが針生に真っ先に春を運んできてくれます。 H19.4.21

 針生と言えば駒止湿原ですが、実はもう一つ湿原があります。それが写真の黒岩湿原です。しかし、この湿原案内なしにはなかなか発見できないのです・・・。高校時代に一度訪れた地ですが、それ以来行く機会がなくいつかまた行きたいと願っていましたが、それが今年の春に叶いました!なかなか人が足を踏み入れない地ですが、昔と変わらない姿を眺め時の流れが緩やかに感じました。
 毎年盛大に開催される針生地区の盆踊り大会。以前より参加者は減っているものの、それでも個人仮装や組内の方の踊りは華やか。少子高齢化、過疎・・・いろいろ課題はありますが、この盆踊りを支える地元青年達がいる限り、針生は不滅です!ネ


 夏休み最後の土曜に開催された、針生スポ少野外活動部の川遊びにいって一緒に楽しんできました。子供達は川遊びやバーベキューを思い切り楽しんでいました。「目が輝く」とはこういう顔なんだなぁと子供達の楽しむ顔を見ながら改めて実感しました。そしてこのような「楽しい時間」を提供している野外活動部の大人(指導者)の皆さんも素敵だな〜って感じました。
9月第一週に開催される針生小学校の運動会に参加してきました。全校生20人ちょっとの学校ですが、運動会には地域から大勢の皆さんが参加しますので、小学校の運動会というよりは、地域の運動会という感じです。子供達を地域の方々が応援し、そして消防団競技や地区対抗リレーに参加している地区内の大人を子供達が応援します。子供達は少数ながら、子供達に向けられている地域の愛情の目は、大規模校や都市部とは比較にならない大きさです。頑張れ針生っ子!!
針生よいとこ探検
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